何故、大東亜戦争は起きたのか~開戦の詔書を読んで~
2023.04.15
「なぜ、平和を求めていた日本が、戦争をすることになったのか」。

毎年、私塾「寺子屋『玉川未来塾』」が主催する靖國神社とのイベントで、いつも思うことである。

みなさんは、天皇陛下の勅語によって発せられた「開戦の詔書」の全文を読んだことはあるだろうか。ここには、大東亜戦争を始めるきっかけとその理由について、昭和16(1941)年12月8日に述べられているので、まず全文を紹介するので読んでいただきたい。

開戦の詔書<原文>
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐(ふ)メル大日本帝國天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝有衆(ゆうしゅう)ニ示ス
朕茲(ここ)ニ米國及英國ニ對シテ戰(たたかい)ヲ宣ス 朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮(ふるっ)テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司(ひゃくりょうゆうし)ハ勵精(れいせい)職務ヲ奉行シ朕カ衆庶(しゅうしょ)ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々(そもそも)東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯(ひけん)ナル皇祖考丕承(ひしょう)ナル皇考ノ作述セル遠猷(えんゆう)ニシテ朕カ拳々(けんけん)措(お)カサル所 而(しこう)シテ列國トノ交誼(こうぎ)ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂(たのしみ)ヲ偕(とも)ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル 洵(まこと)ニ已ムヲ得サルモノアリ 豈(あに)朕カ志ナラムヤ 中華民國政府曩(さき)ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫(みだり)ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂(かくらん)シ遂ニ帝國ヲシテ干戈(かんか)ヲ執ルニ至ラシメ茲(ここ)ニ四年有餘ヲ經タリ 幸(さいわい)ニ國民政府更新スルアリ 帝國ハ之ト善隣ノ誼(よしみ)ヲ結ヒ相提攜(ていけい)スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭(ひいん)ヲ恃(たの)ミテ兄弟尚未タ牆(かき)ニ相鬩(あいせめ)クヲ悛(あらため)メス 米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂(からん)ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿(かく)レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞(かくまし)ウセムトス 剩(あまつさえ)ヘ與國ヲ誘(いざな)ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有(あ)ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢(あえ)テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ 朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡(うち)ニ囘復セシメムトシ隱忍久シキニ彌(わた)リタルモ彼ハ毫(ごう)モ交讓(こうじょう)ノ精神ナク徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延(せんえん)セシメテ此ノ間(かん)却(かえ)ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス 斯(かく)ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦(また)正(まさ)ニ危殆(きたい)ニ瀕セリ 事既ニ此ニ至ル 帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然(けつぜん)起(た)ツテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破碎(はさい)スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神靈上(かみ)ニ在リ 朕ハ汝有衆(ゆうしゅう)ノ忠誠勇武ニ信倚(しんい)シ祖宗(そそう)ノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ速(すみやか)ニ禍根ヲ芟除(さんじょ)シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書

開戦の詔勅 <現代語訳文>
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。

御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書

詔書で昭和天皇が「豈(あに)朕(ちん=天皇陛下)が志ならむや」と述べているように、米英との戦争は本意でないことを強調している。また、当時の支那(中国)についても「曩(さき)に帝國の眞意を解せず、濫(みだり)に事を構へて東亞の平和を攪亂(かくらん)し」とあるように、日本は支那を侵略する意図が無かったことが分かるし、東アジアの平和を乱しているのは当の支那人であるとしている。そして、米英との戦争は避けたかったが、「日本の自存と自衛」にやむなく立ち上がったことが読み取れる。

このように、開戦の詔書の内容において確認すべきことは、大東亜戦争が、我が国の生存に対する重大な脅威を除去し、アジア永遠の平和を確立することを目的にした自衛のための戦争であると宣言されていることである。そして、戦後において、天皇陛下は、この開戦の詔書で示された自衛のための戦争との宣言を一切撤回されていない。このことを深く心に刻むべきである。

また、東京裁判で木戸幸一の弁護を担当した米国弁護士のウィリアム・ローガンは、次のように論じている。
「日本は連合国が行った経済封鎖は、日本に対する戦争行為にほかならないものであると断定する権利を持っていた。それにもかかわらず、日本はその特有の忍耐力を以て、円満にこの争いを解決しようと試みた。しかし、経済封鎖は強化せられ、軍事的包囲の脅威とあいまって、ついに日本をして自国の存立の擁護のためには、最終的手段として戦争に訴えざるを得ないと考えるに至ったのだった。日本がこの連合国の経済封鎖を以てすぐに宣戦布告に等しきものなりと解釈することなく、平和的解決を交渉によって忍耐強く追求したことは、永遠に日本の名誉とするに足るところである。・・・それは、不当に挑発に基因した、国家存立のための自衛戦争であったのである」。

