ロシアのウクライナ侵略に思うこと
2022.03.09
ロシアによるウクライナ侵略は日を追うごとに激しさを増している。しかも、軍人だけでなく民間人や民間施設も攻撃し、多大な犠牲者を出している。そして、原子力発電所を攻撃するなど、やることが度を越している。国際法違反であることは誰もが承知であるにも関わらず、誰もプーチン露大統領を止められない。プーチン氏は3日、フランスのマクロン大統領に目的達成まで攻撃はやめないと宣言した。
何故、彼はこうまでしてウクライナを攻撃し、侵略するのであろうか。ここ数年の動向に目を向けてみたい。


令和2年6月の産経新聞によると「米政治外交誌「ナショナル・インタレスト」(電子版)は18日、ロシアのプーチン大統領の論文『第二次世界大戦75年の本当の教訓』を掲載した。『大戦はナチス・ドイツと旧ソ連が引き起こした』との歴史認識を示した欧州議会を批判し、反論する内容。プーチン氏には、ソ連と後継国ロシアが国家の存立基盤としてきた『ファシズムからの解放者・戦勝国』との立場を守るとともに、領土問題を含む戦後秩序を正当化する意図があるとみられる」との記事。
その論文でプーチン氏は「第一次大戦後、欧州はドイツに莫大な賠償金を背負わせナチスの台頭を招いた」と指摘し、英仏を中心に設立された国際連盟はスペイン内戦や日本の中国進出を防げなかったとも述べている。さらに、英仏伊独による38年のミュンヘン会談で、各国がナチスに融和姿勢を取ったことが大戦の「引き金」になったとの認識を示しているものである。また、プーチン氏は「ソ連がドイツと不可侵条約を結んだのは欧州諸国で実質的に最後だった」と主張し、同条約締結は一連の国際情勢の帰結にすぎず、「ソ連を非難するのはアンフェアだ」としている。欧州議会の決議は、ミュンヘン会談に一切触れていないとも批判。その上で41年に始まった独ソ戦に関し、「ソ連は多大な血を流し、ナチスの敗北に決定的な貢献を果たした」と評価。対日戦に関しても「完全に(連合国間の)ヤルタ合意に従ったものだった」としたほか、「連合国が日本の軍国主義を打倒した」とした。
そして、プーチン氏は最後に、大戦後の世界秩序にも言及し、国連安全保障理事会の常任理事国5カ国の努力により、第三次大戦が防がれてきたとの認識を示した。その上で、5カ国が持つ拒否権を廃止すれば国連は無力化すると警告した」との内容だ。


ここで書かれている「欧州議会が示した歴史認識」とは何であろうか。
評論家の江崎道朗氏の著書『日本人が知らない近現代史の虚妄』によると、ベルリンの壁が崩壊した1989年以降、少しずつ自由と独立を取り戻した中・東欧諸国は、ソ連と共産党による戦争犯罪を追及する動きを始め、第二次世界大戦勃発80年に当たる2019年9月19日、欧州連合(EU)の一組織である欧州議会が、「欧州の未来に向けた重要な欧州の記憶」と題する決議を可決した。それは、次のような内容である。
「第二次世界大戦は、前例のないレベルの人的苦痛と欧州諸国の占領とを、その後数十年にわたってもたらしたが、今年はその勃発から80周年にあたる。80年前の8月23日、共産主義のソ連とナチス・ドイツがモロトフ・リッベントロップ協定と呼ばれる不可侵条約を締結し、その秘密議定書で、欧州とこれら2つの全体主義体制に挟まれた独立諸国の領土とを分割して、彼らの権益圏内に組み込み、第二次世界大戦勃発への道を開いた」。
いわゆる、ソ連もまた、「侵略国家だ」と指摘しているのだ。そのソ連を「正義」の側に位置付けた「ニュルンベルク裁判」は間違いだとして事実上、戦勝国史観を修正しているのだ。実際、ソ連は第二次世界大戦中、ヨーロッパ各国を侵略・占領した。決議はこう指摘する。
「ポーランド共和国はまずヒトラーに、また2週間後にはスターリンに侵略されて独立を奪われ、ポーランド国民にとって前例のない悲劇となった。共産主義のソ連は1939年11月30日にフィンランドに対して侵略戦争を開始し、1940年6月にはルーマニアの一部を占領・併合して一切返還せず、独立共和国たるリトアニア、ラトビア、エストニアを併合した」。
ソ連の侵略は戦後も続き、戦時中にソ連に占領されたポーランドやバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)では、知識人の処刑、略奪・暴行などが横行した。
しかも第二次世界大戦後、ソ連に占領された、これらの国々ではソ連の武力を背景に共産党政権が樹立され、ソ連の衛星国にされたが、その責任は追及されてこなかった。よって欧州議会はこう指摘する。
「ナチスの犯罪はニュルンベルク裁判で審査され罰せられたものの、スターリニズムや他の独裁体制の犯罪への認識を高め、教訓的評価を行い、法的調査を行う喫緊の必要性が依然としてある」。
ソ連を「正義」の側と見做した戦勝国史観を見直し、旧ソ連と共産主義体制の責任を追及せよ。こう欧州議会は提案しているのだ。
江崎氏の論考を引用させていただいたが、詳しくは『日本人が知らない近現代史の虚妄』を購入し、熟読していただきたい。


