メディアの凋落
2023.10.21
旧ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏の性加害問題について、60年前から疑惑が指摘され、これまで2度、裁判が行われてきたにも関わらず、BBCで取り上げられた後、世間に幅広くこの問題が明るみになるまでは、メディアはその報道をせず沈黙を守り通してきた。
故ジャニー喜多川氏による所属タレントへの性加害問題が最初に明るみに出たのは、1967年~78年にかけて一世を風靡したジャニーズタレント「フォーリーブス」の故北公次氏が、解散から10年後の1988年に、ジャニー氏から受けた性被害を赤裸々に綴った書籍『光GENJIへ』がきっかけだった。そして、翌年、ビデオでも被害を訴えていたが、メディアは沈黙。今年9月に、TBSがその告白ビデオを入手したとして、放送したが、「今更感」が拭えなかった。
この問題は、当然、故ジャニー喜多川氏に罪があるが、当の本人が亡くなっているにも関わらず、旧ジャニーズ事務所は被害者と向き合い、真摯に対応をしようとしている姿勢は、十分でないにしろ前に進むよう尽力しているので、私は旧ジャニーズ事務所について語ろうとは思わない。
しかし、メディアの責任については、無視できない事実であろうと考えている。
日本テレビ「news zero」の有働由美子キャスターは「海外の人権問題は徹底的に批判するのに、もっと近くにあった問題はちゃんと取材して知ろうとしませんでした。なぜ『沈黙』してしまったのか、重く問われているという覚悟のもとに向き合っていきたいと思います」と、メディアの責任について語ったが、私からすれば「何をいまさら」といった感が強い。前述のTBSにしてもそうだが、責任逃れを必死で語っているとしか思えず、それは各テレビ局がこぞって声明を出したが、どの社も同じように感じるし、苦しい言い訳にしか聞こえないのである。
「メディアの凋落」。
今回に留まらず、昨今のメディアの姿勢に、この言葉が当てはまると思えてならない。
この凋落のきっかけになったであろう、朝日新聞が、2014年9月11日、東京電力福島第一原発事故をめぐり政府の事故調査・検証委員会がまとめた、故・吉田昌郎元所長の「聴取結果書(調書)」に関する記事を誤りと認めて取り消した件や、「従軍慰安婦」誤報放置事件に関する謝罪会見。
この謝罪会見により、読者への信用失墜により、読者離れが加速した。
そして、その朝日新聞の購読を止めた読者の受け皿になるべく、東京新聞は親会社・中日新聞の意向を受け、思い切り左傾化へと舵を切り始めた。結果、朝日新聞よりも酷い左傾化記事報道を展開し、その先鋒、切り込み隊長として望月衣塑子記者を送り込んだと私は解釈している。
そして、官房長官を始め、数々の記者会見での彼女の質問に対する「暴走」は、記者としての器量や認識の浅はかさを露呈したのではないだろうかと感じてならないのである。
その最たるものは、ジャニーズ事務所の記者会見。(以下、引用)
「10月2日に開かれたジャニーズ事務所の会見で、望月氏は『自分を指してもらえなかった』ことを理由に何度も喚き散らした。その姿を見た視聴者の多くが呆れ、会見直後はSNS上に『下品』『傍若無人』などの批判が溢れ返った。だが、5日、ジャニーズ事務所側が指名しない記者をまとめた『NGリスト』を作成していた事実が発覚すると、風向きが変わった。望月氏はSNSで〈茶番、八百長会見〉と語気を強めて批判。〈東山氏と井ノ原氏の辞任を強く求めます〉〈やり直し会見を求めます〉と攻勢を強めている。
