「大東亜戦争 失われた真実」トークライブ来場者の感想
2023.06.06
去る、5月27日(土)靖國神社啓照館にて、「大東亜戦争 失われた真実」トークライブを開催しました。
当日は約50人の方々にお越しいただき、本殿での昇殿参拝、そして、葛城奈海さんの司会進行のもと、インドネシア・パレンバンでの陸軍落下傘部隊の小隊長を務め、見事な成果を挙げた奥本實中尉のご子息である奥本康大さんにご登壇いただきました。パレンバン降下作戦とはどのような作戦であったのか、父から語り継がれた知られざる真実とは何か、英霊への思い、そして、日本を憂い、次代を担う若者たちへのメッセージをお話しいただきました。
大東亜戦争が何故始まったのかを理解していただくため、当日は「開戦の詔書」の当時の貴重な音声を流させていただき、日本の立場が良く理解していただけたかと思います。
最後には、お二人の英霊のご遺書を朗読。英霊の思いを汲み取っていただけたかと思います。
その内容について、来場者から貴重な感想をいただきましたので、以下、抜粋し、掲載いたしました。ご覧いただけましたら幸いです。
【「大東亜戦争 失われた真実」トークライブ アンケート抜粋】
・今日は、初めて参加させていただき有難う御座いました。葛城さん、奥本さんの息もぴったりで
お2人の声がとても聴きやすく、お話しもわかりやすく、大変、勉強になりました。とても有意義な時間を過ごさせていただきました。有難う御座いました。(埼玉県在住・男性)
・本日、昇殿参拝と、奥本康大氏と葛城奈海氏によるトークライブに参加し、最前列に席を取り、両氏による拝聴しました。最後の、葛城氏による特攻隊の遺書の朗読では、涙が溢れ出ました。9月24日のトークライブにも参加を希望します。(神奈川県在住・男性)
・普段聞けない本当の話を聞けるのが、毎回楽しみなんです。何でもかんでも隠さたり嘘をついたりで、本当の事を知るチャンスがなくなって、ねじ曲がった歴史だけが、語り継がれているのは、頑張ってきた英霊たちに、失礼だと思います。イベントの最後に、回天に乗っていたという方が、前に出てきて話をしてくださいました。その方の話をもっと聞きたかったです。(東京都在住・50代女性)
・お疲れ様でした。毎回心を引き締められる思いで参加させて頂いております。バレンバン作戦がいかにその当時の日本の命運を賭けたものだったか、そしてまさしく奥平さんのおっしゃるように「神がかっていた」か。鳥肌が立ちました。また会場にいらしてた特攻魚雷「回天」の生き残りの方にお会いできて涙が溢れそうでした。特攻の生き残り。私達の先輩先達の方でありこの世代の礎となられた方。白人の支配にガチで挑んだ非白人は日本人のみ。ククリット・ブラモード(タイ国元首相)さんの「日本というお母さん」という言葉に、胸を張れ、先祖を誇れ、まだ足りない!そう思いました。(東京都在住・40代男性)
・大東亜戦争のご遺族の方から、パレンバンの現地の様子や逆境を乗り越えた時の様子を聞くことができて、日本人として誇らしさを感じました。一方でこういった歴史が伝わらなくなっていってしまいそうな状況に危機感を持ったので自分からもどんどんと広げていこうと思います。(神奈川県在住・20代男性)
・奥本さんのお父様の戦地でのお話を興味深く拝聴しました。また、冒頭の開戦の詔書は初めて聞きましたが、歴史的瞬間に立ち会うようで少し緊張しました。体験談も詔書もなかなか聞く機会がないので、ありがたく思いました。資料の中に、アジア諸国指導者の感謝の言葉がありました。このような言葉はオープンにされているにもかかわらず、なかなか我々日本人の元に届かないので、大人も含めた平和教育の中で、その背景と共に語られる必要があると思いました。時代は変わりつつあるので、戦後の平和教育は見直さなければなりませんね。私も葛城奈海さんと同様に「靖国神社なんて」とかつて思っていましたが、様々な心ある保守の方々の教えのおかげでここに居り、感謝するしかありません。(東京都在住・50代女性)
・ABCD包囲網の中、どうやって戦争を続けたのか不思議でした。武田邦彦氏のYouTubeで「パレンバン」を聴いたことがありましたが、全く内容を理解していませんでした。今回、お話が聞けて大変良かったです。「白人による統治は『明治維新』に始まり、今でも続いている」というお言葉が、とても印象的でした。(東京都在住・50代女性)
・「空の神兵」の貴重なお話、真実を知りました。私の父は郵政省の職員で、インドネシアに軍属として勤務、終戦間際に海軍に配属され、爆撃の中、九死に一生の体験をしたと、父が書き置いた記録で知りました。インドネシアを訪問する企画があれば参加できればと。(東京都在住・70代男性)
・「日本人は誇りを持て」とのメッセージを深く心に刻みました。「戦争は明治から今に至るまで続いている」との奥本さんのお言葉に、全く同感でございます。「日の存亡の時」との思いは、日に日に強く、ことに昨年の7月8日以降、切実に感じています。毎回、玉川未来柔で得たことを微力ながら周囲に伝えております。一人でも二人でも、目覚めることが、日本が生き抜くことにつながると思います。(東京都在住・50代女性)
・葛城さんの進行がとても上手で奥本さんの話もとても分かりやすく勉強になりました。有意義な時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。(埼玉県在住・60代男性)
・本日は奥本先生より日本精神を学びました。葛城先生より色々歴史を学びました。(東京都在住・60代男性)
・戦争に関心があり、少しでも多くの戦争について知りたいと思い、色々な資料館に行っております。当時の人々が辛いことを乗り越えて、残してくれた命を無駄にせず、感謝して一日を大切に生きていこうと思います。(千葉県在住・50代女性)
・素晴らしいイベントでした。大変お疲れ様でした。ありがとうございました。正しい歴史を継げることが最も重要であることを認識しました。(埼玉県在住・70代男性)
・解りやすくお話を聞きました。ありがとうございました。葛城奈海さんの説明が解りやすく感動しました。(東京都在住・60代男性)
