「次代への伝承」という意義
2023.09.19
来る9月24日(日)に靖國神社「偕行の間」において、「次代への伝承~英霊は我々に何を託したのか~」トークライブを寺子屋「玉川未来塾」主催で開催する。
戦後78年を迎え、昭和から平成、令和と時代が移り変わり、戦争体験者が急速に減っている中、大東亜戦争が「記憶」から「歴史」へと変わっていく昨今において、「あの戦争が残したものとは何だったのか」、そして、「先人が死を賭して遺したもの、命と引き換えに伝えたものは何なのか」を改めて考える必要があるのではないか、と考えており、そのため、今日の日本の礎を築いた英霊に感謝の誠を捧げるとともに、先人の声を、思いを、次代へとつないでいくためのイベントを、毎年開催するなかで、今回は「次代への伝承~英霊は我々に何を託したのか~」をテーマに開催する。
終戦を迎えて今年で78年。靖国神社には幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の御霊がまつられているが、そのうち213万人が大東亜戦争で亡くなられた。その中でも、特攻作戦に従事した特攻戦死者は、「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によると、海軍2,531名、陸軍1,417名、計3,948名。そして、鹿児島県の知覧基地を始め、九州各地、また、当時日本が統治していた台湾など、多くの基地から出撃しましたが、本土最南端に基地があった知覧基地は、特攻作戦で439名と最も多く戦死している。
祖国を護るために昭和19年10月に特攻作戦が開始され、沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間(けらま)列島に上陸した昭和20年3月26日から始まり、そして、特攻作戦が開始されて、来年で80年を迎える。
特攻作戦とは、「特別攻撃作戦」の意味で、他の戦闘と根本的に違う点が「必ず死ぬこと」が定められた作戦であるということで、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈めるという『必死』条件の作戦であった。
その知覧で「富屋食堂」を営み、その出撃前のわずかな日々を富屋食堂で過ごした10代から20代の若い特攻隊員達をわが子のように慈しみ、「特攻の母」と呼ばれ、そして、私財を投げ打ってまでも親身に接したのが「鳥濱トメ」さんであった。
故石原慎太郎氏はかつて「生きた菩薩という言葉があるが、そんな人を私はこの世で一人だけ知っている」という書き出しで、鳥濱トメさんを紹介している。
鳥濱トメさんは明治35年、鹿児島県川辺郡坊津町で生まれ、鉄道員の旦那様と結婚したあと、昭和4年、同じ郡の知覧町で「富屋食堂」を開きます。大東亜戦争の末期、知覧飛行場は陸軍特攻隊の出撃基地となり、この食堂を利用する特攻隊員たちはトメさんを母親のように慕う。
「蛍になって帰ってきます」と言って出撃をした宮川三郎少尉、「明日死にますから故郷の歌をうたわして下さい」と言って、「アリラン」を歌った朝鮮出身の光山文博少尉、他、特攻隊員たちとのエピソードは数知れず。
その特攻隊員たちを我が子のように迎え、時には家財を売ってまでも食べたいものを食べさせたり、軍には内緒で隊員から私信を預かったり、隊員の最後の様子を家族にしたためたりした鳥濱トメさん。
特攻隊員たちが命を賭してまでも守りたかったものは何だったのか。将来の我々に何を託したのか。私心が渦巻くこんな世の中だからこそ、公のために身を尽くした英霊の思いを噛み締めたいと思うのだ。
靖國神社の社報9月号は、一緒にお仕事をさせていただいた桑原聡元雑誌「正論」編集長のエッセイが寄稿されている。
東条英機と共に絞首刑に処された土肥原賢二を祖父に持つ歌人、佐伯裕子さんが紹介され、
その中でも、以下の文章に心が留まった。
佐伯さんが詠んだ歌の中の一首。
「一度だけ叫んでみたし『死に人をさらして殺して何の誉れか』」
平成18年8月15日に小泉純一郎首相が靖國神社を公式参拝し、内外から声高に議論が沸き起こった。そして、平成19年、『みずうみ』と題した歌集を上梓し、その中の一首である。
さらに、文章は次のように進む。
「伝統や文化が魂にしみこんだ存在、すなわち人間が、宗教施設に祀られた死者を悼み、感謝しようとするとき、その行為を静かに見守るのは、どんな国においても、人として最低の義務であろう。自分の価値観にそぐわないと、その行為を声高に非難する者、それに対して、『収まりのよい物語』に付和雷同して大声で反論する者は、ただの動物ではないか。非難する者にも反論する者にも、靖國の政治利用という薄汚い思惑が感じてならないのだ。そんな議論が、遺族を深く悲しませ、傷つけていることに、彼らは思いが及ばない。
佐伯さんの一首は、遺族の痛切な叫びであり、それでなく、魂が壊れゆく現代人に対する警鐘として心に突き刺さる。
魂を持つ人間であるならば、参拝は静かに行い、静かに見守りたい」。
深く賛同する内容である。
大東亜戦争の真実と事実。それを探るべく、近現代史のバイブルとして国民に長きにわたり読まれている『大東亜戦争への道』(中村粲著・展転社)、著者は終章の「改めて大東亜戦争を思ふ」の中で、以下のように記している。
「結果論的に敗れた戦争を裁断するのではなく、戦争に至った明治以来の歴史の流れを、当時の人々の我が心として振返る時、あの戦争を『愚かな戦争』と傍観者的に冷笑することはできない。それは、歴史を担った誠実なる人々に対する冒涜のやうに思はれるのだ。『破滅への道』を願った日本人は一人も居なかった筈だ。誤算を不誠実と混同してはならぬ」。
