令和4(2022)年はどんな年か
2022.01.04
新年おめでとうございます。
昨年中は私のこのブログにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。心より感謝申し上げます。

昨年は、1月に「玉川博一事務所」を立ち上げ、本格的に「玉川習字教室」と「寺子屋『玉川未来塾』」をスタートさせた多忙な一年であった。コロナ禍ということもあり、特にイベント事業は思うような成果を挙げることはできなかったが、今年は安定した事業展開を図るためにも、結果を重視していきたいと思っている。

さて、令和4(2022)年はどんな年か。
暦でいうと「五黄土星中宮」、十干十二支でいうと「壬寅」年である。
私は、五行陰陽説を勉強していることもあり、その視点から今年はどんな年になるかをみていきたいと思う。

まず、その前提として、五行とは。
古代中国に端を発する自然哲学の思想で、万物は火・水・木・金・土の5種類の元素からなるという説。また、5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底に存在するというものだというものである。
そして、それらには「陰」と「陽」があるというのが、五行陰陽説だ。
例えば、細木数子の六星占術に天王星人「+」と「-」、また、ゲッターズ飯田の五星三心占いの「金」と「銀」はその類になる。

このことを頭に入れてから、読み進めていただきたいと思う。

「五黄土星」は「土の性」。「土」は植物の芽が地中から発芽する様子が元となっていて、万物を育成・保護する性質を表す。「季節の変わり目(春夏秋冬の土用)」の象徴である。

「壬(みずのえ)」。「壬」の文字の意味は「妊に通じ、陽気を下に姙」、厳冬を耐えて内に蓄えた陽気で次代の礎となること。土の下で芽が膨んで土がぐんと盛り上がっている様子、もしくは生き物が子孫を残すための繁殖期をイメージすると理解しやすいと思う。そして、五行でいう「水の陽」の因子を持つ。「水」は静寂、堅守、停滞、冬の象徴、「陽」は激しいとか大きいといった意味があるので、「壬」は、厳冬、静謐、沈滞といったことを表す。

「寅」は十二支の3番目で、生命の循環で言えば初めの位置に近く、誕生を表す。「寅」の文字の意味は「蟺(ミミズ)に通じ、春の発芽の状態」、豊穣を助けるミミズが土の中で動き、芽吹きが始まった状態。暖かくなって虫たちが動き出し、春の胎動を感じさせるイメージで、陰陽五行説では「木の陽」に分類される。五行の「木」は成長、発育、誕生、春の象徴。つまり「寅」は、強く大きく成長するといったことを表す。

そして、五行では関係性によって、お互いを打ち消し合ったり、強め合ったりといったことが起きる。「壬」と「寅」の関係は、「水生木」の「相生」と呼ばれる組み合わせである。これは、木は水によって養われ、水が無ければ木は枯れてしまう。つまり「壬」が「寅」を補完し強化する関係となる。
よって、これらを合わせ考えると、陰陽五行説から見た2022年の干支「壬寅」は、「陽気を孕み、春の胎動を助く」、冬が厳しいほど春の芽吹きは生命力に溢れ、華々しく生まれることを表しているという年と予測される。

しかし、五黄土星は「土の性」。「壬」の「水」も「寅」の「木」も、相手を打ち滅ぼしていく「陰」の関係でそれを「相克」という。
「木剋土」と呼ばれる関係は、木は根を地中に張って土を締め付け、養分を吸い取って土地を痩せさせる意味があり、「土剋水」と呼ばれる関係は、土は水を濁す、また、土は水を吸い取り、常にあふれようとする水を堤防や土塁等でせき止める意味がある。
しかし、相剋の中にも「相生」がある。例えば、土は木の根が張ることでその流出を防ぐことができ、水は土に流れを抑えられることで、谷や川の形を保つことができるといったことである。

先程、「『陽気を孕み、春の胎動を助く』、冬が厳しいほど春の芽吹きは生命力に溢れ、華々しく生まれることを表しているという年」と言ったが、突っ走るのではなく、時には抑える力も必要であり、根を張る動き、地道な動きも大切となる。よって、総合的に「壬寅」年は、春の胎動が大きく花開くために、地道な自分磨きを行い、実力を養う必要があるといったことも指し示すので、慎重を期すことも必要な年ともいえるであろう。

私はゲッターズ飯田によると「金の時計座」で、今年は「ブレーキの年」だ。「ブレーキの年」とは、「前半は攻め、後半は守り」と入れ替わる年だそうなので、前半は行動力と決断力を、後半は現状維持を大事にしていき、そして、自分磨きに自力を蓄えていこうと思う。

