「学校では教えない日本人の物語『島田叡』」講演会 来場者からの感想
2025.07.25
去る、6月29日(日)靖國神社にて、「学校では教えない日本人の物語『島田叡』~戦中最後の沖縄県知事~」講演会を開催しました。
当日は約60人の方々にお越しいただき、本殿での昇殿参拝後、キャリアコンサルティング講師の大向真司さんより「生きろ!~沖縄の島守からの伝言~」をテーマにお話をいただきました。
来場者の中で「島田叡を初めて知った」という方々が半分以上いらっしゃいました。
まだまだ伝えなくてはいけないことがたくさんあるなぁと実感致しました。
大向さん、貴重なお話をありがとうございました。
その内容について、来場者から有り難い、貴重な感想をいただきましたので、以下、抜粋し、掲載いたします。
長いですが、ご覧いただけましたら幸いです。
◎今回の講義により、軍官民によって沖縄が守られていたことがよく分かりました。学校で習わなかったことは無かったものと思いがちですが、まだまだ知らないことが沢山あるなと、後世に語り継ぐべき事実が沢山あるなと思いを新たにしたところです。大向先生が仰っていた先人のDNAが眠っている人が多くいるという話、巷を見渡すと自分さえ良ければという方をよく見かけます。目覚めることがあるのか疑問ですが、誇り高い日本人が増えてくれるよう、祈ります。恥ずかしながら、特に戦中の歴史認識について、偏った情報が多いと感じており、そのまま歳を重ねてしまった感が強いので、機会があればまた参加させていただきます。本日も暑い中貴重なお話ありがとうございました。(埼玉県在住・60代男性)
◎今回のご講演を聞いて、島田叡は自分の選んだ道に対して強く決意し、どんな状況でも挑戦し続ける芯の強い方だなと感じました。島田叡は沖縄戦で沖縄県民の人達の命を救いたいという強い思いで自ら沖縄に行き、自分の命よりも大切なもの、それが周りのためを思ってとった行動の大切さを学んだ時に、誰かのために行動することは与えられた側は嬉しい気持ちになると思いますし、この人だったらついていきたいという思いも生まれるのだと思います。終戦80年を迎えた今、戦争を経験されている方は減少している中、若者は日本の歴史についてしっかり学び、周りに発信していくことが1つのくにまもりにも繋がると思います。だからこそ、学んだことを忘れず、今の若者にできることは何かを考えた上での行動をしていきます。(東京都在住・20代女性)
◎島田叡という無名だが国のために、国民のために頑張った方の話は身近に感じることができてとても良かったです。(埼玉県在住・40代男性)
◎本日はお忙しいなか、特別講演を開催していただきありがとうございました。島田叡の生きた背景のなかで最も印象的だったのは「未来の沖縄のために生きてほしい」という願いの部分です。当時、愛国心と郷土愛が強い沖縄で、「沖縄で戦う」と覚悟を決めた国民に反対方向の方針を説得するのはとても難しい状況であったかと思います。その中でも島田叡のように未来の沖縄を良くするために生きてほしい、と伝えきるのは本当の公を思っての行動だと思います。また、最後に玉川さんもお話されていましたが、こういった事実があったことを我々若い世代がまずは知ることで歴史を紡いでいけると思いますので、まずは知る環境に自分から行動していきたいと思いました。本日は特別講演を開催していただきありがとうございました。(20代男性)
◎本日のご講演大変お疲れ様でした。今年度から新しい環境に身を置き、不安もありましたが今回の講演の中でおっしゃっていた「選んだ道を正解にする」という言葉に勇気をいただきました。しがくの環境で何度もこの言葉を耳にしたことはありましたが、実際に偉人の経験を通して聞くことでより言葉の重みを感じました。また、今回靖国でのご講演ということもあり、島田叡をはじめ多くの先人の方々のおかげで今があるのだと改めて実感いたしました。最後にお話しされていた繋いでくれた命で何ができるかを常に考え、今後も公の為に行動していきたいと思います。貴重なお話をいただきありがとうございました。(東京都在住・20代女性)
◎自分が知らなかった島田叡さんの事を知る事ができ、自分がどんな選択をするか、自分が選んだ道が正解!と思うような生き方をしたいと思いました。(東京都在住・50代女性)
◎この度はご講演のご企画を誠にありがとうございました。登壇者と縁があり、島田叡についての知識はある状態での参加でした。それでも戦後80年の節目の年、沖縄戦終結の時期である6月に拝聴できたことの意義を強く感じました。兵士の方々と共に沖縄を護りたいという県民の想いを真正面から汲むのではなく、未来に託すこと、次世代に受け継ぐことへ命懸けで奔走されたことは、現在の価値観では推し量れないほどの難しさだと推測します。今を良くしようというのは世界的にも見られる活動ですが、次世代という縦の繋がりに命を投げ出せるのは日本人の美徳だとも思います。崇高でありながら憧れる生き方です。どのように生きて人生に幕を下ろすのか、この度の講演会を拝聴して考えさせられました。先人たちが紡いで良かったと思える日本にしていけるよう、微力ながらでも取り組んでいきたいと思います。(東京都在住・30代男性)
◎学校では教えてくれなかった素晴らしい先人について学ぶことができ、大変満足しております。次は私が発信する側となり、少しでも多くの人に戦争の時代を生きた人の話を伝えていこうと思いました。(東京都在住・20代男性)
◎島田叡の講演を聞き、利他の心を常に意識していこうと思いました。自分の命より大切なものを今後人生において、増やしていく、持っていく価値観が大事だと感じました。当時沖縄に配属の依頼が来た時、島田叡は即答したと聞きました。死を恐れず、民間人を守り、共に戦いにいくということに、感銘を受けました。まだまだ勉強不足なところがある分、もっと学びを深めて周りの若者に伝えていきたいと思いました。(東京都在住・20代男性)
◎今回も大変勉強になる講演会を開催くださりありがとうございました。世間で言われている沖縄戦のこと、沖縄を守るために戦った沖縄外の方がいたこと、沖縄に生まれ育った者として県民の誇りを持ちながらもさまざまな葛藤の中での決断など、とても勉強になりました。島田叡の生き方と大向さんのお話を通して、沖縄県民斯ク戦ヘリ、の電報を届けた大田實中将の一層の想いが強く伝わりました。自分以外のもののために、命を賭して何ができるか、その視点を持ち続けてこれからの日本に貢献して参りたい所存です。背筋と生き方が正されるが講演、誠にありがとうございました。(東京都在住・30代男性)
◎沖縄戦から80年を迎え、改めて地元沖縄と向き合う貴重な1時間となりました。このような機会を設けて下さった、玉川先生はじめ、講師を勤めて大向さん、運営局員の皆様に感謝を申し伝えます。本当にありがとうございました。島田叡の伝えたい「生きろ」「生き抜け」という想い、命が何より大切であるという想いは間違いなく私達沖縄県民の血に流れていること実感しました。幼少期から言われ続けている「ぬちどぅ宝」、この震源地は島田叡であること。引き続き大切にしていきたい。そんな、命こそ大切と言い続けた、島田叡が死ぬことと同義である沖縄行きを即決したこと。矛盾を感じますが、自分の命以上に守るものの存在。価値観。命の使い方にハッとさせられました。本当の意味で、命の果たし方とは?と内省させられる時間にもなりました。少しでも、多くの命を助けるために動き回った行動力は真似ていきたいと思った次第です。自分の命以上に守りたいものを守る価値観、覚悟、その想いを形にしていく実行力を島田叡より学ぶことができました。9割近くが戦争体験者ではない社会に、地上戦があったことを風化させないためにできることをやり続けていきたいと思いました。(神奈川県在住・30代男性)
