終戦80年に向けて⑩~沖縄戦から80年に想う
2025.03.25
今から80年前の3月26日、米軍のA.D. ブルース少将の率いる米第77歩兵師団が、午前8時4分、慶良間諸島の阿嘉島に上陸し、沖縄戦が始まった。
そして、沖縄県石垣島出身の伊舎堂用久大尉率いる「誠第十七飛行隊」に沖縄特攻作戦の先人として出撃を命じ、十機全機が米機動部隊に突入し、散華した。
伊舎堂大尉の特攻後、沖縄戦が激化するに従って、昭和20年4月6日、菊水作戦第一号が発令され、本格的に航空戦の大半を敵艦船への体当たり戦法に投入した。この菊水作戦は一号作戦から6月22日の十号作戦まで続いた。
昭和19年10月、フィリピン・マバラカット基地で海軍による神風特別攻撃隊が結成された際、大西瀧治郎中将が自ら「統率の外道」と称した「必死」の特攻作戦が沖縄戦で正式な作戦として展開されることになったのだ。特攻隊員の戦死者は、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によると、海軍が4,146人、陸軍が2,225人の計6,371人に上る(ただし、資料によっては人数に差異があり、戦死者数は確定されていない)。そして、鹿児島県の知覧基地を始め、九州各地、また、当時日本が統治していた台湾など、多くの基地から出撃したが、本土最南端に基地があった知覧基地は、特攻作戦で439名と最も多く戦死している。
「靖國で会おう」「後に続くを信ず」との想いを胸に、国を親兄弟を恋人を故郷を護ろうと出撃し散華された若者たち。軍上層部への不信感を募らせながらも自らが命を懸けると決心して立ち上がった者もいただろう。「命を懸けてでも約束を守ります」とよく政治家が言うが、特攻隊員の方々の想いを知れば知るほど、そう簡単に「命を懸ける」なんて私は言えない。そして、二度とこんなことがあってはならない。
「特攻は戦後、『軍国主義の象徴』などと批判された。選ばざるを得なかったとはいえ、前途有為の青年の特攻に頼った当時の軍へ批判があるのは当然だろう。現代日本は特攻のような究極の戦術をとらずとも国を守るため、外交、防衛の手立てを講ずる必要がある。
特攻にさらされた米軍は大きな損害を被った。特攻は400隻以上もの米艦や多数の米軍将兵に損害を与え、米軍上層部に深刻な危機感を植え付けたことが戦後の研究で明らかになっている。特攻を『カミカゼ』と呼んだ米軍は、異常な戦術とみなす一方、特攻隊員には敬意を払う米軍人も多かった。特攻は、世界が日本人を強い存在とみなす一因となり、戦後の日本も守ってくれている。特攻に赴いた将兵一人一人にさまざまな思いがあったことを想像するとき、尊敬と悲しみの念が一緒に浮かんでくる。日本は、亡くなった隊員を忘れてはならず、国として顕彰と慰霊を厚くしなければならない」。
上記、産経新聞の記事を引用させてもらったが、終戦80年を迎える今年。昭和から平成、令和と時代が移り、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦地に赴いた元軍人の方々が次々と鬼籍に入られ、戦争体験者、そしてご遺族をも急速に減っている中、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつある。そして、間違った史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の想いを次代へ繋ぐべきなのか。今日の日本の平和は、先祖の尊い犠牲があったからこそ、そのことを我々は忘れてはならないのと同時に、先人の想いを次代へと伝えていく責任があると考えるのである。そして、この活動は、これからも続けていこうと思う。
そして、沖縄県石垣島出身の伊舎堂用久大尉率いる「誠第十七飛行隊」に沖縄特攻作戦の先人として出撃を命じ、十機全機が米機動部隊に突入し、散華した。
伊舎堂大尉の特攻後、沖縄戦が激化するに従って、昭和20年4月6日、菊水作戦第一号が発令され、本格的に航空戦の大半を敵艦船への体当たり戦法に投入した。この菊水作戦は一号作戦から6月22日の十号作戦まで続いた。
昭和19年10月、フィリピン・マバラカット基地で海軍による神風特別攻撃隊が結成された際、大西瀧治郎中将が自ら「統率の外道」と称した「必死」の特攻作戦が沖縄戦で正式な作戦として展開されることになったのだ。特攻隊員の戦死者は、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によると、海軍が4,146人、陸軍が2,225人の計6,371人に上る(ただし、資料によっては人数に差異があり、戦死者数は確定されていない)。そして、鹿児島県の知覧基地を始め、九州各地、また、当時日本が統治していた台湾など、多くの基地から出撃したが、本土最南端に基地があった知覧基地は、特攻作戦で439名と最も多く戦死している。
「靖國で会おう」「後に続くを信ず」との想いを胸に、国を親兄弟を恋人を故郷を護ろうと出撃し散華された若者たち。軍上層部への不信感を募らせながらも自らが命を懸けると決心して立ち上がった者もいただろう。「命を懸けてでも約束を守ります」とよく政治家が言うが、特攻隊員の方々の想いを知れば知るほど、そう簡単に「命を懸ける」なんて私は言えない。そして、二度とこんなことがあってはならない。
「特攻は戦後、『軍国主義の象徴』などと批判された。選ばざるを得なかったとはいえ、前途有為の青年の特攻に頼った当時の軍へ批判があるのは当然だろう。現代日本は特攻のような究極の戦術をとらずとも国を守るため、外交、防衛の手立てを講ずる必要がある。
特攻にさらされた米軍は大きな損害を被った。特攻は400隻以上もの米艦や多数の米軍将兵に損害を与え、米軍上層部に深刻な危機感を植え付けたことが戦後の研究で明らかになっている。特攻を『カミカゼ』と呼んだ米軍は、異常な戦術とみなす一方、特攻隊員には敬意を払う米軍人も多かった。特攻は、世界が日本人を強い存在とみなす一因となり、戦後の日本も守ってくれている。特攻に赴いた将兵一人一人にさまざまな思いがあったことを想像するとき、尊敬と悲しみの念が一緒に浮かんでくる。日本は、亡くなった隊員を忘れてはならず、国として顕彰と慰霊を厚くしなければならない」。
上記、産経新聞の記事を引用させてもらったが、終戦80年を迎える今年。昭和から平成、令和と時代が移り、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦地に赴いた元軍人の方々が次々と鬼籍に入られ、戦争体験者、そしてご遺族をも急速に減っている中、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつある。そして、間違った史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の想いを次代へ繋ぐべきなのか。今日の日本の平和は、先祖の尊い犠牲があったからこそ、そのことを我々は忘れてはならないのと同時に、先人の想いを次代へと伝えていく責任があると考えるのである。そして、この活動は、これからも続けていこうと思う。
