強まる中国の反日感情への懸念
2025.08.26
元駐中国日本大使の埀秀夫氏が、8月25日付の産経新聞に中国で「憎日」感情がさらに高まることが懸念されるとのコラムを寄せている。
「中国では7月、旧日本軍による南京占領を題材にした映画が公開された。誇張や非科学的主張が目立つこの映画を見た幼児が、世界地図上の日本を物でたたき続けたり、宝物であったウルトラマンのカードを引き裂いたりする動画がネットに氾濫している。さらに、中国当局は『抗日』キャンペーンの効果を上げるよう、旧日本軍の関東軍防疫給水部(通称731部隊)を主題にした映画の公開日程を9月18日(満州事変の発端となった柳条湖事件が起きた日)に変更した」と。そして、「すでに恐れていたことが起きている。江蘇省蘇州で7月末、邦人女性が襲われ負傷した。今からでも遅くない。中国への赴任は単身に限り、帯同している家族は可能な限り帰国するよう、日本政府は適切なアドバイスを出すべきである」と警鐘を鳴らしている。「愛国教育は以前からあったが、当時の中国は一部の軍国主義者(悪)と他の多くの日本人(善)を分ける『区分論』を、対日工作として戦略的に採用していた。当時多くの日本人がこの『区分論』に乗せられたのだが、『中日友好』に救われた気分になったのも事実で、これが70%超の対中親近感の背景にあった。だが、今の中国当局にそうした高等戦術はなく、日本人はすべて悪い式の教育や宣伝が行われている。『日本人学校でスパイを養成している』の類いで、児童を含む在留邦人が狙われるようになったゆえんだ」とも寄稿している。
中国に対して、その国の意向に沿うような過度に友好的・従属的な態度を取る石破政権の「媚中政策」が、中国の「憎日」感情を高める世論戦に転じてきるように思うが、皆さんはいかが思うか。
『「南京事件」の総括』という書籍がある。著者は松井石根大将の秘書を務めた田中正明氏。「南京大虐殺なんて嘘だ」と「謀略に決まっている」と感情的に決めつけている人もいるのだが、できるだけ一次資料に基づいて事実を見極めようとする、この本の内容は非常に説得的であり、少なくとも南京大虐殺はなかったと明らかに分かる。同時に私はその立場にいる。
藤岡信勝氏は、これだけ読めば、南京虐殺など無いことが明確に分かると言わしめた本でもあり、また、水間政憲氏によれば、本書が日本で出版されると同時に、中国政府の内部資料として中国の世界知識出版社が翻訳していたという。それだけ中国にとって驚異だったのであろうと指摘している。
過去にさかのぼるが、2015年10月にユネスコ記憶遺産に中国の「南京大虐殺文書」が登録された問題で、中国が登録申請の際にユネスコに提出したのは、資料の一覧と、資料を保管する7カ所の公文書館名を記しただけの目録だったことがわかった。南京文書の目録に一覧として挙げられた資料は十数種類。「南京市民の羅瑾が死の危険を冒して保存した16枚の写真」や、「大虐殺」の様子を書き留めた唯一の中国人とされる程瑞芳の日記も含まれているという。これらの資料について中国側は一方的に「虐殺の証拠」と主張していたが、多くは日本人学者らの調査によって否定されており、中国側の資料のずさんさが改めて浮き彫りになったものであった。
世界において南京大虐殺の嘘が広く知らしめすその原動力となった故アイリス・チャン氏著『ザ・レイプ・オブ・南京』だが、その内容は嘘で塗り固められているとして1999年に発行された『「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究-中国における「情報戦」の手口と戦略』(藤岡信勝・東中野修道共著、祥伝社)より微塵に反論されている。詳しくは、その書籍を読んでいただきたい。
私自身、『「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究-中国における「情報戦」の手口と戦略』を読んだ時にも思ったのだが、そもそも初めて30万人虐殺が日本で主張されるようになったのは本多勝一著『中国の旅』(昭和47年)からである。しかし、注記として記されているにしか過ぎなかった。
30万人虐殺説が大手を振るって歩き始めるのは、昭和57年に出た洞富雄(ほら・とみお)著『決定版南京大虐殺』からと言えよう。この頃になると、南京戦に参戦した将兵のほとんどが、社会の第一線を退いていた。それを待っていたかのように、南京虐殺を主張する声が強まっていったのである。しかし、ここまではまだ国内問題という側面が強かった。
ところが、平成9年末に、アメリカで『ザ・レイプ・オブ・南京』が、そしてまた、南京安全地帯国際委員会委員長であったジョン・ラーベの日記が出版されるに及んで、事態は一変した。南京虐殺は国際問題へと発展したのである。かつて日本と言えば、ホンダ、トヨタ、ソニーを挙げて、優れた工業製品を思い出す外国人が多かったが、その時代、本と言えば「南京虐殺」を連想する外国人が、確実に急増したのである。
『ザ・レイプ・オブ・南京』は南京事件を題材にしながら、その狙いとしているのは、実は日本の文化と歴史の全面否定なのであった。著者のアイリス・チャンは「明治新政府が全市民の道徳規範として、武士道という武士の倫理を採用した」ことが、やがて日本軍に残虐行為を行わせることになったと論じ、つまり、南京の残虐行為の根底に、日本古来の武士道があると言う。戦後の東京裁判は、日本に戦争犯罪国家という烙印を押し、冷戦崩壊後の日本の歴史教科書は、日本の過去を一方的に断罪する傾向を強めていた。多くの嘘を事実として記したこの『ザ・レイプ・オブ・南京』は世界で大ベストセラーになり、この著書の内容を木端微塵に反論している書籍が多数発行されているにも関わらず、それを無視するかの如く、日本の嘘が世界に広まっていたのが現状であり、南京事件について間違った歴史認識が独り歩きをしている現状は下火になってきたかと思っていた。まして、欧米をはじめとする国々では、「戦勝国史観の見直し」が進められてきたにも関わらずである。
私自身の私見ではあるが、今回の中国の「憎日」運動について、さらなる歴史認識問題に対する世論戦を仕掛けてきたと思っている。その目的は保守層の分断。現に、石破首相の辞任問題をきっかけとする自民党内の分断(?)、そして世論の分断が目的のように思う。そして、それに呼応するかの如く、オールドメディアはこぞって分断を煽る報道を繰り返す。
もし、その私見がその通りだとすれば、石破首相はその分断を避けるためにも、早々に辞任すべきだというのが私の考えである。
「自らの運命は自ら決めるということは、孤独な存在であることを引き受ける強さがなければ成しえない。しかし、誰かのいいなりになって生存を全うすることが個人の人生においえも幸せなことでしょうか。あるいは国家においてそうした境遇に至ることが望ましいか」。