歴史を今の目線で語るのではなく、その時代まで遡って、その時代と同じ目線で見た時に映るものは、決して今の時代の目線と同じではない。その時代と同じ目線で見た時に、あの戦争を愚かな戦争と断罪できるのだろうか。戦争は決して起こしてはならないのは当然の事。しかし、大東亜戦争について、家族を、恋人を守るために命を賭して戦った先人の思いや事実は、決して否定できるものではないし、今の時代の目線で断罪してはならないと私は思っている。そして、正しく歴史を学び、左翼に毒された戦後日本の近現代史教育を客観的に見、そして間違った教えを正し、正しい歴史の真実が、全うに語り継がれるべく、私自身、今後も活動をしていく所存である。
「次代への伝承~英霊は我々に何を託したのか~」トークライブ本番まで、あと5日。
昇殿参拝後、知覧陸軍特攻基地から出撃をした特攻隊員と“特攻の母”として特攻隊員の出撃を見守った鹿児島・知覧の「富屋食堂」のおかみ・鳥濱トメさんとの秘話である、舞台「帰って来た蛍」で脚本・演出・製作総指揮を務めた柿崎ゆうじ監督と、その舞台で鳥濱トメさんを演じている女優の伊藤つかささんをゲストに、ジャーナリストの葛城奈海さんの司会進行でお届けする。先人の思いや正しい歴史観について、お話をいただきたくこととしている。
今日の日本の平和があるのは、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様であることに、参加者一同、靖国神社本殿にて昇殿参拝をすることにより、感謝の誠を捧げ、そして登壇者皆様のお話を心の奥深くに刻みたいと思う。
詳細、お申し込みなどは以下のURLからご覧ください。
https://www.tamagawa-miraijuku.com/event.html
御席はまだございます。ご家族、ご友人等、お誘い合わせの上、皆様のご来場を心からお待ち申し上げます。
戦後78年を迎え、昭和から平成、令和と時代が移り変わり、戦争体験者が急速に減っている中、大東亜戦争が「記憶」から「歴史」へと変わっていく昨今において、「あの戦争が残したものとは何だったのか」、そして、「先人が死を賭して遺したもの、命と引き換えに伝えたものは何なのか」を改めて考える必要があるのではないか、と考えており、そのため、今日の日本の礎を築いた英霊に感謝の誠を捧げるとともに、先人の声を、思いを、次代へとつないでいくためのイベントを、毎年開催するなかで、今回は「次代への伝承~英霊は我々に何を託したのか~」をテーマに開催する。
終戦を迎えて今年で78年。靖国神社には幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の御霊がまつられているが、そのうち213万人が大東亜戦争で亡くなられた。その中でも、特攻作戦に従事した特攻戦死者は、「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」によると、海軍2,531名、陸軍1,417名、計3,948名。そして、鹿児島県の知覧基地を始め、九州各地、また、当時日本が統治していた台湾など、多くの基地から出撃しましたが、本土最南端に基地があった知覧基地は、特攻作戦で439名と最も多く戦死している。
祖国を護るために昭和19年10月に特攻作戦が開始され、沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間(けらま)列島に上陸した昭和20年3月26日から始まり、そして、特攻作戦が開始されて、来年で80年を迎える。
特攻作戦とは、「特別攻撃作戦」の意味で、他の戦闘と根本的に違う点が「必ず死ぬこと」が定められた作戦であるということで、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈めるという『必死』条件の作戦であった。
その知覧で「富屋食堂」を営み、その出撃前のわずかな日々を富屋食堂で過ごした10代から20代の若い特攻隊員達をわが子のように慈しみ、「特攻の母」と呼ばれ、そして、私財を投げ打ってまでも親身に接したのが「鳥濱トメ」さんであった。
故石原慎太郎氏はかつて「生きた菩薩という言葉があるが、そんな人を私はこの世で一人だけ知っている」という書き出しで、鳥濱トメさんを紹介している。
鳥濱トメさんは明治35年、鹿児島県川辺郡坊津町で生まれ、鉄道員の旦那様と結婚したあと、昭和4年、同じ郡の知覧町で「富屋食堂」を開きます。大東亜戦争の末期、知覧飛行場は陸軍特攻隊の出撃基地となり、この食堂を利用する特攻隊員たちはトメさんを母親のように慕う。
「蛍になって帰ってきます」と言って出撃をした宮川三郎少尉、「明日死にますから故郷の歌をうたわして下さい」と言って、「アリラン」を歌った朝鮮出身の光山文博少尉、他、特攻隊員たちとのエピソードは数知れず。
その特攻隊員たちを我が子のように迎え、時には家財を売ってまでも食べたいものを食べさせたり、軍には内緒で隊員から私信を預かったり、隊員の最後の様子を家族にしたためたりした鳥濱トメさん。
特攻隊員たちが命を賭してまでも守りたかったものは何だったのか。将来の我々に何を託したのか。私心が渦巻くこんな世の中だからこそ、公のために身を尽くした英霊の思いを噛み締めたいと思うのだ。
靖國神社の社報9月号は、一緒にお仕事をさせていただいた桑原聡元雑誌「正論」編集長のエッセイが寄稿されている。
