私が考える書写、国語教育の意義
2023.01.23
久しぶりの投稿となる。

年末年始、多忙を極め、気が付けば、年を越していた。
改めまして、皆様、今年もよろしくお願いいたします。

私は、この「寺子屋『玉川未来塾』」主催の勉強会やイベント開催の他に、習字教室を営んでいる。そのため、年末は「かきぞめ課題」のお稽古や、学校の冬休みの宿題で出される「かきぞめ」の体験教室を開催するため、一年のうちで一番多忙を極める時期となるが、「PRESIDENT Online」に「なぜ全員同じ字を書かせるのか…冬休み宿題「書き初め」は教育的に問題と言える納得の理由」と題する、公立小学校教員の記事が目に留まった。この現役小学校教員は「書き初めはそれぞれが新年の抱負などを書けばいいのに、学校が課題の文字を決めるのはおかしい。また、仕上げた作品を全員分並べて掲示し、評価することに強い違和感を覚える」という。

「現代における習字の習い事や、書道の価値を否定するものではない」と前提条件をつけてはいるが、以下の理由で違和感を覚えるという。

・「書き初め」は正月二日にするのが習わしであるようだが、本来はめでたい詩歌などを書くので、練習し続けた字を書いて、「校内掲示用」「コンクール提出用」に出すようなものではなく、一律に与えられた課題でもない。上手でも下手でも、心をこめて自分で選んだ新年の抱負などを書き、決意を新たにすればいい。ところが「練習」として正月に書いた時点で、実は既に「書き初め」としての役割を終えている。
・書き初めを学校教育として行うのならば、「清書」は「校内書き初め大会」などの学校教育の場で書いたもののみを認めるべきで、家で書いたものを「清書」として出すのは、コンテスト実施の平等性を欠いている。
・書字に筆と墨を用いない現代において、冬休みに家庭でわざわざ書き初め練習をするという宿題内容自体を問う必要がある。

この小学校教師は、習字教室に真剣に通っている子供を誉め、称えている記述はあるものの、「習字教室に通わず、美しい字を書くことに特にこだわりのない子はどうだろう」と、習字教室に通っていない子供に焦点を当てており、そして「筆者のように習字が苦手な子供たちが、いつもより多少努力したぐらいでは到底及ばない。そして、多くの子供にとって、習字に対して高いモチベーションは、ない」と結論づけ、さらには「好きでもないことは『最低限やる』『とりあえず課題を消化する』という程度しか努力できない」としているのである。
この文章を見て、私は「書写教育における小学校教員の役割って何なのか」と疑問を抱いた。

すると、いきなり、以下の論調が繰り広げられる。
「本当に好き、あるいは目的意識のある人の出す結果とは、比較にならない。つまりは、『書き初め練習100枚』は、現代において改めるべき「冬休みの宿題」の一つである。多様性が認められる今の時代、ここにこれほどいらぬ負荷をかける妥当性はない。繰り返すが、100枚練習すること自体が悪いわけではない。書くことへのモチベーションが高い子供、高みを目指す子供にとっては意味がある。その子供は『100枚書かされる』のではなく、『100枚以上書く』のである。問題は、書かされる子供たちである。家の環境的に、到底それをやれるような状態にない子供もいる。家に書き初め用紙を広げて、集中して何時間も書き続ける、というのは、けっこう手間のかかる作業である」と。
いきなり「書き初め練習100枚書かせられる」と前触れもなく、あたかもそれが何の根拠も示さず、事実のような論調が本文に用いられていたことに、私はますます大きな違和感を抱いた。私が我が習字教室で学校のかきぞめの宿題を教えていて、100枚以上書く生徒さんに出会ったことがない。いったい、どこの小学校で100枚以上書くことを強いているのか。

そして、最後に以下の論調が紹介される。
「そもそも、冬『休み』にわざわざ『宿題』を出してあげようというお節介な親切心からしてそろそろ見直すべきである。正月というのは、本来家族のみんなが休む時である。そのためにお節料理だってある。ただでさえ短い冬休みなのだから、宿題から解放してあげてもよいのではないか。やがて受験生になればこの時期も勉強するしか選択肢がないのだし、休める時には休ませてあげればいい。そして当の受験生にとっては、学校の宿題による親切なぞ「邪魔」にしかならない。目の前の試験など、やるべきことに集中すべき時である。せっかく『師走』の忙しい時期を駆け抜けたのだから、新年ぐらい、ゆったりと構えて迎えたいところである」。
この現役小学校教員は、他の教科も含めた冬休みの宿題全体について疑問を言いたいのか、書写教育の在り方の疑義について言いたいのか、論点が一緒くたになっていて、本当に言いたいことがどちらなのかが分からない。「課題を分離」できていないのではないかと私は感じた。