こうした背景の以前には、ソチ冬季五輪後の2014年3月18日、ロシアは2日前にウクライナから分離したばかりのクリミア半島を併合した。プーチン氏は新時代の幕開けを告げるそのスピーチのなかで、数世紀前からのロシアの歴史をたびたび引き合いに出した。
ロシアにおける正教の起源や、ロシア帝国建国の礎となった陸や海での軍事的勝利の話を挙げながら、1990年代以降、ロシア国内で高まった不安について指摘した。ソ連崩壊後、ロシアは自国の利益を守ることに失敗した。プーチン氏の話の中心にあったのが、クリミア半島だった。クリミアは「昔も今もロシアから切り離すことのできない一部だ」とプーチン氏は宣言している。ロシア政府がクリミア半島の編入を決めた背景には「理不尽な歴史的不正」を正したいという思惑があったようだ。その「不正」の先頭に立ったのがボルシェビキである。彼らはロシアが征服した土地を、ソ連の新たな構成国であるウクライナ共和国とした。すると1954年、ソ連の最高指導者のニキータ・フルシチョフはクリミア半島をロシア連邦からウクライナに移管するという運命の決断を下した。そして、1991年にソ連が崩壊すると、ロシア語を母国語とするクリミア半島は、「一袋のジャガイモのように」ウクライナに引き渡されたとプーチン氏は言う。こうしてロシア国家が国境によって分断されてしまったというのがプーチン氏の考えだと。


2016年12月に新潮社から発行された『プーチンの世界「皇帝」になった工作員』(フィオナ・ヒル、クリフォード・G・ガディ共著)によると、「ウラジミール・プーチンは伝統的かつ保守的な信念を持つロシア人政治家であり、世界秩序のなかでロシアが特別な役割を果たしてしかるべきだと信じている。ロシアは唯一無二の歴史、文化、言語を持つ、世界でも類まれな文明大国の一つなのだ」と。そして、「プーチンは、ソ連崩壊後に形成された現在の世界の政治および安全保障は、ロシアの“特別な役割”を否定するだけでなく、主権国家としての存続を脅かすほどロシアを不利な立場に置くものと考えている。そのため、プーチンは現在の秩序を変えることを自らの責務としているのだ」。
プーチン氏はウクライナをはじめとする旧ソ連経済をユーラシア連合に再び取り込もうとしているのは間違いがないことであろうし、この背景には競争力に乏しいロシア製品を売る地域的な市場を確保することで、外部の経済的打撃からロシア経済を守ろうとする緊急の取り組みであったと、前述の著書では指摘している。しかし、その一方でEUは、そのプーチン氏の思惑とは違い、4つの旧ソ連諸国(グルジア、ウクライナ、アルメニア、モルドバ)と独自の協定を結ぼうとしていた。プーチン氏としては、ウクライナが自身の構想の肝だと考えていたから、EUやウクライナと思惑がぶつかったのだ。


「2008年のグルジア戦争、13年~14年のウクライナ戦争までのあらゆる出来事には直接的なつながりがあった。5年という期間を挟んで2つの戦争が起きたことで、そのつながりはなかなか見えにくい。しかし、2つの戦争が起きることは、最初から決まっていた」、と『プーチンの世界「皇帝」になった工作員』には書かれている。そして、プーチン氏は「2008年、ロシアとウクライナが死活的利益を共有することを明言した。ウクライナとNATOが正式な関係を結ぼうとしただけでも、それはロシアにとって直接の脅威となる、と。08年4月のNATOブカレスト・サミットでジョージ・W・ブッシュ米大統領がウクライナ問題について話し合おうとすると、プーチンは冷たくこう言い放ったという。「ジョージ、君は分かっていないね。ウクライナは国家でさえない。では何なのか?その領土の一部は東欧に属しているが、大部分はわれわれからの贈り物なのだ」と。


色々な思惑と歴史が深く絡み合う中で起きたロシアのウクライナ侵略。最近のテレビ報道で、橋下徹氏の言動が物議を醸しだしている。
橋下氏は3月3日、フジテレビ朝の情報番組『めざまし8』に生出演した際に、ロシアに侵攻されたウクライナに住むすべての人々に対して「国外退避すべきだ」と持論を展開。同番組に一緒に出演したウクライナ出身で日本在住の政治学者であるグレンコ・アンドリー氏との会話の中で、具体的には以下のように述べた。
「祖国防衛のために命を落とすことが一択になるということが、僕は違うと思うんですね。いまウクライナの方々が命を賭けて戦っていることには本当に敬意を表しますけども、本当にそれだけなのか。一旦、日本に逃げておいでよと。日本がかつて太平洋戦争でそういう時があったわけじゃないですか。僕はもう少しずる賢く考えれば、プーチン大統領だってどこまで生きるんですか。今70ですよ、あと30年も生きられませんよ。西側諸国がロシアの経済制裁をやってるって言うんだったら、ロシアの瓦解を狙っているって言うんだったら、ロシアが瓦解するまで国外で退避したっていいじゃないですか。祖国防衛、そこで命を落とす、それしかないという状況にみんななってしまうと、国外退避することが恥ずかしいことだ、それやっちゃいけないことだ、売国奴だという批判を恐れてしまうような空気、僕はおかしいと思う」
「アンドリューさん、日本で生活してて良いんでしょう。未来が見えるじゃないですか。あと10年、20年(国外で)頑張りましょうよ。そこからウクライナ立て直したっていいじゃないですか、プーチンだっていつか死ぬんですから。(ウクライナ国民を)どんどん国外退避さしたらいいんですよ、だって西側諸国は武器しか供与しないんですから」
橋下氏は、全ウクライナ国民を10年から20年ほど国外に退避させて、その後に国へ帰ってからウクライナを再建したらいいと発言したのだ。この発言は全くもって同意できない。共産主義国の中国は毛沢東が亡くなっても、日本に対する圧力を決して弱めておらず、かえって世界の脅威になっている。そして、2049年には世界を征服しようと目論んでいるのだ。
この橋下氏の発言に対してアンドリュー氏は番組内で以下のように反論した。
「仮に100万人が逃げても4000万人が(ウクライナから)逃げられません。ロシアに支配されたら必ず殺戮が起こります。それはロシアという国の本質なんです。彼(プーチン)はいずれ死ぬとおっしゃいますけど、彼は70歳で元気ですよ。あと20年生きるかもしれません、その20年の間にウクライナ全土に何をするかわからないし、もし彼のウクライナ支配が確立した場合、次に似たような指導者が出てきたらそれ(支配)が続くんです。独立性を失った状態は長引くかもしれないんです」。