東条英機と共に絞首刑に処された土肥原賢二を祖父に持つ歌人、佐伯裕子さんが紹介され、
その中でも、以下の文章に心が留まった。
佐伯さんが詠んだ歌の中の一首。
「一度だけ叫んでみたし『死に人をさらして殺して何の誉れか』」
平成18年8月15日に小泉純一郎首相が靖國神社を公式参拝し、内外から声高に議論が沸き起こった。そして、平成19年、『みずうみ』と題した歌集を上梓し、その中の一首である。
さらに、文章は次のように進む。
「伝統や文化が魂にしみこんだ存在、すなわち人間が、宗教施設に祀られた死者を悼み、感謝しようとするとき、その行為を静かに見守るのは、どんな国においても、人として最低の義務であろう。自分の価値観にそぐわないと、その行為を声高に非難する者、それに対して、『収まりのよい物語』に付和雷同して大声で反論する者は、ただの動物ではないか。非難する者にも反論する者にも、靖國の政治利用という薄汚い思惑が感じてならないのだ。そんな議論が、遺族を深く悲しませ、傷つけていることに、彼らは思いが及ばない。
佐伯さんの一首は、遺族の痛切な叫びであり、それでなく、魂が壊れゆく現代人に対する警鐘として心に突き刺さる。
魂を持つ人間であるならば、参拝は静かに行い、静かに見守りたい」。
深く賛同する内容である。
大東亜戦争の真実と事実。それを探るべく、近現代史のバイブルとして国民に長きにわたり読まれている『大東亜戦争への道』(中村粲著・展転社)、著者は終章の「改めて大東亜戦争を思ふ」の中で、以下のように記している。
「結果論的に敗れた戦争を裁断するのではなく、戦争に至った明治以来の歴史の流れを、当時の人々の我が心として振返る時、あの戦争を『愚かな戦争』と傍観者的に冷笑することはできない。それは、歴史を担った誠実なる人々に対する冒涜のやうに思はれるのだ。『破滅への道』を願った日本人は一人も居なかった筈だ。誤算を不誠実と混同してはならぬ」。
歴史を今の目線で語るのではなく、その時代まで遡って、その時代と同じ目線で見た時に映るものは、決して今の時代の目線と同じではない。その時代と同じ目線で見た時に、あの戦争を愚かな戦争と断罪できるのだろうか。戦争は決して起こしてはならないのは当然の事。しかし、大東亜戦争について、家族を、恋人を守るために命を賭して戦った先人の思いや事実は、決して否定できるものではないし、今の時代の目線で断罪してはならないと私は思っている。そして、正しく歴史を学び、左翼に毒された戦後日本の近現代史教育を客観的に見、そして間違った教えを正し、正しい歴史の真実が、全うに語り継がれるべく、私自身、今後も活動をしていく所存である。
「次代への伝承~英霊は我々に何を託したのか~」トークライブ本番まで、あと5日。
昇殿参拝後、知覧陸軍特攻基地から出撃をした特攻隊員と“特攻の母”として特攻隊員の出撃を見守った鹿児島・知覧の「富屋食堂」のおかみ・鳥濱トメさんとの秘話である、舞台「帰って来た蛍」で脚本・演出・製作総指揮を務めた柿崎ゆうじ監督と、その舞台で鳥濱トメさんを演じている女優の伊藤つかささんをゲストに、ジャーナリストの葛城奈海さんの司会進行でお届けする。先人の思いや正しい歴史観について、お話をいただきたくこととしている。
今日の日本の平和があるのは、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様であることに、参加者一同、靖国神社本殿にて昇殿参拝をすることにより、感謝の誠を捧げ、そして登壇者皆様のお話を心の奥深くに刻みたいと思う。
詳細、お申し込みなどは以下のURLからご覧ください。
https://www.tamagawa-miraijuku.com/event.html
御席はまだございます。ご家族、ご友人等、お誘い合わせの上、皆様のご来場を心からお待ち申し上げます。
次代へ繋ぐ 来場者の感想
2023.08.29
去る8月26日(土)、第8回「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントを、有志スタッフを含め、約50名の方々にお越しいただきました。ご来場いただきました皆様、誠にありがとうございました。しかも、松本部長のお話を聞く方は半分以上と、また新しい方々にお越しいただき、心から感謝申し上げます。
受付開始後、土砂降りの雨に見舞われましたが、昇殿参拝する頃には不思議とその雨も止み、厳かで清々しい空気の中、来場者の皆様と一緒に本殿にて昇殿参拝をさせていただき、英霊に感謝の誠を捧げさせていただきました。
昇殿参拝後は、靖國神社禰宜の松本聖吾総務部長から「次代へ繋ぐ英霊の思い」と題して、貴重なお話を賜りました。その中で民俗学者の柳田國男は、『先祖の話』について触れられていました。また、1942年より従軍作家として各戦線で活動した作家の山本荘八のお話に触れ、筑波隊の西田高光中尉の以下の話を新聞記事から引用され、お話をされました。
山岡荘八は、古畳の上に胡坐(あぐら)して、教え子に最後の返事を書いている西田中尉に、「この戦を果たして勝ち抜けると思っているのかどうか?」「もし負けても、悔いはないのか?」「今日の信協になるまでにどのような心理の波があったか」など、禁句になっている質問を矢継ぎ早にしたそうですが、西田中尉は、重い口調で、「現在ここに来る人々はみな自分から進んで志願したものであること。したがって、もはや動揺期は克服していること」。そして「学鷲(がくわし)は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです・・・おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに・・・」。
