特攻作戦から80年「次代へ繋ぐ 特攻隊員の想い」トークライブのお知らせ
2024.08.10
昭和から平成、令和と時代が移り、戦後生まれの人口が全体の8割を超えました。
戦地に赴いた元軍人の方々が次々と鬼籍に入られ、戦争体験者、そしてご遺族をも急速に減っている中、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあります。
今日の平和があるのは間違いなく、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様。先祖の尊い犠牲があったからこそ今日の平和があるのです。
我が国を護るために敢行され、「必ず死ぬこと」が定められた「必死」条件の特攻作戦から今年で80年。そして、来年は終戦80年の節目を迎えます。先の大戦で敢行された「必死」の特攻作戦から今を生きる我々は何を受け継ぐべきなのか。そして、命を賭して戦ってくださった特攻隊員たちの想いを我々はどう受け止めて生きていけばよいのだろうか。
国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げるとともに、心から平和を祈ること、そして、次代へと英霊の思いを繋ぐことを目的に、以下の内容でイベントを実施いたします。
【日 時】 令和6年9月23日(月・振休)
12時00分 受付開始(参集殿にお越しください)
13時00分 昇殿参拝(参拝後、啓照館へと移動します)
13時30分 「次代へ繋ぐ 特攻隊員の想い」トークライブ(約100分)
【会 場】靖國神社参集殿、啓照館
【登 壇 者】柿崎ゆうじ氏(カートコーポレイトグループ代表取締役会長・映画監督)
上島嘉郎氏(ジャーナリスト・雑誌「正論」元編集長)
【ファシリテーター】葛城奈海氏(ジャーナリスト)
【定 員】200名
【入 場 料】4,000円(税込み、玉串料含む) ※会員は無料
【申込方法】下記URLの専用申込フォームから、お申し込みください
⇒ http://d.quel.jp/10917993
※ 申込み後にお送りいたします「入場予約券」に、入場料の振込方法等を記載しておりますので、ご確認の上、事前にお振込みください。
※ 当日は、受付にて「入場予約券」をご提示ください。「入場券」「当日資料」を渡しします。
【主催・連絡先】寺子屋「玉川未来塾」 代表 玉川博一
〒196-0022 昭島市中神町1136-19
TEL 090-7224-3490/ E-mail tamagawamiraijuku@gmail.com
登壇者のお話を伺い、心の奥底に刻み込みたいと思います。
皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。


戦地に赴いた元軍人の方々が次々と鬼籍に入られ、戦争体験者、そしてご遺族をも急速に減っている中、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあります。
今日の平和があるのは間違いなく、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様。先祖の尊い犠牲があったからこそ今日の平和があるのです。
我が国を護るために敢行され、「必ず死ぬこと」が定められた「必死」条件の特攻作戦から今年で80年。そして、来年は終戦80年の節目を迎えます。先の大戦で敢行された「必死」の特攻作戦から今を生きる我々は何を受け継ぐべきなのか。そして、命を賭して戦ってくださった特攻隊員たちの想いを我々はどう受け止めて生きていけばよいのだろうか。
国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げるとともに、心から平和を祈ること、そして、次代へと英霊の思いを繋ぐことを目的に、以下の内容でイベントを実施いたします。
【日 時】 令和6年9月23日(月・振休)
12時00分 受付開始(参集殿にお越しください)
13時00分 昇殿参拝(参拝後、啓照館へと移動します)
13時30分 「次代へ繋ぐ 特攻隊員の想い」トークライブ(約100分)