石破首相のエゴのために日本国が、日本国民が苦しみ、蟻地獄のように過去の間違った歴史認識によって貶められ、また世論戦に乗じていくことは看過できないのである。
「中国では7月、旧日本軍による南京占領を題材にした映画が公開された。誇張や非科学的主張が目立つこの映画を見た幼児が、世界地図上の日本を物でたたき続けたり、宝物であったウルトラマンのカードを引き裂いたりする動画がネットに氾濫している。さらに、中国当局は『抗日』キャンペーンの効果を上げるよう、旧日本軍の関東軍防疫給水部(通称731部隊)を主題にした映画の公開日程を9月18日(満州事変の発端となった柳条湖事件が起きた日)に変更した」と。そして、「すでに恐れていたことが起きている。江蘇省蘇州で7月末、邦人女性が襲われ負傷した。今からでも遅くない。中国への赴任は単身に限り、帯同している家族は可能な限り帰国するよう、日本政府は適切なアドバイスを出すべきである」と警鐘を鳴らしている。「愛国教育は以前からあったが、当時の中国は一部の軍国主義者(悪)と他の多くの日本人(善)を分ける『区分論』を、対日工作として戦略的に採用していた。当時多くの日本人がこの『区分論』に乗せられたのだが、『中日友好』に救われた気分になったのも事実で、これが70%超の対中親近感の背景にあった。だが、今の中国当局にそうした高等戦術はなく、日本人はすべて悪い式の教育や宣伝が行われている。『日本人学校でスパイを養成している』の類いで、児童を含む在留邦人が狙われるようになったゆえんだ」とも寄稿している。
中国に対して、その国の意向に沿うような過度に友好的・従属的な態度を取る石破政権の「媚中政策」が、中国の「憎日」感情を高める世論戦に転じてきるように思うが、皆さんはいかが思うか。
『「南京事件」の総括』という書籍がある。著者は松井石根大将の秘書を務めた田中正明氏。「南京大虐殺なんて嘘だ」と「謀略に決まっている」と感情的に決めつけている人もいるのだが、できるだけ一次資料に基づいて事実を見極めようとする、この本の内容は非常に説得的であり、少なくとも南京大虐殺はなかったと明らかに分かる。同時に私はその立場にいる。
藤岡信勝氏は、これだけ読めば、南京虐殺など無いことが明確に分かると言わしめた本でもあり、また、水間政憲氏によれば、本書が日本で出版されると同時に、中国政府の内部資料として中国の世界知識出版社が翻訳していたという。それだけ中国にとって驚異だったのであろうと指摘している。
過去にさかのぼるが、2015年10月にユネスコ記憶遺産に中国の「南京大虐殺文書」が登録された問題で、中国が登録申請の際にユネスコに提出したのは、資料の一覧と、資料を保管する7カ所の公文書館名を記しただけの目録だったことがわかった。南京文書の目録に一覧として挙げられた資料は十数種類。「南京市民の羅瑾が死の危険を冒して保存した16枚の写真」や、「大虐殺」の様子を書き留めた唯一の中国人とされる程瑞芳の日記も含まれているという。これらの資料について中国側は一方的に「虐殺の証拠」と主張していたが、多くは日本人学者らの調査によって否定されており、中国側の資料のずさんさが改めて浮き彫りになったものであった。
世界において南京大虐殺の嘘が広く知らしめすその原動力となった故アイリス・チャン氏著『ザ・レイプ・オブ・南京』だが、その内容は嘘で塗り固められているとして1999年に発行された『「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究-中国における「情報戦」の手口と戦略』(藤岡信勝・東中野修道共著、祥伝社)より微塵に反論されている。詳しくは、その書籍を読んでいただきたい。
私自身、『「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究-中国における「情報戦」の手口と戦略』を読んだ時にも思ったのだが、そもそも初めて30万人虐殺が日本で主張されるようになったのは本多勝一著『中国の旅』(昭和47年)からである。しかし、注記として記されているにしか過ぎなかった。
30万人虐殺説が大手を振るって歩き始めるのは、昭和57年に出た洞富雄(ほら・とみお)著『決定版南京大虐殺』からと言えよう。この頃になると、南京戦に参戦した将兵のほとんどが、社会の第一線を退いていた。それを待っていたかのように、南京虐殺を主張する声が強まっていったのである。しかし、ここまではまだ国内問題という側面が強かった。
ところが、平成9年末に、アメリカで『ザ・レイプ・オブ・南京』が、そしてまた、南京安全地帯国際委員会委員長であったジョン・ラーベの日記が出版されるに及んで、事態は一変した。南京虐殺は国際問題へと発展したのである。かつて日本と言えば、ホンダ、トヨタ、ソニーを挙げて、優れた工業製品を思い出す外国人が多かったが、その時代、本と言えば「南京虐殺」を連想する外国人が、確実に急増したのである。
『ザ・レイプ・オブ・南京』は南京事件を題材にしながら、その狙いとしているのは、実は日本の文化と歴史の全面否定なのであった。著者のアイリス・チャンは「明治新政府が全市民の道徳規範として、武士道という武士の倫理を採用した」ことが、やがて日本軍に残虐行為を行わせることになったと論じ、つまり、南京の残虐行為の根底に、日本古来の武士道があると言う。戦後の東京裁判は、日本に戦争犯罪国家という烙印を押し、冷戦崩壊後の日本の歴史教科書は、日本の過去を一方的に断罪する傾向を強めていた。多くの嘘を事実として記したこの『ザ・レイプ・オブ・南京』は世界で大ベストセラーになり、この著書の内容を木端微塵に反論している書籍が多数発行されているにも関わらず、それを無視するかの如く、日本の嘘が世界に広まっていたのが現状であり、南京事件について間違った歴史認識が独り歩きをしている現状は下火になってきたかと思っていた。まして、欧米をはじめとする国々では、「戦勝国史観の見直し」が進められてきたにも関わらずである。
私自身の私見ではあるが、今回の中国の「憎日」運動について、さらなる歴史認識問題に対する世論戦を仕掛けてきたと思っている。その目的は保守層の分断。現に、石破首相の辞任問題をきっかけとする自民党内の分断(?)、そして世論の分断が目的のように思う。そして、それに呼応するかの如く、オールドメディアはこぞって分断を煽る報道を繰り返す。
もし、その私見がその通りだとすれば、石破首相はその分断を避けるためにも、早々に辞任すべきだというのが私の考えである。
「自らの運命は自ら決めるということは、孤独な存在であることを引き受ける強さがなければ成しえない。しかし、誰かのいいなりになって生存を全うすることが個人の人生においえも幸せなことでしょうか。あるいは国家においてそうした境遇に至ることが望ましいか」。
