政治を「目的論」と「課題の分離」の視点で眺めてみた
2026.02.27
アドラー心理学には「目的論」「課題の分離」という考え方がある。
アドラーの提唱する「目的論」とは、「人の行動にはすべて目的がある」とする考え方だ。この視点で、中道改革連合による高市政権への姿勢を捉え直してみたい。

彼らは「批判することが野党の仕事だ」と主張するが、その行動の目的は果たして「国民生活を良くすること」にあるのか、それとも単に「政権を批判すること」自体にあるのか。この点に照らして考えると、彼らの政治姿勢には疑問を抱かざるを得ない。実際、今回の衆院選の結果が示す通り、「批判のための批判」では何も好転しないと考えるのが自然だろう。

政治家は本来、国民生活を向上させるために存在する。私個人としては、「国民生活のため」という目的と、「政治を良くするための批判」という手段は明確に分けて考えるべきだと考えている。しかし、現在の中道改革連合はこの境界が曖昧であり、アドラーが提唱する「課題の分離」ができていないのではないだろうか。

このように、中道改革連合の政治姿勢をアドラー心理学の視点で分析することで、現在の日本政治を異なる角度から見通すことができる。
2026年2月に行われた第51回衆議院議員総選挙において、中道改革連合は「自民大勝・中道惨敗」という厳しい現実に直面した。自民党が単独で衆院の3分の2を超える316議席を獲得する歴史的大勝を収めた一方、中道改革連合は公示前の167議席から49議席へと激減し、小選挙区で軒並み敗退した。この背景には、「批判そのものが仕事」という彼らの姿勢が、国民の生活実感と大きく乖離していた可能性が指摘されている。

「目的論」の視点から批判の本質を考えると、中道改革連合が「批判こそが野党の仕事」と標榜したことは、彼らの行動目的が「政府の監視と是正」にのみ置かれていたことを示唆している。しかし、国民側はあくまで「自分たちの生活が良くなること」を目的として政治を評価する。中道改革連合が「反高市」を掲げ、家計への分配重視を訴えながらも、実際の行動が批判に終始したことは、多くの有権者の目に「生活を良くするための行動」とは映らなかった。
また、アドラーの「課題の分離」を当てはめると、彼らが「政権批判(政治の質を問う課題)」と「国民生活の向上(政治の結果を出す課題)」を混同している現状が浮き彫りになる。立憲民主党と公明党の有志により結成された中道改革連合は、当初「生活者と平和を守る政治」を掲げていた。しかし、今日の実際の国会論戦では、高市首相の言葉遊びや、自民党議員315名へのカタログギフト送付問題といった追及に終始した。こうした姿勢こそが、課題の分離を欠いた今の野党の限界を象徴している。

政治家にとって、政権批判は一つの手段であって目的ではない。しかし、「批判すること」が自己目的化してしまうと、国民の生活という「本来の目的」が置き去りになる。今回の選挙結果は、有権者が「批判だけでは生活は変わらない」と冷静に判断し、自らの生活課題を野党の政局課題から切り離した(分離した)結果とも言えるだろう。

高市首相が掲げる「強い日本」を目指す経済政策(サナエノミクス2.0)が、批判を繰り返す野党への不安を上回る形で支持を得た。一方で、中道改革連合は主力メンバーが小選挙区で相次いで落選。「批判が仕事」という姿勢が、建設的な議論を望む無党派層を遠ざけた結果と言える。
現在、中道改革連合の内部では、アドラーの言う「課題の分離」ができていなかったツケが、組織の崩壊として現れている状況が垣間見られる。内部からは「高市政権の粗探しに終始し、自分たちが何を成し遂げたいのかという『目的』を語れなかった」という自省の声が上がる一方で、立憲出身者と公明出身者の間では「責任のなすり合い」という、さらなる課題の混同が始まっている。この「これ以上一緒にいても先がない」という内部対立は、一部議員の離党の動きへと加速しており、中道は存続の危機に立たされていると感じる。