そして、特攻は犬死ではない。「ありがとうございます」と感謝の気持ちを捧げて貰いたいとのお話。英霊のご遺書、残された遺族、奥様から英霊へのお手紙など、テレビなどでは放送されていない、歴史の真実があり、目頭が熱くなりました。約1時間のご講演をいただき、松本部長、ありがとうございました。
今年の私のイベント来場者には20代、30代の若い世代もお越しになりました。当日、お越しいただきました皆様より、感想をいただきました。次代を担う青年たちからの感想も含まれていますので、以下の通り、紹介させていただきます。
・学校教育の場で正しい教育がされることを切に願います。(埼玉県在住・50代男性)
・靖国神社関連の報道で理解していたことが、松本総務部長からのお話で、真実を知ることができました。その後の遊就館では展示品の数々に感動しました。久々に日本の歴史に触れ有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございました。(東京都在住・40代女性)
・戦中から戦後のリアルな事実は、日本人として、もっと知っておく必要があると思いました。(東京都在住・50代男性)
・今回は靖国の歴史から自分の意志とは異なり日本を護るという大義の為に命を失ってまでも戦った御英霊の皆様の話を聞き自分自身は「何のために生かされているのか」という事を考えさせられました。また、松本様の話されていたお言葉で「普段自分たちが自分の事で悩んで苦しんで悲しむのは御英霊が普通では無い精神状態で国のため、人のためにくるしんでいたから」ということに自分の悩み等いかにちっぽけで、御英霊のおかげで自分の事で悩めるのだと気付かされました。このように健康で好きなように仕事をしていられるのは御英霊のおかげであり感謝の心をもって靖国へ訪れる事が自分に出来る国護りと思いました。また、本日台湾から来た観光客の参加者で昇殿参拝アテンドした方も遊就館で長い時間滞在し学ばれてました。そこから感じたのは、一人でも多く靖国について伝えられる人になりたいと思いました。この度は貴重な機会をありがとうございました。(埼玉県在住・30代男性)
・今回、お声がけをいただき、ありがとうございました。かねてから、昇殿参拝をしたいと思いながら、行動に起こせなかったところに、お知らせをいただき、参加いたしました。あらためて、日本のために命を尽くした方々へ感謝の気持をお伝えすることができました。一方で今の日本の状況を英霊の方々がご覧になっているかを考えると、恥ずかしく、もどかしい気持ちにもなりました。自身の力は、本当に微々たるものではありますが、何かお役に立てることを見つけ、尽力できればと思います。また、このような機会を設けていただき、本当にありがとうございました。機会がありましたら、他のイベントにも参加できればと思います。よろしくお願い致します。(東京都在住・50代女性)
・松本部長のお話を初めて拝聴させて頂きました。冒頭にお話頂いた靖國神社の歴史はとても面白く、そんなことがあったのかと楽しく拝聴致しました。終始印象深いお話でしたが、最も印象的に感じたのが、特攻で散華されたご英霊のお母様のお話でした。私の地元が北海道で、札幌には沖縄戦で命を失った方の慰霊碑があります。沖縄戦は沖縄出身の方に次いで2番目に多く出征したのが北海道出身者と聴いていたので、身近に感じました。お母様のご子息を想う気持ちには胸が締め付けられ、37年という年月を経て、花嫁人形を奉納されても尚、ご子息の生存を信じていたのではないかと想像し、涙が止まらなくなりました。残される側の気持ちを考えると、未だに反戦平和を訴える方がいても致し方ないのかとも感じました。しかしながら、今の日本が存在することは命を懸け戦って下さったご英霊の方々がいるからであり、感謝という気持ちを伝え残していく義務が私たちにはあると強く感じます。自身の仕事、プライベート、使えるものを使い、感謝の気持ちを後世へ伝えていける1人となっていきます。この度は貴重なご講演をありがとうございました。また、難しいかもしれませんが、無事生きて帰還された兵士の方のお話をお伺いしてみたいです。ご年齢の問題もあるかと思うので、ご子息や子孫の方からの間接的なものでも構いませんので是非お聞きしてみたいです。(東京都在住・30代女性)
・普段は聞かれない話を受講して、心が洗われる内容でした。貴重なお話が聞けて良かったです。ありがとうございます。(東京都在住・50代男性)
・歴史が正しく教えられていないことと、最近、建国の歴史や神話について教えられていないのは日本しかないということを知り、国史を国史を調べていたところで、実際にお話を聞くことができ、良かったです。(東京都在住・40代女性)
・昨年より、定期的に昇殿参拝に参加させていただいています。このような機会を作っていただき、ありがとうございます。松本部長のお話も昨年お聞きしましたが、今回、改めて新鮮な気持ちできくことができました。来年もよろしくお願いします。(神奈川県在住・40代男性)
・長年、遺族の方と接してこられた方の話は貴重でした。風化、誤って伝えられないようにしていかなければと痛感しました。(神奈川県在住・70代男性)
・「ありがとう」。非常に素晴らしい日本語ですね。今回もありがとうございました。(埼玉県在住・70代男性)
