終戦80年に向けて④~靖國神社をお支えするということ
2024.07.22
今年は特攻作戦から80年、そして、来年は終戦80年を迎える。昭和から平成、令和と時代が移り、戦争体験者が急速に減っている中、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつある。「かつて日本軍は、アジア諸国を侵略し、略奪するなどをして地元の人々に大変つらい思いをさせたことを今でもアジアの諸国民は恨み続けている」と教えられた間違った歴史を今でも信じ、正しい歴史を知らない世代も少なくないのが現状である。
色々な人がいるし、どんな思想を持とうが、それは個人の自由だが、しかし、今日の平和があるのは、間違いなく先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様で、先祖の尊い犠牲があったからこそ、今日の平和があると私は考えている。
戦争で夫を、父親を亡くし、そのために、残された家族はどんな思いをして戦後を生きてきたか。苦労は計り知れないし、戦争を悪とする考え方は当然である。私の亡き父、そして現存の母も同じ思いをして生きてきた世代である。その苦労話は、私も良く聞かされたし、その関係もあり、私自身、昔はリベラル思想の持ち主であった。しかし、1985年以降、大東亜戦争に関する秘密にされた公文書が公開され、そして、今日までに、次々と歴史の真実が明らかにされた。私は、その機会に触れることができ、大東亜戦争が引き起こされた背景には、ソ連コミンテルンなど、日本を米国と戦わせ、日本を貶めようとする者たちがおり、そして、戦争をせざるをえない状況にまで日本を追い詰めた左翼思想の者たちが背後にいたことを知り、「一方的な知識で自己の思想を支配していた」事実に目覚めた。とは言え、当時の日本の指導者たちも良くなかったことも事実ではある。その後、正しい日本の歴史を客観的に見つめることができるようになり、今では、保守の立場で活動をしている。
その活動の中で、毎年、靖國神社を昇殿参拝し、そして、今日の学校教育とは違った視点から歴史を学べる遊就館を見学するイベントを開催している。今年のテーマは「靖國神社と特攻隊」。特攻作戦から80年の今年、勇躍出撃され散華した特攻隊員たちの思いを、我々はどう受け止めて今日を生きていけば良いのだろうか。今の平和があるのは、日本国を、そして家族を、恋人を、故郷を護るために命を賭して戦ってくれた英霊のお陰様。先人に感謝しかないのである。そんな思いを胸に、英霊に感謝の誠を捧げるべく、イベントを開催する。
その内容と詳細、お申し込み方法などは以下のURLよりご覧いただきたい。
https://tamagawa-miraijuku.com/event.html
靖國神社は明治2(1869)年に東京招魂社として創建され、明治12年に現在の名称になり、今年で155年を迎えた。幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の霊がまつられており、うち213万人が大東亜戦争の死者の霊である。その靖國神社をお支えしてきたのは、先の大戦で身内を亡くされた遺族の方々。しかし、元軍人の方々の大半は亡くなり、遺族の方々も少なくなってきた現状の中、これからの靖國神社をお支えするのは誰なのであろうか。
平成元(1989)年に刊行された『靖國神社創立百二十年記念特集』で、当時の松平永芳宮司、森田康之助崇敬者総代、高橋史郎明星大学助教授の鼎談の中で、松平宮司が以下のように語っている。
「私は就任した時から今日までそうなんですけど、靖國神社は政府のお金で維持すべき神社ではなくて、国民総氏子の神社ということでなければ、どうにもならないんじゃないかと考えています。(中略)少額でもいいからできるだけ多くの方々がここの神社を認識されて、ここのお蔭で自分たちの今日があり平和があるんだ、ということを理解していただくのが理想的なんだと考えております」と。
「国民総氏子」という考え方。私はこの考え方に多く賛同をする。遺族の方々だけでなく、国民一人ひとりが「氏子」という思いで靖國神社を参拝し、お支えすることが必要であると思うのである。そのお支えできるためにある「崇敬奉賛会」という制度。当然、私も「靖國神社崇敬奉賛会」の会員である。
靖國神社崇敬奉賛会は、日本を愛してやまなかった英霊の弛まぬ努力と切なる想いを、
いついつまでも伝えていきたいと平成10年12月に設立された。靖國神社を大切に思う人々が会員として集い、「やすくにの心」を伝えるため、公開シンポジウム、勉強会・講演会、青少年健全育成事業、奉賛金奉納式英霊顕彰祭などのさまざまな活動を行っている。崇敬奉賛会の活動の目的は、日本人の「心の拠りどころ」である靖國神社の大切さを伝えていくこと、そして「やすくにの心」で日本をつなぎ、「日本らしさ」、「日本人らしさ」を取り戻すことにある。
来年は終戦80年の節目の年。これを機に、「崇敬奉賛会」の会員でない方は是非、会員となってもらいたいと思う。そして、「国民総氏子」の一人として、靖國神社をお支えするためにともに尽力していきたいと思う次第である。
色々な人がいるし、どんな思想を持とうが、それは個人の自由だが、しかし、今日の平和があるのは、間違いなく先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様で、先祖の尊い犠牲があったからこそ、今日の平和があると私は考えている。
戦争で夫を、父親を亡くし、そのために、残された家族はどんな思いをして戦後を生きてきたか。苦労は計り知れないし、戦争を悪とする考え方は当然である。私の亡き父、そして現存の母も同じ思いをして生きてきた世代である。その苦労話は、私も良く聞かされたし、その関係もあり、私自身、昔はリベラル思想の持ち主であった。しかし、1985年以降、大東亜戦争に関する秘密にされた公文書が公開され、そして、今日までに、次々と歴史の真実が明らかにされた。私は、その機会に触れることができ、大東亜戦争が引き起こされた背景には、ソ連コミンテルンなど、日本を米国と戦わせ、日本を貶めようとする者たちがおり、そして、戦争をせざるをえない状況にまで日本を追い詰めた左翼思想の者たちが背後にいたことを知り、「一方的な知識で自己の思想を支配していた」事実に目覚めた。とは言え、当時の日本の指導者たちも良くなかったことも事実ではある。その後、正しい日本の歴史を客観的に見つめることができるようになり、今では、保守の立場で活動をしている。
その活動の中で、毎年、靖國神社を昇殿参拝し、そして、今日の学校教育とは違った視点から歴史を学べる遊就館を見学するイベントを開催している。今年のテーマは「靖國神社と特攻隊」。特攻作戦から80年の今年、勇躍出撃され散華した特攻隊員たちの思いを、我々はどう受け止めて今日を生きていけば良いのだろうか。今の平和があるのは、日本国を、そして家族を、恋人を、故郷を護るために命を賭して戦ってくれた英霊のお陰様。先人に感謝しかないのである。そんな思いを胸に、英霊に感謝の誠を捧げるべく、イベントを開催する。
その内容と詳細、お申し込み方法などは以下のURLよりご覧いただきたい。
https://tamagawa-miraijuku.com/event.html
靖國神社は明治2(1869)年に東京招魂社として創建され、明治12年に現在の名称になり、今年で155年を迎えた。幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の霊がまつられており、うち213万人が大東亜戦争の死者の霊である。その靖國神社をお支えしてきたのは、先の大戦で身内を亡くされた遺族の方々。しかし、元軍人の方々の大半は亡くなり、遺族の方々も少なくなってきた現状の中、これからの靖國神社をお支えするのは誰なのであろうか。
平成元(1989)年に刊行された『靖國神社創立百二十年記念特集』で、当時の松平永芳宮司、森田康之助崇敬者総代、高橋史郎明星大学助教授の鼎談の中で、松平宮司が以下のように語っている。
「私は就任した時から今日までそうなんですけど、靖國神社は政府のお金で維持すべき神社ではなくて、国民総氏子の神社ということでなければ、どうにもならないんじゃないかと考えています。(中略)少額でもいいからできるだけ多くの方々がここの神社を認識されて、ここのお蔭で自分たちの今日があり平和があるんだ、ということを理解していただくのが理想的なんだと考えております」と。
「国民総氏子」という考え方。私はこの考え方に多く賛同をする。遺族の方々だけでなく、国民一人ひとりが「氏子」という思いで靖國神社を参拝し、お支えすることが必要であると思うのである。そのお支えできるためにある「崇敬奉賛会」という制度。当然、私も「靖國神社崇敬奉賛会」の会員である。