◎今回は貴重な機会に参加させて頂き誠にありがとうございました。まずこんな日本人が居たんだと衝撃を受けました。島田叡の生き方があまりに壮大で、分母の大きさ、覚悟の大きさに身が震えました。戦時中、沖縄が危険だとわかっていながらも、知事になるために沖縄に行ったこと、そして誰かがやらなければ国民が助からないことを、自分がやるんだという責任感、行動力が本当にすごいことだと思いました。戦後80周年を迎える今、島田叡という偉大な人物のことを知れて本当によかったです。ありがとうございました。(東京都在住・30代男性)
◎島田叡の生き様にものすごく感動しました。自分の命を他のものに使っていく生き方を学び自分自身にも取り入れていきたいと感じました。現在大学生の就活支援もやっていく中で、時間や体力を使ってより良い就活をしてもらえるように務めていきたいと思いました。歴史上の人物から学ぶことは毎回自分がきついなと思う時に偉人と比べたら大したことないなと思えることです。これからもいろんな壁があると思いますが、島田叡の生き様を振り返って乗り越えていきたいと思います。(東京都在住・20代男性)
◎この度は貴重な講演に参加させていただきまして、誠にありがとうございました。お話いただく中で島田叡の意志の強さを感じました。支持してくれる人達が少ないから自分が変える、自分がゲームチェンジャーになるんだと即決して行動する姿に胸を打たれました。また当時の方達は自分の命よりも大切なものがあるから、それを護るために行動したとあり、この価値観は昔も今も変わらないけど気づききれていないだけだと感じました。この公精神の大切さを知っているからこそ、自分のものでとどめるのではなく、学生や自分の周りに伝えていきたいと思いました。改めまして、この度は貴重な機会をありがとうございました。(東京都在住・20代女性)
◎「未来の沖縄を守る為にも生きる」というお話に、命をかけて守って頂いた先人がいての今であることを感じさせられました。もっと学んで伝えられる人になれるよう、日々感謝を忘れずに過ごしていきたいと思います。(神奈川県在住・20代女性)
◎この度は誠にありがとうございました。6/23が沖縄戦慰霊の日ということもあり、今回のトークテーマである『島田叡』の志には非常に共感をさせて頂きました。他者を尊び、自己を捧げる精神こそが日本人の文化であることを学んだ為、今後の仕事にも活かしてまいります。(東京都在住・20代男性)
◎本日は終戦80年にふさわしい講演を企画していただき、ありがとうございました。軍人だけではなく、官人として自分の役割を全うした島田叡に日本人として誇りを持つ事ができました。沖縄戦というと、軍人や市民が一緒に戦って多くの方が亡くなったイメージが一般的には強いと思いますが、裏方として市民を守るという職務に命を懸けた島田叡のような人が日本にはまだまだいるのではないかと思います。そのような素晴らしい日本人魂をたくさん知る事により、日本人として誇らしくなり、国を守ろうという意識も高まっていくと思います。1人では世の中を変える事は難しいですが、1人の強い意志、行動からたくさんの協力者を得て世の中を変える事はできると思います。今回のようなお話をもっと多くの方に、 知ってもらいたいと思いますし、自分自身でもできる事をして、これからも日本を良くしていく為、行動していきたいと思いました。これからも日本にとって意味のあるこのようなイベントを続けてください。時間が合う限り参加させていただきます。これからも頑張って下さい。(東京都在住・50代男性)
◎大向さんのご講演大変すばらしかったです。最後にお話しいただいた自分の命よりも大切なものがある、残した命を何につかうのか、は今、日本人にとって最も必要な感覚だと思いました。そして、島田という人物の生き方がいかに「カッコイイのか」という日本人の価値観を広めて参りたいと思います。誠に有難うございました。(東京都在住・40代男性)
◎皆様とご一緒に参拝させて頂いたのは大変有意義な機会となりました。大向さんのお元気な様子を伺えたのは良かったです。沖縄県知事のミッションは大変困難なものだったことを改めて認識しました。沖縄県は大きく、人口も多いですから、食料確保しつつ、住民の疎開をさせるのは困難だと感じました(ところで県外疎開だと途中で米軍の攻撃を受けるおそれがあるのかなと思ったのですが、いかがでしょうか)。これからの安全保障を考えるうえでも、ロジスティクスの事例として、有益な講演だと思いました。島田叡は三高の出身ですが、三高にある自由な空気とエリートとしての矜持をお話から感じました。当日の配布資料に島田叡の年表や参考文献の掲載があった方がよいかなと思います。大向さんの話は面白く拝聴しましたが、手元に情報があった方がよいです。毎度、このような熱のこもったイベントを22回も開催されていることに心より敬意を表したいと思います。開催ありがとうございました。質疑応答なしで60分話し続けるのは凄いなと思いました。(東京都在住・40代男性)
◎今日、大向真司さんの講演を聞かせて頂き、島田叡という人物の生き方から 勇気を頂きました。島田叡が、行った生きては帰ってこれないという沖縄に、自分の意思で行った決断に自分の日々の悩みは小さなものだと感じました。また、沖縄県知事をやると決めた時に自分がやらなければ誰かがやらなければいけないという思い、自分の仕事でも同じで自分がやる仕事で周りを幸せにすることができるという日本人独特の価値観を大切にしていきたいと思いました。島田叡という人物の名前は知っていましたが、今日の講演を聞いてより大東亜戦争や歴史について学びを深めていきたいと思いました。ありがとうございました。(東京都在住・20代男性)
◎講演会を聞いて、島田県知事についての覚悟や沖縄戦がどういったものであったのかについて理解することができました。島田さんは沖縄県民を1人でも多く救うために、県知事の主任、食料の調達、県民へ「生きろ」という思いを伝え、沖縄県や県民を救いました。島田さんや先人の方々の行動があって現在の私たちが存在しているため、私は先人への感謝と他の先人への学びを大切にして、今後の人生に役立てていきます。(神奈川県在住・20代男性)
◎今回の話を聞いてみて、大東亜戦争の中での沖縄の状況を知ることができてよかったです。戦争中、誰もが絶望に陥って「死にたい」と思ってしまう方がいたなかでも、島田さんのまわりに流されず、自分の気持ちを持っていた姿勢がその人たちの少しの希望になったのではないかと思いました。私も、周りの気持ちに答えるためにも職務ややるべきことを全うし、自分の意志を持って取り組んでいこうと思いました。(神奈川県在住・20代女性)
◎本日は本当にありがとうございました。島田さんがいなかったら、多くの沖縄人が亡くなり、今沖縄が日本になかったかもしれないと思うと、心があつくなりました。沖縄の方も自分以上に沖縄を守ろうと戦っており、見習うものがあるなと感じました。私も誰かの他の人のために動き、日本の未来を守れる若者を目指して、努力して参ります。そして、これから日本をつくるリーダーを目指し、次世代へ歴史を伝えられる人になりたいと強く痛感させて頂きました。ありがとうございました。お話しの中で大田実さんか牛島みつるさんが出られて、詳しく聞いてみたいなと思いました。(東京都在住・20代女性)
◎「島田叡」さんの名前は初めて知りました。なかなか決断できない事を、すぐに決めると言うのもすごいと思いました。普通に過ごしていたら知らなかった事を、知り得るイベントに参加できるので、今後も続けてほしいと思います。また、戦前、戦中、戦後の事は知る機会がないので、事実に基づいた話を知りたいです。(東京都在住・50代女性)