【会 場】靖國神社参集殿、啓照館
【登 壇 者】柿崎ゆうじ氏(カートコーポレイトグループ代表取締役会長・映画監督)
上島嘉郎氏(ジャーナリスト・雑誌「正論」元編集長)
【ファシリテーター】葛城奈海氏(ジャーナリスト)
【定 員】200名
【入 場 料】4,000円(税込み、玉串料含む) ※会員は無料
【申込方法】下記URLの専用申込フォームから、お申し込みください
⇒ http://d.quel.jp/10917993
※ 申込み後にお送りいたします「入場予約券」に、入場料の振込方法等を記載しておりますので、ご確認の上、事前にお振込みください。
※ 当日は、受付にて「入場予約券」をご提示ください。「入場券」「当日資料」を渡しします。
【主催・連絡先】寺子屋「玉川未来塾」 代表 玉川博一
〒196-0022 昭島市中神町1136-19
TEL 090-7224-3490/ E-mail tamagawamiraijuku@gmail.com
登壇者のお話を伺い、心の奥底に刻み込みたいと思います。
皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。


終戦80年に向けて⑤~『大東亜戦争の道』を再読して
2024.08.09
本日は、長崎に原爆が投下された日。上皇陛下が「日本人として忘れてはならない4つの日」のうちの1つ。
広島に落とされた原爆はウランを用いた小型「リトルボーイ」に対し、長崎はプルトニウムを用いた太めの「ファットマン」。米国はタイプの違う2種類の原爆を日本に投下した。「ファットマン」は「リトルボーイ」の約80倍の威力だという。タイプの違う原爆を投下し、大量の民間人を殺した、この国際法を無視した無差別殺人を我々は決して忘れてはならない。
また、この日はソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して、満州、北鮮、樺太、アリューシャンへの侵攻を開始した日でもある。国際法を無視した、この屈辱なる出来事も決して忘れてはならないことである。
毎年、この時期になると、考える。「あの戦争は何だったのか」と。
今までにも、色々な書籍や雑誌、講演などを見聞きし、色々な考え方を得てきたのだが、やはり、平成二年十二月八日第一刷発行、中村粲著『大東亜戦争への道』に戻り、その論考が、私の心の的を得て、外さない。
「大東亜戦争とは何だったのか―。侵略戦争史観が世を風靡する中で、真面目なる多くの国民が心のどこかに抱き続けてきたに違いないこの疑問に対して、本書は一箇の新しい視点と解釈を提供せんとするものである。戦後の滔々たる自虐史観の風潮の中で、依然として東京裁判判決を盲信し、あの戦争の原因責任ともに日本にありとして、祖国の過誤失点のみを内外に揚言して時を得顔なる学者・言論人が少なくない。彼等の筆になる歴史書・歴史教科書また日本の歴史を出来るだけ醜悪に描くことを以て進歩的なりと自負するかの如くである。筆者は、戦争には多くの場合、複雑な史的背景と原因がありと信ずるが故に、斯かる一方的な日本断罪史観を認め得ないのである。戦争は多くの些細な累積因の上に発生するものだ。歴史の中には、他日戦争を導くことになる禍根が随所に散在する。それら一つ一つが戦争と平和への道を分けてきたと云へるだろう。そのやうな戦争と平和の分岐点が何処にあったのか―この小著はかかる問題を考察しつつ、いわばマクロ的見地から大東亜戦争の意味について思索を促すことを意図とするものである。(中略)かと云って、大東亜戦争を実際以上に美化するものでない―――」と。
600ページ以上にもわたるこの著書は、歴史的な客観的な細かな事実の積み重ねによって分析されており、そして、「大東亜戦争」とは、以下の二大底流の合する所に生起せる戦争として叙述する。
①門戸開放主義をめぐる日米抗争=東亜をめぐる日本の現実的要求と米国の観念的道徳主義的主張との衝突
②共産主義との戦い=ロシア革命以後の共産主義防遏の戦い