以上、一部、ネットでの情報が分かりやすかったので、引用させていただいてはいるが、これは、あらゆる考え方のひとつであるので、参考にしていただけたら幸いである。

さて、これらを踏まえて、「壬寅」年の今年の日本はどのような方向に動いていくのか。
各社元日の社説がその方向性を見出しているが、産経新聞の乾正人論説委員長は「さらば『おめでたい憲法よ』」と題して、世界は、米国を中心とした「民主主義国家」と中露を主軸とした「強権国家」が対峙する新たな冷戦時代に突入したと論じ、「今年こそ真剣に憲法改正を論議しなければならない」と訴えていた。私はこの考え方とほぼ同じである。
他はネットでもアップされているので、そちらを参考にしてもらいたい。

私は、以下の3点を今年の重要ポイントとして見立てている。
①安全保障
②経済
③憲法改正

詳細については、後日、各重要ポイントを論じていきたいと思う。
「台湾有事は日本有事」とする見方は当たっているが、私の知る台湾の友人は「台湾より日本の方が心配だ」と言う。蔡英文政権に対する信頼度は高く、台湾人のアイデンティティは日本人より高いと言う。むしろ、日本の外交姿勢、若者の歴史観・国家観はいかがなものかというのが率直な思いだというのである。

私は、「安全保障」「経済」「憲法改正」において、その根幹には日本人としての正しい歴史観・国家観が国民の心の奥深くに、どのように存在しているかかが重要だと考えている。
そういった観点から、今年は、寺子屋「玉川未来塾」として以下の柱で事業を展開しようと思う。
①正しい歴史認識の確立
②経済と安全保障
③安全保障と憲法改正
イベントなどの開催の際には皆様にもご案内していきたい。

そして、最後に。
本年も私の胸の内を吐露し、イベントの企画運営や勉強会のテーマとして行動に移すことで、「思いを形に」していきたいと思うので、引き続きお付き合いくださいますよう、お願い申し上げる次第である。
2022.01.04 16:52 | 固定リンク | その他
歴史戦に勝つために
2021.12.02
去る令和3年11月29日、櫻井よしこ氏が理事長を務める公益財団法人 国家基本問題研究所の「歴史問題国際広報研究会」が政府に対し、以下の内容で政策提言をした。

とても重要な内容なので、URLを記載するので、ぜひ、ご覧いただきたい。
https://jinf.jp/news/archives/36116


私が、「寺子屋『玉川未来塾』」を立ち上げの際に思ったことであるが、改めて思う。

戦後、我が国は世界でも類を見ないほどの未曽有の経済発展を遂げ、世界第三位の経済大国となりました。そこには大東亜戦争を経験した大正生まれの世代が、命を賭して戦った英霊の思いを継ぎ、日本復興へとすべての力を注いだ故、我々は物質的・経済的な豊かさを手に入れました。

しかし、一方では祖先から引き継がれてきた日本独特の道徳心や精神的な豊かさは置き去りにされ、戦前の日本を全否定し、過去の良き日本の精神までもが、日本を封じ込めようとする様々な動きで失われようとしています。また、悪の個人主義がはびこり、平気で子を殺める親など凶悪の犯罪事件の数々、迷惑を顧みず、社会のルールを破っても平気で、しかも、自分のことしか考えない、倫理観・道徳心が欠如した者たちも増えている現状に心を痛める次第です。

日本は戦前教育を悪としたGHQの戦後政策(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)により、良き日本を封印または否定し、国民に自虐史観いわゆる「東京裁判史観」を植え付け、そして間違った歴史観・国家観をマスコミ、教育を通じて日本国民に根強く落とし込んできたことにより、日本の根幹を揺るがそうとしている事態が生じているといっても過言ではありません。
こうした状況を打開するため、日本社会における次世代のリーダーとして、日本における正しい歴史観・国家観を持った次代を担う人材を育成するべく寺子屋「玉川未来塾」を立ち上げました。産経新聞社正論調査室在職時代に手掛けた「大東亜戦争を語り継ぐ会」などのイベント通じて培ってきたノウハウを活かし、勉強会や講演会、シンポジウム、セミナーなどの事業を通じて、現代の日本人が忘れている良き日本を取り戻していきたいと思う次第です。

日本国は現在生きている私たちだけのものではありません。過去と未来の日本人のものであると思います。寺子屋「玉川未来塾」の活動を通じて良き日本を取り戻し、次世代のリーダー、次代を担う若者たちの育成、正しい歴史観・国家観を継承していくために活動してまいります。