心理学のフィルターを通して見える光景
2025.02.25
「価値低減傾向」という言葉をご存じだろうか。
アドラー心理学を学んでいくと出てくるセンテンスである。
「相手を落とすことで、自分は何の努力もせずに『勝つ』」ことを言う。
自分を高めるのではなく、相手を貶めることで勝者になろうとすることで、相手の悪口を言い、秘密を暴露する。悪意を込めて、相手の品位を下げようと企むのである。
この傾向は幼少期によく見られる。親や先生の愛情を奪い合うライバルである兄弟姉妹や友達の問題を、親や先生に告げ口をして、愛を奪おうとする。そして、この試みはしばしばうまくいき、そうしてこの成功に味をしめた人が、大人になってからも利用するようになる。
アルフレッド・アドラーは、この「価値低減傾向」は、相手を貶めることで、自分は何の努力もせずに、勝利を手にしようとする、卑怯で醜い行為で、「この傾向は神経症である」と言っている。
「神経症」…。
神経症とは、精神疾患と言えるほど症状が重篤ではなものの、日常生活に何らかの支障や生きづらさがあるような状態で、この症状がさらに悪化すると、精神疾患になったり、もしくは、犯罪など反社会的な行動に走ったりするとアドラーは考えたのである。
また、アドラーは「目的論」をも唱えている。
人間のあらゆる行動には、必ずその人自身の思いを伴った目的があり、この考え方を「目的論」と呼ぶ。そして、それを決定するのに自らが運命を決定している(「自己決定性」)と言うのである。
上記の「価値低減傾向」も「相手を貶め、自分が勝つ」という「目的」のため、自らの意思で「決定」するのである。
そして、それはアブラハム・マズローが唱える「欲求5段階説」と重ね合わせると、人間の心理が手に取るようにして分かる時がある。
マズローは、人間の欲求について、優先順位を備えたピラミッド型の階層として概念化を行い、それが「欲求5段階説」という考え方である。そして、この階層は、ピラミッドの下にあるものほど根源的で優先されることを意味している。また、人間は1段階目の欲求が満たされると、さらに上層の欲求を満たそうとする。
では、下の階層からいうと
1.生理的欲求
人間の生命維持に必要な活動を求める欲求
・睡眠欲、食欲、排泄欲といった本能的な欲求のこと
2.安全欲求
心身ともに安心して生活できる環境を望む欲求
・経済的に安定する賃金
・精神的なストレスがない環境
・暴力・事故・災害に遭うリスクの低さ
・健康状態の維持
・社会福祉の充実
3.社会的欲求
所属と愛情の欲求
「地域社会や会社、学校などのコミュニティに所属したい」「友人や家族、恋人と関り受容されたい」などの「帰属欲求」「相と所属の欲求」とも呼ばれる
4.承認欲求
他人から自分の才能や存在を認められたいと思う自尊心の欲求
他者から注目や賞賛を求める「低位の欲求」と高度な技能の習得で自身を評価する「高位の欲求」に分かれる
5.自己実現欲求
自己の可能性を実現したい、理想の自分になりたいと願う欲求
・幸せな家庭を築きたい
・仕事で成功をしたい
・趣味に没頭してマイペースに生きたい
など
そして、マズローは、人間は自己成長や自己実現を目指す「主体的な存在」であるとも唱えている。この考え方は、アドラーが唱える「自己決定性」とも同じであろうと考える。
社会情勢やマスコミ報道などの社会の状況を捉えてみるとどのように映り出されるのか。
マスコミ報道は「ある一定の意図をもって発信する」というのが根本にある。そしてそれは「社会や権力を監視する」という発信する側の理屈でもって成り立たせている。その裏にある「ある一定の意図」とは何であるかを、探りながらマスコミ情報を紐解く必要がある。
また、中居正広氏と被害者Ⅹの件も、このアドラー、マズローの考え方をフィルターとして見てみると、どうしてもすっきりしない事柄がある。その会合に行ったのは、どんな理由があれ「目的」と自らの「意思決定」と、そして自分しか分からいであろう「欲求」を満たすためであったのではないか。そして、それは自己責任であったのではないか。しかし、被害に遭われた被害者Ⅹには心からお見舞い申し上げるのだが、世に出ている報道から嚙み砕くと、アドラーが唱える「価値低減傾向」という考え方が当てはまって「言い得て妙」であるのではないかと思ってならない。
誰かを、会社を、何かを貶めて、自らが脚光を浴びるような出来事が、そしてそれが自身の欲求を満たすものであるように映ることが、私には「妙」に見える。
最後にアドラーはこんなことも言っている。
「神経症的な『価値低減傾向』を持つ人の末路は悲惨なものになる。「他人の不幸は蜜の味」という言葉があるが、もしも自分にその傾向があるならば、その行く末の恐ろしさをよくよく思い知らなければならない」。
アドラー心理学を学んでいくと出てくるセンテンスである。
「相手を落とすことで、自分は何の努力もせずに『勝つ』」ことを言う。
自分を高めるのではなく、相手を貶めることで勝者になろうとすることで、相手の悪口を言い、秘密を暴露する。悪意を込めて、相手の品位を下げようと企むのである。
この傾向は幼少期によく見られる。親や先生の愛情を奪い合うライバルである兄弟姉妹や友達の問題を、親や先生に告げ口をして、愛を奪おうとする。そして、この試みはしばしばうまくいき、そうしてこの成功に味をしめた人が、大人になってからも利用するようになる。
アルフレッド・アドラーは、この「価値低減傾向」は、相手を貶めることで、自分は何の努力もせずに、勝利を手にしようとする、卑怯で醜い行為で、「この傾向は神経症である」と言っている。
「神経症」…。
神経症とは、精神疾患と言えるほど症状が重篤ではなものの、日常生活に何らかの支障や生きづらさがあるような状態で、この症状がさらに悪化すると、精神疾患になったり、もしくは、犯罪など反社会的な行動に走ったりするとアドラーは考えたのである。
また、アドラーは「目的論」をも唱えている。
人間のあらゆる行動には、必ずその人自身の思いを伴った目的があり、この考え方を「目的論」と呼ぶ。そして、それを決定するのに自らが運命を決定している(「自己決定性」)と言うのである。
上記の「価値低減傾向」も「相手を貶め、自分が勝つ」という「目的」のため、自らの意思で「決定」するのである。
そして、それはアブラハム・マズローが唱える「欲求5段階説」と重ね合わせると、人間の心理が手に取るようにして分かる時がある。
マズローは、人間の欲求について、優先順位を備えたピラミッド型の階層として概念化を行い、それが「欲求5段階説」という考え方である。そして、この階層は、ピラミッドの下にあるものほど根源的で優先されることを意味している。また、人間は1段階目の欲求が満たされると、さらに上層の欲求を満たそうとする。
では、下の階層からいうと
1.生理的欲求
人間の生命維持に必要な活動を求める欲求
・睡眠欲、食欲、排泄欲といった本能的な欲求のこと
2.安全欲求
心身ともに安心して生活できる環境を望む欲求