・本殿に昇っての参拝にも感激したが、松本部長の講演に涙が止まらなった。力尽くして語り継いでいきたい。(東京都在住・60代男性)
・少し前まで毎年終戦記念日に参拝しておりましたが、ここ数年はお参りできていませんでした。本日、祖父の声掛けで、このような貴重な機会に再び参拝、講演を拝聴でき、大変良かったと感じております。松本様のお話を聞くことができ、良かったです。英霊の遺書には、涙が止まりませんでした。ありがとうの気持ちを忘れず、これからも靖國に参拝し続けたいです。(東京都在住・20代女性)
・戦争は大人がおこし、子供が被害者であること。大切な自然、交流が破壊されていくことへの理不尽さを感じました。何の罪もない人が次々と殺されていく戦争は二度とあってはならないと思います。戦争病者の方々とそのご家族とともに辛い経験をした分、きっと大きな幸せに繋がります。安心安全な暮らしが出来る事を今後も平和でありますように心から祈っています。特攻隊の話、もっとたくさん聞きたいです。本日は貴重なお話をありがとうございました。(千葉県在住・50代女性)
・今まで自分が見てきたり調べてきたりした大東亜戦争の情報とは違い、戦時中に残されてきた手紙から様々な想いが伝わってくる話が聞けた。(千葉県在住・10代男性)
・参加させていただいて本当に良かったと思っております。亡くなっていった皆様に恥ずかしくないような生き方をしたいと思います。本当にありがとうございました。(千葉県在住・40代女性)
・玉川塾も存じ上げず・・・(すみません)。「昇段参拝できるいい機会だな」と勢いで申し込みました。松本禰宜の貴重なお話も聞けて大変有意義な時間を過ごすことができました(心配しましたが、息子たちが騒がずに終わって良かったです・・・)。次の予定があったため、遊就館での時間が全く足りず・・・。長男はわりと興味があるので次回は「一日かけてまわろう」と約束して帰路につきました。またいろんなイベントに参加させていただきたいなと思いました。(東京都在住・40代女性)
・昨年に引き続き、今年も参加させていただきました。松本総務部長様のお話、昨年の「みたままつり」の盆踊りのことがとても印象に残っていたので、今年は初めてみたままつりを訪れ、盆踊りを感慨深く拝見しました。民俗学者・柳田国男先生の、若い戦死者のためにも慰霊の祭は盛大に行わなくてはならない、という言葉を深く胸に刻む一日となりました。さて、昭和37年朝日新聞の「最後の従軍」もまた、胸を打たれるものでした。特攻隊員として飛び立つ兵隊も、それを送る妻も、覚悟を持っていたのかと絶句する思いでした。あの頃の朝日新聞には、このような記事もあったんですねえ・・・。大切な人々を生かすために、己の生きたいという思いを断ち切って亡くなられた方々に、感謝の気持ちを持たずにおれないと改めて思います。そう思って、遊就館を見学すると、“民族の誇り”を感じつつ、より良い国を未来につなぐ責任を強く感じざるを得ないですね。昇殿参拝と遊就館見学がセットなのはとても良いと思います。企画、ありがとうございます。(東京都在住・50代女性)
・松本部長のお話は毎年聴かせて頂いておりますが、今回も「もっと多くの人に伝えていかねば」「もっと頑張らねば」と背筋が伸び、その気持ちを新たにすることができました。国の為に命を捧げた英霊たちの想いに応えるためにも、私たちは後に続いていかねばなりません。今後お参りする人が増えることを信じ、首相の靖国参拝が実現する日を信じ、行動を続けていきます。貴重なご講演をありがとうございました。(神奈川県在住・40代男性)
この感想をご覧いただきました読者の皆様はどう思われますか。
来月もイベントを開催します。
9/24(日)、靖国神社本殿にて昇殿参拝後、「次代への伝承〜英霊は我々に何を託したのか〜」をテーマに、知覧陸軍特攻基地から出撃した特攻隊員と、“特攻の母”として特攻隊員の出撃を見守った鹿児島・知覧「富屋食堂」のおかみ・鳥濱トメさんとの秘話である、舞台「帰って来た蛍」で脚本・演出・製作総指揮を務めた柿崎ゆうじ監督と、その舞台で鳥濱トメさんを演じた女優・伊藤つかささん、そして、ファシリテーターにジャーナリストの葛城奈海さんにご登壇いただき、お話をいただくこととしています。
お申し込みは以下のURLより可能です。
http://d.quel.jp/8961486
次回も英霊へ感謝の誠を捧げたいと思います。
受付開始後、土砂降りの雨に見舞われましたが、昇殿参拝する頃には不思議とその雨も止み、厳かで清々しい空気の中、来場者の皆様と一緒に本殿にて昇殿参拝をさせていただき、英霊に感謝の誠を捧げさせていただきました。
昇殿参拝後は、靖國神社禰宜の松本聖吾総務部長から「次代へ繋ぐ英霊の思い」と題して、貴重なお話を賜りました。その中で民俗学者の柳田國男は、『先祖の話』について触れられていました。また、1942年より従軍作家として各戦線で活動した作家の山本荘八のお話に触れ、筑波隊の西田高光中尉の以下の話を新聞記事から引用され、お話をされました。
山岡荘八は、古畳の上に胡坐(あぐら)して、教え子に最後の返事を書いている西田中尉に、「この戦を果たして勝ち抜けると思っているのかどうか?」「もし負けても、悔いはないのか?」「今日の信協になるまでにどのような心理の波があったか」など、禁句になっている質問を矢継ぎ早にしたそうですが、西田中尉は、重い口調で、「現在ここに来る人々はみな自分から進んで志願したものであること。したがって、もはや動揺期は克服していること」。そして「学鷲(がくわし)は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです・・・おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに・・・」。