・奥本さんからリアルな話を聞かせて頂きました。戦争で戦ってくれた先人達に改めて感謝するとともに、リーダーシップの部分でも勉強になりました。
また、最後の湯川武弘さんの力強い挨拶を聞いて、とても感動しました。自分も全力で生きていこうと思いました。貴重な機会を頂き、ありがとうございました。(40代男性)
・玉川さん、先日はイベントでの運営の機会をいただきありがとうございました!私が教科書で習ってきたのとは違う歴史がトークライブの中にありました。研究という視点とも勉強という視点とも違うリアルな話には心を打たれるものがありました。奥本先生、葛城先生のお話から学ばせていただくことも非常に多かったですが、その機会を作ってくださった玉川さんに感謝いたします。想いのある方を繋ぐことで生まれるエネルギーの大きさを感じました。いただいた話を私の同世代に広め、また次の世代に受け継いでいくよう努めてまいります。また懇親会では自分の道をどのように歩んでいくのか考えるきっかけとなりましたし、背中を強く押していただきました。改めまして、この度はありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。(20代男性)
・先日は貴重な機会を頂き誠に有難う御座いました。ご飯もご馳走して頂き有難う御座います。とてもおいしかったです。早速、懇親会の中でもありました「文明の衝突」購入しました。難しい部分も多いですが勉強して参ります。パレンバンでのお話を伺い、奥本中尉はじめ日本の若者が祖国のために命を削り、戦う姿に心を打たれました。先日も銀座で強盗事件などがありましたが日本の若者を変えていく教育が我々に求められているものだと思います。葛城様が読み上げてくださった若者たちの心は今の若者にも必要です。親への感謝や日本への感謝、そういった心を育めるようこれからも努めて参ります。この度は貴重な機会を有難う御座いました。今後とも何卒宜しくお願い致します。(20代男性)
・今回はパレンバン作戦という教科書にも載ってないようなトークライブの運営お手伝いとして参加させていただきありがとうございました。率直に思ったことは奥本さんのお父様である奥本中尉と4人の仲間でオランダ軍に囲まれた危機的状況から使命感を持った勇気ある行動による奇襲と奥本中尉のリーダーシップによって守られた大東亜戦争に必要な石油という資源、そして日本人の組織的、人間的な強さを感じました。その中でも心打たれたのは「本日の休養は靖国とす」という日の丸に寄せ書きをしていたという死を覚悟して果敢に挑んだという事です。この強い気持ちが真のリーダーに必要なことなのかと感じました。また、今回のイベントでは人間魚雷回天の搭乗員だった湯川さんのお話も聞くことが出来たので貴重な機会でした。今回は自分が全く知らないパレンバン作戦で勇敢に戦った偉人のご子息による話と回天を経験した方の生の声をお聞きできたので、大変感銘を受けました。本日はありがとうございました。(30代男性)
・今回も貴重な機会をいただきましてありがとうございました。バレンバンでのお話を聞き、学校教育では語られないご子息による生の声からリアルを感じました。当時、命をかけて勇気ある行動を起こした奥本中尉の姿や戦後教育の中で失われてった日本人たる心等玉川さんの挨拶にもございました後世に伝え、伝承していく意義を強く感じる機会となりました。この度は誠にありがとうございました。(30代男性)
私達は、国のために尊い命をささげた先人を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げ、そして、正しい歴史の真実を後世まで伝え続けなければならいと心の底から思います。寺子屋「玉川未来塾」では、今後もそのようなイベントを開催していきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
当日は約50人の方々にお越しいただき、本殿での昇殿参拝、そして、葛城奈海さんの司会進行のもと、インドネシア・パレンバンでの陸軍落下傘部隊の小隊長を務め、見事な成果を挙げた奥本實中尉のご子息である奥本康大さんにご登壇いただきました。パレンバン降下作戦とはどのような作戦であったのか、父から語り継がれた知られざる真実とは何か、英霊への思い、そして、日本を憂い、次代を担う若者たちへのメッセージをお話しいただきました。
大東亜戦争が何故始まったのかを理解していただくため、当日は「開戦の詔書」の当時の貴重な音声を流させていただき、日本の立場が良く理解していただけたかと思います。
最後には、お二人の英霊のご遺書を朗読。英霊の思いを汲み取っていただけたかと思います。
その内容について、来場者から貴重な感想をいただきましたので、以下、抜粋し、掲載いたしました。ご覧いただけましたら幸いです。
【「大東亜戦争 失われた真実」トークライブ アンケート抜粋】
・今日は、初めて参加させていただき有難う御座いました。葛城さん、奥本さんの息もぴったりで
お2人の声がとても聴きやすく、お話しもわかりやすく、大変、勉強になりました。とても有意義な時間を過ごさせていただきました。有難う御座いました。(埼玉県在住・男性)
・本日、昇殿参拝と、奥本康大氏と葛城奈海氏によるトークライブに参加し、最前列に席を取り、両氏による拝聴しました。最後の、葛城氏による特攻隊の遺書の朗読では、涙が溢れ出ました。9月24日のトークライブにも参加を希望します。(神奈川県在住・男性)
・普段聞けない本当の話を聞けるのが、毎回楽しみなんです。何でもかんでも隠さたり嘘をついたりで、本当の事を知るチャンスがなくなって、ねじ曲がった歴史だけが、語り継がれているのは、頑張ってきた英霊たちに、失礼だと思います。イベントの最後に、回天に乗っていたという方が、前に出てきて話をしてくださいました。その方の話をもっと聞きたかったです。(東京都在住・50代女性)
・お疲れ様でした。毎回心を引き締められる思いで参加させて頂いております。バレンバン作戦がいかにその当時の日本の命運を賭けたものだったか、そしてまさしく奥平さんのおっしゃるように「神がかっていた」か。鳥肌が立ちました。また会場にいらしてた特攻魚雷「回天」の生き残りの方にお会いできて涙が溢れそうでした。特攻の生き残り。私達の先輩先達の方でありこの世代の礎となられた方。白人の支配にガチで挑んだ非白人は日本人のみ。ククリット・ブラモード(タイ国元首相)さんの「日本というお母さん」という言葉に、胸を張れ、先祖を誇れ、まだ足りない!そう思いました。(東京都在住・40代男性)