個人の主張や意見に私が論じる立場でもないし、その人の「一」考え方であるため、そういう考え方もあると思うが、私は異なる考え方を持つ。


平成29年に学習指導要領が改正された。その新学習指導要領では、小学校国語科について「教科の目標」は,次のとおりであるとしている。

「言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
⑴ 日常生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。
⑵ 日常生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を養う。
⑶ 言葉がもつよさを認識するとともに,言語感覚を養い,国語の大切さを自覚し,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う」。

さらには、「国語の大切さを自覚し,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養うことを求めているのは,我が国の歴史の中で育まれてきた国語が,人間としての知的な活動や文化的な活動の中枢をなし,一人一人の自己形成,社会生活の向上,文化の創造と継承などに欠かせないからである。国語の大切さを自覚し,国語に対する関心を高め,話したり聞いたり書いたり読んだりすることが,児童一人一人の言語能力を更に向上させていく。その中で,国語を愛護し,国語を尊重して,国語そのものを一層優れたものに向上させていこうとする意識や態度も育っていくのである」としている。
そして、書写については「各教科等の学習活動や日常生活に生かすことのできる書写の能力を育成することが重要となる。文字のまとまった学習は,小学校入学を期に始まる。文字を書く基礎となる「姿勢」,「筆記具の持ち方」,「点画や一文字の書き方」,「筆順」などの事項から,「文字の集まりの書き方」に関する事項へと,内容を系統的に示している。さらに,文字や文字の集まりの書き方を基礎として,筆記具を選択し効果的に使用するなど、目的や状況に応じて書き方を判断して書くことについて示している」と。

また、習字、書写と書道の違いは何か。
「習字」は文字通りに字を習うことを指し、字の正しい書き順や美しい字の書き方を習う。
「書写」は、文字通り文字を書き写すこと。小・中学校の国語の授業の一部として行われるのが「書写」である。 習字と同様に、誰が見ても綺麗だと思うような正しく整った字を書くことを目指している。
対して「書道」は字を通した自己表現が最大の目的。文字が生み出す美しさを追求することが書道の定義・目的であり、書によって表現される芸術を意味する。

私は「習字」も「書写」も同じ意味合いを持つとして、習字教室を営み、子供や大人に「書」を「お手本」を元に教えている。同じ文字を、生徒部は同じ学年、漢字部は漢字部の文字を段級位に応じて書かせることによって、その書き手の心、子供の心の動きが手に取って知ることができる場合がある。
「字は心をあらわす」というが、同じ学年の子供が、同じ字を書くことで、その子供の持っている特性をそれぞれ知ることができ、見出せるのである。そして、一律に指導すべき点や、その子供の得意不得意を知ることで、それぞれに見合った個別の指導ができるのである。
また、「書道」は日本の文化・伝統である。「書によって表現される芸術を意味する」ものでもあるが、特にひらがなを生んだ先人たちの苦労は計り知れないものであり、我が先祖たちは漢字からひらがなを作り出した素晴らしい民族なのである。そうした誇りも教えようと思えば教えられるであろう。

習字を習いたいという子供たちは増えている。しかし、書道人口は減っているという情報もあるが、それは定かではない。現実には「周りに習字教室がないからあきらめていた」と言う保護者の方が多い。私は、ネット環境、SNSを駆使して、ホームページやYouTubeチャンネルを作成している。「習字教室」などと検索すると検索エンジンに引っ掛かってくれるので、体験やご入会の申し込みをいただく。仕事場では、パソコンなどを使用するが、まだまだ手書きであるものは数多く存在するし、その手書きで書く文字は人柄をあらわす。苦手とか、嫌いと言って諦めるのではなく、「どうしたら上手に書けるのだろう」という考え方を子供たちに教えることも指導者の役割であると私は考えて、日頃、指導しているし、今後もそのようにし続けていきたいと思う。
2023.01.23 18:32 | 固定リンク | その他
安倍元首相の国葬儀における「民意」とは何なのか
2022.09.30
参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の国葬儀が、9月27日午後、東京・北の丸公園の日本武道館で営まれた。首相経験者の国葬は戦後2例目で、昭和42年の吉田茂元首相以来、55年ぶり。国内外から約4200人が参列した。
派手な演出はないが、関係者の真心のこもった儀式であったと感じられた。特に、安倍内閣の官房長官を7年8か月務め、安倍氏を支えた菅義偉前首相の友人代表の弔辞には、心を揺さぶられ、流れる涙を止めることができなかった。