靖国問題、安全保障に関する考え方など、橋下氏は近現代史の歴史観が全くもって理解していないと思うのは私だけではないはず。故石原慎太郎氏も橋下氏と袂を分かった際に、この問題を指摘していた。ここ数年のロシアとウクライナの歴史を振り返っても一筋縄ではいっていないのに、祖国を守る考え方を捨て、相手に屈するなど、橋下氏の考え方を、私は到底受け入れられない。
日本は、北朝鮮による弾道ミサイル発射や、北方領土ではロシアに、竹島では韓国による実効支配に陥っている。さらには、中国における尖閣諸島、沖縄をめぐる領土問題において、予断を許さない状況が続いており、日本を取り巻く安全保障環境は一段と厳しさを増している。にもかかわらず、岸田首相の国会発言をはじめ、我々国民も含め、日本の平和ボケは度を増している。世界では戦争が勃発しているにもかかわらず、である。日本は祖国を守るために、憲法改正、自衛隊予算の増強、核開発議論におけるまで実態を変えなくては、国がもたないところまで来ている、日本が日本でなくなってしまう恐れがあるという危機感を感じてならない。今までとは異なる環境と実態であることに目を背けてはならないのだ。


櫻井よしこ氏は、産経新聞の連載「美しき勁き国へ」に「国守る意志を持て」とのテーマで以下のように記している。一部抜粋し紹介する。

「冷戦終結から約30年、私たちはいま初めて、核の使用をいとわない専制独裁者の出現に直面し、あってはならない現実に驚愕している。同時に私たちはプーチン氏に立ち向かう鮮烈な指導者の出現を得た。ウクライナのゼレンスキー大統領だ。氏は米国が亡命の手段を申し出たのに対し、「必要なのは武器だ。乗り物ではない」と拒否した。米国と北大西洋条約機構(NATO)にウクライナ上空への飛行禁止区域設定を要請し拒否されると、ならばもっと武器や戦闘機を送れと要求した。
戦い抜く姿勢は1ミリも揺らいでいない。命懸けだ。国と運命を共にする覚悟を世界に示した。人々の心に、あるべきリーダー像を深く刻みこんだ。リーダーとは戦うものだ。国を愛するとは命を懸けて守ることだと示した。21世紀に引き起こされた異常な戦争にどう立ち向かうかをゼレンスキー氏の決断が示している。プーチン氏の悪魔の核の脅しに立ち向かうには、戦うしかないのだと告げている。
これこそ、日本人が心に刻むべき姿であろう。国を守ることは、こういうことだったと、思い出すべきだろう。日本は敗戦後、戦うことを忘れた。祖国は自らが守るものだという国家としての原点を捨て去り、米国に守られるのを当然視してきた。そんなだらしのない国を、世界は生きのびさせてはくれまい」。

戦争を擁護するわけではないし、もちろん戦争はあってはならないとする立場であるが、今回、ウクライナ国民の祖国を守る態度に、感動を覚えるとともに、明日は我が身であると思い知らされた。
歴史は繰り返す。過去の歴史を正しく認識、理解することは必至であり、過去から学び、そして、日本国を守るために我々は何をしなくてはならないかを今一度考えていく必要があることに声を大にして言いたい。そして、批判を恐れず行動に移すべきであり、そういう仲間を増やす必要があると心から思った次第である。
2022.03.09 11:33 | 固定リンク | その他
令和4(2022)年はどんな年か
2022.01.04
新年おめでとうございます。
昨年中は私のこのブログにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。心より感謝申し上げます。

昨年は、1月に「玉川博一事務所」を立ち上げ、本格的に「玉川習字教室」と「寺子屋『玉川未来塾』」をスタートさせた多忙な一年であった。コロナ禍ということもあり、特にイベント事業は思うような成果を挙げることはできなかったが、今年は安定した事業展開を図るためにも、結果を重視していきたいと思っている。

さて、令和4(2022)年はどんな年か。
暦でいうと「五黄土星中宮」、十干十二支でいうと「壬寅」年である。
私は、五行陰陽説を勉強していることもあり、その視点から今年はどんな年になるかをみていきたいと思う。

まず、その前提として、五行とは。
古代中国に端を発する自然哲学の思想で、万物は火・水・木・金・土の5種類の元素からなるという説。また、5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底に存在するというものだというものである。
そして、それらには「陰」と「陽」があるというのが、五行陰陽説だ。
例えば、細木数子の六星占術に天王星人「+」と「-」、また、ゲッターズ飯田の五星三心占いの「金」と「銀」はその類になる。

このことを頭に入れてから、読み進めていただきたいと思う。

「五黄土星」は「土の性」。「土」は植物の芽が地中から発芽する様子が元となっていて、万物を育成・保護する性質を表す。「季節の変わり目(春夏秋冬の土用)」の象徴である。

「壬(みずのえ)」。「壬」の文字の意味は「妊に通じ、陽気を下に姙」、厳冬を耐えて内に蓄えた陽気で次代の礎となること。土の下で芽が膨んで土がぐんと盛り上がっている様子、もしくは生き物が子孫を残すための繁殖期をイメージすると理解しやすいと思う。そして、五行でいう「水の陽」の因子を持つ。「水」は静寂、堅守、停滞、冬の象徴、「陽」は激しいとか大きいといった意味があるので、「壬」は、厳冬、静謐、沈滞といったことを表す。