そして、特攻は犬死ではない。「ありがとうございます」と感謝の気持ちを捧げて貰いたいとのお話。英霊のご遺書、残された遺族、奥様から英霊へのお手紙など、テレビなどでは放送されていない、歴史の真実があり、目頭が熱くなりました。約1時間のご講演をいただき、松本部長、ありがとうございました。
今年の私のイベント来場者には20代、30代の若い世代もお越しになりました。当日、お越しいただきました皆様より、感想をいただきました。次代を担う青年たちからの感想も含まれていますので、以下の通り、紹介させていただきます。
・学校教育の場で正しい教育がされることを切に願います。(埼玉県在住・50代男性)
・靖国神社関連の報道で理解していたことが、松本総務部長からのお話で、真実を知ることができました。その後の遊就館では展示品の数々に感動しました。久々に日本の歴史に触れ有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございました。(東京都在住・40代女性)
・戦中から戦後のリアルな事実は、日本人として、もっと知っておく必要があると思いました。(東京都在住・50代男性)
・今回は靖国の歴史から自分の意志とは異なり日本を護るという大義の為に命を失ってまでも戦った御英霊の皆様の話を聞き自分自身は「何のために生かされているのか」という事を考えさせられました。また、松本様の話されていたお言葉で「普段自分たちが自分の事で悩んで苦しんで悲しむのは御英霊が普通では無い精神状態で国のため、人のためにくるしんでいたから」ということに自分の悩み等いかにちっぽけで、御英霊のおかげで自分の事で悩めるのだと気付かされました。このように健康で好きなように仕事をしていられるのは御英霊のおかげであり感謝の心をもって靖国へ訪れる事が自分に出来る国護りと思いました。また、本日台湾から来た観光客の参加者で昇殿参拝アテンドした方も遊就館で長い時間滞在し学ばれてました。そこから感じたのは、一人でも多く靖国について伝えられる人になりたいと思いました。この度は貴重な機会をありがとうございました。(埼玉県在住・30代男性)
・今回、お声がけをいただき、ありがとうございました。かねてから、昇殿参拝をしたいと思いながら、行動に起こせなかったところに、お知らせをいただき、参加いたしました。あらためて、日本のために命を尽くした方々へ感謝の気持をお伝えすることができました。一方で今の日本の状況を英霊の方々がご覧になっているかを考えると、恥ずかしく、もどかしい気持ちにもなりました。自身の力は、本当に微々たるものではありますが、何かお役に立てることを見つけ、尽力できればと思います。また、このような機会を設けていただき、本当にありがとうございました。機会がありましたら、他のイベントにも参加できればと思います。よろしくお願い致します。(東京都在住・50代女性)
・松本部長のお話を初めて拝聴させて頂きました。冒頭にお話頂いた靖國神社の歴史はとても面白く、そんなことがあったのかと楽しく拝聴致しました。終始印象深いお話でしたが、最も印象的に感じたのが、特攻で散華されたご英霊のお母様のお話でした。私の地元が北海道で、札幌には沖縄戦で命を失った方の慰霊碑があります。沖縄戦は沖縄出身の方に次いで2番目に多く出征したのが北海道出身者と聴いていたので、身近に感じました。お母様のご子息を想う気持ちには胸が締め付けられ、37年という年月を経て、花嫁人形を奉納されても尚、ご子息の生存を信じていたのではないかと想像し、涙が止まらなくなりました。残される側の気持ちを考えると、未だに反戦平和を訴える方がいても致し方ないのかとも感じました。しかしながら、今の日本が存在することは命を懸け戦って下さったご英霊の方々がいるからであり、感謝という気持ちを伝え残していく義務が私たちにはあると強く感じます。自身の仕事、プライベート、使えるものを使い、感謝の気持ちを後世へ伝えていける1人となっていきます。この度は貴重なご講演をありがとうございました。また、難しいかもしれませんが、無事生きて帰還された兵士の方のお話をお伺いしてみたいです。ご年齢の問題もあるかと思うので、ご子息や子孫の方からの間接的なものでも構いませんので是非お聞きしてみたいです。(東京都在住・30代女性)
・普段は聞かれない話を受講して、心が洗われる内容でした。貴重なお話が聞けて良かったです。ありがとうございます。(東京都在住・50代男性)
・歴史が正しく教えられていないことと、最近、建国の歴史や神話について教えられていないのは日本しかないということを知り、国史を国史を調べていたところで、実際にお話を聞くことができ、良かったです。(東京都在住・40代女性)
・昨年より、定期的に昇殿参拝に参加させていただいています。このような機会を作っていただき、ありがとうございます。松本部長のお話も昨年お聞きしましたが、今回、改めて新鮮な気持ちできくことができました。来年もよろしくお願いします。(神奈川県在住・40代男性)
・長年、遺族の方と接してこられた方の話は貴重でした。風化、誤って伝えられないようにしていかなければと痛感しました。(神奈川県在住・70代男性)
・「ありがとう」。非常に素晴らしい日本語ですね。今回もありがとうございました。(埼玉県在住・70代男性)