私は、産経新聞勤務時代、約10年ちょっと、歴史戦の最前線に立っていた「雑誌『正論』」の発行部署で勤務していたが、「歴史戦」の重要性、「正しい歴史認識の大切さ」を、肌で感じていた。
産経新聞が歴史戦を展開し、それが今では月刊正論でも展開しているが、世には歴史の真実に刷り込まれたプロパガンダが、あたかも歴史の事実であるかのように拡散され、そして、それを信じている国民があまりにも多いことに驚愕するとともに、私の周囲にいる、一般的な人々は、まさにそのど真ん中にいる。重ねて言うなれば、刷り込まれたプロパガンダを信じている者が多いということである。もっと、産経新聞、月刊正論で展開している「歴史戦」を多くの方々に知っていただきたい、読んでいただきたいと心から思うのである。
私は、その事実を目の当たりにし、愕然とする中、このままでは何も変わらないとの思いから、来年度は「寺子屋『玉川未来塾』」主催で、この「歴史戦」をテーマに展開するイベントを開催する。その時は大物ゲストにご登場いただこうと思っている。

また、新たに旅行事業に着手する。
来年度の事業企画を色々と考えていたのだが、「思いを形に」を「旅行ツアー」という形にしようと考えた。
このことを、旅行会社の社長さんに相談したところ、私の企画に全面的にご協力を戴けることとなった。心から感謝申し上げる。
とは言っても、旅行事業の免許は持っていないので、私はツアー企画の案をご提供するだけ。その実働に対して、対価をいただくといった形である。

今、考えているのは以下の2点。
①特攻隊が遺したもの~私達の知らない歴史の真実と特攻基地巡り
②お伊勢参り~神様と皇室を戴く意義

これらの旅行は、色んな旅行会社が企画しツアーを組んでいるが、それらとはまた違った、「寺子屋『玉川未来塾』」でしか味わえない企画を取り入れる。

鹿児島には知覧をはじめ、万世、鹿屋に特攻基地があった。そして、現地には、まだ、私たちが知らない歴史の真実がある。そこから飛び立った特攻隊員達の思いを改めて感じるとともに、現地の方のご協力を得、平和祈念館だけでなく、ホタル館富屋食堂や霧島神宮にも行きたいと思っている。

また、お伊勢参りは、先般、伊勢神宮に参拝した際に、ご案内いただいた現地の方のご協力を全面的にいただくこととなった。そして、現地でしか味わえないことなどのご案内をお願いするとともに、日本人として神様、皇室を戴く意義と伊勢神宮のパワーや心穏やかな静寂な環境をご提供したいと思う。

これらは色んな方々のご協力があってできるもので、私にご協力をいただける皆様には心から感謝申し上げる次第である。本当にありがとうございます。

まだ、私達が知らない、歴史の本当の真実をお伝えしたい。心からそう思うのである。
歴史の真実を正しく理解し、そして、学びを深めることはとても大切である。しかし、その自分に満足しては自己満足で終わってしまう、そんな現状は打開したいとの思いは、会社を辞めてさらに実感している。
会社にいた時ではできなかったことを、そして、今後も学びを深め、そこから自分自身が、「何ができるか」を模索し、実際に行動に移して参りたいと思う次第である。
2021.12.02 07:22 | 固定リンク | その他
拉致被害者奪還のために
2021.11.18
去る、11月15日。昭和52年に横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから44年が経過した。
地村保志さん夫妻・蓮池薫さん夫妻・曽我ひとみさんの5人の拉致被害者が帰国したのは平成14年のことで20年弱の年月が経過している。しかし、政府は拉致問題を「最優先課題」としながら、5人の拉致被害者が帰国してから20年近く、ひとりの帰国も実現できていない。すなわち、拉致問題は現在進行形の問題なのである。

北朝鮮による拉致被害者の早期救出を求めて、今年も11月13日、「国民大集会」が実施された。田口八重子さんの兄で、家族会代表の飯塚繁雄さんは、集会の冒頭で「われわれは諦めるわけにはいかない。なにがなんでも解決するという思いを今回、特にブルーリボンバッジにあてた。バッジとともに、皆で勢いをつけていきたい」と語った。
ブルーリボンは、北朝鮮にいる拉致被害者と家族を結ぶ「青い空」と、日本と北朝鮮を隔てる「日本海の青」をイメージしたもので、被害者の生存と救出を信じる意思表示として広く着用されているもの。
今回の集会では、ブルーリボンに関し、12月10~16日の北朝鮮人権侵害問題啓発週間中、全ての閣僚や国会議員、地方議員らのほか、多くの国民に着用を要望。初めて決議項目に盛り込んだとされている。田口さんの長男、飯塚耕一郎さんは「ブルーリボンバッジを着けていると『これは何ですか』と聞かれることがある。まだ拉致への理解が浸透していないことを実感する」と率直な思いを明かす。
決議文では、「親の世代が被害者と抱き合うことなしには、日本の怒りは解けず、支援はあり得ないことを、北朝鮮の最高指導者に伝えることが、今大切だ」と記した。親世代を中心に高齢化が進み一刻の猶予もない現状で、日本が〝一枚岩〟となる必要性は増している。
めぐみさんの母、早紀江さんはこの日のあいさつで、「娘を13年間しか育ててあげられなかったことは本当に悔しい」と、母親としての悲痛な思いを吐露。「心が結集すれば日本は変わっていく」とし、国民一丸となっての取り組みに期待感を示した。前回(昨年10月)の国民大集会では、同じ日に、めぐみさんの父、滋さんのお別れ会が催された。この1年、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、拉致問題はこれまで以上に停滞。家族の間には、「風化」への懸念が高まった。めぐみさんの弟の拓也さんは「あっという間の1年だったが、何も前進していない。いらだちが本音だ」。そして、「自分の家族が被害者だったらどうか。拉致を我がことと捉えてほしい」と改めて国民の理解と協力を求めた。
 