「寅」は十二支の3番目で、生命の循環で言えば初めの位置に近く、誕生を表す。「寅」の文字の意味は「蟺(ミミズ)に通じ、春の発芽の状態」、豊穣を助けるミミズが土の中で動き、芽吹きが始まった状態。暖かくなって虫たちが動き出し、春の胎動を感じさせるイメージで、陰陽五行説では「木の陽」に分類される。五行の「木」は成長、発育、誕生、春の象徴。つまり「寅」は、強く大きく成長するといったことを表す。

そして、五行では関係性によって、お互いを打ち消し合ったり、強め合ったりといったことが起きる。「壬」と「寅」の関係は、「水生木」の「相生」と呼ばれる組み合わせである。これは、木は水によって養われ、水が無ければ木は枯れてしまう。つまり「壬」が「寅」を補完し強化する関係となる。
よって、これらを合わせ考えると、陰陽五行説から見た2022年の干支「壬寅」は、「陽気を孕み、春の胎動を助く」、冬が厳しいほど春の芽吹きは生命力に溢れ、華々しく生まれることを表しているという年と予測される。

しかし、五黄土星は「土の性」。「壬」の「水」も「寅」の「木」も、相手を打ち滅ぼしていく「陰」の関係でそれを「相克」という。
「木剋土」と呼ばれる関係は、木は根を地中に張って土を締め付け、養分を吸い取って土地を痩せさせる意味があり、「土剋水」と呼ばれる関係は、土は水を濁す、また、土は水を吸い取り、常にあふれようとする水を堤防や土塁等でせき止める意味がある。
しかし、相剋の中にも「相生」がある。例えば、土は木の根が張ることでその流出を防ぐことができ、水は土に流れを抑えられることで、谷や川の形を保つことができるといったことである。

先程、「『陽気を孕み、春の胎動を助く』、冬が厳しいほど春の芽吹きは生命力に溢れ、華々しく生まれることを表しているという年」と言ったが、突っ走るのではなく、時には抑える力も必要であり、根を張る動き、地道な動きも大切となる。よって、総合的に「壬寅」年は、春の胎動が大きく花開くために、地道な自分磨きを行い、実力を養う必要があるといったことも指し示すので、慎重を期すことも必要な年ともいえるであろう。

私はゲッターズ飯田によると「金の時計座」で、今年は「ブレーキの年」だ。「ブレーキの年」とは、「前半は攻め、後半は守り」と入れ替わる年だそうなので、前半は行動力と決断力を、後半は現状維持を大事にしていき、そして、自分磨きに自力を蓄えていこうと思う。

以上、一部、ネットでの情報が分かりやすかったので、引用させていただいてはいるが、これは、あらゆる考え方のひとつであるので、参考にしていただけたら幸いである。

さて、これらを踏まえて、「壬寅」年の今年の日本はどのような方向に動いていくのか。
各社元日の社説がその方向性を見出しているが、産経新聞の乾正人論説委員長は「さらば『おめでたい憲法よ』」と題して、世界は、米国を中心とした「民主主義国家」と中露を主軸とした「強権国家」が対峙する新たな冷戦時代に突入したと論じ、「今年こそ真剣に憲法改正を論議しなければならない」と訴えていた。私はこの考え方とほぼ同じである。
他はネットでもアップされているので、そちらを参考にしてもらいたい。

私は、以下の3点を今年の重要ポイントとして見立てている。
①安全保障
②経済
③憲法改正

詳細については、後日、各重要ポイントを論じていきたいと思う。
「台湾有事は日本有事」とする見方は当たっているが、私の知る台湾の友人は「台湾より日本の方が心配だ」と言う。蔡英文政権に対する信頼度は高く、台湾人のアイデンティティは日本人より高いと言う。むしろ、日本の外交姿勢、若者の歴史観・国家観はいかがなものかというのが率直な思いだというのである。

私は、「安全保障」「経済」「憲法改正」において、その根幹には日本人としての正しい歴史観・国家観が国民の心の奥深くに、どのように存在しているかかが重要だと考えている。
そういった観点から、今年は、寺子屋「玉川未来塾」として以下の柱で事業を展開しようと思う。
①正しい歴史認識の確立
②経済と安全保障
③安全保障と憲法改正
イベントなどの開催の際には皆様にもご案内していきたい。

そして、最後に。
本年も私の胸の内を吐露し、イベントの企画運営や勉強会のテーマとして行動に移すことで、「思いを形に」していきたいと思うので、引き続きお付き合いくださいますよう、お願い申し上げる次第である。
2022.01.04 16:52 | 固定リンク | その他
歴史戦に勝つために
2021.12.02
去る令和3年11月29日、櫻井よしこ氏が理事長を務める公益財団法人 国家基本問題研究所の「歴史問題国際広報研究会」が政府に対し、以下の内容で政策提言をした。

とても重要な内容なので、URLを記載するので、ぜひ、ご覧いただきたい。
https://jinf.jp/news/archives/36116


私が、「寺子屋『玉川未来塾』」を立ち上げの際に思ったことであるが、改めて思う。

戦後、我が国は世界でも類を見ないほどの未曽有の経済発展を遂げ、世界第三位の経済大国となりました。そこには大東亜戦争を経験した大正生まれの世代が、命を賭して戦った英霊の思いを継ぎ、日本復興へとすべての力を注いだ故、我々は物質的・経済的な豊かさを手に入れました。