その弔辞の最後で、菅氏は安倍氏が読みかけのままだった政治学者、岡義武氏の著書『山県有朋』の中に書かれてあった、山県有朋の盟友・伊藤博文を偲ぶ歌を「私自身の思いをよく詠んだ一首」として紹介した。

 <かたりあひて 尽くしゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ>

山県は、同じ長州出身の伊藤より3歳年上で、伊藤の2代後の首相を務めた。菅氏は、衆院議員になったのは安倍氏より1期遅かったが年は6歳上で、安倍氏の後に首相を務めた。 自分よりも若い安倍氏に先立たれた悲しみが、気持ちが菅氏の弔辞にあふれていたと心から感じる。

安倍晋三元首相の国葬儀をめぐり、立憲民主党などの野党は国葬の法的根拠が乏しいと主張していた。しかし、政府が平成13年の内閣府設置法の施行前に作成した内部文書に、国葬(国葬儀)を内閣府所掌の「国の儀式」と規定していたことが分かったとの報道があった。岸田文雄首相は「行政権の範囲」と説明しているが、国葬を国の儀式として執り行えるという解釈が、法律の施行段階から維持されていることが明らかである。

国葬儀は、国民の半分以上が反対しているとのマスコミ報道があった。それが民意であると。しかし、実態はどうであったか。
安倍晋三元首相への弔意を示すため、一般献花に訪れた人数は25,589人との発表。かたや国葬反対派が集まったとされる警察発表500人とか。主催者発表は10,000人?15,000人?当日、九段下にいて、自分の目で見た数からして、主催者発表の数字に真実味がない。ネットで拡散されている画像でも確認できるように、現場の人数は1万人を超えるような人数には全く見えない。

また、国葬儀の賛否が分かれたとマスコミは報道した。真実はどうなのか。
私見だが、国葬儀の賛否が分かれたのではない。賛成の声も、反対の声もあった中、反対の声を多く取り上げた悪意のあるマスコミがつくった、偽りの民意なのである。そして、そのように報道をした心無いマスコミの責任なのである。

そもそも、国葬儀反対は国民の半分以上としたアンケート結果とは、誰を対象にしたものなのか。
「文春オンライン」はメルマガ登録者に対してのアンケートと発表しているが、RSK山陽は14日にアンケートを行なったとし、その結果、反対が賛成を大幅に上回り、さらにさまざまな意見も寄せられたとしたが、文春のような対象者を明らかにしていない。
時事通信の8月の世論調査では、「国葬」反対は47・3%で、賛成が30・5%。「政府の閣議決定に支持が広がっていない実態が浮き彫りになった」と報じたが、「世論」とは、誰のことを言うのか。「文春」ほど明確ではない。NHK、JNN、日経、共同通信、他マスコミや地方紙の調査結果も同様である。その背景にある対象者やどういう思想の持ち主なのかなどは不明確だ。

その対象者や思想背景は明らかではないということは、さらに言えば、大半が反日思想の持ち主であるかもしれないという疑問も生まれる。仮にそうだとすれば、そもそも論として、国葬反対と言う民意は、正しくない、異なるということである。

何度でも言うが、国葬儀に関することの民意は、献花をするために足を運んだ長蛇の列が物語っているし、はるかに多くの、全国から献花に訪れ、安倍氏に静かな感謝を示した「サイレントマジョリティー」が民意であったと私は思う。
国葬反対が民意であると報道する悪意あるマスコミは、到底受け入れられないし、そのように報道するテレビを観ようとも私は思わない。その裏付けになるかと思うが、NHK、民放は年々視聴率が下がる一方ではないか。マスコミの責務は客観的な正しい情報を国民に知ら示すことと私は解釈している。そして、我々には「知る権利」もある。しかし、一方的な解釈で「報道しない自由」を主張するマスコミもあるが、そういうマスコミは信用に値しないし、信じる余地もないというのが私の考えである。

菅義偉前首相の弔辞の内容は、安倍氏と7年8か月もの間、苦楽をともにした、菅氏ならではの内容であったが、その中で、以下の言葉があった。

「総理、あなたは、今日よりも明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。
そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。
ーこれが、あなたの口癖でした。
次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと」。