衆院選で歴史的圧勝を収めた高市政権だが、参議院では依然として与党が過半数を割る「ねじれ」の状態にある。この状況を打破するため、高市首相は「批判を目的とする野党」を切り捨て、実務的な協力を得られる勢力との連携を急速に強めている。
アドラーの「課題の分離」という視点で見れば、高市首相は「政権監視」を野党の自由な課題としつつも、「法案成立=国政運営」という自身の課題を完遂するために、協力相手を冷徹に選別していると言える。高市首相は、中道改革連合のような「批判そのものが仕事」とする勢力とは一線を画し、政策実現を優先する国民民主党へのアプローチを強めている。一方、国民民主党側は「是々非々」という言葉を盾に煮え切らない態度を見せることもあるが、高市首相は減税やエネルギー政策など、自民党保守派と親和性の高い政策で妥協点を探る姿勢を公言している。
高市首相の狙いは、批判に終始する野党に対し「国民の生活のために協力しないのか」という問いを突きつけることで、中道改革連合を「反対のための反対」という袋小路に追い込むことにあるだろうとも考えられる。

今回の衆院選結果を受け、中道改革連合は「国民生活の向上」という本来の目的(課題)を見失っていたことへの批判に晒されている。党内では、国民民主党のように是々非々路線へ転換し、参院でキャスティングボートを握るべきだとする勢力と、「自民大勝は一時的な熱狂に過ぎない」としてさらに批判を強めるべきだとする勢力が対立しているようにも思われる。
しかし、前者の「是々非々路線」はすでに国民民主や維新が席巻しており、後者の「純化路線」は衆院選で否定されたばかりだ。中道改革連合の最大のジレンマは、独自の「目的(存在理由)」そのものを見失いつつある点にあると考える。高市首相はこの「内紛」を見逃さず、あえて維新や国民民主の案を取り入れることで「私は広く意見を聞いているが、協力しない中道は国民生活を軽視している」という構図を作り出し、彼らの存在価値を無効化する戦略を採っているようにも思う。

政治家が「批判」を自己目的化することは、国民の「生活向上」という本来の課題から目を背ける行為に他ならない。今回の衆院選の結果は、「あなたの批判という課題は、私の生活という課題を解決してくれない」という有権者からの明確な通告であった。
中道改革連合が今後、この「課題の分離」を真摯に受け止め、政権への憎悪ではなく国民への貢献を「目的」に据え直せるかが問われている。「目的論」に立てば、政治の目的はあくまで「国民の幸せ」であるべきだ。しかし、いつの間にか「相手を倒すこと」や「論破すること」が目的(手段の目的化)にすり替わったとき、有権者はその違和感を敏感に察知し、今回の選挙結果という形で答えを出す。
「課題の分離」を行い、政治家が自らの役割を「批判」ではなく「創造」に見出したとき、日本の政治もまた一歩、建設的な方向へ進むのではないだろうか。
2026.02.27 12:50 | 固定リンク | その他
思うところの衆院選
2026.01.27
令和8年一白水星中宮丙午(ひのえ・うま)の年を迎えた。
旧年中は色々とお世話になりまして、心から感謝申し上げます。
そして改めまして、本年もよろしくお願いいたします。

今年の「一白水星」は、「水」を象徴する「柔軟さ」「流れ」「思考の深さ」を司る星。

かたや今年は丙午の年。
「丙」は五行陰陽説では、「火の陽」を表し、「生命の勢い」を表す十干とも言われている。
「午」は「火の陽」を表し、「盛夏や太陽、情熱、エネルギーを象徴。「草木の成長が極まった状態」を表し、そして、「丙」と「午」の関係は「比和(ひわ)」。お互いの性質を強め合うと考えられている。

冷静な「水」の性質(一白水星)と熱い「火」のエネルギー(丙午)の相反する二つがぶつかり合う令和8年のキーワードは「飛躍と成長」「変化への対応」「冷静な判断」「素直さ」とのこと。変化と試練の年を意味し、誠実さが鍵とのことのようだ。そして、隠し事や駆け引きをせずオープンな姿勢で臨むことが運気上昇のポイントとなるとのこと。

そんな新年を迎え、早々に衆議院解散、そして選挙に突入した。
高市首相は「前回、自民党・公明党との連立政権を前提に国民の皆様の審判を仰ぎました。今回は自民党と日本維新の会の連立政権、そして新たな政策前回の公約には書いていなかった政策、これをしっかりと問うていかなきゃいけない」と両院議員総会で挨拶し、そして、1月27日の公示では、「衆議院選挙は『政権選択選挙』です。これからどんな未来を創っていくのか、この国のかじ取りを任せることができるのは誰なのか、国民の皆様にご審判をいただく重要な機会です」と述べている。