靖國神社崇敬奉賛会は、日本を愛してやまなかった英霊の弛まぬ努力と切なる想いを、
いついつまでも伝えていきたいと平成10年12月に設立された。靖國神社を大切に思う人々が会員として集い、「やすくにの心」を伝えるため、公開シンポジウム、勉強会・講演会、青少年健全育成事業、奉賛金奉納式英霊顕彰祭などのさまざまな活動を行っている。崇敬奉賛会の活動の目的は、日本人の「心の拠りどころ」である靖國神社の大切さを伝えていくこと、そして「やすくにの心」で日本をつなぎ、「日本らしさ」、「日本人らしさ」を取り戻すことにある。
来年は終戦80年の節目の年。これを機に、「崇敬奉賛会」の会員でない方は是非、会員となってもらいたいと思う。そして、「国民総氏子」の一人として、靖國神社をお支えするためにともに尽力していきたいと思う次第である。
終戦80年に向けて③~沖縄戦終結の日に思う
2024.06.23
今日は「沖縄戦終結の日」。
先ずは、沖縄戦で犠牲になられた全ての方々に、そして、沖縄を、日本国を護るために命を賭して沖縄の海に散華された特攻隊の方々に哀悼の誠を捧げたいと思います。
かつて、上皇陛下が皇太子時代、日本人が忘れてはならない4つの日として、沖縄戦終結の日(6月23日)、広島、長崎の原爆の日(8月6日と9日)、終戦の日(8月15日)を挙げ、「沖縄戦終結の日」はその中のひとつである。
開戦以来、進撃を続けていた日本軍は、昭和17年6月にミッドウェー海戦での敗北を境に徐々に後退することとなり、南太平洋上の数々の島嶼にあった基地も奪われることとなった。このため日本軍は、本土防衛の最後の拠点を沖縄とし、昭和19年3月に南西諸島に沖縄防衛のため、第32軍を創設。一方米軍は、本土攻撃の拠点を硫黄島・沖縄と定め、昭和19年10月には沖縄攻略を正式に決め(アイスバーグ作戦)、同年10月10日、まず沖縄本島に大規模な空襲を行なった。
昭和20年3月17日には硫黄島にあった日本軍守備隊が玉砕し、これにより米軍は、太平洋地区にあった全軍の戦力を沖縄攻略に向けて結集することなった。
沖縄戦では、沖縄の慶良間諸島に米軍が上陸した昭和20年3月26日から、日本軍司令官牛島満中将らが自決した沖縄本島での組織的戦闘が終結する6月23日まで、日本軍将兵と県民約18万8千人が亡くなった。
圧倒的兵力の米軍に、沖縄守備の日本軍は激しく抵抗し、神風特攻隊、陸軍特攻隊、人間魚雷回天、戦艦大和の特攻作戦、首里を巡る攻防と多大な住民の犠牲、学童疎開対馬丸の遭難、そして、県内の鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊など男女の中等学校生らも動員され、多くの若い命が散った。沖縄戦のこの語りきれない犠牲こそが、日本の存亡の危機から救ったという事実を心して記憶し続けていかなければならない。
日本国を、そして沖縄を護ろうと特攻作戦が開始されたのは、昭和19年10月。沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間列島に上陸した昭和20年3月26日から始まった。
特攻作戦とは、「特別攻撃作戦」の意味で、他の戦闘と根本的に違う点が「必ず死ぬこと」が定められた作戦であるということだ。重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈めるという『必死』条件の作戦であった。
特攻作戦は、鹿児島県の知覧基地を始め、万世、鹿屋、または、宮崎県の都城など九州の各地、そして当時日本が統治していた台湾など多くの基地から出撃している。
特攻隊戦没者慰霊顕彰会によると、特攻作戦での戦死者は海軍2,531名、陸軍1,417名、計3,948名にものぼり、その中でも、知覧基地が本土最南端だったということもあり、439名と最も多く特攻作戦で戦死している。
1945年6月、沖縄の地下に掘られた洞穴で自決した、海軍司令官の大田實海軍中将の自決直前に海軍次官にあてた電文は、その沖縄戦の惨状と沖縄県民の献身をつづり、「後世特別の配慮を」と訴えている。その全文を記したい。
大田實司令官が出した電文
(旧海軍司令部壕ホームページより)
《原文》
062016番電
発 沖縄根拠地隊司令官
宛 海軍次官
左ノ電■■次官ニ御通報方取計ヲ得度
沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ 県ニハ既ニ通信力ナク 三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付 本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ 現状ヲ看過スルニ忍ビズ 之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来 陸海軍方面 防衛戦闘ニ専念シ 県民ニ関シテハ 殆ド 顧ミルニ 暇ナカリキ
然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ 県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ 残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ 僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難 尚砲爆撃下■■■風雨ニ曝サレツツ 乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ
而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ 看護婦烹炊婦ハモトヨリ 砲弾運ビ 挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ
所詮 敵来リナバ老人子供ハ殺サレルベク 婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ 衛生兵既ニ出発シ身寄リ無キ重傷者ヲ助ケテ■■ 真面目ニテ一時ノ感情ニ駆ラレタルモノトハ思ハレズ
更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ 自給自足 夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者 黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来 終止一貫
勤労奉仕 物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ■■ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只管日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ 遂ニ■■■■与ヘ■コトナクシテ 本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形■■■■■■
一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ
(■は判読できず)
映画「永遠の0」の主人公、宮部久蔵が教官を務めるシーンの中で、「可」を出さない訓練兵のシーンがある。特攻に行かせたくない宮部久蔵の思いに、特攻作戦の方針を確認する会議の中で、上官に反対意見を述べた「美濃部正少佐」が重なった。
「美濃部正少佐」。特攻を拒否しつつ「特攻精神」で戦い抜いた指揮官である。
部下を守り、散華の美学ではなく、夜間攻撃に活路を見出し、最善と信じることを実行した指揮官の覚悟。
特攻作戦の方針を確認する会議の中で、美濃部少佐は上官に以下の反対意見を述べた。
「いまの若い搭乗員のなかに、死を恐れる者は誰もおりません。ただ、一命を賭して国に殉ずるためには、それだけの目的と意義がいります。しかも死にがいのある戦功をたてたいのは当然です。精神力一点張りの空念仏では、心から勇んで発つことはできません。同じ死ぬなら、確算のある手段を講じていただきたい」と。
美濃部少佐は特攻作戦に活路を見出すのではなく、夜間攻撃に活路を見出していた。そして、その美濃部少佐が指揮する「芙蓉部隊」からは一機の特攻機も出させなかった。
美濃部少佐の他にも「特攻反対」を唱えた指揮官がいた。志賀淑雄少佐、岡嶋清熊少佐、野中五郎少佐、石橋輝志少佐。
彼らは「上官の命令は絶対」という厳しい軍隊という世界の中に身を置きながら、思考回路を失くしたロボットのように従うのではなく、冷静に状況を判断し、最善と信じることを、信念を持って発言し、実行した。彼らには「覚悟」が見える。