「あの戦争で多大な血が流され、命が失われ、財産が無となった。そして、破れたことによって、明治維新以来の先人達の努力が水泡に帰したことも事実である。だが、結果論的に敗れた戦争を裁断するのではなく、戦争に至った明治以来の歴史の流れを、当時の人々の心を我が心として振返る時、あの戦争を『愚かな戦争』と傍観者的に冷笑することはできない。それは、歴史を担った誠実なる人々に対する冒涜のやうに思われるのだ。『破滅への道』を願った日本人は一人も居なかった筈だ。誤算を不誠実と混同してはならぬ。歴史は皮肉であり、気紛れであり、また過酷である。(中略)ともあれ、敗れた日本だけを断罪するには、大東亜戦争は余りに複雑で巨大な歴史を背負ってゐた」。
戦後日本人の歴史認識を深く汚染する、東京裁判史観。この「東京裁判史観」に毒された「自虐史観」に染まる日本人も少なくない。しかし、いつまでこの「東京裁判史観」に毒されなくてはいけないのか。上記の中村粲氏が言うように、片方の一方的な理由で戦争が始まった訳ではない。しかも、民間人を大量に殺されているにもかかわらず。広島市の平和公園にある原爆慰霊碑「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と何故、刻まれなければならないのか。
今もなお、東京裁判史観に毒された日本人に目を覚まして欲しいとの思いで、今年もまた「靖国神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントを8/24(土)に開催する。
https://www.tamagawa-miraijuku.com/event.html
反日左翼、リベラルの連中が何て言おうと、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰で今日の日本の平和がある。本殿にて昇殿参拝して英霊に感謝の誠を捧げ、靖国神社職員のお話を聞き、そして遊就館を拝観して、学校教育では知ることの出来ない歴史の真実に触れていただきたいと思う。
本日は、長崎での原爆投下によってお亡くなりになられたすべての御霊のご冥福をお祈りさせていただき、心静かに手を合わせ、鎮魂の誠を捧げたいと思う。
広島に落とされた原爆はウランを用いた小型「リトルボーイ」に対し、長崎はプルトニウムを用いた太めの「ファットマン」。米国はタイプの違う2種類の原爆を日本に投下した。「ファットマン」は「リトルボーイ」の約80倍の威力だという。タイプの違う原爆を投下し、大量の民間人を殺した、この国際法を無視した無差別殺人を我々は決して忘れてはならない。
また、この日はソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して、満州、北鮮、樺太、アリューシャンへの侵攻を開始した日でもある。国際法を無視した、この屈辱なる出来事も決して忘れてはならないことである。
毎年、この時期になると、考える。「あの戦争は何だったのか」と。
今までにも、色々な書籍や雑誌、講演などを見聞きし、色々な考え方を得てきたのだが、やはり、平成二年十二月八日第一刷発行、中村粲著『大東亜戦争への道』に戻り、その論考が、私の心の的を得て、外さない。
「大東亜戦争とは何だったのか―。侵略戦争史観が世を風靡する中で、真面目なる多くの国民が心のどこかに抱き続けてきたに違いないこの疑問に対して、本書は一箇の新しい視点と解釈を提供せんとするものである。戦後の滔々たる自虐史観の風潮の中で、依然として東京裁判判決を盲信し、あの戦争の原因責任ともに日本にありとして、祖国の過誤失点のみを内外に揚言して時を得顔なる学者・言論人が少なくない。彼等の筆になる歴史書・歴史教科書また日本の歴史を出来るだけ醜悪に描くことを以て進歩的なりと自負するかの如くである。筆者は、戦争には多くの場合、複雑な史的背景と原因がありと信ずるが故に、斯かる一方的な日本断罪史観を認め得ないのである。戦争は多くの些細な累積因の上に発生するものだ。歴史の中には、他日戦争を導くことになる禍根が随所に散在する。それら一つ一つが戦争と平和への道を分けてきたと云へるだろう。そのやうな戦争と平和の分岐点が何処にあったのか―この小著はかかる問題を考察しつつ、いわばマクロ的見地から大東亜戦争の意味について思索を促すことを意図とするものである。(中略)かと云って、大東亜戦争を実際以上に美化するものでない―――」と。