◎本日は貴重なお話をいただきありがとうございました。私自身、今年度から職を変え、新たな道への挑戦を決意した中で、今回のご講演を拝聴させていただきました。今回の決断が正しいか悩む場面もありましたが、 講演の中でおっしゃっていた「選んだ道を正解にする」という言葉に勇気をいただきました。自分の選んだ道で、多くの方の助けができるよう、今後も挑戦を続けていきたいと思います。また、歴史に学ぶリーダーシップ講座にて「鳥濱トメ」の開講を目指しております。その方について学べる場がありますと嬉しく思います。(東京都在住・20代女性)
◎島田叡の名前は聞いておりましたが、改めてその活躍との背景を聞き、感動致しました。最後にもありましたが「自分の命よりも大切なのを守る」、志、未来のために尽力をされた島田氏のように私自身も仕事、人生において、誰かの思いを守れるように行動していきたいと思いました。今後、取り上げて欲しい人は、「ジョン万次郎」、「夏目漱石」「藤井中尉」などお願いします。(神奈川県在住・10代男性)
◎島田叡という人物を初めて知る機会を得られ、今日は参加させて頂き、良かったです。沖縄へ旅行で行った時に、白梅の塔やひめゆりの塔を見学もし、沖縄戦の凄まじさを知るに、本日は期待をもって来ました。明るみに出ないままの隠れた偉人に関心をしました。今後も光をあてて頂きたく、また伝えていきたいと思いました。今後、桶口季一郎を取り上げて欲しいです。(東京都在住・50代男性)
◎島田叡県知事については、公立中学校の服部剛教諭の『先生、日本ってすごいね』で知ってはいたものの、記憶が薄れていて、今回、あらためて勉強になりました。沖縄の問題を論じる時、それこそ、スタートが間違えていて本質がズレていているので、なかなか、難しいと感じています。特に沖縄戦についてはデリケートな問題だけに、今回のような沖縄のために戦った国民にフォーカスし、あくまでも相手はアメリカなのだというところからスタートさせなくてはいけないと考えています。なにより、この人物については公立学校の義務教育の段階で教えるべき一人だと思います。その想いを強くしました。貴重な機会をいただき、有難うございました。(長野県在住・50代男性)
◎この度は、貴重な講演ありがとうございました。終戦80年という節目の中、このような機会をいただけたこと感謝申し上げます。私の祖母、祖父が戦争時代を生きていたようですが、私が幼かったからか、あまり詳しくきくことが出来ずにいました。島田叡のお話から、本当はどんな日々だったのか、どんな葛藤だったのか、やむにやまれぬ思いが多くあったと思うと。今生きていることは諸先輩方のおかげだと感じました。久しく行けていなかった遊就館も行かせていただきましたが、遺書には思わず涙が溢れてきました。真実が分からぬまま、溢れた情報に振り回される人が増えていると思うと知っている人間が発信し続けていくことで歴史が生きると感じました。できることから発信していきます。ありがとうございました。(埼玉県在住・30代女性)
◎正直、一括りに戦争と言いましても、年代、場所などでいろいろな物語があること、歴史の教科書の中では少しは見たはずなのですが、時系列が定まらなかったり、客観的にしか見れていませんでした。祖父が戦争に行ったこと、曽祖父も戦争を体験していること、など話を聞く機会はたくさんあったはずです。が、きちんと聞けなかった後悔もあります。もちろん自分の生かされてきたルートも知る必要もあるし、もっと深く考えるべきだと思い知りました。こういったことをきちんと見直すこと、今の若者には特に必要と思います。その時代の若者たちは徴兵されて素直にお国のために覚悟をしたのだと思います。全国の若者たちが自分の身を投げ出して国を守ろうとしたのです。島田叡さん、沖縄県知事ということですが、このお話し聞かなければきっと全く聞かない名前でした。もちろん島田さんもその中の1人であったし、それこそ、一番危険な場所での知事に自ら志願して行かれたこと、名を残すべきの方だと思います。現代は若者たちにはそんな気持ちを持つ人がいるのでしょうか。ぜひとも、今の若者たちに聞いて欲しい話だと思います。現代の若者たちは戦争があったという事実に目を背ける姿勢が多いのではないかと思います。(東京都在住・50代女性)
以上となります。
終戦80年の今年は、あと二回、イベントを開催し、ご英霊に感謝の誠を捧げます。
当日は約60人の方々にお越しいただき、本殿での昇殿参拝後、キャリアコンサルティング講師の大向真司さんより「生きろ!~沖縄の島守からの伝言~」をテーマにお話をいただきました。
来場者の中で「島田叡を初めて知った」という方々が半分以上いらっしゃいました。
まだまだ伝えなくてはいけないことがたくさんあるなぁと実感致しました。
大向さん、貴重なお話をありがとうございました。
その内容について、来場者から有り難い、貴重な感想をいただきましたので、以下、抜粋し、掲載いたします。
長いですが、ご覧いただけましたら幸いです。
◎今回の講義により、軍官民によって沖縄が守られていたことがよく分かりました。学校で習わなかったことは無かったものと思いがちですが、まだまだ知らないことが沢山あるなと、後世に語り継ぐべき事実が沢山あるなと思いを新たにしたところです。大向先生が仰っていた先人のDNAが眠っている人が多くいるという話、巷を見渡すと自分さえ良ければという方をよく見かけます。目覚めることがあるのか疑問ですが、誇り高い日本人が増えてくれるよう、祈ります。恥ずかしながら、特に戦中の歴史認識について、偏った情報が多いと感じており、そのまま歳を重ねてしまった感が強いので、機会があればまた参加させていただきます。本日も暑い中貴重なお話ありがとうございました。(埼玉県在住・60代男性)
◎今回のご講演を聞いて、島田叡は自分の選んだ道に対して強く決意し、どんな状況でも挑戦し続ける芯の強い方だなと感じました。島田叡は沖縄戦で沖縄県民の人達の命を救いたいという強い思いで自ら沖縄に行き、自分の命よりも大切なもの、それが周りのためを思ってとった行動の大切さを学んだ時に、誰かのために行動することは与えられた側は嬉しい気持ちになると思いますし、この人だったらついていきたいという思いも生まれるのだと思います。終戦80年を迎えた今、戦争を経験されている方は減少している中、若者は日本の歴史についてしっかり学び、周りに発信していくことが1つのくにまもりにも繋がると思います。だからこそ、学んだことを忘れず、今の若者にできることは何かを考えた上での行動をしていきます。(東京都在住・20代女性)
◎島田叡という無名だが国のために、国民のために頑張った方の話は身近に感じることができてとても良かったです。(埼玉県在住・40代男性)
◎本日はお忙しいなか、特別講演を開催していただきありがとうございました。島田叡の生きた背景のなかで最も印象的だったのは「未来の沖縄のために生きてほしい」という願いの部分です。当時、愛国心と郷土愛が強い沖縄で、「沖縄で戦う」と覚悟を決めた国民に反対方向の方針を説得するのはとても難しい状況であったかと思います。その中でも島田叡のように未来の沖縄を良くするために生きてほしい、と伝えきるのは本当の公を思っての行動だと思います。また、最後に玉川さんもお話されていましたが、こういった事実があったことを我々若い世代がまずは知ることで歴史を紡いでいけると思いますので、まずは知る環境に自分から行動していきたいと思いました。本日は特別講演を開催していただきありがとうございました。(20代男性)