しかし、一方では祖先から引き継がれてきた日本独特の道徳心や精神的な豊かさは置き去りにされ、戦前の日本を全否定し、過去の良き日本の精神までもが、日本を封じ込めようとする様々な動きで失われようとしています。また、悪の個人主義がはびこり、平気で子を殺める親など凶悪の犯罪事件の数々、迷惑を顧みず、社会のルールを破っても平気で、しかも、自分のことしか考えない、倫理観・道徳心が欠如した者たちも増えている現状に心を痛める次第です。

日本は戦前教育を悪としたGHQの戦後政策(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)により、良き日本を封印または否定し、国民に自虐史観いわゆる「東京裁判史観」を植え付け、そして間違った歴史観・国家観をマスコミ、教育を通じて日本国民に根強く落とし込んできたことにより、日本の根幹を揺るがそうとしている事態が生じているといっても過言ではありません。
こうした状況を打開するため、日本社会における次世代のリーダーとして、日本における正しい歴史観・国家観を持った次代を担う人材を育成するべく寺子屋「玉川未来塾」を立ち上げました。産経新聞社正論調査室在職時代に手掛けた「大東亜戦争を語り継ぐ会」などのイベント通じて培ってきたノウハウを活かし、勉強会や講演会、シンポジウム、セミナーなどの事業を通じて、現代の日本人が忘れている良き日本を取り戻していきたいと思う次第です。

日本国は現在生きている私たちだけのものではありません。過去と未来の日本人のものであると思います。寺子屋「玉川未来塾」の活動を通じて良き日本を取り戻し、次世代のリーダー、次代を担う若者たちの育成、正しい歴史観・国家観を継承していくために活動してまいります。

私は、産経新聞勤務時代、約10年ちょっと、歴史戦の最前線に立っていた「雑誌『正論』」の発行部署で勤務していたが、「歴史戦」の重要性、「正しい歴史認識の大切さ」を、肌で感じていた。
産経新聞が歴史戦を展開し、それが今では月刊正論でも展開しているが、世には歴史の真実に刷り込まれたプロパガンダが、あたかも歴史の事実であるかのように拡散され、そして、それを信じている国民があまりにも多いことに驚愕するとともに、私の周囲にいる、一般的な人々は、まさにそのど真ん中にいる。重ねて言うなれば、刷り込まれたプロパガンダを信じている者が多いということである。もっと、産経新聞、月刊正論で展開している「歴史戦」を多くの方々に知っていただきたい、読んでいただきたいと心から思うのである。
私は、その事実を目の当たりにし、愕然とする中、このままでは何も変わらないとの思いから、来年度は「寺子屋『玉川未来塾』」主催で、この「歴史戦」をテーマに展開するイベントを開催する。その時は大物ゲストにご登場いただこうと思っている。

また、新たに旅行事業に着手する。
来年度の事業企画を色々と考えていたのだが、「思いを形に」を「旅行ツアー」という形にしようと考えた。
このことを、旅行会社の社長さんに相談したところ、私の企画に全面的にご協力を戴けることとなった。心から感謝申し上げる。
とは言っても、旅行事業の免許は持っていないので、私はツアー企画の案をご提供するだけ。その実働に対して、対価をいただくといった形である。

今、考えているのは以下の2点。
①特攻隊が遺したもの~私達の知らない歴史の真実と特攻基地巡り
②お伊勢参り~神様と皇室を戴く意義

これらの旅行は、色んな旅行会社が企画しツアーを組んでいるが、それらとはまた違った、「寺子屋『玉川未来塾』」でしか味わえない企画を取り入れる。

鹿児島には知覧をはじめ、万世、鹿屋に特攻基地があった。そして、現地には、まだ、私たちが知らない歴史の真実がある。そこから飛び立った特攻隊員達の思いを改めて感じるとともに、現地の方のご協力を得、平和祈念館だけでなく、ホタル館富屋食堂や霧島神宮にも行きたいと思っている。

また、お伊勢参りは、先般、伊勢神宮に参拝した際に、ご案内いただいた現地の方のご協力を全面的にいただくこととなった。そして、現地でしか味わえないことなどのご案内をお願いするとともに、日本人として神様、皇室を戴く意義と伊勢神宮のパワーや心穏やかな静寂な環境をご提供したいと思う。

これらは色んな方々のご協力があってできるもので、私にご協力をいただける皆様には心から感謝申し上げる次第である。本当にありがとうございます。

まだ、私達が知らない、歴史の本当の真実をお伝えしたい。心からそう思うのである。
歴史の真実を正しく理解し、そして、学びを深めることはとても大切である。しかし、その自分に満足しては自己満足で終わってしまう、そんな現状は打開したいとの思いは、会社を辞めてさらに実感している。
会社にいた時ではできなかったことを、そして、今後も学びを深め、そこから自分自身が、「何ができるか」を模索し、実際に行動に移して参りたいと思う次第である。
2021.12.02 07:22 | 固定リンク | その他
拉致被害者奪還のために
2021.11.18
去る、11月15日。昭和52年に横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから44年が経過した。
地村保志さん夫妻・蓮池薫さん夫妻・曽我ひとみさんの5人の拉致被害者が帰国したのは平成14年のことで20年弱の年月が経過している。しかし、政府は拉致問題を「最優先課題」としながら、5人の拉致被害者が帰国してから20年近く、ひとりの帰国も実現できていない。すなわち、拉致問題は現在進行形の問題なのである。