・経済的に安定する賃金
・精神的なストレスがない環境
・暴力・事故・災害に遭うリスクの低さ
・健康状態の維持
・社会福祉の充実
3.社会的欲求
所属と愛情の欲求
「地域社会や会社、学校などのコミュニティに所属したい」「友人や家族、恋人と関り受容されたい」などの「帰属欲求」「相と所属の欲求」とも呼ばれる
4.承認欲求
他人から自分の才能や存在を認められたいと思う自尊心の欲求
他者から注目や賞賛を求める「低位の欲求」と高度な技能の習得で自身を評価する「高位の欲求」に分かれる
5.自己実現欲求
自己の可能性を実現したい、理想の自分になりたいと願う欲求
・幸せな家庭を築きたい
・仕事で成功をしたい
・趣味に没頭してマイペースに生きたい
など
そして、マズローは、人間は自己成長や自己実現を目指す「主体的な存在」であるとも唱えている。この考え方は、アドラーが唱える「自己決定性」とも同じであろうと考える。
社会情勢やマスコミ報道などの社会の状況を捉えてみるとどのように映り出されるのか。
マスコミ報道は「ある一定の意図をもって発信する」というのが根本にある。そしてそれは「社会や権力を監視する」という発信する側の理屈でもって成り立たせている。その裏にある「ある一定の意図」とは何であるかを、探りながらマスコミ情報を紐解く必要がある。
また、中居正広氏と被害者Ⅹの件も、このアドラー、マズローの考え方をフィルターとして見てみると、どうしてもすっきりしない事柄がある。その会合に行ったのは、どんな理由があれ「目的」と自らの「意思決定」と、そして自分しか分からいであろう「欲求」を満たすためであったのではないか。そして、それは自己責任であったのではないか。しかし、被害に遭われた被害者Ⅹには心からお見舞い申し上げるのだが、世に出ている報道から嚙み砕くと、アドラーが唱える「価値低減傾向」という考え方が当てはまって「言い得て妙」であるのではないかと思ってならない。
誰かを、会社を、何かを貶めて、自らが脚光を浴びるような出来事が、そしてそれが自身の欲求を満たすものであるように映ることが、私には「妙」に見える。
最後にアドラーはこんなことも言っている。
「神経症的な『価値低減傾向』を持つ人の末路は悲惨なものになる。「他人の不幸は蜜の味」という言葉があるが、もしも自分にその傾向があるならば、その行く末の恐ろしさをよくよく思い知らなければならない」。
終戦80年を迎える今年への想い
2025.01.26
令和7(2025)年二黒土星中宮乙巳の年がスタートした。
今年の「二黒土星」は、努力を重ねることで物事が安定し、しっかりとした基盤を築くことができる一年を表すとのこと。
かたや今年は乙巳の年。
「乙」は五行陰陽説では、「木の陰」を表し、「未だ発展途上の状態」を意味し、「巳」は「火の陰」を表し、「植物が最大限まで成長した状態」を表す。
そして、「乙」と「巳」の関係は「相性(そうじょう)」。順送りに相手を生み出していく陽の関係を意味することから、「乙巳」はこれまでの努力や準備が実を結び始める時期を示唆し、成長と結実の時期となる可能性が高い年となるようだ。
努力の実が結ばれ成長ができるよう、精進を重ねて、邁進して参りたいと思う。
改めまして、本年もよろしくお願いいたします。
さて、終戦から80年を迎える今年は、我が国にとって極めて重要な年になる。戦後生まれの人口が9割を占めると言われる今日、戦争の記憶を次世代にどうつないでいくかということを真剣に考える大切な年となる。
靖国神社のホームページには以下のように綴られている。
「戦後生まれの人口が9割を占めると言われる今日、御祭神を直接ご存じの同世代の方々が極めて少数となる終戦80年という年は、御参拝の属性が変性していく節目として特別な意味をもつ年だと思っております。これまで神社をお支え下さった戦友と御遺族方は、特定の御祭神への『思慕』に基づき御参拝されていたものと拝察します。他方で、戦後世代による御参拝は、国の為に尊い命を捧げた英霊に感謝し尊崇の念を持つという『理念』に基づくものとなりましょう」。
「国の為に尊い命を捧げた英霊に感謝し尊崇の念を持つ」という心を軸に、寺子屋「玉川未来塾」としても、以下のイベントを実施していく。
①「学校では教えない日本人の物語 『島田叡』~戦中最後の沖縄県知事~」講演会
日時:6月29日(日)12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始
場所:靖國神社啓照館(定員:200名)
講師:大向真司氏(キャリアコンサルティングしがくメンバー)
テーマ:「『生きろ!』~沖縄の島守からの伝言」(仮題)(60分予定) ※講演後、遊就館自由拝観
沖縄戦の混乱により県庁が解散するまでの約5ヶ月間、疎開の促進と食糧確保等、沖縄県民の生命保護に尽力。戦争が激化し、摩文仁の丘に追い詰められた際、県庁組織の解散を命じ、ともに死ぬという部下に「命どぅ宝、生きぬけ」と伝え、逃した戦中最後の沖縄県知事「島田叡」の生き様をお伝えする。
②「靖國神社昇殿参拝&終戦80年~これからの日本人へ」トークライブ
日時:7月27日(日) 12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始
場所:靖國神社啓照館(定員:200名)
登壇者:柿崎ゆうじ氏(カートコーポレイトグループ代表取締役会長・映画監督)
特別ゲスト:井上和彦氏(ジャーナリスト)(予定)
ファシリテーター:葛城奈海氏(ジャーナリスト)
テーマ:「終戦80年~これからの日本人へ」(仮題)(100分予定) ※講演後、遊就館自由拝観
戦地に赴いた元軍人の方々が鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなった現在において、戦争を知らない世代は、国民の8割を越え9割を占める今日、間違った史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の思いを次代へ繋ぐべきなのか。次世代へのメッセージを込めたお話を届ける。
③第10回「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベント
日時:8月23日(土) 12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始
場所:靖國神社参集殿(定員:100名)
講師:禰宜 松本聖吾禰宜・総務部長
テーマ:「戦後80年と靖國神社」(仮題)(60分予定) ※講演後、遊就館自由拝観
これまで靖國神社を支えきた戦友と御遺族方は高齢を迎え、遺族会の活動もままならぬ状況を迎えている中、戦争を知らない世代による靖國神社への御参拝は、とても重要な意味を持つものとなる。これからの靖國神社の在り方を含め、国の為に尊い命を捧げた英霊に感謝し尊崇の念を持つという『理念』に基づくものを繋ぐ者たちへの想いをお話する。