さらに、昭和26(1951)年5月、連合国軍最高司令官を解任された直後のダグラス・マッカーサーは米国上院外交軍事合同委員会で「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた」「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」と、敵将が彼らの戦いが自存自衛であったと証言している。

しかし、学校教育では、「かつて日本軍は、アジア諸国を侵略し、略奪するなどをして地元の人々に大変つらい思いをさせたことを今でもアジアの諸国民は恨み続けている」と教えられ、そして、「日本の『アジア侵略の野望』は敗戦によって潰え、日本は反省して二度とこのような戦争をしないことを憲法で誓った」と教えられてきている。

それに対して、アジア諸外国の指導者は、「日本が戦ってくれて感謝してる」「日本は我々に謝罪しなければならないことは何もしていない」と学校教育で教えられていることとは正反対の「感謝の気持ち」をあらわしている。
具体的に見てみたい。

◎ジャワハルラール・ネルー(インド初代首相インド独立運動指導者)
「日本は我々に謝罪しなければならない事は何もしていない。だから、われわれは、サンフランシスコ講和会議に出席することを拒否し、その後は条約に署名することも拒んだのである」。

◎ガザリー・シャフィー(マレーシア元外務大臣)
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ」。

◎ククリット・プラモード(タイ元首相)
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない」。

◎モハメッド・ナチール(インドネシア元首相)
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」。

◎バー・モウ(ビルマ首相・独立運動家)
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない」。


学校教育では正しい歴史を教えていないため、今でも先の大戦で「日本は悪いことをした」と信じ込んでいる者が多い。そして、自我形成期に自国の歴史を暗記科目として学び、そして忘れ、ある場合には日本は悪い国、先祖は悪い人と教える歴史教育があるのも否定できない現実である。

昭和から平成、令和と時代が移り、戦争体験者が急速に減っている中、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあるため、日本人は正しい歴史を知らない世代が多くなっているのに、国のために尊い命をささげた先人を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社をも容認しない者も少なくない。今日の平和は間違いなく、国を護るために命を賭して戦ってくれた先人のお陰である。

私が主宰する「寺子屋『玉川未来塾』」では、こういった状況を少しでも改善するためのイベントを今年も開催する。今年は3回。テーマこそ違えど、靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げ、そして、今日の学校教育では学べない、違った視点から正しい歴史を学ぶことを目的に実施する。多くの方々にお越しいただきたいと心から願うものである。
2023.04.15 20:00 | 固定リンク | イベント
歴史戦に勝つために~米国訪問の経験から
2023.04.06
月刊正論5月号の「南京事件 周到な反転攻勢を」と題した阿羅健一氏(近現代史研究家)と西岡力氏(モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授)、そして江崎道朗氏(評論家)の鼎談は実に読みごたえがあった。

昨年の12月、阿羅氏の南京事件に関する活動に対し、産経新聞では「昭和12(1937)年12月の南京攻略戦に参加した元兵士らへの取材を通じ、当時の南京の実像に迫ってきた近現代史研究家の阿羅健一氏(78)が、旧日本軍の南京入城から85年に当たる13日、「南京事件はなかった 目覚めよ外務省!」(展転社)を発刊した。阿羅氏は、外務省がホームページ(HP)に掲載している「南京事件」に関する記述に根拠となる資料が同省に存在しないことを突き止め、「根拠がないならば、HPの記述を撤回すべきだ」と訴えている。85年前当時、中華民国の首都だった南京をめぐっては、旧日本軍が攻略、占領後の6週間で、市民ら30万人以上を虐殺したなどと中国は主張している。阿羅氏は当時の南京にいた高級将校や下士官、記者、画家、写真家ら300人以上への聞き取り調査や国内外の歴史資料の検証などを通じ、一般市民の虐殺はなかったと判断している。一方、外務省は「南京事件」についてHP上で「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています」と説明する。ただ、阿羅氏が昨年3月、外務省に「根拠となった資料」の公開を求めたところ、今年1月になって「該当文書を確認できなかったため、不開示(不存在)とした」との通知があった」と報道している。