石破首相のエゴのために日本国が、日本国民が苦しみ、蟻地獄のように過去の間違った歴史認識によって貶められ、また世論戦に乗じていくことは看過できないのである。
終戦80年に向けて⑫~80年目の沖縄戦終結の日に思う
2025.06.23
本日は沖縄慰霊の日。80年前の今日、沖縄戦の組織的な戦闘が終結した日です。沖縄で散華された全ての御霊が安らかならんことをお祈り申し上げます。
沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としたと言われていますが、その沖縄を護るために、祖国を護るために、特攻作戦が敢行されました。
昭和19年10月25日に海軍による特攻作戦が開始され、沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間(けらま)列島に上陸した昭和20年3月26日から始まりました。特攻隊員の戦死者は、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によりますと、海軍が4,146人、陸軍が2,225人の計6,371人に上ります。ただし、資料によっては人数に差異があり、戦死者数は確定されていません。
かつて、上皇陛下が皇太子時代、日本人が忘れてはならない4つの日として、沖縄戦終結の日の6月23日、広島、長崎の原爆の日の8月6日と9日、終戦の日の8月15日を挙げており、「沖縄戦終結の日」はその中のひとつであります。
今年、終戦80年を迎えるにあたり、今日の我々は、果たして本当の意味で平和なのだろうかと、ふと考えます。戦争をしていないだけであって、心は貧しくなっていないだろうか。現代社会の問題も含め、色々と考えていくと、戦後、日本人として何か大切なものを失った気がしてなりません。
上島嘉郎元雑誌正論編集長の言葉を借りるならば「後生の日本人を信じて命を捧げてくれた人たち、その献身がいまの日本をつくっている。日本は、現在生きている私たちだけのものではない。過去と未来の日本人のものでもある。現在の私たちの過怠や不作為によって、先祖の名誉を不当に損なわれたままでよいのか。子孫に要らざる負い目を負わせてもよいか」。
戦地に赴いた元軍人の方々は鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなりました。戦争を知らない世代は、国民の8割を越え、9割をも占めると言われている今日、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあります。そして、これからの靖國神社への主たる参拝者は、戦争体験者やそのご遺族から戦争を体験されていない者たちへ変化し、戦争を体験していない者たちが靖國神社をお支えする時代へと突入する、本当の意味での「次代へ繋ぐ」時代にとなると感じています。そして、戦争を体験された方々から直に話を聞いた我々世代が、これからの日本を支えていく次代を担う世代へ伝えていかなくてはならないものがあるとの想いが日増しに強くなっているのが現実です。
今回、その沖縄戦時に、困窮する食糧確保のため、米を調達したり、疎開を促進したりするなど「県民の命を守るため」に可能な限りの施策を考え、陣頭指揮を執った当時の県知事島田叡にスポットを当てて、6月29日に終戦80年特別企画イベントを企画しました。戦争が激化し、摩文仁(まぶに)の丘に追い詰められた際、県庁組織の解散を命じ、ともに死ぬという部下に「生きぬけ」と伝え、逃したのは有名な話ですが、島田叡の人物像から島田叡の目から見た沖縄戦、そして、後世に伝えたかったものは何であったかのか。
御席はまだございますので、以下のURLよりお申し込みください。
https://forms.gle/bGerd99rXUnBJwwG8
先人の思いが次代を担う若者たちに届きますように。
沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としたと言われていますが、その沖縄を護るために、祖国を護るために、特攻作戦が敢行されました。
昭和19年10月25日に海軍による特攻作戦が開始され、沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間(けらま)列島に上陸した昭和20年3月26日から始まりました。特攻隊員の戦死者は、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によりますと、海軍が4,146人、陸軍が2,225人の計6,371人に上ります。ただし、資料によっては人数に差異があり、戦死者数は確定されていません。
かつて、上皇陛下が皇太子時代、日本人が忘れてはならない4つの日として、沖縄戦終結の日の6月23日、広島、長崎の原爆の日の8月6日と9日、終戦の日の8月15日を挙げており、「沖縄戦終結の日」はその中のひとつであります。
今年、終戦80年を迎えるにあたり、今日の我々は、果たして本当の意味で平和なのだろうかと、ふと考えます。戦争をしていないだけであって、心は貧しくなっていないだろうか。現代社会の問題も含め、色々と考えていくと、戦後、日本人として何か大切なものを失った気がしてなりません。
上島嘉郎元雑誌正論編集長の言葉を借りるならば「後生の日本人を信じて命を捧げてくれた人たち、その献身がいまの日本をつくっている。日本は、現在生きている私たちだけのものではない。過去と未来の日本人のものでもある。現在の私たちの過怠や不作為によって、先祖の名誉を不当に損なわれたままでよいのか。子孫に要らざる負い目を負わせてもよいか」。
戦地に赴いた元軍人の方々は鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなりました。戦争を知らない世代は、国民の8割を越え、9割をも占めると言われている今日、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあります。そして、これからの靖國神社への主たる参拝者は、戦争体験者やそのご遺族から戦争を体験されていない者たちへ変化し、戦争を体験していない者たちが靖國神社をお支えする時代へと突入する、本当の意味での「次代へ繋ぐ」時代にとなると感じています。そして、戦争を体験された方々から直に話を聞いた我々世代が、これからの日本を支えていく次代を担う世代へ伝えていかなくてはならないものがあるとの想いが日増しに強くなっているのが現実です。