・本殿に昇っての参拝にも感激したが、松本部長の講演に涙が止まらなった。力尽くして語り継いでいきたい。(東京都在住・60代男性)
・少し前まで毎年終戦記念日に参拝しておりましたが、ここ数年はお参りできていませんでした。本日、祖父の声掛けで、このような貴重な機会に再び参拝、講演を拝聴でき、大変良かったと感じております。松本様のお話を聞くことができ、良かったです。英霊の遺書には、涙が止まりませんでした。ありがとうの気持ちを忘れず、これからも靖國に参拝し続けたいです。(東京都在住・20代女性)
・戦争は大人がおこし、子供が被害者であること。大切な自然、交流が破壊されていくことへの理不尽さを感じました。何の罪もない人が次々と殺されていく戦争は二度とあってはならないと思います。戦争病者の方々とそのご家族とともに辛い経験をした分、きっと大きな幸せに繋がります。安心安全な暮らしが出来る事を今後も平和でありますように心から祈っています。特攻隊の話、もっとたくさん聞きたいです。本日は貴重なお話をありがとうございました。(千葉県在住・50代女性)
・今まで自分が見てきたり調べてきたりした大東亜戦争の情報とは違い、戦時中に残されてきた手紙から様々な想いが伝わってくる話が聞けた。(千葉県在住・10代男性)
・参加させていただいて本当に良かったと思っております。亡くなっていった皆様に恥ずかしくないような生き方をしたいと思います。本当にありがとうございました。(千葉県在住・40代女性)
・玉川塾も存じ上げず・・・(すみません)。「昇段参拝できるいい機会だな」と勢いで申し込みました。松本禰宜の貴重なお話も聞けて大変有意義な時間を過ごすことができました(心配しましたが、息子たちが騒がずに終わって良かったです・・・)。次の予定があったため、遊就館での時間が全く足りず・・・。長男はわりと興味があるので次回は「一日かけてまわろう」と約束して帰路につきました。またいろんなイベントに参加させていただきたいなと思いました。(東京都在住・40代女性)
・昨年に引き続き、今年も参加させていただきました。松本総務部長様のお話、昨年の「みたままつり」の盆踊りのことがとても印象に残っていたので、今年は初めてみたままつりを訪れ、盆踊りを感慨深く拝見しました。民俗学者・柳田国男先生の、若い戦死者のためにも慰霊の祭は盛大に行わなくてはならない、という言葉を深く胸に刻む一日となりました。さて、昭和37年朝日新聞の「最後の従軍」もまた、胸を打たれるものでした。特攻隊員として飛び立つ兵隊も、それを送る妻も、覚悟を持っていたのかと絶句する思いでした。あの頃の朝日新聞には、このような記事もあったんですねえ・・・。大切な人々を生かすために、己の生きたいという思いを断ち切って亡くなられた方々に、感謝の気持ちを持たずにおれないと改めて思います。そう思って、遊就館を見学すると、“民族の誇り”を感じつつ、より良い国を未来につなぐ責任を強く感じざるを得ないですね。昇殿参拝と遊就館見学がセットなのはとても良いと思います。企画、ありがとうございます。(東京都在住・50代女性)
・松本部長のお話は毎年聴かせて頂いておりますが、今回も「もっと多くの人に伝えていかねば」「もっと頑張らねば」と背筋が伸び、その気持ちを新たにすることができました。国の為に命を捧げた英霊たちの想いに応えるためにも、私たちは後に続いていかねばなりません。今後お参りする人が増えることを信じ、首相の靖国参拝が実現する日を信じ、行動を続けていきます。貴重なご講演をありがとうございました。(神奈川県在住・40代男性)
この感想をご覧いただきました読者の皆様はどう思われますか。
来月もイベントを開催します。
9/24(日)、靖国神社本殿にて昇殿参拝後、「次代への伝承〜英霊は我々に何を託したのか〜」をテーマに、知覧陸軍特攻基地から出撃した特攻隊員と、“特攻の母”として特攻隊員の出撃を見守った鹿児島・知覧「富屋食堂」のおかみ・鳥濱トメさんとの秘話である、舞台「帰って来た蛍」で脚本・演出・製作総指揮を務めた柿崎ゆうじ監督と、その舞台で鳥濱トメさんを演じた女優・伊藤つかささん、そして、ファシリテーターにジャーナリストの葛城奈海さんにご登壇いただき、お話をいただくこととしています。
お申し込みは以下のURLより可能です。
http://d.quel.jp/8961486
次回も英霊へ感謝の誠を捧げたいと思います。
第8回「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントのお知らせ
2023.07.27
靖國神社は明治2年に東京招魂社として創建され、明治12年に現在の名称になりました。
幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の霊がまつられており、うち213万人が大東亜戦争の死者の霊です。
昭和から平成、令和と時代が移り、戦争体験者が急速に減っている中、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあります。
今日の日本人は、「かつて日本軍は、アジア諸国を侵略し、略奪するなどをして地元の人々に大変つらい思いをさせたことを今でもアジアの諸国民は恨み続けている」と教えられた間違った歴史を今でも信じ、正しい歴史を知らない人も少なくありません。