特攻作戦とは何だったかの。沖縄を護るため、日本国を護るための作戦であったが、それは今の我々に何を問いかけ、何を次代へと引き継げばよいのか。日本人の覚悟とは何なのか。
今年も「靖国神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントを8/24(土)に靖国神社にて開催する。
講師は禰宜の松本聖吾総務部長。講演テーマは「靖国神社と特攻隊」。特攻作戦80年の今年、沖縄を、日本を護るために行ったあの作戦はどんなものだったのか、今一度、噛み締めたいと思う。
今日の日本の平和は、命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様。尊い命の犠牲の上に成り立っている平和を心から有り難く、そして英霊に感謝しなくてはならない。今日は英霊に思いを馳せる一日だった。
先ずは、沖縄戦で犠牲になられた全ての方々に、そして、沖縄を、日本国を護るために命を賭して沖縄の海に散華された特攻隊の方々に哀悼の誠を捧げたいと思います。
かつて、上皇陛下が皇太子時代、日本人が忘れてはならない4つの日として、沖縄戦終結の日(6月23日)、広島、長崎の原爆の日(8月6日と9日)、終戦の日(8月15日)を挙げ、「沖縄戦終結の日」はその中のひとつである。
開戦以来、進撃を続けていた日本軍は、昭和17年6月にミッドウェー海戦での敗北を境に徐々に後退することとなり、南太平洋上の数々の島嶼にあった基地も奪われることとなった。このため日本軍は、本土防衛の最後の拠点を沖縄とし、昭和19年3月に南西諸島に沖縄防衛のため、第32軍を創設。一方米軍は、本土攻撃の拠点を硫黄島・沖縄と定め、昭和19年10月には沖縄攻略を正式に決め(アイスバーグ作戦)、同年10月10日、まず沖縄本島に大規模な空襲を行なった。
昭和20年3月17日には硫黄島にあった日本軍守備隊が玉砕し、これにより米軍は、太平洋地区にあった全軍の戦力を沖縄攻略に向けて結集することなった。
沖縄戦では、沖縄の慶良間諸島に米軍が上陸した昭和20年3月26日から、日本軍司令官牛島満中将らが自決した沖縄本島での組織的戦闘が終結する6月23日まで、日本軍将兵と県民約18万8千人が亡くなった。
圧倒的兵力の米軍に、沖縄守備の日本軍は激しく抵抗し、神風特攻隊、陸軍特攻隊、人間魚雷回天、戦艦大和の特攻作戦、首里を巡る攻防と多大な住民の犠牲、学童疎開対馬丸の遭難、そして、県内の鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊など男女の中等学校生らも動員され、多くの若い命が散った。沖縄戦のこの語りきれない犠牲こそが、日本の存亡の危機から救ったという事実を心して記憶し続けていかなければならない。
日本国を、そして沖縄を護ろうと特攻作戦が開始されたのは、昭和19年10月。沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間列島に上陸した昭和20年3月26日から始まった。
特攻作戦とは、「特別攻撃作戦」の意味で、他の戦闘と根本的に違う点が「必ず死ぬこと」が定められた作戦であるということだ。重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈めるという『必死』条件の作戦であった。
特攻作戦は、鹿児島県の知覧基地を始め、万世、鹿屋、または、宮崎県の都城など九州の各地、そして当時日本が統治していた台湾など多くの基地から出撃している。
特攻隊戦没者慰霊顕彰会によると、特攻作戦での戦死者は海軍2,531名、陸軍1,417名、計3,948名にものぼり、その中でも、知覧基地が本土最南端だったということもあり、439名と最も多く特攻作戦で戦死している。
1945年6月、沖縄の地下に掘られた洞穴で自決した、海軍司令官の大田實海軍中将の自決直前に海軍次官にあてた電文は、その沖縄戦の惨状と沖縄県民の献身をつづり、「後世特別の配慮を」と訴えている。その全文を記したい。
大田實司令官が出した電文
(旧海軍司令部壕ホームページより)
《原文》
062016番電
発 沖縄根拠地隊司令官
宛 海軍次官
左ノ電■■次官ニ御通報方取計ヲ得度
沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ 県ニハ既ニ通信力ナク 三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付 本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ 現状ヲ看過スルニ忍ビズ 之ニ代ツテ緊急御通知申上グ
沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来 陸海軍方面 防衛戦闘ニ専念シ 県民ニ関シテハ 殆ド 顧ミルニ 暇ナカリキ
然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ 県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ 残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ 僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難 尚砲爆撃下■■■風雨ニ曝サレツツ 乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ
而モ若キ婦人ハ率先軍ニ身ヲ捧ゲ 看護婦烹炊婦ハモトヨリ 砲弾運ビ 挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ
所詮 敵来リナバ老人子供ハ殺サレルベク 婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ
看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ 衛生兵既ニ出発シ身寄リ無キ重傷者ヲ助ケテ■■ 真面目ニテ一時ノ感情ニ駆ラレタルモノトハ思ハレズ
更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ 自給自足 夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者 黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ 之ヲ要スルニ陸海軍沖縄ニ進駐以来 終止一貫
勤労奉仕 物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ■■ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只管日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ 遂ニ■■■■与ヘ■コトナクシテ 本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形■■■■■■
一木一草焦土ト化セン 糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ
(■は判読できず)
映画「永遠の0」の主人公、宮部久蔵が教官を務めるシーンの中で、「可」を出さない訓練兵のシーンがある。特攻に行かせたくない宮部久蔵の思いに、特攻作戦の方針を確認する会議の中で、上官に反対意見を述べた「美濃部正少佐」が重なった。
「美濃部正少佐」。特攻を拒否しつつ「特攻精神」で戦い抜いた指揮官である。
部下を守り、散華の美学ではなく、夜間攻撃に活路を見出し、最善と信じることを実行した指揮官の覚悟。
特攻作戦の方針を確認する会議の中で、美濃部少佐は上官に以下の反対意見を述べた。
「いまの若い搭乗員のなかに、死を恐れる者は誰もおりません。ただ、一命を賭して国に殉ずるためには、それだけの目的と意義がいります。しかも死にがいのある戦功をたてたいのは当然です。精神力一点張りの空念仏では、心から勇んで発つことはできません。同じ死ぬなら、確算のある手段を講じていただきたい」と。
美濃部少佐は特攻作戦に活路を見出すのではなく、夜間攻撃に活路を見出していた。そして、その美濃部少佐が指揮する「芙蓉部隊」からは一機の特攻機も出させなかった。
美濃部少佐の他にも「特攻反対」を唱えた指揮官がいた。志賀淑雄少佐、岡嶋清熊少佐、野中五郎少佐、石橋輝志少佐。