600ページ以上にもわたるこの著書は、歴史的な客観的な細かな事実の積み重ねによって分析されており、そして、「大東亜戦争」とは、以下の二大底流の合する所に生起せる戦争として叙述する。
①門戸開放主義をめぐる日米抗争=東亜をめぐる日本の現実的要求と米国の観念的道徳主義的主張との衝突
②共産主義との戦い=ロシア革命以後の共産主義防遏の戦い
「あの戦争で多大な血が流され、命が失われ、財産が無となった。そして、破れたことによって、明治維新以来の先人達の努力が水泡に帰したことも事実である。だが、結果論的に敗れた戦争を裁断するのではなく、戦争に至った明治以来の歴史の流れを、当時の人々の心を我が心として振返る時、あの戦争を『愚かな戦争』と傍観者的に冷笑することはできない。それは、歴史を担った誠実なる人々に対する冒涜のやうに思われるのだ。『破滅への道』を願った日本人は一人も居なかった筈だ。誤算を不誠実と混同してはならぬ。歴史は皮肉であり、気紛れであり、また過酷である。(中略)ともあれ、敗れた日本だけを断罪するには、大東亜戦争は余りに複雑で巨大な歴史を背負ってゐた」。
戦後日本人の歴史認識を深く汚染する、東京裁判史観。この「東京裁判史観」に毒された「自虐史観」に染まる日本人も少なくない。しかし、いつまでこの「東京裁判史観」に毒されなくてはいけないのか。上記の中村粲氏が言うように、片方の一方的な理由で戦争が始まった訳ではない。しかも、民間人を大量に殺されているにもかかわらず。広島市の平和公園にある原爆慰霊碑「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と何故、刻まれなければならないのか。
今もなお、東京裁判史観に毒された日本人に目を覚まして欲しいとの思いで、今年もまた「靖国神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントを8/24(土)に開催する。
https://www.tamagawa-miraijuku.com/event.html
反日左翼、リベラルの連中が何て言おうと、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰で今日の日本の平和がある。本殿にて昇殿参拝して英霊に感謝の誠を捧げ、靖国神社職員のお話を聞き、そして遊就館を拝観して、学校教育では知ることの出来ない歴史の真実に触れていただきたいと思う。
本日は、長崎での原爆投下によってお亡くなりになられたすべての御霊のご冥福をお祈りさせていただき、心静かに手を合わせ、鎮魂の誠を捧げたいと思う。
終戦80年に向けて④~靖國神社をお支えするということ
2024.07.22
今年は特攻作戦から80年、そして、来年は終戦80年を迎える。昭和から平成、令和と時代が移り、戦争体験者が急速に減っている中、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつある。「かつて日本軍は、アジア諸国を侵略し、略奪するなどをして地元の人々に大変つらい思いをさせたことを今でもアジアの諸国民は恨み続けている」と教えられた間違った歴史を今でも信じ、正しい歴史を知らない世代も少なくないのが現状である。
色々な人がいるし、どんな思想を持とうが、それは個人の自由だが、しかし、今日の平和があるのは、間違いなく先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様で、先祖の尊い犠牲があったからこそ、今日の平和があると私は考えている。