江崎氏も月刊正論5月号で指摘しているが、外務省は根拠となる資料を持っていないことを明らかにしたことは、とても重要で、阿羅氏の最大の功績である。

ただ、歴史的事実を明らかにすることと、外交や国際政治のなかで、歴史認識問題が横たわっている土俵でどう勝つか、という議論は別であるとも話している。
私も本当にそうだと感じている。2014年に参加したリーダーシッププログラムで米国に行き、米国共和党系の有識者の話を聞いた際に、このままでは歴史戦に勝てないと痛感した。
その時の経験をもとに平成28(2016)年に「歴史戦に勝つために」との内容で論文を書いたことがある。7年前の論文ではあるが、私自身の手段方法は変わっても、思いは未だに変わらない。恥ずかしながら、以下の通り公開したい。ご笑覧いただけたら幸いである。

(以下)
2014年12月、「日本の将来を担う次世代リーダー達が米国大学主催の日米親善教育プログラムに参加し、現地有識者との意見交換することにより、『対話を通じた信頼関係』を築き、日米関係のさらなる発展を目指す」ことを目的とした「第8回ジョージタウン大学日米リーダーシッププログラム」に私は参加することができた。そのプログラムにはジョージタウン大学での日米関係論、国際関係論等の講義、議会見学及び議員、有識者との人材交流・意見交換、ヘリテージ財団訪問などが用意されていた。ブッシュ政権時代にホワイトハウス高官だったジョージタウン大学のマイケル・グリーン准教授、ビクター・チャ教授、ブラッドリー・ブレイクマン教授、さらにはカール・ローブ元次席補佐官、大統領政策・戦略担当上級顧問、そしてケビン・ドーク教授を講師に迎え、安全保障、朝鮮半島問題、米大統領選、そしてリーダーシップについての講義を受けた。

2014年11月27日の産経ニュースに慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏とその調査班と、産経新聞の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認されたと公開された。その「米国戦争情報局資料『心理作戦チーム報告書』によると、「慰安婦たちは将兵とスポーツやピクニックを楽しみ、当時としては高価な蓄音機を持ち、町に買い物に出ることができた。日本人兵士が結婚を申し込む例も多く、実際に結婚に至ったケースもあった。平均月収は兵士の数十倍に上り、彼女らは金を多く持っていた」という。また、その報告書には慰安婦のことを「sex slave」ではなく「comfort girl」と表記されおり、「慰安婦は売春婦(prostitute)であるに過ぎない」と結論付けている。当時、敵国であった米軍の公式文書が「慰安婦=性奴隷」を否定していたのだ。

私は、講師陣にこの内容を伝えるとともに慰安婦問題に対する見解を求めるため、以下の質問をした。
「戦争中、慰安婦『comfot girl』を連れてきたのは朝鮮人仲介業者であった。また、朝鮮人仲介業者による慰安所は存在し、そこでは『商行為』が確認されている。よって、『sex slave』ではなく、軍が強制的に女性を拉致し、連行した事実はないと考えるが、先生方のご意見を聞かせてください」と。すると、どの教授もこの報告書のことを理解していなかった。知日派で知られるマイケル・グリーン准教授は「マイケル・ヨンはブローカーでしょ?」と発言。さらに「目の前で実際に体験した泣いているお婆さんがいるじゃないの。この問題は今や人権問題となって論点が変わっている」と答えた。

また、2013年11月14日に慰安婦問題について「米国は日本に謝罪を促すべき」と論考する論文を東亜日報に発表した、ビクター・チャ教授は「あなたの言った内容を唱える者もいるが多数派ではない。歴史問題は歴史家に任せればよい」とし、「決して解決するものではない」と答えた。

ヘリテージ財団では「尖閣諸島をめぐる東アジアの安全保障」について有意義なディスカッションが繰り広げられたが、その中で、財団側は米国における韓国との人材交流が活発であるとの話に触れ、「何かあったとき、我々は韓国人が何を考えるかは分かるが、日本人がどう考えるかは分からない」と語った。日本人との人材交流も、日本からの寄付も極めて限定的だとし、日本人と米国人におけるコミュニケーションが公私共に不足していることが露骨に論じられた。さらに、米国では各大学における中国研究がすすんでおり、そこには中国より研究費として多額な寄付が投じられているとも語られた。

中韓の米国におけるロビー活動は増強の一途にある事実を感じ、また、米国知識人にさえ日本の立場が理解されていないと痛感。「今のままでは歴史戦に永遠に勝つことができない」ことを実感した。この経験を踏まえ、日本が世界において歴史戦に勝つために、何をしなければならないのか。未だに止まない歴史戦の現状認識と、これからの日本のあるべき姿、そして自分の見解を述べていきたい。

