『法華経を生きる』に学ぶ
2024.01.25
久しぶりの投稿となる。
年末年始、多忙を極め、気が付けば、年を越していた。
改めまして、皆様、今年もよろしくお願いいたします。
今年は年初から能登半島地震、羽田空港航空機衝突事故などの出来事からスタートするなど、波乱な幕開けとなった。犠牲になられた方々に改めて哀悼の意を表するとともに、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げる次第である。
また、政治も、自民党の派閥による政治資金パーティーを巡る政治資金収支報告書不記載問題や、芸能界においても週刊文春による松本人志氏の性加害問題、昨年まで遡れば故ジャニー喜多川氏による性加害問題と、マスコミを賑わす話題ばかりだ。
新聞、テレビをはじめ週刊誌のこの報道の取り扱い方や仕方、内容など、私の個人的な感想になるが、腑に落ちないものばかり。一体、本質は何なのだろうかと思ってしまう。人を貶めることが目的なのか、それともその背景には何があるのか。ネットを始め、色々な情報が氾濫している昨今だからこそ、何が真実で何が嘘なのか、見極めなければ、翻弄されてしまう。そう思う世の中になった。
霊友会の創設者の一人である小谷喜美教主との縁で法華経に携わるようになったとする故石原慎太郎氏。その著書『法華経を生きる』は、そのありのままの姿、真実である「実相」を捉えるのにとても参考になる記載がある。「第二章『十如是』とは何か」の中の「出来事の正しい解明のために」という項があり、その中で以下の記載がある。
「法華経は全体が二十八章で構成されているがその第二番目に「方便品」というのがあります。(中略)ここではものごとがなんで今の形に成りきたって、それを具体的にどうとらえることで最も適切な方向を講じることが出来るかという手引きが教えられています」。
「曰くに、『所謂諸法の如是相・如是性・如是體・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究境等なり』があるのだといっている」。
これは法華三部経の中の、「妙法蓮華経方便品第二」の教えで、故石原慎太郎氏はこの本の中で釈迦の教えである「十如是」の大切さについて解いている。
要約すれば、十如是とは、「相(形相)・性(本質)・体(形体)・力(能力)・作(作用)・因(直接的な原因)・縁(条件・間接的な関係)・果(因に対する結果)・報(報い・縁に対する間接的な結果)・本末究竟等(相から報にいたるまでの9つの事柄が究極的に無差別平等であること)をいい、諸法の実相、つまり存在の真実の在り方が、この10の事柄によるものだ」という。
臨済宗の僧侶・松原泰道師はこれらの如是を、「自分という人間は」と置き換えてみたら一番よくわかるとも言っているが、
さらにかみ砕いていうと「すなわち、全ての現象・物事には持ち前の相=姿があり、相にふさわしい性=性質や、体=本体がある。体は力=潜在力を持ち、常に外に向け、色々な作=作用を起こしている。つまり、この世の全てのものには、必ず相・性・体・力・作があり、それらは互いに因=原因となり、縁=機会・条件となって、関係し合いながら変化し続け、千差万別の果=結果と、それによる報=報いを作り出しているのである。こうした諸現象は複雑に絡み合っていて、人間の知恵では原因と結果のつながりに見えにくいことも多いのだが、その実、全ては初め=本の相から終わり=末の報まで、ふさわしくつながり合って展開していく=究竟等のである。これが諸法の実相であり、本仏=真理の働きなのである。
要するに、事の本質「実相」を捉えるに、すべてのものごとは十の如是(要因)によって形となって表れてくるのだという。
石原氏はことの真実を見極めるのに、十如是の教えが根本にあり、これは宇宙の法則に基づくものであると先述の書籍に記述している。よく、結局「仏陀の掌の上」で動かされているという表現をするが、言い換えればこのことなのかもしれない。
私はこの十如是の考え方にアドラー心理学の「目的論」と、マズロー心理学の「欲求5段階説」を加えて捉え、考えていくことをよくする。そうすると、ある一定の答えが導き出されるのである。
「人間はある一定の目的に沿って行動し、良いも悪いも個人や組織の『欲』を満たす裏の目的のために結果を生み出そうとする」こと。
これは、私が心理学を独学で学び、その結果、導き出された答えであって、周囲の方々に強制されるべきものではないが、ある程度、この作用が働いているのだと思ってならない。
例えば、自民党の派閥による政治資金パーティーを巡る政治資金収支報告書不記載問題で言うと、朝日新聞は「裏金」と報道しているが、事の本質は「政治資金収支報告書不記載」であって、裏金と称する表現とは異なる。記載していれば問題がなかった。しかし、お金の集め方は確かに問題であるし、厳格化すべきであるが、政治資金規制法を強化しても、まずは記載を徹底することが重要であることに対する問題点を浮き彫りにし対応ずべきで、派閥解消までの議論になるのは、私は腑に落ちない。派閥を解消すればことが解決するかの如く自民党は対応しているが、問題の本質は派閥解消ではない。そして、派閥は何のために集まっているのかの本来の在り方を深く見ていかなければマスコミが作り出す貶めるための情報に、派閥解消が解決であるかの如く自民党の対応はいかがなものであろうかと思うし、情報に対して感情的な条件反射はしてはならないと考える。
