「次代への伝承」という意義
2023.09.19
来る9月24日(日)に靖國神社「偕行の間」において、「次代への伝承~英霊は我々に何を託したのか~」トークライブを寺子屋「玉川未来塾」主催で開催する。

戦後78年を迎え、昭和から平成、令和と時代が移り変わり、戦争体験者が急速に減っている中、大東亜戦争が「記憶」から「歴史」へと変わっていく昨今において、「あの戦争が残したものとは何だったのか」、そして、「先人が死を賭して遺したもの、命と引き換えに伝えたものは何なのか」を改めて考える必要があるのではないか、と考えており、そのため、今日の日本の礎を築いた英霊に感謝の誠を捧げるとともに、先人の声を、思いを、次代へとつないでいくためのイベントを、毎年開催するなかで、今回は「次代への伝承~英霊は我々に何を託したのか~」をテーマに開催する。

終戦を迎えて今年で78年。靖国神社には幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の御霊がまつられているが、そのうち213万人が大東亜戦争で亡くなられた。その中でも、特攻作戦に従事した特攻戦死者は、「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によると、海軍2,531名、陸軍1,417名、計3,948名。そして、鹿児島県の知覧基地を始め、九州各地、また、当時日本が統治していた台湾など、多くの基地から出撃しましたが、本土最南端に基地があった知覧基地は、特攻作戦で439名と最も多く戦死している。

祖国を護るために昭和19年10月に特攻作戦が開始され、沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間(けらま)列島に上陸した昭和20年3月26日から始まり、そして、特攻作戦が開始されて、来年で80年を迎える。
特攻作戦とは、「特別攻撃作戦」の意味で、他の戦闘と根本的に違う点が「必ず死ぬこと」が定められた作戦であるということで、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈めるという『必死』条件の作戦であった。

その知覧で「富屋食堂」を営み、その出撃前のわずかな日々を富屋食堂で過ごした10代から20代の若い特攻隊員達をわが子のように慈しみ、「特攻の母」と呼ばれ、そして、私財を投げ打ってまでも親身に接したのが「鳥濱トメ」さんであった。

故石原慎太郎氏はかつて「生きた菩薩という言葉があるが、そんな人を私はこの世で一人だけ知っている」という書き出しで、鳥濱トメさんを紹介している。
鳥濱トメさんは明治35年、鹿児島県川辺郡坊津町で生まれ、鉄道員の旦那様と結婚したあと、昭和4年、同じ郡の知覧町で「富屋食堂」を開きます。大東亜戦争の末期、知覧飛行場は陸軍特攻隊の出撃基地となり、この食堂を利用する特攻隊員たちはトメさんを母親のように慕う。
「蛍になって帰ってきます」と言って出撃をした宮川三郎少尉、「明日死にますから故郷の歌をうたわして下さい」と言って、「アリラン」を歌った朝鮮出身の光山文博少尉、他、特攻隊員たちとのエピソードは数知れず。
その特攻隊員たちを我が子のように迎え、時には家財を売ってまでも食べたいものを食べさせたり、軍には内緒で隊員から私信を預かったり、隊員の最後の様子を家族にしたためたりした鳥濱トメさん。
特攻隊員たちが命を賭してまでも守りたかったものは何だったのか。将来の我々に何を託したのか。私心が渦巻くこんな世の中だからこそ、公のために身を尽くした英霊の思いを噛み締めたいと思うのだ。

靖國神社の社報9月号は、一緒にお仕事をさせていただいた桑原聡元雑誌「正論」編集長のエッセイが寄稿されている。
東条英機と共に絞首刑に処された土肥原賢二を祖父に持つ歌人、佐伯裕子さんが紹介され、
その中でも、以下の文章に心が留まった。
佐伯さんが詠んだ歌の中の一首。
「一度だけ叫んでみたし『死に人をさらして殺して何の誉れか』」