私は、1日も早い帰国を祈念しつつ、来年の2/23(水・祝)に、私の私塾「寺子屋『玉川未来塾』」主催で、映画「めぐみへの誓い」上映&トークライブを開催することとした。

北朝鮮による拉致事件を題材にした映画『めぐみへの誓い』の制作発表記者会見が令和2年2月13日、参議院議員会館で行われた。今年、その映画が上映され、多くの国民が観たことであろう。
映画の原作は「めぐみへの誓い-奪還-」という演劇。横田めぐみさんが拉致されてから2年、「北朝鮮拉致事件」をテーマにした日本映画が一本も存在しない事から企画がスタート。拉致の残酷さと実態、拉致被害者救出を世界に訴えることを目的として、昨年7月にクラウドファンディングを実施。現在までで支援参加者3,500人以上、支援総額4,850万円を超えるなど多くの方の賛同と共感を得て「本格的な映画製作」が実現することになり、3月にクランクイン、そして劇場公開となった。
監督・脚本の野伏翔氏は長い間、この問題に取り組み、向き合い、そして舞台「めぐみへの誓い-奪還-」を全国公演しては拉致被害者を救うべく啓蒙活動を行っている。そして、その時の記者会見で野伏監督は「(横田さんが)元気なうちに何とかしたいという思いがある。横田さんは、いつも電話を掛けると『はいっ!』とすぐに出てくるんです。いつ、めぐみさんが帰ってくるのかと期待して…」と声を震わせながら作品に掛ける思いを語った。監督の思いは我々の想像以上に深いのである。
そんな中、拉致被害者、有本恵子さんの母、有本嘉代子さんが逝去され、横田滋さんも令和2年6月5日に亡くなられた。被害者家族のことを思うと悲しみ深く、残念でならない。

10月2日付産経新聞で横田早紀江さんは「めぐみへの手紙」で以下のように綴っている。

北朝鮮は一筋縄ではいかない、手ごわい相手であることは重々、承知しています。でも最後は、最高指導者に被害者全員を返す決断を求め、それこそが世界の平和を導く術だと、心の底から理解してもらわなければなりません。
私たちはこれまで、日本の首相が代わるたび顔を合わせ、即時解決への訴えを重ねてきました。お父さんも家族会代表として救出運動の最前線に立ち、全国を飛び回りました。体を病み入院しても、あなたと抱き合うため、病床で必死に命の炎を燃やしました。再会の思いを果たせず、天に召されたお父さん、多くの被害者家族、そして支援者の皆さん。託された奪還の願いを実現するまで、お母さんたちは倒れるわけにはいきません。
日本では近く、大切な選挙が行われます。政治家の皆さま。遠く離れた異国の暗闇で、救いを待つ子供たちを思ってください。命の問題である拉致事件を、党派を問わず真心から議論してください。知恵を絞り、一日も早く、解決への歩みを進めてください。
新たなリーダーには、残された時間の少なさを直視し、具体的な動きにつなげていただくことを願ってやみません。拉致問題はまさに、「正念場」です。国民の皆さまもどうか拉致事件を己のこととして感じ、それに向き合う政治のありようを凝視し、解決を後押ししてください。
19年前の9月17日。無事を信じて、自宅に置いためぐみちゃんの写真に「早く帰っておいで」と声をかけました。思いはかなわず、想像を絶する長い闘いになってしまいましたが、タラップから下りてくるあなたと、笑顔で抱擁できる日が必ずやってきます。
めぐみちゃん、あともう少し、待っていてね。お母さんは最後の力をふり絞って、闘いを続けます。

