天に召される貴方へ
2025.04.14
故小島新一様

謹んで、天に召される貴方へ、心より感謝の言葉を述べたいと思います。

2009年11月に販売局から正論調査室へ異動となり、2016年7月まで、貴方と一緒の部署でお仕事をさせていただきました。その時、今までの部署とは違う、より日本の将来を憂う思いの熱い人達が集まっている部署に配属されたという強いカルチャーショックを受けたことを思い出します。貴方もそう思った人の中の一人でした。

今から十一年前。当時、靖国神社に取材に行かない産経新聞の話を聞き、逆に朝日新聞が靖国神社を頻繁に取材する現状に「こんなことがあってはならないでしょう」との思いと、翌年に終戦70年を迎えるにあたり、戦前戦中当時の曲折、偽りのない正しい歴史の真実話を伝えられる元軍人の方の話を直に聞けるのも最後の年かもしれないという危機感から、土光杯弁論大会と正論大賞贈呈式を主な仕事としていた自分は、「我が部署で戦後70年に向けてふさわしいイベントを行おう」と考え、「大東亜戦争を語り継ぐ会」の企画を思い付き、その話を夜中、編集作業に追われていた貴方に相談させていただきましたね。「ぜひ、やりましょう」と貴方は二つ返事でした。しかし、予算も無く、来場者収入で運営していかなくてはいけないことなどを話すと、その内容を誌面で紹介するといったことで、貴方は協力をしていただきました。私は、貴方のその男気に私は惚れました。「大東亜戦争を語り継ぐ会」の内容を誌面化することを良しとしてくれたこと、本当に感謝でした。このイベントを開催するにあたり、当時の室長から「赤字になるなら駄目だ!」と言われ、「編集とのタイアップ企画です」と言い切れたのも、貴方のおかげでしたし、後押しをしてくれたお陰でもありました。そのイベントが21回も開催できたことは、本当に有り難かったと同時に、貴方の熱い思いに感銘を受けたからこそやり続けられたのです。強い信念を持った貴方は、やるといったらやり通す気概に私は当時、惹かれていった記憶を思い起こします。

別冊正論15号「中国共産党 野望と謀略の90年ー『日本=侵略国家』論との決別」、18号「日中国交40年 汚辱と配信の系譜」を編纂した貴方は、秘話や封印されたその貴重な資料を紹介したその内容や、そのラインナップの素晴らしさに驚嘆したものでした。また、朝日新聞の偏向報道を特集した号は劇売れし、月刊正論史上初めて重版し、書店展開した際も、私のこの提案も快く受け入れてくれましたね。この結果は、誌上初めて実売率が100%近くになった号で、その重版した決断は良かったと思ったのも、貴方の協力と理解があったからでした。

その後、大阪に異動が決まり、大阪に赴任してからも、「大東亜戦争を語り継ぐ会」には携わっていただき、東京だけでなく大阪でもこのイベントを行った際には、多分にご協力をいただきましたこと、心から感謝申し上げます。特に、スポンサーになっていただいた社長に部下がしでかした不始末の処理のため、私は、その翌日、始発の新幹線で行ったにも関わらず、貴方は一緒に同行してくださいましたね。そして、その社長に一緒に頭を下げていただきました。どんなにか理不尽なことかと思ったことでしょうと、私は心の中で申し訳ない気持ちに駆られ、そして感謝を申し上げ、貴方はその後、その社長とのパイプ役を担っていただいたことは、本当に感謝しても仕切れない程のことでした。

その後、私は鬱になり、退職した私を慰労したいと、大阪から東京にまで足を運んでいただきましたね。その時、私はまだ完全には快復してはいなかったため、あまり楽しい話もできなかったかもしれませんでしたが、貴方のその思いは、有り難かったし、嬉しかったです。