一方野党である立憲民主党と公明党は、新党「中道改革連合」を結成した。読売新聞社は23~25日、全国世論調査を実施し、立憲民主党と公明党が結成した新党「中道改革連合」への期待を尋ねる質問で、「期待する」と答えた人は22%にとどまり、「期待しない」の69%を大きく下回ったという結果を報道した。
また、産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)は24、25両日、合同世論調査を実施した。高市早苗内閣の支持率は前回調査(昨年12月20、21両日実施)比で5・1ポイント減の70・8%で、政権発足以降、4カ月連続で7割台の高水準を維持した。不支持率は同4・5ポイント増の23・4%。立憲民主党と公明党の衆院議員が合流して「中道改革連合」を結成したことについては「評価する」が28・7%で、「評価しない」が62・7%にのぼった。
さらには、朝日新聞社が1月17、18の両日に実施した全国世論調査で、立憲民主党と公明党が立ち上げた新党「中道改革連合」(中道)が高市早苗政権に対抗できる勢力になると思うかどうか質問した。対抗できる勢力に「ならない」が69%を占め、「なる」は20%だった。高市内閣を「支持しない」人に絞って見てみると、対抗できる勢力に「なる」が37%と全体で見た場合よりは多いが、それでも半数に満たなかった。内閣不支持の人でも、そのうち52%は新党が対抗できる勢力に「ならない」としている。

中道改革連合の斉藤鉄夫共同代表は25日、東京都内で産経新聞の単独インタビューに応じ、立憲民主党と公明党による中道結成の意義について「健全な中道の塊があることが、日本の政治にとって大切だ」と強調した。平成6年に非自民の勢力が結集した新進党に触れ、「第二新進党を作るつもりはない」と説明。今後の政界の状況次第では「中道の塊が政権を担うかもしれないし、自民と連立を組むこともあるかもしれない」と語った。

しかし、急造の体制やイデオロギーの不一致から、与野党問わず「野合の衆」といった厳しい評価や「看板の付け替え」という批判の声が上がっている。立憲と公明が「右にも左にも傾かない」中道を掲げ、生活者視点や平和主義を掲げて結成したが、与党・自民党からは「選挙のための互助会」、一部野党からは「背骨の政策が違う」といった批判が相次いでいおり「野合の衆」的な組織であることは否めない。特に安全保障政策や沖縄の辺野古移設問題などにおいて、両党の基盤(支持団体)の考え方に乖離があるため、政策実現力に疑問符が打たれている。ましてや、昨日まで「憲法は違憲だ」と言っていた者達が、一夜にして「憲法は合憲だ」と中道が掲げる基本理念に沿う訴えをするリベラル議員たちを本当に信じられるのか。もっと言うなれば、今まで、リベラル的な主張に賛同してきた有権者に対し、どう説明するのか。そして応援してきたその有権者たちに失礼ではないか。
こうした背景も鑑みると、異なる理念を持つ者同士が集まったことによる「野合」は、政権を担う覚悟はあるのか、甚だ疑問であるし、信用できないのが私の結論である。

産経新聞の阿比留瑠比記者が1月27日付産経新聞に書いた記事が「我が意を得たり」だったので、以下、紹介させていただきたい。

「まるで民主党時代の鳩山由紀夫元首相を彷彿とさせるごまかしようではないか。26日の日本記者クラブ主催の討論会で、中道改革連合の野田佳彦共同代表は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設問題に対する党のスタンスを日本維新の会の藤田文武共同代表に問われ、こう答えた。
『日米同盟は安全保障の基軸であることはゆるがせにできない。この点を総合的に踏まえて現実的に対応していきたい』
政治家が『総合的』という場合は、主に具体的な説明ができない時である。野田氏は24日のインターネット放送『ニコニコ生放送』でも辺野古への移設に賛否を明らかにせず、25日のフジテレビ番組ではこう語った。
『早急に選挙が終わった後に結論を出したい』
自民党の小林鷹之政調会長は25日のNHK番組で、2009年に首相だった鳩山氏がオバマ米大統領(当時)に『プリーズ・トラスト・ミー(私を信頼してほしい)』と言い放ちながら、その後も迷走を続けて新たな移設先を見つけられなかったことに言及し、こう指摘していた。
『やはりあれが蘇(よみがえ)ってくる』
わが国の生存にとって最重要な日米同盟を毀損した民主党政権と、その後裔である立憲民主党が参加した中道の在り方はやはり似通っている。その場しのぎで先延ばしを図ると、移設問題が再び日米関係に悪影響を及ぼすことになろう。
『この数日間、党首討論が行われているが、野田さんがすごく苦しそうなんですよね』
討論会では、れいわ新選組の大石晃子共同代表に同情的な言葉をかけられる場面もあった。とはいえ、衆院選で比較第一党を狙い、政権奪取をうかがう中道が、国の命運を左右する安全保障政策を決められずにいるのを看過はできない。
選挙後に後回しにされたのは、移設問題だけではない。国家の根幹にかかわる皇位の安定的継承の方策に関しても、公明党側は旧宮家の男系男子を養子として皇室に迎える案に賛成する一方、野田氏は女性宮家創設にこだわり、中道の衆院選公約に書けなかった。
大事なことは決められないまま『トラスト・ミー』といわれても、かつての悪夢を思い出すだけである」。
もっともである。