◎本日のご講演大変お疲れ様でした。今年度から新しい環境に身を置き、不安もありましたが今回の講演の中でおっしゃっていた「選んだ道を正解にする」という言葉に勇気をいただきました。しがくの環境で何度もこの言葉を耳にしたことはありましたが、実際に偉人の経験を通して聞くことでより言葉の重みを感じました。また、今回靖国でのご講演ということもあり、島田叡をはじめ多くの先人の方々のおかげで今があるのだと改めて実感いたしました。最後にお話しされていた繋いでくれた命で何ができるかを常に考え、今後も公の為に行動していきたいと思います。貴重なお話をいただきありがとうございました。(東京都在住・20代女性)
◎自分が知らなかった島田叡さんの事を知る事ができ、自分がどんな選択をするか、自分が選んだ道が正解!と思うような生き方をしたいと思いました。(東京都在住・50代女性)
◎この度はご講演のご企画を誠にありがとうございました。登壇者と縁があり、島田叡についての知識はある状態での参加でした。それでも戦後80年の節目の年、沖縄戦終結の時期である6月に拝聴できたことの意義を強く感じました。兵士の方々と共に沖縄を護りたいという県民の想いを真正面から汲むのではなく、未来に託すこと、次世代に受け継ぐことへ命懸けで奔走されたことは、現在の価値観では推し量れないほどの難しさだと推測します。今を良くしようというのは世界的にも見られる活動ですが、次世代という縦の繋がりに命を投げ出せるのは日本人の美徳だとも思います。崇高でありながら憧れる生き方です。どのように生きて人生に幕を下ろすのか、この度の講演会を拝聴して考えさせられました。先人たちが紡いで良かったと思える日本にしていけるよう、微力ながらでも取り組んでいきたいと思います。(東京都在住・30代男性)
◎学校では教えてくれなかった素晴らしい先人について学ぶことができ、大変満足しております。次は私が発信する側となり、少しでも多くの人に戦争の時代を生きた人の話を伝えていこうと思いました。(東京都在住・20代男性)
◎島田叡の講演を聞き、利他の心を常に意識していこうと思いました。自分の命より大切なものを今後人生において、増やしていく、持っていく価値観が大事だと感じました。当時沖縄に配属の依頼が来た時、島田叡は即答したと聞きました。死を恐れず、民間人を守り、共に戦いにいくということに、感銘を受けました。まだまだ勉強不足なところがある分、もっと学びを深めて周りの若者に伝えていきたいと思いました。(東京都在住・20代男性)
◎今回も大変勉強になる講演会を開催くださりありがとうございました。世間で言われている沖縄戦のこと、沖縄を守るために戦った沖縄外の方がいたこと、沖縄に生まれ育った者として県民の誇りを持ちながらもさまざまな葛藤の中での決断など、とても勉強になりました。島田叡の生き方と大向さんのお話を通して、沖縄県民斯ク戦ヘリ、の電報を届けた大田實中将の一層の想いが強く伝わりました。自分以外のもののために、命を賭して何ができるか、その視点を持ち続けてこれからの日本に貢献して参りたい所存です。背筋と生き方が正されるが講演、誠にありがとうございました。(東京都在住・30代男性)
◎沖縄戦から80年を迎え、改めて地元沖縄と向き合う貴重な1時間となりました。このような機会を設けて下さった、玉川先生はじめ、講師を勤めて大向さん、運営局員の皆様に感謝を申し伝えます。本当にありがとうございました。島田叡の伝えたい「生きろ」「生き抜け」という想い、命が何より大切であるという想いは間違いなく私達沖縄県民の血に流れていること実感しました。幼少期から言われ続けている「ぬちどぅ宝」、この震源地は島田叡であること。引き続き大切にしていきたい。そんな、命こそ大切と言い続けた、島田叡が死ぬことと同義である沖縄行きを即決したこと。矛盾を感じますが、自分の命以上に守るものの存在。価値観。命の使い方にハッとさせられました。本当の意味で、命の果たし方とは?と内省させられる時間にもなりました。少しでも、多くの命を助けるために動き回った行動力は真似ていきたいと思った次第です。自分の命以上に守りたいものを守る価値観、覚悟、その想いを形にしていく実行力を島田叡より学ぶことができました。9割近くが戦争体験者ではない社会に、地上戦があったことを風化させないためにできることをやり続けていきたいと思いました。(神奈川県在住・30代男性)
◎今回は貴重な機会に参加させて頂き誠にありがとうございました。まずこんな日本人が居たんだと衝撃を受けました。島田叡の生き方があまりに壮大で、分母の大きさ、覚悟の大きさに身が震えました。戦時中、沖縄が危険だとわかっていながらも、知事になるために沖縄に行ったこと、そして誰かがやらなければ国民が助からないことを、自分がやるんだという責任感、行動力が本当にすごいことだと思いました。戦後80周年を迎える今、島田叡という偉大な人物のことを知れて本当によかったです。ありがとうございました。(東京都在住・30代男性)
◎島田叡の生き様にものすごく感動しました。自分の命を他のものに使っていく生き方を学び自分自身にも取り入れていきたいと感じました。現在大学生の就活支援もやっていく中で、時間や体力を使ってより良い就活をしてもらえるように務めていきたいと思いました。歴史上の人物から学ぶことは毎回自分がきついなと思う時に偉人と比べたら大したことないなと思えることです。これからもいろんな壁があると思いますが、島田叡の生き様を振り返って乗り越えていきたいと思います。(東京都在住・20代男性)
◎この度は貴重な講演に参加させていただきまして、誠にありがとうございました。お話いただく中で島田叡の意志の強さを感じました。支持してくれる人達が少ないから自分が変える、自分がゲームチェンジャーになるんだと即決して行動する姿に胸を打たれました。また当時の方達は自分の命よりも大切なものがあるから、それを護るために行動したとあり、この価値観は昔も今も変わらないけど気づききれていないだけだと感じました。この公精神の大切さを知っているからこそ、自分のものでとどめるのではなく、学生や自分の周りに伝えていきたいと思いました。改めまして、この度は貴重な機会をありがとうございました。(東京都在住・20代女性)
◎「未来の沖縄を守る為にも生きる」というお話に、命をかけて守って頂いた先人がいての今であることを感じさせられました。もっと学んで伝えられる人になれるよう、日々感謝を忘れずに過ごしていきたいと思います。(神奈川県在住・20代女性)
◎この度は誠にありがとうございました。6/23が沖縄戦慰霊の日ということもあり、今回のトークテーマである『島田叡』の志には非常に共感をさせて頂きました。他者を尊び、自己を捧げる精神こそが日本人の文化であることを学んだ為、今後の仕事にも活かしてまいります。(東京都在住・20代男性)
◎本日は終戦80年にふさわしい講演を企画していただき、ありがとうございました。軍人だけではなく、官人として自分の役割を全うした島田叡に日本人として誇りを持つ事ができました。沖縄戦というと、軍人や市民が一緒に戦って多くの方が亡くなったイメージが一般的には強いと思いますが、裏方として市民を守るという職務に命を懸けた島田叡のような人が日本にはまだまだいるのではないかと思います。そのような素晴らしい日本人魂をたくさん知る事により、日本人として誇らしくなり、国を守ろうという意識も高まっていくと思います。1人では世の中を変える事は難しいですが、1人の強い意志、行動からたくさんの協力者を得て世の中を変える事はできると思います。今回のようなお話をもっと多くの方に、 知ってもらいたいと思いますし、自分自身でもできる事をして、これからも日本を良くしていく為、行動していきたいと思いました。これからも日本にとって意味のあるこのようなイベントを続けてください。時間が合う限り参加させていただきます。これからも頑張って下さい。(東京都在住・50代男性)