松本人志氏の性加害問題についても、人権にかかわる問題であるので、慎重に言葉を選ばなくてはいけないが、週刊文春はこうした「文春砲」と称するスクープを勃発するのに対し、私はその意図は世直し的な動きなのか、または、売れれば何をしても良いのかという考え方や背景も加味して、情報を読み取らなければならないかと思っている。さらには、勇気をもって告発した人に対し、辛い、苦しかった気持ちは察するが、その目的とするところが今一つ理解できない部分もある。週刊文春はいくつもスクープを報じてきたが、それは良いものもあれば、人の心をも傷つけ、家族崩壊、さらには人の命をも奪う両刃の剣であることに、大きな違和感を持ってしまう。抽象的な言い方しかできないが、本来、あるべき姿とはどこにあるのかを深く考えてしまうのである。
先述した、十如是の真理を悟るとともに、法華経では実践していく過程の中で、その方法論に六波羅蜜(布施=親切=金銭や物を施す財施・正しく伝える法施・体を使って行う身施、持戒=言行一致・人のために尽力すること、忍辱=忍耐・平常心を持つこと、精進=努力、禅定=反省・心静かに定めること、智慧=修養・自己中心的にならないこと)をベース、下敷きにし、八正道(正見=正しい見解、正思=正しい思惟、正語=正しい言葉、正業=正しい行い、正命=正しい生活、正精進=正しい努力、正念=正しい思念、正定=正しい精神統一、心の安定)等を実践することを説いているのだが、これらを捉えて行動し、物事を見ていくと、とても理屈に叶い、納得していけることが多い。
表面化した事象に条件反射することなく、ことの本質は何なのかを考え、そして、それを捉え、どう行動すべきなのかを深く考える必要があると、新年の初めに思った次第である。
年末年始、多忙を極め、気が付けば、年を越していた。
改めまして、皆様、今年もよろしくお願いいたします。
今年は年初から能登半島地震、羽田空港航空機衝突事故などの出来事からスタートするなど、波乱な幕開けとなった。犠牲になられた方々に改めて哀悼の意を表するとともに、被災された皆様に心からお見舞いを申し上げる次第である。
また、政治も、自民党の派閥による政治資金パーティーを巡る政治資金収支報告書不記載問題や、芸能界においても週刊文春による松本人志氏の性加害問題、昨年まで遡れば故ジャニー喜多川氏による性加害問題と、マスコミを賑わす話題ばかりだ。
新聞、テレビをはじめ週刊誌のこの報道の取り扱い方や仕方、内容など、私の個人的な感想になるが、腑に落ちないものばかり。一体、本質は何なのだろうかと思ってしまう。人を貶めることが目的なのか、それともその背景には何があるのか。ネットを始め、色々な情報が氾濫している昨今だからこそ、何が真実で何が嘘なのか、見極めなければ、翻弄されてしまう。そう思う世の中になった。
霊友会の創設者の一人である小谷喜美教主との縁で法華経に携わるようになったとする故石原慎太郎氏。その著書『法華経を生きる』は、そのありのままの姿、真実である「実相」を捉えるのにとても参考になる記載がある。「第二章『十如是』とは何か」の中の「出来事の正しい解明のために」という項があり、その中で以下の記載がある。
「法華経は全体が二十八章で構成されているがその第二番目に「方便品」というのがあります。(中略)ここではものごとがなんで今の形に成りきたって、それを具体的にどうとらえることで最も適切な方向を講じることが出来るかという手引きが教えられています」。
「曰くに、『所謂諸法の如是相・如是性・如是體・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究境等なり』があるのだといっている」。
これは法華三部経の中の、「妙法蓮華経方便品第二」の教えで、故石原慎太郎氏はこの本の中で釈迦の教えである「十如是」の大切さについて解いている。
要約すれば、十如是とは、「相(形相)・性(本質)・体(形体)・力(能力)・作(作用)・因(直接的な原因)・縁(条件・間接的な関係)・果(因に対する結果)・報(報い・縁に対する間接的な結果)・本末究竟等(相から報にいたるまでの9つの事柄が究極的に無差別平等であること)をいい、諸法の実相、つまり存在の真実の在り方が、この10の事柄によるものだ」という。
臨済宗の僧侶・松原泰道師はこれらの如是を、「自分という人間は」と置き換えてみたら一番よくわかるとも言っているが、
さらにかみ砕いていうと「すなわち、全ての現象・物事には持ち前の相=姿があり、相にふさわしい性=性質や、体=本体がある。体は力=潜在力を持ち、常に外に向け、色々な作=作用を起こしている。つまり、この世の全てのものには、必ず相・性・体・力・作があり、それらは互いに因=原因となり、縁=機会・条件となって、関係し合いながら変化し続け、千差万別の果=結果と、それによる報=報いを作り出しているのである。こうした諸現象は複雑に絡み合っていて、人間の知恵では原因と結果のつながりに見えにくいことも多いのだが、その実、全ては初め=本の相から終わり=末の報まで、ふさわしくつながり合って展開していく=究竟等のである。これが諸法の実相であり、本仏=真理の働きなのである。
要するに、事の本質「実相」を捉えるに、すべてのものごとは十の如是(要因)によって形となって表れてくるのだという。
石原氏はことの真実を見極めるのに、十如是の教えが根本にあり、これは宇宙の法則に基づくものであると先述の書籍に記述している。よく、結局「仏陀の掌の上」で動かされているという表現をするが、言い換えればこのことなのかもしれない。
私はこの十如是の考え方にアドラー心理学の「目的論」と、マズロー心理学の「欲求5段階説」を加えて捉え、考えていくことをよくする。そうすると、ある一定の答えが導き出されるのである。
「人間はある一定の目的に沿って行動し、良いも悪いも個人や組織の『欲』を満たす裏の目的のために結果を生み出そうとする」こと。
これは、私が心理学を独学で学び、その結果、導き出された答えであって、周囲の方々に強制されるべきものではないが、ある程度、この作用が働いているのだと思ってならない。
