政治を「目的論」と「課題の分離」の視点で眺めてみた
2026.02.27
アドラー心理学には「目的論」「課題の分離」という考え方がある。
アドラーの提唱する「目的論」とは、「人の行動にはすべて目的がある」とする考え方だ。この視点で、中道改革連合による高市政権への姿勢を捉え直してみたい。

彼らは「批判することが野党の仕事だ」と主張するが、その行動の目的は果たして「国民生活を良くすること」にあるのか、それとも単に「政権を批判すること」自体にあるのか。この点に照らして考えると、彼らの政治姿勢には疑問を抱かざるを得ない。実際、今回の衆院選の結果が示す通り、「批判のための批判」では何も好転しないと考えるのが自然だろう。

政治家は本来、国民生活を向上させるために存在する。私個人としては、「国民生活のため」という目的と、「政治を良くするための批判」という手段は明確に分けて考えるべきだと考えている。しかし、現在の中道改革連合はこの境界が曖昧であり、アドラーが提唱する「課題の分離」ができていないのではないだろうか。

このように、中道改革連合の政治姿勢をアドラー心理学の視点で分析することで、現在の日本政治を異なる角度から見通すことができる。
2026年2月に行われた第51回衆議院議員総選挙において、中道改革連合は「自民大勝・中道惨敗」という厳しい現実に直面した。自民党が単独で衆院の3分の2を超える316議席を獲得する歴史的大勝を収めた一方、中道改革連合は公示前の167議席から49議席へと激減し、小選挙区で軒並み敗退した。この背景には、「批判そのものが仕事」という彼らの姿勢が、国民の生活実感と大きく乖離していた可能性が指摘されている。

「目的論」の視点から批判の本質を考えると、中道改革連合が「批判こそが野党の仕事」と標榜したことは、彼らの行動目的が「政府の監視と是正」にのみ置かれていたことを示唆している。しかし、国民側はあくまで「自分たちの生活が良くなること」を目的として政治を評価する。中道改革連合が「反高市」を掲げ、家計への分配重視を訴えながらも、実際の行動が批判に終始したことは、多くの有権者の目に「生活を良くするための行動」とは映らなかった。
また、アドラーの「課題の分離」を当てはめると、彼らが「政権批判(政治の質を問う課題)」と「国民生活の向上(政治の結果を出す課題)」を混同している現状が浮き彫りになる。立憲民主党と公明党の有志により結成された中道改革連合は、当初「生活者と平和を守る政治」を掲げていた。しかし、今日の実際の国会論戦では、高市首相の言葉遊びや、自民党議員315名へのカタログギフト送付問題といった追及に終始した。こうした姿勢こそが、課題の分離を欠いた今の野党の限界を象徴している。

政治家にとって、政権批判は一つの手段であって目的ではない。しかし、「批判すること」が自己目的化してしまうと、国民の生活という「本来の目的」が置き去りになる。今回の選挙結果は、有権者が「批判だけでは生活は変わらない」と冷静に判断し、自らの生活課題を野党の政局課題から切り離した(分離した)結果とも言えるだろう。

高市首相が掲げる「強い日本」を目指す経済政策(サナエノミクス2.0)が、批判を繰り返す野党への不安を上回る形で支持を得た。一方で、中道改革連合は主力メンバーが小選挙区で相次いで落選。「批判が仕事」という姿勢が、建設的な議論を望む無党派層を遠ざけた結果と言える。
現在、中道改革連合の内部では、アドラーの言う「課題の分離」ができていなかったツケが、組織の崩壊として現れている状況が垣間見られる。内部からは「高市政権の粗探しに終始し、自分たちが何を成し遂げたいのかという『目的』を語れなかった」という自省の声が上がる一方で、立憲出身者と公明出身者の間では「責任のなすり合い」という、さらなる課題の混同が始まっている。この「これ以上一緒にいても先がない」という内部対立は、一部議員の離党の動きへと加速しており、中道は存続の危機に立たされていると感じる。

衆院選で歴史的圧勝を収めた高市政権だが、参議院では依然として与党が過半数を割る「ねじれ」の状態にある。この状況を打破するため、高市首相は「批判を目的とする野党」を切り捨て、実務的な協力を得られる勢力との連携を急速に強めている。
アドラーの「課題の分離」という視点で見れば、高市首相は「政権監視」を野党の自由な課題としつつも、「法案成立=国政運営」という自身の課題を完遂するために、協力相手を冷徹に選別していると言える。高市首相は、中道改革連合のような「批判そのものが仕事」とする勢力とは一線を画し、政策実現を優先する国民民主党へのアプローチを強めている。一方、国民民主党側は「是々非々」という言葉を盾に煮え切らない態度を見せることもあるが、高市首相は減税やエネルギー政策など、自民党保守派と親和性の高い政策で妥協点を探る姿勢を公言している。
高市首相の狙いは、批判に終始する野党に対し「国民の生活のために協力しないのか」という問いを突きつけることで、中道改革連合を「反対のための反対」という袋小路に追い込むことにあるだろうとも考えられる。

今回の衆院選結果を受け、中道改革連合は「国民生活の向上」という本来の目的(課題)を見失っていたことへの批判に晒されている。党内では、国民民主党のように是々非々路線へ転換し、参院でキャスティングボートを握るべきだとする勢力と、「自民大勝は一時的な熱狂に過ぎない」としてさらに批判を強めるべきだとする勢力が対立しているようにも思われる。
しかし、前者の「是々非々路線」はすでに国民民主や維新が席巻しており、後者の「純化路線」は衆院選で否定されたばかりだ。中道改革連合の最大のジレンマは、独自の「目的(存在理由)」そのものを見失いつつある点にあると考える。高市首相はこの「内紛」を見逃さず、あえて維新や国民民主の案を取り入れることで「私は広く意見を聞いているが、協力しない中道は国民生活を軽視している」という構図を作り出し、彼らの存在価値を無効化する戦略を採っているようにも思う。

政治家が「批判」を自己目的化することは、国民の「生活向上」という本来の課題から目を背ける行為に他ならない。今回の衆院選の結果は、「あなたの批判という課題は、私の生活という課題を解決してくれない」という有権者からの明確な通告であった。
中道改革連合が今後、この「課題の分離」を真摯に受け止め、政権への憎悪ではなく国民への貢献を「目的」に据え直せるかが問われている。「目的論」に立てば、政治の目的はあくまで「国民の幸せ」であるべきだ。しかし、いつの間にか「相手を倒すこと」や「論破すること」が目的(手段の目的化)にすり替わったとき、有権者はその違和感を敏感に察知し、今回の選挙結果という形で答えを出す。
「課題の分離」を行い、政治家が自らの役割を「批判」ではなく「創造」に見出したとき、日本の政治もまた一歩、建設的な方向へ進むのではないだろうか。
2026.02.27 12:50 | 固定リンク | その他

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