私事で恐縮だが、私は寺子屋「玉川未来塾」という小さな私塾を開き、毎月の勉強会や年に数回のイベントを行っている。それは、次代を担う若者たちが、今まで学んできたことと違う何かを感じてもらえるならば、そして、学びを深めていくためのヒント、参考になるものがあるならばという私自身の信念に基づいて行っている。学校教育で習うことができない正しい歴史観、国家観を確立していただきたいとの思いからである。

来る10月23日(日)に靖國神社で開催する「『鳥濱トメさんの特攻隊』トークライブ」もそのひとつ。
今の日本の平和があるのは、先の大戦で命を賭して戦ってくださった先人のお陰様。
日本を、沖縄を護るために、特攻作戦に殉じた特攻隊員の、英霊のお陰であることに、日本国民のどれだけの人達が実感しているのだろうか。
今回のイベントは、現代の我々に日本の将来を託した英霊の、そして、その人たちに関わった者たちの歴史の真実、感動の物語である。その歴史の真実に触れていただきたい、そして、多くの方々に知っていただきたい、そんな思いで開催させていただく。

イベントの詳細や趣旨、申し込み方法など、以下のURLよりご覧いただきたい。
https://www.tamagawa-miraijuku.com/event.html

そして、お越しいただけたら幸いである。

安倍元首相の国葬儀について、反対をし、過激派までをも動員して妨害した左翼リベラル。いくら政治信条が違うとも、亡くなられた人に対する冒涜は筋が違うだろう。静かに故人をお送りすることが日本人としてのモラル、倫理観、精神なのではないのか。こんなことが起こることに、そして、そんな報道しかしないマスコミに憤りを感じるとともに、先の大戦で命を賭して戦ってくださった先人に、英霊に対し、感謝の誠を捧げられない者たちの声だけが発信されているように思えてならない。

国葬儀当日は、私も安倍晋三元首相の遺影の前で、静かに手を合わさせていただいた。
安倍晋三元首相、安らかにお眠りください。
2022.09.30 16:06 | 固定リンク | その他
戦後77年目の夏
2022.08.09
「どうして日本はあの無謀な戦争に突入せざるを得なかったのか」、「日本はそんなにひどいことを周辺諸国に行ってきたのか」。そんな疑問をずーっと描いていた時、「その歴史の真実を知りたい」と思う気持ちが強くなり、学びを深めていった。

1995年、アメリカ政府が政府の機密文書「ヴェノナ文書」を、そして旧ソ連が「リッツキドニー文書」を公開したことで、今まで隠されていた歴史の真実が明らかになり、その結果、大東亜戦争の背景に、「ソ連コミンテルンによる謀略の側面もあった」ことが明らかになった。その後も、ソ連による秘密工作の実態を記したソ連の内部文書「ミトロヒン文書」や、旧ソ連コミンテルンが米国共産党を操り日米対立を煽り、その恐るべき反日プロパガンダ工作の全貌を報じた極秘文書である、日本外務省による「米国共産党調書」などが公になり、今まで、学校教育で習ってきた近現代史とは違う真実があったことに気づかされている。

「こうした真実を多くの方々に知っていただきたい」。

そんな、「思いを形に」すべく、先日、「『欧米で広がる戦勝国史観の見直し』講演会&トークライブ」を開催させていただいた。コロナ禍、そして猛暑であったにもかかわらず、約170人の方々にお越しいただいた。本当に有り難い限りである。心から感謝申し上げる。

当日は評論家の江崎道朗氏、そして麗澤大学准教授のジェイソン・モーガン氏から、大東亜戦争は旧ソ連コミンテルンによる謀略の背景があったとする細かな事実、その真実が欧米をはじめとする世界に広がっていること、そして、日本の味方になってくれる諸外国がいかに多くあるかとの真実をお話しいただいた。また、共産主義の嘘や共産主義と戦っている者が多いことに愕然とする中で、これから日本はどうあるべきか、そして、正しい歴史の真実を広めていくために、どのように動いていったらいいのかをお話しいただいた。
その模様は8月21日(日)まで、アーカイブで配信している。ご希望の方は、文末のメアドにお問い合わせいただくか、「寺子屋『玉川未来塾』」のホームページからお申し込みいただきたい。