平成18年8月15日に小泉純一郎首相が靖國神社を公式参拝し、内外から声高に議論が沸き起こった。そして、平成19年、『みずうみ』と題した歌集を上梓し、その中の一首である。
さらに、文章は次のように進む。
「伝統や文化が魂にしみこんだ存在、すなわち人間が、宗教施設に祀られた死者を悼み、感謝しようとするとき、その行為を静かに見守るのは、どんな国においても、人として最低の義務であろう。自分の価値観にそぐわないと、その行為を声高に非難する者、それに対して、『収まりのよい物語』に付和雷同して大声で反論する者は、ただの動物ではないか。非難する者にも反論する者にも、靖國の政治利用という薄汚い思惑が感じてならないのだ。そんな議論が、遺族を深く悲しませ、傷つけていることに、彼らは思いが及ばない。
佐伯さんの一首は、遺族の痛切な叫びであり、それでなく、魂が壊れゆく現代人に対する警鐘として心に突き刺さる。
魂を持つ人間であるならば、参拝は静かに行い、静かに見守りたい」。
深く賛同する内容である。

大東亜戦争の真実と事実。それを探るべく、近現代史のバイブルとして国民に長きにわたり読まれている『大東亜戦争への道』(中村粲著・展転社)、著者は終章の「改めて大東亜戦争を思ふ」の中で、以下のように記している。
「結果論的に敗れた戦争を裁断するのではなく、戦争に至った明治以来の歴史の流れを、当時の人々の我が心として振返る時、あの戦争を『愚かな戦争』と傍観者的に冷笑することはできない。それは、歴史を担った誠実なる人々に対する冒涜のやうに思はれるのだ。『破滅への道』を願った日本人は一人も居なかった筈だ。誤算を不誠実と混同してはならぬ」。

歴史を今の目線で語るのではなく、その時代まで遡って、その時代と同じ目線で見た時に映るものは、決して今の時代の目線と同じではない。その時代と同じ目線で見た時に、あの戦争を愚かな戦争と断罪できるのだろうか。戦争は決して起こしてはならないのは当然の事。しかし、大東亜戦争について、家族を、恋人を守るために命を賭して戦った先人の思いや事実は、決して否定できるものではないし、今の時代の目線で断罪してはならないと私は思っている。そして、正しく歴史を学び、左翼に毒された戦後日本の近現代史教育を客観的に見、そして間違った教えを正し、正しい歴史の真実が、全うに語り継がれるべく、私自身、今後も活動をしていく所存である。

「次代への伝承~英霊は我々に何を託したのか~」トークライブ本番まで、あと5日。

昇殿参拝後、知覧陸軍特攻基地から出撃をした特攻隊員と“特攻の母”として特攻隊員の出撃を見守った鹿児島・知覧の「富屋食堂」のおかみ・鳥濱トメさんとの秘話である、舞台「帰って来た蛍」で脚本・演出・製作総指揮を務めた柿崎ゆうじ監督と、その舞台で鳥濱トメさんを演じている女優の伊藤つかささんをゲストに、ジャーナリストの葛城奈海さんの司会進行でお届けする。先人の思いや正しい歴史観について、お話をいただきたくこととしている。

今日の日本の平和があるのは、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様であることに、参加者一同、靖国神社本殿にて昇殿参拝をすることにより、感謝の誠を捧げ、そして登壇者皆様のお話を心の奥深くに刻みたいと思う。

詳細、お申し込みなどは以下のURLからご覧ください。
https://www.tamagawa-miraijuku.com/event.html

御席はまだございます。ご家族、ご友人等、お誘い合わせの上、皆様のご来場を心からお待ち申し上げます。
2023.09.19 10:36 | 固定リンク | イベント
次代へ繋ぐ 来場者の感想
2023.08.29
去る8月26日(土)、第8回「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントを、有志スタッフを含め、約50名の方々にお越しいただきました。ご来場いただきました皆様、誠にありがとうございました。しかも、松本部長のお話を聞く方は半分以上と、また新しい方々にお越しいただき、心から感謝申し上げます。

受付開始後、土砂降りの雨に見舞われましたが、昇殿参拝する頃には不思議とその雨も止み、厳かで清々しい空気の中、来場者の皆様と一緒に本殿にて昇殿参拝をさせていただき、英霊に感謝の誠を捧げさせていただきました。

昇殿参拝後は、靖國神社禰宜の松本聖吾総務部長から「次代へ繋ぐ英霊の思い」と題して、貴重なお話を賜りました。その中で民俗学者の柳田國男は、『先祖の話』について触れられていました。また、1942年より従軍作家として各戦線で活動した作家の山本荘八のお話に触れ、筑波隊の西田高光中尉の以下の話を新聞記事から引用され、お話をされました。

