スペシャリストとジェネラリスト
2023.07.30
映画「アポロ13号」をご存知であろうか。
1995年劇場公開された月面探査船アポロ13号爆発事故の実話を基に、絶体絶命の危機に陥った乗組員たちの救出劇をスリリングに描いた人間ドラマである。主演は船長のジェームス・ラベルを演じるトム・ハンクスであるが、この映画のもう一人の主人公が、当時、NASAの主席飛行管制官をつとめていたジーン・クランツ。エド・ハリス演じるこのリーダー、ジーン・クランツは、このアポロ13号の絶命の危機を救う。
この事故は、月に向かって飛ぶアポロ13号が、突然、酸素タンクの爆発事故を起こし、深刻な電力不足と水不足という絶望的な状況に陥ったもの。
この前代未聞の事故に遭遇し、NASAの全米でも選り抜かれたスペシャリスト集団たちは途方に暮れる状況。しかし、この専門家達の誰もが、前代未聞の事故の前で解決策が見つからず、途方に暮れる状況の中で、ジーン・クランツは強いリーダーシップを発揮し、「我々のミッションは、この3人の乗組員たちを生きて還らすことだ!」と言って、次々に発生する難問に対して専門家達の知恵を総動員し、解決策を見つけ、次々と問題を解決していく。この一人のリーダーの見事な姿は、自身のミッションを明確に定め、そのミッションの完遂まで決して諦めない姿を示してくれた。
もう一つ、別な話をしたい。
米国にノーベル経済学賞を受賞したケネス・アロー、ノーベル物理学賞のマレー・ゲルマン、同じく物理学賞のフィリップ・アンダーソンが設立した「サンタフェ研究所」という研究所がある。この研究所で働く研究者は、物理学、化学、生物学、医学、脳科学、心理学、社会心理学、人類学、文化人類学、社会学、経済学、政治学、歴史学、情報科学など、ほとんどすべての研究分野から研究者達が集まっていた。そして、この研究所は「学際的アプローチ」や「総合的アプローチ」に果敢に挑戦するスタイルを採っていて、例えば、経済学者と物理学者といった全く違った分野の専門家が一緒のテーブルに着き、専門用語の壁を超え、「複雑系」といったテーマについて、自由かつ率直に議論するといった文化を持つ。
この研究所の創設者でもある元所長のジョージ・コーワン博士は、サンタフェ研究所の将来に対し、今後、どの分野の専門家(スペシャリスト)を必要としているのか、の問いに対し、以下のように答えたという。
「この研究所には専門家(スペシャリスト)は、もう十分にいる。我々が本当に必要としているのは、それら様々な分野を、研究を『統合』する『スーパージェネラリストだ』」と。
個別の分野の「専門に知性」だけでは解決できない「学際的問題」を解決するために、個別の「専門の知性」を、その「垣根」を超えて統合する「統合の知性」が必要であり、コーワン博士が「スーパージェネラリスト」と呼んだのは、そうした「統合の知性」を持った人材のことで、それは、様々な専門分野を、その境界を超えて水平に統合する「水平統合の知性」を持った人材のことを云うのだそうだ。
多摩大学大学院名誉教授でシンクタンク・ソフィアバンク代表の田坂広志氏は「専門の知性」ではなく、「統合の知性」を持った人材、それも「水平統合の知性」ではなく「垂直統合の知性」を持った人材が必要であると言う。そして、映画「アポロ13号」で描かれたジーン・クランツの姿は、我々に求められる「知性」の在り方を象徴的に示しているというのである。
・これまで誰も経験したことが無い、前代未聞の事故。
・絶望的な極限状況に置かれた、三人の乗組員の生命。
・専門家達も解決策を見出せない、想像を絶する難題。
こうした問題を前にして、NASAの専門家達を率い、その難題に粘り強く取り組み、最終的に、それを成功裏に解決した人物。容易に答えの見つからない問いに対して決して諦めず、その問いを問い続ける「知性」を持ったジーン・クランツは「垂直統合の思考」を持っていたという。すなわち、様々なレベルでの思考を切り替えながら並行して進め、それらを瞬時に統合することができるのだというのだ。
そして、その様々な思考とは、次の「7つのレベルの思考」を指す。
①明確な「ビジョン」
②基本的な「戦略」
③具体的な「戦術」
④個別の「技術」
⑤優れた「人間力」
⑥素晴らしい「志」
⑦深い「思想」
これら「7つのレベル思考」を切り替えながら並行して進め、それらを瞬時に統合することができ、「垂直統合」の思考を身に付けていたと言うのである。
では、この「7つのレベルの思考」を身に付けるにはどうしたら良いのか。
その答えは「自己限定を捨てる」こと。
我々は、無意識に自分の思考を自分が得意だと思っている「思考レベル」に限定しておこなう傾向があり、その「自己限定」のために、自分の中に眠る「可能性」を開花させることができないで終わってしまう。自分の限界を超えることにより、「7つのレベル思考」を身に付けることができるのである。
私は、習字教室を営み、書道家という肩書も持っていることにおいては、その分野ではスペシャリストではあるが、勉強会、イベントの主催などを開催する寺子屋「玉川未来塾」主宰者の立場では、スペシャリストを講師に依頼し、それを形にするといった意味では、ジェネラリストであるかと思う。
現代社会を見ていると、それぞれの分野でのスペシャリストはたくさんいるが、ジョーン・クランツのように、客観的な視野で物事を整理し、そして、総合して物事の解決に向かって尽力するといったジェネラリストの存在はスペシャリストに対してどの程度の割合でいるのか。むしろ、少ないのではないか。
ジェネラリストの視点をもって、物事に当たることが、複雑化した現代社会にはとても必要ではないのか。そして、自己の限界を超えることこそが、人間を成長させる早道なのではないか。さらには、そうすることによって、「スーパージェネラリスト」という「垂直統合」の思考を身に付けることができ、どんな困難にも立ち向かい、解決することができるのではないか。色々な問題が湧き起こる現代だからこそ、そう思って止まない昨今である。
1995年劇場公開された月面探査船アポロ13号爆発事故の実話を基に、絶体絶命の危機に陥った乗組員たちの救出劇をスリリングに描いた人間ドラマである。主演は船長のジェームス・ラベルを演じるトム・ハンクスであるが、この映画のもう一人の主人公が、当時、NASAの主席飛行管制官をつとめていたジーン・クランツ。エド・ハリス演じるこのリーダー、ジーン・クランツは、このアポロ13号の絶命の危機を救う。
この事故は、月に向かって飛ぶアポロ13号が、突然、酸素タンクの爆発事故を起こし、深刻な電力不足と水不足という絶望的な状況に陥ったもの。
この前代未聞の事故に遭遇し、NASAの全米でも選り抜かれたスペシャリスト集団たちは途方に暮れる状況。しかし、この専門家達の誰もが、前代未聞の事故の前で解決策が見つからず、途方に暮れる状況の中で、ジーン・クランツは強いリーダーシップを発揮し、「我々のミッションは、この3人の乗組員たちを生きて還らすことだ!」と言って、次々に発生する難問に対して専門家達の知恵を総動員し、解決策を見つけ、次々と問題を解決していく。この一人のリーダーの見事な姿は、自身のミッションを明確に定め、そのミッションの完遂まで決して諦めない姿を示してくれた。
もう一つ、別な話をしたい。
米国にノーベル経済学賞を受賞したケネス・アロー、ノーベル物理学賞のマレー・ゲルマン、同じく物理学賞のフィリップ・アンダーソンが設立した「サンタフェ研究所」という研究所がある。この研究所で働く研究者は、物理学、化学、生物学、医学、脳科学、心理学、社会心理学、人類学、文化人類学、社会学、経済学、政治学、歴史学、情報科学など、ほとんどすべての研究分野から研究者達が集まっていた。そして、この研究所は「学際的アプローチ」や「総合的アプローチ」に果敢に挑戦するスタイルを採っていて、例えば、経済学者と物理学者といった全く違った分野の専門家が一緒のテーブルに着き、専門用語の壁を超え、「複雑系」といったテーマについて、自由かつ率直に議論するといった文化を持つ。
この研究所の創設者でもある元所長のジョージ・コーワン博士は、サンタフェ研究所の将来に対し、今後、どの分野の専門家(スペシャリスト)を必要としているのか、の問いに対し、以下のように答えたという。
「この研究所には専門家(スペシャリスト)は、もう十分にいる。我々が本当に必要としているのは、それら様々な分野を、研究を『統合』する『スーパージェネラリストだ』」と。
個別の分野の「専門に知性」だけでは解決できない「学際的問題」を解決するために、個別の「専門の知性」を、その「垣根」を超えて統合する「統合の知性」が必要であり、コーワン博士が「スーパージェネラリスト」と呼んだのは、そうした「統合の知性」を持った人材のことで、それは、様々な専門分野を、その境界を超えて水平に統合する「水平統合の知性」を持った人材のことを云うのだそうだ。
多摩大学大学院名誉教授でシンクタンク・ソフィアバンク代表の田坂広志氏は「専門の知性」ではなく、「統合の知性」を持った人材、それも「水平統合の知性」ではなく「垂直統合の知性」を持った人材が必要であると言う。そして、映画「アポロ13号」で描かれたジーン・クランツの姿は、我々に求められる「知性」の在り方を象徴的に示しているというのである。
・これまで誰も経験したことが無い、前代未聞の事故。
・絶望的な極限状況に置かれた、三人の乗組員の生命。
・専門家達も解決策を見出せない、想像を絶する難題。
こうした問題を前にして、NASAの専門家達を率い、その難題に粘り強く取り組み、最終的に、それを成功裏に解決した人物。容易に答えの見つからない問いに対して決して諦めず、その問いを問い続ける「知性」を持ったジーン・クランツは「垂直統合の思考」を持っていたという。すなわち、様々なレベルでの思考を切り替えながら並行して進め、それらを瞬時に統合することができるのだというのだ。
そして、その様々な思考とは、次の「7つのレベルの思考」を指す。
①明確な「ビジョン」
②基本的な「戦略」
③具体的な「戦術」
④個別の「技術」
⑤優れた「人間力」
⑥素晴らしい「志」
⑦深い「思想」
これら「7つのレベル思考」を切り替えながら並行して進め、それらを瞬時に統合することができ、「垂直統合」の思考を身に付けていたと言うのである。
では、この「7つのレベルの思考」を身に付けるにはどうしたら良いのか。
その答えは「自己限定を捨てる」こと。
我々は、無意識に自分の思考を自分が得意だと思っている「思考レベル」に限定しておこなう傾向があり、その「自己限定」のために、自分の中に眠る「可能性」を開花させることができないで終わってしまう。自分の限界を超えることにより、「7つのレベル思考」を身に付けることができるのである。
私は、習字教室を営み、書道家という肩書も持っていることにおいては、その分野ではスペシャリストではあるが、勉強会、イベントの主催などを開催する寺子屋「玉川未来塾」主宰者の立場では、スペシャリストを講師に依頼し、それを形にするといった意味では、ジェネラリストであるかと思う。
現代社会を見ていると、それぞれの分野でのスペシャリストはたくさんいるが、ジョーン・クランツのように、客観的な視野で物事を整理し、そして、総合して物事の解決に向かって尽力するといったジェネラリストの存在はスペシャリストに対してどの程度の割合でいるのか。むしろ、少ないのではないか。
ジェネラリストの視点をもって、物事に当たることが、複雑化した現代社会にはとても必要ではないのか。そして、自己の限界を超えることこそが、人間を成長させる早道なのではないか。さらには、そうすることによって、「スーパージェネラリスト」という「垂直統合」の思考を身に付けることができ、どんな困難にも立ち向かい、解決することができるのではないか。色々な問題が湧き起こる現代だからこそ、そう思って止まない昨今である。
あの悲劇を繰り返さないためにも
2023.05.08
「日本がなぜあの戦争に突入したのか」
この疑問を解決するため、前回のブログで「開戦の詔書」を紹介した。その詔書で、日本は支那を侵略する意図が無かったことが分かる。また、東アジアの平和を乱しているのは当の支那人であり、そして、米英との戦争は避けたかったが、「日本の自存と自衛」にやむなく立ち上がったことが読み取れる。
このように、開戦の詔書の内容において確認すべきことは、大東亜戦争が、我が国の生存に対する重大な脅威を除去し、アジア永遠の平和を確立することを目的にした自衛のための戦争であると宣言されていることである。そして、戦後において、天皇陛下は、この開戦の詔書で示された自衛のための戦争との宣言を一切撤回されていない。このことを深く心に刻むべきである。しかし、このことだけでは、「日本がなぜあの戦争に突入したのか」の疑問の解決には足りない。
評論家の江崎道朗氏は「コミンテルンや社会主義、共産主義といった問題を避けては、その全体像を理解するのは困難なのだ」と言う。
