既存メディアの衰退
2024.11.26
去る兵庫県知事選は、9月19日斎藤元彦前知事のパワハラ・おねだり疑惑により兵庫県議会が全会一致で不信任決議し、その結果30日に失職したことによる出直し選挙であった。その当時の既存メディアの報道は、パワハラ・おねだり一色で、斎藤前知事には弁解の余地はなかったように見えたし、出直し選挙に斎藤前知事が出るのを批判する人もいた。また、対立候補であるはずの政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏が、マスコミと県政の反斎藤派がデマを拡散したなどとして斎藤氏を「援護射撃」。街頭演説で斎藤氏を持ち上げ、SNSでも拡散された。
その結果、11月17日投開票では、無所属前職の斎藤氏が111万3911票を獲得し県知事に返り咲いた。選挙結果を正面から受け止めた兵庫県明石市の前市長、泉房穂氏は、斎藤氏に対して厳しい姿勢を示したこともあるが、「一面的な見方で、この間、対応してきたことにつき、反省するところも多く、お詫び申し上げたい」と陳謝。自身も市幹部への暴言をめぐって辞職し出直し市長選に臨んだこともあり、「民意は斎藤氏に共感し、斎藤氏を選んだ」として、「民主主義の社会である以上、選挙の結果は最大限に尊重されるべき」と重ねている。
既存メディアの報道に疑問視をした有権者が、「既存メディアの報道と違う」立花氏をはじめとした斎藤氏擁護の拡散されたSNSを情報源としたことにより、「既存メディアの敗北」とした報道もあった。さらに、日テレのミヤネ屋では、MCの宮根誠司氏は「我々テレビメディアにも厳しい意見をいただいたんですけど。テレビって選挙戦が始まると公平性が担保されて、今度は事実確認、ファクトチェック、裏取りというのがあって。それが事実かどうかっていうのを確認しないと、放送しないでおこうっていうことになります。踏み込んだプライバシーみたいなのもいかない。候補者がたくさん出られると時間が限られてくる。というところでネットと比べるのがいいのか悪いのか分からないけど、ある意味抑制的に視聴者の方はご覧になってるのかもしれませんね」と投げかけた。読売テレビ特別解説委員の高岡達之氏は「SNSの戦略で斎藤さんが頂点を極めたという言い方には違和感があります」とした上で「テレビは何十年の歴史があって、法律で我々が好き勝手にできないように縛られている。公職選挙法での放送、自主規制もあります。選挙が始まったら一番選挙で判断をしたい方が欲しい情報を我々は公平性という名で、あるいは中立という名で、沈黙をします。これは認めざるを得ない」と語った。さらに「そうなった時に、今の方々は大事な1票だから。繰り返し映像が見たい、よその会社はどう言ってるんだと。よそのメディアはどうなってるんだと。その役目をYouTubeが果たし、ネットニュースが果たし、SNSが果たしているということ。だからテレビが何かを隠しているんだろうって思われる方の自由だし。そしてSNSが自分たちの意見を代弁してくれるって思うのも、当然の反応だろうと思います」と続けた上で「これが今の時代の我々テレビの立っている現実です」と語った。
これからはマスコミの端くれにいた者としての私の私見ではあるが、考えを述べたい。
「既存メディアを信用しない」という現象は、今に始まったことではないと思っている。
遡ること、10年前の平成26(2014)年、朝日新聞社が9月11日、記者会見を開き、東京電力福島第一原発事故をめぐり政府の事故調査・検証委員会がまとめた吉田昌郎元所長の「聴取結果書(調書)に関する記事を誤りと認め取り消し、木村伊量社長は謝罪をした。また、慰安婦報道についても、8月5日、6日の2日間、自社の慰安婦報道を検証する大特集を行った。30年前から積み重ねてきた吉田清治証言の記事を取り消し、読者向けに「『読者のみなさまへ』吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。最終等を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました」と記している。
この問題を皮切りに、メディアに対する不信感は徐々に広がり、そして、ジャニー喜多川氏の性加害問題に対する各社の報道で既存メディアの報道姿勢、取り扱いに対し、メディアに対する国民の疑義に拍車がかかったかと考える。
2022年に東谷義和がネット配信で問題提起したことにより本格的に表面化したが、その配信後、BBCの報道を皮切りに多くの報道機関が大々的に報道するようになった。旧ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の性加害問題は、60年前から疑惑が指摘され、これまで2度、裁判が行われてきたにも関わらず、BBCで取り上げられた後、世間に幅広くこの問題が明るみになるまでは、メディアはその報道をせず沈黙を守り通してきた。