体も快復し、個人事業主として活動する際、何をベースにするべきか考えた時、メインの習字教室の運営以外に、次世代のリーダー、次代を担う若者たちの育成、正しい歴史観・国家観を継承していくために活動する「寺子屋『玉川未来塾』」を立ち上げたのも、貴方から受けた影響が大きかったからです。貴方が大阪でおこなっていた次代を担う若者たちへの研修会の見学も快く受け入れてくださったこと、本当にありがとうございました。

貴方の思いを引き継ぐなんていう烏滸がましいことは言えませんが、日本の将来を憂う気持ちは貴方と同じです。したがって、自分の体が続くまで、寺子屋「玉川未来塾」の活動は継続していくことを貴方に誓いたいと思います。

貴方は人気者でしたから、多くの人に惜しまれる存在かと思いますが、私もそう思う者の一人です。そんな貴方を慕う端くれの一人ではありますが、天国から私の活動を見守り、見えない力を注いでいただき、影で支えていただけましたら幸いです。
長い闘病生活、お疲れ様でした。「仕事をしていないといらぬ余計なことを考えてしまう」と言って、闘病生活を続けながら、仕事をすることも選び、最後まで日本のことを憂いていらっしゃいましたね。最前線で歩み続けてこられましたから、お疲れになったことでしょう。どうぞ安らかにおやすみください。そしてまた会う日まで。さようなら。

貴方を心から尊敬する玉川博一より
2025.04.14 13:52 | 固定リンク | その他
終戦80年に向けて⑩~沖縄戦から80年に想う
2025.03.25
今から80年前の3月26日、米軍のA.D. ブルース少将の率いる米第77歩兵師団が、午前8時4分、慶良間諸島の阿嘉島に上陸し、沖縄戦が始まった。
そして、沖縄県石垣島出身の伊舎堂用久大尉率いる「誠第十七飛行隊」に沖縄特攻作戦の先人として出撃を命じ、十機全機が米機動部隊に突入し、散華した。

伊舎堂大尉の特攻後、沖縄戦が激化するに従って、昭和20年4月6日、菊水作戦第一号が発令され、本格的に航空戦の大半を敵艦船への体当たり戦法に投入した。この菊水作戦は一号作戦から6月22日の十号作戦まで続いた。
昭和19年10月、フィリピン・マバラカット基地で海軍による神風特別攻撃隊が結成された際、大西瀧治郎中将が自ら「統率の外道」と称した「必死」の特攻作戦が沖縄戦で正式な作戦として展開されることになったのだ。特攻隊員の戦死者は、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によると、海軍が4,146人、陸軍が2,225人の計6,371人に上る(ただし、資料によっては人数に差異があり、戦死者数は確定されていない)。そして、鹿児島県の知覧基地を始め、九州各地、また、当時日本が統治していた台湾など、多くの基地から出撃したが、本土最南端に基地があった知覧基地は、特攻作戦で439名と最も多く戦死している。

「靖國で会おう」「後に続くを信ず」との想いを胸に、国を親兄弟を恋人を故郷を護ろうと出撃し散華された若者たち。軍上層部への不信感を募らせながらも自らが命を懸けると決心して立ち上がった者もいただろう。「命を懸けてでも約束を守ります」とよく政治家が言うが、特攻隊員の方々の想いを知れば知るほど、そう簡単に「命を懸ける」なんて私は言えない。そして、二度とこんなことがあってはならない。

「特攻は戦後、『軍国主義の象徴』などと批判された。選ばざるを得なかったとはいえ、前途有為の青年の特攻に頼った当時の軍へ批判があるのは当然だろう。現代日本は特攻のような究極の戦術をとらずとも国を守るため、外交、防衛の手立てを講ずる必要がある。
特攻にさらされた米軍は大きな損害を被った。特攻は400隻以上もの米艦や多数の米軍将兵に損害を与え、米軍上層部に深刻な危機感を植え付けたことが戦後の研究で明らかになっている。特攻を『カミカゼ』と呼んだ米軍は、異常な戦術とみなす一方、特攻隊員には敬意を払う米軍人も多かった。特攻は、世界が日本人を強い存在とみなす一因となり、戦後の日本も守ってくれている。特攻に赴いた将兵一人一人にさまざまな思いがあったことを想像するとき、尊敬と悲しみの念が一緒に浮かんでくる。日本は、亡くなった隊員を忘れてはならず、国として顕彰と慰霊を厚くしなければならない」。