一連の騒ぎについて、東京新聞の中堅記者が呆れて語る。
『NGリストの件でジャニーズ事務所側に問題があったことは間違いない。ただし、それと彼女の振る舞いは別問題だと思います。300人も出席した会見で、自分が指されないことを問題視すること自体が傲慢でしょう』
前回の会見でも望月氏は、ほとんどの社が守っていた1社2問のルールを無視して10分以上も質問。セカンドレイプと批判を受けるような質問や『テレ朝は今日も中継しておりません』といった事実誤認の発言まで繰り出し、場を乱した“前科”があった。
『決して、ジャニーズ側を擁護するわけではありませんが、彼女についてはNGリストに入れられたのも仕方なかったと思います』(同)」と。
このような振る舞いは、記者の質の低下を思わせると同時に、他の優秀な記者への悪影響でもあると考えるのである。
「活字離れ」「テレビ離れ」と言われて久しいが、問題は先述の朝日新聞のように、ずっと以前から存在していると感じるのである。
メディアは、自分たちの主義主張を国民に知ら示すために、「一定の意図をもって発信する」ことが目的となる。その目的は、色々な番組、記事に寄り添う形で散りばめられ、時には直球で、時には変化球を交えて巧妙に発信する。それを視聴者は真に受ける。特にテレビ世代の50代以上の世帯層には絶妙に効果を発揮するが、逆にテレビを観ない、新聞を読まないネット世代の20代、30代には功を奏さない。
ネットに流れる情報は、正しい情報もあるが、偽情報もある。それが見極めにくくなっているのは事実であるため、何が正しくて、何が正しくないのかが分かりずらくなっている。
既存メディアは、報道する責任があるが故に、取材を重ね、間違った情報を流さないことで、信用と信頼があったにも関わらず、取材記者の質の低下や、朝日新聞のように、一定の意図をもって誤情報を発信するメディアの存在が、ますます「メディアの凋落」に拍車をかけると思ってならないのである。
メディアの役割とはなんであるのか。
日本新聞協会の新聞倫理綱領には以下のように記されている。
「(前略)国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである(後略)」。
そして、「正確と公正」について、「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである」。
これらが全うに遂行されているメディアはどこであろうか。一部のメディアは遂行していると思われるのに対し、少なくとも反日メディアやそれに伴う記者が属しているメディアには、この綱領に反するのではないかと考えるのである。
先日、元TBSキャスターを務めた松富(有村)かおり氏のSNSで、メディアの在り方や、日本国民としての自覚について投稿しているのを目にした。
的を得た指摘に大きく賛同したので、以下、引用し、ご紹介したい。
「世界は今までよりはるかに不安定で危険なものになっている。
日本の明日が、ウクライナやイスラエルのようにならないと誰が断言できるだろう。
アメリカは民主主義国を率いるリーダーシップを失いつつある。
E Uの理想主義はボロボロだ。
民主主義国家の陣営と、中露を中心とする独裁主義・権威主義国家陣営の対立は酷くなるばかり。
ロシアの中国依存は深まり、中露が手を組んで行動する機会が増えている。ロシアと北朝鮮は、兵器と食糧の融通で、パイプを太くしつつある。
まさに、日本にとっては『悪夢』のような状況が日々加速しているのに、なぜ、大手メディアはそれを報じないのか?