彼らは「上官の命令は絶対」という厳しい軍隊という世界の中に身を置きながら、思考回路を失くしたロボットのように従うのではなく、冷静に状況を判断し、最善と信じることを、信念を持って発言し、実行した。彼らには「覚悟」が見える。
特攻作戦とは何だったかの。沖縄を護るため、日本国を護るための作戦であったが、それは今の我々に何を問いかけ、何を次代へと引き継げばよいのか。日本人の覚悟とは何なのか。
今年も「靖国神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントを8/24(土)に靖国神社にて開催する。
講師は禰宜の松本聖吾総務部長。講演テーマは「靖国神社と特攻隊」。特攻作戦80年の今年、沖縄を、日本を護るために行ったあの作戦はどんなものだったのか、今一度、噛み締めたいと思う。
今日の日本の平和は、命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様。尊い命の犠牲の上に成り立っている平和を心から有り難く、そして英霊に感謝しなくてはならない。今日は英霊に思いを馳せる一日だった。
終戦80年に向けて②~残された者の役割
2024.05.22
来年、終戦80年を迎えるにあたり、以前にも記したが、改めて再掲するとともに、加筆し、そして、自分の思いを綴ってみたい。
昭和から平成、令和と時代が移り変わり、戦争体験者が急速に減っている中、大東亜戦争が「記憶」から「歴史」へと変わっていく昨今において、「あの戦争が残したものとは何だったのか」、そして、「先人が死を賭して遺したもの、命と引き換えに伝えたものは何なのか」を改めて考える必要があるのではないか、と考えており、そのため、今日の日本の礎を築いた英霊に感謝の誠を捧げるとともに、先人の声を、思いを、次代へとつないでいくためのイベントを、毎年開催している。
終戦を迎えて今年で79年。そして、来年は80年という節目の年を迎える。
靖国神社には幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の御霊がまつられているが、そのうち213万人が大東亜戦争で亡くなられた。その中でも、特攻作戦に従事した特攻戦死者は、「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によると、海軍2,531名、陸軍1,417名、計3,948名。そして、鹿児島県の知覧基地を始め、九州各地、また、当時日本が統治していた台湾など、多くの基地から出撃しましたが、本土最南端に基地があった知覧基地は、特攻作戦で439名と最も多く戦死している。
祖国を護るために昭和19年10月に特攻作戦が開始され、沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間(けらま)列島に上陸した昭和20年3月26日から始まり、そして、特攻作戦が開始されて、今年で80年を迎える。
特攻作戦とは、「特別攻撃作戦」の意味で、他の戦闘と根本的に違う点が「必ず死ぬこと」が定められた作戦であるということで、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈めるという『必死』条件の作戦であった。
その知覧で「富屋食堂」を営み、その出撃前のわずかな日々を富屋食堂で過ごした10代から20代の若い特攻隊員達をわが子のように慈しみ、「特攻の母」と呼ばれ、そして、私財を投げ打ってまでも親身に接したのが「鳥濱トメ」さんであった。
故石原慎太郎氏はかつて「生きた菩薩という言葉があるが、そんな人を私はこの世で一人だけ知っている」という書き出しで、鳥濱トメさんを紹介している。
鳥濱トメさんは明治35年、鹿児島県川辺郡坊津町で生まれ、鉄道員の旦那様と結婚したあと、昭和4年、同じ郡の知覧町で「富屋食堂」を開きます。大東亜戦争の末期、知覧飛行場は陸軍特攻隊の出撃基地となり、この食堂を利用する特攻隊員たちはトメさんを母親のように慕う。
「蛍になって帰ってきます」と言って出撃をした宮川三郎少尉、「明日死にますから故郷の歌をうたわして下さい」と言って、「アリラン」を歌った朝鮮出身の光山文博少尉、他、特攻隊員たちとのエピソードは数知れず。
その特攻隊員たちを我が子のように迎え、時には家財を売ってまでも食べたいものを食べさせたり、軍には内緒で隊員から私信を預かったり、隊員の最後の様子を家族にしたためたりした鳥濱トメさん。
特攻隊員たちが命を賭してまでも守りたかったものは何だったのか。将来の我々に何を託したのか。私心が渦巻くこんな世の中だからこそ、公のために身を尽くした英霊の思いを噛み締めたいと思うのだ。
靖國神社の昨年の社報9月号は、一緒にお仕事をさせていただいた桑原聡元雑誌「正論」編集長のエッセイが寄稿されている。
東条英機と共に絞首刑に処された土肥原賢二を祖父に持つ歌人、佐伯裕子さんが紹介され、
その中でも、以下の文章に心が留まった。
佐伯さんが詠んだ歌の中の一首。
「一度だけ叫んでみたし『死に人をさらして殺して何の誉れか』」
平成18年8月15日に小泉純一郎首相が靖國神社を公式参拝し、内外から声高に議論が沸き起こった。そして、平成19年、『みずうみ』と題した歌集を上梓し、その中の一首である。さらに、文章は次のように進む。
「伝統や文化が魂にしみこんだ存在、すなわち人間が、宗教施設に祀られた死者を悼み、感謝しようとするとき、その行為を静かに見守るのは、どんな国においても、人として最低の義務であろう。自分の価値観にそぐわないと、その行為を声高に非難する者、それに対して、『収まりのよい物語』に付和雷同して大声で反論する者は、ただの動物ではないか。非難する者にも反論する者にも、靖國の政治利用という薄汚い思惑が感じてならないのだ。そんな議論が、遺族を深く悲しませ、傷つけていることに、彼らは思いが及ばない。
佐伯さんの一首は、遺族の痛切な叫びであり、それでなく、魂が壊れゆく現代人に対する警鐘として心に突き刺さる。魂を持つ人間であるならば、参拝は静かに行い、静かに見守りたい」。
深く賛同する内容である。
大東亜戦争の真実と事実。それを探るべく、近現代史のバイブルとして国民に長きにわたり読まれている『大東亜戦争への道』(中村粲著・展転社)、著者は終章の「改めて大東亜戦争を思ふ」の中で、以下のように記している。
「結果論的に敗れた戦争を裁断するのではなく、戦争に至った明治以来の歴史の流れを、当時の人々の我が心として振返る時、あの戦争を『愚かな戦争』と傍観者的に冷笑することはできない。それは、歴史を担った誠実なる人々に対する冒涜のやうに思はれるのだ。『破滅への道』を願った日本人は一人も居なかった筈だ。誤算を不誠実と混同してはならぬ」。
歴史を今の目線で語るのではなく、その時代まで遡って、その時代と同じ目線で見た時に映るものは、決して今の時代の目線と同じではない。その時代と同じ目線で見た時に、あの戦争を愚かな戦争と断罪できるのだろうか。確かに、戦争は決して起こしてはならないのは当然の事。しかし、大東亜戦争について、家族を、恋人を守るために命を賭して戦った先人の思いや事実は、決して否定できるものではないし、今の時代の目線で断罪してはならないと私は思っている。そして、正しく歴史を学び、左翼に毒された戦後日本の近現代史教育を客観的に見、そして間違った教えを正し、正しい歴史の真実が、全うに語り継がれるべく、私自身、今後も活動をしていく所存である。
今日の日本の平和があるのは、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様であることを今一度噛み締めたいと思う。
昭和から平成、令和と時代が移り変わり、戦争体験者が急速に減っている中、大東亜戦争が「記憶」から「歴史」へと変わっていく昨今において、「あの戦争が残したものとは何だったのか」、そして、「先人が死を賭して遺したもの、命と引き換えに伝えたものは何なのか」を改めて考える必要があるのではないか、と考えており、そのため、今日の日本の礎を築いた英霊に感謝の誠を捧げるとともに、先人の声を、思いを、次代へとつないでいくためのイベントを、毎年開催している。
終戦を迎えて今年で79年。そして、来年は80年という節目の年を迎える。
靖国神社には幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の御霊がまつられているが、そのうち213万人が大東亜戦争で亡くなられた。その中でも、特攻作戦に従事した特攻戦死者は、「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によると、海軍2,531名、陸軍1,417名、計3,948名。そして、鹿児島県の知覧基地を始め、九州各地、また、当時日本が統治していた台湾など、多くの基地から出撃しましたが、本土最南端に基地があった知覧基地は、特攻作戦で439名と最も多く戦死している。