◎大向さんのご講演大変すばらしかったです。最後にお話しいただいた自分の命よりも大切なものがある、残した命を何につかうのか、は今、日本人にとって最も必要な感覚だと思いました。そして、島田という人物の生き方がいかに「カッコイイのか」という日本人の価値観を広めて参りたいと思います。誠に有難うございました。(東京都在住・40代男性)
◎皆様とご一緒に参拝させて頂いたのは大変有意義な機会となりました。大向さんのお元気な様子を伺えたのは良かったです。沖縄県知事のミッションは大変困難なものだったことを改めて認識しました。沖縄県は大きく、人口も多いですから、食料確保しつつ、住民の疎開をさせるのは困難だと感じました(ところで県外疎開だと途中で米軍の攻撃を受けるおそれがあるのかなと思ったのですが、いかがでしょうか)。これからの安全保障を考えるうえでも、ロジスティクスの事例として、有益な講演だと思いました。島田叡は三高の出身ですが、三高にある自由な空気とエリートとしての矜持をお話から感じました。当日の配布資料に島田叡の年表や参考文献の掲載があった方がよいかなと思います。大向さんの話は面白く拝聴しましたが、手元に情報があった方がよいです。毎度、このような熱のこもったイベントを22回も開催されていることに心より敬意を表したいと思います。開催ありがとうございました。質疑応答なしで60分話し続けるのは凄いなと思いました。(東京都在住・40代男性)
◎今日、大向真司さんの講演を聞かせて頂き、島田叡という人物の生き方から 勇気を頂きました。島田叡が、行った生きては帰ってこれないという沖縄に、自分の意思で行った決断に自分の日々の悩みは小さなものだと感じました。また、沖縄県知事をやると決めた時に自分がやらなければ誰かがやらなければいけないという思い、自分の仕事でも同じで自分がやる仕事で周りを幸せにすることができるという日本人独特の価値観を大切にしていきたいと思いました。島田叡という人物の名前は知っていましたが、今日の講演を聞いてより大東亜戦争や歴史について学びを深めていきたいと思いました。ありがとうございました。(東京都在住・20代男性)
◎講演会を聞いて、島田県知事についての覚悟や沖縄戦がどういったものであったのかについて理解することができました。島田さんは沖縄県民を1人でも多く救うために、県知事の主任、食料の調達、県民へ「生きろ」という思いを伝え、沖縄県や県民を救いました。島田さんや先人の方々の行動があって現在の私たちが存在しているため、私は先人への感謝と他の先人への学びを大切にして、今後の人生に役立てていきます。(神奈川県在住・20代男性)
◎今回の話を聞いてみて、大東亜戦争の中での沖縄の状況を知ることができてよかったです。戦争中、誰もが絶望に陥って「死にたい」と思ってしまう方がいたなかでも、島田さんのまわりに流されず、自分の気持ちを持っていた姿勢がその人たちの少しの希望になったのではないかと思いました。私も、周りの気持ちに答えるためにも職務ややるべきことを全うし、自分の意志を持って取り組んでいこうと思いました。(神奈川県在住・20代女性)
◎本日は本当にありがとうございました。島田さんがいなかったら、多くの沖縄人が亡くなり、今沖縄が日本になかったかもしれないと思うと、心があつくなりました。沖縄の方も自分以上に沖縄を守ろうと戦っており、見習うものがあるなと感じました。私も誰かの他の人のために動き、日本の未来を守れる若者を目指して、努力して参ります。そして、これから日本をつくるリーダーを目指し、次世代へ歴史を伝えられる人になりたいと強く痛感させて頂きました。ありがとうございました。お話しの中で大田実さんか牛島みつるさんが出られて、詳しく聞いてみたいなと思いました。(東京都在住・20代女性)
◎「島田叡」さんの名前は初めて知りました。なかなか決断できない事を、すぐに決めると言うのもすごいと思いました。普通に過ごしていたら知らなかった事を、知り得るイベントに参加できるので、今後も続けてほしいと思います。また、戦前、戦中、戦後の事は知る機会がないので、事実に基づいた話を知りたいです。(東京都在住・50代女性)
◎本日は貴重なお話をいただきありがとうございました。私自身、今年度から職を変え、新たな道への挑戦を決意した中で、今回のご講演を拝聴させていただきました。今回の決断が正しいか悩む場面もありましたが、 講演の中でおっしゃっていた「選んだ道を正解にする」という言葉に勇気をいただきました。自分の選んだ道で、多くの方の助けができるよう、今後も挑戦を続けていきたいと思います。また、歴史に学ぶリーダーシップ講座にて「鳥濱トメ」の開講を目指しております。その方について学べる場がありますと嬉しく思います。(東京都在住・20代女性)
◎島田叡の名前は聞いておりましたが、改めてその活躍との背景を聞き、感動致しました。最後にもありましたが「自分の命よりも大切なのを守る」、志、未来のために尽力をされた島田氏のように私自身も仕事、人生において、誰かの思いを守れるように行動していきたいと思いました。今後、取り上げて欲しい人は、「ジョン万次郎」、「夏目漱石」「藤井中尉」などお願いします。(神奈川県在住・10代男性)
◎島田叡という人物を初めて知る機会を得られ、今日は参加させて頂き、良かったです。沖縄へ旅行で行った時に、白梅の塔やひめゆりの塔を見学もし、沖縄戦の凄まじさを知るに、本日は期待をもって来ました。明るみに出ないままの隠れた偉人に関心をしました。今後も光をあてて頂きたく、また伝えていきたいと思いました。今後、桶口季一郎を取り上げて欲しいです。(東京都在住・50代男性)
◎島田叡県知事については、公立中学校の服部剛教諭の『先生、日本ってすごいね』で知ってはいたものの、記憶が薄れていて、今回、あらためて勉強になりました。沖縄の問題を論じる時、それこそ、スタートが間違えていて本質がズレていているので、なかなか、難しいと感じています。特に沖縄戦についてはデリケートな問題だけに、今回のような沖縄のために戦った国民にフォーカスし、あくまでも相手はアメリカなのだというところからスタートさせなくてはいけないと考えています。なにより、この人物については公立学校の義務教育の段階で教えるべき一人だと思います。その想いを強くしました。貴重な機会をいただき、有難うございました。(長野県在住・50代男性)
◎この度は、貴重な講演ありがとうございました。終戦80年という節目の中、このような機会をいただけたこと感謝申し上げます。私の祖母、祖父が戦争時代を生きていたようですが、私が幼かったからか、あまり詳しくきくことが出来ずにいました。島田叡のお話から、本当はどんな日々だったのか、どんな葛藤だったのか、やむにやまれぬ思いが多くあったと思うと。今生きていることは諸先輩方のおかげだと感じました。久しく行けていなかった遊就館も行かせていただきましたが、遺書には思わず涙が溢れてきました。真実が分からぬまま、溢れた情報に振り回される人が増えていると思うと知っている人間が発信し続けていくことで歴史が生きると感じました。できることから発信していきます。ありがとうございました。(埼玉県在住・30代女性)