衆議院解散後の高市首相の言葉が頭の中で繰り返される。
「私自身も、内閣総理大臣としての進退をかけます。高市早苗に、国家経営を託していただけるのか。国民の皆様に直接、御判断を頂きたい。(中略)衆議院選挙は政権選択選挙と呼ばれます。自民党と日本維新の会で過半数の議席を賜れましたら、高市総理。そうでなければ、野田総理か、斉藤総理か、別の方か。間接的ですが、国民の皆様に内閣総理大臣を選んでいただくことにもなります」。

民主党政権時の悪夢は絶対に繰り返してはならない。
2026.01.27 14:05 | 固定リンク | その他
高市政権を貶めようとする野党とメディア
2025.11.26
今、高市政権になってからの国会答弁が面白い。野党の質問に対する与党の返しが適格で、国民民主党、参政党の本当に国民の事を考えた、無駄がない質問も多い。国民民主党の榛葉賀津也幹事長は12日、参院予算委員会で、所得税の最低課税基準である「年収の壁」の引き上げや、自動車関連税の見直し、トラックドライバーの待遇改善、拉致問題解決に向けたアメリカとの連携など幅広いテーマで質疑を展開。とくに「年収の壁」の引き上げについて、高市氏から前向きな答弁を引き出すなどの場面もみられた。また参政党の安藤裕参議院議員は14日の参院予算委員会で、消費税を賃上げ妨害税と位置づけ廃止を主張し、身を切る改革はデフレに繋がることと、消費税の本質をわかりやすく伝えてくれた。

しかし、一方では立憲民主党や共産党のくだらない、失言を誘発させようとする見え見えの質問には辟易する。立憲民主党の岡田克也衆議院議員は衆院予算委員会で、外交問題について質問で、「どういう場合に存立危機事態になるというふうにお考えだったんですか」と何度か尋ね、最終的に高市首相が「武力攻撃が発生したら、これは存立危機事態に当たる可能性が高い」と発言していた。岡田議員自ら台湾有事を持ち出し、自らバシー海峡封鎖と場面を限定して更問いし、繰り返し存立危機事態になる場面を述べよと迫っている。岡田議員の質問は、民主党政権時に外相まで務めた政治家の発言とは思えない。その上で、明白になったのは、「曖昧にするな」という質問をしておいて「曖昧にせずけしからん」という立憲民主党の矛盾体質に結局、何を引き出したかったのか。
また、20日、小泉進次郎防衛相らが出席した参議院の外交防衛委員会において、台湾有事をめぐる問題や、防衛費の「透明性」について、共産党・山添拓参院議員と議論を交わす場面があったが、山添氏は質問で政府がGDP比2%まで軍事費を増やす目標や、軍事費がかつてなく急増している状況を踏まえ、説明がきちんとされていないことを指摘。「軍事対軍事の対抗は終わりがなく、むしろ緊張を高め安全保障の悪化を招きます」と述べたうえで、「どこにどれだけの弾薬を持ち、ミサイルを配備するのかその説明だって十分されていません。日本で透明な説明なんて到底されておりません」と小泉氏へ回答を求めたが、小泉氏は、「具体的な自衛隊の運用に関わることを、詳細に明らかにすることは我が国の利益にならない。安全保障の“常識”ではないでしょうか」とバッサリ。さらに「中国はどこにどの武器が配備されているかを、透明性高く言ってるんでしょうか。まったく言っておりません」と続け、「それを踏まえたうえで、それでもなお日本の安全保障環境が厳しくなる中で、適切な抑止力と対処力を強化していく必要性を、透明性高く国民に説明することは重要」と答えていた。まっとうな答えである。どうして、相手に自国の安全保障をさらけ出すような質問をするのか。しかも、共産党側は答えていないと言う。呆れて物も言えない。
これらは、高市政権陣営からの失言を醸し出し、揚げ足を取り、与党を貶めようとする意図が見え見えなのである。