1995年、アメリカ政府が政府の機密文書「ヴェノナ文書」を、そして旧ソ連が「リッツキドニー文書」を公開したことで、今まで隠されていた歴史の真実が明らかになり、その結果、大東亜戦争の背景に、「ソ連コミンテルンによる謀略の側面もあった」ことが明らかになった。その後も、ソ連による秘密工作の実態を記したソ連の内部文書「ミトロヒン文書」や、旧ソ連コミンテルンが米国共産党を操り日米対立を煽り、その恐るべき反日プロパガンダ工作の全貌を報じた極秘文書である、日本外務省による「米国共産党調書」などが公になり、近現代史の真実を知ることができるようになった。つまり、あの戦争とは、自存自衛の戦争であったことと同時に、「ソ連コミンテルンによる謀略の側面もあった」こと、そして、ルーズベルト政権にいたコミンテルンによるスパイ工作員によって導かれた戦争であったのであると位置づけられるのである。
しかも、この共産主義の脅威は今もなお、現在進行形であるということを心しなければならない。
トランプ前大統領はロシア革命から100年にあたる2017年11月7日、この日を「共産主義犠牲者の国民的記念日と定め、旧ソ連や北朝鮮などを念頭に「共産主義によって1億人以上が犠牲になったがその脅威はいまだに続いている」と批判した。
欧州議会も第二次世界大戦勃発80年にあたる2019年9月19日、「欧州の未来に向けた欧州の記憶の重要性に関する決議」を採択した。「第二次世界大戦を始めたのはナチス・ドイツとソ連であったにもかかわらず、そのソ連を『正義』の側に位置付けた『ニュルンベルク裁判』は間違いだとして事実上の戦勝国史観見直しを決議したのだ」と。
「ヴェノナ文書」の公開を契機に、米国の保守派の間に、第二次世界大戦の責任は、ルーズベルト民主党政権とその背後で日米戦争を仕掛けようとしていたコミンテルンにあるのではないか、との問題が浮上し、そして、今では、戦後秩序の根底にあった「戦勝国史観」が欧米を中心に見直されている。
しかし、日本では、このことが大々的に報道されないばかりか、「日本の軍国主義者が世界征服を目論み、大東亜戦争を引き起こした」とされる東京裁判史観を信じ込んでいる人々が、まだ多数存在する。
私は、この戦後矛盾を解消したく、昨年、私が主宰する「寺子屋『玉川未来塾』」において「欧米で広がる戦勝国史観の見直し」トークライブを開催したのだが、まだまだ力不足を感じて止まない。私自身は、引き続き大東亜戦争の真実をお伝えしたく、今回は「『大東亜戦争 失われた真実」トークライブ」を開催する。ご興味のある方は以下のURLに内容や申し込み方法など詳細を記載しているので、ぜひ、ご覧いただきたい。
https://tamagawa-miraijuku.com/event/050527.html
多くの人たちの、縛られた「東京裁判史観」からの脱却を、強く願うものである。また、このような悲劇を繰り返さないためにも、東京裁判史観から目覚め、そして、日本はインテリジェンスを充実、拡充させなければならないのであり、必要不可欠なのである。
この疑問を解決するため、前回のブログで「開戦の詔書」を紹介した。その詔書で、日本は支那を侵略する意図が無かったことが分かる。また、東アジアの平和を乱しているのは当の支那人であり、そして、米英との戦争は避けたかったが、「日本の自存と自衛」にやむなく立ち上がったことが読み取れる。
このように、開戦の詔書の内容において確認すべきことは、大東亜戦争が、我が国の生存に対する重大な脅威を除去し、アジア永遠の平和を確立することを目的にした自衛のための戦争であると宣言されていることである。そして、戦後において、天皇陛下は、この開戦の詔書で示された自衛のための戦争との宣言を一切撤回されていない。このことを深く心に刻むべきである。しかし、このことだけでは、「日本がなぜあの戦争に突入したのか」の疑問の解決には足りない。
評論家の江崎道朗氏は「コミンテルンや社会主義、共産主義といった問題を避けては、その全体像を理解するのは困難なのだ」と言う。
1995年、アメリカ政府が政府の機密文書「ヴェノナ文書」を、そして旧ソ連が「リッツキドニー文書」を公開したことで、今まで隠されていた歴史の真実が明らかになり、その結果、大東亜戦争の背景に、「ソ連コミンテルンによる謀略の側面もあった」ことが明らかになった。その後も、ソ連による秘密工作の実態を記したソ連の内部文書「ミトロヒン文書」や、旧ソ連コミンテルンが米国共産党を操り日米対立を煽り、その恐るべき反日プロパガンダ工作の全貌を報じた極秘文書である、日本外務省による「米国共産党調書」などが公になり、近現代史の真実を知ることができるようになった。つまり、あの戦争とは、自存自衛の戦争であったことと同時に、「ソ連コミンテルンによる謀略の側面もあった」こと、そして、ルーズベルト政権にいたコミンテルンによるスパイ工作員によって導かれた戦争であったのであると位置づけられるのである。
しかも、この共産主義の脅威は今もなお、現在進行形であるということを心しなければならない。
トランプ前大統領はロシア革命から100年にあたる2017年11月7日、この日を「共産主義犠牲者の国民的記念日と定め、旧ソ連や北朝鮮などを念頭に「共産主義によって1億人以上が犠牲になったがその脅威はいまだに続いている」と批判した。
欧州議会も第二次世界大戦勃発80年にあたる2019年9月19日、「欧州の未来に向けた欧州の記憶の重要性に関する決議」を採択した。「第二次世界大戦を始めたのはナチス・ドイツとソ連であったにもかかわらず、そのソ連を『正義』の側に位置付けた『ニュルンベルク裁判』は間違いだとして事実上の戦勝国史観見直しを決議したのだ」と。
「ヴェノナ文書」の公開を契機に、米国の保守派の間に、第二次世界大戦の責任は、ルーズベルト民主党政権とその背後で日米戦争を仕掛けようとしていたコミンテルンにあるのではないか、との問題が浮上し、そして、今では、戦後秩序の根底にあった「戦勝国史観」が欧米を中心に見直されている。
しかし、日本では、このことが大々的に報道されないばかりか、「日本の軍国主義者が世界征服を目論み、大東亜戦争を引き起こした」とされる東京裁判史観を信じ込んでいる人々が、まだ多数存在する。
私は、この戦後矛盾を解消したく、昨年、私が主宰する「寺子屋『玉川未来塾』」において「欧米で広がる戦勝国史観の見直し」トークライブを開催したのだが、まだまだ力不足を感じて止まない。私自身は、引き続き大東亜戦争の真実をお伝えしたく、今回は「『大東亜戦争 失われた真実」トークライブ」を開催する。ご興味のある方は以下のURLに内容や申し込み方法など詳細を記載しているので、ぜひ、ご覧いただきたい。
https://tamagawa-miraijuku.com/event/050527.html
多くの人たちの、縛られた「東京裁判史観」からの脱却を、強く願うものである。また、このような悲劇を繰り返さないためにも、東京裁判史観から目覚め、そして、日本はインテリジェンスを充実、拡充させなければならないのであり、必要不可欠なのである。
歴史戦に勝つために~米国訪問の経験から
2023.04.06
月刊正論5月号の「南京事件 周到な反転攻勢を」と題した阿羅健一氏(近現代史研究家)と西岡力氏(モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授)、そして江崎道朗氏(評論家)の鼎談は実に読みごたえがあった。
昨年の12月、阿羅氏の南京事件に関する活動に対し、産経新聞では「昭和12(1937)年12月の南京攻略戦に参加した元兵士らへの取材を通じ、当時の南京の実像に迫ってきた近現代史研究家の阿羅健一氏(78)が、旧日本軍の南京入城から85年に当たる13日、「南京事件はなかった 目覚めよ外務省!」(展転社)を発刊した。阿羅氏は、外務省がホームページ(HP)に掲載している「南京事件」に関する記述に根拠となる資料が同省に存在しないことを突き止め、「根拠がないならば、HPの記述を撤回すべきだ」と訴えている。85年前当時、中華民国の首都だった南京をめぐっては、旧日本軍が攻略、占領後の6週間で、市民ら30万人以上を虐殺したなどと中国は主張している。阿羅氏は当時の南京にいた高級将校や下士官、記者、画家、写真家ら300人以上への聞き取り調査や国内外の歴史資料の検証などを通じ、一般市民の虐殺はなかったと判断している。一方、外務省は「南京事件」についてHP上で「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています」と説明する。ただ、阿羅氏が昨年3月、外務省に「根拠となった資料」の公開を求めたところ、今年1月になって「該当文書を確認できなかったため、不開示(不存在)とした」との通知があった」と報道している。
江崎氏も月刊正論5月号で指摘しているが、外務省は根拠となる資料を持っていないことを明らかにしたことは、とても重要で、阿羅氏の最大の功績である。
ただ、歴史的事実を明らかにすることと、外交や国際政治のなかで、歴史認識問題が横たわっている土俵でどう勝つか、という議論は別であるとも話している。
私も本当にそうだと感じている。2014年に参加したリーダーシッププログラムで米国に行き、米国共和党系の有識者の話を聞いた際に、このままでは歴史戦に勝てないと痛感した。
その時の経験をもとに平成28(2016)年に「歴史戦に勝つために」との内容で論文を書いたことがある。7年前の論文ではあるが、私自身の手段方法は変わっても、思いは未だに変わらない。恥ずかしながら、以下の通り公開したい。ご笑覧いただけたら幸いである。
(以下)
2014年12月、「日本の将来を担う次世代リーダー達が米国大学主催の日米親善教育プログラムに参加し、現地有識者との意見交換することにより、『対話を通じた信頼関係』を築き、日米関係のさらなる発展を目指す」ことを目的とした「第8回ジョージタウン大学日米リーダーシッププログラム」に私は参加することができた。そのプログラムにはジョージタウン大学での日米関係論、国際関係論等の講義、議会見学及び議員、有識者との人材交流・意見交換、ヘリテージ財団訪問などが用意されていた。ブッシュ政権時代にホワイトハウス高官だったジョージタウン大学のマイケル・グリーン准教授、ビクター・チャ教授、ブラッドリー・ブレイクマン教授、さらにはカール・ローブ元次席補佐官、大統領政策・戦略担当上級顧問、そしてケビン・ドーク教授を講師に迎え、安全保障、朝鮮半島問題、米大統領選、そしてリーダーシップについての講義を受けた。
2014年11月27日の産経ニュースに慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏とその調査班と、産経新聞の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認されたと公開された。その「米国戦争情報局資料『心理作戦チーム報告書』によると、「慰安婦たちは将兵とスポーツやピクニックを楽しみ、当時としては高価な蓄音機を持ち、町に買い物に出ることができた。日本人兵士が結婚を申し込む例も多く、実際に結婚に至ったケースもあった。平均月収は兵士の数十倍に上り、彼女らは金を多く持っていた」という。また、その報告書には慰安婦のことを「sex slave」ではなく「comfort girl」と表記されおり、「慰安婦は売春婦(prostitute)であるに過ぎない」と結論付けている。当時、敵国であった米軍の公式文書が「慰安婦=性奴隷」を否定していたのだ。
私は、講師陣にこの内容を伝えるとともに慰安婦問題に対する見解を求めるため、以下の質問をした。
「戦争中、慰安婦『comfot girl』を連れてきたのは朝鮮人仲介業者であった。また、朝鮮人仲介業者による慰安所は存在し、そこでは『商行為』が確認されている。よって、『sex slave』ではなく、軍が強制的に女性を拉致し、連行した事実はないと考えるが、先生方のご意見を聞かせてください」と。すると、どの教授もこの報告書のことを理解していなかった。知日派で知られるマイケル・グリーン准教授は「マイケル・ヨンはブローカーでしょ?」と発言。さらに「目の前で実際に体験した泣いているお婆さんがいるじゃないの。この問題は今や人権問題となって論点が変わっている」と答えた。
また、2013年11月14日に慰安婦問題について「米国は日本に謝罪を促すべき」と論考する論文を東亜日報に発表した、ビクター・チャ教授は「あなたの言った内容を唱える者もいるが多数派ではない。歴史問題は歴史家に任せればよい」とし、「決して解決するものではない」と答えた。
ヘリテージ財団では「尖閣諸島をめぐる東アジアの安全保障」について有意義なディスカッションが繰り広げられたが、その中で、財団側は米国における韓国との人材交流が活発であるとの話に触れ、「何かあったとき、我々は韓国人が何を考えるかは分かるが、日本人がどう考えるかは分からない」と語った。日本人との人材交流も、日本からの寄付も極めて限定的だとし、日本人と米国人におけるコミュニケーションが公私共に不足していることが露骨に論じられた。さらに、米国では各大学における中国研究がすすんでおり、そこには中国より研究費として多額な寄付が投じられているとも語られた。