・世界に主戦場を移した「歴史戦」
2014年8月5日から2日間、朝日新聞はそれまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載し、過去の吉田清治氏の証言をめぐる記事を取り消した。そして、9月11日には謝罪会見を開いたが、慰安婦問題は世界に対して未だ反日の材料として取り上げられている。

日韓基本条約の発効から50周年となった2015年12月28日、安倍晋三首相の指示を受けた岸田文雄外相が訪韓し、尹炳世(ユンピョンセ)外相と会談し、いわゆる従軍慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的に解決される」との認識で合意した。この問題について国際社会で非難、批判することを相互に控えると確認し、併せて元慰安婦を支援する事業のため韓国政府が財団を設立し、日本政府が予算十億円を一括拠出することでも一致した。しかし、合意内容は玉虫色で「互譲」ではなく、日本側は肝心な点で譲歩したといわざるを得ない。それは安倍首相が表明したお詫びのなかで、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している」と「軍の関与」にわざわざ言及したことである。この「言葉」が海外で「あの安倍首相が軍の関与を認めた」との誤解を招き、海外に住む韓国人は日本人に対し、攻撃をますます強めている。

韓国の日本大使館前に設置された「慰安婦少女像」は未だに撤去されず、その慰安婦像は、米国のグレンデール市、デトロイト市、フラートン市ほか、オーストラリア、カナダで設置。さらにはドイツのフライブルク市に、欧州で初めてとなる「慰安婦少女像」の建立が予定されていたが、9月21日の産経新聞によると、フライブルグ市で計画していた慰安婦像の設置は、独側の拒否で実現不可能となったと発表したものの、その勢いはとどまるところを知らない。

また、慰安婦に関連する資料のユネスコ記憶遺産への登録を目指す韓国の民間団体は、日本や中国、オランダなど各国の市民団体と共同で、5月31日付で資料の登録申請をした。その申請は韓国に事務局を置く「国際連帯委員会」が中心となって進め、申請資料は計2744件に上り、音声記録を含む元慰安婦らの証言記録や写真、市民団体による調査資料などという。しかし、月刊正論2016年10月号に高橋史朗明星大学特別教授が寄稿した「やぱりヒドい世界記憶遺産の申請文書」によると、日本の「女たちの戦争と平和資料館」と「日本の戦争責任資料センター」が大きな役割を果たし、日本の資料が申請の中心になっていることを明らかにしている。

今回の申請は、慰安婦問題は今後蒸し返されることはないとした「日韓合意」の狙いが外れたことを意味する。むしろ、韓国一国のみならず、国際的な「対日包囲網」が築かれるほどに、慰安婦問題が悪化したと言える。
これに対し、日本政府は即座に反対しなければならないが、先の合意には、「両政府は、国連など国際社会でお互いに非難・批判することは控える」との内容が含まれているため、合意によって、日本は政府として反論する手足を自ら縛ったわけである。

南京事件についても間違った歴史認識が独り歩きをしている。昨年10月にユネスコ記憶遺産に中国の「南京大虐殺文書」が登録された問題で、中国が登録申請の際にユネスコに提出したのは、資料の一覧と、資料を保管する7カ所の公文書館名を記しただけの目録だったことがわかった。南京文書の目録に一覧として挙げられた資料は十数種類。「南京市民の羅瑾が死の危険を冒して保存した16枚の写真」や、「大虐殺」の様子を書き留めた唯一の中国人とされる程瑞芳の日記も含まれているという。これらの資料について中国側は一方的に「虐殺の証拠」と主張しているが、多くは日本人学者らの調査によって否定されており、中国側の資料のずさんさが改めて浮き彫りになったといえる。

世界において南京大虐殺の嘘が広く知らしめすその原動力となった故アイリス・チャン氏著『ザ・レイプ・オブ・南京』だが、その内容は嘘で塗り固められているとして1999年に発行された『「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究-中国における「情報戦」の手口と戦略』(藤岡信勝・東中野修道共著、祥伝社)より微塵に反論されている。
―初めて30万人虐殺が日本で主張されるようになったのは本多勝一著『中国の旅』(1972年)からである。しかし、注記として記されているにしか過ぎなかった。30万人虐殺説が大手を振るって歩き始めるのは、1982年に出た洞富雄(ほら・とみお)著『決定版南京大虐殺』からと言えよう。この頃になると、南京戦に参戦した将兵のほとんどが、社会の第一線を退いていた。それを待っていたかのように、南京虐殺を主張する声が強まっていったのである。しかし、ここまではまだ国内問題という側面が強かった。