一部のメディアの報道の仕方も問題で、首をかしげることが多い。特に高市早苗首相の台湾有事を巡る発言について。

朝日新聞は当初、11月7日の衆院予算委員会での高市首相の答弁について〈高市首相、台湾有事「存立危機事態になりうる」認定なら武力行使も〉との見出しで速報した。これに反応したのが中国の駐大阪総領事・薛剣(せつけん)氏。11月8日にXで〈勝手に突っ込んできたその汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない。覚悟が出来ているのか〉と「殺害予告」投稿をした。ところが、薛剣氏が引用したはずの朝日新聞デジタル版は〈認定なら武力行使も〉が〈武力行使の発生時〉に見出しが変わっていた。元エース記者でキヤノン戦略研究所上席研究員の峯村健司氏がこれを問題視し、「かなり深刻な『訂正』かと」と批判し、「これはダメだろ」と一刀両断した。しらっと見出しを変える朝日新聞。

また、中国政府が高市早苗首相の台湾有事を巡る発言への批判や経済的威圧を強めているが、共産党支配の専制国家の本性をさらけだすものであり、中国政府は首相発言の撤回要求や経済的威圧をやめるべきであると考える。さらに、中国政府は日本産水産物の輸入を再停止したこと、自国民へ日本渡航の自粛も求めたが、中国外務省報道官は高市首相の発言が「中国民衆の強い怒りを招いた」とし「日本の水産品を中国に輸出しても市場はないだろう」と言い放ったことについて、小野田紀美経済安全保障担当相が「何か気に入らないことがあったらすぐに経済的威圧をしてくるところに依存しすぎることはリスクがある」と述べたのは当然であり、今の対中経済関係、交流は見直さざるをえないし、中国依存の経済体制はもうやめるべきだとも思う。

これらの報道の中で、日本産水産品の輸出で日本が大変だという報道ばかり目にする。中国側も大打撃なのだ。しかも、中国経済は下降線を辿る中で、こうした処置は、中国経済にも大きな損失が生じる。日本のマイナスな情報しか報道せず、一方、中国経済においても損失が大きいことを何故、メディアは報道しないのか。また、中国人によるオーバーツーリズムに不満を募らせる日本人の心情は、行儀の悪い観光客が減ると喜ぶ日本人が多くいることもあまり報道しない。こうした事実を中国政府は知らないのか。小野田経済安全保障担当相が言うように、中国に頼る経済活動はもう考えた方が良い。中国にとって不都合があると、経済的威圧、軍事的威圧をする。そういった悩ましい近隣国なのである。リスクが大きい中国だけに頼る経済活動はもうやめよと、どうしてこうした報道がされないのか。疑義である。

こうした状況だが、高市政権の支持率は下がっていない。
産経新聞とFNNは、高市政権発足から1カ月たった22日と23日の週末に世論調査を実施した結果、内閣の支持率は75.2%で、依然として高い支持率を保っている。
また、毎日新聞は22、23の両日、全国世論調査を実施し、高市早苗内閣の支持率は10月25、26日に行った前回調査と同じ65%。不支持率も23%(前回22%)とほぼ横ばいだった。若年層を中心に高い支持率を維持しているといった報道だ。
読売新聞社が21~23日に実施した全国世論調査では、高市内閣の支持率は72%で、前回緊急調査(10月21~22日)の71%からほぼ横ばい。不支持率は17%(前回18%)。発足直後の調査(1978年発足の大平内閣以降)で高い支持率となった歴代内閣で、翌月の調査時に上昇、または横ばいだった小泉、第2次安倍内閣などと並んで高い水準を保っていると報道した。