今回、その沖縄戦時に、困窮する食糧確保のため、米を調達したり、疎開を促進したりするなど「県民の命を守るため」に可能な限りの施策を考え、陣頭指揮を執った当時の県知事島田叡にスポットを当てて、6月29日に終戦80年特別企画イベントを企画しました。戦争が激化し、摩文仁(まぶに)の丘に追い詰められた際、県庁組織の解散を命じ、ともに死ぬという部下に「生きぬけ」と伝え、逃したのは有名な話ですが、島田叡の人物像から島田叡の目から見た沖縄戦、そして、後世に伝えたかったものは何であったかのか。
御席はまだございますので、以下のURLよりお申し込みください。
https://forms.gle/bGerd99rXUnBJwwG8
先人の思いが次代を担う若者たちに届きますように。
終戦80年に向けて⑪~次代へ繋ぐということ
2025.05.27
2013年12月初版の『英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄』という書籍がある。
著者はヘンリー・S・ストークスという『ファイナンシャル・タイムズ』『ロンドン・タイムズ』『ニューヨーク・タイムズ』の各東京支局長を歴任し、三島由紀夫とも親交を結んだ英国人の記者。来日当時は、東京裁判が裁いた「日本=戦争犯罪国会論」や「南京大虐殺」について事実であるという戦勝国史観を疑うことなく信奉していた著者が、考え方を大転換させ、戦勝国の都合で作り上げられた「日本悪玉論」を断罪。南京事件や靖国参拝、従軍慰安婦などの問題について論じ、さらに三島が死を賭して訴えようとしたものが何であったかを問いかけている書籍である。
著者は、日本に滞在する間に、連合国からの視点でもなく、日本からの視点でもない第三者的視点で論じている。そして、著者が声を大にして言いたいと論じているのは「南京事件」にせよ「靖国参拝問題」にせよ「慰安婦問題」にせよ、これらの問題のほとんどは、日本人側から中国や韓国にけしかけ、問題にしてもらったのが事実であると語っている。さらに日本人は、いまだ連合国がでっち上げた「戦勝国」史観の呪いから抜け出していないと警鐘を鳴らしている。
『世界がさばく東京裁判』という著書が発刊されたのは2005年8月。
初代国際連合大使であった加瀬俊一氏は、かねてから勝者による敗者に対する一方的断罪裁判である「『東京裁判』を裁判せよ」と主張し、歴代首相にもその必要性を説いたというが、この著書は、ハーバート・フーバー米元大統領、英国枢密院書記官長であるハンキー卿、ベルト・レ―リンク東京裁判蘭代表判事、ラダビノッド・パール東京裁判インド代表判事、アンリ・ベルナール東京裁判仏代表判事など14カ国の高名な識者85人が連合国の戦争責任を追及し、東京裁判を批判している。日ソ中立条約に違反して満州に侵攻し、虐殺略奪をほしいままにしたソ連(当時)には明らかに日本をさばく資格は皆無であり、66都市を無差別爆撃して40万の非戦闘員を殺戮したうえ、原爆を投下した米国は、重大な国際法違反であり、その非戦闘員を殺戮した罪は断罪せず、客観的事実から見て、「連合国の戦争責任」を問うべきであると、この書籍では語っている。
大東亜戦争後、アメリカ国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とした秘密通信をアメリカ軍事情報部が秘密裡に傍受解読した記録の「ヴェノナ文書」や「ミトロヒン文書」、米軍がビルマ(ミャンマー)・ミートキーナ(同ミチナ)で捕らえた朝鮮人慰安婦20人から尋問した「米国戦争情報戦資料『心理戦チーム報告書』」など、戦争時における公文書が発掘され、ラストボロフ事件、レフチェンコ事件などコミンテルンのスパイ行為なども含め、歴史の真実が次々と暴かれているが、世界は未だに中国、韓国などの反日勢力に真実を捻じ曲げた歴史の流布や、日本の国際社会に対する発信不足により、日本は貶められ、その現状が克服できていない。若者を中心に日本人も正しい歴史を認識するようになってきたが、中国の「南京大虐殺」や韓国の「従軍慰安婦問題」に対する反論ができない日本人も少なくないのである。
歴史認識問題は、1970年代には、もう過去の問題となっていて、外交問題にはならなかったにも関わらず1980年代に復活した。その発端は、すべて日本人の手による、日本発のものであった。歴史教科書問題、首相の靖国神社参拝問題、従軍慰安婦問題。どれも1980年代以降に問題化し、日本の中から生まれたメイド・イン・ジャパンの問題なのである。中国や韓国にとっては有り難いテーマで、そのカードを使うことになる。また、明星大学の高橋史朗教授によれば、ユネスコ記憶遺産に慰安婦問題の申請登録を主導しているのは日本のNPO法人「女たちの戦争と平和人権基金」や「日本の戦争責任資料センター」であるというのは先述した通りであるが、このように、左翼リベラリズムの人々が、歴史認識問題を再生産しているのである。
左翼リベラリズムが浸透している反日左翼の市民団体、NHK、TBS、テレビ朝日、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、共同新聞や地方新聞など反日マスコミ、教育界、さらには歴史学会、司法界なども反日行動、情報を流布している。反日マスコミは事実をすり替えた報道を繰り返し、読者や視聴者はそれを知らぬ間に信じてしまうような情報操作が行われる。教育機関は事実と反した歴史教育が行なわれ、左翼が未だに根強く社会に反日運動を繰り返すといった状況にあるのが現状である。このように、日本を貶めているのは日本人自身なのである。
終戦80年を迎える今年。戦地に赴いた元軍人の方々が鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなった。戦争を知らない世代は、国民の8割を越え9割を占めると言われている今日、今もなお、間違った歴史の史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の想いを次代へ繋ぐべきなのか。
昨年の靖國神社秋季例大祭において、大塚海夫宮司は挨拶の中で、「来年迎える終戦80年を機に、主たる参拝者は、戦争体験者やそのご遺族から戦争を体験されていない者たちへ変化する」と話された。これからは、戦争を体験していない者たちが靖国神社をお支えする時代へと突入する意味を仰られた中で、本当の意味での「次代へ繋ぐ」時代にとなると感じている。
世間では、保守が2割、左翼リベラルが2割と言われ、残り6割がグレーゾーンの人たちであると言われている。いわゆる「ノンポリティカル」という無関心な、あるいは今まで記してきた客観的事実を知らないためどちらにも属さない層とされている。正しい歴史の真実や、その思いを次代に繋いでいくためには、保守の2割を確固たる考え方の層で固め、ノンポリ層を如何に保守層に取り込むことができるか。その活動を一つ一つ地道にコツコツと行っていくことが大切ではないかと思う。なぜなら、次代に繋いでいくための特効薬はないと思うからだ。