戦地に赴いた元軍人の方々が鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなり、戦争を知らない世代は、国民の8割を越え9割を占めるようになった今日、間違った史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の思いを次代へ繋ぐべきなのか、思い悩む昨今である。
しかし、先祖の尊い犠牲があったからこそ、日本の今日の平和があることを忘れてはならないのは当然であるとともに、先人の思いを聞いた世代が次代へと伝えていく責任があると思う次第だ。
そのような思いから、終戦80年を迎える節目の令和7年度も、国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をし、そして8月のイベントでは遊就館を見学することによって今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ること、次代に英霊の思いを繋ぐことを目的に、以下の内容でイベントを実施する。
こうした想いが皆様方に届きますように。そして、お時間が許すならば、ぜひ、参加していただき、想いを共有していただきたいと思う。
今年の「二黒土星」は、努力を重ねることで物事が安定し、しっかりとした基盤を築くことができる一年を表すとのこと。
かたや今年は乙巳の年。
「乙」は五行陰陽説では、「木の陰」を表し、「未だ発展途上の状態」を意味し、「巳」は「火の陰」を表し、「植物が最大限まで成長した状態」を表す。
そして、「乙」と「巳」の関係は「相性(そうじょう)」。順送りに相手を生み出していく陽の関係を意味することから、「乙巳」はこれまでの努力や準備が実を結び始める時期を示唆し、成長と結実の時期となる可能性が高い年となるようだ。
努力の実が結ばれ成長ができるよう、精進を重ねて、邁進して参りたいと思う。
改めまして、本年もよろしくお願いいたします。
さて、終戦から80年を迎える今年は、我が国にとって極めて重要な年になる。戦後生まれの人口が9割を占めると言われる今日、戦争の記憶を次世代にどうつないでいくかということを真剣に考える大切な年となる。
靖国神社のホームページには以下のように綴られている。
「戦後生まれの人口が9割を占めると言われる今日、御祭神を直接ご存じの同世代の方々が極めて少数となる終戦80年という年は、御参拝の属性が変性していく節目として特別な意味をもつ年だと思っております。これまで神社をお支え下さった戦友と御遺族方は、特定の御祭神への『思慕』に基づき御参拝されていたものと拝察します。他方で、戦後世代による御参拝は、国の為に尊い命を捧げた英霊に感謝し尊崇の念を持つという『理念』に基づくものとなりましょう」。
「国の為に尊い命を捧げた英霊に感謝し尊崇の念を持つ」という心を軸に、寺子屋「玉川未来塾」としても、以下のイベントを実施していく。
①「学校では教えない日本人の物語 『島田叡』~戦中最後の沖縄県知事~」講演会
日時:6月29日(日)12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始
場所:靖國神社啓照館(定員:200名)
講師:大向真司氏(キャリアコンサルティングしがくメンバー)
テーマ:「『生きろ!』~沖縄の島守からの伝言」(仮題)(60分予定) ※講演後、遊就館自由拝観
沖縄戦の混乱により県庁が解散するまでの約5ヶ月間、疎開の促進と食糧確保等、沖縄県民の生命保護に尽力。戦争が激化し、摩文仁の丘に追い詰められた際、県庁組織の解散を命じ、ともに死ぬという部下に「命どぅ宝、生きぬけ」と伝え、逃した戦中最後の沖縄県知事「島田叡」の生き様をお伝えする。
②「靖國神社昇殿参拝&終戦80年~これからの日本人へ」トークライブ
日時:7月27日(日) 12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始
場所:靖國神社啓照館(定員:200名)
登壇者:柿崎ゆうじ氏(カートコーポレイトグループ代表取締役会長・映画監督)
特別ゲスト:井上和彦氏(ジャーナリスト)(予定)
ファシリテーター:葛城奈海氏(ジャーナリスト)
テーマ:「終戦80年~これからの日本人へ」(仮題)(100分予定) ※講演後、遊就館自由拝観
戦地に赴いた元軍人の方々が鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなった現在において、戦争を知らない世代は、国民の8割を越え9割を占める今日、間違った史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の思いを次代へ繋ぐべきなのか。次世代へのメッセージを込めたお話を届ける。
③第10回「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベント
日時:8月23日(土) 12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始
場所:靖國神社参集殿(定員:100名)
講師:禰宜 松本聖吾禰宜・総務部長
テーマ:「戦後80年と靖國神社」(仮題)(60分予定) ※講演後、遊就館自由拝観
これまで靖國神社を支えきた戦友と御遺族方は高齢を迎え、遺族会の活動もままならぬ状況を迎えている中、戦争を知らない世代による靖國神社への御参拝は、とても重要な意味を持つものとなる。これからの靖國神社の在り方を含め、国の為に尊い命を捧げた英霊に感謝し尊崇の念を持つという『理念』に基づくものを繋ぐ者たちへの想いをお話する。
戦地に赴いた元軍人の方々が鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなり、戦争を知らない世代は、国民の8割を越え9割を占めるようになった今日、間違った史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の思いを次代へ繋ぐべきなのか、思い悩む昨今である。
しかし、先祖の尊い犠牲があったからこそ、日本の今日の平和があることを忘れてはならないのは当然であるとともに、先人の思いを聞いた世代が次代へと伝えていく責任があると思う次第だ。
そのような思いから、終戦80年を迎える節目の令和7年度も、国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をし、そして8月のイベントでは遊就館を見学することによって今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ること、次代に英霊の思いを繋ぐことを目的に、以下の内容でイベントを実施する。
こうした想いが皆様方に届きますように。そして、お時間が許すならば、ぜひ、参加していただき、想いを共有していただきたいと思う。
終戦80年に向けて⑨~復興を担った世代の想いを胸に
2024.12.25
12月25日(水)産経WESTで「大東亜戦争を戦い、復興を担った世代が消えていく 来年の戦後80年で感謝の国会決議を」の記事を拝見したので、紹介したい。