故ジャニー喜多川氏による所属タレントへの性加害問題が最初に明るみに出たのは、1967年~78年にかけて一世を風靡したジャニーズタレント「フォーリーブス」の故北公次氏が、解散から10年後の1988年に、ジャニー氏から受けた性被害を赤裸々に綴った書籍『光GENJIへ』がきっかけだった。そして、翌年、ビデオでも被害を訴えていたが、メディアは沈黙。今年9月に、TBSがその告白ビデオを入手したとして、放送したが、「今更感」が拭えなかった。そして、メディアの報道に対する責任については、無視できない事実であろうとも考える。当時、日本テレビ「news zero」の有働由美子キャスターは「海外の人権問題は徹底的に批判するのに、もっと近くにあった問題はちゃんと取材して知ろうとしませんでした。なぜ『沈黙』してしまったのか、重く問われているという覚悟のもとに向き合っていきたいと思います」と、メディアの責任について語ったが、私からすれば「何をいまさら」といった感が強かった。その後、各テレビ局がこぞって声明を出したが、どの社も同じように感じるし、苦しい言い訳にしか聞こえなかった。
さらに、今回、共同通信社による生稲晃子参院議員(現外務政務官)の靖國神社参拝報道は、既存メディア不信を加速化した。
共同通信は「2022年8月15日の終戦の日の靖国神社参拝に関する記事で、自民党の生稲晃子参院議員(現外務政務官)が参拝した報じたが、正しくは生稲氏は参拝しておらず、誤った報道でした」と謝罪した。そして、「生稲氏が今月24日、日本政府代表として出席した世界文化遺産「佐渡島の金山」の労働者追悼式に韓国政府関係者が参加を見送ったことに関連した複数の記事でも、生稲氏が参拝したと断定的に報じました。生稲氏が今月24日に参院議員就任後の靖国参拝を否定し、当時の取材過程を調べました。その結果、靖国神社への国会議員の出入りを取材する過程で生稲氏が境内に入るのを見たとの報告がありましたが、本人に直接の確認取材をしないまま記事化したと分かりました。また、当日参拝した複数の自民党議員が共同通信に『生稲氏はいなかった』と述べました。生稲氏が否定したことと併せ、当初の報告が見間違えだったと判断しました。誤った記事は国内外に配信しました。韓国外務省は『生稲議員が22年8月15日に靖国神社を参拝したものと承知している』とコメントしていました。日韓外交に影響した可能性があります。韓国外務省は25日、不参加としたのは追悼の辞の内容などが世界遺産登録に賛成するに当たって日本と合意していた水準に満たないためだったと説明しました」。との内容だ。
既存メディアは、色々と言い訳がましいことを述べるが、そもそもマスコミとは、一定の意図をもって情報を発信している。その一定の意図とは何か。そこを読み解いていかなくてはならない。私は、少なくとも前述する反日マスコミは、「日本を、権力者を貶めようとする意図」を感じるし、そのための都合の良い取材と裏取り、報道を繰り返しているとも感じる。取材費も無いのか、ネットの情報を記事化するマスコミを見受けるが、マスコミの本来の取材は足しげく通って情報を執る取材活動である。それが、本当の意味での取材活動、裏取りを行っているのか疑問に思うし、「一定の意図」のためには取材もせずに報道するなど、『何でもありなのか』とも思う。そういうマスコミの報道姿勢に嫌気を指し、情報を既存メディアから取らずに、SNSから情報を取得するといった者が増えていった気がしてならない。
既存メディアには信頼回復のための本来あるべき取材、裏取りの努力を怠らず、報道して欲しいとは望むが、「一定の意図」が歪んでいるようでは、その期待は遠いものとならざるを得ない。そして、別冊正論12号『朝日新聞・NHKの大罪』で記された、上島嘉郎編集長(当時)の以下の言葉が思い出される。
「昭和20年12月7日、連合国総司令部(GHQ)は新聞各社の代表を集め、彼らが作成した『太平洋戦争史』を示して掲載を命じました。新聞各社は開戦から4年後の翌8日付紙面で一斉に掲載し、朝日新聞はその後も『太平洋戦争史 続編』を連載しました。NHKも『真相はこうだ』というラジオ放送を開始、『真相箱』『質問箱』と名前を変えて昭和23年8月まで約3年間続けられました。新聞社も放送局も、日本人が戦った『大東亜戦争』という呼称は使わず、すべて『太平洋戦争』とし、以降長くマスコミから『大東亜戦争』の言葉は消えることになりました。故江藤淳氏の指摘によって、GHQの占領期間中に日本人がウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)に基づく徹底的な言論統制、情報管理を受けたことは、少なからず知られるようになりましたが、独立回復後半世紀以上を経てもなお、その残滓は色濃い。『その国の新聞(メディア)に影響力を及ぼすことは、数個師団を支配下に置くに等しい』というレーニンの言は今も日本を呪縛しているのではないか。朝日、NHKを見ていると、それを杞憂とやり過ごせない。そんな思いからつくった一冊です」。