◎正直、一括りに戦争と言いましても、年代、場所などでいろいろな物語があること、歴史の教科書の中では少しは見たはずなのですが、時系列が定まらなかったり、客観的にしか見れていませんでした。祖父が戦争に行ったこと、曽祖父も戦争を体験していること、など話を聞く機会はたくさんあったはずです。が、きちんと聞けなかった後悔もあります。もちろん自分の生かされてきたルートも知る必要もあるし、もっと深く考えるべきだと思い知りました。こういったことをきちんと見直すこと、今の若者には特に必要と思います。その時代の若者たちは徴兵されて素直にお国のために覚悟をしたのだと思います。全国の若者たちが自分の身を投げ出して国を守ろうとしたのです。島田叡さん、沖縄県知事ということですが、このお話し聞かなければきっと全く聞かない名前でした。もちろん島田さんもその中の1人であったし、それこそ、一番危険な場所での知事に自ら志願して行かれたこと、名を残すべきの方だと思います。現代は若者たちにはそんな気持ちを持つ人がいるのでしょうか。ぜひとも、今の若者たちに聞いて欲しい話だと思います。現代の若者たちは戦争があったという事実に目を背ける姿勢が多いのではないかと思います。(東京都在住・50代女性)
以上となります。
終戦80年の今年は、あと二回、イベントを開催し、ご英霊に感謝の誠を捧げます。
終戦80年に向けて⑫~80年目の沖縄戦終結の日に思う
2025.06.23
本日は沖縄慰霊の日。80年前の今日、沖縄戦の組織的な戦闘が終結した日です。沖縄で散華された全ての御霊が安らかならんことをお祈り申し上げます。
沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としたと言われていますが、その沖縄を護るために、祖国を護るために、特攻作戦が敢行されました。
昭和19年10月25日に海軍による特攻作戦が開始され、沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間(けらま)列島に上陸した昭和20年3月26日から始まりました。特攻隊員の戦死者は、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によりますと、海軍が4,146人、陸軍が2,225人の計6,371人に上ります。ただし、資料によっては人数に差異があり、戦死者数は確定されていません。
かつて、上皇陛下が皇太子時代、日本人が忘れてはならない4つの日として、沖縄戦終結の日の6月23日、広島、長崎の原爆の日の8月6日と9日、終戦の日の8月15日を挙げており、「沖縄戦終結の日」はその中のひとつであります。
今年、終戦80年を迎えるにあたり、今日の我々は、果たして本当の意味で平和なのだろうかと、ふと考えます。戦争をしていないだけであって、心は貧しくなっていないだろうか。現代社会の問題も含め、色々と考えていくと、戦後、日本人として何か大切なものを失った気がしてなりません。
上島嘉郎元雑誌正論編集長の言葉を借りるならば「後生の日本人を信じて命を捧げてくれた人たち、その献身がいまの日本をつくっている。日本は、現在生きている私たちだけのものではない。過去と未来の日本人のものでもある。現在の私たちの過怠や不作為によって、先祖の名誉を不当に損なわれたままでよいのか。子孫に要らざる負い目を負わせてもよいか」。
戦地に赴いた元軍人の方々は鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなりました。戦争を知らない世代は、国民の8割を越え、9割をも占めると言われている今日、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあります。そして、これからの靖國神社への主たる参拝者は、戦争体験者やそのご遺族から戦争を体験されていない者たちへ変化し、戦争を体験していない者たちが靖國神社をお支えする時代へと突入する、本当の意味での「次代へ繋ぐ」時代にとなると感じています。そして、戦争を体験された方々から直に話を聞いた我々世代が、これからの日本を支えていく次代を担う世代へ伝えていかなくてはならないものがあるとの想いが日増しに強くなっているのが現実です。
今回、その沖縄戦時に、困窮する食糧確保のため、米を調達したり、疎開を促進したりするなど「県民の命を守るため」に可能な限りの施策を考え、陣頭指揮を執った当時の県知事島田叡にスポットを当てて、6月29日に終戦80年特別企画イベントを企画しました。戦争が激化し、摩文仁(まぶに)の丘に追い詰められた際、県庁組織の解散を命じ、ともに死ぬという部下に「生きぬけ」と伝え、逃したのは有名な話ですが、島田叡の人物像から島田叡の目から見た沖縄戦、そして、後世に伝えたかったものは何であったかのか。
御席はまだございますので、以下のURLよりお申し込みください。
https://forms.gle/bGerd99rXUnBJwwG8
先人の思いが次代を担う若者たちに届きますように。
沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としたと言われていますが、その沖縄を護るために、祖国を護るために、特攻作戦が敢行されました。
昭和19年10月25日に海軍による特攻作戦が開始され、沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間(けらま)列島に上陸した昭和20年3月26日から始まりました。特攻隊員の戦死者は、公益財団法人「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によりますと、海軍が4,146人、陸軍が2,225人の計6,371人に上ります。ただし、資料によっては人数に差異があり、戦死者数は確定されていません。
かつて、上皇陛下が皇太子時代、日本人が忘れてはならない4つの日として、沖縄戦終結の日の6月23日、広島、長崎の原爆の日の8月6日と9日、終戦の日の8月15日を挙げており、「沖縄戦終結の日」はその中のひとつであります。
今年、終戦80年を迎えるにあたり、今日の我々は、果たして本当の意味で平和なのだろうかと、ふと考えます。戦争をしていないだけであって、心は貧しくなっていないだろうか。現代社会の問題も含め、色々と考えていくと、戦後、日本人として何か大切なものを失った気がしてなりません。
上島嘉郎元雑誌正論編集長の言葉を借りるならば「後生の日本人を信じて命を捧げてくれた人たち、その献身がいまの日本をつくっている。日本は、現在生きている私たちだけのものではない。過去と未来の日本人のものでもある。現在の私たちの過怠や不作為によって、先祖の名誉を不当に損なわれたままでよいのか。子孫に要らざる負い目を負わせてもよいか」。
戦地に赴いた元軍人の方々は鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなりました。戦争を知らない世代は、国民の8割を越え、9割をも占めると言われている今日、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあります。そして、これからの靖國神社への主たる参拝者は、戦争体験者やそのご遺族から戦争を体験されていない者たちへ変化し、戦争を体験していない者たちが靖國神社をお支えする時代へと突入する、本当の意味での「次代へ繋ぐ」時代にとなると感じています。そして、戦争を体験された方々から直に話を聞いた我々世代が、これからの日本を支えていく次代を担う世代へ伝えていかなくてはならないものがあるとの想いが日増しに強くなっているのが現実です。
今回、その沖縄戦時に、困窮する食糧確保のため、米を調達したり、疎開を促進したりするなど「県民の命を守るため」に可能な限りの施策を考え、陣頭指揮を執った当時の県知事島田叡にスポットを当てて、6月29日に終戦80年特別企画イベントを企画しました。戦争が激化し、摩文仁(まぶに)の丘に追い詰められた際、県庁組織の解散を命じ、ともに死ぬという部下に「生きぬけ」と伝え、逃したのは有名な話ですが、島田叡の人物像から島田叡の目から見た沖縄戦、そして、後世に伝えたかったものは何であったかのか。