例えば、自民党の派閥による政治資金パーティーを巡る政治資金収支報告書不記載問題で言うと、朝日新聞は「裏金」と報道しているが、事の本質は「政治資金収支報告書不記載」であって、裏金と称する表現とは異なる。記載していれば問題がなかった。しかし、お金の集め方は確かに問題であるし、厳格化すべきであるが、政治資金規制法を強化しても、まずは記載を徹底することが重要であることに対する問題点を浮き彫りにし対応ずべきで、派閥解消までの議論になるのは、私は腑に落ちない。派閥を解消すればことが解決するかの如く自民党は対応しているが、問題の本質は派閥解消ではない。そして、派閥は何のために集まっているのかの本来の在り方を深く見ていかなければマスコミが作り出す貶めるための情報に、派閥解消が解決であるかの如く自民党の対応はいかがなものであろうかと思うし、情報に対して感情的な条件反射はしてはならないと考える。
松本人志氏の性加害問題についても、人権にかかわる問題であるので、慎重に言葉を選ばなくてはいけないが、週刊文春はこうした「文春砲」と称するスクープを勃発するのに対し、私はその意図は世直し的な動きなのか、または、売れれば何をしても良いのかという考え方や背景も加味して、情報を読み取らなければならないかと思っている。さらには、勇気をもって告発した人に対し、辛い、苦しかった気持ちは察するが、その目的とするところが今一つ理解できない部分もある。週刊文春はいくつもスクープを報じてきたが、それは良いものもあれば、人の心をも傷つけ、家族崩壊、さらには人の命をも奪う両刃の剣であることに、大きな違和感を持ってしまう。抽象的な言い方しかできないが、本来、あるべき姿とはどこにあるのかを深く考えてしまうのである。
先述した、十如是の真理を悟るとともに、法華経では実践していく過程の中で、その方法論に六波羅蜜(布施=親切=金銭や物を施す財施・正しく伝える法施・体を使って行う身施、持戒=言行一致・人のために尽力すること、忍辱=忍耐・平常心を持つこと、精進=努力、禅定=反省・心静かに定めること、智慧=修養・自己中心的にならないこと)をベース、下敷きにし、八正道(正見=正しい見解、正思=正しい思惟、正語=正しい言葉、正業=正しい行い、正命=正しい生活、正精進=正しい努力、正念=正しい思念、正定=正しい精神統一、心の安定)等を実践することを説いているのだが、これらを捉えて行動し、物事を見ていくと、とても理屈に叶い、納得していけることが多い。
表面化した事象に条件反射することなく、ことの本質は何なのかを考え、そして、それを捉え、どう行動すべきなのかを深く考える必要があると、新年の初めに思った次第である。
メディアの凋落
2023.10.21
旧ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の性加害問題について、60年前から疑惑が指摘され、これまで2度、裁判が行われてきたにも関わらず、BBCで取り上げられた後、世間に幅広くこの問題が明るみになるまでは、メディアはその報道をせず沈黙を守り通してきた。
故ジャニー喜多川氏による所属タレントへの性加害問題が最初に明るみに出たのは、1967年~78年にかけて一世を風靡したジャニーズタレント「フォーリーブス」の故北公次氏が、解散から10年後の1988年に、ジャニー氏から受けた性被害を赤裸々に綴った書籍『光GENJIへ』がきっかけだった。そして、翌年、ビデオでも被害を訴えていたが、メディアは沈黙。今年9月に、TBSがその告白ビデオを入手したとして、放送したが、「今更感」が拭えなかった。
この問題は、当然、故ジャニー喜多川氏に罪があるが、当の本人が亡くなっているにも関わらず、旧ジャニーズ事務所は被害者と向き合い、真摯に対応をしようとしている姿勢は、十分でないにしろ前に進むよう尽力しているので、私は旧ジャニーズ事務所について語ろうとは思わない。
しかし、メディアの責任については、無視できない事実であろうと考えている。
日本テレビ「news zero」の有働由美子キャスターは「海外の人権問題は徹底的に批判するのに、もっと近くにあった問題はちゃんと取材して知ろうとしませんでした。なぜ『沈黙』してしまったのか、重く問われているという覚悟のもとに向き合っていきたいと思います」と、メディアの責任について語ったが、私からすれば「何をいまさら」といった感が強い。前述のTBSにしてもそうだが、責任逃れを必死で語っているとしか思えず、それは各テレビ局がこぞって声明を出したが、どの社も同じように感じるし、苦しい言い訳にしか聞こえないのである。
「メディアの凋落」。
今回に留まらず、昨今のメディアの姿勢に、この言葉が当てはまると思えてならない。
この凋落のきっかけになったであろう、朝日新聞が、2014年9月11日、東京電力福島第一原発事故をめぐり政府の事故調査・検証委員会がまとめた、故・吉田昌郎元所長の「聴取結果書(調書)」に関する記事を誤りと認めて取り消した件や、「従軍慰安婦」誤報放置事件に関する謝罪会見。
この謝罪会見により、読者への信用失墜により、読者離れが加速した。
そして、その朝日新聞の購読を止めた読者の受け皿になるべく、東京新聞は親会社・中日新聞の意向を受け、思い切り左傾化へと舵を切り始めた。結果、朝日新聞よりも酷い左傾化記事報道を展開し、その先鋒、切り込み隊長として望月衣塑子記者を送り込んだと私は解釈している。
そして、官房長官を始め、数々の記者会見での彼女の質問に対する「暴走」は、記者としての器量や認識の浅はかさを露呈したのではないだろうかと感じてならないのである。
その最たるものは、ジャニーズ事務所の記者会見。(以下、引用)