・大東亜戦争のご遺族の方から、パレンバンの現地の様子や逆境を乗り越えた時の様子を聞くことができて、日本人として誇らしさを感じました。一方でこういった歴史が伝わらなくなっていってしまいそうな状況に危機感を持ったので自分からもどんどんと広げていこうと思います。(神奈川県在住・20代男性)
・奥本さんのお父様の戦地でのお話を興味深く拝聴しました。また、冒頭の開戦の詔書は初めて聞きましたが、歴史的瞬間に立ち会うようで少し緊張しました。体験談も詔書もなかなか聞く機会がないので、ありがたく思いました。資料の中に、アジア諸国指導者の感謝の言葉がありました。このような言葉はオープンにされているにもかかわらず、なかなか我々日本人の元に届かないので、大人も含めた平和教育の中で、その背景と共に語られる必要があると思いました。時代は変わりつつあるので、戦後の平和教育は見直さなければなりませんね。私も葛城奈海さんと同様に「靖国神社なんて」とかつて思っていましたが、様々な心ある保守の方々の教えのおかげでここに居り、感謝するしかありません。(東京都在住・50代女性)
・ABCD包囲網の中、どうやって戦争を続けたのか不思議でした。武田邦彦氏のYouTubeで「パレンバン」を聴いたことがありましたが、全く内容を理解していませんでした。今回、お話が聞けて大変良かったです。「白人による統治は『明治維新』に始まり、今でも続いている」というお言葉が、とても印象的でした。(東京都在住・50代女性)
・「空の神兵」の貴重なお話、真実を知りました。私の父は郵政省の職員で、インドネシアに軍属として勤務、終戦間際に海軍に配属され、爆撃の中、九死に一生の体験をしたと、父が書き置いた記録で知りました。インドネシアを訪問する企画があれば参加できればと。(東京都在住・70代男性)
・「日本人は誇りを持て」とのメッセージを深く心に刻みました。「戦争は明治から今に至るまで続いている」との奥本さんのお言葉に、全く同感でございます。「日の存亡の時」との思いは、日に日に強く、ことに昨年の7月8日以降、切実に感じています。毎回、玉川未来柔で得たことを微力ながら周囲に伝えております。一人でも二人でも、目覚めることが、日本が生き抜くことにつながると思います。(東京都在住・50代女性)
・葛城さんの進行がとても上手で奥本さんの話もとても分かりやすく勉強になりました。有意義な時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。(埼玉県在住・60代男性)
・本日は奥本先生より日本精神を学びました。葛城先生より色々歴史を学びました。(東京都在住・60代男性)
・戦争に関心があり、少しでも多くの戦争について知りたいと思い、色々な資料館に行っております。当時の人々が辛いことを乗り越えて、残してくれた命を無駄にせず、感謝して一日を大切に生きていこうと思います。(千葉県在住・50代女性)
・素晴らしいイベントでした。大変お疲れ様でした。ありがとうございました。正しい歴史を継げることが最も重要であることを認識しました。(埼玉県在住・70代男性)
・解りやすくお話を聞きました。ありがとうございました。葛城奈海さんの説明が解りやすく感動しました。(東京都在住・60代男性)
・奥本さんからリアルな話を聞かせて頂きました。戦争で戦ってくれた先人達に改めて感謝するとともに、リーダーシップの部分でも勉強になりました。
また、最後の湯川武弘さんの力強い挨拶を聞いて、とても感動しました。自分も全力で生きていこうと思いました。貴重な機会を頂き、ありがとうございました。(40代男性)
・玉川さん、先日はイベントでの運営の機会をいただきありがとうございました!私が教科書で習ってきたのとは違う歴史がトークライブの中にありました。研究という視点とも勉強という視点とも違うリアルな話には心を打たれるものがありました。奥本先生、葛城先生のお話から学ばせていただくことも非常に多かったですが、その機会を作ってくださった玉川さんに感謝いたします。想いのある方を繋ぐことで生まれるエネルギーの大きさを感じました。いただいた話を私の同世代に広め、また次の世代に受け継いでいくよう努めてまいります。また懇親会では自分の道をどのように歩んでいくのか考えるきっかけとなりましたし、背中を強く押していただきました。改めまして、この度はありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。(20代男性)
・先日は貴重な機会を頂き誠に有難う御座いました。ご飯もご馳走して頂き有難う御座います。とてもおいしかったです。早速、懇親会の中でもありました「文明の衝突」購入しました。難しい部分も多いですが勉強して参ります。パレンバンでのお話を伺い、奥本中尉はじめ日本の若者が祖国のために命を削り、戦う姿に心を打たれました。先日も銀座で強盗事件などがありましたが日本の若者を変えていく教育が我々に求められているものだと思います。葛城様が読み上げてくださった若者たちの心は今の若者にも必要です。親への感謝や日本への感謝、そういった心を育めるようこれからも努めて参ります。この度は貴重な機会を有難う御座いました。今後とも何卒宜しくお願い致します。(20代男性)
・今回はパレンバン作戦という教科書にも載ってないようなトークライブの運営お手伝いとして参加させていただきありがとうございました。率直に思ったことは奥本さんのお父様である奥本中尉と4人の仲間でオランダ軍に囲まれた危機的状況から使命感を持った勇気ある行動による奇襲と奥本中尉のリーダーシップによって守られた大東亜戦争に必要な石油という資源、そして日本人の組織的、人間的な強さを感じました。その中でも心打たれたのは「本日の休養は靖国とす」という日の丸に寄せ書きをしていたという死を覚悟して果敢に挑んだという事です。この強い気持ちが真のリーダーに必要なことなのかと感じました。また、今回のイベントでは人間魚雷回天の搭乗員だった湯川さんのお話も聞くことが出来たので貴重な機会でした。今回は自分が全く知らないパレンバン作戦で勇敢に戦った偉人のご子息による話と回天を経験した方の生の声をお聞きできたので、大変感銘を受けました。本日はありがとうございました。(30代男性)