御席はまだございますので、以下のURLよりお申し込みください。
https://forms.gle/bGerd99rXUnBJwwG8
先人の思いが次代を担う若者たちに届きますように。
終戦80年に向けて⑪~次代へ繋ぐということ
2025.05.27
2013年12月初版の『英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄』という書籍がある。
著者はヘンリー・S・ストークスという『ファイナンシャル・タイムズ』『ロンドン・タイムズ』『ニューヨーク・タイムズ』の各東京支局長を歴任し、三島由紀夫とも親交を結んだ英国人の記者。来日当時は、東京裁判が裁いた「日本=戦争犯罪国会論」や「南京大虐殺」について事実であるという戦勝国史観を疑うことなく信奉していた著者が、考え方を大転換させ、戦勝国の都合で作り上げられた「日本悪玉論」を断罪。南京事件や靖国参拝、従軍慰安婦などの問題について論じ、さらに三島が死を賭して訴えようとしたものが何であったかを問いかけている書籍である。
著者は、日本に滞在する間に、連合国からの視点でもなく、日本からの視点でもない第三者的視点で論じている。そして、著者が声を大にして言いたいと論じているのは「南京事件」にせよ「靖国参拝問題」にせよ「慰安婦問題」にせよ、これらの問題のほとんどは、日本人側から中国や韓国にけしかけ、問題にしてもらったのが事実であると語っている。さらに日本人は、いまだ連合国がでっち上げた「戦勝国」史観の呪いから抜け出していないと警鐘を鳴らしている。
『世界がさばく東京裁判』という著書が発刊されたのは2005年8月。
初代国際連合大使であった加瀬俊一氏は、かねてから勝者による敗者に対する一方的断罪裁判である「『東京裁判』を裁判せよ」と主張し、歴代首相にもその必要性を説いたというが、この著書は、ハーバート・フーバー米元大統領、英国枢密院書記官長であるハンキー卿、ベルト・レ―リンク東京裁判蘭代表判事、ラダビノッド・パール東京裁判インド代表判事、アンリ・ベルナール東京裁判仏代表判事など14カ国の高名な識者85人が連合国の戦争責任を追及し、東京裁判を批判している。日ソ中立条約に違反して満州に侵攻し、虐殺略奪をほしいままにしたソ連(当時)には明らかに日本をさばく資格は皆無であり、66都市を無差別爆撃して40万の非戦闘員を殺戮したうえ、原爆を投下した米国は、重大な国際法違反であり、その非戦闘員を殺戮した罪は断罪せず、客観的事実から見て、「連合国の戦争責任」を問うべきであると、この書籍では語っている。
大東亜戦争後、アメリカ国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とした秘密通信をアメリカ軍事情報部が秘密裡に傍受解読した記録の「ヴェノナ文書」や「ミトロヒン文書」、米軍がビルマ(ミャンマー)・ミートキーナ(同ミチナ)で捕らえた朝鮮人慰安婦20人から尋問した「米国戦争情報戦資料『心理戦チーム報告書』」など、戦争時における公文書が発掘され、ラストボロフ事件、レフチェンコ事件などコミンテルンのスパイ行為なども含め、歴史の真実が次々と暴かれているが、世界は未だに中国、韓国などの反日勢力に真実を捻じ曲げた歴史の流布や、日本の国際社会に対する発信不足により、日本は貶められ、その現状が克服できていない。若者を中心に日本人も正しい歴史を認識するようになってきたが、中国の「南京大虐殺」や韓国の「従軍慰安婦問題」に対する反論ができない日本人も少なくないのである。
歴史認識問題は、1970年代には、もう過去の問題となっていて、外交問題にはならなかったにも関わらず1980年代に復活した。その発端は、すべて日本人の手による、日本発のものであった。歴史教科書問題、首相の靖国神社参拝問題、従軍慰安婦問題。どれも1980年代以降に問題化し、日本の中から生まれたメイド・イン・ジャパンの問題なのである。中国や韓国にとっては有り難いテーマで、そのカードを使うことになる。また、明星大学の高橋史朗教授によれば、ユネスコ記憶遺産に慰安婦問題の申請登録を主導しているのは日本のNPO法人「女たちの戦争と平和人権基金」や「日本の戦争責任資料センター」であるというのは先述した通りであるが、このように、左翼リベラリズムの人々が、歴史認識問題を再生産しているのである。
左翼リベラリズムが浸透している反日左翼の市民団体、NHK、TBS、テレビ朝日、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、共同新聞や地方新聞など反日マスコミ、教育界、さらには歴史学会、司法界なども反日行動、情報を流布している。反日マスコミは事実をすり替えた報道を繰り返し、読者や視聴者はそれを知らぬ間に信じてしまうような情報操作が行われる。教育機関は事実と反した歴史教育が行なわれ、左翼が未だに根強く社会に反日運動を繰り返すといった状況にあるのが現状である。このように、日本を貶めているのは日本人自身なのである。
終戦80年を迎える今年。戦地に赴いた元軍人の方々が鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなった。戦争を知らない世代は、国民の8割を越え9割を占めると言われている今日、今もなお、間違った歴史の史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の想いを次代へ繋ぐべきなのか。
昨年の靖國神社秋季例大祭において、大塚海夫宮司は挨拶の中で、「来年迎える終戦80年を機に、主たる参拝者は、戦争体験者やそのご遺族から戦争を体験されていない者たちへ変化する」と話された。これからは、戦争を体験していない者たちが靖国神社をお支えする時代へと突入する意味を仰られた中で、本当の意味での「次代へ繋ぐ」時代にとなると感じている。
世間では、保守が2割、左翼リベラルが2割と言われ、残り6割がグレーゾーンの人たちであると言われている。いわゆる「ノンポリティカル」という無関心な、あるいは今まで記してきた客観的事実を知らないためどちらにも属さない層とされている。正しい歴史の真実や、その思いを次代に繋いでいくためには、保守の2割を確固たる考え方の層で固め、ノンポリ層を如何に保守層に取り込むことができるか。その活動を一つ一つ地道にコツコツと行っていくことが大切ではないかと思う。なぜなら、次代に繋いでいくための特効薬はないと思うからだ。
終戦80年を迎えるにあたり、特に大東亜戦争や特攻を美談として語るのは止めろと言う人がいるし、私自身もこうした活動をしている中で言われたりもした。しかし、事実だけを客観的に言えば、好むも好まざるも、大東亜戦争で日本国を、故郷を、家族を、恋人を護るために戦った人がいて、今日の日本があり、その先祖の尊い犠牲があったからこそ、日本の平和があることは客観的な事実ではなかろうか。そして、尊い先人の犠牲の中で、今の平和があることを忘れてはならない。そして、歴史を語るに現代の視点から論じるのではなく、その時代の歴史の背景まで目線を下げて、その当時の価値観と同じ目線で歴史を語らなければいけないと思うのである。
そのような思いを胸に、寺子屋「玉川未来塾」の活動をしているので、終戦80年を迎える節目の今年も、国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をし、講演後に遊就館を見学することによって、講演での話を噛み締めると同時に、今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ること、加えて次代に英霊の思いを感じて欲しいと願って、イベントを開催する。
詳細は以下のURLよりご覧いただきたい。