北朝鮮による拉致被害者の早期救出を求めて、今年も11月13日、「国民大集会」が実施された。田口八重子さんの兄で、家族会代表の飯塚繁雄さんは、集会の冒頭で「われわれは諦めるわけにはいかない。なにがなんでも解決するという思いを今回、特にブルーリボンバッジにあてた。バッジとともに、皆で勢いをつけていきたい」と語った。
ブルーリボンは、北朝鮮にいる拉致被害者と家族を結ぶ「青い空」と、日本と北朝鮮を隔てる「日本海の青」をイメージしたもので、被害者の生存と救出を信じる意思表示として広く着用されているもの。
今回の集会では、ブルーリボンに関し、12月10~16日の北朝鮮人権侵害問題啓発週間中、全ての閣僚や国会議員、地方議員らのほか、多くの国民に着用を要望。初めて決議項目に盛り込んだとされている。田口さんの長男、飯塚耕一郎さんは「ブルーリボンバッジを着けていると『これは何ですか』と聞かれることがある。まだ拉致への理解が浸透していないことを実感する」と率直な思いを明かす。
決議文では、「親の世代が被害者と抱き合うことなしには、日本の怒りは解けず、支援はあり得ないことを、北朝鮮の最高指導者に伝えることが、今大切だ」と記した。親世代を中心に高齢化が進み一刻の猶予もない現状で、日本が〝一枚岩〟となる必要性は増している。
めぐみさんの母、早紀江さんはこの日のあいさつで、「娘を13年間しか育ててあげられなかったことは本当に悔しい」と、母親としての悲痛な思いを吐露。「心が結集すれば日本は変わっていく」とし、国民一丸となっての取り組みに期待感を示した。前回(昨年10月)の国民大集会では、同じ日に、めぐみさんの父、滋さんのお別れ会が催された。この1年、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい、拉致問題はこれまで以上に停滞。家族の間には、「風化」への懸念が高まった。めぐみさんの弟の拓也さんは「あっという間の1年だったが、何も前進していない。いらだちが本音だ」。そして、「自分の家族が被害者だったらどうか。拉致を我がことと捉えてほしい」と改めて国民の理解と協力を求めた。
 
私は、1日も早い帰国を祈念しつつ、来年の2/23(水・祝)に、私の私塾「寺子屋『玉川未来塾』」主催で、映画「めぐみへの誓い」上映&トークライブを開催することとした。

北朝鮮による拉致事件を題材にした映画『めぐみへの誓い』の制作発表記者会見が令和2年2月13日、参議院議員会館で行われた。今年、その映画が上映され、多くの国民が観たことであろう。
映画の原作は「めぐみへの誓い-奪還-」という演劇。横田めぐみさんが拉致されてから2年、「北朝鮮拉致事件」をテーマにした日本映画が一本も存在しない事から企画がスタート。拉致の残酷さと実態、拉致被害者救出を世界に訴えることを目的として、昨年7月にクラウドファンディングを実施。現在までで支援参加者3,500人以上、支援総額4,850万円を超えるなど多くの方の賛同と共感を得て「本格的な映画製作」が実現することになり、3月にクランクイン、そして劇場公開となった。
監督・脚本の野伏翔氏は長い間、この問題に取り組み、向き合い、そして舞台「めぐみへの誓い-奪還-」を全国公演しては拉致被害者を救うべく啓蒙活動を行っている。そして、その時の記者会見で野伏監督は「(横田さんが)元気なうちに何とかしたいという思いがある。横田さんは、いつも電話を掛けると『はいっ!』とすぐに出てくるんです。いつ、めぐみさんが帰ってくるのかと期待して…」と声を震わせながら作品に掛ける思いを語った。監督の思いは我々の想像以上に深いのである。
そんな中、拉致被害者、有本恵子さんの母、有本嘉代子さんが逝去され、横田滋さんも令和2年6月5日に亡くなられた。被害者家族のことを思うと悲しみ深く、残念でならない。

10月2日付産経新聞で横田早紀江さんは「めぐみへの手紙」で以下のように綴っている。

北朝鮮は一筋縄ではいかない、手ごわい相手であることは重々、承知しています。でも最後は、最高指導者に被害者全員を返す決断を求め、それこそが世界の平和を導く術だと、心の底から理解してもらわなければなりません。
私たちはこれまで、日本の首相が代わるたび顔を合わせ、即時解決への訴えを重ねてきました。お父さんも家族会代表として救出運動の最前線に立ち、全国を飛び回りました。体を病み入院しても、あなたと抱き合うため、病床で必死に命の炎を燃やしました。再会の思いを果たせず、天に召されたお父さん、多くの被害者家族、そして支援者の皆さん。託された奪還の願いを実現するまで、お母さんたちは倒れるわけにはいきません。
日本では近く、大切な選挙が行われます。政治家の皆さま。遠く離れた異国の暗闇で、救いを待つ子供たちを思ってください。命の問題である拉致事件を、党派を問わず真心から議論してください。知恵を絞り、一日も早く、解決への歩みを進めてください。
新たなリーダーには、残された時間の少なさを直視し、具体的な動きにつなげていただくことを願ってやみません。拉致問題はまさに、「正念場」です。国民の皆さまもどうか拉致事件を己のこととして感じ、それに向き合う政治のありようを凝視し、解決を後押ししてください。
19年前の9月17日。無事を信じて、自宅に置いためぐみちゃんの写真に「早く帰っておいで」と声をかけました。思いはかなわず、想像を絶する長い闘いになってしまいましたが、タラップから下りてくるあなたと、笑顔で抱擁できる日が必ずやってきます。
めぐみちゃん、あともう少し、待っていてね。お母さんは最後の力をふり絞って、闘いを続けます。