先日、人間魚雷「回天」の生き残りの方から、お電話をいただいた。私の主催するイベントにお越しいただくその方は、「戦後10年間、回天の生き残りだったと言うと、戦犯に引っ掛かるので、何も話すな」と上官から言われたと言う。その間、歴史の嘘が広まり、「回天」の生き残りだという戦争体験者が、嘘の証言を拡散している現実に憤りを感じ、今では、語り部として、体験した経験から歴史の真実を伝えていく活動をしていると言う。私が以前、勤めていた職場で主催した「大東亜戦争を語り継ぐ会」はまさしく、戦争体験者が語る歴史の真実を知っていただくために、開催したものであった。戦争体験者がお亡くなりになっていく昨今、こうして、今もなお語っていただく方がいらっしゃることに深く敬意を表したい。

私も少なからず歴史の真実をお伝えすべく活動を行っている中、今年も8月27日(土)に「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントを開催する。「国のために尊い命をささげた先人を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をして、そして遊就館を見学することによって今日の学校教育とは違った視点から歴史を学ぶ」ことを目的に、今回で7回目の開催となる。歴史は日本という国の「国づくり」の歩みであり、私達は先人の尊い、膨大な数の「命のバトン」を受け継いで、今ここに生きていることを認識すべきだと考えるのである。

靖國神社は明治2年に東京招魂社として創建され、明治12年に現在の名称になった。幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の霊がまつられており、うち213万人が大東亜戦争の死者の霊である。

正論創刊30年記念臨時増刊「靖国と日本人の心」の中で、中西輝政京都大学名誉教授が「靖国神社と日本人の精神」との題で論文を掲載している。
その中で民俗学者の柳田国男氏の「先祖の話」に触れ、以下のように記している。

「独身のまま国に命を捧げた兵士たち(中略)のことを国は放置し得るのであろうか。すでに昭和20年4月に柳田国男が『先祖の話』という本の中でこのことの深刻な意味を指摘している。この人たちは子供を残さないまま亡くなった、つまり祀ってくれる子孫を残さないまま殉じているのである。また日本が将来再び国家存立の危機に陥ったとき、自己を犠牲にしてでも立ち上がろうとする者の現出を願うならば、国は彼らを放置しておけないはずである。国家と国民の安全を守るため特別に危険な任務に就いてくれる人々には、最大限の敬意を払うことが国として伝統あるいは責務として確立しているべきなのである。靖国神社を国のために命を捧げた人々のための、つまり戦没者慰霊の中心施設として今後も長く護り抜くことは、国家安全保障政策上の第一級の重要課題でもあるのだ」。

そして、さらに以下のように続く。

「そして何よりも、国のために力を尽くし、命を捧げた人々を感謝の心をもって崇め、子々孫々、『私たちを見守ってください、日本を守ってください』という素直な気持ちで頭を垂れることができる、そういう場所がいままでこの国に残されてきたことは、何にも代え難い日本の財産なのである。家族や郷士、そして国のために人間が尽くす自己犠牲の尊さ、そういう精神を日本人がもう一度取り戻し、若い世代に継承していくためにも、靖国神社ほど大切な存在はないということに、今こそ日本人は気づくときなのである」。

十年以上も前の論文であるが、今でもなお通ずる内容である。

今日の平和があるのは間違いなく、先の大戦で命を賭して戦ってくれた英霊のお陰様。そして、沖縄戦での特攻作戦による尊い犠牲こそが、日本の存亡の危機から救ったという事実を記憶し続けていかなくてはならないことの大切さ、そして、「戦前と戦後を通じる『日本人の心』の連続性の証としての靖國神社の意義を後世に残していくべきだと思うのである。

そういう意味でも、先述した「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントを今年も8月27日(土)に開催する。英霊に対し感謝の誠を捧げ、参加者一同、本殿にて昇殿参拝をさせていただき、「ありがとうございます」とお伝えする。また、靖國神社職員による講演「英霊と靖國神社」で、講師の経験の上にある深い話に心を寄せ、より一層、英霊への感謝を深めていただきたいと思う。