・今回も貴重な機会をいただきましてありがとうございました。バレンバンでのお話を聞き、学校教育では語られないご子息による生の声からリアルを感じました。当時、命をかけて勇気ある行動を起こした奥本中尉の姿や戦後教育の中で失われてった日本人たる心等玉川さんの挨拶にもございました後世に伝え、伝承していく意義を強く感じる機会となりました。この度は誠にありがとうございました。(30代男性)
私達は、国のために尊い命をささげた先人を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げ、そして、正しい歴史の真実を後世まで伝え続けなければならいと心の底から思います。寺子屋「玉川未来塾」では、今後もそのようなイベントを開催していきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
あの悲劇を繰り返さないためにも
2023.05.08
「日本がなぜあの戦争に突入したのか」
この疑問を解決するため、前回のブログで「開戦の詔書」を紹介した。その詔書で、日本は支那を侵略する意図が無かったことが分かる。また、東アジアの平和を乱しているのは当の支那人であり、そして、米英との戦争は避けたかったが、「日本の自存と自衛」にやむなく立ち上がったことが読み取れる。
このように、開戦の詔書の内容において確認すべきことは、大東亜戦争が、我が国の生存に対する重大な脅威を除去し、アジア永遠の平和を確立することを目的にした自衛のための戦争であると宣言されていることである。そして、戦後において、天皇陛下は、この開戦の詔書で示された自衛のための戦争との宣言を一切撤回されていない。このことを深く心に刻むべきである。しかし、このことだけでは、「日本がなぜあの戦争に突入したのか」の疑問の解決には足りない。
評論家の江崎道朗氏は「コミンテルンや社会主義、共産主義といった問題を避けては、その全体像を理解するのは困難なのだ」と言う。
1995年、アメリカ政府が政府の機密文書「ヴェノナ文書」を、そして旧ソ連が「リッツキドニー文書」を公開したことで、今まで隠されていた歴史の真実が明らかになり、その結果、大東亜戦争の背景に、「ソ連コミンテルンによる謀略の側面もあった」ことが明らかになった。その後も、ソ連による秘密工作の実態を記したソ連の内部文書「ミトロヒン文書」や、旧ソ連コミンテルンが米国共産党を操り日米対立を煽り、その恐るべき反日プロパガンダ工作の全貌を報じた極秘文書である、日本外務省による「米国共産党調書」などが公になり、近現代史の真実を知ることができるようになった。つまり、あの戦争とは、自存自衛の戦争であったことと同時に、「ソ連コミンテルンによる謀略の側面もあった」こと、そして、ルーズベルト政権にいたコミンテルンによるスパイ工作員によって導かれた戦争であったのであると位置づけられるのである。
しかも、この共産主義の脅威は今もなお、現在進行形であるということを心しなければならない。
トランプ前大統領はロシア革命から100年にあたる2017年11月7日、この日を「共産主義犠牲者の国民的記念日と定め、旧ソ連や北朝鮮などを念頭に「共産主義によって1億人以上が犠牲になったがその脅威はいまだに続いている」と批判した。
欧州議会も第二次世界大戦勃発80年にあたる2019年9月19日、「欧州の未来に向けた欧州の記憶の重要性に関する決議」を採択した。「第二次世界大戦を始めたのはナチス・ドイツとソ連であったにもかかわらず、そのソ連を『正義』の側に位置付けた『ニュルンベルク裁判』は間違いだとして事実上の戦勝国史観見直しを決議したのだ」と。
「ヴェノナ文書」の公開を契機に、米国の保守派の間に、第二次世界大戦の責任は、ルーズベルト民主党政権とその背後で日米戦争を仕掛けようとしていたコミンテルンにあるのではないか、との問題が浮上し、そして、今では、戦後秩序の根底にあった「戦勝国史観」が欧米を中心に見直されている。
しかし、日本では、このことが大々的に報道されないばかりか、「日本の軍国主義者が世界征服を目論み、大東亜戦争を引き起こした」とされる東京裁判史観を信じ込んでいる人々が、まだ多数存在する。
私は、この戦後矛盾を解消したく、昨年、私が主宰する「寺子屋『玉川未来塾』」において「欧米で広がる戦勝国史観の見直し」トークライブを開催したのだが、まだまだ力不足を感じて止まない。私自身は、引き続き大東亜戦争の真実をお伝えしたく、今回は「『大東亜戦争 失われた真実」トークライブ」を開催する。ご興味のある方は以下のURLに内容や申し込み方法など詳細を記載しているので、ぜひ、ご覧いただきたい。
https://tamagawa-miraijuku.com/event/050527.html
多くの人たちの、縛られた「東京裁判史観」からの脱却を、強く願うものである。また、このような悲劇を繰り返さないためにも、東京裁判史観から目覚め、そして、日本はインテリジェンスを充実、拡充させなければならないのであり、必要不可欠なのである。
この疑問を解決するため、前回のブログで「開戦の詔書」を紹介した。その詔書で、日本は支那を侵略する意図が無かったことが分かる。また、東アジアの平和を乱しているのは当の支那人であり、そして、米英との戦争は避けたかったが、「日本の自存と自衛」にやむなく立ち上がったことが読み取れる。
このように、開戦の詔書の内容において確認すべきことは、大東亜戦争が、我が国の生存に対する重大な脅威を除去し、アジア永遠の平和を確立することを目的にした自衛のための戦争であると宣言されていることである。そして、戦後において、天皇陛下は、この開戦の詔書で示された自衛のための戦争との宣言を一切撤回されていない。このことを深く心に刻むべきである。しかし、このことだけでは、「日本がなぜあの戦争に突入したのか」の疑問の解決には足りない。