上記、産経新聞の記事を引用させてもらったが、終戦80年を迎える今年。昭和から平成、令和と時代が移り、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦地に赴いた元軍人の方々が次々と鬼籍に入られ、戦争体験者、そしてご遺族をも急速に減っている中、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつある。そして、間違った史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の想いを次代へ繋ぐべきなのか。今日の日本の平和は、先祖の尊い犠牲があったからこそ、そのことを我々は忘れてはならないのと同時に、先人の想いを次代へと伝えていく責任があると考えるのである。そして、この活動は、これからも続けていこうと思う。
2025.03.25 14:30 | 固定リンク | その他
心理学のフィルターを通して見える光景
2025.02.25
「価値低減傾向」という言葉をご存じだろうか。
アドラー心理学を学んでいくと出てくるセンテンスである。

「相手を落とすことで、自分は何の努力もせずに『勝つ』」ことを言う。

自分を高めるのではなく、相手を貶めることで勝者になろうとすることで、相手の悪口を言い、秘密を暴露する。悪意を込めて、相手の品位を下げようと企むのである。

この傾向は幼少期によく見られる。親や先生の愛情を奪い合うライバルである兄弟姉妹や友達の問題を、親や先生に告げ口をして、愛を奪おうとする。そして、この試みはしばしばうまくいき、そうしてこの成功に味をしめた人が、大人になってからも利用するようになる。

アルフレッド・アドラーは、この「価値低減傾向」は、相手を貶めることで、自分は何の努力もせずに、勝利を手にしようとする、卑怯で醜い行為で、「この傾向は神経症である」と言っている。

「神経症」…。
神経症とは、精神疾患と言えるほど症状が重篤ではなものの、日常生活に何らかの支障や生きづらさがあるような状態で、この症状がさらに悪化すると、精神疾患になったり、もしくは、犯罪など反社会的な行動に走ったりするとアドラーは考えたのである。

また、アドラーは「目的論」をも唱えている。
人間のあらゆる行動には、必ずその人自身の思いを伴った目的があり、この考え方を「目的論」と呼ぶ。そして、それを決定するのに自らが運命を決定している(「自己決定性」)と言うのである。

上記の「価値低減傾向」も「相手を貶め、自分が勝つ」という「目的」のため、自らの意思で「決定」するのである。
そして、それはアブラハム・マズローが唱える「欲求5段階説」と重ね合わせると、人間の心理が手に取るようにして分かる時がある。

マズローは、人間の欲求について、優先順位を備えたピラミッド型の階層として概念化を行い、それが「欲求5段階説」という考え方である。そして、この階層は、ピラミッドの下にあるものほど根源的で優先されることを意味している。また、人間は1段階目の欲求が満たされると、さらに上層の欲求を満たそうとする。

では、下の階層からいうと

1.生理的欲求
人間の生命維持に必要な活動を求める欲求
・睡眠欲、食欲、排泄欲といった本能的な欲求のこと

2.安全欲求
心身ともに安心して生活できる環境を望む欲求
・経済的に安定する賃金
・精神的なストレスがない環境
・暴力・事故・災害に遭うリスクの低さ
・健康状態の維持
・社会福祉の充実

3.社会的欲求
所属と愛情の欲求
「地域社会や会社、学校などのコミュニティに所属したい」「友人や家族、恋人と関り受容されたい」などの「帰属欲求」「相と所属の欲求」とも呼ばれる