祖国を護るために昭和19年10月に特攻作戦が開始され、沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間(けらま)列島に上陸した昭和20年3月26日から始まり、そして、特攻作戦が開始されて、今年で80年を迎える。
特攻作戦とは、「特別攻撃作戦」の意味で、他の戦闘と根本的に違う点が「必ず死ぬこと」が定められた作戦であるということで、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈めるという『必死』条件の作戦であった。
その知覧で「富屋食堂」を営み、その出撃前のわずかな日々を富屋食堂で過ごした10代から20代の若い特攻隊員達をわが子のように慈しみ、「特攻の母」と呼ばれ、そして、私財を投げ打ってまでも親身に接したのが「鳥濱トメ」さんであった。
故石原慎太郎氏はかつて「生きた菩薩という言葉があるが、そんな人を私はこの世で一人だけ知っている」という書き出しで、鳥濱トメさんを紹介している。
鳥濱トメさんは明治35年、鹿児島県川辺郡坊津町で生まれ、鉄道員の旦那様と結婚したあと、昭和4年、同じ郡の知覧町で「富屋食堂」を開きます。大東亜戦争の末期、知覧飛行場は陸軍特攻隊の出撃基地となり、この食堂を利用する特攻隊員たちはトメさんを母親のように慕う。
「蛍になって帰ってきます」と言って出撃をした宮川三郎少尉、「明日死にますから故郷の歌をうたわして下さい」と言って、「アリラン」を歌った朝鮮出身の光山文博少尉、他、特攻隊員たちとのエピソードは数知れず。
その特攻隊員たちを我が子のように迎え、時には家財を売ってまでも食べたいものを食べさせたり、軍には内緒で隊員から私信を預かったり、隊員の最後の様子を家族にしたためたりした鳥濱トメさん。
特攻隊員たちが命を賭してまでも守りたかったものは何だったのか。将来の我々に何を託したのか。私心が渦巻くこんな世の中だからこそ、公のために身を尽くした英霊の思いを噛み締めたいと思うのだ。
靖國神社の昨年の社報9月号は、一緒にお仕事をさせていただいた桑原聡元雑誌「正論」編集長のエッセイが寄稿されている。
東条英機と共に絞首刑に処された土肥原賢二を祖父に持つ歌人、佐伯裕子さんが紹介され、
その中でも、以下の文章に心が留まった。
佐伯さんが詠んだ歌の中の一首。
「一度だけ叫んでみたし『死に人をさらして殺して何の誉れか』」
平成18年8月15日に小泉純一郎首相が靖國神社を公式参拝し、内外から声高に議論が沸き起こった。そして、平成19年、『みずうみ』と題した歌集を上梓し、その中の一首である。さらに、文章は次のように進む。
「伝統や文化が魂にしみこんだ存在、すなわち人間が、宗教施設に祀られた死者を悼み、感謝しようとするとき、その行為を静かに見守るのは、どんな国においても、人として最低の義務であろう。自分の価値観にそぐわないと、その行為を声高に非難する者、それに対して、『収まりのよい物語』に付和雷同して大声で反論する者は、ただの動物ではないか。非難する者にも反論する者にも、靖國の政治利用という薄汚い思惑が感じてならないのだ。そんな議論が、遺族を深く悲しませ、傷つけていることに、彼らは思いが及ばない。
佐伯さんの一首は、遺族の痛切な叫びであり、それでなく、魂が壊れゆく現代人に対する警鐘として心に突き刺さる。魂を持つ人間であるならば、参拝は静かに行い、静かに見守りたい」。
深く賛同する内容である。
大東亜戦争の真実と事実。それを探るべく、近現代史のバイブルとして国民に長きにわたり読まれている『大東亜戦争への道』(中村粲著・展転社)、著者は終章の「改めて大東亜戦争を思ふ」の中で、以下のように記している。
「結果論的に敗れた戦争を裁断するのではなく、戦争に至った明治以来の歴史の流れを、当時の人々の我が心として振返る時、あの戦争を『愚かな戦争』と傍観者的に冷笑することはできない。それは、歴史を担った誠実なる人々に対する冒涜のやうに思はれるのだ。『破滅への道』を願った日本人は一人も居なかった筈だ。誤算を不誠実と混同してはならぬ」。
歴史を今の目線で語るのではなく、その時代まで遡って、その時代と同じ目線で見た時に映るものは、決して今の時代の目線と同じではない。その時代と同じ目線で見た時に、あの戦争を愚かな戦争と断罪できるのだろうか。確かに、戦争は決して起こしてはならないのは当然の事。しかし、大東亜戦争について、家族を、恋人を守るために命を賭して戦った先人の思いや事実は、決して否定できるものではないし、今の時代の目線で断罪してはならないと私は思っている。そして、正しく歴史を学び、左翼に毒された戦後日本の近現代史教育を客観的に見、そして間違った教えを正し、正しい歴史の真実が、全うに語り継がれるべく、私自身、今後も活動をしていく所存である。
今日の日本の平和があるのは、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様であることを今一度噛み締めたいと思う。
『法華経を生きる』に学ぶ
2024.01.25
久しぶりの投稿となる。
年末年始、多忙を極め、気が付けば、年を越していた。
改めまして、皆様、今年もよろしくお願いいたします。
今年は年初から能登半島地震、羽田空港航空機衝突事故などの出来事からスタートするなど、波乱な幕開けとなった。犠牲になられた方々に改めて哀悼の意を表するとともに、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げる次第である。
また、政治も、自民党の派閥による政治資金パーティーを巡る政治資金収支報告書不記載問題や、芸能界においても週刊文春による松本人志氏の性加害問題、昨年まで遡れば故ジャニー喜多川氏による性加害問題と、マスコミを賑わす話題ばかりだ。
新聞、テレビをはじめ週刊誌のこの報道の取り扱い方や仕方、内容など、私の個人的な感想になるが、腑に落ちないものばかり。一体、本質は何なのだろうかと思ってしまう。人を貶めることが目的なのか、それともその背景には何があるのか。ネットを始め、色々な情報が氾濫している昨今だからこそ、何が真実で何が嘘なのか、見極めなければ、翻弄されてしまう。そう思う世の中になった。
霊友会の創設者の一人である小谷喜美教主との縁で法華経に携わるようになったとする故石原慎太郎氏。その著書『法華経を生きる』は、そのありのままの姿、真実である「実相」を捉えるのにとても参考になる記載がある。「第二章『十如是』とは何か」の中の「出来事の正しい解明のために」という項があり、その中で以下の記載がある。
「法華経は全体が二十八章で構成されているがその第二番目に「方便品」というのがあります。(中略)ここではものごとがなんで今の形に成りきたって、それを具体的にどうとらえることで最も適切な方向を講じることが出来るかという手引きが教えられています」。
「曰くに、『所謂諸法の如是相・如是性・如是體・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究境等なり』があるのだといっている」。
これは法華三部経の中の、「妙法蓮華経方便品第二」の教えで、故石原慎太郎氏はこの本の中で釈迦の教えである「十如是」の大切さについて解いている。
要約すれば、十如是とは、「相(形相)・性(本質)・体(形体)・力(能力)・作(作用)・因(直接的な原因)・縁(条件・間接的な関係)・果(因に対する結果)・報(報い・縁に対する間接的な結果)・本末究竟等(相から報にいたるまでの9つの事柄が究極的に無差別平等であること)をいい、諸法の実相、つまり存在の真実の在り方が、この10の事柄によるものだ」という。
臨済宗の僧侶・松原泰道師はこれらの如是を、「自分という人間は」と置き換えてみたら一番よくわかるとも言っているが、
さらにかみ砕いていうと「すなわち、全ての現象・物事には持ち前の相=姿があり、相にふさわしい性=性質や、体=本体がある。体は力=潜在力を持ち、常に外に向け、色々な作=作用を起こしている。つまり、この世の全てのものには、必ず相・性・体・力・作があり、それらは互いに因=原因となり、縁=機会・条件となって、関係し合いながら変化し続け、千差万別の果=結果と、それによる報=報いを作り出しているのである。こうした諸現象は複雑に絡み合っていて、人間の知恵では原因と結果のつながりに見えにくいことも多いのだが、その実、全ては初め=本の相から終わり=末の報まで、ふさわしくつながり合って展開していく=究竟等のである。これが諸法の実相であり、本仏=真理の働きなのである。
要するに、事の本質「実相」を捉えるに、すべてのものごとは十の如是(要因)によって形となって表れてくるのだという。