建設的な野党があれば、立憲民主党、共産党など、揚げ足取りの、貶めようとしている野党はもう意味がない。というかもう要らないと感じてならない。そして、それらを後押しするかのようなメディアももう懲り懲りである。そんなことを思う昨今である。
2025.11.26 09:22 | 固定リンク | その他
高市政権と反日メディア
2025.10.27
高市早苗政権が誕生した。公明党離脱、日本維新の会との連立など、難産の中での船出ではあるが、心から嬉しく思う。
その中で、10月24日の所信表明演説で、安倍晋三元首相が好んだ言葉を引用して「世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す」と語った。また、安倍氏が提唱した「自由で開かれたインド太平洋」に関し「外交の柱として引き続き力強く推進し、時代に合わせて進化させていく」と訴えた。安倍外交を手本とし、回帰する姿勢を打ち出した。
また、「高市官邸」の人事も象徴的だ。事務方で外交・安保の司令塔となる国家安全保障局長に就いた市川恵一氏。「自由で開かれたインド太平洋」の構想作りに外務省幹部として関わった人物で、今月発令されたばかりのインドネシア大使就任を覆す異例の抜擢人事だ。
さらには、国家安全保障と核軍縮・不拡散問題担当の首相補佐官に、航空自衛隊の北部航空方面隊司令官や補給本部長などを歴任した尾上定正元空将を起用した。これに対し、自民党の長島昭久元首相補佐官は自身のXで「尾上将軍とは、私がワシントンで外交問題評議会の研究員をしていた約30年前に初めてお目にかかり、その戦略的思考に瞠目させられました。高市総理の信頼も厚く、素晴らしい活躍をされることと確信しております」と投稿した。
官邸の要は、安倍政権で国家安全保障担当の首相補佐官を務めた木原稔官房長官。自由民主党、維新の党(2016年3月末解散)、新党改革(2016年7月末解散)の3党と無所属の国会議員などから構成され、現在、自民党議員を中心に約100名の国会議員が参加している創生「日本」の事務局長なども務め、高市首相の絶対的な信頼をおける人物が官房長官を歴任する。その木原氏は24日の記者会見で「安倍氏が掲げた方針をもう一度、日本外交の柱と再認識する」と述べた。
そして、財務相に片山さつき元地方創生担当相を起用したのは注目に値する。片山氏は大蔵省(現財務省)出身で、平成16年に女性初の主計官を務め、自民総裁選では高市氏を推薦人として支えた。現在は、党内きっての積極財政派でもあり、高市新内閣の経済政策重視の姿勢に対する財務相としての手腕を期待する。また、財務官僚たちは片山財務相の後輩にあたる者達が多いはず。財務省幹部やりづらいだろうと思う。
その他にも注目人事は多く、また、政策も石破政権時では考えられないほどに、日本の将来の好転を期待する案件も多い。

しかし、一方では、まだスタートしたばかりの高市早苗内閣に対する反日メディアの反発がすごい。以下、産経新聞の記事を引用させてもらうが、朝日新聞は首相選出翌日の社説で「高市内閣発足急進的な『改革』姿勢への危惧」との見出しで、「外交・安全保障や憲法改正、外国人政策などでタカ派色の強い政策が並んだ。戦後の日本の歩みをさらに大きく転換させようとするもので、強い危惧を抱かざるを得ない」と断じた。いきなり「タカ派」のレッテル張りだ。そして社説は「少数与党となった自民の新総裁に就任した高市氏は、公明党の連立離脱もあり、首相指名を確実にするため、なりふり構わぬ多数派工作に走った」と続く。立憲民主などの野党も「なりふり構わぬ多数派工作」を続けていたことは朝日も記事にしていたはずだが、そんな矛盾もダブルスタンダードもお構いなしだ。要するに対決姿勢満々であり、読者にアピールするようにファイティングポーズを決めているのだろう。憲法改正や防衛、外交、スパイ防止法から外国人政策まで、高市氏が次々と打ち出す政策が反日メディアにことごとく反対されることは想像に難くない。政治資金収支報告書の不記載議員にいつまでも「裏金」のレッテルを張り、野党の不記載についてはほとんど触れないのもその流れだろう。閣内に7人の「裏金議員」がいるとばかりが報道され、その議員の政策や人物などには、ほとんど触れない。
幸いにも高市内閣の支持率は軒並み7割前後となり、岸田文雄、石破茂政権の発足時を大きく上回っている。「少数与党では限界がある」などと政権運営を一見心配するような声もよくあるが、そもそも衆参両院で与党を過半数割れさせたのは高市首相でなく、石破前首相である。この点もメディアはあまり触れたがらない。これが逆の順序であれば、「前政権の負の遺産」などと言っていつまでも尾を引かせたことだろう。要するに、何をしようが、何をやらないでいようが、今後の高市政権は批判されるのだ。「裏金議員」を政府に入れたら「反省がない」と言われるし、入れなくても「見せかけの改革」「派閥に配慮」などと言われるだけだろうから何をしても一緒である。支持率を見ても、国民は明らかに高市政権に期待している。その期待に応えられてしまい、高市氏の「クビ」を取れなかったとなると、反日メディアは今度こそ立ち直れないほどのダメージを受けるだろう。