中韓の米国におけるロビー活動は増強の一途にある事実を感じ、また、米国知識人にさえ日本の立場が理解されていないと痛感。「今のままでは歴史戦に永遠に勝つことができない」ことを実感した。この経験を踏まえ、日本が世界において歴史戦に勝つために、何をしなければならないのか。未だに止まない歴史戦の現状認識と、これからの日本のあるべき姿、そして自分の見解を述べていきたい。
・世界に主戦場を移した「歴史戦」
2014年8月5日から2日間、朝日新聞はそれまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載し、過去の吉田清治氏の証言をめぐる記事を取り消した。そして、9月11日には謝罪会見を開いたが、慰安婦問題は世界に対して未だ反日の材料として取り上げられている。
日韓基本条約の発効から50周年となった2015年12月28日、安倍晋三首相の指示を受けた岸田文雄外相が訪韓し、尹炳世(ユンピョンセ)外相と会談し、いわゆる従軍慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的に解決される」との認識で合意した。この問題について国際社会で非難、批判することを相互に控えると確認し、併せて元慰安婦を支援する事業のため韓国政府が財団を設立し、日本政府が予算十億円を一括拠出することでも一致した。しかし、合意内容は玉虫色で「互譲」ではなく、日本側は肝心な点で譲歩したといわざるを得ない。それは安倍首相が表明したお詫びのなかで、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している」と「軍の関与」にわざわざ言及したことである。この「言葉」が海外で「あの安倍首相が軍の関与を認めた」との誤解を招き、海外に住む韓国人は日本人に対し、攻撃をますます強めている。
韓国の日本大使館前に設置された「慰安婦少女像」は未だに撤去されず、その慰安婦像は、米国のグレンデール市、デトロイト市、フラートン市ほか、オーストラリア、カナダで設置。さらにはドイツのフライブルク市に、欧州で初めてとなる「慰安婦少女像」の建立が予定されていたが、9月21日の産経新聞によると、フライブルグ市で計画していた慰安婦像の設置は、独側の拒否で実現不可能となったと発表したものの、その勢いはとどまるところを知らない。
また、慰安婦に関連する資料のユネスコ記憶遺産への登録を目指す韓国の民間団体は、日本や中国、オランダなど各国の市民団体と共同で、5月31日付で資料の登録申請をした。その申請は韓国に事務局を置く「国際連帯委員会」が中心となって進め、申請資料は計2744件に上り、音声記録を含む元慰安婦らの証言記録や写真、市民団体による調査資料などという。しかし、月刊正論2016年10月号に高橋史朗明星大学特別教授が寄稿した「やぱりヒドい世界記憶遺産の申請文書」によると、日本の「女たちの戦争と平和資料館」と「日本の戦争責任資料センター」が大きな役割を果たし、日本の資料が申請の中心になっていることを明らかにしている。
今回の申請は、慰安婦問題は今後蒸し返されることはないとした「日韓合意」の狙いが外れたことを意味する。むしろ、韓国一国のみならず、国際的な「対日包囲網」が築かれるほどに、慰安婦問題が悪化したと言える。
これに対し、日本政府は即座に反対しなければならないが、先の合意には、「両政府は、国連など国際社会でお互いに非難・批判することは控える」との内容が含まれているため、合意によって、日本は政府として反論する手足を自ら縛ったわけである。
南京事件についても間違った歴史認識が独り歩きをしている。昨年10月にユネスコ記憶遺産に中国の「南京大虐殺文書」が登録された問題で、中国が登録申請の際にユネスコに提出したのは、資料の一覧と、資料を保管する7カ所の公文書館名を記しただけの目録だったことがわかった。南京文書の目録に一覧として挙げられた資料は十数種類。「南京市民の羅瑾が死の危険を冒して保存した16枚の写真」や、「大虐殺」の様子を書き留めた唯一の中国人とされる程瑞芳の日記も含まれているという。これらの資料について中国側は一方的に「虐殺の証拠」と主張しているが、多くは日本人学者らの調査によって否定されており、中国側の資料のずさんさが改めて浮き彫りになったといえる。
世界において南京大虐殺の嘘が広く知らしめすその原動力となった故アイリス・チャン氏著『ザ・レイプ・オブ・南京』だが、その内容は嘘で塗り固められているとして1999年に発行された『「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究-中国における「情報戦」の手口と戦略』(藤岡信勝・東中野修道共著、祥伝社)より微塵に反論されている。
―初めて30万人虐殺が日本で主張されるようになったのは本多勝一著『中国の旅』(1972年)からである。しかし、注記として記されているにしか過ぎなかった。30万人虐殺説が大手を振るって歩き始めるのは、1982年に出た洞富雄(ほら・とみお)著『決定版南京大虐殺』からと言えよう。この頃になると、南京戦に参戦した将兵のほとんどが、社会の第一線を退いていた。それを待っていたかのように、南京虐殺を主張する声が強まっていったのである。しかし、ここまではまだ国内問題という側面が強かった。
ところが、1997年末に、アメリカで『ザ・レイプ・オブ・南京』が、そしてまた、南京安全地帯国際委員会委員長であったジョン・ラーベの日記が出版されるに及んで、事態は一変した。南京虐殺は国際問題へと発展したのである。『ザ・レイプ・オブ・南京』は南京事件を題材にしながら、その狙いとしているのは、実は日本の文化と歴史の全面否定で、チャンは著書の中で「明治新政府が全市民の道徳規範として、武士道という武士の倫理を採用した」ことが、やがて日本軍に残虐行為を行わせることになった―と論じている。
多くの嘘を事実として記したこの『ザ・レイプ・オブ・南京』は世界で大ベストセラーになり、この著書の内容を木端微塵に反論している書籍が多数発行されているにも関わらず、それを無視するかの如く、日本の嘘が世界に広まっているのが現状である。
そもそも、1946年に結成されたユネスコだが、その前身は、国際連盟国際教育局(事務局長は児童中心主義の心理学を主導したジャン・ピアジェ)であり、その活動は新教育者連盟のメンバーによって運営されていた。こうした経緯から、ユネスコは、フランス共産党所属の心理学者アンリ・ワロンらが中心となって結成された。所謂左翼組織である。
現ユネスコの事務局長で、次期国連事務総長として最有力視されているイリナ・ボコバ氏は共産主義国家ブルガリアの出身で、モスクワ国際関係大学を卒業後、ブルガリア議会の議員を経て2009年にユネスコ事務局長に選出された。ユネスコの記憶遺産に中国が申請した「南京大虐殺文書」を登録する最終決定を下し、また、2015年9月に北京で行われた抗日戦争勝利70年記念行事にも出席している。しかも、このたびの慰安婦に関連する資料のユネスコ記憶遺産への登録を目指す韓国の民間団体は、日本や中国、オランダなど各国の市民団体と共同で、資料の登録申請をしたこの問題に対し、現イリナ・ボコバユネスコ事務局長が、「複数の国、団体を交えて申請した方がいい」と中国に助言したと、国連で「慰安婦は性奴隷ではない」と訴えた杉田水脈元衆議院議員が講演会などで明らかにしている。こうして、中国、韓国が主導する「歴史戦」は欧米諸国、ユネスコなど世界を巻き込み、日本を貶める戦略を着々と遂行しているのである。
・いわゆる「従軍慰安婦問題」
「従軍慰安婦」という言葉が本格的に使われ始めたのは、1973年に発行された、元毎日新聞記者で作家の千田夏光氏による『従軍慰安婦』という本からである。
従軍慰安婦という虚構をさらにおどろおどろしく惨状に描いた本が1983年に吉田清治という自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長が「私は奴隷狩りを行った」と書いた『私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行』である。この「職業的話術師」の話を大いに持ち上げたのが朝日新聞で、韓国政府も国連人権委員会も吉田証言を引用して報告書を作り、日本非難の根拠とした。事実上、朝日新聞が吉田証言に信憑性と権威を与えたのだ。さらに、1991年8月11日付けの朝日新聞(大阪本社版)に「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していたことが分かり、『韓国挺身隊問題対策協議会』(中略)が聞き取り作業を始めた」という記事が掲載された。筆者は植村隆記者(当時)である。この記事が大きなきっかけとなり、91年秋ごろから92年にかけて、朝日新聞を中心に国内メディアは集中的に慰安婦問題報道を展開し、各社そろっての一大キャンペーンとなった。
これに対し、戦前戦中の事情を知っている人たちが、朝日新聞が宣伝する吉田清治的な「慰安婦強制連行」は事実無根であり、戦後生まれの人たちは騙されているのだ-と強い違和感を持って、元日本軍人、慰安婦たちの性病検査をした軍医の家族らなど、慣れない原稿を書いて、雑誌「正論」編集部に持ち込んできたほか、故中村粲獨協大学名誉教授が主宰するシンクタンク「昭和史研究所」が「昭和史研究所会報」にその内容を掲載し、そして、その一部を月刊正論2014年12月号に掲載した。いずれも慰安婦の強制連行はなかったとするものである。しかし、この事実は世界どころか日本国内にこの情報が浸透するまでには至っていない。
・「南京大虐殺」の嘘
「国民党極秘文書」である『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』が戦後、発掘された。その特徴は①同時代の記録②個人的な回想とか日記などとは違って中国国民党中央宣伝部の公式記録③外部には見せてはならない一部の関係者だけが知り得た最高機密である。
この極秘文書とは別に「宣伝工作概要」という小冊子の中に次の言葉が出てくる。
「宣伝戦で敵を包囲して、最後に勝利を勝ち取る」
これが、中央宣伝部が目指した課題であり、その実現のため中央宣伝部は全力投入していった。その内容は「撮影した宣伝用写真を常に送って、国内外の大新聞、雑誌、グラビア版に採用されただけでも、600社余りある。宣伝用映画は、記録映画7部が製作されすでにアメリカへ送り上映された」と記載されている部分があるが、米国雑誌「LIFE」の表紙を飾った赤ちゃんの写真や、「ニューヨークタイムズ」などの米新聞の反日報道は、そういった国民党による「宣伝戦」の結果である。また、写真などはトリミングなどの技術を要し、巧妙に反日を煽る写真として使用されている。米国の南京大虐殺キャンペーンには、ゾルゲなどソ連コミンテルンスパイたちが関与してる可能性があるとも言われている。
所謂「南京虐殺」は日本軍の南京占領直後に開始されたと、戦後になってにわかに宣伝され、日本人が「南京虐殺」なるものについて聞かされたのは、東京裁判と、同時期に併行して、GHQの要請にしたがって作られ、家庭のお茶の間に流したNHK番組「真相はこうだ」を通じてであった。
その後、1971年8月から12月まで朝日新聞による本多勝一記者による「中国の旅」が連載。反日プロパガンダのたるもので、南京大虐殺の嘘を、日本のみならず世界に誤った情報を発信した。しかし、慰安婦問題については一昨年、謝罪と記事削除をしたが、この南京大虐殺の誤報は未だに謝罪、取り消しはされていない。
誤った歴史の流布に拍車がかかることとなった『ザ・レイプ・オブ・南京』だが、その後、藤岡信勝氏、東中野修道氏をはじめ、秦郁彦氏、阿羅健一氏、水間政憲氏など知識人たちが南京虐殺について論破している。しかし、こういった情報も世界には届かず、2015年には南京大虐殺が世界遺産に登録され、反日色は世界の一般常識でもあるのかと思わせる状況である。
・中国、韓国の横暴
かつて韓国との間で、「日韓歴史共同研究」というものがあった。2010年3月に報告書が出されたが、〝政治的に「正しい歴史」〟を掲げる韓国側と〝客観性を担保〟しようとする日本側の認識の隔たりがはっきりと出ていた。日韓両国が「日本=加害者・韓国=被害者」という歴史認識を固定化し、日本側が摩擦回避のためにそれを続ければ、共同研究をいくら続けても「事実」に基づく歴史の共通認識の形成には到らない。
日本にとって韓国は東アジアの安全保障上、北朝鮮、そして中国と対峙していくためにも、日米対中韓という関係ではなく、日米韓対中国という関係に引き戻さなければならない。しかし、その現実を無視するかのごとく韓国は反日活動を繰り返す。韓国出身の呉善花拓殖大学教授は評論家の西尾幹二氏との対談で「韓国人には自己相対比がなかなかできません。とても自己中心的で、・・・他者に照らして自分を省みることがないのです。比較ということでも、関心はもっぱら『どちらが上か下か』になります」と話し、そして、月刊正論2016年3月号の加藤達也産経新聞前ソウル支局長との対談で日韓合意に触れ、「たとえ、韓国政府が再び慰安婦問題で反日を持ち出せば、世界から非難されるからできないであろうと思ったとしても、そんなことを気にする韓国では口約束ですからね」と述べている。韓国が歴史に史実に向き合わない限り、韓国の日本批判は止むことは無いし、韓国との歴史認識に関する合致点は今のままでは見出せないであろう。