今更ながらではあるが、今一度、今日命あるありがたみを感じていきたい。

今年も変わらず戦後77年目の夏を迎える。いつものことであるが、私は心静かに靖國神社を参拝し、英霊に感謝の誠を捧げたい。
2022.08.09 10:08 | 固定リンク | その他
「沖縄戦」と「沖縄県祖国復帰50年」
2022.06.13
昭和47(1972)年5月15日は「沖縄県祖国復帰の日」である。そして、今年はその50年を祈念する節目の年であり、沖縄を護るために命を賭して戦った先人の生き様、特攻作戦の実態や背景を振り替えるため、私は5月14日から15日まで沖縄県へ。ジャーナリストの三荻祥さんと一緒に南部戦跡を巡った。波上宮~沖縄県護国神社~旧海軍司令部壕跡~白梅の塔~沖縄師範健児の塔~東京の塔~魂魄の塔~国立沖縄戦歿者墓苑~平和祈念公園~島守の塔~黎明の塔などの摩文仁の丘へ・・・戦跡巡拝。16日から17日まで、沖縄を救うべく特攻作戦の基地があった鹿児島県の知覧、万世、鹿屋を訪れ、各特攻平和会館をはじめ、知覧のホタル館では鳥濱トメさんの曾孫・鳥濱拳大さんからお話を伺った。そして、拳大さんにご案内いただき、戦跡巡拝。三角兵舎跡や最後の杯を交わした戦闘指揮所跡、戦闘機を隠した掩体壕、そして、滑走路跡や沖縄へと向かう戦闘機の開聞岳へ向かう航路など、お話を聞くにつれ、どれも心に迫るものばかり。今日の平和な日本があるのは、先の大戦で戦ってくれた先人のお陰様。沖縄を護るため、命を賭して戦ってくれた先人に感謝の誠を捧げて参りました。

沖縄戦では、沖縄の慶良間諸島に米軍が上陸した昭和20年3月26日から、日本軍司令官牛島満中将らが自決した、沖縄本島での組織的戦闘が終結する6月23日まで、日本軍将兵と県民約18万8千人が亡くなった。

圧倒的兵力の米軍に、沖縄守備の日本軍は激しく抵抗し、神風特攻隊、陸軍特攻隊、人間魚雷回天、戦艦大和の特攻作戦、首里を巡る攻防と多大な住民の犠牲、学童疎開対馬丸の遭難、そして、県内の鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊など男女の中等学校生らも動員され、多くの若い命が散った。沖縄戦のこの語りきれない犠牲こそが、日本の存亡の危機から救ったという事実を心して記憶し続けていかなければならない。

特攻作戦が開始されたのは、昭和19年10月。沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間列島に上陸した昭和20年3月26日から始った。

特攻作戦とは、「特別攻撃作戦」の意味で、他の戦闘と根本的に違う点が「必ず死ぬこと」が定められた作戦であるということだ。重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈めるという『必死』条件の作戦であった。

特攻作戦は、鹿児島県の知覧基地を始め、万世、鹿屋、または、宮崎県の都城など九州の各地、そして当時日本が統治していた台湾など多くの基地から出撃している。
特攻隊戦没者慰霊顕彰会によると、特攻作戦での戦死者は海軍2,531名、陸軍1,417名、計3,948名にものぼり、その中でも、知覧基地が本土最南端だったということもあり、439名と最も多く特攻作戦で戦死している。

1945年6月、沖縄の地下に掘られた洞穴で自決した、海軍司令官の大田實海軍中将の自決直前に海軍次官にあてた電文の全文を読んだ方はどれくらいいらっしゃるであろうか。
沖縄戦の惨状と沖縄県民の献身をつづり、「後世特別の配慮を」と訴えている。その全文を記したい。

大田實司令官が出した電文
(旧海軍司令部壕ホームページより)
《原文》
062016番電
 発 沖縄根拠地隊司令官
 宛 海軍次官
 左ノ電■■次官ニ御通報方取計ヲ得度
 沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ 県ニハ既ニ通信力ナク 三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付 本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ 現状ヲ看過スルニ忍ビズ 之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
 沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来 陸海軍方面 防衛戦闘ニ専念シ 県民ニ関シテハ 殆ド 顧ミルニ 暇ナカリキ
 然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ 県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ 残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ 僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難 尚砲爆撃下■■■風雨ニ曝サレツツ 乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ
 而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ 看護婦烹炊婦ハモトヨリ 砲弾運ビ 挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ
 所詮 敵来リナバ老人子供ハ殺サレルベク 婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
 看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ 衛生兵既ニ出発シ身寄リ無キ重傷者ヲ助ケテ■■ 真面目ニテ一時ノ感情ニ駆ラレタルモノトハ思ハレズ
 更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ 自給自足 夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者 黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来 終止一貫
 勤労奉仕 物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ■■ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只管日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ 遂ニ■■■■与ヘ■コトナクシテ 本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形■■■■■■
 一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ
 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ
(■は判読できず)