山岡荘八は、古畳の上に胡坐(あぐら)して、教え子に最後の返事を書いている西田中尉に、「この戦を果たして勝ち抜けると思っているのかどうか?」「もし負けても、悔いはないのか?」「今日の信協になるまでにどのような心理の波があったか」など、禁句になっている質問を矢継ぎ早にしたそうですが、西田中尉は、重い口調で、「現在ここに来る人々はみな自分から進んで志願したものであること。したがって、もはや動揺期は克服していること」。そして「学鷲(がくわし)は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです・・・おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに・・・」。
そして、特攻は犬死ではない。「ありがとうございます」と感謝の気持ちを捧げて貰いたいとのお話。英霊のご遺書、残された遺族、奥様から英霊へのお手紙など、テレビなどでは放送されていない、歴史の真実があり、目頭が熱くなりました。約1時間のご講演をいただき、松本部長、ありがとうございました。

今年の私のイベント来場者には20代、30代の若い世代もお越しになりました。当日、お越しいただきました皆様より、感想をいただきました。次代を担う青年たちからの感想も含まれていますので、以下の通り、紹介させていただきます。

・学校教育の場で正しい教育がされることを切に願います。(埼玉県在住・50代男性)

・靖国神社関連の報道で理解していたことが、松本総務部長からのお話で、真実を知ることができました。その後の遊就館では展示品の数々に感動しました。久々に日本の歴史に触れ有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございました。(東京都在住・40代女性)

・戦中から戦後のリアルな事実は、日本人として、もっと知っておく必要があると思いました。(東京都在住・50代男性)

・今回は靖国の歴史から自分の意志とは異なり日本を護るという大義の為に命を失ってまでも戦った御英霊の皆様の話を聞き自分自身は「何のために生かされているのか」という事を考えさせられました。また、松本様の話されていたお言葉で「普段自分たちが自分の事で悩んで苦しんで悲しむのは御英霊が普通では無い精神状態で国のため、人のためにくるしんでいたから」ということに自分の悩み等いかにちっぽけで、御英霊のおかげで自分の事で悩めるのだと気付かされました。このように健康で好きなように仕事をしていられるのは御英霊のおかげであり感謝の心をもって靖国へ訪れる事が自分に出来る国護りと思いました。また、本日台湾から来た観光客の参加者で昇殿参拝アテンドした方も遊就館で長い時間滞在し学ばれてました。そこから感じたのは、一人でも多く靖国について伝えられる人になりたいと思いました。この度は貴重な機会をありがとうございました。(埼玉県在住・30代男性)

・今回、お声がけをいただき、ありがとうございました。かねてから、昇殿参拝をしたいと思いながら、行動に起こせなかったところに、お知らせをいただき、参加いたしました。あらためて、日本のために命を尽くした方々へ感謝の気持をお伝えすることができました。一方で今の日本の状況を英霊の方々がご覧になっているかを考えると、恥ずかしく、もどかしい気持ちにもなりました。自身の力は、本当に微々たるものではありますが、何かお役に立てることを見つけ、尽力できればと思います。また、このような機会を設けていただき、本当にありがとうございました。機会がありましたら、他のイベントにも参加できればと思います。よろしくお願い致します。(東京都在住・50代女性)

・松本部長のお話を初めて拝聴させて頂きました。冒頭にお話頂いた靖國神社の歴史はとても面白く、そんなことがあったのかと楽しく拝聴致しました。終始印象深いお話でしたが、最も印象的に感じたのが、特攻で散華されたご英霊のお母様のお話でした。私の地元が北海道で、札幌には沖縄戦で命を失った方の慰霊碑があります。沖縄戦は沖縄出身の方に次いで2番目に多く出征したのが北海道出身者と聴いていたので、身近に感じました。お母様のご子息を想う気持ちには胸が締め付けられ、37年という年月を経て、花嫁人形を奉納されても尚、ご子息の生存を信じていたのではないかと想像し、涙が止まらなくなりました。残される側の気持ちを考えると、未だに反戦平和を訴える方がいても致し方ないのかとも感じました。しかしながら、今の日本が存在することは命を懸け戦って下さったご英霊の方々がいるからであり、感謝という気持ちを伝え残していく義務が私たちにはあると強く感じます。自身の仕事、プライベート、使えるものを使い、感謝の気持ちを後世へ伝えていける1人となっていきます。この度は貴重なご講演をありがとうございました。また、難しいかもしれませんが、無事生きて帰還された兵士の方のお話をお伺いしてみたいです。ご年齢の問題もあるかと思うので、ご子息や子孫の方からの間接的なものでも構いませんので是非お聞きしてみたいです。(東京都在住・30代女性)