一方、中国はどうか。『Chaina2049』の著者でハドソン研究所中国センター所長、国防総省顧問のマイケル・ピルズベリー氏が本書の冒頭で、「米国は中国の国家戦略の根底にある意図を見抜くことができず、騙され続けてきた」と告白する。これほど中国に精通し、中国要人と交流のあったマイケル・ピルズベリー氏でさえ中国に欺かれ続け、それを知らずに歴代米国政権が対中政策をピルズベリー氏の助言や勧告に基づいて進めてきた事実を知って愕然とする。そして、内向きになった米国に対し、中国のその「勢」を見あまることなく、共産党創設100年の節目を5年後に控え、確実に対峙し続けてくるであろうと考える。
2013年9月、シリアへの軍事介入を否定した演説で「アメリカは世界の警察ではない」と宣言してから、ロシアはクリミア半島を奪い、中国は南シナ海での南沙諸島にある暗唱の埋め立てをはじめ、侵略的行動が加速した。また、ISを始めとするテロリストたちは世界各国でテロを繰り返し、勢いを増している。そして、今年に入り中国の漁船と公船が連日のように尖閣諸島周辺に押し寄せ、日本への挑発を繰り返している。ここ数年南シナ海への外洋拡張を続けてきた中国が、再び東シナ海にシフトし始めたことを強く印象づける。こうした背景を考えると、世界に対して米国が負ってきた責任の放棄は、米国に対する失望や侮蔑につながっている。
「勢」を得た中国は、日米ならびに韓国も含めた米国友好国の分断を確実に図っていくことであろう。そのため、「慰安婦問題」など歴史戦は日本を貶め、米国や韓国との分断を図る有効な手段であり、これからも歴史戦の勢いはますます増していくであろう。
・真の敵は反日日本人
戦後70年の8月14日、安倍晋三首相は「内閣総理大臣談話」を発表した。その中で、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。その談話は眼前の歴史戦に大きくプラスに働く記述になっているが、歴史戦の元祖で戦勝国により敗戦国を裁いた国際法違反の復讐劇であった東京裁判史観の払拭という点では不十分であったと感じる。歴史戦は中国や韓国ばかりを相手にするものではない。欧米諸国、ユネスコ、そして、最たる敵は日本の独立回復に反対した共産党や社会党の残党と彼らに同調する左翼及び進歩的文化人と言われる系統の日本人である。占領期に連合国軍総司令部(GHQ)が実施した「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」(WGIP)は、今も形を変えて教育現場に生き続けている現状を認識しなければならない。
大東亜戦争後、アメリカ国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とした秘密通信をアメリカ軍事情報部が秘密裡に傍受解読した記録の「ヴェノナ文書」や「ミトロヒン文書」、米軍がビルマ(ミャンマー)・ミートキーナ(同ミチナ)で捕らえた朝鮮人慰安婦20人から尋問した「米国戦争情報戦資料『心理戦チーム報告書』」など、戦争時における公文書が発掘され、ラストボロフ事件、レフチェンコ事件などコミンテルンのスパイ行為なども含め、歴史の真実が次々と暴かれている。しかし、正しい情報が浸透せず、事実を捻じ曲げられた歴史が流布され続けている。
世界は中国、韓国などの反日勢力に真実を捻じ曲げられた歴史の流布により、日本の国際社会に対する発信不足により、日本は貶められている現状が克服できていない。日本人も正しい歴史を認識しておらず、中国の「南京大虐殺」に対する反論、韓国の「従軍慰安婦問題」に対する反論ができない日本人も少なくないのである。
歴史認識問題において、韓国や中国、さらにはアメリカや欧州で、「日本は歴史問題を解決していない、戦争の歴史を清算していない」という主張があるが、それは1970年代には、もう過去の問題となっていて、外交問題にはならなかった。いったんは過去となったこの問題を1980年代に復活した発端は、すべて日本人の手による、日本発のものであった。歴史教科書問題、首相の靖国神社参拝問題、従軍慰安婦問題。どれも1980年代以降に問題化し、日本の中から生まれたメイド・イン・ジャパンの問題なのである。中国や韓国にとっては有難いテーマなので、そのカードを使うことになる。また、ユネスコ記憶遺産に慰安婦問題の申請登録を主導しているのは明星大学の高橋史朗教授によれば、日本のNPO法人「女たちの戦争と平和人権基金」や「日本の戦争責任資料センター」であるというのは先述した通りであるが、このように、左翼リベラリズムの人々が、歴史認識問題を再生産しているのである。
左翼リベラリズムが浸透している反日左翼の市民団体、NHK、TBS、テレビ朝日、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、共同新聞や地方新聞など反日マスコミ、教育界、さらには歴史学会、司法界なども反日行動、情報を流布している。反日マスコミは事実をすり替えた報道を繰り返し、読者や視聴者はそれを知らぬ間に信じてしまうような情報操作が行われる。教育機関は事実と反した歴史教育を行ない、先生の反日思想に伴う教育指導に歯止めがかからない。また、左翼が未だに根強く社会に反日運動を繰り返す蔓延った状況にあるのが現状である。このように、日本を貶めているのは日本人自身なのである。
・歴史戦に勝つために―日本人の国家観、歴史観を持った人材の育成が不可欠
『韓国には言うべきことはキッチリ言おう!-いわれなき対日批判「サクサク反論ガイド』(上島嘉郎著・ワニブックスPLUS新書」は以下のように論じている。
―(歴史戦が)国際社会でいまも続いていることは、紛争や戦争状態の停止や終結にともなう「和解」や「示談」の条件を少しでも自国に有利となるような情報戦、宣伝戦です。そして、「現実に存在し得る平和」とは、各国が砲弾やミサイルをもって相手の街々を破壊したり人命を傷つけたりすることなく、情報や宣伝によって相手を自らの制御下に置く「洗脳戦」を継続している状態のことです。(中略)日本が現在の国際秩序を尊重する立場から「洗脳戦」を戦うとすれば、最低限の事実は記憶しておく必要があります。(中略)日本人は、情報戦、宣伝戦の渦中にあることを自覚し、攻勢に転じていかねばなりません。そのため、自らの物の考え方、思想の根本を疑ってみることが必要です。私たちが70年過ごしてきた「戦後」という時間を支配した情報、言論空間はいかなるものだったのか。そこで私たちの思想は無意識、無自覚にある方向、ある価値観に規定されてきたのではないのか。-
戦後、我々はGHQの占領政策により、「閉ざされた言論空間」の中で、間違った「歴史」を洗脳され続けてきた。洗脳戦に敗れ続けてきたのである。しかも、敗れ続けている自覚さえも持たずに。
「最低限の事実を記憶しておく必要がある」-この最低限の事実を記憶していくために、そして、日本を貶める国際社会、反日日本人に対峙するために、何が必要であろうか。
正しい歴史を学び、自らの物の考え方、思想の根本をリセットすること、父祖の歴史に対して東京裁判史観から解き放たれた視点と思考を持つ正当な認識が必要である。そして、学んだ正しい歴史の真実、知識を自己満足で終わらせることなく、SNSなどあらゆる手段を駆使して自らが発信者となり、同じ思いの仲間を増やし、その輪を広めていくこと。間違った情報には正しい情報を提示し、また、国や教育機関だけに委ねるのではなく、自らが家族、友人、知人、そして多くの日本人、また国際社会に、正しい歴史を「冷静に理性を持って、客観的な視点で伝え続けていくこと」である。
正しい国家観、歴史観を持つ人材を育成する「教育」改革も不可欠である。日本という国の素晴らしさを認識し、先人から受け継がれた文化・伝統を継承し、その先人の思い、精神を確立して、世界に、反日日本人や左翼リベラリズムに対峙できる知識と心を持った「継承者」を育てていくこと。
神道、武士道の精神をもっている日本が世界の赤化を防ぐ最後の砦であるとカナダ、イギリスに住む知人が言う。「武士道」の考え方、「教育勅語」の教えは、われわれ日本人にとって先人から引き継ぐべき、そして大震災に見舞われても盗人一人も出ない日本人の精神の根底を築き上げている考え方である。
歴史の真実はひとつである。繰り返すが、歴史の事実を正確に学び、東京裁判史観から目覚め、真っ当な教育を推進し、真っ当な人材を育成して、反日日本人、左翼リベラリズム、そして国際社会と対峙していくため、冷静に理性を持って伝え続けていくことを疎かにしてはならない。日本を変えることができるのは日本人だけなのである。
参考文献
・大東亜戦争への道 中村粲著(展転社)
・新脱亜論 渡辺利夫著(文春新書)
・国家覚醒 渡辺利夫著(海竜社)
・日本人が気付かない世界一素晴らしい国・日本 ケビン・M・ドーク著(WAC)
・中国・韓国との新・歴史戦に勝つ! ケント・ギルバート、室谷克美、石平著(悟空出版)
・Chaina2014 マイケル・ピルズベリー著(日経BP社)
・『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究 藤岡信勝、東中野修道著(祥伝社)
・日本の敵 よみがえる民族主義に備えよ 宮家邦彦著(文春新書)
・日本の敵 桜井よしこ著(新潮社)
・韓国には言うべきことをキッチリ言おう! 上島嘉郎著(ワニブックス)
・月刊正論2014年12月号
・月刊正論2015年5月号、10月号
・月刊正論2016年3月号、8月号、9月号、10月号
・別冊正論8号「日中歴史の真実」
・別冊正論10号「東京裁判の呪縛を断つ」
・別冊正論15号「中国共産党 野望と謀略の90年」
・正論2014年12月特別増刊号「朝日新聞と慰安婦・歴史捏造の罪」
昨年の12月、阿羅氏の南京事件に関する活動に対し、産経新聞では「昭和12(1937)年12月の南京攻略戦に参加した元兵士らへの取材を通じ、当時の南京の実像に迫ってきた近現代史研究家の阿羅健一氏(78)が、旧日本軍の南京入城から85年に当たる13日、「南京事件はなかった 目覚めよ外務省!」(展転社)を発刊した。阿羅氏は、外務省がホームページ(HP)に掲載している「南京事件」に関する記述に根拠となる資料が同省に存在しないことを突き止め、「根拠がないならば、HPの記述を撤回すべきだ」と訴えている。85年前当時、中華民国の首都だった南京をめぐっては、旧日本軍が攻略、占領後の6週間で、市民ら30万人以上を虐殺したなどと中国は主張している。阿羅氏は当時の南京にいた高級将校や下士官、記者、画家、写真家ら300人以上への聞き取り調査や国内外の歴史資料の検証などを通じ、一般市民の虐殺はなかったと判断している。一方、外務省は「南京事件」についてHP上で「日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています」と説明する。ただ、阿羅氏が昨年3月、外務省に「根拠となった資料」の公開を求めたところ、今年1月になって「該当文書を確認できなかったため、不開示(不存在)とした」との通知があった」と報道している。
江崎氏も月刊正論5月号で指摘しているが、外務省は根拠となる資料を持っていないことを明らかにしたことは、とても重要で、阿羅氏の最大の功績である。
ただ、歴史的事実を明らかにすることと、外交や国際政治のなかで、歴史認識問題が横たわっている土俵でどう勝つか、という議論は別であるとも話している。
私も本当にそうだと感じている。2014年に参加したリーダーシッププログラムで米国に行き、米国共和党系の有識者の話を聞いた際に、このままでは歴史戦に勝てないと痛感した。
その時の経験をもとに平成28(2016)年に「歴史戦に勝つために」との内容で論文を書いたことがある。7年前の論文ではあるが、私自身の手段方法は変わっても、思いは未だに変わらない。恥ずかしながら、以下の通り公開したい。ご笑覧いただけたら幸いである。
(以下)
2014年12月、「日本の将来を担う次世代リーダー達が米国大学主催の日米親善教育プログラムに参加し、現地有識者との意見交換することにより、『対話を通じた信頼関係』を築き、日米関係のさらなる発展を目指す」ことを目的とした「第8回ジョージタウン大学日米リーダーシッププログラム」に私は参加することができた。そのプログラムにはジョージタウン大学での日米関係論、国際関係論等の講義、議会見学及び議員、有識者との人材交流・意見交換、ヘリテージ財団訪問などが用意されていた。ブッシュ政権時代にホワイトハウス高官だったジョージタウン大学のマイケル・グリーン准教授、ビクター・チャ教授、ブラッドリー・ブレイクマン教授、さらにはカール・ローブ元次席補佐官、大統領政策・戦略担当上級顧問、そしてケビン・ドーク教授を講師に迎え、安全保障、朝鮮半島問題、米大統領選、そしてリーダーシップについての講義を受けた。