戦争で夫を、父親を亡くし、そのために、残された家族はどんな思いをして戦後を生きてきたか。苦労は計り知れないし、戦争を悪とする考え方は当然である。私の亡き父、そして現存の母も同じ思いをして生きてきた世代である。その苦労話は、私も良く聞かされたし、その関係もあり、私自身、昔はリベラル思想の持ち主であった。しかし、1985年以降、大東亜戦争に関する秘密にされた公文書が公開され、そして、今日までに、次々と歴史の真実が明らかにされた。私は、その機会に触れることができ、大東亜戦争が引き起こされた背景には、ソ連コミンテルンなど、日本を米国と戦わせ、日本を貶めようとする者たちがおり、そして、戦争をせざるをえない状況にまで日本を追い詰めた左翼思想の者たちが背後にいたことを知り、「一方的な知識で自己の思想を支配していた」事実に目覚めた。とは言え、当時の日本の指導者たちも良くなかったことも事実ではある。その後、正しい日本の歴史を客観的に見つめることができるようになり、今では、保守の立場で活動をしている。
その活動の中で、毎年、靖國神社を昇殿参拝し、そして、今日の学校教育とは違った視点から歴史を学べる遊就館を見学するイベントを開催している。今年のテーマは「靖國神社と特攻隊」。特攻作戦から80年の今年、勇躍出撃され散華した特攻隊員たちの思いを、我々はどう受け止めて今日を生きていけば良いのだろうか。今の平和があるのは、日本国を、そして家族を、恋人を、故郷を護るために命を賭して戦ってくれた英霊のお陰様。先人に感謝しかないのである。そんな思いを胸に、英霊に感謝の誠を捧げるべく、イベントを開催する。
その内容と詳細、お申し込み方法などは以下のURLよりご覧いただきたい。
https://tamagawa-miraijuku.com/event.html
靖國神社は明治2(1869)年に東京招魂社として創建され、明治12年に現在の名称になり、今年で155年を迎えた。幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の霊がまつられており、うち213万人が大東亜戦争の死者の霊である。その靖國神社をお支えしてきたのは、先の大戦で身内を亡くされた遺族の方々。しかし、元軍人の方々の大半は亡くなり、遺族の方々も少なくなってきた現状の中、これからの靖國神社をお支えするのは誰なのであろうか。
平成元(1989)年に刊行された『靖國神社創立百二十年記念特集』で、当時の松平永芳宮司、森田康之助崇敬者総代、高橋史郎明星大学助教授の鼎談の中で、松平宮司が以下のように語っている。
「私は就任した時から今日までそうなんですけど、靖國神社は政府のお金で維持すべき神社ではなくて、国民総氏子の神社ということでなければ、どうにもならないんじゃないかと考えています。(中略)少額でもいいからできるだけ多くの方々がここの神社を認識されて、ここのお蔭で自分たちの今日があり平和があるんだ、ということを理解していただくのが理想的なんだと考えております」と。
「国民総氏子」という考え方。私はこの考え方に多く賛同をする。遺族の方々だけでなく、国民一人ひとりが「氏子」という思いで靖國神社を参拝し、お支えすることが必要であると思うのである。そのお支えできるためにある「崇敬奉賛会」という制度。当然、私も「靖國神社崇敬奉賛会」の会員である。
靖國神社崇敬奉賛会は、日本を愛してやまなかった英霊の弛まぬ努力と切なる想いを、
いついつまでも伝えていきたいと平成10年12月に設立された。靖國神社を大切に思う人々が会員として集い、「やすくにの心」を伝えるため、公開シンポジウム、勉強会・講演会、青少年健全育成事業、奉賛金奉納式英霊顕彰祭などのさまざまな活動を行っている。崇敬奉賛会の活動の目的は、日本人の「心の拠りどころ」である靖國神社の大切さを伝えていくこと、そして「やすくにの心」で日本をつなぎ、「日本らしさ」、「日本人らしさ」を取り戻すことにある。
来年は終戦80年の節目の年。これを機に、「崇敬奉賛会」の会員でない方は是非、会員となってもらいたいと思う。そして、「国民総氏子」の一人として、靖國神社をお支えするためにともに尽力していきたいと思う次第である。
色々な人がいるし、どんな思想を持とうが、それは個人の自由だが、しかし、今日の平和があるのは、間違いなく先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様で、先祖の尊い犠牲があったからこそ、今日の平和があると私は考えている。