涙で「めぐみへの手紙」が読めなくなった。

今朝まで元気で学校に向かっていった我が子が、突然、消息不明となり、家に帰ってこない状態を想像してみてほしい。その家族は本当に平和状態だと言えますか。戦争がない状態だけが平和な状態なのか。他国に連れ去られた拉致被害者を救えないでどうして平和だと言えるのか。そして、国民はこの問題を我がことのように捉えているのだろうか。すでに、この拉致事件を知らない世代も多く、風化していく恐れもあるのが現状です。
一方で、こういった難解な問題を真剣に考えた千葉県八街市立朝陽小学校の5年生が令和元年、産経新聞東京本社を訪れ、「横田めぐみさんへ」と題した75人分の作文を届けてくれた。作文には、被害者の帰国を強く願う思いが綴られており、小学生を指導した先生と真剣にこの問題に取り組んだ小学生に敬意を表したい。
子供を殺める親、平気であおり運転をする者、「皆がしているから自分も」と迷惑を顧みず、事の真意を考えないで行動する者など、不道徳なニュースが毎日報道される。個人の主張だけが尊重され、公の問題は無関心。本当に考えさせられる。日本は確かに豊かになった。しかし、日本人として大切な何かを失っている気がしてならない昨今である。

今回、寺子屋「玉川未来塾」で開催する「映画『めぐみへの誓い』上映&トークライブ」では、長年、この拉致問題に関わってきた、ジャーナリストの葛城奈海さんや、監督の野伏翔監督らにご登壇いただき、お話をお聞きしたいと思う。
皆さんには、本映画「めぐみへの誓い」を通じ、この問題に長い間、取り組み、向かい合ってこられた野伏翔監督の思いや、横田めぐみさん役の菜月氏、横田早紀江さん役の石村とも子氏らがトークライブを通じて話す、拉致の残酷さと実態を感じて欲しい。そして、このイベントが拉致問題解決に向けて、我がこととして捉えるきっかけとなり、拉致問題早期解決に向けて、国民の声が高まり、その一助になればこんなに嬉しいことはない。
2021.11.18 07:27 | 固定リンク | その他
先人に学ぶ安全保障
2021.10.01
 日本を取り巻く安全保障環境は、日に日に厳しさを増しており、中国は野望を露わにして、尖閣諸島を取りに来ている。

 歴史を振り返ってみると、明治期において、帝国主義列強諸国は、植民地政策として、アジア諸国に侵略を進めていたが、日本は国家の危機を脱却するため、中央集権的な国家体制の形成に成功した。
その明治維新後の日本に、甚大なる成果を成し遂げた、先人の中でも以下の3人に着目し、今こそ明治維新のリアリズムに学ぼうと思う。

・福澤諭吉
 言わずも知れた人物であるが、福澤といえば「文明開化」なる用語を編み出し、著作『西洋事情』『文明論之概略』により維新期日本の欧化政策に絶大なる寄与をなした啓蒙思想家である。その福澤の思想的立脚点の一つが「立国は私なり、公に非ざるなり」(「痩我慢之説」)であった。
 帝国主義列強がアジアを蚕食する一方、支那、朝鮮がこの「西力東漸(とうぜん)」の国際政治力学を理解できず「旧套(きゅうとう)」の中に「窒塞(ちっそく)」するという現状を前にして、福澤は「公」(コスモポリタニズム)ではなく「私」(ナショナリズム)の強化こそが「立国の公道」であることを、激情をもって訴えた。
 文明は普遍である。この原理において欧米は日本より先んじているとはいえ、普遍には遠い。この段階にあっては、国家という存在と忠君愛国なる「私情」が不可欠である。確執限りなき内外条件からすれば「自国の衰頽に際し、敵に対して固(もと)より勝算なき場合にても、千辛万苦(せんしんばんく)、力のあらん限りを尽し、いよいよ勝敗の極に至りて、始めて和を講ずるか、若しくは死を決するは、立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称す可きものなり」と語り、これを痩我慢の説だと銘じた。
 人間という存在は、他の生命体と同じくその根本においては私であり、個の私情こそが至上の価値をもつ。しかし外国に対する場合には必ずや同胞としての私情が湧出し、国民としての私情すなわちナショナリズムという「偏頗(へんぱ)心」が優位を占めなければならないと福澤は説く。私情といい偏頗心というからには普遍としての文明からは隔たる心理ではあるが、各国民が私情と偏頗心を露わにしている以上、自らもこれを重んじなければ国はもたないと主張する。
 福澤は好戦主義者ではない。学問を究めて高尚なる人間として「一身独立」し、もって「一国独立す」べきことを説き、「独立の気力なき者は、国を思ふこと深切ならず」と論じて、独立不羈(ふき)の国民育成の緊急性を生涯にわたって主張しつづけた人物であった。
 今、現代の極東アジア地政学は幕末・維新期を再現させるかのごとくに剣呑な状況に入らんとしている。他国が自国の領域を平然と侵害する現状を拱手(きょうしゅ)傍観し、集団的自衛権のあれほど限定的な行使容認までに異を唱えるというのであれば、福澤はその「文明の虚脱」に泉下で深い慨嘆の息を吐いているのに違いないと考えるものであり、福澤が唱えるこれらの意義は、現在においても通ずるものでもあり、無視できないものである。