石原氏はことの真実を見極めるのに、十如是の教えが根本にあり、これは宇宙の法則に基づくものであると先述の書籍に記述している。よく、結局「仏陀の掌の上」で動かされているという表現をするが、言い換えればこのことなのかもしれない。
私はこの十如是の考え方にアドラー心理学の「目的論」と、マズロー心理学の「欲求5段階説」を加えて捉え、考えていくことをよくする。そうすると、ある一定の答えが導き出されるのである。
「人間はある一定の目的に沿って行動し、良いも悪いも個人や組織の『欲』を満たす裏の目的のために結果を生み出そうとする」こと。
これは、私が心理学を独学で学び、その結果、導き出された答えであって、周囲の方々に強制されるべきものではないが、ある程度、この作用が働いているのだと思ってならない。
例えば、自民党の派閥による政治資金パーティーを巡る政治資金収支報告書不記載問題で言うと、朝日新聞は「裏金」と報道しているが、事の本質は「政治資金収支報告書不記載」であって、裏金と称する表現とは異なる。記載していれば問題がなかった。しかし、お金の集め方は確かに問題であるし、厳格化すべきであるが、政治資金規制法を強化しても、まずは記載を徹底することが重要であることに対する問題点を浮き彫りにし対応ずべきで、派閥解消までの議論になるのは、私は腑に落ちない。派閥を解消すればことが解決するかの如く自民党は対応しているが、問題の本質は派閥解消ではない。そして、派閥は何のために集まっているのかの本来の在り方を深く見ていかなければマスコミが作り出す貶めるための情報に、派閥解消が解決であるかの如く自民党の対応はいかがなものであろうかと思うし、情報に対して感情的な条件反射はしてはならないと考える。
松本人志氏の性加害問題についても、人権にかかわる問題であるので、慎重に言葉を選ばなくてはいけないが、週刊文春はこうした「文春砲」と称するスクープを勃発するのに対し、私はその意図は世直し的な動きなのか、または、売れれば何をしても良いのかという考え方や背景も加味して、情報を読み取らなければならないかと思っている。さらには、勇気をもって告発した人に対し、辛い、苦しかった気持ちは察するが、その目的とするところが今一つ理解できない部分もある。週刊文春はいくつもスクープを報じてきたが、それは良いものもあれば、人の心をも傷つけ、家族崩壊、さらには人の命をも奪う両刃の剣であることに、大きな違和感を持ってしまう。抽象的な言い方しかできないが、本来、あるべき姿とはどこにあるのかを深く考えてしまうのである。
先述した、十如是の真理を悟るとともに、法華経では実践していく過程の中で、その方法論に六波羅蜜(布施=親切=金銭や物を施す財施・正しく伝える法施・体を使って行う身施、持戒=言行一致・人のために尽力すること、忍辱=忍耐・平常心を持つこと、精進=努力、禅定=反省・心静かに定めること、智慧=修養・自己中心的にならないこと)をベース、下敷きにし、八正道(正見=正しい見解、正思=正しい思惟、正語=正しい言葉、正業=正しい行い、正命=正しい生活、正精進=正しい努力、正念=正しい思念、正定=正しい精神統一、心の安定)等を実践することを説いているのだが、これらを捉えて行動し、物事を見ていくと、とても理屈に叶い、納得していけることが多い。
表面化した事象に条件反射することなく、ことの本質は何なのかを考え、そして、それを捉え、どう行動すべきなのかを深く考える必要があると、新年の初めに思った次第である。
年末年始、多忙を極め、気が付けば、年を越していた。
改めまして、皆様、今年もよろしくお願いいたします。
今年は年初から能登半島地震、羽田空港航空機衝突事故などの出来事からスタートするなど、波乱な幕開けとなった。犠牲になられた方々に改めて哀悼の意を表するとともに、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げる次第である。
また、政治も、自民党の派閥による政治資金パーティーを巡る政治資金収支報告書不記載問題や、芸能界においても週刊文春による松本人志氏の性加害問題、昨年まで遡れば故ジャニー喜多川氏による性加害問題と、マスコミを賑わす話題ばかりだ。
新聞、テレビをはじめ週刊誌のこの報道の取り扱い方や仕方、内容など、私の個人的な感想になるが、腑に落ちないものばかり。一体、本質は何なのだろうかと思ってしまう。人を貶めることが目的なのか、それともその背景には何があるのか。ネットを始め、色々な情報が氾濫している昨今だからこそ、何が真実で何が嘘なのか、見極めなければ、翻弄されてしまう。そう思う世の中になった。
霊友会の創設者の一人である小谷喜美教主との縁で法華経に携わるようになったとする故石原慎太郎氏。その著書『法華経を生きる』は、そのありのままの姿、真実である「実相」を捉えるのにとても参考になる記載がある。「第二章『十如是』とは何か」の中の「出来事の正しい解明のために」という項があり、その中で以下の記載がある。
「法華経は全体が二十八章で構成されているがその第二番目に「方便品」というのがあります。(中略)ここではものごとがなんで今の形に成りきたって、それを具体的にどうとらえることで最も適切な方向を講じることが出来るかという手引きが教えられています」。
「曰くに、『所謂諸法の如是相・如是性・如是體・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究境等なり』があるのだといっている」。
これは法華三部経の中の、「妙法蓮華経方便品第二」の教えで、故石原慎太郎氏はこの本の中で釈迦の教えである「十如是」の大切さについて解いている。
要約すれば、十如是とは、「相(形相)・性(本質)・体(形体)・力(能力)・作(作用)・因(直接的な原因)・縁(条件・間接的な関係)・果(因に対する結果)・報(報い・縁に対する間接的な結果)・本末究竟等(相から報にいたるまでの9つの事柄が究極的に無差別平等であること)をいい、諸法の実相、つまり存在の真実の在り方が、この10の事柄によるものだ」という。
臨済宗の僧侶・松原泰道師はこれらの如是を、「自分という人間は」と置き換えてみたら一番よくわかるとも言っているが、
さらにかみ砕いていうと「すなわち、全ての現象・物事には持ち前の相=姿があり、相にふさわしい性=性質や、体=本体がある。体は力=潜在力を持ち、常に外に向け、色々な作=作用を起こしている。つまり、この世の全てのものには、必ず相・性・体・力・作があり、それらは互いに因=原因となり、縁=機会・条件となって、関係し合いながら変化し続け、千差万別の果=結果と、それによる報=報いを作り出しているのである。こうした諸現象は複雑に絡み合っていて、人間の知恵では原因と結果のつながりに見えにくいことも多いのだが、その実、全ては初め=本の相から終わり=末の報まで、ふさわしくつながり合って展開していく=究竟等のである。これが諸法の実相であり、本仏=真理の働きなのである。
要するに、事の本質「実相」を捉えるに、すべてのものごとは十の如是(要因)によって形となって表れてくるのだという。
石原氏はことの真実を見極めるのに、十如是の教えが根本にあり、これは宇宙の法則に基づくものであると先述の書籍に記述している。よく、結局「仏陀の掌の上」で動かされているという表現をするが、言い換えればこのことなのかもしれない。
私はこの十如是の考え方にアドラー心理学の「目的論」と、マズロー心理学の「欲求5段階説」を加えて捉え、考えていくことをよくする。そうすると、ある一定の答えが導き出されるのである。
「人間はある一定の目的に沿って行動し、良いも悪いも個人や組織の『欲』を満たす裏の目的のために結果を生み出そうとする」こと。
これは、私が心理学を独学で学び、その結果、導き出された答えであって、周囲の方々に強制されるべきものではないが、ある程度、この作用が働いているのだと思ってならない。
例えば、自民党の派閥による政治資金パーティーを巡る政治資金収支報告書不記載問題で言うと、朝日新聞は「裏金」と報道しているが、事の本質は「政治資金収支報告書不記載」であって、裏金と称する表現とは異なる。記載していれば問題がなかった。しかし、お金の集め方は確かに問題であるし、厳格化すべきであるが、政治資金規制法を強化しても、まずは記載を徹底することが重要であることに対する問題点を浮き彫りにし対応ずべきで、派閥解消までの議論になるのは、私は腑に落ちない。派閥を解消すればことが解決するかの如く自民党は対応しているが、問題の本質は派閥解消ではない。そして、派閥は何のために集まっているのかの本来の在り方を深く見ていかなければマスコミが作り出す貶めるための情報に、派閥解消が解決であるかの如く自民党の対応はいかがなものであろうかと思うし、情報に対して感情的な条件反射はしてはならないと考える。