ところが、1997年末に、アメリカで『ザ・レイプ・オブ・南京』が、そしてまた、南京安全地帯国際委員会委員長であったジョン・ラーベの日記が出版されるに及んで、事態は一変した。南京虐殺は国際問題へと発展したのである。『ザ・レイプ・オブ・南京』は南京事件を題材にしながら、その狙いとしているのは、実は日本の文化と歴史の全面否定で、チャンは著書の中で「明治新政府が全市民の道徳規範として、武士道という武士の倫理を採用した」ことが、やがて日本軍に残虐行為を行わせることになった―と論じている。

多くの嘘を事実として記したこの『ザ・レイプ・オブ・南京』は世界で大ベストセラーになり、この著書の内容を木端微塵に反論している書籍が多数発行されているにも関わらず、それを無視するかの如く、日本の嘘が世界に広まっているのが現状である。

そもそも、1946年に結成されたユネスコだが、その前身は、国際連盟国際教育局(事務局長は児童中心主義の心理学を主導したジャン・ピアジェ)であり、その活動は新教育者連盟のメンバーによって運営されていた。こうした経緯から、ユネスコは、フランス共産党所属の心理学者アンリ・ワロンらが中心となって結成された。所謂左翼組織である。

現ユネスコの事務局長で、次期国連事務総長として最有力視されているイリナ・ボコバ氏は共産主義国家ブルガリアの出身で、モスクワ国際関係大学を卒業後、ブルガリア議会の議員を経て2009年にユネスコ事務局長に選出された。ユネスコの記憶遺産に中国が申請した「南京大虐殺文書」を登録する最終決定を下し、また、2015年9月に北京で行われた抗日戦争勝利70年記念行事にも出席している。しかも、このたびの慰安婦に関連する資料のユネスコ記憶遺産への登録を目指す韓国の民間団体は、日本や中国、オランダなど各国の市民団体と共同で、資料の登録申請をしたこの問題に対し、現イリナ・ボコバユネスコ事務局長が、「複数の国、団体を交えて申請した方がいい」と中国に助言したと、国連で「慰安婦は性奴隷ではない」と訴えた杉田水脈元衆議院議員が講演会などで明らかにしている。こうして、中国、韓国が主導する「歴史戦」は欧米諸国、ユネスコなど世界を巻き込み、日本を貶める戦略を着々と遂行しているのである。

・いわゆる「従軍慰安婦問題」
「従軍慰安婦」という言葉が本格的に使われ始めたのは、1973年に発行された、元毎日新聞記者で作家の千田夏光氏による『従軍慰安婦』という本からである。

従軍慰安婦という虚構をさらにおどろおどろしく惨状に描いた本が1983年に吉田清治という自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長が「私は奴隷狩りを行った」と書いた『私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行』である。この「職業的話術師」の話を大いに持ち上げたのが朝日新聞で、韓国政府も国連人権委員会も吉田証言を引用して報告書を作り、日本非難の根拠とした。事実上、朝日新聞が吉田証言に信憑性と権威を与えたのだ。さらに、1991年8月11日付けの朝日新聞(大阪本社版)に「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していたことが分かり、『韓国挺身隊問題対策協議会』(中略)が聞き取り作業を始めた」という記事が掲載された。筆者は植村隆記者(当時)である。この記事が大きなきっかけとなり、91年秋ごろから92年にかけて、朝日新聞を中心に国内メディアは集中的に慰安婦問題報道を展開し、各社そろっての一大キャンペーンとなった。

これに対し、戦前戦中の事情を知っている人たちが、朝日新聞が宣伝する吉田清治的な「慰安婦強制連行」は事実無根であり、戦後生まれの人たちは騙されているのだ-と強い違和感を持って、元日本軍人、慰安婦たちの性病検査をした軍医の家族らなど、慣れない原稿を書いて、雑誌「正論」編集部に持ち込んできたほか、故中村粲獨協大学名誉教授が主宰するシンクタンク「昭和史研究所」が「昭和史研究所会報」にその内容を掲載し、そして、その一部を月刊正論2014年12月号に掲載した。いずれも慰安婦の強制連行はなかったとするものである。しかし、この事実は世界どころか日本国内にこの情報が浸透するまでには至っていない。

・「南京大虐殺」の嘘
「国民党極秘文書」である『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』が戦後、発掘された。その特徴は①同時代の記録②個人的な回想とか日記などとは違って中国国民党中央宣伝部の公式記録③外部には見せてはならない一部の関係者だけが知り得た最高機密である。
この極秘文書とは別に「宣伝工作概要」という小冊子の中に次の言葉が出てくる。