「10月2日に開かれたジャニーズ事務所の会見で、望月氏は『自分を指してもらえなかった』ことを理由に何度も喚き散らした。その姿を見た視聴者の多くが呆れ、会見直後はSNS上に『下品』『傍若無人』などの批判が溢れ返った。だが、5日、ジャニーズ事務所側が指名しない記者をまとめた『NGリスト』を作成していた事実が発覚すると、風向きが変わった。望月氏はSNSで〈茶番、八百長会見〉と語気を強めて批判。〈東山氏と井ノ原氏の辞任を強く求めます〉〈やり直し会見を求めます〉と攻勢を強めている。
一連の騒ぎについて、東京新聞の中堅記者が呆れて語る。
『NGリストの件でジャニーズ事務所側に問題があったことは間違いない。ただし、それと彼女の振る舞いは別問題だと思います。300人も出席した会見で、自分が指されないことを問題視すること自体が傲慢でしょう』
前回の会見でも望月氏は、ほとんどの社が守っていた1社2問のルールを無視して10分以上も質問。セカンドレイプと批判を受けるような質問や『テレ朝は今日も中継しておりません』といった事実誤認の発言まで繰り出し、場を乱した“前科”があった。
『決して、ジャニーズ側を擁護するわけではありませんが、彼女についてはNGリストに入れられたのも仕方なかったと思います』(同)」と。
このような振る舞いは、記者の質の低下を思わせると同時に、他の優秀な記者への悪影響でもあると考えるのである。
「活字離れ」「テレビ離れ」と言われて久しいが、問題は先述の朝日新聞のように、ずっと以前から存在していると感じるのである。
メディアは、自分たちの主義主張を国民に知ら示すために、「一定の意図をもって発信する」ことが目的となる。その目的は、色々な番組、記事に寄り添う形で散りばめられ、時には直球で、時には変化球を交えて巧妙に発信する。それを視聴者は真に受ける。特にテレビ世代の50代以上の世帯層には絶妙に効果を発揮するが、逆にテレビを観ない、新聞を読まないネット世代の20代、30代には功を奏さない。
ネットに流れる情報は、正しい情報もあるが、偽情報もある。それが見極めにくくなっているのは事実であるため、何が正しくて、何が正しくないのかが分かりずらくなっている。
既存メディアは、報道する責任があるが故に、取材を重ね、間違った情報を流さないことで、信用と信頼があったにも関わらず、取材記者の質の低下や、朝日新聞のように、一定の意図をもって誤情報を発信するメディアの存在が、ますます「メディアの凋落」に拍車をかけると思ってならないのである。
メディアの役割とはなんであるのか。
日本新聞協会の新聞倫理綱領には以下のように記されている。
「(前略)国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである(後略)」。
そして、「正確と公正」について、「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである」。
これらが全うに遂行されているメディアはどこであろうか。一部のメディアは遂行していると思われるのに対し、少なくとも反日メディアやそれに伴う記者が属しているメディアには、この綱領に反するのではないかと考えるのである。
先日、元TBSキャスターを務めた松富(有村)かおり氏のSNSで、メディアの在り方や、日本国民としての自覚について投稿しているのを目にした。
的を得た指摘に大きく賛同したので、以下、引用し、ご紹介したい。
「世界は今までよりはるかに不安定で危険なものになっている。
日本の明日が、ウクライナやイスラエルのようにならないと誰が断言できるだろう。
アメリカは民主主義国を率いるリーダーシップを失いつつある。
E Uの理想主義はボロボロだ。
民主主義国家の陣営と、中露を中心とする独裁主義・権威主義国家陣営の対立は酷くなるばかり。
ロシアの中国依存は深まり、中露が手を組んで行動する機会が増えている。ロシアと北朝鮮は、兵器と食糧の融通で、パイプを太くしつつある。
まさに、日本にとっては『悪夢』のような状況が日々加速しているのに、なぜ、大手メディアはそれを報じないのか?
沖縄や鹿児島では、大変な勢いで、『台湾有事』に向けたシェルターの確保や、基地の強化が進む。
それを他の地域の日本人はほとんど知らされていない。
政府は、世界中から集めた情報から、『台湾有事はあるかないかではない。いつ起こるかだ』という結論に達しているのだ。多くの専門家が、台湾への武力侵攻が2027年までに起こる確率は8割を超えると判断しているのだ。
どうか、考えてほしい。
どうか、日本を取り巻く海外の情勢が大きく動き始めていることに気づいてほしい。
その上で、私たちに、この美しい国を平和な毎日を守るために何ができるか、考えてほしいのだ」。
我々国民はどれだけ正しい情報を取れているのか。
一部を除くメディアからでは正しい情報が取れなくなっている。ネットから得る情報が、ものによっては正しい情報を流したりしているのも事実であろうし、ガセネタを流すネット情報もある。しかし、現状メディアに対する不満、不安から、視聴者、購読者の減少を加速させているのではないかと思ってならない。一部を除く既存メディアの信用回復はまだ先のような気がするのは自分だけだろうか。
故ジャニー喜多川氏による所属タレントへの性加害問題が最初に明るみに出たのは、1967年~78年にかけて一世を風靡したジャニーズタレント「フォーリーブス」の故北公次氏が、解散から10年後の1988年に、ジャニー氏から受けた性被害を赤裸々に綴った書籍『光GENJIへ』がきっかけだった。そして、翌年、ビデオでも被害を訴えていたが、メディアは沈黙。今年9月に、TBSがその告白ビデオを入手したとして、放送したが、「今更感」が拭えなかった。
この問題は、当然、故ジャニー喜多川氏に罪があるが、当の本人が亡くなっているにも関わらず、旧ジャニーズ事務所は被害者と向き合い、真摯に対応をしようとしている姿勢は、十分でないにしろ前に進むよう尽力しているので、私は旧ジャニーズ事務所について語ろうとは思わない。
しかし、メディアの責任については、無視できない事実であろうと考えている。