涙で「めぐみへの手紙」が読めなくなった。

今朝まで元気で学校に向かっていった我が子が、突然、消息不明となり、家に帰ってこない状態を想像してみてほしい。その家族は本当に平和状態だと言えますか。戦争がない状態だけが平和な状態なのか。他国に連れ去られた拉致被害者を救えないでどうして平和だと言えるのか。そして、国民はこの問題を我がことのように捉えているのだろうか。すでに、この拉致事件を知らない世代も多く、風化していく恐れもあるのが現状です。
一方で、こういった難解な問題を真剣に考えた千葉県八街市立朝陽小学校の5年生が令和元年、産経新聞東京本社を訪れ、「横田めぐみさんへ」と題した75人分の作文を届けてくれた。作文には、被害者の帰国を強く願う思いが綴られており、小学生を指導した先生と真剣にこの問題に取り組んだ小学生に敬意を表したい。
子供を殺める親、平気であおり運転をする者、「皆がしているから自分も」と迷惑を顧みず、事の真意を考えないで行動する者など、不道徳なニュースが毎日報道される。個人の主張だけが尊重され、公の問題は無関心。本当に考えさせられる。日本は確かに豊かになった。しかし、日本人として大切な何かを失っている気がしてならない昨今である。

今回、寺子屋「玉川未来塾」で開催する「映画『めぐみへの誓い』上映&トークライブ」では、長年、この拉致問題に関わってきた、ジャーナリストの葛城奈海さんや、監督の野伏翔監督らにご登壇いただき、お話をお聞きしたいと思う。
皆さんには、本映画「めぐみへの誓い」を通じ、この問題に長い間、取り組み、向かい合ってこられた野伏翔監督の思いや、横田めぐみさん役の菜月氏、横田早紀江さん役の石村とも子氏らがトークライブを通じて話す、拉致の残酷さと実態を感じて欲しい。そして、このイベントが拉致問題解決に向けて、我がこととして捉えるきっかけとなり、拉致問題早期解決に向けて、国民の声が高まり、その一助になればこんなに嬉しいことはない。
2021.11.18 07:27 | 固定リンク | その他
先人に学ぶ安全保障
2021.10.01
 日本を取り巻く安全保障環境は、日に日に厳しさを増しており、中国は野望を露わにして、尖閣諸島を取りに来ている。

 歴史を振り返ってみると、明治期において、帝国主義列強諸国は、植民地政策として、アジア諸国に侵略を進めていたが、日本は国家の危機を脱却するため、中央集権的な国家体制の形成に成功した。
その明治維新後の日本に、甚大なる成果を成し遂げた、先人の中でも以下の3人に着目し、今こそ明治維新のリアリズムに学ぼうと思う。

・福澤諭吉
 言わずも知れた人物であるが、福澤といえば「文明開化」なる用語を編み出し、著作『西洋事情』『文明論之概略』により維新期日本の欧化政策に絶大なる寄与をなした啓蒙思想家である。その福澤の思想的立脚点の一つが「立国は私なり、公に非ざるなり」(「痩我慢之説」)であった。
 帝国主義列強がアジアを蚕食する一方、支那、朝鮮がこの「西力東漸(とうぜん)」の国際政治力学を理解できず「旧套(きゅうとう)」の中に「窒塞(ちっそく)」するという現状を前にして、福澤は「公」(コスモポリタニズム)ではなく「私」(ナショナリズム)の強化こそが「立国の公道」であることを、激情をもって訴えた。
 文明は普遍である。この原理において欧米は日本より先んじているとはいえ、普遍には遠い。この段階にあっては、国家という存在と忠君愛国なる「私情」が不可欠である。確執限りなき内外条件からすれば「自国の衰頽に際し、敵に対して固(もと)より勝算なき場合にても、千辛万苦(せんしんばんく)、力のあらん限りを尽し、いよいよ勝敗の極に至りて、始めて和を講ずるか、若しくは死を決するは、立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称す可きものなり」と語り、これを痩我慢の説だと銘じた。
 人間という存在は、他の生命体と同じくその根本においては私であり、個の私情こそが至上の価値をもつ。しかし外国に対する場合には必ずや同胞としての私情が湧出し、国民としての私情すなわちナショナリズムという「偏頗(へんぱ)心」が優位を占めなければならないと福澤は説く。私情といい偏頗心というからには普遍としての文明からは隔たる心理ではあるが、各国民が私情と偏頗心を露わにしている以上、自らもこれを重んじなければ国はもたないと主張する。
 福澤は好戦主義者ではない。学問を究めて高尚なる人間として「一身独立」し、もって「一国独立す」べきことを説き、「独立の気力なき者は、国を思ふこと深切ならず」と論じて、独立不羈(ふき)の国民育成の緊急性を生涯にわたって主張しつづけた人物であった。
 今、現代の極東アジア地政学は幕末・維新期を再現させるかのごとくに剣呑な状況に入らんとしている。他国が自国の領域を平然と侵害する現状を拱手(きょうしゅ)傍観し、集団的自衛権のあれほど限定的な行使容認までに異を唱えるというのであれば、福澤はその「文明の虚脱」に泉下で深い慨嘆の息を吐いているのに違いないと考えるものであり、福澤が唱えるこれらの意義は、現在においても通ずるものでもあり、無視できないものである。