この大田中将の電文に戦後、最も早く心を動かされた政治家がいた。苦学して師範学校の教諭となるも教鞭を銃に持ち替え戦地へ。多くの友人知人を失い、失意のうちに帰国。しかし、亡くなった者たちのために故国日本を復興させようとの一念で政治家となった、鹿児島三区選出の故山中貞則衆議院議員。

佐藤栄作大蔵大臣(当時)の政策秘書を務めた山中氏は、佐藤氏が昭和39年11月に首相に就任すると、沖縄への訪問を直談判。そして、現職首相の初の沖縄訪問は昭和40年8月19日についに実現した。その際、佐藤首相(当時)は「沖縄の祖国復帰は実現しない限り、日本の戦後は終わらない」という歴史に残る名言をもって演説をしたのだ。
その後、昭和46年6月に「沖縄返還協定」は調印されるが、11月に批准に向けて沖縄だけでなく東京でも祖国復帰反対の工作活動が動き出す。しかし、沖縄返還協定は11月24日に衆議院本会議で強行採決により、批准され、そして、佐藤首相沖縄訪問から7年後の昭和47年5月15日に沖縄県の祖国復帰の悲願が果たされるのである。
こうした背景の中、祖国復帰がなされ、今日に至っている。そして、先人の尊い犠牲の上に今日の平和があることを、忘れてはならない。

世界に目を向けると、東欧ではロシアがウクライナに武力侵略を開始してから早くも4か月にもなろうとしているが、そこから見えてくるものはプロパガンダによる情報工作が、国の内外の勢力から巧妙に仕掛けられているということ。
そして、日本を取り巻く環境に目を向けると、中国は台湾及び沖縄の尖閣諸島を「中国国有の領土」と公言して憚らず、侵略の意図を剝き出しにしている。
また、北朝鮮は挑発的なミサイル発射を繰り返し、核実験の可能性も示唆されている。

自由民主党政務調査会安全保障調査会では「新たな国家安全保障戦略等の策定に向けた提言~より深刻化する国際情勢下におけるわが国及び国際社会の平和と安全を確保するための防衛力の抜本的強化の実現に向けて~」を発表した。そこには「かつてない厳しい安全保障環境に立ち向かうためには、わが国自身の防衛力の抜本的強化や価値観を共有する国々との協力などを通じて、必要な抑止力及び対処力を強化する必要があります。安全保障調査会では、昨年12月以来、計19回にわたって議論を行い、今般、提言を取りまとめました。本提言が、新たに策定される国家安全保障戦略等に着実に反映されるよう、政府に求めてまいります」としている。

また、「防衛省が新たに陸海空自衛隊の部隊運用を一元的に指揮する統合司令官と、これを支える統合司令部を創設する方針を固め、組織形態や設置場所などの本格的な検討に入ったことが、政府関係者への取材で分かった」と報道された。「中国の海洋進出が強まり台湾有事が懸念される情勢や、宇宙・サイバー・電磁波の安全保障の新領域への対応を念頭に、部隊運用に専念するポストを新設して機動力を高める必要性があると判断した」とある。
こうして、安全保障環境が前に進んでいく事、しかも歴史的にも仲が悪い陸海空を統括する「統合司令官と、これを支える統合司令部を創設する方針を固め」たことは意義深いことである。
そして、誰が「統合司令官」になるかも、とても重要である。

「自分さえ良ければすべてよし」のロシア、「海洋進出を続け、尖閣を我がものにしようとたくらんでいる」中国、そして、「ミサイルをひたすら打ち続け、核をも辞さないと脅している」北朝鮮など、我が国の周辺国は、何をするかわからない不貞な国々が集まっている。我が国を取り巻く安全保障環境に対し、日本の安全保障環境の整備は待ったなしである中、「自国を護る気概」を先人から学び、一日も早い安全保障整備の実現化を図るべく、政権与党の動向に注視していきたい。それには参議院選挙はとても重要な選挙であるということは言うまでもない。そして、日本の安全保障問題に対し、明確な指針を打ち出している政党はどこなのか。私の焦点はそこにある。
2022.06.13 16:12 | 固定リンク | その他
敵の分断工作に嵌ってはいけない
2022.04.30
ロシアによるウクライナ侵略をめぐる情報戦に、我々は日々翻弄されているが、何が正しくて何が間違っているのか、一見分からない報道や情報がある。