日本テレビ「news zero」の有働由美子キャスターは「海外の人権問題は徹底的に批判するのに、もっと近くにあった問題はちゃんと取材して知ろうとしませんでした。なぜ『沈黙』してしまったのか、重く問われているという覚悟のもとに向き合っていきたいと思います」と、メディアの責任について語ったが、私からすれば「何をいまさら」といった感が強い。前述のTBSにしてもそうだが、責任逃れを必死で語っているとしか思えず、それは各テレビ局がこぞって声明を出したが、どの社も同じように感じるし、苦しい言い訳にしか聞こえないのである。
「メディアの凋落」。
今回に留まらず、昨今のメディアの姿勢に、この言葉が当てはまると思えてならない。
この凋落のきっかけになったであろう、朝日新聞が、2014年9月11日、東京電力福島第一原発事故をめぐり政府の事故調査・検証委員会がまとめた、故・吉田昌郎元所長の「聴取結果書(調書)」に関する記事を誤りと認めて取り消した件や、「従軍慰安婦」誤報放置事件に関する謝罪会見。
この謝罪会見により、読者への信用失墜により、読者離れが加速した。
そして、その朝日新聞の購読を止めた読者の受け皿になるべく、東京新聞は親会社・中日新聞の意向を受け、思い切り左傾化へと舵を切り始めた。結果、朝日新聞よりも酷い左傾化記事報道を展開し、その先鋒、切り込み隊長として望月衣塑子記者を送り込んだと私は解釈している。
そして、官房長官を始め、数々の記者会見での彼女の質問に対する「暴走」は、記者としての器量や認識の浅はかさを露呈したのではないだろうかと感じてならないのである。
その最たるものは、ジャニーズ事務所の記者会見。(以下、引用)
「10月2日に開かれたジャニーズ事務所の会見で、望月氏は『自分を指してもらえなかった』ことを理由に何度も喚き散らした。その姿を見た視聴者の多くが呆れ、会見直後はSNS上に『下品』『傍若無人』などの批判が溢れ返った。だが、5日、ジャニーズ事務所側が指名しない記者をまとめた『NGリスト』を作成していた事実が発覚すると、風向きが変わった。望月氏はSNSで〈茶番、八百長会見〉と語気を強めて批判。〈東山氏と井ノ原氏の辞任を強く求めます〉〈やり直し会見を求めます〉と攻勢を強めている。
一連の騒ぎについて、東京新聞の中堅記者が呆れて語る。
『NGリストの件でジャニーズ事務所側に問題があったことは間違いない。ただし、それと彼女の振る舞いは別問題だと思います。300人も出席した会見で、自分が指されないことを問題視すること自体が傲慢でしょう』
前回の会見でも望月氏は、ほとんどの社が守っていた1社2問のルールを無視して10分以上も質問。セカンドレイプと批判を受けるような質問や『テレ朝は今日も中継しておりません』といった事実誤認の発言まで繰り出し、場を乱した“前科”があった。
『決して、ジャニーズ側を擁護するわけではありませんが、彼女についてはNGリストに入れられたのも仕方なかったと思います』(同)」と。
このような振る舞いは、記者の質の低下を思わせると同時に、他の優秀な記者への悪影響でもあると考えるのである。
「活字離れ」「テレビ離れ」と言われて久しいが、問題は先述の朝日新聞のように、ずっと以前から存在していると感じるのである。
メディアは、自分たちの主義主張を国民に知ら示すために、「一定の意図をもって発信する」ことが目的となる。その目的は、色々な番組、記事に寄り添う形で散りばめられ、時には直球で、時には変化球を交えて巧妙に発信する。それを視聴者は真に受ける。特にテレビ世代の50代以上の世帯層には絶妙に効果を発揮するが、逆にテレビを観ない、新聞を読まないネット世代の20代、30代には功を奏さない。
ネットに流れる情報は、正しい情報もあるが、偽情報もある。それが見極めにくくなっているのは事実であるため、何が正しくて、何が正しくないのかが分かりずらくなっている。
既存メディアは、報道する責任があるが故に、取材を重ね、間違った情報を流さないことで、信用と信頼があったにも関わらず、取材記者の質の低下や、朝日新聞のように、一定の意図をもって誤情報を発信するメディアの存在が、ますます「メディアの凋落」に拍車をかけると思ってならないのである。
メディアの役割とはなんであるのか。
日本新聞協会の新聞倫理綱領には以下のように記されている。
「(前略)国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである(後略)」。
そして、「正確と公正」について、「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである」。
これらが全うに遂行されているメディアはどこであろうか。一部のメディアは遂行していると思われるのに対し、少なくとも反日メディアやそれに伴う記者が属しているメディアには、この綱領に反するのではないかと考えるのである。
先日、元TBSキャスターを務めた松富(有村)かおり氏のSNSで、メディアの在り方や、日本国民としての自覚について投稿しているのを目にした。
的を得た指摘に大きく賛同したので、以下、引用し、ご紹介したい。
「世界は今までよりはるかに不安定で危険なものになっている。
日本の明日が、ウクライナやイスラエルのようにならないと誰が断言できるだろう。
アメリカは民主主義国を率いるリーダーシップを失いつつある。
E Uの理想主義はボロボロだ。
民主主義国家の陣営と、中露を中心とする独裁主義・権威主義国家陣営の対立は酷くなるばかり。
ロシアの中国依存は深まり、中露が手を組んで行動する機会が増えている。ロシアと北朝鮮は、兵器と食糧の融通で、パイプを太くしつつある。
まさに、日本にとっては『悪夢』のような状況が日々加速しているのに、なぜ、大手メディアはそれを報じないのか?