・普段は聞かれない話を受講して、心が洗われる内容でした。貴重なお話が聞けて良かったです。ありがとうございます。(東京都在住・50代男性)

・歴史が正しく教えられていないことと、最近、建国の歴史や神話について教えられていないのは日本しかないということを知り、国史を国史を調べていたところで、実際にお話を聞くことができ、良かったです。(東京都在住・40代女性)

・昨年より、定期的に昇殿参拝に参加させていただいています。このような機会を作っていただき、ありがとうございます。松本部長のお話も昨年お聞きしましたが、今回、改めて新鮮な気持ちできくことができました。来年もよろしくお願いします。(神奈川県在住・40代男性)

・長年、遺族の方と接してこられた方の話は貴重でした。風化、誤って伝えられないようにしていかなければと痛感しました。(神奈川県在住・70代男性)

・「ありがとう」。非常に素晴らしい日本語ですね。今回もありがとうございました。(埼玉県在住・70代男性)

・本殿に昇っての参拝にも感激したが、松本部長の講演に涙が止まらなった。力尽くして語り継いでいきたい。(東京都在住・60代男性)

・少し前まで毎年終戦記念日に参拝しておりましたが、ここ数年はお参りできていませんでした。本日、祖父の声掛けで、このような貴重な機会に再び参拝、講演を拝聴でき、大変良かったと感じております。松本様のお話を聞くことができ、良かったです。英霊の遺書には、涙が止まりませんでした。ありがとうの気持ちを忘れず、これからも靖國に参拝し続けたいです。(東京都在住・20代女性)

・戦争は大人がおこし、子供が被害者であること。大切な自然、交流が破壊されていくことへの理不尽さを感じました。何の罪もない人が次々と殺されていく戦争は二度とあってはならないと思います。戦争病者の方々とそのご家族とともに辛い経験をした分、きっと大きな幸せに繋がります。安心安全な暮らしが出来る事を今後も平和でありますように心から祈っています。特攻隊の話、もっとたくさん聞きたいです。本日は貴重なお話をありがとうございました。(千葉県在住・50代女性)

・今まで自分が見てきたり調べてきたりした大東亜戦争の情報とは違い、戦時中に残されてきた手紙から様々な想いが伝わってくる話が聞けた。(千葉県在住・10代男性)

・参加させていただいて本当に良かったと思っております。亡くなっていった皆様に恥ずかしくないような生き方をしたいと思います。本当にありがとうございました。(千葉県在住・40代女性)

・玉川塾も存じ上げず・・・(すみません)。「昇段参拝できるいい機会だな」と勢いで申し込みました。松本禰宜の貴重なお話も聞けて大変有意義な時間を過ごすことができました(心配しましたが、息子たちが騒がずに終わって良かったです・・・)。次の予定があったため、遊就館での時間が全く足りず・・・。長男はわりと興味があるので次回は「一日かけてまわろう」と約束して帰路につきました。またいろんなイベントに参加させていただきたいなと思いました。(東京都在住・40代女性)

・昨年に引き続き、今年も参加させていただきました。松本総務部長様のお話、昨年の「みたままつり」の盆踊りのことがとても印象に残っていたので、今年は初めてみたままつりを訪れ、盆踊りを感慨深く拝見しました。民俗学者・柳田国男先生の、若い戦死者のためにも慰霊の祭は盛大に行わなくてはならない、という言葉を深く胸に刻む一日となりました。さて、昭和37年朝日新聞の「最後の従軍」もまた、胸を打たれるものでした。特攻隊員として飛び立つ兵隊も、それを送る妻も、覚悟を持っていたのかと絶句する思いでした。あの頃の朝日新聞には、このような記事もあったんですねえ・・・。大切な人々を生かすために、己の生きたいという思いを断ち切って亡くなられた方々に、感謝の気持ちを持たずにおれないと改めて思います。そう思って、遊就館を見学すると、“民族の誇り”を感じつつ、より良い国を未来につなぐ責任を強く感じざるを得ないですね。昇殿参拝と遊就館見学がセットなのはとても良いと思います。企画、ありがとうございます。(東京都在住・50代女性)