松本人志氏の性加害問題についても、人権にかかわる問題であるので、慎重に言葉を選ばなくてはいけないが、週刊文春はこうした「文春砲」と称するスクープを勃発するのに対し、私はその意図は世直し的な動きなのか、または、売れれば何をしても良いのかという考え方や背景も加味して、情報を読み取らなければならないかと思っている。さらには、勇気をもって告発した人に対し、辛い、苦しかった気持ちは察するが、その目的とするところが今一つ理解できない部分もある。週刊文春はいくつもスクープを報じてきたが、それは良いものもあれば、人の心をも傷つけ、家族崩壊、さらには人の命をも奪う両刃の剣であることに、大きな違和感を持ってしまう。抽象的な言い方しかできないが、本来、あるべき姿とはどこにあるのかを深く考えてしまうのである。
先述した、十如是の真理を悟るとともに、法華経では実践していく過程の中で、その方法論に六波羅蜜(布施=親切=金銭や物を施す財施・正しく伝える法施・体を使って行う身施、持戒=言行一致・人のために尽力すること、忍辱=忍耐・平常心を持つこと、精進=努力、禅定=反省・心静かに定めること、智慧=修養・自己中心的にならないこと)をベース、下敷きにし、八正道(正見=正しい見解、正思=正しい思惟、正語=正しい言葉、正業=正しい行い、正命=正しい生活、正精進=正しい努力、正念=正しい思念、正定=正しい精神統一、心の安定)等を実践することを説いているのだが、これらを捉えて行動し、物事を見ていくと、とても理屈に叶い、納得していけることが多い。
表面化した事象に条件反射することなく、ことの本質は何なのかを考え、そして、それを捉え、どう行動すべきなのかを深く考える必要があると、新年の初めに思った次第である。
メディアの凋落
2023.10.21
旧ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の性加害問題について、60年前から疑惑が指摘され、これまで2度、裁判が行われてきたにも関わらず、BBCで取り上げられた後、世間に幅広くこの問題が明るみになるまでは、メディアはその報道をせず沈黙を守り通してきた。
故ジャニー喜多川氏による所属タレントへの性加害問題が最初に明るみに出たのは、1967年~78年にかけて一世を風靡したジャニーズタレント「フォーリーブス」の故北公次氏が、解散から10年後の1988年に、ジャニー氏から受けた性被害を赤裸々に綴った書籍『光GENJIへ』がきっかけだった。そして、翌年、ビデオでも被害を訴えていたが、メディアは沈黙。今年9月に、TBSがその告白ビデオを入手したとして、放送したが、「今更感」が拭えなかった。
この問題は、当然、故ジャニー喜多川氏に罪があるが、当の本人が亡くなっているにも関わらず、旧ジャニーズ事務所は被害者と向き合い、真摯に対応をしようとしている姿勢は、十分でないにしろ前に進むよう尽力しているので、私は旧ジャニーズ事務所について語ろうとは思わない。
しかし、メディアの責任については、無視できない事実であろうと考えている。
日本テレビ「news zero」の有働由美子キャスターは「海外の人権問題は徹底的に批判するのに、もっと近くにあった問題はちゃんと取材して知ろうとしませんでした。なぜ『沈黙』してしまったのか、重く問われているという覚悟のもとに向き合っていきたいと思います」と、メディアの責任について語ったが、私からすれば「何をいまさら」といった感が強い。前述のTBSにしてもそうだが、責任逃れを必死で語っているとしか思えず、それは各テレビ局がこぞって声明を出したが、どの社も同じように感じるし、苦しい言い訳にしか聞こえないのである。
「メディアの凋落」。
今回に留まらず、昨今のメディアの姿勢に、この言葉が当てはまると思えてならない。
この凋落のきっかけになったであろう、朝日新聞が、2014年9月11日、東京電力福島第一原発事故をめぐり政府の事故調査・検証委員会がまとめた、故・吉田昌郎元所長の「聴取結果書(調書)」に関する記事を誤りと認めて取り消した件や、「従軍慰安婦」誤報放置事件に関する謝罪会見。
この謝罪会見により、読者への信用失墜により、読者離れが加速した。
そして、その朝日新聞の購読を止めた読者の受け皿になるべく、東京新聞は親会社・中日新聞の意向を受け、思い切り左傾化へと舵を切り始めた。結果、朝日新聞よりも酷い左傾化記事報道を展開し、その先鋒、切り込み隊長として望月衣塑子記者を送り込んだと私は解釈している。
そして、官房長官を始め、数々の記者会見での彼女の質問に対する「暴走」は、記者としての器量や認識の浅はかさを露呈したのではないだろうかと感じてならないのである。
その最たるものは、ジャニーズ事務所の記者会見。(以下、引用)
「10月2日に開かれたジャニーズ事務所の会見で、望月氏は『自分を指してもらえなかった』ことを理由に何度も喚き散らした。その姿を見た視聴者の多くが呆れ、会見直後はSNS上に『下品』『傍若無人』などの批判が溢れ返った。だが、5日、ジャニーズ事務所側が指名しない記者をまとめた『NGリスト』を作成していた事実が発覚すると、風向きが変わった。望月氏はSNSで〈茶番、八百長会見〉と語気を強めて批判。〈東山氏と井ノ原氏の辞任を強く求めます〉〈やり直し会見を求めます〉と攻勢を強めている。
一連の騒ぎについて、東京新聞の中堅記者が呆れて語る。
『NGリストの件でジャニーズ事務所側に問題があったことは間違いない。ただし、それと彼女の振る舞いは別問題だと思います。300人も出席した会見で、自分が指されないことを問題視すること自体が傲慢でしょう』
前回の会見でも望月氏は、ほとんどの社が守っていた1社2問のルールを無視して10分以上も質問。セカンドレイプと批判を受けるような質問や『テレ朝は今日も中継しておりません』といった事実誤認の発言まで繰り出し、場を乱した“前科”があった。
『決して、ジャニーズ側を擁護するわけではありませんが、彼女についてはNGリストに入れられたのも仕方なかったと思います』(同)」と。
このような振る舞いは、記者の質の低下を思わせると同時に、他の優秀な記者への悪影響でもあると考えるのである。
「活字離れ」「テレビ離れ」と言われて久しいが、問題は先述の朝日新聞のように、ずっと以前から存在していると感じるのである。
メディアは、自分たちの主義主張を国民に知ら示すために、「一定の意図をもって発信する」ことが目的となる。その目的は、色々な番組、記事に寄り添う形で散りばめられ、時には直球で、時には変化球を交えて巧妙に発信する。それを視聴者は真に受ける。特にテレビ世代の50代以上の世帯層には絶妙に効果を発揮するが、逆にテレビを観ない、新聞を読まないネット世代の20代、30代には功を奏さない。
ネットに流れる情報は、正しい情報もあるが、偽情報もある。それが見極めにくくなっているのは事実であるため、何が正しくて、何が正しくないのかが分かりずらくなっている。
既存メディアは、報道する責任があるが故に、取材を重ね、間違った情報を流さないことで、信用と信頼があったにも関わらず、取材記者の質の低下や、朝日新聞のように、一定の意図をもって誤情報を発信するメディアの存在が、ますます「メディアの凋落」に拍車をかけると思ってならないのである。
メディアの役割とはなんであるのか。
日本新聞協会の新聞倫理綱領には以下のように記されている。
「(前略)国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである(後略)」。
そして、「正確と公正」について、「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである」。
これらが全うに遂行されているメディアはどこであろうか。一部のメディアは遂行していると思われるのに対し、少なくとも反日メディアやそれに伴う記者が属しているメディアには、この綱領に反するのではないかと考えるのである。
先日、元TBSキャスターを務めた松富(有村)かおり氏のSNSで、メディアの在り方や、日本国民としての自覚について投稿しているのを目にした。
的を得た指摘に大きく賛同したので、以下、引用し、ご紹介したい。
「世界は今までよりはるかに不安定で危険なものになっている。
日本の明日が、ウクライナやイスラエルのようにならないと誰が断言できるだろう。
アメリカは民主主義国を率いるリーダーシップを失いつつある。
E Uの理想主義はボロボロだ。
民主主義国家の陣営と、中露を中心とする独裁主義・権威主義国家陣営の対立は酷くなるばかり。
ロシアの中国依存は深まり、中露が手を組んで行動する機会が増えている。ロシアと北朝鮮は、兵器と食糧の融通で、パイプを太くしつつある。
まさに、日本にとっては『悪夢』のような状況が日々加速しているのに、なぜ、大手メディアはそれを報じないのか?