4.承認欲求
他人から自分の才能や存在を認められたいと思う自尊心の欲求
他者から注目や賞賛を求める「低位の欲求」と高度な技能の習得で自身を評価する「高位の欲求」に分かれる

5.自己実現欲求
自己の可能性を実現したい、理想の自分になりたいと願う欲求
・幸せな家庭を築きたい
・仕事で成功をしたい
・趣味に没頭してマイペースに生きたい
など

そして、マズローは、人間は自己成長や自己実現を目指す「主体的な存在」であるとも唱えている。この考え方は、アドラーが唱える「自己決定性」とも同じであろうと考える。

社会情勢やマスコミ報道などの社会の状況を捉えてみるとどのように映り出されるのか。

マスコミ報道は「ある一定の意図をもって発信する」というのが根本にある。そしてそれは「社会や権力を監視する」という発信する側の理屈でもって成り立たせている。その裏にある「ある一定の意図」とは何であるかを、探りながらマスコミ情報を紐解く必要がある。

また、中居正広氏と被害者Ⅹの件も、このアドラー、マズローの考え方をフィルターとして見てみると、どうしてもすっきりしない事柄がある。その会合に行ったのは、どんな理由があれ「目的」と自らの「意思決定」と、そして自分しか分からいであろう「欲求」を満たすためであったのではないか。そして、それは自己責任であったのではないか。しかし、被害に遭われた被害者Ⅹには心からお見舞い申し上げるのだが、世に出ている報道から嚙み砕くと、アドラーが唱える「価値低減傾向」という考え方が当てはまって「言い得て妙」であるのではないかと思ってならない。
誰かを、会社を、何かを貶めて、自らが脚光を浴びるような出来事が、そしてそれが自身の欲求を満たすものであるように映ることが、私には「妙」に見える。

最後にアドラーはこんなことも言っている。
「神経症的な『価値低減傾向』を持つ人の末路は悲惨なものになる。「他人の不幸は蜜の味」という言葉があるが、もしも自分にその傾向があるならば、その行く末の恐ろしさをよくよく思い知らなければならない」。
2025.02.25 07:24 | 固定リンク | その他
終戦80年を迎える今年への想い
2025.01.26
令和7(2025)年二黒土星中宮乙巳の年がスタートした。
今年の「二黒土星」は、努力を重ねることで物事が安定し、しっかりとした基盤を築くことができる一年を表すとのこと。
かたや今年は乙巳の年。
「乙」は五行陰陽説では、「木の陰」を表し、「未だ発展途上の状態」を意味し、「巳」は「火の陰」を表し、「植物が最大限まで成長した状態」を表す。
そして、「乙」と「巳」の関係は「相性(そうじょう)」。順送りに相手を生み出していく陽の関係を意味することから、「乙巳」はこれまでの努力や準備が実を結び始める時期を示唆し、成長と結実の時期となる可能性が高い年となるようだ。
努力の実が結ばれ成長ができるよう、精進を重ねて、邁進して参りたいと思う。
改めまして、本年もよろしくお願いいたします。

さて、終戦から80年を迎える今年は、我が国にとって極めて重要な年になる。戦後生まれの人口が9割を占めると言われる今日、戦争の記憶を次世代にどうつないでいくかということを真剣に考える大切な年となる。

靖国神社のホームページには以下のように綴られている。
「戦後生まれの人口が9割を占めると言われる今日、御祭神を直接ご存じの同世代の方々が極めて少数となる終戦80年という年は、御参拝の属性が変性していく節目として特別な意味をもつ年だと思っております。これまで神社をお支え下さった戦友と御遺族方は、特定の御祭神への『思慕』に基づき御参拝されていたものと拝察します。他方で、戦後世代による御参拝は、国の為に尊い命を捧げた英霊に感謝し尊崇の念を持つという『理念』に基づくものとなりましょう」。