・松本部長のお話は毎年聴かせて頂いておりますが、今回も「もっと多くの人に伝えていかねば」「もっと頑張らねば」と背筋が伸び、その気持ちを新たにすることができました。国の為に命を捧げた英霊たちの想いに応えるためにも、私たちは後に続いていかねばなりません。今後お参りする人が増えることを信じ、首相の靖国参拝が実現する日を信じ、行動を続けていきます。貴重なご講演をありがとうございました。(神奈川県在住・40代男性)

この感想をご覧いただきました読者の皆様はどう思われますか。

来月もイベントを開催します。
9/24(日)、靖国神社本殿にて昇殿参拝後、「次代への伝承〜英霊は我々に何を託したのか〜」をテーマに、知覧陸軍特攻基地から出撃した特攻隊員と、“特攻の母”として特攻隊員の出撃を見守った鹿児島・知覧「富屋食堂」のおかみ・鳥濱トメさんとの秘話である、舞台「帰って来た蛍」で脚本・演出・製作総指揮を務めた柿崎ゆうじ監督と、その舞台で鳥濱トメさんを演じた女優・伊藤つかささん、そして、ファシリテーターにジャーナリストの葛城奈海さんにご登壇いただき、お話をいただくこととしています。
お申し込みは以下のURLより可能です。
http://d.quel.jp/8961486

次回も英霊へ感謝の誠を捧げたいと思います。
2023.08.29 12:01 | 固定リンク | イベント
戦後78年目の夏
2023.08.15
今年もまた、8月15日「敗戦の日」がやってきた。忘れてはならない4つの日の一つである。

「忘れてはならない4つの日」とは。
一つは6月23日「沖縄慰霊の日」、二つは8月6日の「広島原爆の日」三つは8月9日「長崎原爆の日」、そして、8月15日の「終戦の日」であり、上皇陛下はこの4つを「忘れてはならない日」として挙げている。

78年前のこの日、正午に昭和天皇による「終戦の詔書」は、ラジオで玉音放送が流れた。
その全文を以下に記したい。

【原文】
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ 茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ 萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ 皇祖皇宗ノ遺範ニシテ
朕ノ拳々措カサル所
曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦 實ニ帝國ノ自存ト 東亞ノ安定トヲ庻幾スルニ出テ  他國ノ主權ヲ排シ 領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ 朕カ志ニアラス
然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ 朕カ陸海將兵ノ勇戰 朕カ百僚有司ノ勵精 朕カ一億衆庻ノ奉公 各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス 戰局必スシモ好轉セス
世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ 慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戰ヲ繼續セムカ 終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
是レ朕カ帝國政府ヲシテ 共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝國ト共ニ 終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ 遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及 其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内爲ニ裂ク
且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ
惟フニ今後帝國ノ受クヘキ 苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若シ夫レ情ノ激スル所 濫ニ事端ヲ滋クシ 或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ 爲ニ大道ヲ誤リ 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ 朕最モ之ヲ戒ム
宜シク擧國一家子孫相傳ヘ 確ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念ヒ 總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ 誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