終戦80年を迎えるにあたり、特に大東亜戦争や特攻を美談として語るのは止めろと言う人がいるし、私自身もこうした活動をしている中で言われたりもした。しかし、事実だけを客観的に言えば、好むも好まざるも、大東亜戦争で日本国を、故郷を、家族を、恋人を護るために戦った人がいて、今日の日本があり、その先祖の尊い犠牲があったからこそ、日本の平和があることは客観的な事実ではなかろうか。そして、尊い先人の犠牲の中で、今の平和があることを忘れてはならない。そして、歴史を語るに現代の視点から論じるのではなく、その時代の歴史の背景まで目線を下げて、その当時の価値観と同じ目線で歴史を語らなければいけないと思うのである。
そのような思いを胸に、寺子屋「玉川未来塾」の活動をしているので、終戦80年を迎える節目の今年も、国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をし、講演後に遊就館を見学することによって、講演での話を噛み締めると同時に、今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ること、加えて次代に英霊の思いを感じて欲しいと願って、イベントを開催する。
詳細は以下のURLよりご覧いただきたい。
https://www.tamagawa-miraijuku.com/event.html
日本の歴史は、尊い先祖から受け継いだ命のバトンだと感じている。そして、そのバトンをこれからの日本を背負う次代に引き継いでいきたいと思う。
著者はヘンリー・S・ストークスという『ファイナンシャル・タイムズ』『ロンドン・タイムズ』『ニューヨーク・タイムズ』の各東京支局長を歴任し、三島由紀夫とも親交を結んだ英国人の記者。来日当時は、東京裁判が裁いた「日本=戦争犯罪国会論」や「南京大虐殺」について事実であるという戦勝国史観を疑うことなく信奉していた著者が、考え方を大転換させ、戦勝国の都合で作り上げられた「日本悪玉論」を断罪。南京事件や靖国参拝、従軍慰安婦などの問題について論じ、さらに三島が死を賭して訴えようとしたものが何であったかを問いかけている書籍である。
著者は、日本に滞在する間に、連合国からの視点でもなく、日本からの視点でもない第三者的視点で論じている。そして、著者が声を大にして言いたいと論じているのは「南京事件」にせよ「靖国参拝問題」にせよ「慰安婦問題」にせよ、これらの問題のほとんどは、日本人側から中国や韓国にけしかけ、問題にしてもらったのが事実であると語っている。さらに日本人は、いまだ連合国がでっち上げた「戦勝国」史観の呪いから抜け出していないと警鐘を鳴らしている。
『世界がさばく東京裁判』という著書が発刊されたのは2005年8月。
初代国際連合大使であった加瀬俊一氏は、かねてから勝者による敗者に対する一方的断罪裁判である「『東京裁判』を裁判せよ」と主張し、歴代首相にもその必要性を説いたというが、この著書は、ハーバート・フーバー米元大統領、英国枢密院書記官長であるハンキー卿、ベルト・レ―リンク東京裁判蘭代表判事、ラダビノッド・パール東京裁判インド代表判事、アンリ・ベルナール東京裁判仏代表判事など14カ国の高名な識者85人が連合国の戦争責任を追及し、東京裁判を批判している。日ソ中立条約に違反して満州に侵攻し、虐殺略奪をほしいままにしたソ連(当時)には明らかに日本をさばく資格は皆無であり、66都市を無差別爆撃して40万の非戦闘員を殺戮したうえ、原爆を投下した米国は、重大な国際法違反であり、その非戦闘員を殺戮した罪は断罪せず、客観的事実から見て、「連合国の戦争責任」を問うべきであると、この書籍では語っている。
大東亜戦争後、アメリカ国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とした秘密通信をアメリカ軍事情報部が秘密裡に傍受解読した記録の「ヴェノナ文書」や「ミトロヒン文書」、米軍がビルマ(ミャンマー)・ミートキーナ(同ミチナ)で捕らえた朝鮮人慰安婦20人から尋問した「米国戦争情報戦資料『心理戦チーム報告書』」など、戦争時における公文書が発掘され、ラストボロフ事件、レフチェンコ事件などコミンテルンのスパイ行為なども含め、歴史の真実が次々と暴かれているが、世界は未だに中国、韓国などの反日勢力に真実を捻じ曲げた歴史の流布や、日本の国際社会に対する発信不足により、日本は貶められ、その現状が克服できていない。若者を中心に日本人も正しい歴史を認識するようになってきたが、中国の「南京大虐殺」や韓国の「従軍慰安婦問題」に対する反論ができない日本人も少なくないのである。
歴史認識問題は、1970年代には、もう過去の問題となっていて、外交問題にはならなかったにも関わらず1980年代に復活した。その発端は、すべて日本人の手による、日本発のものであった。歴史教科書問題、首相の靖国神社参拝問題、従軍慰安婦問題。どれも1980年代以降に問題化し、日本の中から生まれたメイド・イン・ジャパンの問題なのである。中国や韓国にとっては有り難いテーマで、そのカードを使うことになる。また、明星大学の高橋史朗教授によれば、ユネスコ記憶遺産に慰安婦問題の申請登録を主導しているのは日本のNPO法人「女たちの戦争と平和人権基金」や「日本の戦争責任資料センター」であるというのは先述した通りであるが、このように、左翼リベラリズムの人々が、歴史認識問題を再生産しているのである。
左翼リベラリズムが浸透している反日左翼の市民団体、NHK、TBS、テレビ朝日、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、共同新聞や地方新聞など反日マスコミ、教育界、さらには歴史学会、司法界なども反日行動、情報を流布している。反日マスコミは事実をすり替えた報道を繰り返し、読者や視聴者はそれを知らぬ間に信じてしまうような情報操作が行われる。教育機関は事実と反した歴史教育が行なわれ、左翼が未だに根強く社会に反日運動を繰り返すといった状況にあるのが現状である。このように、日本を貶めているのは日本人自身なのである。
終戦80年を迎える今年。戦地に赴いた元軍人の方々が鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなった。戦争を知らない世代は、国民の8割を越え9割を占めると言われている今日、今もなお、間違った歴史の史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の想いを次代へ繋ぐべきなのか。