2014年11月27日の産経ニュースに慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏とその調査班と、産経新聞の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認されたと公開された。その「米国戦争情報局資料『心理作戦チーム報告書』によると、「慰安婦たちは将兵とスポーツやピクニックを楽しみ、当時としては高価な蓄音機を持ち、町に買い物に出ることができた。日本人兵士が結婚を申し込む例も多く、実際に結婚に至ったケースもあった。平均月収は兵士の数十倍に上り、彼女らは金を多く持っていた」という。また、その報告書には慰安婦のことを「sex slave」ではなく「comfort girl」と表記されおり、「慰安婦は売春婦(prostitute)であるに過ぎない」と結論付けている。当時、敵国であった米軍の公式文書が「慰安婦=性奴隷」を否定していたのだ。
私は、講師陣にこの内容を伝えるとともに慰安婦問題に対する見解を求めるため、以下の質問をした。
「戦争中、慰安婦『comfot girl』を連れてきたのは朝鮮人仲介業者であった。また、朝鮮人仲介業者による慰安所は存在し、そこでは『商行為』が確認されている。よって、『sex slave』ではなく、軍が強制的に女性を拉致し、連行した事実はないと考えるが、先生方のご意見を聞かせてください」と。すると、どの教授もこの報告書のことを理解していなかった。知日派で知られるマイケル・グリーン准教授は「マイケル・ヨンはブローカーでしょ?」と発言。さらに「目の前で実際に体験した泣いているお婆さんがいるじゃないの。この問題は今や人権問題となって論点が変わっている」と答えた。
また、2013年11月14日に慰安婦問題について「米国は日本に謝罪を促すべき」と論考する論文を東亜日報に発表した、ビクター・チャ教授は「あなたの言った内容を唱える者もいるが多数派ではない。歴史問題は歴史家に任せればよい」とし、「決して解決するものではない」と答えた。
ヘリテージ財団では「尖閣諸島をめぐる東アジアの安全保障」について有意義なディスカッションが繰り広げられたが、その中で、財団側は米国における韓国との人材交流が活発であるとの話に触れ、「何かあったとき、我々は韓国人が何を考えるかは分かるが、日本人がどう考えるかは分からない」と語った。日本人との人材交流も、日本からの寄付も極めて限定的だとし、日本人と米国人におけるコミュニケーションが公私共に不足していることが露骨に論じられた。さらに、米国では各大学における中国研究がすすんでおり、そこには中国より研究費として多額な寄付が投じられているとも語られた。
中韓の米国におけるロビー活動は増強の一途にある事実を感じ、また、米国知識人にさえ日本の立場が理解されていないと痛感。「今のままでは歴史戦に永遠に勝つことができない」ことを実感した。この経験を踏まえ、日本が世界において歴史戦に勝つために、何をしなければならないのか。未だに止まない歴史戦の現状認識と、これからの日本のあるべき姿、そして自分の見解を述べていきたい。
・世界に主戦場を移した「歴史戦」
2014年8月5日から2日間、朝日新聞はそれまでの慰安婦報道についての特集記事を掲載し、過去の吉田清治氏の証言をめぐる記事を取り消した。そして、9月11日には謝罪会見を開いたが、慰安婦問題は世界に対して未だ反日の材料として取り上げられている。
日韓基本条約の発効から50周年となった2015年12月28日、安倍晋三首相の指示を受けた岸田文雄外相が訪韓し、尹炳世(ユンピョンセ)外相と会談し、いわゆる従軍慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的に解決される」との認識で合意した。この問題について国際社会で非難、批判することを相互に控えると確認し、併せて元慰安婦を支援する事業のため韓国政府が財団を設立し、日本政府が予算十億円を一括拠出することでも一致した。しかし、合意内容は玉虫色で「互譲」ではなく、日本側は肝心な点で譲歩したといわざるを得ない。それは安倍首相が表明したお詫びのなかで、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、かかる観点から、日本政府は責任を痛感している」と「軍の関与」にわざわざ言及したことである。この「言葉」が海外で「あの安倍首相が軍の関与を認めた」との誤解を招き、海外に住む韓国人は日本人に対し、攻撃をますます強めている。
韓国の日本大使館前に設置された「慰安婦少女像」は未だに撤去されず、その慰安婦像は、米国のグレンデール市、デトロイト市、フラートン市ほか、オーストラリア、カナダで設置。さらにはドイツのフライブルク市に、欧州で初めてとなる「慰安婦少女像」の建立が予定されていたが、9月21日の産経新聞によると、フライブルグ市で計画していた慰安婦像の設置は、独側の拒否で実現不可能となったと発表したものの、その勢いはとどまるところを知らない。
また、慰安婦に関連する資料のユネスコ記憶遺産への登録を目指す韓国の民間団体は、日本や中国、オランダなど各国の市民団体と共同で、5月31日付で資料の登録申請をした。その申請は韓国に事務局を置く「国際連帯委員会」が中心となって進め、申請資料は計2744件に上り、音声記録を含む元慰安婦らの証言記録や写真、市民団体による調査資料などという。しかし、月刊正論2016年10月号に高橋史朗明星大学特別教授が寄稿した「やぱりヒドい世界記憶遺産の申請文書」によると、日本の「女たちの戦争と平和資料館」と「日本の戦争責任資料センター」が大きな役割を果たし、日本の資料が申請の中心になっていることを明らかにしている。
今回の申請は、慰安婦問題は今後蒸し返されることはないとした「日韓合意」の狙いが外れたことを意味する。むしろ、韓国一国のみならず、国際的な「対日包囲網」が築かれるほどに、慰安婦問題が悪化したと言える。
これに対し、日本政府は即座に反対しなければならないが、先の合意には、「両政府は、国連など国際社会でお互いに非難・批判することは控える」との内容が含まれているため、合意によって、日本は政府として反論する手足を自ら縛ったわけである。
南京事件についても間違った歴史認識が独り歩きをしている。昨年10月にユネスコ記憶遺産に中国の「南京大虐殺文書」が登録された問題で、中国が登録申請の際にユネスコに提出したのは、資料の一覧と、資料を保管する7カ所の公文書館名を記しただけの目録だったことがわかった。南京文書の目録に一覧として挙げられた資料は十数種類。「南京市民の羅瑾が死の危険を冒して保存した16枚の写真」や、「大虐殺」の様子を書き留めた唯一の中国人とされる程瑞芳の日記も含まれているという。これらの資料について中国側は一方的に「虐殺の証拠」と主張しているが、多くは日本人学者らの調査によって否定されており、中国側の資料のずさんさが改めて浮き彫りになったといえる。
世界において南京大虐殺の嘘が広く知らしめすその原動力となった故アイリス・チャン氏著『ザ・レイプ・オブ・南京』だが、その内容は嘘で塗り固められているとして1999年に発行された『「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究-中国における「情報戦」の手口と戦略』(藤岡信勝・東中野修道共著、祥伝社)より微塵に反論されている。
―初めて30万人虐殺が日本で主張されるようになったのは本多勝一著『中国の旅』(1972年)からである。しかし、注記として記されているにしか過ぎなかった。30万人虐殺説が大手を振るって歩き始めるのは、1982年に出た洞富雄(ほら・とみお)著『決定版南京大虐殺』からと言えよう。この頃になると、南京戦に参戦した将兵のほとんどが、社会の第一線を退いていた。それを待っていたかのように、南京虐殺を主張する声が強まっていったのである。しかし、ここまではまだ国内問題という側面が強かった。
ところが、1997年末に、アメリカで『ザ・レイプ・オブ・南京』が、そしてまた、南京安全地帯国際委員会委員長であったジョン・ラーベの日記が出版されるに及んで、事態は一変した。南京虐殺は国際問題へと発展したのである。『ザ・レイプ・オブ・南京』は南京事件を題材にしながら、その狙いとしているのは、実は日本の文化と歴史の全面否定で、チャンは著書の中で「明治新政府が全市民の道徳規範として、武士道という武士の倫理を採用した」ことが、やがて日本軍に残虐行為を行わせることになった―と論じている。
多くの嘘を事実として記したこの『ザ・レイプ・オブ・南京』は世界で大ベストセラーになり、この著書の内容を木端微塵に反論している書籍が多数発行されているにも関わらず、それを無視するかの如く、日本の嘘が世界に広まっているのが現状である。
そもそも、1946年に結成されたユネスコだが、その前身は、国際連盟国際教育局(事務局長は児童中心主義の心理学を主導したジャン・ピアジェ)であり、その活動は新教育者連盟のメンバーによって運営されていた。こうした経緯から、ユネスコは、フランス共産党所属の心理学者アンリ・ワロンらが中心となって結成された。所謂左翼組織である。
現ユネスコの事務局長で、次期国連事務総長として最有力視されているイリナ・ボコバ氏は共産主義国家ブルガリアの出身で、モスクワ国際関係大学を卒業後、ブルガリア議会の議員を経て2009年にユネスコ事務局長に選出された。ユネスコの記憶遺産に中国が申請した「南京大虐殺文書」を登録する最終決定を下し、また、2015年9月に北京で行われた抗日戦争勝利70年記念行事にも出席している。しかも、このたびの慰安婦に関連する資料のユネスコ記憶遺産への登録を目指す韓国の民間団体は、日本や中国、オランダなど各国の市民団体と共同で、資料の登録申請をしたこの問題に対し、現イリナ・ボコバユネスコ事務局長が、「複数の国、団体を交えて申請した方がいい」と中国に助言したと、国連で「慰安婦は性奴隷ではない」と訴えた杉田水脈元衆議院議員が講演会などで明らかにしている。こうして、中国、韓国が主導する「歴史戦」は欧米諸国、ユネスコなど世界を巻き込み、日本を貶める戦略を着々と遂行しているのである。
・いわゆる「従軍慰安婦問題」
「従軍慰安婦」という言葉が本格的に使われ始めたのは、1973年に発行された、元毎日新聞記者で作家の千田夏光氏による『従軍慰安婦』という本からである。
従軍慰安婦という虚構をさらにおどろおどろしく惨状に描いた本が1983年に吉田清治という自称・元山口県労務報国会下関支部動員部長が「私は奴隷狩りを行った」と書いた『私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行』である。この「職業的話術師」の話を大いに持ち上げたのが朝日新聞で、韓国政府も国連人権委員会も吉田証言を引用して報告書を作り、日本非難の根拠とした。事実上、朝日新聞が吉田証言に信憑性と権威を与えたのだ。さらに、1991年8月11日付けの朝日新聞(大阪本社版)に「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していたことが分かり、『韓国挺身隊問題対策協議会』(中略)が聞き取り作業を始めた」という記事が掲載された。筆者は植村隆記者(当時)である。この記事が大きなきっかけとなり、91年秋ごろから92年にかけて、朝日新聞を中心に国内メディアは集中的に慰安婦問題報道を展開し、各社そろっての一大キャンペーンとなった。
これに対し、戦前戦中の事情を知っている人たちが、朝日新聞が宣伝する吉田清治的な「慰安婦強制連行」は事実無根であり、戦後生まれの人たちは騙されているのだ-と強い違和感を持って、元日本軍人、慰安婦たちの性病検査をした軍医の家族らなど、慣れない原稿を書いて、雑誌「正論」編集部に持ち込んできたほか、故中村粲獨協大学名誉教授が主宰するシンクタンク「昭和史研究所」が「昭和史研究所会報」にその内容を掲載し、そして、その一部を月刊正論2014年12月号に掲載した。いずれも慰安婦の強制連行はなかったとするものである。しかし、この事実は世界どころか日本国内にこの情報が浸透するまでには至っていない。
・「南京大虐殺」の嘘
「国民党極秘文書」である『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』が戦後、発掘された。その特徴は①同時代の記録②個人的な回想とか日記などとは違って中国国民党中央宣伝部の公式記録③外部には見せてはならない一部の関係者だけが知り得た最高機密である。
この極秘文書とは別に「宣伝工作概要」という小冊子の中に次の言葉が出てくる。
「宣伝戦で敵を包囲して、最後に勝利を勝ち取る」
これが、中央宣伝部が目指した課題であり、その実現のため中央宣伝部は全力投入していった。その内容は「撮影した宣伝用写真を常に送って、国内外の大新聞、雑誌、グラビア版に採用されただけでも、600社余りある。宣伝用映画は、記録映画7部が製作されすでにアメリカへ送り上映された」と記載されている部分があるが、米国雑誌「LIFE」の表紙を飾った赤ちゃんの写真や、「ニューヨークタイムズ」などの米新聞の反日報道は、そういった国民党による「宣伝戦」の結果である。また、写真などはトリミングなどの技術を要し、巧妙に反日を煽る写真として使用されている。米国の南京大虐殺キャンペーンには、ゾルゲなどソ連コミンテルンスパイたちが関与してる可能性があるとも言われている。