評論家の江崎道朗氏は「コミンテルンや社会主義、共産主義といった問題を避けては、その全体像を理解するのは困難なのだ」と言う。
1995年、アメリカ政府が政府の機密文書「ヴェノナ文書」を、そして旧ソ連が「リッツキドニー文書」を公開したことで、今まで隠されていた歴史の真実が明らかになり、その結果、大東亜戦争の背景に、「ソ連コミンテルンによる謀略の側面もあった」ことが明らかになった。その後も、ソ連による秘密工作の実態を記したソ連の内部文書「ミトロヒン文書」や、旧ソ連コミンテルンが米国共産党を操り日米対立を煽り、その恐るべき反日プロパガンダ工作の全貌を報じた極秘文書である、日本外務省による「米国共産党調書」などが公になり、近現代史の真実を知ることができるようになった。つまり、あの戦争とは、自存自衛の戦争であったことと同時に、「ソ連コミンテルンによる謀略の側面もあった」こと、そして、ルーズベルト政権にいたコミンテルンによるスパイ工作員によって導かれた戦争であったのであると位置づけられるのである。
しかも、この共産主義の脅威は今もなお、現在進行形であるということを心しなければならない。
トランプ前大統領はロシア革命から100年にあたる2017年11月7日、この日を「共産主義犠牲者の国民的記念日と定め、旧ソ連や北朝鮮などを念頭に「共産主義によって1億人以上が犠牲になったがその脅威はいまだに続いている」と批判した。
欧州議会も第二次世界大戦勃発80年にあたる2019年9月19日、「欧州の未来に向けた欧州の記憶の重要性に関する決議」を採択した。「第二次世界大戦を始めたのはナチス・ドイツとソ連であったにもかかわらず、そのソ連を『正義』の側に位置付けた『ニュルンベルク裁判』は間違いだとして事実上の戦勝国史観見直しを決議したのだ」と。
「ヴェノナ文書」の公開を契機に、米国の保守派の間に、第二次世界大戦の責任は、ルーズベルト民主党政権とその背後で日米戦争を仕掛けようとしていたコミンテルンにあるのではないか、との問題が浮上し、そして、今では、戦後秩序の根底にあった「戦勝国史観」が欧米を中心に見直されている。
しかし、日本では、このことが大々的に報道されないばかりか、「日本の軍国主義者が世界征服を目論み、大東亜戦争を引き起こした」とされる東京裁判史観を信じ込んでいる人々が、まだ多数存在する。
私は、この戦後矛盾を解消したく、昨年、私が主宰する「寺子屋『玉川未来塾』」において「欧米で広がる戦勝国史観の見直し」トークライブを開催したのだが、まだまだ力不足を感じて止まない。私自身は、引き続き大東亜戦争の真実をお伝えしたく、今回は「『大東亜戦争 失われた真実」トークライブ」を開催する。ご興味のある方は以下のURLに内容や申し込み方法など詳細を記載しているので、ぜひ、ご覧いただきたい。
https://tamagawa-miraijuku.com/event/050527.html
多くの人たちの、縛られた「東京裁判史観」からの脱却を、強く願うものである。また、このような悲劇を繰り返さないためにも、東京裁判史観から目覚め、そして、日本はインテリジェンスを充実、拡充させなければならないのであり、必要不可欠なのである。
何故、大東亜戦争は起きたのか~開戦の詔書を読んで~
2023.04.15
「なぜ、平和を求めていた日本が、戦争をすることになったのか」。
毎年、私塾「寺子屋『玉川未来塾』」が主催する靖國神社とのイベントで、いつも思うことである。
みなさんは、天皇陛下の勅語によって発せられた「開戦の詔書」の全文を読んだことはあるだろうか。ここには、大東亜戦争を始めるきっかけとその理由について、昭和16(1941)年12月8日に述べられているので、まず全文を紹介するので読んでいただきたい。
開戦の詔書<原文>
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐(ふ)メル大日本帝國天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝有衆(ゆうしゅう)ニ示ス
朕茲(ここ)ニ米國及英國ニ對シテ戰(たたかい)ヲ宣ス 朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮(ふるっ)テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司(ひゃくりょうゆうし)ハ勵精(れいせい)職務ヲ奉行シ朕カ衆庶(しゅうしょ)ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々(そもそも)東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯(ひけん)ナル皇祖考丕承(ひしょう)ナル皇考ノ作述セル遠猷(えんゆう)ニシテ朕カ拳々(けんけん)措(お)カサル所 而(しこう)シテ列國トノ交誼(こうぎ)ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂(たのしみ)ヲ偕(とも)ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル 洵(まこと)ニ已ムヲ得サルモノアリ 豈(あに)朕カ志ナラムヤ 中華民國政府曩(さき)ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫(みだり)ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂(かくらん)シ遂ニ帝國ヲシテ干戈(かんか)ヲ執ルニ至ラシメ茲(ここ)ニ四年有餘ヲ經タリ 幸(さいわい)ニ國民政府更新スルアリ 帝國ハ之ト善隣ノ誼(よしみ)ヲ結ヒ相提攜(ていけい)スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭(ひいん)ヲ恃(たの)ミテ兄弟尚未タ牆(かき)ニ相鬩(あいせめ)クヲ悛(あらため)メス 