昨年の靖國神社秋季例大祭において、大塚海夫宮司は挨拶の中で、「来年迎える終戦80年を機に、主たる参拝者は、戦争体験者やそのご遺族から戦争を体験されていない者たちへ変化する」と話された。これからは、戦争を体験していない者たちが靖国神社をお支えする時代へと突入する意味を仰られた中で、本当の意味での「次代へ繋ぐ」時代にとなると感じている。
世間では、保守が2割、左翼リベラルが2割と言われ、残り6割がグレーゾーンの人たちであると言われている。いわゆる「ノンポリティカル」という無関心な、あるいは今まで記してきた客観的事実を知らないためどちらにも属さない層とされている。正しい歴史の真実や、その思いを次代に繋いでいくためには、保守の2割を確固たる考え方の層で固め、ノンポリ層を如何に保守層に取り込むことができるか。その活動を一つ一つ地道にコツコツと行っていくことが大切ではないかと思う。なぜなら、次代に繋いでいくための特効薬はないと思うからだ。
終戦80年を迎えるにあたり、特に大東亜戦争や特攻を美談として語るのは止めろと言う人がいるし、私自身もこうした活動をしている中で言われたりもした。しかし、事実だけを客観的に言えば、好むも好まざるも、大東亜戦争で日本国を、故郷を、家族を、恋人を護るために戦った人がいて、今日の日本があり、その先祖の尊い犠牲があったからこそ、日本の平和があることは客観的な事実ではなかろうか。そして、尊い先人の犠牲の中で、今の平和があることを忘れてはならない。そして、歴史を語るに現代の視点から論じるのではなく、その時代の歴史の背景まで目線を下げて、その当時の価値観と同じ目線で歴史を語らなければいけないと思うのである。
そのような思いを胸に、寺子屋「玉川未来塾」の活動をしているので、終戦80年を迎える節目の今年も、国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をし、講演後に遊就館を見学することによって、講演での話を噛み締めると同時に、今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ること、加えて次代に英霊の思いを感じて欲しいと願って、イベントを開催する。
詳細は以下のURLよりご覧いただきたい。
https://www.tamagawa-miraijuku.com/event.html
日本の歴史は、尊い先祖から受け継いだ命のバトンだと感じている。そして、そのバトンをこれからの日本を背負う次代に引き継いでいきたいと思う。
過剰なメディア報道に思うこと
2025.04.28
時代は変化し、道徳的に当時は許されていた行為が、現在において許されないことも多く存在する。今では人権を尊重するあまり、過去の行為が今において裁かれ、謝罪する者も少なくない。その当時は、大きな話題にもならなかった行為が、改めてクローズアップされ、その人物達テレビ画面から消えていく。確かに、法に触れる行為であれば別であるかもしれない。しかし、過剰に反応する報道が目に付くし、どうして今の価値観で照らし合わせて、過剰に断罪し、報道しなくてはいけないのだろうかと思うこともしばしばある。
「遡及処罰の禁止(刑法39条)」という法律がある。過去の刑事事件を今の刑法に当てはめて裁いてはいけない法律で、過去の刑事事件を現在の刑法に当てはめて裁くことが許されないのは、主に以下の理由からである。
1. 遡及処罰の禁止(刑法39条)
•憲法(日本国憲法第39条)にも保障された重要な原則。
•ある行為が行われた時点では犯罪でなかったものを、後から法律を制定・改正して処罰することは、法の安定性や国民の法的予測可能性を著しく害する。
•人々は、その時点の法律に基づいて行動しているので、後から遡って処罰されることは不当である。
2. 行為時の法律によるべき原則(刑法6条)
•刑法第6条は、「犯罪の成否及び刑罰は、行為の時における法律による」と定めている。
•これは、遡及処罰の禁止を具体的に刑法で規定したものである。
•過去の行為は、その当時有効であった法律に基づいて判断されるべきであり、後の法律によって評価を変えるべきではない。
3. 法の安定性と予測可能性の確保
•もし過去の行為が後から制定・改正された法律で裁かれる可能性があるとすれば、人々は将来どのような行為が犯罪になるのか予測できなくなり、社会生活の安定を損なう。
•法律は、社会のルールとして明確に定められ、人々がそのルールに基づいて行動できるようにする必要がある。
4. 人権保障
•遡及処罰は、個人の自由や権利を不当に侵害する可能性がある。
•行為時に適法であった行為が、後になって犯罪とされ、処罰されることは、個人の法的安定感を大きく揺るがし、国家による恣意的な刑罰を招く恐れがある。
例えば、1900年には犯罪ではなかった行為が、2025年の刑法改正によって新たに犯罪と定められたとすると、この場合、1900年に行ったその行為を、2025年の刑法に基づいて処罰することは許されない。ただし、例外的に、行為後の法律が行為時の法律よりも軽い場合に限り、新しい法律を適用することが認められている(刑法6条但書)。これは、刑罰がより軽くなる場合にまで遡及処罰の禁止を貫く必要はないと考えられるためである。
このように、過去の刑事事件を現在の刑法に当てはめて裁くことは、法の基本原則である遡及処罰の禁止や行為時の法律によるべき原則に反し、法の安定性、予測可能性、そして人権保障の観点からも許されないのである。
上記にあるように、「もし過去の行為が後から制定・改正された法律で裁かれる可能性があるとすれば、人々は将来どのような行為が犯罪になるのか予測できなくなり、社会生活の安定を損なう」とあるのはもっともなことである。そして、「遡及処罰は、個人の自由や権利を不当に侵害する可能性がある」とするのも頷けることである。
昨今の報道は、週刊文春をはじめマスコミ各社がこぞって過去の行いや振る舞い、それも10年前後、それ以上前のことを過剰に、しかも徹底的に追及する報道を目にする。刑事事件ではないかもしれないが、そういった報道を目にするにつれ、たまらなく違和感を感じる。確かにやってはいけない振る舞いや行為を許すことはできないであろう。しかし、刑事罰でないかもしれないが、行き過ぎた報道は、いずれ読者を視聴者を無くす要因になると思ってならない。「オールドメディアは、世論を作っているのは我々である」と思っているかもしれないが、今では、SNSでも正しい情報を録ることはことができる。恣意的な報道と分かれば、メディアの信頼は失墜するのは自然の理。メディアの在り方が問われている昨今、今一度メディアは、おかれた役割が、今と昔では少しづつ変わっていることがあるということ自覚し、考え、報道してもらいたいと思う。いずれはしっぺ返しに遭うことを忘れてはならないと考える。