沖縄や鹿児島では、大変な勢いで、『台湾有事』に向けたシェルターの確保や、基地の強化が進む。
それを他の地域の日本人はほとんど知らされていない。
政府は、世界中から集めた情報から、『台湾有事はあるかないかではない。いつ起こるかだ』という結論に達しているのだ。多くの専門家が、台湾への武力侵攻が2027年までに起こる確率は8割を超えると判断しているのだ。
どうか、考えてほしい。
どうか、日本を取り巻く海外の情勢が大きく動き始めていることに気づいてほしい。
その上で、私たちに、この美しい国を平和な毎日を守るために何ができるか、考えてほしいのだ」。
我々国民はどれだけ正しい情報を取れているのか。
一部を除くメディアからでは正しい情報が取れなくなっている。ネットから得る情報が、ものによっては正しい情報を流したりしているのも事実であろうし、ガセネタを流すネット情報もある。しかし、現状メディアに対する不満、不安から、視聴者、購読者の減少を加速させているのではないかと思ってならない。一部を除く既存メディアの信用回復はまだ先のような気がするのは自分だけだろうか。
日本人として自覚と誇りを持て!
2023.09.30
去る9月24日(日)、靖國神社靖國会館「偕行の間」にて、「次代への伝承〜英霊は我々に何を託したのか〜」トークライブイベントを開催し、約70人の方々にご来場いただいた。ご来場いただいた皆様には、心から感謝申し上げたい。
また、ご多忙中の中、ご登壇いただいた柿崎ゆうじ監督、伊藤つかささん、そしてファシリテーターを務めていただいた葛城奈海さん、誠にありがとうございました。
そして、お手伝いに来てくれた若いスタッフの皆さん、お忙しいのにも関わらずご協力をいただき、ありがとうございました。
さらには、企画から当日まで、靖國神社職員の皆様には本当にお世話になりました。心から御礼を申し上げます。
当日は秋らしい澄んだ、そして、厳かで清々しい空気の中、来場者皆様と一緒に本殿にて昇殿参拝をさせていただき、英霊に感謝の誠を捧げさせていただいた。
その後のトークライブでは「次代への伝承〜英霊は我々に何を託したのか〜」をテーマに舞台「帰って来た蛍」で脚本・演出・製作総指揮を務めた柿崎監督と、その舞台で鳥濱トメさんを演じた伊藤つかささん、葛城奈海さんの見事な司会進行で貴重なお話を伺うことが出来て、本当に有り難い限りである。
その際に、次代を担う若者たちへメッセージをいただいたのだが、柿崎監督の以下の言葉にとても印象深く心に刻まれた。
「日本人として自覚と誇りを持て!」。
日本人にはいくらでも乗り越えられる潜在能力がある。そういう人がいれば、日本はきっと良い国になるとのメッセージであった。
また、来場者からの声をアンケートにて記載いただき、その一部を抜粋し、以下、ご紹介したい。
・様々な事象が日々起きているので、年に1回このようなイベントで伝え続けていくのは良いと思います。(神奈川県在住50代男性)
・歴史戦とも称される主に中韓からの執拗な非難への対応など個人、国家共にどのような考え方、態度が重要かについて、今後のイベントに期待したい。(神奈川県在住70代男性)
・次代へしっかりと正しい歴史を伝承したいと考えますが、ゆくゆくは学校教育での正しい歴史教育がなされることを心から願います。(埼玉県在住50代男性)
・今回は柿崎監督に加えて、演者である伊藤さんのお話が聞けて非常に良かったです。どのような気持ちの準備を経て監督・演者が舞台を作り上げてきたのかよくわかった。来年開催の舞台・帰って来た蛍の舞台裏のお話などを聞ける機会があると、ありがたいです。(神奈川県在住40代男性)
・今回、初めて参加しました。大変素晴らしく共感を得るプログラムでした。柿崎さんがお話しされていた様に『当たり前のことが、当たり前のように』行われる世の中でありたいと思うのは、まさに“当たり前”なのですが、そこに何か横槍が入る昨今であるが故にトークライブをお聞きして清々しい思いでした。同時に、私たちの今の世の中が、多くの犠牲の上に成り立っていることを理解することが必要だとあらためて感じております。話は飛躍するかもしれませんが、選挙において国政選挙でも地方統一選挙でも毎回話題になる投票率の低さについていつも考えることがあります。私たちに男女の別なく与えられた普通選挙権も英霊の方々の犠牲と引き換えに与えられたものであり、そう考えるとその権利の行使を行わないのは英霊への冒瀆ではないでしょうか。大東亜戦争末期の特攻も、私は崇高な自己犠牲という見方が当たり前なのではと考えるのですが、これも難しい問題ですね。でも、海外の映画を観ても、己の命と引き換えに大切な人を守るというシーンはいくらでもあります。古くは「誰が為に鐘は鳴る」も、SFの「アルマゲドン」も「インディペンデンス・デイ」にもそうしたシーンはあります。海外の方から特攻に共感が寄せられるのも、自己犠牲を崇高なものとする共通の価値観があるということでしょう。私は、特攻作戦を立案した軍部の無謀さと、その担い手となった若者とは区別すべきだと思っています(軍部の無謀さの裏側にある当時の窮鼠の状況も客観的に見る必要はあるのでしょうが)。すっかり感想が長くなりました。素晴らしいトークライブの企画をありがとうございました。来年の『帰ってきた来た蛍」を楽しみにしております。
追伸 靖国神社内のパール博士の顕彰碑があるのを知り、感激いたしました。老若男女、幅広い方々が参加されていることを知りました。講演の後、何人かのグループで感想などを少しおしゃべりできる時間があったりするとよいのはと思いました。(栃木県在住60代男性)