米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂(からん)ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿(かく)レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞(かくまし)ウセムトス 剩(あまつさえ)ヘ與國ヲ誘(いざな)ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有(あ)ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢(あえ)テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ 朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡(うち)ニ囘復セシメムトシ隱忍久シキニ彌(わた)リタルモ彼ハ毫(ごう)モ交讓(こうじょう)ノ精神ナク徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延(せんえん)セシメテ此ノ間(かん)却(かえ)ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス 斯(かく)ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦(また)正(まさ)ニ危殆(きたい)ニ瀕セリ 事既ニ此ニ至ル 帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然(けつぜん)起(た)ツテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破碎(はさい)スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神靈上(かみ)ニ在リ 朕ハ汝有衆(ゆうしゅう)ノ忠誠勇武ニ信倚(しんい)シ祖宗(そそう)ノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ速(すみやか)ニ禍根ヲ芟除(さんじょ)シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス
御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
開戦の詔勅 <現代語訳文>
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
詔書で昭和天皇が「豈(あに)朕(ちん=天皇陛下)が志ならむや」と述べているように、米英との戦争は本意でないことを強調している。また、当時の支那(中国)についても「曩(さき)に帝國の眞意を解せず、濫(みだり)に事を構へて東亞の平和を攪亂(かくらん)し」とあるように、日本は支那を侵略する意図が無かったことが分かるし、東アジアの平和を乱しているのは当の支那人であるとしている。そして、米英との戦争は避けたかったが、「日本の自存と自衛」にやむなく立ち上がったことが読み取れる。
このように、開戦の詔書の内容において確認すべきことは、大東亜戦争が、我が国の生存に対する重大な脅威を除去し、アジア永遠の平和を確立することを目的にした自衛のための戦争であると宣言されていることである。そして、戦後において、天皇陛下は、この開戦の詔書で示された自衛のための戦争との宣言を一切撤回されていない。このことを深く心に刻むべきである。
また、東京裁判で木戸幸一の弁護を担当した米国弁護士のウィリアム・ローガンは、次のように論じている。
「日本は連合国が行った経済封鎖は、日本に対する戦争行為にほかならないものであると断定する権利を持っていた。それにもかかわらず、日本はその特有の忍耐力を以て、円満にこの争いを解決しようと試みた。しかし、経済封鎖は強化せられ、軍事的包囲の脅威とあいまって、ついに日本をして自国の存立の擁護のためには、最終的手段として戦争に訴えざるを得ないと考えるに至ったのだった。日本がこの連合国の経済封鎖を以てすぐに宣戦布告に等しきものなりと解釈することなく、平和的解決を交渉によって忍耐強く追求したことは、永遠に日本の名誉とするに足るところである。・・・それは、不当に挑発に基因した、国家存立のための自衛戦争であったのである」。
さらに、昭和26(1951)年5月、連合国軍最高司令官を解任された直後のダグラス・マッカーサーは米国上院外交軍事合同委員会で「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた」「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」と、敵将が彼らの戦いが自存自衛であったと証言している。
しかし、学校教育では、「かつて日本軍は、アジア諸国を侵略し、略奪するなどをして地元の人々に大変つらい思いをさせたことを今でもアジアの諸国民は恨み続けている」と教えられ、そして、「日本の『アジア侵略の野望』は敗戦によって潰え、日本は反省して二度とこのような戦争をしないことを憲法で誓った」と教えられてきている。
それに対して、アジア諸外国の指導者は、「日本が戦ってくれて感謝してる」「日本は我々に謝罪しなければならないことは何もしていない」と学校教育で教えられていることとは正反対の「感謝の気持ち」をあらわしている。
具体的に見てみたい。
◎ジャワハルラール・ネルー(インド初代首相インド独立運動指導者)
「日本は我々に謝罪しなければならない事は何もしていない。だから、われわれは、サンフランシスコ講和会議に出席することを拒否し、その後は条約に署名することも拒んだのである」。
◎ガザリー・シャフィー(マレーシア元外務大臣)
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ」。
◎ククリット・プラモード(タイ元首相)
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない」。