「国の為に尊い命を捧げた英霊に感謝し尊崇の念を持つ」という心を軸に、寺子屋「玉川未来塾」としても、以下のイベントを実施していく。

①「学校では教えない日本人の物語 『島田叡』~戦中最後の沖縄県知事~」講演会
日時:6月29日(日)12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始
場所:靖國神社啓照館(定員:200名)
講師:大向真司氏(キャリアコンサルティングしがくメンバー)
テーマ:「『生きろ!』~沖縄の島守からの伝言」(仮題)(60分予定) ※講演後、遊就館自由拝観

沖縄戦の混乱により県庁が解散するまでの約5ヶ月間、疎開の促進と食糧確保等、沖縄県民の生命保護に尽力。戦争が激化し、摩文仁の丘に追い詰められた際、県庁組織の解散を命じ、ともに死ぬという部下に「命どぅ宝、生きぬけ」と伝え、逃した戦中最後の沖縄県知事「島田叡」の生き様をお伝えする。

②「靖國神社昇殿参拝&終戦80年~これからの日本人へ」トークライブ
日時:7月27日(日) 12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始
場所:靖國神社啓照館(定員:200名)
登壇者:柿崎ゆうじ氏(カートコーポレイトグループ代表取締役会長・映画監督)
特別ゲスト:井上和彦氏(ジャーナリスト)(予定)
ファシリテーター:葛城奈海氏(ジャーナリスト)
テーマ:「終戦80年~これからの日本人へ」(仮題)(100分予定) ※講演後、遊就館自由拝観

戦地に赴いた元軍人の方々が鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなった現在において、戦争を知らない世代は、国民の8割を越え9割を占める今日、間違った史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の思いを次代へ繋ぐべきなのか。次世代へのメッセージを込めたお話を届ける。

③第10回「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベント
日時:8月23日(土) 12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始
場所:靖國神社参集殿(定員:100名)
講師:禰宜 松本聖吾禰宜・総務部長
テーマ:「戦後80年と靖國神社」(仮題)(60分予定) ※講演後、遊就館自由拝観

これまで靖國神社を支えきた戦友と御遺族方は高齢を迎え、遺族会の活動もままならぬ状況を迎えている中、戦争を知らない世代による靖國神社への御参拝は、とても重要な意味を持つものとなる。これからの靖國神社の在り方を含め、国の為に尊い命を捧げた英霊に感謝し尊崇の念を持つという『理念』に基づくものを繋ぐ者たちへの想いをお話する。

戦地に赴いた元軍人の方々が鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなり、戦争を知らない世代は、国民の8割を越え9割を占めるようになった今日、間違った史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の思いを次代へ繋ぐべきなのか、思い悩む昨今である。
しかし、先祖の尊い犠牲があったからこそ、日本の今日の平和があることを忘れてはならないのは当然であるとともに、先人の思いを聞いた世代が次代へと伝えていく責任があると思う次第だ。
そのような思いから、終戦80年を迎える節目の令和7年度も、国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をし、そして8月のイベントでは遊就館を見学することによって今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ること、次代に英霊の思いを繋ぐことを目的に、以下の内容でイベントを実施する。

こうした想いが皆様方に届きますように。そして、お時間が許すならば、ぜひ、参加していただき、想いを共有していただきたいと思う。
2025.01.26 07:05 | 固定リンク | その他
終戦80年に向けて⑨~復興を担った世代の想いを胸に
2024.12.25
12月25日(水)産経WESTで「大東亜戦争を戦い、復興を担った世代が消えていく 来年の戦後80年で感謝の国会決議を」の記事を拝見したので、紹介したい。
※詳しくは以下のURLより。
https://www.sankei.com/article/20241225-4ILNU2KJJBLX7BKPHQ4OCRBM6Y/

「『今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません』
今年の『終戦の日』(8月15日)の全国戦没者追悼式で、岸田文雄首相(当時)が述べた式辞の一節だ。大東亜戦争の戦没者を追悼する行事ではこのように、戦後日本の平和と繁栄は戦没者の尊い犠牲の上に築かれたものであるとし、戦没者に敬意と感謝の念を表することが決まり事のようになっている(「平和」については諸論あろうが、とりあえずおいておく)。