【現代語訳】
私(昭和天皇)は、世界の情勢と日本が置かれている状況とを深く考えあわせて、緊急の手段をもってこの事態を収めようと思い、私の忠良なる国民に告げる。
私は、わが日本政府をもって、アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4か国に対し、共同宣言(ポツダム宣言)を受け入れる旨を通告させた。
そもそも、わが国民が平穏に、安らかに暮らせるように心がけ、世界が共に栄えて、その喜びを共有することは、歴代天皇が手本として遺してきた教えであり、私も常にその考えを持ち続けてきた。
アメリカとイギリスに宣戦を布告した理由も、日本の自存と東アジアの安定を心から願ったためであり、他国の主権を排除したり、領土を侵略するようなことは、私の意志とはまったくもって異なる。
この戦争がはじまり、すでに4年が経過した。その間も陸海軍の将兵は勇敢に戦い、多くの役人たちは職務に励み、一億国民もそれぞれの職域で努力し、最善を尽くしたが、戦局は必ずしもわが方に好転したとは言えず、世界の情勢もまた日本にとって不利である。
それだけでなく、敵は新たに残虐な爆弾を(広島、長崎で)使用し、罪なき人々を殺傷し、その惨害が及ぶ範囲は測り知ることができない。
このような状況でなおも戦争を続ければ、わが日本民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破壊してしまうだろう。
そのようなことになれば、私はどうして我が子に等しい国民を守り、歴代天皇の御霊に謝ることができようか。
これこそが、私がポツダム宣言を受諾するようにした理由である。
ポツダム宣言の受諾に至って、私は、日本とともにアジア解放に協力した友好諸国に対して遺憾の意を表明しないわけにはいかない。
日本国民も、戦死したり、職場で殉職したり、不幸な運命で亡くなった人、またその遺族のことを考えると、悲しみで身も心も引き裂かれる思いだ。
戦争で負傷し、空襲などの戦災に見まわれて、家や仕事を失った人たちの生活を考えると、とても心配で胸を痛めている。
これから日本が受けるであろう苦難は、筆舌に尽くしがたいものであろう。国民みなの気持ちも、私はよくわかっている。
けれども私は、時の運命に導かれるまま、耐え難いことにも耐え、我慢ならないことにも我慢して、人類の未来のために平和の実現を計りたい。
私は、ここに国体を護ることができ、忠良なる国民の真心を信頼しつつ、常に国民と一緒にいる。
もし感情のままに、みだりに争いごとや問題を起こしたり、仲間同士で互いを陥れたり、時局を混乱させたりして、人が行うべき道を誤り、世界から信用を失うようなことになれば、それは私が最も戒めたいことだ。
全国民が家族のように一致団結し、この国を子孫に伝え、神国(日本)の不滅を固く信じて、国家の再建と繁栄の任務は重く、その道のりが遠いことを心に留め、持てる総ての力を将来の建設に注ぎ、道義心を大切にし、志を固く守って誓い、わが国の真価を発揮して、世界の発展に遅れをとらないよう努力しなければならない。
国民には、これが私の意志だと、よく理解して行動してほしい。


中西輝政京都大学名誉教授は、「昭和天皇はラジオの玉音放送で戦争の終わりを国民に告げられた。それと同時に、この大戦での戦死者や戦争犠牲者のことを忘れず、これからの尋常ならざる苦難の時代にも、いままで同様に常に国民と共にある」、と同時に「日本の国の連続性をも国民に訴えられたのである」と言う。
そして、「国家としての日本の連続性を示す証は他になく、それによって日本人は心を一つにして祖国の再建の道に邁進しようと立ち上がったのであった。当時を生きた圧倒的多数の日本人は、まさにこの言葉で一つになったのではなかったか。つまり、『8月15日』は日本という国の断絶ではなく、その深い連続性を国民に教えている日なのであり、その連続性の象徴として戦没者を祀っているのが靖國神社なのである」とも語っている。戦前と戦後を通じる『日本人の心』の連続性の証として、靖国神社が存在する」と言うのだ。誠にその通りだと思うのである。

今日8月15日は、多くの日本国民が靖国神社に参拝したのではなかろうか。
かく言う私も本日は行くことが出来なかったが、8月14日にお参りをし、昇殿参拝もさせていただいた。

中西名誉教授の言葉を借りるならば「戦没者、軍人を慰霊し、その精神や物語を代々継承していくことは、どの国も行っていることである。そして、その慰霊と顕彰は、その国の伝統的な文化や習俗、宗教的な慣習に則ったかたちで行われなければ意味のある慰霊、顕彰にはならない」。

また、反日マスコミはこぞって、閣僚、政治家の靖国参拝を報じ、中国や韓国にお伺いを立て、その意向を報道する。しかし、中国や韓国などに非難されるいわれもない。内政干渉も甚だしい。いったいいつまで我々は戦後を引きずらなければならないのか。
そう思った本日であった。

そして、今年も「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントを8月26日(土)に開催する。
https://tamagawa-miraijuku.com/event.html

英霊に対し感謝の誠を捧げ、参加者一同、本殿にて昇殿参拝をさせていただき、「ありがとうございます」とお伝えする。また、靖國神社職員による講演「次代へ繋ぐ英霊の思い」で、講師の経験の上にある深い話に心を寄せ、より一層、英霊への感謝を深めていただきたいと思う。そして、今更ながらではあるが、今一度、今日命あるありがたみを感じていきたいと思う。
2023.08.15 20:02 | 固定リンク | その他

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