所謂「南京虐殺」は日本軍の南京占領直後に開始されたと、戦後になってにわかに宣伝され、日本人が「南京虐殺」なるものについて聞かされたのは、東京裁判と、同時期に併行して、GHQの要請にしたがって作られ、家庭のお茶の間に流したNHK番組「真相はこうだ」を通じてであった。
その後、1971年8月から12月まで朝日新聞による本多勝一記者による「中国の旅」が連載。反日プロパガンダのたるもので、南京大虐殺の嘘を、日本のみならず世界に誤った情報を発信した。しかし、慰安婦問題については一昨年、謝罪と記事削除をしたが、この南京大虐殺の誤報は未だに謝罪、取り消しはされていない。
誤った歴史の流布に拍車がかかることとなった『ザ・レイプ・オブ・南京』だが、その後、藤岡信勝氏、東中野修道氏をはじめ、秦郁彦氏、阿羅健一氏、水間政憲氏など知識人たちが南京虐殺について論破している。しかし、こういった情報も世界には届かず、2015年には南京大虐殺が世界遺産に登録され、反日色は世界の一般常識でもあるのかと思わせる状況である。
・中国、韓国の横暴
かつて韓国との間で、「日韓歴史共同研究」というものがあった。2010年3月に報告書が出されたが、〝政治的に「正しい歴史」〟を掲げる韓国側と〝客観性を担保〟しようとする日本側の認識の隔たりがはっきりと出ていた。日韓両国が「日本=加害者・韓国=被害者」という歴史認識を固定化し、日本側が摩擦回避のためにそれを続ければ、共同研究をいくら続けても「事実」に基づく歴史の共通認識の形成には到らない。
日本にとって韓国は東アジアの安全保障上、北朝鮮、そして中国と対峙していくためにも、日米対中韓という関係ではなく、日米韓対中国という関係に引き戻さなければならない。しかし、その現実を無視するかのごとく韓国は反日活動を繰り返す。韓国出身の呉善花拓殖大学教授は評論家の西尾幹二氏との対談で「韓国人には自己相対比がなかなかできません。とても自己中心的で、・・・他者に照らして自分を省みることがないのです。比較ということでも、関心はもっぱら『どちらが上か下か』になります」と話し、そして、月刊正論2016年3月号の加藤達也産経新聞前ソウル支局長との対談で日韓合意に触れ、「たとえ、韓国政府が再び慰安婦問題で反日を持ち出せば、世界から非難されるからできないであろうと思ったとしても、そんなことを気にする韓国では口約束ですからね」と述べている。韓国が歴史に史実に向き合わない限り、韓国の日本批判は止むことは無いし、韓国との歴史認識に関する合致点は今のままでは見出せないであろう。
一方、中国はどうか。『Chaina2049』の著者でハドソン研究所中国センター所長、国防総省顧問のマイケル・ピルズベリー氏が本書の冒頭で、「米国は中国の国家戦略の根底にある意図を見抜くことができず、騙され続けてきた」と告白する。これほど中国に精通し、中国要人と交流のあったマイケル・ピルズベリー氏でさえ中国に欺かれ続け、それを知らずに歴代米国政権が対中政策をピルズベリー氏の助言や勧告に基づいて進めてきた事実を知って愕然とする。そして、内向きになった米国に対し、中国のその「勢」を見あまることなく、共産党創設100年の節目を5年後に控え、確実に対峙し続けてくるであろうと考える。
2013年9月、シリアへの軍事介入を否定した演説で「アメリカは世界の警察ではない」と宣言してから、ロシアはクリミア半島を奪い、中国は南シナ海での南沙諸島にある暗唱の埋め立てをはじめ、侵略的行動が加速した。また、ISを始めとするテロリストたちは世界各国でテロを繰り返し、勢いを増している。そして、今年に入り中国の漁船と公船が連日のように尖閣諸島周辺に押し寄せ、日本への挑発を繰り返している。ここ数年南シナ海への外洋拡張を続けてきた中国が、再び東シナ海にシフトし始めたことを強く印象づける。こうした背景を考えると、世界に対して米国が負ってきた責任の放棄は、米国に対する失望や侮蔑につながっている。
「勢」を得た中国は、日米ならびに韓国も含めた米国友好国の分断を確実に図っていくことであろう。そのため、「慰安婦問題」など歴史戦は日本を貶め、米国や韓国との分断を図る有効な手段であり、これからも歴史戦の勢いはますます増していくであろう。
・真の敵は反日日本人
戦後70年の8月14日、安倍晋三首相は「内閣総理大臣談話」を発表した。その中で、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。その談話は眼前の歴史戦に大きくプラスに働く記述になっているが、歴史戦の元祖で戦勝国により敗戦国を裁いた国際法違反の復讐劇であった東京裁判史観の払拭という点では不十分であったと感じる。歴史戦は中国や韓国ばかりを相手にするものではない。欧米諸国、ユネスコ、そして、最たる敵は日本の独立回復に反対した共産党や社会党の残党と彼らに同調する左翼及び進歩的文化人と言われる系統の日本人である。占領期に連合国軍総司令部(GHQ)が実施した「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」(WGIP)は、今も形を変えて教育現場に生き続けている現状を認識しなければならない。
大東亜戦争後、アメリカ国内のソ連のスパイたちがモスクワの諜報本部とした秘密通信をアメリカ軍事情報部が秘密裡に傍受解読した記録の「ヴェノナ文書」や「ミトロヒン文書」、米軍がビルマ(ミャンマー)・ミートキーナ(同ミチナ)で捕らえた朝鮮人慰安婦20人から尋問した「米国戦争情報戦資料『心理戦チーム報告書』」など、戦争時における公文書が発掘され、ラストボロフ事件、レフチェンコ事件などコミンテルンのスパイ行為なども含め、歴史の真実が次々と暴かれている。しかし、正しい情報が浸透せず、事実を捻じ曲げられた歴史が流布され続けている。
世界は中国、韓国などの反日勢力に真実を捻じ曲げられた歴史の流布により、日本の国際社会に対する発信不足により、日本は貶められている現状が克服できていない。日本人も正しい歴史を認識しておらず、中国の「南京大虐殺」に対する反論、韓国の「従軍慰安婦問題」に対する反論ができない日本人も少なくないのである。
歴史認識問題において、韓国や中国、さらにはアメリカや欧州で、「日本は歴史問題を解決していない、戦争の歴史を清算していない」という主張があるが、それは1970年代には、もう過去の問題となっていて、外交問題にはならなかった。いったんは過去となったこの問題を1980年代に復活した発端は、すべて日本人の手による、日本発のものであった。歴史教科書問題、首相の靖国神社参拝問題、従軍慰安婦問題。どれも1980年代以降に問題化し、日本の中から生まれたメイド・イン・ジャパンの問題なのである。中国や韓国にとっては有難いテーマなので、そのカードを使うことになる。また、ユネスコ記憶遺産に慰安婦問題の申請登録を主導しているのは明星大学の高橋史朗教授によれば、日本のNPO法人「女たちの戦争と平和人権基金」や「日本の戦争責任資料センター」であるというのは先述した通りであるが、このように、左翼リベラリズムの人々が、歴史認識問題を再生産しているのである。
左翼リベラリズムが浸透している反日左翼の市民団体、NHK、TBS、テレビ朝日、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、共同新聞や地方新聞など反日マスコミ、教育界、さらには歴史学会、司法界なども反日行動、情報を流布している。反日マスコミは事実をすり替えた報道を繰り返し、読者や視聴者はそれを知らぬ間に信じてしまうような情報操作が行われる。教育機関は事実と反した歴史教育を行ない、先生の反日思想に伴う教育指導に歯止めがかからない。また、左翼が未だに根強く社会に反日運動を繰り返す蔓延った状況にあるのが現状である。このように、日本を貶めているのは日本人自身なのである。
・歴史戦に勝つために―日本人の国家観、歴史観を持った人材の育成が不可欠
『韓国には言うべきことはキッチリ言おう!-いわれなき対日批判「サクサク反論ガイド』(上島嘉郎著・ワニブックスPLUS新書」は以下のように論じている。
―(歴史戦が)国際社会でいまも続いていることは、紛争や戦争状態の停止や終結にともなう「和解」や「示談」の条件を少しでも自国に有利となるような情報戦、宣伝戦です。そして、「現実に存在し得る平和」とは、各国が砲弾やミサイルをもって相手の街々を破壊したり人命を傷つけたりすることなく、情報や宣伝によって相手を自らの制御下に置く「洗脳戦」を継続している状態のことです。(中略)日本が現在の国際秩序を尊重する立場から「洗脳戦」を戦うとすれば、最低限の事実は記憶しておく必要があります。(中略)日本人は、情報戦、宣伝戦の渦中にあることを自覚し、攻勢に転じていかねばなりません。そのため、自らの物の考え方、思想の根本を疑ってみることが必要です。私たちが70年過ごしてきた「戦後」という時間を支配した情報、言論空間はいかなるものだったのか。そこで私たちの思想は無意識、無自覚にある方向、ある価値観に規定されてきたのではないのか。-
戦後、我々はGHQの占領政策により、「閉ざされた言論空間」の中で、間違った「歴史」を洗脳され続けてきた。洗脳戦に敗れ続けてきたのである。しかも、敗れ続けている自覚さえも持たずに。
「最低限の事実を記憶しておく必要がある」-この最低限の事実を記憶していくために、そして、日本を貶める国際社会、反日日本人に対峙するために、何が必要であろうか。
正しい歴史を学び、自らの物の考え方、思想の根本をリセットすること、父祖の歴史に対して東京裁判史観から解き放たれた視点と思考を持つ正当な認識が必要である。そして、学んだ正しい歴史の真実、知識を自己満足で終わらせることなく、SNSなどあらゆる手段を駆使して自らが発信者となり、同じ思いの仲間を増やし、その輪を広めていくこと。間違った情報には正しい情報を提示し、また、国や教育機関だけに委ねるのではなく、自らが家族、友人、知人、そして多くの日本人、また国際社会に、正しい歴史を「冷静に理性を持って、客観的な視点で伝え続けていくこと」である。
正しい国家観、歴史観を持つ人材を育成する「教育」改革も不可欠である。日本という国の素晴らしさを認識し、先人から受け継がれた文化・伝統を継承し、その先人の思い、精神を確立して、世界に、反日日本人や左翼リベラリズムに対峙できる知識と心を持った「継承者」を育てていくこと。
神道、武士道の精神をもっている日本が世界の赤化を防ぐ最後の砦であるとカナダ、イギリスに住む知人が言う。「武士道」の考え方、「教育勅語」の教えは、われわれ日本人にとって先人から引き継ぐべき、そして大震災に見舞われても盗人一人も出ない日本人の精神の根底を築き上げている考え方である。
歴史の真実はひとつである。繰り返すが、歴史の事実を正確に学び、東京裁判史観から目覚め、真っ当な教育を推進し、真っ当な人材を育成して、反日日本人、左翼リベラリズム、そして国際社会と対峙していくため、冷静に理性を持って伝え続けていくことを疎かにしてはならない。日本を変えることができるのは日本人だけなのである。
参考文献
・大東亜戦争への道 中村粲著(展転社)
・新脱亜論 渡辺利夫著(文春新書)
・国家覚醒 渡辺利夫著(海竜社)
・日本人が気付かない世界一素晴らしい国・日本 ケビン・M・ドーク著(WAC)
・中国・韓国との新・歴史戦に勝つ! ケント・ギルバート、室谷克美、石平著(悟空出版)
・Chaina2014 マイケル・ピルズベリー著(日経BP社)
・『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究 藤岡信勝、東中野修道著(祥伝社)
・日本の敵 よみがえる民族主義に備えよ 宮家邦彦著(文春新書)
・日本の敵 桜井よしこ著(新潮社)
・韓国には言うべきことをキッチリ言おう! 上島嘉郎著(ワニブックス)
・月刊正論2014年12月号
・月刊正論2015年5月号、10月号
・月刊正論2016年3月号、8月号、9月号、10月号
・別冊正論8号「日中歴史の真実」
・別冊正論10号「東京裁判の呪縛を断つ」
・別冊正論15号「中国共産党 野望と謀略の90年」
・正論2014年12月特別増刊号「朝日新聞と慰安婦・歴史捏造の罪」
森田正馬に学ぶ
2023.03.31
速いもので令和4年度も終えようとしている。
多忙を極めていた会社員時代、無理がたたり、心が風邪をひき、会社を早期希望退職してから早3年が経過し、4年目の季節を迎えている。
主治医からドクターストップがかかり、休職をし、その後、ドクターストップは継続され、退職するのにも必要な引き継ぎもままならぬ中、お世話になった方々へのご挨拶も失礼をしてしまった。
しかし、退職後、体調が少しづつ快復をした時に、私が正論大賞贈呈式、そして土光杯弁論大会を担当し、正論大賞受賞、そして土光杯弁論大会の審査委員長をお勤めいただいた、渡辺利夫拓殖大学顧問にご挨拶をさせていただいた時のことである。