「遡及処罰の禁止(刑法39条)」という法律がある。過去の刑事事件を今の刑法に当てはめて裁いてはいけない法律で、過去の刑事事件を現在の刑法に当てはめて裁くことが許されないのは、主に以下の理由からである。
1. 遡及処罰の禁止(刑法39条)
•憲法(日本国憲法第39条)にも保障された重要な原則。
•ある行為が行われた時点では犯罪でなかったものを、後から法律を制定・改正して処罰することは、法の安定性や国民の法的予測可能性を著しく害する。
•人々は、その時点の法律に基づいて行動しているので、後から遡って処罰されることは不当である。
2. 行為時の法律によるべき原則(刑法6条)
•刑法第6条は、「犯罪の成否及び刑罰は、行為の時における法律による」と定めている。
•これは、遡及処罰の禁止を具体的に刑法で規定したものである。
•過去の行為は、その当時有効であった法律に基づいて判断されるべきであり、後の法律によって評価を変えるべきではない。
3. 法の安定性と予測可能性の確保
•もし過去の行為が後から制定・改正された法律で裁かれる可能性があるとすれば、人々は将来どのような行為が犯罪になるのか予測できなくなり、社会生活の安定を損なう。
•法律は、社会のルールとして明確に定められ、人々がそのルールに基づいて行動できるようにする必要がある。
4. 人権保障
•遡及処罰は、個人の自由や権利を不当に侵害する可能性がある。
•行為時に適法であった行為が、後になって犯罪とされ、処罰されることは、個人の法的安定感を大きく揺るがし、国家による恣意的な刑罰を招く恐れがある。
例えば、1900年には犯罪ではなかった行為が、2025年の刑法改正によって新たに犯罪と定められたとすると、この場合、1900年に行ったその行為を、2025年の刑法に基づいて処罰することは許されない。ただし、例外的に、行為後の法律が行為時の法律よりも軽い場合に限り、新しい法律を適用することが認められている(刑法6条但書)。これは、刑罰がより軽くなる場合にまで遡及処罰の禁止を貫く必要はないと考えられるためである。
このように、過去の刑事事件を現在の刑法に当てはめて裁くことは、法の基本原則である遡及処罰の禁止や行為時の法律によるべき原則に反し、法の安定性、予測可能性、そして人権保障の観点からも許されないのである。
上記にあるように、「もし過去の行為が後から制定・改正された法律で裁かれる可能性があるとすれば、人々は将来どのような行為が犯罪になるのか予測できなくなり、社会生活の安定を損なう」とあるのはもっともなことである。そして、「遡及処罰は、個人の自由や権利を不当に侵害する可能性がある」とするのも頷けることである。
昨今の報道は、週刊文春をはじめマスコミ各社がこぞって過去の行いや振る舞い、それも10年前後、それ以上前のことを過剰に、しかも徹底的に追及する報道を目にする。刑事事件ではないかもしれないが、そういった報道を目にするにつれ、たまらなく違和感を感じる。確かにやってはいけない振る舞いや行為を許すことはできないであろう。しかし、刑事罰でないかもしれないが、行き過ぎた報道は、いずれ読者を視聴者を無くす要因になると思ってならない。「オールドメディアは、世論を作っているのは我々である」と思っているかもしれないが、今では、SNSでも正しい情報を録ることはことができる。恣意的な報道と分かれば、メディアの信頼は失墜するのは自然の理。メディアの在り方が問われている昨今、今一度メディアは、おかれた役割が、今と昔では少しづつ変わっていることがあるということ自覚し、考え、報道してもらいたいと思う。いずれはしっぺ返しに遭うことを忘れてはならないと考える。
天に召される貴方へ
2025.04.14
故小島新一様
謹んで、天に召される貴方へ、心より感謝の言葉を述べたいと思います。
2009年11月に販売局から正論調査室へ異動となり、2016年7月まで、貴方と一緒の部署でお仕事をさせていただきました。その時、今までの部署とは違う、より日本の将来を憂う思いの熱い人達が集まっている部署に配属されたという強いカルチャーショックを受けたことを思い出します。貴方もそう思った人の中の一人でした。
今から十一年前。当時、靖国神社に取材に行かない産経新聞の話を聞き、逆に朝日新聞が靖国神社を頻繁に取材する現状に「こんなことがあってはならないでしょう」との思いと、翌年に終戦70年を迎えるにあたり、戦前戦中当時の曲折、偽りのない正しい歴史の真実話を伝えられる元軍人の方の話を直に聞けるのも最後の年かもしれないという危機感から、土光杯弁論大会と正論大賞贈呈式を主な仕事としていた自分は、「我が部署で戦後70年に向けてふさわしいイベントを行おう」と考え、「大東亜戦争を語り継ぐ会」の企画を思い付き、その話を夜中、編集作業に追われていた貴方に相談させていただきましたね。「ぜひ、やりましょう」と貴方は二つ返事でした。しかし、予算も無く、来場者収入で運営していかなくてはいけないことなどを話すと、その内容を誌面で紹介するといったことで、貴方は協力をしていただきました。私は、貴方のその男気に私は惚れました。「大東亜戦争を語り継ぐ会」の内容を誌面化することを良しとしてくれたこと、本当に感謝でした。このイベントを開催するにあたり、当時の室長から「赤字になるなら駄目だ!」と言われ、「編集とのタイアップ企画です」と言い切れたのも、貴方のおかげでしたし、後押しをしてくれたお陰でもありました。そのイベントが21回も開催できたことは、本当に有り難かったと同時に、貴方の熱い思いに感銘を受けたからこそやり続けられたのです。強い信念を持った貴方は、やるといったらやり通す気概に私は当時、惹かれていった記憶を思い起こします。
別冊正論15号「中国共産党 野望と謀略の90年ー『日本=侵略国家』論との決別」、18号「日中国交40年 汚辱と配信の系譜」を編纂した貴方は、秘話や封印されたその貴重な資料を紹介したその内容や、そのラインナップの素晴らしさに驚嘆したものでした。また、朝日新聞の偏向報道を特集した号は劇売れし、月刊正論史上初めて重版し、書店展開した際も、私のこの提案も快く受け入れてくれましたね。この結果は、誌上初めて実売率が100%近くになった号で、その重版した決断は良かったと思ったのも、貴方の協力と理解があったからでした。
その後、大阪に異動が決まり、大阪に赴任してからも、「大東亜戦争を語り継ぐ会」には携わっていただき、東京だけでなく大阪でもこのイベントを行った際には、多分にご協力をいただきましたこと、心から感謝申し上げます。特に、スポンサーになっていただいた社長に部下がしでかした不始末の処理のため、私は、その翌日、始発の新幹線で行ったにも関わらず、貴方は一緒に同行してくださいましたね。そして、その社長に一緒に頭を下げていただきました。どんなにか理不尽なことかと思ったことでしょうと、私は心の中で申し訳ない気持ちに駆られ、そして感謝を申し上げ、貴方はその後、その社長とのパイプ役を担っていただいたことは、本当に感謝しても仕切れない程のことでした。