・このイベントでなければ聞くことや知ることがないような話をたくさん知ることができた。(千葉県在住10代男性)
・いろいろと考えることがありました。今回もありがとうございました。(千葉県在住40代女性)
・しっかりと考えられていて分かりやすく解説されてました。(東京都在住50代男性)
・葛城奈海さんのファシリテーターとしての質問のフレーズがとても痛切であったので、この講演会の大きな流れがまとまっていて良かった。ファシリテーターとして、相当準備して、役割を務められたと尊敬します。(神奈川県在住70代男性)
・大変良かったです。柿崎ゆうじ監督のお話、すばらしい。葛城奈海さんの朗読、感動しました。葛城さんのお話、素晴らしい。伊藤つかささんの舞台、楽しみです。玉川先生、ありがとうございました。(東京都在住60代男性)
・こういうイベントは、日本全国の小中高校で、子供たちに教えなければ駄目です。(千葉県在住80代男性)
・資料の中にあった「終戦の詔書」の現代語訳を読んで、昭和天皇が我国臣民に対しての想いが、どのような想いであったのかを知ることが出来ました。迫の大戦は敗戦ではなく、終戦なのですね。天皇は日本民族のことだけでなく、人類の未来をも思い描いていたのです。誠にすばらしい天皇を持った我が臣民は、幸せな民族であると実感致しました。我々はこの天皇様(法灯)を守り続けていかなければなりません。今回のテーマ「次代への伝承~英霊は我々に何を託したのか~」トークライブは素晴らしいテーマだなと思いました。この大きなテーマを靖國神社内の会場で催行できたこと、柿崎ゆうじ監督、伊藤つかさ氏、葛城奈海氏、によるトークライブも心熱いものとなったと思います。柿崎氏の熱い熱い想いが伝わってきました。葛城氏のご遺書朗読はまるで英霊達の魂が入ったような朗読には、涙を禁じえませんでした。英霊の皆様も喜んでいらっしゃると思います。感謝です。最後に、主催者である寺子屋「玉川未来塾」に感謝です。(神奈川県在住70代男性)
心温まる、お言葉、本当に心から感謝である。これだから、イベント開催は止められないのである。
今年のイベントも9月24日(日)で最後。
今年は3回のイベントを全て靖国神社で開催させていただいた。それには意味があった。
平気で人を殺める若者の犯罪が増えている昨今、または罪を犯しているにも関わらず、平気で逃走する若者。その若者の親世代がちょうど我々の世代となり、我々世代にも責任があるのではないかと。その現代社会に憂う今日において、人を思う気持ちが足りなくなったように感じていて仕方がなかった。
それに対し、あの戦争時、生きたくても生きられなかった時代があった。公のために尽くし、家族のため、愛する恋人のために、戦ってくださったその先人たちの思いを感じて貰いたいと。
その思いを靖国神社で開催することで、ご来場いただいた皆様を、それをどう感じてくださったのかと思う次第である。1つでも心の中に残るものがありましたらこんなに嬉しいことはない。
来年は特攻作戦が開始されて80年。その年に相応しいイベントをまた企画してお届けしたいと思っている。
今年も私が企画するイベントにご参加いただきました皆様には心から感謝申し上げます。また、来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
最後に、今年度最後のイベントが、私世代のアイドルであった伊藤つかささんとお仕事をご一緒できて最高に幸せであった。感謝です。
また、ご多忙中の中、ご登壇いただいた柿崎ゆうじ監督、伊藤つかささん、そしてファシリテーターを務めていただいた葛城奈海さん、誠にありがとうございました。
そして、お手伝いに来てくれた若いスタッフの皆さん、お忙しいのにも関わらずご協力をいただき、ありがとうございました。
さらには、企画から当日まで、靖國神社職員の皆様には本当にお世話になりました。心から御礼を申し上げます。
当日は秋らしい澄んだ、そして、厳かで清々しい空気の中、来場者皆様と一緒に本殿にて昇殿参拝をさせていただき、英霊に感謝の誠を捧げさせていただいた。
その後のトークライブでは「次代への伝承〜英霊は我々に何を託したのか〜」をテーマに舞台「帰って来た蛍」で脚本・演出・製作総指揮を務めた柿崎監督と、その舞台で鳥濱トメさんを演じた伊藤つかささん、葛城奈海さんの見事な司会進行で貴重なお話を伺うことが出来て、本当に有り難い限りである。
その際に、次代を担う若者たちへメッセージをいただいたのだが、柿崎監督の以下の言葉にとても印象深く心に刻まれた。
「日本人として自覚と誇りを持て!」。
日本人にはいくらでも乗り越えられる潜在能力がある。そういう人がいれば、日本はきっと良い国になるとのメッセージであった。
また、来場者からの声をアンケートにて記載いただき、その一部を抜粋し、以下、ご紹介したい。
・様々な事象が日々起きているので、年に1回このようなイベントで伝え続けていくのは良いと思います。(神奈川県在住50代男性)
・歴史戦とも称される主に中韓からの執拗な非難への対応など個人、国家共にどのような考え方、態度が重要かについて、今後のイベントに期待したい。(神奈川県在住70代男性)
・次代へしっかりと正しい歴史を伝承したいと考えますが、ゆくゆくは学校教育での正しい歴史教育がなされることを心から願います。(埼玉県在住50代男性)
・今回は柿崎監督に加えて、演者である伊藤さんのお話が聞けて非常に良かったです。どのような気持ちの準備を経て監督・演者が舞台を作り上げてきたのかよくわかった。来年開催の舞台・帰って来た蛍の舞台裏のお話などを聞ける機会があると、ありがたいです。(神奈川県在住40代男性)