心の病を打ち明け、そしてお世話になったことの御礼を申し上げた際に、一冊の本を手渡してくれた。『神経症の時代―わが内なる森田正馬』。渡辺利夫先生のご著書である。
その日は、夕食を共にし、色々な話をすることができた。その際に言われた言葉を今でも思い出す。「鬱病とは言わない方が良いですよ。鬱は病気ではない、神経症なのです」。その時はそのお話にピンと来なくて、その後の渡辺先生のお話に聞き耳を立てて注意深く聞いたことを覚えている。渡辺先生の人生経験の中から、心の病に倒れた私を気遣ってくれ、そして、読み薦めてくださった一冊なのである。
この本は、「不安、恐怖が強いということは、その分だけ『生の欲望』が強いことの反映であり、それをはからわず、生の欲望にしたがって『あるがまま』に受け取れば、不安恐怖は自ずと力を失っていく」暖衣飽食のバブル経済が失速し、強度の国民的神経症に陥りつづけるこの時代を、いかにして生きるべきか。自己の内面と徹底的に対峙することによって、作家・倉田百三ら多くの神経症者を救った森田正馬の人間観、死生観を通して、現代人が抱える心の闇に鋭く斬り込んだ開高健賞受賞作である。
森田正馬(もりたまさたけ)とは如何なる人物なのか。
1874〈明治7)年1月18日高知県野市町(現・香南市)生まれ。日本の医学者、精神科神経科医。(森田)神経質に対する精神療法である「森田療法」を創始した。
高知県立第一中学、第五高等学校、東京帝国大学医科大学を卒業。東京帝国大学では呉秀三門下。巣鴨病院に勤務。根岸病院顧問(1906-29)。東京慈恵会医科大学教授を務める。自らも神経質に悩んだ経験を持つ。精神分析学には批判的であり、東北帝国大学教授丸井清泰と論争を行った。心理学、法学、経済学についても精通していたといわれる。1938(昭和13)年4月12日没。享年64歳。
前述の著書で「森田正馬の療法思想」を一語でいいあらわすならば「あるがまま」であると記述されている。それは、「恐怖、不安の感情は、おこるべき時期と境遇に応じて必然的におこるものであって、心のやりくりでこれをどうこうすることはできない。どんなにつらくはあれ、そうした感情のあるがままに身をゆだね、そうして人生の目的に向かって不断の努力を続けるならば、人間の精神は外科医の変化に応じてしだいに流動を開始し、恐怖、不安は消滅していく。人間の心のありようを正馬はそう見据えて、神経症の心を転じるための療法を創案したのである」と。
さらに「森田正馬は『不安常住』といい、森田の高弟の高良武久は『人間は不安の器だ』ともいう。神経症とは、不安や恐怖を誰にもありうる当然の心理として、これを『あるがまま』に受け取ることができず、不安と恐怖を『異物視』し、排除しようと努め、はからい、そのためにますます強く不安と恐怖に囚われ、抑鬱と煩悶に貶められた人々のことである」とも。
森田療法の核心は、死の恐怖とはすなわち生の欲望の反面であることを症者にありありと認めさせ、そうして生の欲望に素直に身を任せて人生を送る態度にめざめさせることにある。死への不安と恐怖とを共存しながら、自己の目的に沿うて生を織り紡いでいかなければならないことにある。
鬱に陥っていた私が、それを早期に克服できたのも、この本に出合えたことも要因の一つである。
それは、あるがままの自分を受け入れ、自分の歩みたい道をあるがままに歩み続けた結果でもある。
自分の心と常に向かい合い、語り合い、自分に嘘をつくことなく、素直な心であり続けたからこそ、今の自分が存在する。
これからも「あるがまま」に人生を歩んでいきたい。年度末を迎えた今日、改めてそう思った次第でる。
多忙を極めていた会社員時代、無理がたたり、心が風邪をひき、会社を早期希望退職してから早3年が経過し、4年目の季節を迎えている。
主治医からドクターストップがかかり、休職をし、その後、ドクターストップは継続され、退職するのにも必要な引き継ぎもままならぬ中、お世話になった方々へのご挨拶も失礼をしてしまった。
しかし、退職後、体調が少しづつ快復をした時に、私が正論大賞贈呈式、そして土光杯弁論大会を担当し、正論大賞受賞、そして土光杯弁論大会の審査委員長をお勤めいただいた、渡辺利夫拓殖大学顧問にご挨拶をさせていただいた時のことである。
心の病を打ち明け、そしてお世話になったことの御礼を申し上げた際に、一冊の本を手渡してくれた。『神経症の時代―わが内なる森田正馬』。渡辺利夫先生のご著書である。
その日は、夕食を共にし、色々な話をすることができた。その際に言われた言葉を今でも思い出す。「鬱病とは言わない方が良いですよ。鬱は病気ではない、神経症なのです」。その時はそのお話にピンと来なくて、その後の渡辺先生のお話に聞き耳を立てて注意深く聞いたことを覚えている。渡辺先生の人生経験の中から、心の病に倒れた私を気遣ってくれ、そして、読み薦めてくださった一冊なのである。
この本は、「不安、恐怖が強いということは、その分だけ『生の欲望』が強いことの反映であり、それをはからわず、生の欲望にしたがって『あるがまま』に受け取れば、不安恐怖は自ずと力を失っていく」暖衣飽食のバブル経済が失速し、強度の国民的神経症に陥りつづけるこの時代を、いかにして生きるべきか。自己の内面と徹底的に対峙することによって、作家・倉田百三ら多くの神経症者を救った森田正馬の人間観、死生観を通して、現代人が抱える心の闇に鋭く斬り込んだ開高健賞受賞作である。
森田正馬(もりたまさたけ)とは如何なる人物なのか。
1874〈明治7)年1月18日高知県野市町(現・香南市)生まれ。日本の医学者、精神科神経科医。(森田)神経質に対する精神療法である「森田療法」を創始した。
高知県立第一中学、第五高等学校、東京帝国大学医科大学を卒業。東京帝国大学では呉秀三門下。巣鴨病院に勤務。根岸病院顧問(1906-29)。東京慈恵会医科大学教授を務める。自らも神経質に悩んだ経験を持つ。精神分析学には批判的であり、東北帝国大学教授丸井清泰と論争を行った。心理学、法学、経済学についても精通していたといわれる。1938(昭和13)年4月12日没。享年64歳。
前述の著書で「森田正馬の療法思想」を一語でいいあらわすならば「あるがまま」であると記述されている。それは、「恐怖、不安の感情は、おこるべき時期と境遇に応じて必然的におこるものであって、心のやりくりでこれをどうこうすることはできない。どんなにつらくはあれ、そうした感情のあるがままに身をゆだね、そうして人生の目的に向かって不断の努力を続けるならば、人間の精神は外科医の変化に応じてしだいに流動を開始し、恐怖、不安は消滅していく。人間の心のありようを正馬はそう見据えて、神経症の心を転じるための療法を創案したのである」と。
さらに「森田正馬は『不安常住』といい、森田の高弟の高良武久は『人間は不安の器だ』ともいう。神経症とは、不安や恐怖を誰にもありうる当然の心理として、これを『あるがまま』に受け取ることができず、不安と恐怖を『異物視』し、排除しようと努め、はからい、そのためにますます強く不安と恐怖に囚われ、抑鬱と煩悶に貶められた人々のことである」とも。
森田療法の核心は、死の恐怖とはすなわち生の欲望の反面であることを症者にありありと認めさせ、そうして生の欲望に素直に身を任せて人生を送る態度にめざめさせることにある。死への不安と恐怖とを共存しながら、自己の目的に沿うて生を織り紡いでいかなければならないことにある。
鬱に陥っていた私が、それを早期に克服できたのも、この本に出合えたことも要因の一つである。
それは、あるがままの自分を受け入れ、自分の歩みたい道をあるがままに歩み続けた結果でもある。
自分の心と常に向かい合い、語り合い、自分に嘘をつくことなく、素直な心であり続けたからこそ、今の自分が存在する。
これからも「あるがまま」に人生を歩んでいきたい。年度末を迎えた今日、改めてそう思った次第でる。
私が考える書写、国語教育の意義
2023.01.23
久しぶりの投稿となる。
年末年始、多忙を極め、気が付けば、年を越していた。
改めまして、皆様、今年もよろしくお願いいたします。
私は、この「寺子屋『玉川未来塾』」主催の勉強会やイベント開催の他に、習字教室を営んでいる。そのため、年末は「かきぞめ課題」のお稽古や、学校の冬休みの宿題で出される「かきぞめ」の体験教室を開催するため、一年のうちで一番多忙を極める時期となるが、「PRESIDENT Online」に「なぜ全員同じ字を書かせるのか…冬休み宿題「書き初め」は教育的に問題と言える納得の理由」と題する、公立小学校教員の記事が目に留まった。この現役小学校教員は「書き初めはそれぞれが新年の抱負などを書けばいいのに、学校が課題の文字を決めるのはおかしい。また、仕上げた作品を全員分並べて掲示し、評価することに強い違和感を覚える」という。
「現代における習字の習い事や、書道の価値を否定するものではない」と前提条件をつけてはいるが、以下の理由で違和感を覚えるという。
・「書き初め」は正月二日にするのが習わしであるようだが、本来はめでたい詩歌などを書くので、練習し続けた字を書いて、「校内掲示用」「コンクール提出用」に出すようなものではなく、一律に与えられた課題でもない。上手でも下手でも、心をこめて自分で選んだ新年の抱負などを書き、決意を新たにすればいい。ところが「練習」として正月に書いた時点で、実は既に「書き初め」としての役割を終えている。
・書き初めを学校教育として行うのならば、「清書」は「校内書き初め大会」などの学校教育の場で書いたもののみを認めるべきで、家で書いたものを「清書」として出すのは、コンテスト実施の平等性を欠いている。
・書字に筆と墨を用いない現代において、冬休みに家庭でわざわざ書き初め練習をするという宿題内容自体を問う必要がある。
この小学校教師は、習字教室に真剣に通っている子供を誉め、称えている記述はあるものの、「習字教室に通わず、美しい字を書くことに特にこだわりのない子はどうだろう」と、習字教室に通っていない子供に焦点を当てており、そして「筆者のように習字が苦手な子供たちが、いつもより多少努力したぐらいでは到底及ばない。そして、多くの子供にとって、習字に対して高いモチベーションは、ない」と結論づけ、さらには「好きでもないことは『最低限やる』『とりあえず課題を消化する』という程度しか努力できない」としているのである。
この文章を見て、私は「書写教育における小学校教員の役割って何なのか」と疑問を抱いた。
すると、いきなり、以下の論調が繰り広げられる。
「本当に好き、あるいは目的意識のある人の出す結果とは、比較にならない。つまりは、『書き初め練習100枚』は、現代において改めるべき「冬休みの宿題」の一つである。多様性が認められる今の時代、ここにこれほどいらぬ負荷をかける妥当性はない。繰り返すが、100枚練習すること自体が悪いわけではない。書くことへのモチベーションが高い子供、高みを目指す子供にとっては意味がある。その子供は『100枚書かされる』のではなく、『100枚以上書く』のである。問題は、書かされる子供たちである。家の環境的に、到底それをやれるような状態にない子供もいる。家に書き初め用紙を広げて、集中して何時間も書き続ける、というのは、けっこう手間のかかる作業である」と。
いきなり「書き初め練習100枚書かせられる」と前触れもなく、あたかもそれが何の根拠も示さず、事実のような論調が本文に用いられていたことに、私はますます大きな違和感を抱いた。私が我が習字教室で学校のかきぞめの宿題を教えていて、100枚以上書く生徒さんに出会ったことがない。いったい、どこの小学校で100枚以上書くことを強いているのか。
そして、最後に以下の論調が紹介される。
「そもそも、冬『休み』にわざわざ『宿題』を出してあげようというお節介な親切心からしてそろそろ見直すべきである。正月というのは、本来家族のみんなが休む時である。そのためにお節料理だってある。ただでさえ短い冬休みなのだから、宿題から解放してあげてもよいのではないか。やがて受験生になればこの時期も勉強するしか選択肢がないのだし、休める時には休ませてあげればいい。そして当の受験生にとっては、学校の宿題による親切なぞ「邪魔」にしかならない。目の前の試験など、やるべきことに集中すべき時である。せっかく『師走』の忙しい時期を駆け抜けたのだから、新年ぐらい、ゆったりと構えて迎えたいところである」。
この現役小学校教員は、他の教科も含めた冬休みの宿題全体について疑問を言いたいのか、書写教育の在り方の疑義について言いたいのか、論点が一緒くたになっていて、本当に言いたいことがどちらなのかが分からない。「課題を分離」できていないのではないかと私は感じた。
個人の主張や意見に私が論じる立場でもないし、その人の「一」考え方であるため、そういう考え方もあると思うが、私は異なる考え方を持つ。
平成29年に学習指導要領が改正された。その新学習指導要領では、小学校国語科について「教科の目標」は,次のとおりであるとしている。
「言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
⑴ 日常生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。