・陸奥宗光
 政治指導者に求められる資質にはさまざまなものがあろうが、最も重要な条件は国家的危機に予見し、これに迅速に対処する能力の如何である。開国・維新から日清・日露戦争に至る緊迫の東アジア地政学の中に身をおいたあまたの指導者のうち、位を極めたものはこの資質において傑出し、象徴的な政治家が陸奥宗光である。
 近代日本の最初の本格的な対外戦争である日清戦争に勝利し、下関で日清講和会議が開かれ、一進一退の攻防の末に条約調印に辿り着いた。しかし、講和条約によって割譲を受けた遼東半島の清国還付を強圧する露仏独の三国干渉が始まったのは、そのわずか一週間後のことであった。この三国干渉は、首脳部を徹底的に困惑させた。肺結核の業病に苦しみ、病に伏していた陸奥を訪れた伊藤博文との協議により、三国干渉の屈辱に甘んじることを決し、明治天皇による遼東半島還付の詔宣が出されたのは、三国干渉の開始から詔宣までの期間はわずか18日であった。「進むべしと判断した時には全力を持って相手に挑み、志ならず後退を余儀なくされた時には潔く身を引いて、次の好機に向け万全の体制を整える」。かかる政治家としての資質の在処を知る言葉である。
 日清戦争は言わずもがなだが、ロシアの南下政策を予測し、華夷秩序から朝鮮を引き剥がして朝鮮の自立を図らなければ、極東における日本の安寧はありえない。それゆえ、第三国の干渉を排して朝鮮自立の方策を立案し、さらには日清共同改革案を練り上げ、これが清国に拒否されるや、全力を清国との戦いに注ぎ込んでいこうという、外交官としての陸奥宗光の深い熟慮と迅速な判断、加えてその豪気には改めて目を見張らされるものがある。

・小村寿太郎
 小村寿太郎は明治33(1900)年2月に駐露公使に任用され、明治34(1901)年1月に北京に赴任。義和団事件対処の全権を与えられ、同年12月には駐清行使となった。小村はただちに清国皇帝・慶親王に謁見、義和団事件終息における露清協定を締結してはならない、ロシアの満州撤兵の約束をすぐ実行すべきだと進言。小村は日本の外務省を動かし、外務大臣ウラジミール・ラムズドルフに露清協定の有無を改めて問わせ、協約が事実であれば、その釈明を求めるよう迫った。しかし、ラムズドルフの回答は、木で鼻をくくったようなものであった。
露清協定は絶対にこれを認めないという小村の意思は固く、英独両国に対して「我が政府は協約案の撤回をもって列国全体の利益のために望ましきものと確信し、清国に対し指定の期限内に調印することなく、露国をしてこれを撤回するにいたらしむべきを勧告すべく、これについて英独両国政府と共同せんことを欲す」と働きかけ、同意を得た。
 清国は、結局のところ、自力ではどうすることもできず、外国の力を乞い、辛うじて窮状を脱することができたのである。露清協定は廃案となり、ひとまず満州は安定した。そして、小村は日英同盟締結へと尽力する。日英同盟の成立は、明治35(1902)年1月30日。この同盟の日本にとっての目的は、清国の領土保全、朝鮮の自主独立であった。その根本は、ロシアに対する日本の安全保障の確立である。
 小村は、明治期の政治家の一大資質たる「国権主義」を絵に描いたような人物であった。外交舞台は終始一貫、満州問題であり、この地に対するロシアの野心を砕くことに専心した。ロシア陸軍の協力にして残忍なることを知る小村は、日本が独力でこれに抗するのではなく、ロシアを共同の敵とする利害等しき他国と同盟して、ことに構えるべきだと考えていた。そして、ロシア協商論(満韓交換論)者の伊藤博文・井上馨に対し、対露強硬論者の桂太郎・小村寿太郎の論戦は有名であるが、元老会議において意見を戦わし、元老の主張にも一歩も引かない論戦を展開した。そんな逸話は数知れず。そして、日露戦争に突入し、辛勝した日本の講和条約へと向かう。その交渉力はまさしく獅子奮迅の如しである。

 日本を取り巻くアジア地政学の現在をどう読み解くか。振り返っておくべきは、極東アジアの近現代史である。近代日本における最大のテーマは、巨大なユーラシア大陸の中国、ロシアに発し、朝鮮半島を伝わって張り出す「等圧線」からいかにして身を守るか、にあった。