※詳しくは以下のURLより。
https://www.sankei.com/article/20241225-4ILNU2KJJBLX7BKPHQ4OCRBM6Y/
「『今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません』
今年の『終戦の日』(8月15日)の全国戦没者追悼式で、岸田文雄首相(当時)が述べた式辞の一節だ。大東亜戦争の戦没者を追悼する行事ではこのように、戦後日本の平和と繁栄は戦没者の尊い犠牲の上に築かれたものであるとし、戦没者に敬意と感謝の念を表することが決まり事のようになっている(「平和」については諸論あろうが、とりあえずおいておく)。
命と引き換えに、親兄弟、妻や恋人たちを、郷土を、そして祖国を守る。そうした至純の思いにあふれた帝国陸海軍の『特別攻撃』(特攻)隊員たちの遺書を読めば、戦没者への敬意や感謝は自然と湧き上がってくる。彼らによって生かされていることが実感され、彼らの分も精いっぱい生きようという思いになる。
特攻隊員たちだけでなく、他の兵士たちの思いも『死への覚悟』があるかどうかは別として、同様に家族や祖国を守りたい、というものだっただろう。
そんな戦没者への感謝や敬意を表することには、なんの異論もない。一方で、何かが抜け落ちているような気がしてならなかったのだが、それが何かに気付いた。戦没者の思いを直接見聞きし、『平和で繁栄した祖国を』という戦没者の願いを実際にかなえた同世代の人たちのことだ。実際に、日本を焼け野原から復興させて世界有数の経済大国にしたのは残された彼らである。
1944年のレイテ沖海戦に参加した元海軍中尉の加藤昇氏=当時(97)=が令和2年に亡くなる前年の講演を聞いたことがある。終戦間際には一時、特攻出撃を待つ身となった加藤氏は『(特攻出撃を控え)隣のベッドで同期が童謡〈ふるさと〉を小さな声で歌っていたのが忘れられない』と振り返り、『出撃する同期から〈後を頼む〉といわれた。私が戦後生まれの皆さんにお願いしたいのは先祖を大事にし、日本を頼むということです』と参加者に語りかけていた。
軍人・兵士にとって、戦友との約束は死ぬまで忘れられないものだった。それが、日本復興の原動力になったのではあるまいか」(中略)。
我々の今日の平和は、こうした尊い犠牲の上に成り立っているにも関わらず、その事実ですら断罪し、そして、「あの戦争は悪いことだ」というレッテルを貼り、論点をそらそうとする議論が多い。確かに戦争は行ってはならないし、私も戦争反対である。しかし、あの時代、命を賭して戦った若者たちがいた事実をないがしろにして良いことではない。
平気で人を殺める犯罪が増えている昨今、また、罪を犯しているにも関わらず、平気で逃走する者がいる、そんな現代社会を憂う今日において、私は、他人を思う気持ちが足りなくなった人が多くなったように感じている。
しかし、あの大戦時、しかも必死の特攻作戦のため、生きたくても生きられなかった人たちがいた。公のために尽くし、家族のため、愛する恋人のために、戦ってくださったその先人たちの思いを感じなければならない。そして、私の中でその思いは、日増しに強くなっている。
私が産経新聞社勤務時代に手掛けた「大東亜戦争を語り継ぐ会」に登壇いただいた元軍人の方々は、皆、鬼籍に入られた。実際に先の大戦を戦った世代が消えつつあるということである。それは、彼らの戦友たちはもちろんのこと、周囲の人たち、戦没者の遺志を継ぎ、戦後を生き残り、復興を実現した人たちも消えつつあるということだ。
先人の思いを繋ぐこと。それは、先人から直に話を聞いた者たちの責務なのではないだろうか。「あとは頼む」と日本の将来を次代に託した先人の想い。そして、私自身、先人の話を直に聞いた者として、先人の想いを伝えていけるよう、来年も尽力したいと思っている。
来年は終戦80年。とても大事な年だと位置づけており、その年に相応しいイベントをまた企画してお届けしたいと思う。
今年も一年、私の拙い内容のブログをご覧いただきました皆様、誠にありがとうございます。心から感謝申し上げます。
ブログは本日で筆納めといたします。
来年も、己の心の思いのまま、綴って参りたいと思います。
また来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
そして、皆様、良いお年をお迎えください。
※詳しくは以下のURLより。
https://www.sankei.com/article/20241225-4ILNU2KJJBLX7BKPHQ4OCRBM6Y/
「『今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません』
今年の『終戦の日』(8月15日)の全国戦没者追悼式で、岸田文雄首相(当時)が述べた式辞の一節だ。大東亜戦争の戦没者を追悼する行事ではこのように、戦後日本の平和と繁栄は戦没者の尊い犠牲の上に築かれたものであるとし、戦没者に敬意と感謝の念を表することが決まり事のようになっている(「平和」については諸論あろうが、とりあえずおいておく)。
命と引き換えに、親兄弟、妻や恋人たちを、郷土を、そして祖国を守る。そうした至純の思いにあふれた帝国陸海軍の『特別攻撃』(特攻)隊員たちの遺書を読めば、戦没者への敬意や感謝は自然と湧き上がってくる。彼らによって生かされていることが実感され、彼らの分も精いっぱい生きようという思いになる。
特攻隊員たちだけでなく、他の兵士たちの思いも『死への覚悟』があるかどうかは別として、同様に家族や祖国を守りたい、というものだっただろう。
そんな戦没者への感謝や敬意を表することには、なんの異論もない。一方で、何かが抜け落ちているような気がしてならなかったのだが、それが何かに気付いた。戦没者の思いを直接見聞きし、『平和で繁栄した祖国を』という戦没者の願いを実際にかなえた同世代の人たちのことだ。実際に、日本を焼け野原から復興させて世界有数の経済大国にしたのは残された彼らである。
1944年のレイテ沖海戦に参加した元海軍中尉の加藤昇氏=当時(97)=が令和2年に亡くなる前年の講演を聞いたことがある。終戦間際には一時、特攻出撃を待つ身となった加藤氏は『(特攻出撃を控え)隣のベッドで同期が童謡〈ふるさと〉を小さな声で歌っていたのが忘れられない』と振り返り、『出撃する同期から〈後を頼む〉といわれた。私が戦後生まれの皆さんにお願いしたいのは先祖を大事にし、日本を頼むということです』と参加者に語りかけていた。
軍人・兵士にとって、戦友との約束は死ぬまで忘れられないものだった。それが、日本復興の原動力になったのではあるまいか」(中略)。
我々の今日の平和は、こうした尊い犠牲の上に成り立っているにも関わらず、その事実ですら断罪し、そして、「あの戦争は悪いことだ」というレッテルを貼り、論点をそらそうとする議論が多い。確かに戦争は行ってはならないし、私も戦争反対である。しかし、あの時代、命を賭して戦った若者たちがいた事実をないがしろにして良いことではない。