◎モハメッド・ナチール(インドネシア元首相)
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」。
◎バー・モウ(ビルマ首相・独立運動家)
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない」。
学校教育では正しい歴史を教えていないため、今でも先の大戦で「日本は悪いことをした」と信じ込んでいる者が多い。そして、自我形成期に自国の歴史を暗記科目として学び、そして忘れ、ある場合には日本は悪い国、先祖は悪い人と教える歴史教育があるのも否定できない現実である。
昭和から平成、令和と時代が移り、戦争体験者が急速に減っている中、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあるため、日本人は正しい歴史を知らない世代が多くなっているのに、国のために尊い命をささげた先人を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社をも容認しない者も少なくない。今日の平和は間違いなく、国を護るために命を賭して戦ってくれた先人のお陰である。
私が主宰する「寺子屋『玉川未来塾』」では、こういった状況を少しでも改善するためのイベントを今年も開催する。今年は3回。テーマこそ違えど、靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げ、そして、今日の学校教育では学べない、違った視点から正しい歴史を学ぶことを目的に実施する。多くの方々にお越しいただきたいと心から願うものである。
毎年、私塾「寺子屋『玉川未来塾』」が主催する靖國神社とのイベントで、いつも思うことである。
みなさんは、天皇陛下の勅語によって発せられた「開戦の詔書」の全文を読んだことはあるだろうか。ここには、大東亜戦争を始めるきっかけとその理由について、昭和16(1941)年12月8日に述べられているので、まず全文を紹介するので読んでいただきたい。
開戦の詔書<原文>
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐(ふ)メル大日本帝國天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝有衆(ゆうしゅう)ニ示ス
朕茲(ここ)ニ米國及英國ニ對シテ戰(たたかい)ヲ宣ス 朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮(ふるっ)テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司(ひゃくりょうゆうし)ハ勵精(れいせい)職務ヲ奉行シ朕カ衆庶(しゅうしょ)ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々(そもそも)東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯(ひけん)ナル皇祖考丕承(ひしょう)ナル皇考ノ作述セル遠猷(えんゆう)ニシテ朕カ拳々(けんけん)措(お)カサル所 而(しこう)シテ列國トノ交誼(こうぎ)ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂(たのしみ)ヲ偕(とも)ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル 洵(まこと)ニ已ムヲ得サルモノアリ 豈(あに)朕カ志ナラムヤ 中華民國政府曩(さき)ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫(みだり)ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂(かくらん)シ遂ニ帝國ヲシテ干戈(かんか)ヲ執ルニ至ラシメ茲(ここ)ニ四年有餘ヲ經タリ 幸(さいわい)ニ國民政府更新スルアリ 帝國ハ之ト善隣ノ誼(よしみ)ヲ結ヒ相提攜(ていけい)スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭(ひいん)ヲ恃(たの)ミテ兄弟尚未タ牆(かき)ニ相鬩(あいせめ)クヲ悛(あらため)メス 米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂(からん)ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿(かく)レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞(かくまし)ウセムトス 剩(あまつさえ)ヘ與國ヲ誘(いざな)ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有(あ)ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢(あえ)テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ 朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡(うち)ニ囘復セシメムトシ隱忍久シキニ彌(わた)リタルモ彼ハ毫(ごう)モ交讓(こうじょう)ノ精神ナク徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延(せんえん)セシメテ此ノ間(かん)却(かえ)ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス 斯(かく)ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦(また)正(まさ)ニ危殆(きたい)ニ瀕セリ 事既ニ此ニ至ル 帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然(けつぜん)起(た)ツテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破碎(はさい)スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神靈上(かみ)ニ在リ 朕ハ汝有衆(ゆうしゅう)ノ忠誠勇武ニ信倚(しんい)シ祖宗(そそう)ノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ速(すみやか)ニ禍根ヲ芟除(さんじょ)シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス
御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
開戦の詔勅 <現代語訳文>
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
詔書で昭和天皇が「豈(あに)朕(ちん=天皇陛下)が志ならむや」と述べているように、米英との戦争は本意でないことを強調している。また、当時の支那(中国)についても「曩(さき)に帝國の眞意を解せず、濫(みだり)に事を構へて東亞の平和を攪亂(かくらん)し」とあるように、日本は支那を侵略する意図が無かったことが分かるし、東アジアの平和を乱しているのは当の支那人であるとしている。そして、米英との戦争は避けたかったが、「日本の自存と自衛」にやむなく立ち上がったことが読み取れる。
このように、開戦の詔書の内容において確認すべきことは、大東亜戦争が、我が国の生存に対する重大な脅威を除去し、アジア永遠の平和を確立することを目的にした自衛のための戦争であると宣言されていることである。そして、戦後において、天皇陛下は、この開戦の詔書で示された自衛のための戦争との宣言を一切撤回されていない。このことを深く心に刻むべきである。
また、東京裁判で木戸幸一の弁護を担当した米国弁護士のウィリアム・ローガンは、次のように論じている。
「日本は連合国が行った経済封鎖は、日本に対する戦争行為にほかならないものであると断定する権利を持っていた。それにもかかわらず、日本はその特有の忍耐力を以て、円満にこの争いを解決しようと試みた。しかし、経済封鎖は強化せられ、軍事的包囲の脅威とあいまって、ついに日本をして自国の存立の擁護のためには、最終的手段として戦争に訴えざるを得ないと考えるに至ったのだった。日本がこの連合国の経済封鎖を以てすぐに宣戦布告に等しきものなりと解釈することなく、平和的解決を交渉によって忍耐強く追求したことは、永遠に日本の名誉とするに足るところである。・・・それは、不当に挑発に基因した、国家存立のための自衛戦争であったのである」。
さらに、昭和26(1951)年5月、連合国軍最高司令官を解任された直後のダグラス・マッカーサーは米国上院外交軍事合同委員会で「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた」「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」と、敵将が彼らの戦いが自存自衛であったと証言している。
しかし、学校教育では、「かつて日本軍は、アジア諸国を侵略し、略奪するなどをして地元の人々に大変つらい思いをさせたことを今でもアジアの諸国民は恨み続けている」と教えられ、そして、「日本の『アジア侵略の野望』は敗戦によって潰え、日本は反省して二度とこのような戦争をしないことを憲法で誓った」と教えられてきている。
それに対して、アジア諸外国の指導者は、「日本が戦ってくれて感謝してる」「日本は我々に謝罪しなければならないことは何もしていない」と学校教育で教えられていることとは正反対の「感謝の気持ち」をあらわしている。
具体的に見てみたい。
◎ジャワハルラール・ネルー(インド初代首相インド独立運動指導者)
「日本は我々に謝罪しなければならない事は何もしていない。だから、われわれは、サンフランシスコ講和会議に出席することを拒否し、その後は条約に署名することも拒んだのである」。
◎ガザリー・シャフィー(マレーシア元外務大臣)
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ」。
◎ククリット・プラモード(タイ元首相)
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない」。
◎モハメッド・ナチール(インドネシア元首相)
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」。
◎バー・モウ(ビルマ首相・独立運動家)
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない」。
学校教育では正しい歴史を教えていないため、今でも先の大戦で「日本は悪いことをした」と信じ込んでいる者が多い。そして、自我形成期に自国の歴史を暗記科目として学び、そして忘れ、ある場合には日本は悪い国、先祖は悪い人と教える歴史教育があるのも否定できない現実である。
昭和から平成、令和と時代が移り、戦争体験者が急速に減っている中、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあるため、日本人は正しい歴史を知らない世代が多くなっているのに、国のために尊い命をささげた先人を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社をも容認しない者も少なくない。今日の平和は間違いなく、国を護るために命を賭して戦ってくれた先人のお陰である。
私が主宰する「寺子屋『玉川未来塾』」では、こういった状況を少しでも改善するためのイベントを今年も開催する。今年は3回。テーマこそ違えど、靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げ、そして、今日の学校教育では学べない、違った視点から正しい歴史を学ぶことを目的に実施する。多くの方々にお越しいただきたいと心から願うものである。