「宣伝戦で敵を包囲して、最後に勝利を勝ち取る」

これが、中央宣伝部が目指した課題であり、その実現のため中央宣伝部は全力投入していった。その内容は「撮影した宣伝用写真を常に送って、国内外の大新聞、雑誌、グラビア版に採用されただけでも、600社余りある。宣伝用映画は、記録映画7部が製作されすでにアメリカへ送り上映された」と記載されている部分があるが、米国雑誌「LIFE」の表紙を飾った赤ちゃんの写真や、「ニューヨークタイムズ」などの米新聞の反日報道は、そういった国民党による「宣伝戦」の結果である。また、写真などはトリミングなどの技術を要し、巧妙に反日を煽る写真として使用されている。米国の南京大虐殺キャンペーンには、ゾルゲなどソ連コミンテルンスパイたちが関与してる可能性があるとも言われている。

所謂「南京虐殺」は日本軍の南京占領直後に開始されたと、戦後になってにわかに宣伝され、日本人が「南京虐殺」なるものについて聞かされたのは、東京裁判と、同時期に併行して、GHQの要請にしたがって作られ、家庭のお茶の間に流したNHK番組「真相はこうだ」を通じてであった。

その後、1971年8月から12月まで朝日新聞による本多勝一記者による「中国の旅」が連載。反日プロパガンダのたるもので、南京大虐殺の嘘を、日本のみならず世界に誤った情報を発信した。しかし、慰安婦問題については一昨年、謝罪と記事削除をしたが、この南京大虐殺の誤報は未だに謝罪、取り消しはされていない。

誤った歴史の流布に拍車がかかることとなった『ザ・レイプ・オブ・南京』だが、その後、藤岡信勝氏、東中野修道氏をはじめ、秦郁彦氏、阿羅健一氏、水間政憲氏など知識人たちが南京虐殺について論破している。しかし、こういった情報も世界には届かず、2015年には南京大虐殺が世界遺産に登録され、反日色は世界の一般常識でもあるのかと思わせる状況である。

・中国、韓国の横暴
かつて韓国との間で、「日韓歴史共同研究」というものがあった。2010年3月に報告書が出されたが、〝政治的に「正しい歴史」〟を掲げる韓国側と〝客観性を担保〟しようとする日本側の認識の隔たりがはっきりと出ていた。日韓両国が「日本=加害者・韓国=被害者」という歴史認識を固定化し、日本側が摩擦回避のためにそれを続ければ、共同研究をいくら続けても「事実」に基づく歴史の共通認識の形成には到らない。

日本にとって韓国は東アジアの安全保障上、北朝鮮、そして中国と対峙していくためにも、日米対中韓という関係ではなく、日米韓対中国という関係に引き戻さなければならない。しかし、その現実を無視するかのごとく韓国は反日活動を繰り返す。韓国出身の呉善花拓殖大学教授は評論家の西尾幹二氏との対談で「韓国人には自己相対比がなかなかできません。とても自己中心的で、・・・他者に照らして自分を省みることがないのです。比較ということでも、関心はもっぱら『どちらが上か下か』になります」と話し、そして、月刊正論2016年3月号の加藤達也産経新聞前ソウル支局長との対談で日韓合意に触れ、「たとえ、韓国政府が再び慰安婦問題で反日を持ち出せば、世界から非難されるからできないであろうと思ったとしても、そんなことを気にする韓国では口約束ですからね」と述べている。韓国が歴史に史実に向き合わない限り、韓国の日本批判は止むことは無いし、韓国との歴史認識に関する合致点は今のままでは見出せないであろう。

一方、中国はどうか。『Chaina2049』の著者でハドソン研究所中国センター所長、国防総省顧問のマイケル・ピルズベリー氏が本書の冒頭で、「米国は中国の国家戦略の根底にある意図を見抜くことができず、騙され続けてきた」と告白する。これほど中国に精通し、中国要人と交流のあったマイケル・ピルズベリー氏でさえ中国に欺かれ続け、それを知らずに歴代米国政権が対中政策をピルズベリー氏の助言や勧告に基づいて進めてきた事実を知って愕然とする。そして、内向きになった米国に対し、中国のその「勢」を見あまることなく、共産党創設100年の節目を5年後に控え、確実に対峙し続けてくるであろうと考える。