沖縄や鹿児島では、大変な勢いで、『台湾有事』に向けたシェルターの確保や、基地の強化が進む。
それを他の地域の日本人はほとんど知らされていない。
政府は、世界中から集めた情報から、『台湾有事はあるかないかではない。いつ起こるかだ』という結論に達しているのだ。多くの専門家が、台湾への武力侵攻が2027年までに起こる確率は8割を超えると判断しているのだ。
どうか、考えてほしい。
どうか、日本を取り巻く海外の情勢が大きく動き始めていることに気づいてほしい。
その上で、私たちに、この美しい国を平和な毎日を守るために何ができるか、考えてほしいのだ」。
我々国民はどれだけ正しい情報を取れているのか。
一部を除くメディアからでは正しい情報が取れなくなっている。ネットから得る情報が、ものによっては正しい情報を流したりしているのも事実であろうし、ガセネタを流すネット情報もある。しかし、現状メディアに対する不満、不安から、視聴者、購読者の減少を加速させているのではないかと思ってならない。一部を除く既存メディアの信用回復はまだ先のような気がするのは自分だけだろうか。
故ジャニー喜多川氏による所属タレントへの性加害問題が最初に明るみに出たのは、1967年~78年にかけて一世を風靡したジャニーズタレント「フォーリーブス」の故北公次氏が、解散から10年後の1988年に、ジャニー氏から受けた性被害を赤裸々に綴った書籍『光GENJIへ』がきっかけだった。そして、翌年、ビデオでも被害を訴えていたが、メディアは沈黙。今年9月に、TBSがその告白ビデオを入手したとして、放送したが、「今更感」が拭えなかった。
この問題は、当然、故ジャニー喜多川氏に罪があるが、当の本人が亡くなっているにも関わらず、旧ジャニーズ事務所は被害者と向き合い、真摯に対応をしようとしている姿勢は、十分でないにしろ前に進むよう尽力しているので、私は旧ジャニーズ事務所について語ろうとは思わない。
しかし、メディアの責任については、無視できない事実であろうと考えている。
日本テレビ「news zero」の有働由美子キャスターは「海外の人権問題は徹底的に批判するのに、もっと近くにあった問題はちゃんと取材して知ろうとしませんでした。なぜ『沈黙』してしまったのか、重く問われているという覚悟のもとに向き合っていきたいと思います」と、メディアの責任について語ったが、私からすれば「何をいまさら」といった感が強い。前述のTBSにしてもそうだが、責任逃れを必死で語っているとしか思えず、それは各テレビ局がこぞって声明を出したが、どの社も同じように感じるし、苦しい言い訳にしか聞こえないのである。
「メディアの凋落」。
今回に留まらず、昨今のメディアの姿勢に、この言葉が当てはまると思えてならない。
この凋落のきっかけになったであろう、朝日新聞が、2014年9月11日、東京電力福島第一原発事故をめぐり政府の事故調査・検証委員会がまとめた、故・吉田昌郎元所長の「聴取結果書(調書)」に関する記事を誤りと認めて取り消した件や、「従軍慰安婦」誤報放置事件に関する謝罪会見。
この謝罪会見により、読者への信用失墜により、読者離れが加速した。
そして、その朝日新聞の購読を止めた読者の受け皿になるべく、東京新聞は親会社・中日新聞の意向を受け、思い切り左傾化へと舵を切り始めた。結果、朝日新聞よりも酷い左傾化記事報道を展開し、その先鋒、切り込み隊長として望月衣塑子記者を送り込んだと私は解釈している。
そして、官房長官を始め、数々の記者会見での彼女の質問に対する「暴走」は、記者としての器量や認識の浅はかさを露呈したのではないだろうかと感じてならないのである。
その最たるものは、ジャニーズ事務所の記者会見。(以下、引用)
「10月2日に開かれたジャニーズ事務所の会見で、望月氏は『自分を指してもらえなかった』ことを理由に何度も喚き散らした。その姿を見た視聴者の多くが呆れ、会見直後はSNS上に『下品』『傍若無人』などの批判が溢れ返った。だが、5日、ジャニーズ事務所側が指名しない記者をまとめた『NGリスト』を作成していた事実が発覚すると、風向きが変わった。望月氏はSNSで〈茶番、八百長会見〉と語気を強めて批判。〈東山氏と井ノ原氏の辞任を強く求めます〉〈やり直し会見を求めます〉と攻勢を強めている。
一連の騒ぎについて、東京新聞の中堅記者が呆れて語る。
『NGリストの件でジャニーズ事務所側に問題があったことは間違いない。ただし、それと彼女の振る舞いは別問題だと思います。300人も出席した会見で、自分が指されないことを問題視すること自体が傲慢でしょう』