⑵ 日常生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を養う。
⑶ 言葉がもつよさを認識するとともに,言語感覚を養い,国語の大切さを自覚し,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う」。
さらには、「国語の大切さを自覚し,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養うことを求めているのは,我が国の歴史の中で育まれてきた国語が,人間としての知的な活動や文化的な活動の中枢をなし,一人一人の自己形成,社会生活の向上,文化の創造と継承などに欠かせないからである。国語の大切さを自覚し,国語に対する関心を高め,話したり聞いたり書いたり読んだりすることが,児童一人一人の言語能力を更に向上させていく。その中で,国語を愛護し,国語を尊重して,国語そのものを一層優れたものに向上させていこうとする意識や態度も育っていくのである」としている。
そして、書写については「各教科等の学習活動や日常生活に生かすことのできる書写の能力を育成することが重要となる。文字のまとまった学習は,小学校入学を期に始まる。文字を書く基礎となる「姿勢」,「筆記具の持ち方」,「点画や一文字の書き方」,「筆順」などの事項から,「文字の集まりの書き方」に関する事項へと,内容を系統的に示している。さらに,文字や文字の集まりの書き方を基礎として,筆記具を選択し効果的に使用するなど、目的や状況に応じて書き方を判断して書くことについて示している」と。
また、習字、書写と書道の違いは何か。
「習字」は文字通りに字を習うことを指し、字の正しい書き順や美しい字の書き方を習う。
「書写」は、文字通り文字を書き写すこと。小・中学校の国語の授業の一部として行われるのが「書写」である。 習字と同様に、誰が見ても綺麗だと思うような正しく整った字を書くことを目指している。
対して「書道」は字を通した自己表現が最大の目的。文字が生み出す美しさを追求することが書道の定義・目的であり、書によって表現される芸術を意味する。
私は「習字」も「書写」も同じ意味合いを持つとして、習字教室を営み、子供や大人に「書」を「お手本」を元に教えている。同じ文字を、生徒部は同じ学年、漢字部は漢字部の文字を段級位に応じて書かせることによって、その書き手の心、子供の心の動きが手に取って知ることができる場合がある。
「字は心をあらわす」というが、同じ学年の子供が、同じ字を書くことで、その子供の持っている特性をそれぞれ知ることができ、見出せるのである。そして、一律に指導すべき点や、その子供の得意不得意を知ることで、それぞれに見合った個別の指導ができるのである。
また、「書道」は日本の文化・伝統である。「書によって表現される芸術を意味する」ものでもあるが、特にひらがなを生んだ先人たちの苦労は計り知れないものであり、我が先祖たちは漢字からひらがなを作り出した素晴らしい民族なのである。そうした誇りも教えようと思えば教えられるであろう。
習字を習いたいという子供たちは増えている。しかし、書道人口は減っているという情報もあるが、それは定かではない。現実には「周りに習字教室がないからあきらめていた」と言う保護者の方が多い。私は、ネット環境、SNSを駆使して、ホームページやYouTubeチャンネルを作成している。「習字教室」などと検索すると検索エンジンに引っ掛かってくれるので、体験やご入会の申し込みをいただく。仕事場では、パソコンなどを使用するが、まだまだ手書きであるものは数多く存在するし、その手書きで書く文字は人柄をあらわす。苦手とか、嫌いと言って諦めるのではなく、「どうしたら上手に書けるのだろう」という考え方を子供たちに教えることも指導者の役割であると私は考えて、日頃、指導しているし、今後もそのようにし続けていきたいと思う。
年末年始、多忙を極め、気が付けば、年を越していた。
改めまして、皆様、今年もよろしくお願いいたします。
私は、この「寺子屋『玉川未来塾』」主催の勉強会やイベント開催の他に、習字教室を営んでいる。そのため、年末は「かきぞめ課題」のお稽古や、学校の冬休みの宿題で出される「かきぞめ」の体験教室を開催するため、一年のうちで一番多忙を極める時期となるが、「PRESIDENT Online」に「なぜ全員同じ字を書かせるのか…冬休み宿題「書き初め」は教育的に問題と言える納得の理由」と題する、公立小学校教員の記事が目に留まった。この現役小学校教員は「書き初めはそれぞれが新年の抱負などを書けばいいのに、学校が課題の文字を決めるのはおかしい。また、仕上げた作品を全員分並べて掲示し、評価することに強い違和感を覚える」という。
「現代における習字の習い事や、書道の価値を否定するものではない」と前提条件をつけてはいるが、以下の理由で違和感を覚えるという。
・「書き初め」は正月二日にするのが習わしであるようだが、本来はめでたい詩歌などを書くので、練習し続けた字を書いて、「校内掲示用」「コンクール提出用」に出すようなものではなく、一律に与えられた課題でもない。上手でも下手でも、心をこめて自分で選んだ新年の抱負などを書き、決意を新たにすればいい。ところが「練習」として正月に書いた時点で、実は既に「書き初め」としての役割を終えている。
・書き初めを学校教育として行うのならば、「清書」は「校内書き初め大会」などの学校教育の場で書いたもののみを認めるべきで、家で書いたものを「清書」として出すのは、コンテスト実施の平等性を欠いている。
・書字に筆と墨を用いない現代において、冬休みに家庭でわざわざ書き初め練習をするという宿題内容自体を問う必要がある。
この小学校教師は、習字教室に真剣に通っている子供を誉め、称えている記述はあるものの、「習字教室に通わず、美しい字を書くことに特にこだわりのない子はどうだろう」と、習字教室に通っていない子供に焦点を当てており、そして「筆者のように習字が苦手な子供たちが、いつもより多少努力したぐらいでは到底及ばない。そして、多くの子供にとって、習字に対して高いモチベーションは、ない」と結論づけ、さらには「好きでもないことは『最低限やる』『とりあえず課題を消化する』という程度しか努力できない」としているのである。
この文章を見て、私は「書写教育における小学校教員の役割って何なのか」と疑問を抱いた。
すると、いきなり、以下の論調が繰り広げられる。
「本当に好き、あるいは目的意識のある人の出す結果とは、比較にならない。つまりは、『書き初め練習100枚』は、現代において改めるべき「冬休みの宿題」の一つである。多様性が認められる今の時代、ここにこれほどいらぬ負荷をかける妥当性はない。繰り返すが、100枚練習すること自体が悪いわけではない。書くことへのモチベーションが高い子供、高みを目指す子供にとっては意味がある。その子供は『100枚書かされる』のではなく、『100枚以上書く』のである。問題は、書かされる子供たちである。家の環境的に、到底それをやれるような状態にない子供もいる。家に書き初め用紙を広げて、集中して何時間も書き続ける、というのは、けっこう手間のかかる作業である」と。
いきなり「書き初め練習100枚書かせられる」と前触れもなく、あたかもそれが何の根拠も示さず、事実のような論調が本文に用いられていたことに、私はますます大きな違和感を抱いた。私が我が習字教室で学校のかきぞめの宿題を教えていて、100枚以上書く生徒さんに出会ったことがない。いったい、どこの小学校で100枚以上書くことを強いているのか。
そして、最後に以下の論調が紹介される。
「そもそも、冬『休み』にわざわざ『宿題』を出してあげようというお節介な親切心からしてそろそろ見直すべきである。正月というのは、本来家族のみんなが休む時である。そのためにお節料理だってある。ただでさえ短い冬休みなのだから、宿題から解放してあげてもよいのではないか。やがて受験生になればこの時期も勉強するしか選択肢がないのだし、休める時には休ませてあげればいい。そして当の受験生にとっては、学校の宿題による親切なぞ「邪魔」にしかならない。目の前の試験など、やるべきことに集中すべき時である。せっかく『師走』の忙しい時期を駆け抜けたのだから、新年ぐらい、ゆったりと構えて迎えたいところである」。
この現役小学校教員は、他の教科も含めた冬休みの宿題全体について疑問を言いたいのか、書写教育の在り方の疑義について言いたいのか、論点が一緒くたになっていて、本当に言いたいことがどちらなのかが分からない。「課題を分離」できていないのではないかと私は感じた。
個人の主張や意見に私が論じる立場でもないし、その人の「一」考え方であるため、そういう考え方もあると思うが、私は異なる考え方を持つ。
平成29年に学習指導要領が改正された。その新学習指導要領では、小学校国語科について「教科の目標」は,次のとおりであるとしている。
「言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
⑴ 日常生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことができるようにする。
⑵ 日常生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や想像力を養う。
⑶ 言葉がもつよさを認識するとともに,言語感覚を養い,国語の大切さを自覚し,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う」。
さらには、「国語の大切さを自覚し,国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養うことを求めているのは,我が国の歴史の中で育まれてきた国語が,人間としての知的な活動や文化的な活動の中枢をなし,一人一人の自己形成,社会生活の向上,文化の創造と継承などに欠かせないからである。国語の大切さを自覚し,国語に対する関心を高め,話したり聞いたり書いたり読んだりすることが,児童一人一人の言語能力を更に向上させていく。その中で,国語を愛護し,国語を尊重して,国語そのものを一層優れたものに向上させていこうとする意識や態度も育っていくのである」としている。
そして、書写については「各教科等の学習活動や日常生活に生かすことのできる書写の能力を育成することが重要となる。文字のまとまった学習は,小学校入学を期に始まる。文字を書く基礎となる「姿勢」,「筆記具の持ち方」,「点画や一文字の書き方」,「筆順」などの事項から,「文字の集まりの書き方」に関する事項へと,内容を系統的に示している。さらに,文字や文字の集まりの書き方を基礎として,筆記具を選択し効果的に使用するなど、目的や状況に応じて書き方を判断して書くことについて示している」と。
また、習字、書写と書道の違いは何か。
「習字」は文字通りに字を習うことを指し、字の正しい書き順や美しい字の書き方を習う。
「書写」は、文字通り文字を書き写すこと。小・中学校の国語の授業の一部として行われるのが「書写」である。 習字と同様に、誰が見ても綺麗だと思うような正しく整った字を書くことを目指している。
対して「書道」は字を通した自己表現が最大の目的。文字が生み出す美しさを追求することが書道の定義・目的であり、書によって表現される芸術を意味する。
私は「習字」も「書写」も同じ意味合いを持つとして、習字教室を営み、子供や大人に「書」を「お手本」を元に教えている。同じ文字を、生徒部は同じ学年、漢字部は漢字部の文字を段級位に応じて書かせることによって、その書き手の心、子供の心の動きが手に取って知ることができる場合がある。
「字は心をあらわす」というが、同じ学年の子供が、同じ字を書くことで、その子供の持っている特性をそれぞれ知ることができ、見出せるのである。そして、一律に指導すべき点や、その子供の得意不得意を知ることで、それぞれに見合った個別の指導ができるのである。
また、「書道」は日本の文化・伝統である。「書によって表現される芸術を意味する」ものでもあるが、特にひらがなを生んだ先人たちの苦労は計り知れないものであり、我が先祖たちは漢字からひらがなを作り出した素晴らしい民族なのである。そうした誇りも教えようと思えば教えられるであろう。
習字を習いたいという子供たちは増えている。しかし、書道人口は減っているという情報もあるが、それは定かではない。現実には「周りに習字教室がないからあきらめていた」と言う保護者の方が多い。私は、ネット環境、SNSを駆使して、ホームページやYouTubeチャンネルを作成している。「習字教室」などと検索すると検索エンジンに引っ掛かってくれるので、体験やご入会の申し込みをいただく。仕事場では、パソコンなどを使用するが、まだまだ手書きであるものは数多く存在するし、その手書きで書く文字は人柄をあらわす。苦手とか、嫌いと言って諦めるのではなく、「どうしたら上手に書けるのだろう」という考え方を子供たちに教えることも指導者の役割であると私は考えて、日頃、指導しているし、今後もそのようにし続けていきたいと思う。