歴史を遡れば、朝日新聞社は「十月革命」と呼ばれる体制刷新が起きる。昭和20(1945)年10月24日付紙面で「朝日新聞革新/戦争責任明確化/民主主義体制実現/社長、会長以下重役総辞職」と見出しをつけ以下のように伝えた。
「新聞の戦争責任については終戦直後より朝日新聞社内において種々真剣に議論が重ねられて来たが、今般村山社長、上野取締役会長ら本社最高首脳部側も慎重協議の結果、二十二日夜にいたり朝日新聞の戦争責任を明確ならしむるため社長、会長は自発的に社主の地位に退き、全重役は一斉に辞任することに方針を決定した。これとともに社内の民主主義体制を確立するために全従業員の総意を反映する機関を設置することになり、ここに朝日新聞は完全なる脱皮を遂げて、新しき日本の建設過程にあって言論機関が果たすべき重大使命に邁進することになった(後略)」。
朝日新聞は村山長挙社長が退いたあと、社員による役員選出というかたちをとって長谷部忠を社長にしたが、これは一種の組合管理に近いもので、戦後、朝日新聞の研修所長をつとめた本郷美則氏は、「朝日に赤い旗が立った最初」で「占領政策を推し進めたGHQにも革新派がいて、これと呼応して朝日新聞の左傾路線が始まったのである。

戦後、GHQによるWGIP(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)により今日至るまで、いびつな言語空間となっている。GHQは、放送、新聞、雑誌、書籍、映画、演劇、紙芝居等々、あらゆるメディアに対して徹底した検閲を行い、占領政策の目的と実施に不都合な情報や言論はすべて統制され、日本語の言語空間、情報空間が占領に好都合なように執拗に変形されていったのが事実である。その結果、自主検閲となってからの現在も、その反日たらしめる言語空間を継承しているメディアは少なくなく、こうした状況は、朝日新聞だけに限らず、毎日新聞、東京新聞、NHK、テレビ朝日、TBS、共同通信などの日本を貶めようと主張する反日メディアにおける偏向報道が執拗になされているのである。
戦後すぐにつくられた化石のような閉ざされた言語空間の中に、反日マスコミ、オールドメディアはしがみつきながら「自分らは正しい情報を流している」と自己検閲をしながら報道をし続けている。現在は、SNSなどの新しいツールを手に入れた国民は、メディアが放つ報道が本物か偽物かを見極められるようになった。印象操作だけのつじつまの合わない攻撃はもう通用しないし、これでは、国民はなびかない。

メディアは「ある一定の目的を持って報道」する。その「ある一定の目的」とは何か。それを遠くから眺め、客観的に見て、その「ある一定の目的」を見極めることが大切である。言えることは、反日メディアには愛すべき、守るべき「日本」はない。そうしたことを念頭に、これからの高市政権に対する報道を見極め、そして、絶妙に事実に対して、プロパガンダを刷り込んでくる報道、立憲民主党のような日本を貶めようとする反対勢力の言動、行動に着目し、客観的に物事を判断すべきであるのと同時に惑わされない正しい真実でもって考えていくことが必要であると思うのである。

参考資料:産経新聞、『反日メディアの正体』(上島嘉郎著)、『閉ざされた言語空間』(江藤淳著)
2025.10.27 10:01 | 固定リンク | その他
学校教育の在り方への疑問
2025.09.28
「中央教育審議会の作業部会が、デジタル教科書を正式な教科書と位置付ける案を了承した」。

先日、産経新聞に掲載された記事だが、令和12年度から学校の授業で使用される見通しというが、産経新聞にも書いてあったように、子供の学力低下につながらないか、不安を拭えない。

産経新聞によると「パソコンやタブレット端末で表示するデジタル教科書は、紙の教科書に比べて集中力が落ち、記憶に残りにくいという指摘がある。海外では、デジタル教材の推進国が学力低下などを理由に、紙の教材に回帰する動きも出ている」とあり、さらに「教科書は学びの中心だ。デジタル化により基礎基本の読解力などが低下したら本末転倒である。文部科学省は正式な教科書にする前に、学力に及ぼす影響を厳密に検証すべきだ。不安を抱えたまま、デジタル化を急ぐことには反対である」と結論づけている。大きく賛同する。
そして「中教審の作業部会が了承した案は、教科書の形態を、①現行の紙②デジタル③紙とデジタルの組み合わせ(ハイブリッド)の3種類とし、教育委員会が選択できるようにする―というものだ。これを受け、文科省は来年の通常国会で関連法案の改正を目指すという。少し前のめりになっているのではないか。デジタル教科書には英会話を音声で繰り返し聞けたり、算数などで図形を動かせたりして学習意欲を高めるメリットがあるとされる。一方、画面が動くために集中力が途切れたり、視力が低下したりする懸念もある。こうしたデメリットについて、作業部会が十分に検証したとはいいがたい。少なくとも小学校の低学年から導入すべきではないだろう。スウェーデンでは、2010年から教育のデジタル化を積極的に推進してきたが、近年の国際学力調査で成績が低下したことなどを受け、22年から紙の教材を重視する政策に転換した。フィンランドでも一部地域で、デジタル教材を紙に戻す動きがみられる。文科省は関連法を改正する前に、こうした海外の状況も分析し、子供の発達段階をふまえた制度にしてもらいたい。紙とデジタルのバランスも重要だ。全国学力テストを基にした文科省の調査では、家庭の蔵書量が少ないほど成績が低下する傾向があることも分かった。紙で読み書きすることの大切さを忘れてはならない」。(以上、産経新聞より)