沖縄や鹿児島では、大変な勢いで、『台湾有事』に向けたシェルターの確保や、基地の強化が進む。
それを他の地域の日本人はほとんど知らされていない。
政府は、世界中から集めた情報から、『台湾有事はあるかないかではない。いつ起こるかだ』という結論に達しているのだ。多くの専門家が、台湾への武力侵攻が2027年までに起こる確率は8割を超えると判断しているのだ。
どうか、考えてほしい。
どうか、日本を取り巻く海外の情勢が大きく動き始めていることに気づいてほしい。
その上で、私たちに、この美しい国を平和な毎日を守るために何ができるか、考えてほしいのだ」。
我々国民はどれだけ正しい情報を取れているのか。
一部を除くメディアからでは正しい情報が取れなくなっている。ネットから得る情報が、ものによっては正しい情報を流したりしているのも事実であろうし、ガセネタを流すネット情報もある。しかし、現状メディアに対する不満、不安から、視聴者、購読者の減少を加速させているのではないかと思ってならない。一部を除く既存メディアの信用回復はまだ先のような気がするのは自分だけだろうか。
故ジャニー喜多川氏による所属タレントへの性加害問題が最初に明るみに出たのは、1967年~78年にかけて一世を風靡したジャニーズタレント「フォーリーブス」の故北公次氏が、解散から10年後の1988年に、ジャニー氏から受けた性被害を赤裸々に綴った書籍『光GENJIへ』がきっかけだった。そして、翌年、ビデオでも被害を訴えていたが、メディアは沈黙。今年9月に、TBSがその告白ビデオを入手したとして、放送したが、「今更感」が拭えなかった。
この問題は、当然、故ジャニー喜多川氏に罪があるが、当の本人が亡くなっているにも関わらず、旧ジャニーズ事務所は被害者と向き合い、真摯に対応をしようとしている姿勢は、十分でないにしろ前に進むよう尽力しているので、私は旧ジャニーズ事務所について語ろうとは思わない。
しかし、メディアの責任については、無視できない事実であろうと考えている。
日本テレビ「news zero」の有働由美子キャスターは「海外の人権問題は徹底的に批判するのに、もっと近くにあった問題はちゃんと取材して知ろうとしませんでした。なぜ『沈黙』してしまったのか、重く問われているという覚悟のもとに向き合っていきたいと思います」と、メディアの責任について語ったが、私からすれば「何をいまさら」といった感が強い。前述のTBSにしてもそうだが、責任逃れを必死で語っているとしか思えず、それは各テレビ局がこぞって声明を出したが、どの社も同じように感じるし、苦しい言い訳にしか聞こえないのである。
「メディアの凋落」。
今回に留まらず、昨今のメディアの姿勢に、この言葉が当てはまると思えてならない。
この凋落のきっかけになったであろう、朝日新聞が、2014年9月11日、東京電力福島第一原発事故をめぐり政府の事故調査・検証委員会がまとめた、故・吉田昌郎元所長の「聴取結果書(調書)」に関する記事を誤りと認めて取り消した件や、「従軍慰安婦」誤報放置事件に関する謝罪会見。
この謝罪会見により、読者への信用失墜により、読者離れが加速した。
そして、その朝日新聞の購読を止めた読者の受け皿になるべく、東京新聞は親会社・中日新聞の意向を受け、思い切り左傾化へと舵を切り始めた。結果、朝日新聞よりも酷い左傾化記事報道を展開し、その先鋒、切り込み隊長として望月衣塑子記者を送り込んだと私は解釈している。
そして、官房長官を始め、数々の記者会見での彼女の質問に対する「暴走」は、記者としての器量や認識の浅はかさを露呈したのではないだろうかと感じてならないのである。
その最たるものは、ジャニーズ事務所の記者会見。(以下、引用)
「10月2日に開かれたジャニーズ事務所の会見で、望月氏は『自分を指してもらえなかった』ことを理由に何度も喚き散らした。その姿を見た視聴者の多くが呆れ、会見直後はSNS上に『下品』『傍若無人』などの批判が溢れ返った。だが、5日、ジャニーズ事務所側が指名しない記者をまとめた『NGリスト』を作成していた事実が発覚すると、風向きが変わった。望月氏はSNSで〈茶番、八百長会見〉と語気を強めて批判。〈東山氏と井ノ原氏の辞任を強く求めます〉〈やり直し会見を求めます〉と攻勢を強めている。
一連の騒ぎについて、東京新聞の中堅記者が呆れて語る。
『NGリストの件でジャニーズ事務所側に問題があったことは間違いない。ただし、それと彼女の振る舞いは別問題だと思います。300人も出席した会見で、自分が指されないことを問題視すること自体が傲慢でしょう』
前回の会見でも望月氏は、ほとんどの社が守っていた1社2問のルールを無視して10分以上も質問。セカンドレイプと批判を受けるような質問や『テレ朝は今日も中継しておりません』といった事実誤認の発言まで繰り出し、場を乱した“前科”があった。
『決して、ジャニーズ側を擁護するわけではありませんが、彼女についてはNGリストに入れられたのも仕方なかったと思います』(同)」と。
このような振る舞いは、記者の質の低下を思わせると同時に、他の優秀な記者への悪影響でもあると考えるのである。
「活字離れ」「テレビ離れ」と言われて久しいが、問題は先述の朝日新聞のように、ずっと以前から存在していると感じるのである。
メディアは、自分たちの主義主張を国民に知ら示すために、「一定の意図をもって発信する」ことが目的となる。その目的は、色々な番組、記事に寄り添う形で散りばめられ、時には直球で、時には変化球を交えて巧妙に発信する。それを視聴者は真に受ける。特にテレビ世代の50代以上の世帯層には絶妙に効果を発揮するが、逆にテレビを観ない、新聞を読まないネット世代の20代、30代には功を奏さない。
ネットに流れる情報は、正しい情報もあるが、偽情報もある。それが見極めにくくなっているのは事実であるため、何が正しくて、何が正しくないのかが分かりずらくなっている。
既存メディアは、報道する責任があるが故に、取材を重ね、間違った情報を流さないことで、信用と信頼があったにも関わらず、取材記者の質の低下や、朝日新聞のように、一定の意図をもって誤情報を発信するメディアの存在が、ますます「メディアの凋落」に拍車をかけると思ってならないのである。
メディアの役割とはなんであるのか。
日本新聞協会の新聞倫理綱領には以下のように記されている。
「(前略)国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである(後略)」。
そして、「正確と公正」について、「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである」。
これらが全うに遂行されているメディアはどこであろうか。一部のメディアは遂行していると思われるのに対し、少なくとも反日メディアやそれに伴う記者が属しているメディアには、この綱領に反するのではないかと考えるのである。
先日、元TBSキャスターを務めた松富(有村)かおり氏のSNSで、メディアの在り方や、日本国民としての自覚について投稿しているのを目にした。
的を得た指摘に大きく賛同したので、以下、引用し、ご紹介したい。
「世界は今までよりはるかに不安定で危険なものになっている。
日本の明日が、ウクライナやイスラエルのようにならないと誰が断言できるだろう。
アメリカは民主主義国を率いるリーダーシップを失いつつある。
E Uの理想主義はボロボロだ。
民主主義国家の陣営と、中露を中心とする独裁主義・権威主義国家陣営の対立は酷くなるばかり。
ロシアの中国依存は深まり、中露が手を組んで行動する機会が増えている。ロシアと北朝鮮は、兵器と食糧の融通で、パイプを太くしつつある。
まさに、日本にとっては『悪夢』のような状況が日々加速しているのに、なぜ、大手メディアはそれを報じないのか?
沖縄や鹿児島では、大変な勢いで、『台湾有事』に向けたシェルターの確保や、基地の強化が進む。
それを他の地域の日本人はほとんど知らされていない。
政府は、世界中から集めた情報から、『台湾有事はあるかないかではない。いつ起こるかだ』という結論に達しているのだ。多くの専門家が、台湾への武力侵攻が2027年までに起こる確率は8割を超えると判断しているのだ。
どうか、考えてほしい。
どうか、日本を取り巻く海外の情勢が大きく動き始めていることに気づいてほしい。
その上で、私たちに、この美しい国を平和な毎日を守るために何ができるか、考えてほしいのだ」。
我々国民はどれだけ正しい情報を取れているのか。
一部を除くメディアからでは正しい情報が取れなくなっている。ネットから得る情報が、ものによっては正しい情報を流したりしているのも事実であろうし、ガセネタを流すネット情報もある。しかし、現状メディアに対する不満、不安から、視聴者、購読者の減少を加速させているのではないかと思ってならない。一部を除く既存メディアの信用回復はまだ先のような気がするのは自分だけだろうか。