・今回、初めて参加しました。大変素晴らしく共感を得るプログラムでした。柿崎さんがお話しされていた様に『当たり前のことが、当たり前のように』行われる世の中でありたいと思うのは、まさに“当たり前”なのですが、そこに何か横槍が入る昨今であるが故にトークライブをお聞きして清々しい思いでした。同時に、私たちの今の世の中が、多くの犠牲の上に成り立っていることを理解することが必要だとあらためて感じております。話は飛躍するかもしれませんが、選挙において国政選挙でも地方統一選挙でも毎回話題になる投票率の低さについていつも考えることがあります。私たちに男女の別なく与えられた普通選挙権も英霊の方々の犠牲と引き換えに与えられたものであり、そう考えるとその権利の行使を行わないのは英霊への冒瀆ではないでしょうか。大東亜戦争末期の特攻も、私は崇高な自己犠牲という見方が当たり前なのではと考えるのですが、これも難しい問題ですね。でも、海外の映画を観ても、己の命と引き換えに大切な人を守るというシーンはいくらでもあります。古くは「誰が為に鐘は鳴る」も、SFの「アルマゲドン」も「インディペンデンス・デイ」にもそうしたシーンはあります。海外の方から特攻に共感が寄せられるのも、自己犠牲を崇高なものとする共通の価値観があるということでしょう。私は、特攻作戦を立案した軍部の無謀さと、その担い手となった若者とは区別すべきだと思っています(軍部の無謀さの裏側にある当時の窮鼠の状況も客観的に見る必要はあるのでしょうが)。すっかり感想が長くなりました。素晴らしいトークライブの企画をありがとうございました。来年の『帰ってきた来た蛍」を楽しみにしております。
追伸 靖国神社内のパール博士の顕彰碑があるのを知り、感激いたしました。老若男女、幅広い方々が参加されていることを知りました。講演の後、何人かのグループで感想などを少しおしゃべりできる時間があったりするとよいのはと思いました。(栃木県在住60代男性)
・このイベントでなければ聞くことや知ることがないような話をたくさん知ることができた。(千葉県在住10代男性)
・いろいろと考えることがありました。今回もありがとうございました。(千葉県在住40代女性)
・しっかりと考えられていて分かりやすく解説されてました。(東京都在住50代男性)
・葛城奈海さんのファシリテーターとしての質問のフレーズがとても痛切であったので、この講演会の大きな流れがまとまっていて良かった。ファシリテーターとして、相当準備して、役割を務められたと尊敬します。(神奈川県在住70代男性)
・大変良かったです。柿崎ゆうじ監督のお話、すばらしい。葛城奈海さんの朗読、感動しました。葛城さんのお話、素晴らしい。伊藤つかささんの舞台、楽しみです。玉川先生、ありがとうございました。(東京都在住60代男性)
・こういうイベントは、日本全国の小中高校で、子供たちに教えなければ駄目です。(千葉県在住80代男性)
・資料の中にあった「終戦の詔書」の現代語訳を読んで、昭和天皇が我国臣民に対しての想いが、どのような想いであったのかを知ることが出来ました。迫の大戦は敗戦ではなく、終戦なのですね。天皇は日本民族のことだけでなく、人類の未来をも思い描いていたのです。誠にすばらしい天皇を持った我が臣民は、幸せな民族であると実感致しました。我々はこの天皇様(法灯)を守り続けていかなければなりません。今回のテーマ「次代への伝承~英霊は我々に何を託したのか~」トークライブは素晴らしいテーマだなと思いました。この大きなテーマを靖國神社内の会場で催行できたこと、柿崎ゆうじ監督、伊藤つかさ氏、葛城奈海氏、によるトークライブも心熱いものとなったと思います。柿崎氏の熱い熱い想いが伝わってきました。葛城氏のご遺書朗読はまるで英霊達の魂が入ったような朗読には、涙を禁じえませんでした。英霊の皆様も喜んでいらっしゃると思います。感謝です。最後に、主催者である寺子屋「玉川未来塾」に感謝です。(神奈川県在住70代男性)
心温まる、お言葉、本当に心から感謝である。これだから、イベント開催は止められないのである。
今年のイベントも9月24日(日)で最後。
今年は3回のイベントを全て靖国神社で開催させていただいた。それには意味があった。
平気で人を殺める若者の犯罪が増えている昨今、または罪を犯しているにも関わらず、平気で逃走する若者。その若者の親世代がちょうど我々の世代となり、我々世代にも責任があるのではないかと。その現代社会に憂う今日において、人を思う気持ちが足りなくなったように感じていて仕方がなかった。
それに対し、あの戦争時、生きたくても生きられなかった時代があった。公のために尽くし、家族のため、愛する恋人のために、戦ってくださったその先人たちの思いを感じて貰いたいと。
その思いを靖国神社で開催することで、ご来場いただいた皆様を、それをどう感じてくださったのかと思う次第である。1つでも心の中に残るものがありましたらこんなに嬉しいことはない。
来年は特攻作戦が開始されて80年。その年に相応しいイベントをまた企画してお届けしたいと思っている。
今年も私が企画するイベントにご参加いただきました皆様には心から感謝申し上げます。また、来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
最後に、今年度最後のイベントが、私世代のアイドルであった伊藤つかささんとお仕事をご一緒できて最高に幸せであった。感謝です。