 現在の中国は、国際上秩序を無視して、力による海洋の現状変更に強固な態度を崩さない。北朝鮮は幾度となく核実験、ミサイル発射を敢行している。
 渡辺利夫拓殖大学顧問の著書『決定版 脱亜論』で福沢諭吉に触れ、以下のように記している。

「明治11年の『通俗国権論』において福澤は『大砲弾薬は以て有る道理を主張する備えに非ずして無き道理を造るの器械なり』という。
『無き道理を造』ろうとしている中国と北朝鮮に、国際法を順守せよといっても、所詮は“蛙の面に水”である。『苟も独立の一国として、徹頭徹尾、外国と兵を交ゆべからざるものとせば、猶一個人が畳の上の病死を覚悟したるが如く、即日より独立の名は下すべからざるなり』という。
外交が重要であるのはいうまでもないが、弓を『引て放たず満を持するの勢を張る』国民の気力と兵力を後ろ盾に持たない政府が、交渉を通じて外交を決することなどできはしない、と福澤はいう。極東アジアの地政学的リスクが、開国・維新期のそれに酷似する極度の緊迫状況にあることに思いをいたし、往時の最高の知識人(福澤諭吉)が、何をもって国を守ろうと語ったのか、真剣な眼差しでこのことを振り返る必要がある」と。

 評論家の江崎道朗氏が説く「DIME」の考え方は、今、考えれば、明治期には実践され、そして、戦前のインテリジェンスは、今よりも精度が高いものであった。現在の我々との違いの最たるものは、「死と隣合わせであったか否か」であると考える。戦争もなく、憲法9条に守られていると誤解を晴らそうともしない、そして、危機感がない現代社会において、明治期における安全保障と比べ物にならないかもしれないが、少なくとも、危機を脱したそこには、日本を護るという「気概」と何ものにも屈しない「独立不羈」の精神があった。故に、法整備及び防衛力、経済力増はさることながら、国民一人一人が日本を護る気概を確立する必要があるということに至り、現状における日本の危機に対し、先人の学ぶべき数多い「先例」は「安全保障国難」を打開する一つであると考える。
2021.10.01 09:28 | 固定リンク | その他
自民党総裁選について
2021.09.30
 今回は自民党総裁選について(9月30日寄稿)。政局について語るのは自分としては本意ではないのだが、今回は触れることとした。

 9月29日、自民党総裁選で岸田文雄前政調会長が新総裁に選ばれた。

 まずは、菅義偉首相については、首相就任後、1年余りにわたり、コロナ対策をはじめ、デジタル庁、安全保障環境、皇位継承問題など、日本にとって、とても重要な案件を、日本が歩むべく道に方向性を示してくださり、心から感謝を申し上げたい。そして、お疲れ様でした。

 今朝の産経新聞にとても大切で参考になる記事が多いので、所々、引用させていただきたい。

 今回の総裁選は、政策通の4人が、激しい論戦を繰り広げ、とても良い総裁選であったと感じた。その中でも、高市早苗前総務相、そして、私とは考え方は違うが野田聖子幹事長代行には、堂々と自分の政治信念を貫き、持論を展開し、立派に戦い抜き、政治信念を曲げた河野太郎ワクチン担当相と大きな差を良い方に感じた。
野田氏は、リベラル色は強いが、しっかりと政策論争ができるし、野田ファンが多いということも納得できるし、実感できた。
高市氏は次につながる敗戦でもあった。特に、本命視されていた河野氏の得票を、議員票で28票も上回ったのは予想外だった。また、結果報告会に出席した安倍晋三前首相が「私たちは高市氏を通じて、本来自民党はどうあるべきか、しっかりと訴えることができた。他の候補にも影響を与えた」と語り、高市氏も「私は歩みを止めない。政策を磨き上げ、また次に向かって一緒に歩んでくださることをお願いする」と語った。次へと望みを繋げたのはとても大きい。

 私は、今回の総裁選に当たり、次の論点に注目していた。
①コロナ対策
②経済政策
③安全保障政策
④皇位継承問題

 特に「皇室問題」は日本国の一丁目一番地。「男系男子」による皇位継承であるべきで、先例のない「女系天皇」はあってはならないというのが、私の考えである。以前にも書いているが、皇位継承問題で大事にしなければならない原則があり、それは「①先例②男系③直系」である。この3つはどれが欠けても皇室の歴史は語れない。そして、大事なのが順番である。故に、歴史を守る方法は先例から探すべきなのだ。このことは、今後、とても重要なキーワードになるので、読者の皆様の頭にもしっかりと入れておいていただきたい。
 