・陸奥宗光
 政治指導者に求められる資質にはさまざまなものがあろうが、最も重要な条件は国家的危機に予見し、これに迅速に対処する能力の如何である。開国・維新から日清・日露戦争に至る緊迫の東アジア地政学の中に身をおいたあまたの指導者のうち、位を極めたものはこの資質において傑出し、象徴的な政治家が陸奥宗光である。
 近代日本の最初の本格的な対外戦争である日清戦争に勝利し、下関で日清講和会議が開かれ、一進一退の攻防の末に条約調印に辿り着いた。しかし、講和条約によって割譲を受けた遼東半島の清国還付を強圧する露仏独の三国干渉が始まったのは、そのわずか一週間後のことであった。この三国干渉は、首脳部を徹底的に困惑させた。肺結核の業病に苦しみ、病に伏していた陸奥を訪れた伊藤博文との協議により、三国干渉の屈辱に甘んじることを決し、明治天皇による遼東半島還付の詔宣が出されたのは、三国干渉の開始から詔宣までの期間はわずか18日であった。「進むべしと判断した時には全力を持って相手に挑み、志ならず後退を余儀なくされた時には潔く身を引いて、次の好機に向け万全の体制を整える」。かかる政治家としての資質の在処を知る言葉である。
 日清戦争は言わずもがなだが、ロシアの南下政策を予測し、華夷秩序から朝鮮を引き剥がして朝鮮の自立を図らなければ、極東における日本の安寧はありえない。それゆえ、第三国の干渉を排して朝鮮自立の方策を立案し、さらには日清共同改革案を練り上げ、これが清国に拒否されるや、全力を清国との戦いに注ぎ込んでいこうという、外交官としての陸奥宗光の深い熟慮と迅速な判断、加えてその豪気には改めて目を見張らされるものがある。

・小村寿太郎
 小村寿太郎は明治33(1900)年2月に駐露公使に任用され、明治34(1901)年1月に北京に赴任。義和団事件対処の全権を与えられ、同年12月には駐清行使となった。小村はただちに清国皇帝・慶親王に謁見、義和団事件終息における露清協定を締結してはならない、ロシアの満州撤兵の約束をすぐ実行すべきだと進言。小村は日本の外務省を動かし、外務大臣ウラジミール・ラムズドルフに露清協定の有無を改めて問わせ、協約が事実であれば、その釈明を求めるよう迫った。しかし、ラムズドルフの回答は、木で鼻をくくったようなものであった。
露清協定は絶対にこれを認めないという小村の意思は固く、英独両国に対して「我が政府は協約案の撤回をもって列国全体の利益のために望ましきものと確信し、清国に対し指定の期限内に調印することなく、露国をしてこれを撤回するにいたらしむべきを勧告すべく、これについて英独両国政府と共同せんことを欲す」と働きかけ、同意を得た。
 清国は、結局のところ、自力ではどうすることもできず、外国の力を乞い、辛うじて窮状を脱することができたのである。露清協定は廃案となり、ひとまず満州は安定した。そして、小村は日英同盟締結へと尽力する。日英同盟の成立は、明治35(1902)年1月30日。この同盟の日本にとっての目的は、清国の領土保全、朝鮮の自主独立であった。その根本は、ロシアに対する日本の安全保障の確立である。
 小村は、明治期の政治家の一大資質たる「国権主義」を絵に描いたような人物であった。外交舞台は終始一貫、満州問題であり、この地に対するロシアの野心を砕くことに専心した。ロシア陸軍の協力にして残忍なることを知る小村は、日本が独力でこれに抗するのではなく、ロシアを共同の敵とする利害等しき他国と同盟して、ことに構えるべきだと考えていた。そして、ロシア協商論(満韓交換論)者の伊藤博文・井上馨に対し、対露強硬論者の桂太郎・小村寿太郎の論戦は有名であるが、元老会議において意見を戦わし、元老の主張にも一歩も引かない論戦を展開した。そんな逸話は数知れず。そして、日露戦争に突入し、辛勝した日本の講和条約へと向かう。その交渉力はまさしく獅子奮迅の如しである。

 日本を取り巻くアジア地政学の現在をどう読み解くか。振り返っておくべきは、極東アジアの近現代史である。近代日本における最大のテーマは、巨大なユーラシア大陸の中国、ロシアに発し、朝鮮半島を伝わって張り出す「等圧線」からいかにして身を守るか、にあった。

 現在の中国は、国際上秩序を無視して、力による海洋の現状変更に強固な態度を崩さない。北朝鮮は幾度となく核実験、ミサイル発射を敢行している。
 渡辺利夫拓殖大学顧問の著書『決定版 脱亜論』で福沢諭吉に触れ、以下のように記している。

「明治11年の『通俗国権論』において福澤は『大砲弾薬は以て有る道理を主張する備えに非ずして無き道理を造るの器械なり』という。
『無き道理を造』ろうとしている中国と北朝鮮に、国際法を順守せよといっても、所詮は“蛙の面に水”である。『苟も独立の一国として、徹頭徹尾、外国と兵を交ゆべからざるものとせば、猶一個人が畳の上の病死を覚悟したるが如く、即日より独立の名は下すべからざるなり』という。
外交が重要であるのはいうまでもないが、弓を『引て放たず満を持するの勢を張る』国民の気力と兵力を後ろ盾に持たない政府が、交渉を通じて外交を決することなどできはしない、と福澤はいう。極東アジアの地政学的リスクが、開国・維新期のそれに酷似する極度の緊迫状況にあることに思いをいたし、往時の最高の知識人(福澤諭吉)が、何をもって国を守ろうと語ったのか、真剣な眼差しでこのことを振り返る必要がある」と。

 評論家の江崎道朗氏が説く「DIME」の考え方は、今、考えれば、明治期には実践され、そして、戦前のインテリジェンスは、今よりも精度が高いものであった。現在の我々との違いの最たるものは、「死と隣合わせであったか否か」であると考える。戦争もなく、憲法9条に守られていると誤解を晴らそうともしない、そして、危機感がない現代社会において、明治期における安全保障と比べ物にならないかもしれないが、少なくとも、危機を脱したそこには、日本を護るという「気概」と何ものにも屈しない「独立不羈」の精神があった。故に、法整備及び防衛力、経済力増はさることながら、国民一人一人が日本を護る気概を確立する必要があるということに至り、現状における日本の危機に対し、先人の学ぶべき数多い「先例」は「安全保障国難」を打開する一つであると考える。
2021.10.01 09:28 | 固定リンク | その他

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