2013年9月、シリアへの軍事介入を否定した演説で「アメリカは世界の警察ではない」と宣言してから、ロシアはクリミア半島を奪い、中国は南シナ海での南沙諸島にある暗唱の埋め立てをはじめ、侵略的行動が加速した。また、ISを始めとするテロリストたちは世界各国でテロを繰り返し、勢いを増している。そして、今年に入り中国の漁船と公船が連日のように尖閣諸島周辺に押し寄せ、日本への挑発を繰り返している。ここ数年南シナ海への外洋拡張を続けてきた中国が、再び東シナ海にシフトし始めたことを強く印象づける。こうした背景を考えると、世界に対して米国が負ってきた責任の放棄は、米国に対する失望や侮蔑につながっている。
「勢」を得た中国は、日米ならびに韓国も含めた米国友好国の分断を確実に図っていくことであろう。そのため、「慰安婦問題」など歴史戦は日本を貶め、米国や韓国との分断を図る有効な手段であり、これからも歴史戦の勢いはますます増していくであろう。

・真の敵は反日日本人
戦後70年の8月14日、安倍晋三首相は「内閣総理大臣談話」を発表した。その中で、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。その談話は眼前の歴史戦に大きくプラスに働く記述になっているが、歴史戦の元祖で戦勝国により敗戦国を裁いた国際法違反の復讐劇であった東京裁判史観の払拭という点では不十分であったと感じる。歴史戦は中国や韓国ばかりを相手にするものではない。欧米諸国、ユネスコ、そして、最たる敵は日本の独立回復に反対した共産党や社会党の残党と彼らに同調する左翼及び進歩的文化人と言われる系統の日本人である。占領期に連合国軍総司令部(GHQ)が実施した「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」(WGIP)は、今も形を変えて教育現場に生き続けている現状を認識しなければならない。

大東亜戦争後、アメリカ国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とした秘密通信をアメリカ軍事情報部が秘密裡に傍受解読した記録の「ヴェノナ文書」や「ミトロヒン文書」、米軍がビルマ(ミャンマー)・ミートキーナ(同ミチナ)で捕らえた朝鮮人慰安婦20人から尋問した「米国戦争情報戦資料『心理戦チーム報告書』」など、戦争時における公文書が発掘され、ラストボロフ事件、レフチェンコ事件などコミンテルンのスパイ行為なども含め、歴史の真実が次々と暴かれている。しかし、正しい情報が浸透せず、事実を捻じ曲げられた歴史が流布され続けている。

世界は中国、韓国などの反日勢力に真実を捻じ曲げられた歴史の流布により、日本の国際社会に対する発信不足により、日本は貶められている現状が克服できていない。日本人も正しい歴史を認識しておらず、中国の「南京大虐殺」に対する反論、韓国の「従軍慰安婦問題」に対する反論ができない日本人も少なくないのである。
歴史認識問題において、韓国や中国、さらにはアメリカや欧州で、「日本は歴史問題を解決していない、戦争の歴史を清算していない」という主張があるが、それは1970年代には、もう過去の問題となっていて、外交問題にはならなかった。いったんは過去となったこの問題を1980年代に復活した発端は、すべて日本人の手による、日本発のものであった。歴史教科書問題、首相の靖国神社参拝問題、従軍慰安婦問題。どれも1980年代以降に問題化し、日本の中から生まれたメイド・イン・ジャパンの問題なのである。中国や韓国にとっては有難いテーマなので、そのカードを使うことになる。また、ユネスコ記憶遺産に慰安婦問題の申請登録を主導しているのは明星大学の高橋史朗教授によれば、日本のNPO法人「女たちの戦争と平和人権基金」や「日本の戦争責任資料センター」であるというのは先述した通りであるが、このように、左翼リベラリズムの人々が、歴史認識問題を再生産しているのである。

左翼リベラリズムが浸透している反日左翼の市民団体、NHK、TBS、テレビ朝日、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、共同新聞や地方新聞など反日マスコミ、教育界、さらには歴史学会、司法界なども反日行動、情報を流布している。反日マスコミは事実をすり替えた報道を繰り返し、読者や視聴者はそれを知らぬ間に信じてしまうような情報操作が行われる。教育機関は事実と反した歴史教育を行ない、先生の反日思想に伴う教育指導に歯止めがかからない。また、左翼が未だに根強く社会に反日運動を繰り返す蔓延った状況にあるのが現状である。このように、日本を貶めているのは日本人自身なのである。