その中で「挑発したのはウクライナ」とか「ロシアにも正義がある」などと論じる保守系の識者も少なくない。また、「ウクライナだって悪いことをしているではないか」と言う者もいる。しかし、この視点は果たして正しいのか。私は疑問である。多様化された情報ソースに振り回されるのではなく、ことの本質は何であるのかを見極めなければならないと考える。

評論家の江崎道朗氏は月刊正論6月号(4月30日発売)で次のような指摘をしている。
「アンヌ・モレリというベルギーの歴史学者が『戦争プロパガンダ10の法則』(草思社文庫)という本の中で、戦争プロパガンダには以下のような法則があると指摘している。
①我々は戦争をしたくない。
②しかし敵側が一方的に戦争を望んだ。
③敵の指導者は悪魔のような人間だ。
④われわれは領土や覇権のためでなく、偉大な使命のために戦う。
⑤われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為に及んでいる。
⑥敵は卑劣な兵器や戦略を用いている。
⑦われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は絶大。
⑧芸術家や知識人も正義の戦いを支持している。
⑨われわれの大義は神聖なものである。
⑩この正義に疑問を投げかけるものは裏切りものである。
要は「戦争にプロパガンダはつきものだということだ」として、プーチンに対し「侵略を
始めたプーチン大統領の言い分もまさにこの法則通りだ」としている。そして、「この議論を正当化すべくロシア政府は虐殺の映像まで作成」していたとし、「このことを暴いたのが米軍情報機関だ」という。

米CNNは「ロシアのプーチン大統領は今回のウクライナ侵攻を『ネオナチ』の手からロシア語話者を守る『特別作戦』と位置づけた」としているが、この内容は、江崎氏の指摘に合致している。「プーチンは悪くない!ウクライナ政府とDS(ディープステート=世界を操る影の政府)腐ってる」や「ロシアはウクライナで米国のディープステートが資金提供した生物学研究所を爆撃しました。既存のマスメディアが言っていることを信じないでください!」といった内容もSNS上に見受けられるが、これも同様であり、真実であるかどうかは疑問である。

我々が今回のウクライナ情勢で見逃してはいけない部分は、「どの国が侵略され、どの国の『国民の命』が奪われているのか」という「事実」に着目し、「独立国が、力による現状変更によって、主権が奪われることは絶対に許されるべきものではない」ということである。そして、これは、日本も他人事ではなく、肝に銘じておかなければならない。中国の脅威が迫っているからである。

「ロシアが勝った後のヨーロッパは一体どうなるのか。それを見ている中国はアジアで何をするのか」を客観的に見ていかなくてはいけない。

「ロシアが勝った後のヨーロッパは一体どうなるのか」。戦後築き上げてきた世界秩序は崩れるであろう。
「それを見ている中国はアジアで何をするのか」。台湾、尖閣諸島へと間違いなく侵略してくるであろう。

だから、このロシアによるウクライナ侵略は絶対に許してはならないし、ロシアを勝たせてはならないのである。

先日、ウクライナ政府が昭和天皇を、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラー、イタリアのファシズム指導者ムソリーニと同列に扱った動画をツイッターに投稿し、日本政府の抗議を受けて問題の部分を削除していたことが分かったという報道があった。そして、ウクライナ政府は外交ルートを通じて謝罪の意を表明し、ツイッターにも「誤りを真摯におわびする。親切な日本の人々の気分を害する意図はなかった」と記した。

当然、昭和天皇をヒトラー、ムソリーニと同列に扱うのは甚だ遺憾であるのと同時に、侮辱的なことであるが、しかし、条件反射で「けしからん!」と言うだけでなく、少し冷静にみる必要がある。と言うのも、日本はイタリアのファシズムやナチス・ドイツと日独伊三国同盟を結んだのは歴史的には事実であり、日本の保守派で「ナチス・ドイツと組むべきではなかった」と明確に言っている人は多くないからである。

欧米の情報を鵜呑みにするのも危険ではないかとの指摘もある。しかし、「全体主義国家」であるロシアと「自由主義陣営」である欧米とを同列視するのも、いかがなものかとも思う。

我々は日本の国益を守るために、今回のロシアによるウクライナ侵略によって、何を学び、何を考え、そしてどのように行動すべきなのか。敵の分断工作に嵌るのではなく、客観的な視点で、冷静に、物事を分析するべきだとつくづく感じる次第である。
2022.04.30 18:35 | 固定リンク | その他

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