片寄ったメディアによってつくられた日本の、戦後レジームからの脱却はまだ先のようである。
その結果、11月17日投開票では、無所属前職の斎藤氏が111万3911票を獲得し県知事に返り咲いた。選挙結果を正面から受け止めた兵庫県明石市の前市長、泉房穂氏は、斎藤氏に対して厳しい姿勢を示したこともあるが、「一面的な見方で、この間、対応してきたことにつき、反省するところも多く、お詫び申し上げたい」と陳謝。自身も市幹部への暴言をめぐって辞職し出直し市長選に臨んだこともあり、「民意は斎藤氏に共感し、斎藤氏を選んだ」として、「民主主義の社会である以上、選挙の結果は最大限に尊重されるべき」と重ねている。
既存メディアの報道に疑問視をした有権者が、「既存メディアの報道と違う」立花氏をはじめとした斎藤氏擁護の拡散されたSNSを情報源としたことにより、「既存メディアの敗北」とした報道もあった。さらに、日テレのミヤネ屋では、MCの宮根誠司氏は「我々テレビメディアにも厳しい意見をいただいたんですけど。テレビって選挙戦が始まると公平性が担保されて、今度は事実確認、ファクトチェック、裏取りというのがあって。それが事実かどうかっていうのを確認しないと、放送しないでおこうっていうことになります。踏み込んだプライバシーみたいなのもいかない。候補者がたくさん出られると時間が限られてくる。というところでネットと比べるのがいいのか悪いのか分からないけど、ある意味抑制的に視聴者の方はご覧になってるのかもしれませんね」と投げかけた。読売テレビ特別解説委員の高岡達之氏は「SNSの戦略で斎藤さんが頂点を極めたという言い方には違和感があります」とした上で「テレビは何十年の歴史があって、法律で我々が好き勝手にできないように縛られている。公職選挙法での放送、自主規制もあります。選挙が始まったら一番選挙で判断をしたい方が欲しい情報を我々は公平性という名で、あるいは中立という名で、沈黙をします。これは認めざるを得ない」と語った。さらに「そうなった時に、今の方々は大事な1票だから。繰り返し映像が見たい、よその会社はどう言ってるんだと。よそのメディアはどうなってるんだと。その役目をYouTubeが果たし、ネットニュースが果たし、SNSが果たしているということ。だからテレビが何かを隠しているんだろうって思われる方の自由だし。そしてSNSが自分たちの意見を代弁してくれるって思うのも、当然の反応だろうと思います」と続けた上で「これが今の時代の我々テレビの立っている現実です」と語った。
これからはマスコミの端くれにいた者としての私の私見ではあるが、考えを述べたい。
「既存メディアを信用しない」という現象は、今に始まったことではないと思っている。
遡ること、10年前の平成26(2014)年、朝日新聞社が9月11日、記者会見を開き、東京電力福島第一原発事故をめぐり政府の事故調査・検証委員会がまとめた吉田昌郎元所長の「聴取結果書(調書)に関する記事を誤りと認め取り消し、木村伊量社長は謝罪をした。また、慰安婦報道についても、8月5日、6日の2日間、自社の慰安婦報道を検証する大特集を行った。30年前から積み重ねてきた吉田清治証言の記事を取り消し、読者向けに「『読者のみなさまへ』吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。最終等を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました」と記している。
この問題を皮切りに、メディアに対する不信感は徐々に広がり、そして、ジャニー喜多川氏の性加害問題に対する各社の報道で既存メディアの報道姿勢、取り扱いに対し、メディアに対する国民の疑義に拍車がかかったかと考える。
2022年に東谷義和がネット配信で問題提起したことにより本格的に表面化したが、その配信後、BBCの報道を皮切りに多くの報道機関が大々的に報道するようになった。旧ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の性加害問題は、60年前から疑惑が指摘され、これまで2度、裁判が行われてきたにも関わらず、BBCで取り上げられた後、世間に幅広くこの問題が明るみになるまでは、メディアはその報道をせず沈黙を守り通してきた。