命と引き換えに、親兄弟、妻や恋人たちを、郷土を、そして祖国を守る。そうした至純の思いにあふれた帝国陸海軍の『特別攻撃』(特攻)隊員たちの遺書を読めば、戦没者への敬意や感謝は自然と湧き上がってくる。彼らによって生かされていることが実感され、彼らの分も精いっぱい生きようという思いになる。

特攻隊員たちだけでなく、他の兵士たちの思いも『死への覚悟』があるかどうかは別として、同様に家族や祖国を守りたい、というものだっただろう。

そんな戦没者への感謝や敬意を表することには、なんの異論もない。一方で、何かが抜け落ちているような気がしてならなかったのだが、それが何かに気付いた。戦没者の思いを直接見聞きし、『平和で繁栄した祖国を』という戦没者の願いを実際にかなえた同世代の人たちのことだ。実際に、日本を焼け野原から復興させて世界有数の経済大国にしたのは残された彼らである。

1944年のレイテ沖海戦に参加した元海軍中尉の加藤昇氏=当時(97)=が令和2年に亡くなる前年の講演を聞いたことがある。終戦間際には一時、特攻出撃を待つ身となった加藤氏は『(特攻出撃を控え)隣のベッドで同期が童謡〈ふるさと〉を小さな声で歌っていたのが忘れられない』と振り返り、『出撃する同期から〈後を頼む〉といわれた。私が戦後生まれの皆さんにお願いしたいのは先祖を大事にし、日本を頼むということです』と参加者に語りかけていた。

軍人・兵士にとって、戦友との約束は死ぬまで忘れられないものだった。それが、日本復興の原動力になったのではあるまいか」(中略)。

我々の今日の平和は、こうした尊い犠牲の上に成り立っているにも関わらず、その事実ですら断罪し、そして、「あの戦争は悪いことだ」というレッテルを貼り、論点をそらそうとする議論が多い。確かに戦争は行ってはならないし、私も戦争反対である。しかし、あの時代、命を賭して戦った若者たちがいた事実をないがしろにして良いことではない。
平気で人を殺める犯罪が増えている昨今、また、罪を犯しているにも関わらず、平気で逃走する者がいる、そんな現代社会を憂う今日において、私は、他人を思う気持ちが足りなくなった人が多くなったように感じている。
しかし、あの大戦時、しかも必死の特攻作戦のため、生きたくても生きられなかった人たちがいた。公のために尽くし、家族のため、愛する恋人のために、戦ってくださったその先人たちの思いを感じなければならない。そして、私の中でその思いは、日増しに強くなっている。

私が産経新聞社勤務時代に手掛けた「大東亜戦争を語り継ぐ会」に登壇いただいた元軍人の方々は、皆、鬼籍に入られた。実際に先の大戦を戦った世代が消えつつあるということである。それは、彼らの戦友たちはもちろんのこと、周囲の人たち、戦没者の遺志を継ぎ、戦後を生き残り、復興を実現した人たちも消えつつあるということだ。

先人の思いを繋ぐこと。それは、先人から直に話を聞いた者たちの責務なのではないだろうか。「あとは頼む」と日本の将来を次代に託した先人の想い。そして、私自身、先人の話を直に聞いた者として、先人の想いを伝えていけるよう、来年も尽力したいと思っている。
来年は終戦80年。とても大事な年だと位置づけており、その年に相応しいイベントをまた企画してお届けしたいと思う。

今年も一年、私の拙い内容のブログをご覧いただきました皆様、誠にありがとうございます。心から感謝申し上げます。
ブログは本日で筆納めといたします。
来年も、己の心の思いのまま、綴って参りたいと思います。
また来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
そして、皆様、良いお年をお迎えください。
2024.12.25 08:43 | 固定リンク | その他

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