平気で人を殺める犯罪が増えている昨今、また、罪を犯しているにも関わらず、平気で逃走する者がいる、そんな現代社会を憂う今日において、私は、他人を思う気持ちが足りなくなった人が多くなったように感じている。
しかし、あの大戦時、しかも必死の特攻作戦のため、生きたくても生きられなかった人たちがいた。公のために尽くし、家族のため、愛する恋人のために、戦ってくださったその先人たちの思いを感じなければならない。そして、私の中でその思いは、日増しに強くなっている。
私が産経新聞社勤務時代に手掛けた「大東亜戦争を語り継ぐ会」に登壇いただいた元軍人の方々は、皆、鬼籍に入られた。実際に先の大戦を戦った世代が消えつつあるということである。それは、彼らの戦友たちはもちろんのこと、周囲の人たち、戦没者の遺志を継ぎ、戦後を生き残り、復興を実現した人たちも消えつつあるということだ。
先人の思いを繋ぐこと。それは、先人から直に話を聞いた者たちの責務なのではないだろうか。「あとは頼む」と日本の将来を次代に託した先人の想い。そして、私自身、先人の話を直に聞いた者として、先人の想いを伝えていけるよう、来年も尽力したいと思っている。
来年は終戦80年。とても大事な年だと位置づけており、その年に相応しいイベントをまた企画してお届けしたいと思う。
今年も一年、私の拙い内容のブログをご覧いただきました皆様、誠にありがとうございます。心から感謝申し上げます。
ブログは本日で筆納めといたします。
来年も、己の心の思いのまま、綴って参りたいと思います。
また来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
そして、皆様、良いお年をお迎えください。
既存メディアの衰退
2024.11.26
去る兵庫県知事選は、9月19日斎藤元彦前知事のパワハラ・おねだり疑惑により兵庫県議会が全会一致で不信任決議し、その結果30日に失職したことによる出直し選挙であった。その当時の既存メディアの報道は、パワハラ・おねだり一色で、斎藤前知事には弁解の余地はなかったように見えたし、出直し選挙に斎藤前知事が出るのを批判する人もいた。また、対立候補であるはずの政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏が、マスコミと県政の反斎藤派がデマを拡散したなどとして斎藤氏を「援護射撃」。街頭演説で斎藤氏を持ち上げ、SNSでも拡散された。
その結果、11月17日投開票では、無所属前職の斎藤氏が111万3911票を獲得し県知事に返り咲いた。選挙結果を正面から受け止めた兵庫県明石市の前市長、泉房穂氏は、斎藤氏に対して厳しい姿勢を示したこともあるが、「一面的な見方で、この間、対応してきたことにつき、反省するところも多く、お詫び申し上げたい」と陳謝。自身も市幹部への暴言をめぐって辞職し出直し市長選に臨んだこともあり、「民意は斎藤氏に共感し、斎藤氏を選んだ」として、「民主主義の社会である以上、選挙の結果は最大限に尊重されるべき」と重ねている。
既存メディアの報道に疑問視をした有権者が、「既存メディアの報道と違う」立花氏をはじめとした斎藤氏擁護の拡散されたSNSを情報源としたことにより、「既存メディアの敗北」とした報道もあった。さらに、日テレのミヤネ屋では、MCの宮根誠司氏は「我々テレビメディアにも厳しい意見をいただいたんですけど。テレビって選挙戦が始まると公平性が担保されて、今度は事実確認、ファクトチェック、裏取りというのがあって。それが事実かどうかっていうのを確認しないと、放送しないでおこうっていうことになります。踏み込んだプライバシーみたいなのもいかない。候補者がたくさん出られると時間が限られてくる。というところでネットと比べるのがいいのか悪いのか分からないけど、ある意味抑制的に視聴者の方はご覧になってるのかもしれませんね」と投げかけた。読売テレビ特別解説委員の高岡達之氏は「SNSの戦略で斎藤さんが頂点を極めたという言い方には違和感があります」とした上で「テレビは何十年の歴史があって、法律で我々が好き勝手にできないように縛られている。公職選挙法での放送、自主規制もあります。選挙が始まったら一番選挙で判断をしたい方が欲しい情報を我々は公平性という名で、あるいは中立という名で、沈黙をします。これは認めざるを得ない」と語った。さらに「そうなった時に、今の方々は大事な1票だから。繰り返し映像が見たい、よその会社はどう言ってるんだと。よそのメディアはどうなってるんだと。その役目をYouTubeが果たし、ネットニュースが果たし、SNSが果たしているということ。だからテレビが何かを隠しているんだろうって思われる方の自由だし。そしてSNSが自分たちの意見を代弁してくれるって思うのも、当然の反応だろうと思います」と続けた上で「これが今の時代の我々テレビの立っている現実です」と語った。
これからはマスコミの端くれにいた者としての私の私見ではあるが、考えを述べたい。
「既存メディアを信用しない」という現象は、今に始まったことではないと思っている。
遡ること、10年前の平成26(2014)年、朝日新聞社が9月11日、記者会見を開き、東京電力福島第一原発事故をめぐり政府の事故調査・検証委員会がまとめた吉田昌郎元所長の「聴取結果書(調書)に関する記事を誤りと認め取り消し、木村伊量社長は謝罪をした。また、慰安婦報道についても、8月5日、6日の2日間、自社の慰安婦報道を検証する大特集を行った。30年前から積み重ねてきた吉田清治証言の記事を取り消し、読者向けに「『読者のみなさまへ』吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。最終等を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました」と記している。
この問題を皮切りに、メディアに対する不信感は徐々に広がり、そして、ジャニー喜多川氏の性加害問題に対する各社の報道で既存メディアの報道姿勢、取り扱いに対し、メディアに対する国民の疑義に拍車がかかったかと考える。
2022年に東谷義和がネット配信で問題提起したことにより本格的に表面化したが、その配信後、BBCの報道を皮切りに多くの報道機関が大々的に報道するようになった。旧ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の性加害問題は、60年前から疑惑が指摘され、これまで2度、裁判が行われてきたにも関わらず、BBCで取り上げられた後、世間に幅広くこの問題が明るみになるまでは、メディアはその報道をせず沈黙を守り通してきた。