・歴史戦に勝つために―日本人の国家観、歴史観を持った人材の育成が不可欠
『韓国には言うべきことはキッチリ言おう!-いわれなき対日批判「サクサク反論ガイド』(上島嘉郎著・ワニブックスPLUS新書」は以下のように論じている。
―(歴史戦が)国際社会でいまも続いていることは、紛争や戦争状態の停止や終結にともなう「和解」や「示談」の条件を少しでも自国に有利となるような情報戦、宣伝戦です。そして、「現実に存在し得る平和」とは、各国が砲弾やミサイルをもって相手の街々を破壊したり人命を傷つけたりすることなく、情報や宣伝によって相手を自らの制御下に置く「洗脳戦」を継続している状態のことです。(中略)日本が現在の国際秩序を尊重する立場から「洗脳戦」を戦うとすれば、最低限の事実は記憶しておく必要があります。(中略)日本人は、情報戦、宣伝戦の渦中にあることを自覚し、攻勢に転じていかねばなりません。そのため、自らの物の考え方、思想の根本を疑ってみることが必要です。私たちが70年過ごしてきた「戦後」という時間を支配した情報、言論空間はいかなるものだったのか。そこで私たちの思想は無意識、無自覚にある方向、ある価値観に規定されてきたのではないのか。-
戦後、我々はGHQの占領政策により、「閉ざされた言論空間」の中で、間違った「歴史」を洗脳され続けてきた。洗脳戦に敗れ続けてきたのである。しかも、敗れ続けている自覚さえも持たずに。
「最低限の事実を記憶しておく必要がある」-この最低限の事実を記憶していくために、そして、日本を貶める国際社会、反日日本人に対峙するために、何が必要であろうか。

正しい歴史を学び、自らの物の考え方、思想の根本をリセットすること、父祖の歴史に対して東京裁判史観から解き放たれた視点と思考を持つ正当な認識が必要である。そして、学んだ正しい歴史の真実、知識を自己満足で終わらせることなく、SNSなどあらゆる手段を駆使して自らが発信者となり、同じ思いの仲間を増やし、その輪を広めていくこと。間違った情報には正しい情報を提示し、また、国や教育機関だけに委ねるのではなく、自らが家族、友人、知人、そして多くの日本人、また国際社会に、正しい歴史を「冷静に理性を持って、客観的な視点で伝え続けていくこと」である。

正しい国家観、歴史観を持つ人材を育成する「教育」改革も不可欠である。日本という国の素晴らしさを認識し、先人から受け継がれた文化・伝統を継承し、その先人の思い、精神を確立して、世界に、反日日本人や左翼リベラリズムに対峙できる知識と心を持った「継承者」を育てていくこと。
神道、武士道の精神をもっている日本が世界の赤化を防ぐ最後の砦であるとカナダ、イギリスに住む知人が言う。「武士道」の考え方、「教育勅語」の教えは、われわれ日本人にとって先人から引き継ぐべき、そして大震災に見舞われても盗人一人も出ない日本人の精神の根底を築き上げている考え方である。

歴史の真実はひとつである。繰り返すが、歴史の事実を正確に学び、東京裁判史観から目覚め、真っ当な教育を推進し、真っ当な人材を育成して、反日日本人、左翼リベラリズム、そして国際社会と対峙していくため、冷静に理性を持って伝え続けていくことを疎かにしてはならない。日本を変えることができるのは日本人だけなのである。


参考文献
・大東亜戦争への道 中村粲著(展転社)
・新脱亜論 渡辺利夫著(文春新書)
・国家覚醒 渡辺利夫著(海竜社)
・日本人が気付かない世界一素晴らしい国・日本 ケビン・M・ドーク著(WAC)
・中国・韓国との新・歴史戦に勝つ! ケント・ギルバート、室谷克美、石平著(悟空出版)
・Chaina2014 マイケル・ピルズベリー著(日経BP社)
・『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究 藤岡信勝、東中野修道著(祥伝社)
・日本の敵 よみがえる民族主義に備えよ 宮家邦彦著(文春新書)
・日本の敵 桜井よしこ著(新潮社)
・韓国には言うべきことをキッチリ言おう! 上島嘉郎著(ワニブックス)
・月刊正論2014年12月号
・月刊正論2015年5月号、10月号
・月刊正論2016年3月号、8月号、9月号、10月号
・別冊正論8号「日中歴史の真実」
・別冊正論10号「東京裁判の呪縛を断つ」
・別冊正論15号「中国共産党 野望と謀略の90年」
・正論2014年12月特別増刊号「朝日新聞と慰安婦・歴史捏造の罪」
2023.04.06 09:51 | 固定リンク | その他

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