その後、私は鬱になり、退職した私を慰労したいと、大阪から東京にまで足を運んでいただきましたね。その時、私はまだ完全には快復してはいなかったため、あまり楽しい話もできなかったかもしれませんでしたが、貴方のその思いは、有り難かったし、嬉しかったです。
体も快復し、個人事業主として活動する際、何をベースにするべきか考えた時、メインの習字教室の運営以外に、次世代のリーダー、次代を担う若者たちの育成、正しい歴史観・国家観を継承していくために活動する「寺子屋『玉川未来塾』」を立ち上げたのも、貴方から受けた影響が大きかったからです。貴方が大阪でおこなっていた次代を担う若者たちへの研修会の見学も快く受け入れてくださったこと、本当にありがとうございました。
貴方の思いを引き継ぐなんていう烏滸がましいことは言えませんが、日本の将来を憂う気持ちは貴方と同じです。したがって、自分の体が続くまで、寺子屋「玉川未来塾」の活動は継続していくことを貴方に誓いたいと思います。
貴方は人気者でしたから、多くの人に惜しまれる存在かと思いますが、私もそう思う者の一人です。そんな貴方を慕う端くれの一人ではありますが、天国から私の活動を見守り、見えない力を注いでいただき、影で支えていただけましたら幸いです。
長い闘病生活、お疲れ様でした。「仕事をしていないといらぬ余計なことを考えてしまう」と言って、闘病生活を続けながら、仕事をすることも選び、最後まで日本のことを憂いていらっしゃいましたね。最前線で歩み続けてこられましたから、お疲れになったことでしょう。どうぞ安らかにおやすみください。そしてまた会う日まで。さようなら。
貴方を心から尊敬する玉川博一より
謹んで、天に召される貴方へ、心より感謝の言葉を述べたいと思います。
2009年11月に販売局から正論調査室へ異動となり、2016年7月まで、貴方と一緒の部署でお仕事をさせていただきました。その時、今までの部署とは違う、より日本の将来を憂う思いの熱い人達が集まっている部署に配属されたという強いカルチャーショックを受けたことを思い出します。貴方もそう思った人の中の一人でした。
今から十一年前。当時、靖国神社に取材に行かない産経新聞の話を聞き、逆に朝日新聞が靖国神社を頻繁に取材する現状に「こんなことがあってはならないでしょう」との思いと、翌年に終戦70年を迎えるにあたり、戦前戦中当時の曲折、偽りのない正しい歴史の真実話を伝えられる元軍人の方の話を直に聞けるのも最後の年かもしれないという危機感から、土光杯弁論大会と正論大賞贈呈式を主な仕事としていた自分は、「我が部署で戦後70年に向けてふさわしいイベントを行おう」と考え、「大東亜戦争を語り継ぐ会」の企画を思い付き、その話を夜中、編集作業に追われていた貴方に相談させていただきましたね。「ぜひ、やりましょう」と貴方は二つ返事でした。しかし、予算も無く、来場者収入で運営していかなくてはいけないことなどを話すと、その内容を誌面で紹介するといったことで、貴方は協力をしていただきました。私は、貴方のその男気に私は惚れました。「大東亜戦争を語り継ぐ会」の内容を誌面化することを良しとしてくれたこと、本当に感謝でした。このイベントを開催するにあたり、当時の室長から「赤字になるなら駄目だ!」と言われ、「編集とのタイアップ企画です」と言い切れたのも、貴方のおかげでしたし、後押しをしてくれたお陰でもありました。そのイベントが21回も開催できたことは、本当に有り難かったと同時に、貴方の熱い思いに感銘を受けたからこそやり続けられたのです。強い信念を持った貴方は、やるといったらやり通す気概に私は当時、惹かれていった記憶を思い起こします。
別冊正論15号「中国共産党 野望と謀略の90年ー『日本=侵略国家』論との決別」、18号「日中国交40年 汚辱と配信の系譜」を編纂した貴方は、秘話や封印されたその貴重な資料を紹介したその内容や、そのラインナップの素晴らしさに驚嘆したものでした。また、朝日新聞の偏向報道を特集した号は劇売れし、月刊正論史上初めて重版し、書店展開した際も、私のこの提案も快く受け入れてくれましたね。この結果は、誌上初めて実売率が100%近くになった号で、その重版した決断は良かったと思ったのも、貴方の協力と理解があったからでした。
その後、大阪に異動が決まり、大阪に赴任してからも、「大東亜戦争を語り継ぐ会」には携わっていただき、東京だけでなく大阪でもこのイベントを行った際には、多分にご協力をいただきましたこと、心から感謝申し上げます。特に、スポンサーになっていただいた社長に部下がしでかした不始末の処理のため、私は、その翌日、始発の新幹線で行ったにも関わらず、貴方は一緒に同行してくださいましたね。そして、その社長に一緒に頭を下げていただきました。どんなにか理不尽なことかと思ったことでしょうと、私は心の中で申し訳ない気持ちに駆られ、そして感謝を申し上げ、貴方はその後、その社長とのパイプ役を担っていただいたことは、本当に感謝しても仕切れない程のことでした。
その後、私は鬱になり、退職した私を慰労したいと、大阪から東京にまで足を運んでいただきましたね。その時、私はまだ完全には快復してはいなかったため、あまり楽しい話もできなかったかもしれませんでしたが、貴方のその思いは、有り難かったし、嬉しかったです。
体も快復し、個人事業主として活動する際、何をベースにするべきか考えた時、メインの習字教室の運営以外に、次世代のリーダー、次代を担う若者たちの育成、正しい歴史観・国家観を継承していくために活動する「寺子屋『玉川未来塾』」を立ち上げたのも、貴方から受けた影響が大きかったからです。貴方が大阪でおこなっていた次代を担う若者たちへの研修会の見学も快く受け入れてくださったこと、本当にありがとうございました。
貴方の思いを引き継ぐなんていう烏滸がましいことは言えませんが、日本の将来を憂う気持ちは貴方と同じです。したがって、自分の体が続くまで、寺子屋「玉川未来塾」の活動は継続していくことを貴方に誓いたいと思います。
貴方は人気者でしたから、多くの人に惜しまれる存在かと思いますが、私もそう思う者の一人です。そんな貴方を慕う端くれの一人ではありますが、天国から私の活動を見守り、見えない力を注いでいただき、影で支えていただけましたら幸いです。
長い闘病生活、お疲れ様でした。「仕事をしていないといらぬ余計なことを考えてしまう」と言って、闘病生活を続けながら、仕事をすることも選び、最後まで日本のことを憂いていらっしゃいましたね。最前線で歩み続けてこられましたから、お疲れになったことでしょう。どうぞ安らかにおやすみください。そしてまた会う日まで。さようなら。
貴方を心から尊敬する玉川博一より