故ジャニー喜多川氏による所属タレントへの性加害問題が最初に明るみに出たのは、1967年~78年にかけて一世を風靡したジャニーズタレント「フォーリーブス」の故北公次氏が、解散から10年後の1988年に、ジャニー氏から受けた性被害を赤裸々に綴った書籍『光GENJIへ』がきっかけだった。そして、翌年、ビデオでも被害を訴えていたが、メディアは沈黙。今年9月に、TBSがその告白ビデオを入手したとして、放送したが、「今更感」が拭えなかった。そして、メディアの報道に対する責任については、無視できない事実であろうとも考える。当時、日本テレビ「news zero」の有働由美子キャスターは「海外の人権問題は徹底的に批判するのに、もっと近くにあった問題はちゃんと取材して知ろうとしませんでした。なぜ『沈黙』してしまったのか、重く問われているという覚悟のもとに向き合っていきたいと思います」と、メディアの責任について語ったが、私からすれば「何をいまさら」といった感が強かった。その後、各テレビ局がこぞって声明を出したが、どの社も同じように感じるし、苦しい言い訳にしか聞こえなかった。
さらに、今回、共同通信社による生稲晃子参院議員(現外務政務官)の靖國神社参拝報道は、既存メディア不信を加速化した。
共同通信は「2022年8月15日の終戦の日の靖国神社参拝に関する記事で、自民党の生稲晃子参院議員(現外務政務官)が参拝した報じたが、正しくは生稲氏は参拝しておらず、誤った報道でした」と謝罪した。そして、「生稲氏が今月24日、日本政府代表として出席した世界文化遺産「佐渡島の金山」の労働者追悼式に韓国政府関係者が参加を見送ったことに関連した複数の記事でも、生稲氏が参拝したと断定的に報じました。生稲氏が今月24日に参院議員就任後の靖国参拝を否定し、当時の取材過程を調べました。その結果、靖国神社への国会議員の出入りを取材する過程で生稲氏が境内に入るのを見たとの報告がありましたが、本人に直接の確認取材をしないまま記事化したと分かりました。また、当日参拝した複数の自民党議員が共同通信に『生稲氏はいなかった』と述べました。生稲氏が否定したことと併せ、当初の報告が見間違えだったと判断しました。誤った記事は国内外に配信しました。韓国外務省は『生稲議員が22年8月15日に靖国神社を参拝したものと承知している』とコメントしていました。日韓外交に影響した可能性があります。韓国外務省は25日、不参加としたのは追悼の辞の内容などが世界遺産登録に賛成するに当たって日本と合意していた水準に満たないためだったと説明しました」。との内容だ。
既存メディアは、色々と言い訳がましいことを述べるが、そもそもマスコミとは、一定の意図をもって情報を発信している。その一定の意図とは何か。そこを読み解いていかなくてはならない。私は、少なくとも前述する反日マスコミは、「日本を、権力者を貶めようとする意図」を感じるし、そのための都合の良い取材と裏取り、報道を繰り返しているとも感じる。取材費も無いのか、ネットの情報を記事化するマスコミを見受けるが、マスコミの本来の取材は足しげく通って情報を執る取材活動である。それが、本当の意味での取材活動、裏取りを行っているのか疑問に思うし、「一定の意図」のためには取材もせずに報道するなど、『何でもありなのか』とも思う。そういうマスコミの報道姿勢に嫌気を指し、情報を既存メディアから取らずに、SNSから情報を取得するといった者が増えていった気がしてならない。
既存メディアには信頼回復のための本来あるべき取材、裏取りの努力を怠らず、報道して欲しいとは望むが、「一定の意図」が歪んでいるようでは、その期待は遠いものとならざるを得ない。そして、別冊正論12号『朝日新聞・NHKの大罪』で記された、上島嘉郎編集長(当時)の以下の言葉が思い出される。
「昭和20年12月7日、連合国総司令部(GHQ)は新聞各社の代表を集め、彼らが作成した『太平洋戦争史』を示して掲載を命じました。新聞各社は開戦から4年後の翌8日付紙面で一斉に掲載し、朝日新聞はその後も『太平洋戦争史 続編』を連載しました。NHKも『真相はこうだ』というラジオ放送を開始、『真相箱』『質問箱』と名前を変えて昭和23年8月まで約3年間続けられました。新聞社も放送局も、日本人が戦った『大東亜戦争』という呼称は使わず、すべて『太平洋戦争』とし、以降長くマスコミから『大東亜戦争』の言葉は消えることになりました。故江藤淳氏の指摘によって、GHQの占領期間中に日本人がウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)に基づく徹底的な言論統制、情報管理を受けたことは、少なからず知られるようになりましたが、独立回復後半世紀以上を経てもなお、その残滓は色濃い。『その国の新聞(メディア)に影響力を及ぼすことは、数個師団を支配下に置くに等しい』というレーニンの言は今も日本を呪縛しているのではないか。朝日、NHKを見ていると、それを杞憂とやり過ごせない。そんな思いからつくった一冊です」。
片寄ったメディアによってつくられた日本の、戦後レジームからの脱却はまだ先のようである。
その結果、11月17日投開票では、無所属前職の斎藤氏が111万3911票を獲得し県知事に返り咲いた。選挙結果を正面から受け止めた兵庫県明石市の前市長、泉房穂氏は、斎藤氏に対して厳しい姿勢を示したこともあるが、「一面的な見方で、この間、対応してきたことにつき、反省するところも多く、お詫び申し上げたい」と陳謝。自身も市幹部への暴言をめぐって辞職し出直し市長選に臨んだこともあり、「民意は斎藤氏に共感し、斎藤氏を選んだ」として、「民主主義の社会である以上、選挙の結果は最大限に尊重されるべき」と重ねている。
既存メディアの報道に疑問視をした有権者が、「既存メディアの報道と違う」立花氏をはじめとした斎藤氏擁護の拡散されたSNSを情報源としたことにより、「既存メディアの敗北」とした報道もあった。さらに、日テレのミヤネ屋では、MCの宮根誠司氏は「我々テレビメディアにも厳しい意見をいただいたんですけど。テレビって選挙戦が始まると公平性が担保されて、今度は事実確認、ファクトチェック、裏取りというのがあって。それが事実かどうかっていうのを確認しないと、放送しないでおこうっていうことになります。踏み込んだプライバシーみたいなのもいかない。候補者がたくさん出られると時間が限られてくる。というところでネットと比べるのがいいのか悪いのか分からないけど、ある意味抑制的に視聴者の方はご覧になってるのかもしれませんね」と投げかけた。読売テレビ特別解説委員の高岡達之氏は「SNSの戦略で斎藤さんが頂点を極めたという言い方には違和感があります」とした上で「テレビは何十年の歴史があって、法律で我々が好き勝手にできないように縛られている。公職選挙法での放送、自主規制もあります。選挙が始まったら一番選挙で判断をしたい方が欲しい情報を我々は公平性という名で、あるいは中立という名で、沈黙をします。これは認めざるを得ない」と語った。さらに「そうなった時に、今の方々は大事な1票だから。繰り返し映像が見たい、よその会社はどう言ってるんだと。よそのメディアはどうなってるんだと。その役目をYouTubeが果たし、ネットニュースが果たし、SNSが果たしているということ。だからテレビが何かを隠しているんだろうって思われる方の自由だし。そしてSNSが自分たちの意見を代弁してくれるって思うのも、当然の反応だろうと思います」と続けた上で「これが今の時代の我々テレビの立っている現実です」と語った。