前回の会見でも望月氏は、ほとんどの社が守っていた1社2問のルールを無視して10分以上も質問。セカンドレイプと批判を受けるような質問や『テレ朝は今日も中継しておりません』といった事実誤認の発言まで繰り出し、場を乱した“前科”があった。
『決して、ジャニーズ側を擁護するわけではありませんが、彼女についてはNGリストに入れられたのも仕方なかったと思います』(同)」と。
このような振る舞いは、記者の質の低下を思わせると同時に、他の優秀な記者への悪影響でもあると考えるのである。
「活字離れ」「テレビ離れ」と言われて久しいが、問題は先述の朝日新聞のように、ずっと以前から存在していると感じるのである。
メディアは、自分たちの主義主張を国民に知ら示すために、「一定の意図をもって発信する」ことが目的となる。その目的は、色々な番組、記事に寄り添う形で散りばめられ、時には直球で、時には変化球を交えて巧妙に発信する。それを視聴者は真に受ける。特にテレビ世代の50代以上の世帯層には絶妙に効果を発揮するが、逆にテレビを観ない、新聞を読まないネット世代の20代、30代には功を奏さない。
ネットに流れる情報は、正しい情報もあるが、偽情報もある。それが見極めにくくなっているのは事実であるため、何が正しくて、何が正しくないのかが分かりずらくなっている。
既存メディアは、報道する責任があるが故に、取材を重ね、間違った情報を流さないことで、信用と信頼があったにも関わらず、取材記者の質の低下や、朝日新聞のように、一定の意図をもって誤情報を発信するメディアの存在が、ますます「メディアの凋落」に拍車をかけると思ってならないのである。
メディアの役割とはなんであるのか。
日本新聞協会の新聞倫理綱領には以下のように記されている。
「(前略)国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである(後略)」。
そして、「正確と公正」について、「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである」。
これらが全うに遂行されているメディアはどこであろうか。一部のメディアは遂行していると思われるのに対し、少なくとも反日メディアやそれに伴う記者が属しているメディアには、この綱領に反するのではないかと考えるのである。
先日、元TBSキャスターを務めた松富(有村)かおり氏のSNSで、メディアの在り方や、日本国民としての自覚について投稿しているのを目にした。
的を得た指摘に大きく賛同したので、以下、引用し、ご紹介したい。
「世界は今までよりはるかに不安定で危険なものになっている。
日本の明日が、ウクライナやイスラエルのようにならないと誰が断言できるだろう。
アメリカは民主主義国を率いるリーダーシップを失いつつある。
E Uの理想主義はボロボロだ。
民主主義国家の陣営と、中露を中心とする独裁主義・権威主義国家陣営の対立は酷くなるばかり。
ロシアの中国依存は深まり、中露が手を組んで行動する機会が増えている。ロシアと北朝鮮は、兵器と食糧の融通で、パイプを太くしつつある。
まさに、日本にとっては『悪夢』のような状況が日々加速しているのに、なぜ、大手メディアはそれを報じないのか?
沖縄や鹿児島では、大変な勢いで、『台湾有事』に向けたシェルターの確保や、基地の強化が進む。
それを他の地域の日本人はほとんど知らされていない。
政府は、世界中から集めた情報から、『台湾有事はあるかないかではない。いつ起こるかだ』という結論に達しているのだ。多くの専門家が、台湾への武力侵攻が2027年までに起こる確率は8割を超えると判断しているのだ。
どうか、考えてほしい。
どうか、日本を取り巻く海外の情勢が大きく動き始めていることに気づいてほしい。
その上で、私たちに、この美しい国を平和な毎日を守るために何ができるか、考えてほしいのだ」。
我々国民はどれだけ正しい情報を取れているのか。
一部を除くメディアからでは正しい情報が取れなくなっている。ネットから得る情報が、ものによっては正しい情報を流したりしているのも事実であろうし、ガセネタを流すネット情報もある。しかし、現状メディアに対する不満、不安から、視聴者、購読者の減少を加速させているのではないかと思ってならない。一部を除く既存メディアの信用回復はまだ先のような気がするのは自分だけだろうか。