故ジャニー喜多川氏による所属タレントへの性加害問題が最初に明るみに出たのは、1967年~78年にかけて一世を風靡したジャニーズタレント「フォーリーブス」の故北公次氏が、解散から10年後の1988年に、ジャニー氏から受けた性被害を赤裸々に綴った書籍『光GENJIへ』がきっかけだった。そして、翌年、ビデオでも被害を訴えていたが、メディアは沈黙。今年9月に、TBSがその告白ビデオを入手したとして、放送したが、「今更感」が拭えなかった。そして、メディアの報道に対する責任については、無視できない事実であろうとも考える。当時、日本テレビ「news zero」の有働由美子キャスターは「海外の人権問題は徹底的に批判するのに、もっと近くにあった問題はちゃんと取材して知ろうとしませんでした。なぜ『沈黙』してしまったのか、重く問われているという覚悟のもとに向き合っていきたいと思います」と、メディアの責任について語ったが、私からすれば「何をいまさら」といった感が強かった。その後、各テレビ局がこぞって声明を出したが、どの社も同じように感じるし、苦しい言い訳にしか聞こえなかった。
さらに、今回、共同通信社による生稲晃子参院議員(現外務政務官)の靖國神社参拝報道は、既存メディア不信を加速化した。
共同通信は「2022年8月15日の終戦の日の靖国神社参拝に関する記事で、自民党の生稲晃子参院議員(現外務政務官)が参拝した報じたが、正しくは生稲氏は参拝しておらず、誤った報道でした」と謝罪した。そして、「生稲氏が今月24日、日本政府代表として出席した世界文化遺産「佐渡島の金山」の労働者追悼式に韓国政府関係者が参加を見送ったことに関連した複数の記事でも、生稲氏が参拝したと断定的に報じました。生稲氏が今月24日に参院議員就任後の靖国参拝を否定し、当時の取材過程を調べました。その結果、靖国神社への国会議員の出入りを取材する過程で生稲氏が境内に入るのを見たとの報告がありましたが、本人に直接の確認取材をしないまま記事化したと分かりました。また、当日参拝した複数の自民党議員が共同通信に『生稲氏はいなかった』と述べました。生稲氏が否定したことと併せ、当初の報告が見間違えだったと判断しました。誤った記事は国内外に配信しました。韓国外務省は『生稲議員が22年8月15日に靖国神社を参拝したものと承知している』とコメントしていました。日韓外交に影響した可能性があります。韓国外務省は25日、不参加としたのは追悼の辞の内容などが世界遺産登録に賛成するに当たって日本と合意していた水準に満たないためだったと説明しました」。との内容だ。
既存メディアは、色々と言い訳がましいことを述べるが、そもそもマスコミとは、一定の意図をもって情報を発信している。その一定の意図とは何か。そこを読み解いていかなくてはならない。私は、少なくとも前述する反日マスコミは、「日本を、権力者を貶めようとする意図」を感じるし、そのための都合の良い取材と裏取り、報道を繰り返しているとも感じる。取材費も無いのか、ネットの情報を記事化するマスコミを見受けるが、マスコミの本来の取材は足しげく通って情報を執る取材活動である。それが、本当の意味での取材活動、裏取りを行っているのか疑問に思うし、「一定の意図」のためには取材もせずに報道するなど、『何でもありなのか』とも思う。そういうマスコミの報道姿勢に嫌気を指し、情報を既存メディアから取らずに、SNSから情報を取得するといった者が増えていった気がしてならない。
既存メディアには信頼回復のための本来あるべき取材、裏取りの努力を怠らず、報道して欲しいとは望むが、「一定の意図」が歪んでいるようでは、その期待は遠いものとならざるを得ない。そして、別冊正論12号『朝日新聞・NHKの大罪』で記された、上島嘉郎編集長(当時)の以下の言葉が思い出される。
「昭和20年12月7日、連合国総司令部(GHQ)は新聞各社の代表を集め、彼らが作成した『太平洋戦争史』を示して掲載を命じました。新聞各社は開戦から4年後の翌8日付紙面で一斉に掲載し、朝日新聞はその後も『太平洋戦争史 続編』を連載しました。NHKも『真相はこうだ』というラジオ放送を開始、『真相箱』『質問箱』と名前を変えて昭和23年8月まで約3年間続けられました。新聞社も放送局も、日本人が戦った『大東亜戦争』という呼称は使わず、すべて『太平洋戦争』とし、以降長くマスコミから『大東亜戦争』の言葉は消えることになりました。故江藤淳氏の指摘によって、GHQの占領期間中に日本人がウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)に基づく徹底的な言論統制、情報管理を受けたことは、少なからず知られるようになりましたが、独立回復後半世紀以上を経てもなお、その残滓は色濃い。『その国の新聞(メディア)に影響力を及ぼすことは、数個師団を支配下に置くに等しい』というレーニンの言は今も日本を呪縛しているのではないか。朝日、NHKを見ていると、それを杞憂とやり過ごせない。そんな思いからつくった一冊です」。
片寄ったメディアによってつくられた日本の、戦後レジームからの脱却はまだ先のようである。