https://www.tamagawa-miraijuku.com/event.html
日本の歴史は、尊い先祖から受け継いだ命のバトンだと感じている。そして、そのバトンをこれからの日本を背負う次代に引き継いでいきたいと思う。
著者はヘンリー・S・ストークスという『ファイナンシャル・タイムズ』『ロンドン・タイムズ』『ニューヨーク・タイムズ』の各東京支局長を歴任し、三島由紀夫とも親交を結んだ英国人の記者。来日当時は、東京裁判が裁いた「日本=戦争犯罪国会論」や「南京大虐殺」について事実であるという戦勝国史観を疑うことなく信奉していた著者が、考え方を大転換させ、戦勝国の都合で作り上げられた「日本悪玉論」を断罪。南京事件や靖国参拝、従軍慰安婦などの問題について論じ、さらに三島が死を賭して訴えようとしたものが何であったかを問いかけている書籍である。
著者は、日本に滞在する間に、連合国からの視点でもなく、日本からの視点でもない第三者的視点で論じている。そして、著者が声を大にして言いたいと論じているのは「南京事件」にせよ「靖国参拝問題」にせよ「慰安婦問題」にせよ、これらの問題のほとんどは、日本人側から中国や韓国にけしかけ、問題にしてもらったのが事実であると語っている。さらに日本人は、いまだ連合国がでっち上げた「戦勝国」史観の呪いから抜け出していないと警鐘を鳴らしている。
『世界がさばく東京裁判』という著書が発刊されたのは2005年8月。
初代国際連合大使であった加瀬俊一氏は、かねてから勝者による敗者に対する一方的断罪裁判である「『東京裁判』を裁判せよ」と主張し、歴代首相にもその必要性を説いたというが、この著書は、ハーバート・フーバー米元大統領、英国枢密院書記官長であるハンキー卿、ベルト・レ―リンク東京裁判蘭代表判事、ラダビノッド・パール東京裁判インド代表判事、アンリ・ベルナール東京裁判仏代表判事など14カ国の高名な識者85人が連合国の戦争責任を追及し、東京裁判を批判している。日ソ中立条約に違反して満州に侵攻し、虐殺略奪をほしいままにしたソ連(当時)には明らかに日本をさばく資格は皆無であり、66都市を無差別爆撃して40万の非戦闘員を殺戮したうえ、原爆を投下した米国は、重大な国際法違反であり、その非戦闘員を殺戮した罪は断罪せず、客観的事実から見て、「連合国の戦争責任」を問うべきであると、この書籍では語っている。
大東亜戦争後、アメリカ国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とした秘密通信をアメリカ軍事情報部が秘密裡に傍受解読した記録の「ヴェノナ文書」や「ミトロヒン文書」、米軍がビルマ(ミャンマー)・ミートキーナ(同ミチナ)で捕らえた朝鮮人慰安婦20人から尋問した「米国戦争情報戦資料『心理戦チーム報告書』」など、戦争時における公文書が発掘され、ラストボロフ事件、レフチェンコ事件などコミンテルンのスパイ行為なども含め、歴史の真実が次々と暴かれているが、世界は未だに中国、韓国などの反日勢力に真実を捻じ曲げた歴史の流布や、日本の国際社会に対する発信不足により、日本は貶められ、その現状が克服できていない。若者を中心に日本人も正しい歴史を認識するようになってきたが、中国の「南京大虐殺」や韓国の「従軍慰安婦問題」に対する反論ができない日本人も少なくないのである。
歴史認識問題は、1970年代には、もう過去の問題となっていて、外交問題にはならなかったにも関わらず1980年代に復活した。その発端は、すべて日本人の手による、日本発のものであった。歴史教科書問題、首相の靖国神社参拝問題、従軍慰安婦問題。どれも1980年代以降に問題化し、日本の中から生まれたメイド・イン・ジャパンの問題なのである。中国や韓国にとっては有り難いテーマで、そのカードを使うことになる。また、明星大学の高橋史朗教授によれば、ユネスコ記憶遺産に慰安婦問題の申請登録を主導しているのは日本のNPO法人「女たちの戦争と平和人権基金」や「日本の戦争責任資料センター」であるというのは先述した通りであるが、このように、左翼リベラリズムの人々が、歴史認識問題を再生産しているのである。
左翼リベラリズムが浸透している反日左翼の市民団体、NHK、TBS、テレビ朝日、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、共同新聞や地方新聞など反日マスコミ、教育界、さらには歴史学会、司法界なども反日行動、情報を流布している。反日マスコミは事実をすり替えた報道を繰り返し、読者や視聴者はそれを知らぬ間に信じてしまうような情報操作が行われる。教育機関は事実と反した歴史教育が行なわれ、左翼が未だに根強く社会に反日運動を繰り返すといった状況にあるのが現状である。このように、日本を貶めているのは日本人自身なのである。
終戦80年を迎える今年。戦地に赴いた元軍人の方々が鬼籍に入られ、戦争体験者は少なくなった。戦争を知らない世代は、国民の8割を越え9割を占めると言われている今日、今もなお、間違った歴史の史実が伝わっている現状を憂うとともに、多くの課題が山積する現代社会において、どのようにして英霊の想いを次代へ繋ぐべきなのか。
昨年の靖國神社秋季例大祭において、大塚海夫宮司は挨拶の中で、「来年迎える終戦80年を機に、主たる参拝者は、戦争体験者やそのご遺族から戦争を体験されていない者たちへ変化する」と話された。これからは、戦争を体験していない者たちが靖国神社をお支えする時代へと突入する意味を仰られた中で、本当の意味での「次代へ繋ぐ」時代にとなると感じている。
世間では、保守が2割、左翼リベラルが2割と言われ、残り6割がグレーゾーンの人たちであると言われている。いわゆる「ノンポリティカル」という無関心な、あるいは今まで記してきた客観的事実を知らないためどちらにも属さない層とされている。正しい歴史の真実や、その思いを次代に繋いでいくためには、保守の2割を確固たる考え方の層で固め、ノンポリ層を如何に保守層に取り込むことができるか。その活動を一つ一つ地道にコツコツと行っていくことが大切ではないかと思う。なぜなら、次代に繋いでいくための特効薬はないと思うからだ。
終戦80年を迎えるにあたり、特に大東亜戦争や特攻を美談として語るのは止めろと言う人がいるし、私自身もこうした活動をしている中で言われたりもした。しかし、事実だけを客観的に言えば、好むも好まざるも、大東亜戦争で日本国を、故郷を、家族を、恋人を護るために戦った人がいて、今日の日本があり、その先祖の尊い犠牲があったからこそ、日本の平和があることは客観的な事実ではなかろうか。そして、尊い先人の犠牲の中で、今の平和があることを忘れてはならない。そして、歴史を語るに現代の視点から論じるのではなく、その時代の歴史の背景まで目線を下げて、その当時の価値観と同じ目線で歴史を語らなければいけないと思うのである。
そのような思いを胸に、寺子屋「玉川未来塾」の活動をしているので、終戦80年を迎える節目の今年も、国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をし、講演後に遊就館を見学することによって、講演での話を噛み締めると同時に、今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ること、加えて次代に英霊の思いを感じて欲しいと願って、イベントを開催する。
詳細は以下のURLよりご覧いただきたい。
https://www.tamagawa-miraijuku.com/event.html
日本の歴史は、尊い先祖から受け継いだ命のバトンだと感じている。そして、そのバトンをこれからの日本を背負う次代に引き継いでいきたいと思う。