これからはマスコミの端くれにいた者としての私の私見ではあるが、考えを述べたい。
「既存メディアを信用しない」という現象は、今に始まったことではないと思っている。
遡ること、10年前の平成26(2014)年、朝日新聞社が9月11日、記者会見を開き、東京電力福島第一原発事故をめぐり政府の事故調査・検証委員会がまとめた吉田昌郎元所長の「聴取結果書(調書)に関する記事を誤りと認め取り消し、木村伊量社長は謝罪をした。また、慰安婦報道についても、8月5日、6日の2日間、自社の慰安婦報道を検証する大特集を行った。30年前から積み重ねてきた吉田清治証言の記事を取り消し、読者向けに「『読者のみなさまへ』吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。最終等を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました」と記している。
この問題を皮切りに、メディアに対する不信感は徐々に広がり、そして、ジャニー喜多川氏の性加害問題に対する各社の報道で既存メディアの報道姿勢、取り扱いに対し、メディアに対する国民の疑義に拍車がかかったかと考える。
2022年に東谷義和がネット配信で問題提起したことにより本格的に表面化したが、その配信後、BBCの報道を皮切りに多くの報道機関が大々的に報道するようになった。旧ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の性加害問題は、60年前から疑惑が指摘され、これまで2度、裁判が行われてきたにも関わらず、BBCで取り上げられた後、世間に幅広くこの問題が明るみになるまでは、メディアはその報道をせず沈黙を守り通してきた。
故ジャニー喜多川氏による所属タレントへの性加害問題が最初に明るみに出たのは、1967年~78年にかけて一世を風靡したジャニーズタレント「フォーリーブス」の故北公次氏が、解散から10年後の1988年に、ジャニー氏から受けた性被害を赤裸々に綴った書籍『光GENJIへ』がきっかけだった。そして、翌年、ビデオでも被害を訴えていたが、メディアは沈黙。今年9月に、TBSがその告白ビデオを入手したとして、放送したが、「今更感」が拭えなかった。そして、メディアの報道に対する責任については、無視できない事実であろうとも考える。当時、日本テレビ「news zero」の有働由美子キャスターは「海外の人権問題は徹底的に批判するのに、もっと近くにあった問題はちゃんと取材して知ろうとしませんでした。なぜ『沈黙』してしまったのか、重く問われているという覚悟のもとに向き合っていきたいと思います」と、メディアの責任について語ったが、私からすれば「何をいまさら」といった感が強かった。その後、各テレビ局がこぞって声明を出したが、どの社も同じように感じるし、苦しい言い訳にしか聞こえなかった。
さらに、今回、共同通信社による生稲晃子参院議員(現外務政務官)の靖國神社参拝報道は、既存メディア不信を加速化した。
共同通信は「2022年8月15日の終戦の日の靖国神社参拝に関する記事で、自民党の生稲晃子参院議員(現外務政務官)が参拝した報じたが、正しくは生稲氏は参拝しておらず、誤った報道でした」と謝罪した。そして、「生稲氏が今月24日、日本政府代表として出席した世界文化遺産「佐渡島の金山」の労働者追悼式に韓国政府関係者が参加を見送ったことに関連した複数の記事でも、生稲氏が参拝したと断定的に報じました。生稲氏が今月24日に参院議員就任後の靖国参拝を否定し、当時の取材過程を調べました。その結果、靖国神社への国会議員の出入りを取材する過程で生稲氏が境内に入るのを見たとの報告がありましたが、本人に直接の確認取材をしないまま記事化したと分かりました。また、当日参拝した複数の自民党議員が共同通信に『生稲氏はいなかった』と述べました。生稲氏が否定したことと併せ、当初の報告が見間違えだったと判断しました。誤った記事は国内外に配信しました。韓国外務省は『生稲議員が22年8月15日に靖国神社を参拝したものと承知している』とコメントしていました。日韓外交に影響した可能性があります。韓国外務省は25日、不参加としたのは追悼の辞の内容などが世界遺産登録に賛成するに当たって日本と合意していた水準に満たないためだったと説明しました」。との内容だ。
既存メディアは、色々と言い訳がましいことを述べるが、そもそもマスコミとは、一定の意図をもって情報を発信している。その一定の意図とは何か。そこを読み解いていかなくてはならない。私は、少なくとも前述する反日マスコミは、「日本を、権力者を貶めようとする意図」を感じるし、そのための都合の良い取材と裏取り、報道を繰り返しているとも感じる。取材費も無いのか、ネットの情報を記事化するマスコミを見受けるが、マスコミの本来の取材は足しげく通って情報を執る取材活動である。それが、本当の意味での取材活動、裏取りを行っているのか疑問に思うし、「一定の意図」のためには取材もせずに報道するなど、『何でもありなのか』とも思う。そういうマスコミの報道姿勢に嫌気を指し、情報を既存メディアから取らずに、SNSから情報を取得するといった者が増えていった気がしてならない。
既存メディアには信頼回復のための本来あるべき取材、裏取りの努力を怠らず、報道して欲しいとは望むが、「一定の意図」が歪んでいるようでは、その期待は遠いものとならざるを得ない。そして、別冊正論12号『朝日新聞・NHKの大罪』で記された、上島嘉郎編集長(当時)の以下の言葉が思い出される。
「昭和20年12月7日、連合国総司令部(GHQ)は新聞各社の代表を集め、彼らが作成した『太平洋戦争史』を示して掲載を命じました。新聞各社は開戦から4年後の翌8日付紙面で一斉に掲載し、朝日新聞はその後も『太平洋戦争史 続編』を連載しました。NHKも『真相はこうだ』というラジオ放送を開始、『真相箱』『質問箱』と名前を変えて昭和23年8月まで約3年間続けられました。新聞社も放送局も、日本人が戦った『大東亜戦争』という呼称は使わず、すべて『太平洋戦争』とし、以降長くマスコミから『大東亜戦争』の言葉は消えることになりました。故江藤淳氏の指摘によって、GHQの占領期間中に日本人がウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)に基づく徹底的な言論統制、情報管理を受けたことは、少なからず知られるようになりましたが、独立回復後半世紀以上を経てもなお、その残滓は色濃い。『その国の新聞(メディア)に影響力を及ぼすことは、数個師団を支配下に置くに等しい』というレーニンの言は今も日本を呪縛しているのではないか。朝日、NHKを見ていると、それを杞憂とやり過ごせない。そんな思いからつくった一冊です」。
片寄ったメディアによってつくられた日本の、戦後レジームからの脱却はまだ先のようである。