知人の小学校教師によると、タブレットによる授業で、その操作のイライラからタブレットを壊す生徒もいるという。また、昨今では、発達障害の生徒や、発達障害のグレーゾーンの生徒も多くなっており、昔と今とでは子供の状態や在り方も変わってきている。私も小学生と毎月100人以上関わっているが、学年にもよるが年々、手間がかかる生徒が増えている。その中で、デジタル教科書がこうした子供たちの成長発展につながるとはとても思えないのである。

英語教育についても異論がある。「小学校の英語は必要ない」という意見は多数あるうちの私もひとり。
2020年度からの学習指導要領で英語が必修化された背景には、グローバル化する社会で「英語がコミュニケーションツールとして重要」であり、「国際理解を促進する」という目的があるためだと言うが、母国語の日本語を十分に学びきらないうちに英語教育をすることに、違和感を覚えてならない。
本当に必要な子供たちは、英会話スクールに通うし、そういう子供たちは多い。ただでさえ、国語の授業時間が減り、書写の授業も減り、ましてや、かきぞめを行わない学校も増えてきている現状において、公的な学校教育では、日本語教育に力を入れるべきであると考える。

この他、英語教育へのデミリットとして、英語の学習ばかりに注力すると、自国の文化や言葉が軽視される可能性を危惧するという意見もある。
小学校での英語学習は、将来を生き抜くための重要なスキルとなる可能性が高いが、すべての子供に同じように適用できるわけではない。家庭の教育方針や子どもの興味関心を考慮し、日本語の習得や文化への配慮も行いながら行うべきで、英語が必要だと考えるならば、海外留学をすべきである。本当に英語をマスターするならば、社会生活の中で常にネイティブ英語に触れなければ本当の意味でマスターすることはできない。

数学者・藤原正彦の著書『祖国とは国語』は、「国家の根幹は国語教育にある」という主張を展開している。著者は、日本の国語教育の衰退が日本社会全体の危機につながっていると警告し、すべての知的活動の基礎となる国語教育を再構築するべきだと説いている。
その主なテーマは、「国語教育絶対論」が本書の中核をなすテーマで、以下の5つの柱で構成されている。
1.国語はすべての知的活動の基礎:数学を含むすべての学習の基盤には、国語の読解力や表現力があると主張する。
2.国語は論理的思考を育む:筋道を立てて考え、表現する力は、国語の学習を通して身につくと論じている。
3.国語は情緒を培う:豊かな言葉に触れることで、繊細な情緒や感情が育まれるとしている。
4.祖国とは国語である:祖国とは単なる血や国土ではなく、文化、伝統、情緒といったものが内包された「言葉」そのものであると定義している。
5.日本再生の鍵:日本の再生にはまず国語教育を立て直すことが不可欠だと訴えかけている。
強く賛同するものである。

教育基本法は、教育の理念を実現するため、教育の在り方として、以下の方針を示している。
1.個人の自己実現の支援:個々の能力や創造性を最大限に伸ばし、自己実現を支援します。
2.文化の創造と発展への貢献:社会の文化を創造し、発展させることに貢献する態度を養います。
3.伝統と文化の尊重と国際社会への貢献:日本と郷土を愛し、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養います。

日本人として育っていくためにも国語教育の在り方を見直し、そしてさらに重視する必要があり、しいては日本の文化伝統の尊重を重んじる日本人の育成が不可欠で、その基礎たるものは小学校教育であると考える。
デジタル教科書、英語教育の件もそうだが、教育の本質と在り方を間違ってはいけない。
2025.09.28 11:55 | 固定リンク | その他

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