 新総裁になった岸田氏は9月8日の産経新聞のインタビューで、総裁任期中に憲法改正を目指すと強調。皇位継承は「『女系天皇』以外の方法で考えるべきだ」と明言した。私としては、少し安堵した。安全保障分野では弾道ミサイルを相手領域内で阻止する「敵基地攻撃能力」の保有を主張し、安倍氏と歩調を合わせている。
とはいえ、岸田氏はリベラル色が強い宏池会の流れを汲む。本日の産経新聞には「岸田派内には、こうした安保政策に懸念の声があり、保守勢力が警戒する選択的夫婦別姓への賛成論も根強い。対応を誤れば総裁選勝利の原動力となった保守勢力が離れる可能性がある」と。岸田派は46人にとどまり、党内第5派閥。岸田氏を支える勢力としては少数派である。派閥外にも協力者を募らなければ、政権は維持できないだろうと考える。そのためには、安倍・麻生両氏の協力を求めることは必要不可欠であろう。

 まずは10月24日投開票の参院静岡、山口両選挙区の補欠選挙、そして11月までに行われる衆院選を勝利に導き、総裁選での訴えを着実に実現し、支持基盤を盤石にすることが急務となる。

 一方の河野氏は「女系容認派」で、しかも、年金、安全保障などに関する曖昧な発言だけでなく、テレビ出演時などで見せたすぐキレる姿や高飛車で乱暴な口の利き方には、観ていて不愉快になったことだけでなく、平成24年の総裁選で、当初は本命候補だった石原伸晃元幹事長が、軽い発言で失速していったのと重なってみえた。そして、失速。ある意味、当然と言えば当然だが、全国の党員党友票が一番であることに違和感を覚えている。はたして、どういった種の自民党員なのか。リベラルなのか、保守なのか。構成員の種別を知りたい。

 高市氏の総裁選出馬はある意味、「河野氏潰し」でもあり、「自民党保守路線の立て直し」でもあったのではないかと感じる。「阿比留瑠比の極言御免」での言葉を引用させていただくと、「選対本部に入るなど表立つことはせずに、高市氏を支援した安倍晋三前首相は数日前、周囲に語った。『高市さんは自分で運をつかんだ。彼女は私と勉強会をしていたことや、私にもう一度総裁選に出るよう要請して断られたことを、あえて(8月26日のBS日テレ番組で)明らかにした。それにより、行き場を失っていた岩盤保守層の支持を集めた』。それまでの安倍氏は、総裁選候補がリベラル派ばかりになることを危惧していた。直近の衆院選に向け、ただでさえ自民党から心が離れる傾向にあった保守層が、ますますそっぽを向きかねないからである。ただ当初は、高市氏が総裁選出馬に意欲を示していることについては『彼女は他の議員との付き合いが薄い』と述べるなど、必ずしも積極的だったわけではない。それが自ら党所属議員らに電話をかけて高市氏支持を呼び掛けるほど熱心になった理由の一つは、8月下旬の段階から『本気で勝ちにいく』と述べていた高市氏の決意が伝わったからだろう。実際、総裁選の討論会などでの高市氏の保守的な政策発信は、他の候補にも一定の影響を与えた」。

 高市氏の今後に期待を大きくするが、阿比留瑠比論説委員兼政治部編集委員も書いているように「他の議員との付き合いが薄い」と人脈に難を覚える。官僚も含め、今後のためにも人脈作りに精を出していただきたい。そして、評論家の江崎道朗氏も自身のSNSで、「本格的な高市政権を目指すならば、今回は、党務に専念し、政権構想を煮詰める準備を進めた方がいいように思います」と言っている。私も同感である。今は焦らず、次を見据えて強固となる地盤作りをしていただきたい。

 こうして岸田新総裁になり、次の衆院選挙はご祝儀選挙であると考えるが、議席は落とすことは免れないだろう。しかし、菅政権時のような激減ではなかろう。ただ、問題は来年7月の参議院選挙。参議院選挙は常に苦しい選挙戦を展開している。ここで勝利しなければ、衆参ねじれ現象をおこし、念願の憲法改正は、また一段と遠ざかる。岸田新総裁の手腕が問われる。

10月4日召集の臨時国会で首相指名選挙が行われ、宮中での認証式などを経て岸田内閣が発足する。今後の岸田内閣に期待するのは、組閣の閣僚人事もさることながら、近々の課題であるコロナ対策をはじめ、経済政策、安全保障政策、皇位継承問題、そして憲法改正をどのような方向性で進めようとしているかである。目的を明確化し、これらにどのような指針を示すのか、楽しみである。ましてや経済政策において「再分配」を唱える岸田氏が財政出動をさせ、その金の使い方をどうするかは良くない方向で目が離せない。そのためにも、日本維新の会や国民民主党がしっかりと野党の働きを示すよう、期待する。建設的でない、文句ばかりの立憲民主党はもういらないし、日本の国益にならない。
2021.09.30 09:11 | 固定リンク | その他

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