戦争で夫を、父親を亡くし、そのために、残された家族はどんな思いをして戦後を生きてきたか。苦労は計り知れないし、戦争を悪とする考え方は当然である。私の亡き父、そして現存の母も同じ思いをして生きてきた世代である。その苦労話は、私も良く聞かされたし、その関係もあり、私自身、昔はリベラル思想の持ち主であった。しかし、1985年以降、大東亜戦争に関する秘密にされた公文書が公開され、そして、今日までに、次々と歴史の真実が明らかにされた。私は、その機会に触れることができ、大東亜戦争が引き起こされた背景には、ソ連コミンテルンなど、日本を米国と戦わせ、日本を貶めようとする者たちがおり、そして、戦争をせざるをえない状況にまで日本を追い詰めた左翼思想の者たちが背後にいたことを知り、「一方的な知識で自己の思想を支配していた」事実に目覚めた。とは言え、当時の日本の指導者たちも良くなかったことも事実ではある。その後、正しい日本の歴史を客観的に見つめることができるようになり、今では、保守の立場で活動をしている。
その活動の中で、毎年、靖國神社を昇殿参拝し、そして、今日の学校教育とは違った視点から歴史を学べる遊就館を見学するイベントを開催している。今年のテーマは「靖國神社と特攻隊」。特攻作戦から80年の今年、勇躍出撃され散華した特攻隊員たちの思いを、我々はどう受け止めて今日を生きていけば良いのだろうか。今の平和があるのは、日本国を、そして家族を、恋人を、故郷を護るために命を賭して戦ってくれた英霊のお陰様。先人に感謝しかないのである。そんな思いを胸に、英霊に感謝の誠を捧げるべく、イベントを開催する。
その内容と詳細、お申し込み方法などは以下のURLよりご覧いただきたい。
https://tamagawa-miraijuku.com/event.html
靖國神社は明治2(1869)年に東京招魂社として創建され、明治12年に現在の名称になり、今年で155年を迎えた。幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の霊がまつられており、うち213万人が大東亜戦争の死者の霊である。その靖國神社をお支えしてきたのは、先の大戦で身内を亡くされた遺族の方々。しかし、元軍人の方々の大半は亡くなり、遺族の方々も少なくなってきた現状の中、これからの靖國神社をお支えするのは誰なのであろうか。
平成元(1989)年に刊行された『靖國神社創立百二十年記念特集』で、当時の松平永芳宮司、森田康之助崇敬者総代、高橋史郎明星大学助教授の鼎談の中で、松平宮司が以下のように語っている。
「私は就任した時から今日までそうなんですけど、靖國神社は政府のお金で維持すべき神社ではなくて、国民総氏子の神社ということでなければ、どうにもならないんじゃないかと考えています。(中略)少額でもいいからできるだけ多くの方々がここの神社を認識されて、ここのお蔭で自分たちの今日があり平和があるんだ、ということを理解していただくのが理想的なんだと考えております」と。
「国民総氏子」という考え方。私はこの考え方に多く賛同をする。遺族の方々だけでなく、国民一人ひとりが「氏子」という思いで靖國神社を参拝し、お支えすることが必要であると思うのである。そのお支えできるためにある「崇敬奉賛会」という制度。当然、私も「靖國神社崇敬奉賛会」の会員である。
靖國神社崇敬奉賛会は、日本を愛してやまなかった英霊の弛まぬ努力と切なる想いを、
いついつまでも伝えていきたいと平成10年12月に設立された。靖國神社を大切に思う人々が会員として集い、「やすくにの心」を伝えるため、公開シンポジウム、勉強会・講演会、青少年健全育成事業、奉賛金奉納式英霊顕彰祭などのさまざまな活動を行っている。崇敬奉賛会の活動の目的は、日本人の「心の拠りどころ」である靖國神社の大切さを伝えていくこと、そして「やすくにの心」で日本をつなぎ、「日本らしさ」、「日本人らしさ」を取り戻すことにある。
来年は終戦80年の節目の年。これを機に、「崇敬奉賛会」の会員でない方は是非、会員となってもらいたいと思う。そして、「国民総氏子」の一人として、靖國神社をお支えするためにともに尽力していきたいと思う次第である。