戦後のGHQの占領政策(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)により、日本人の精神は骨抜きにされました。心無い事件が多発し、人のありがたみを感じない振る舞いをする人が多くなり、日本人の本来持っている「道徳心」は無くなってしまったのかと思うほど。「我々はこんな日本にするために命を賭して戦ったのではない」と英霊からの声が聞こえてきそうです。
今日の平和があるのは間違いなく、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様。先祖の尊い犠牲があったからこそ、今日の平和があるのです。
そのような思いから、国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げたいと思います。そして、靖國神社職員による講演を聞き、遊就館を見学することにより、今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ることを目的に、本イベントを平成28年から実施してきました。
国のために尊い命をささげた先祖を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をして、そして遊就館を見学することによって今日の学校教育とは違った視点から歴史を学ぶことを目的に今年も以下の通り実施いたします。
【日時】令和5年8月26日(土)
12時受付開始、13時昇殿参拝、13時30分講演開始、14時30分閉会予定
閉会後、遊就館自由拝観
【会場】靖國神社参集殿(講演会場は参集殿2階)及び遊就館(東京都千代田区九段北3-1-1)
JR
・中央・総武線各駅停車「飯田橋駅(西口)」、「市ヶ谷駅」より徒歩(約10分)
地下鉄
・東西線/半蔵門線/都営新宿線「九段下駅(出口1)」より徒歩(約5分)
・有楽町線/南北線/都営新宿線「市ヶ谷駅(A4出口)」より徒歩(約10分)
・東西線/有楽町線/南北線「飯田橋駅(A2出口、A5出口)」より徒歩(約10分)
【内容】1)昇殿参拝
2)講演「次代へ繋ぐ英霊の思い」(60分)講師:松本聖吾氏(靖國神社禰宜・総務部長)
3)遊就館自由拝観
【参加費】大人 3,000円、小・中・高校生 2,000円(玉串料・遊就館拝観料含む)
※小・中学生は保護者同伴
【申込み方法】下記、いずれかの方法でお申し込みください。
※定員100名に達し次第、締め切り(先着順)
① 右記URLの専用申込フォーム:https://docs.google.com/forms/d/12hYOvOzcgee-qJCAM6yyoqLRkDwlbI1b8eUKyQdAK68/edit
② FAX・はがき:「靖國神社イベント」と明記の上、住所・氏名(ふりがな)・電話番号・ チケット種別と希望枚数をご記入の上、下記連絡先へ送付
〔連絡先〕
寺子屋「玉川未来塾」 代表 玉川博一
〒196-0022 昭島市中神町1136-19
TEL・FAX 042-519-7101
E-mail tamagawamiraijuku@gmail.com
※お申し込み後、約1週間以内に「入場予約券」をお送りいたします。
※「入場予約券」に、入場料の振込方法等を記載しておりますので、ご確認の上、事前にお振り込みください。
※当日は、受付に「入場予約券」をご提示ください。「入場券」と「遊就館拝観チケット」をお渡しいたします。
【主催】寺子屋「玉川未来塾」
※記載していただいた個人情報は、入場予約券などのチケット、および主催するほかのイベントの案内などの郵送以外には使用しません。取得した個人情報は管理責任者を定め、紛失や漏洩などが発生しないよう積極的な安全対策を実施いたします。
そして、以前にも記した内容ではあるが、今一度、再認識をすべく、以下の通り記したい。
>正論創刊30年記念臨時増刊「靖国と日本人の心」の中で、中西輝政京都大学名誉教授が「靖国神社と日本人の精神」との題で論文を掲載している。
その中で民俗学者の柳田国男氏の「先祖の話」に触れ、以下のように記している。
「独身のまま国に命を捧げた兵士たち(中略)のことを国は放置し得るのであろうか。すでに昭和20年4月に柳田国男が『先祖の話』という本の中でこのことの深刻な意味を指摘している。この人たちは子供を残さないまま亡くなった、つまり祀ってくれる子孫を残さないまま殉じているのである。また日本が将来再び国家存立の危機に陥ったとき、自己を犠牲にしてでも立ち上がろうとする者の現出を願うならば、国は彼らを放置しておけないはずである。国家と国民の安全を守るため特別に危険な任務に就いてくれる人々には、最大限の敬意を払うことが国として伝統あるいは責務として確立しているべきなのである。靖国神社を国のために命を捧げた人々のための、つまり戦没者慰霊の中心施設として今後も長く護り抜くことは、国家安全保障政策上の第一級の重要課題でもあるのだ」。
また、さらに以下のように続く。
「そして何よりも、国のために力を尽くし、命を捧げた人々を感謝の心をもって崇め、子々孫々、『私たちを見守ってください、日本を守ってください』という素直な気持ちで頭を垂れることができる、そういう場所がいままでこの国に残されてきたことは、何にも代え難い日本の財産なのである。家族や郷士、そして国のために人間が尽くす自己犠牲の尊さ、そういう精神を日本人がもう一度取り戻し、若い世代に継承していくためにも、靖国神社ほど大切な存在はないということに、今こそ日本人は気づくときなのである」。
十年以上も前の論文であるが、今でもなお通ずる内容である。今一度噛み締めたい。
イベントにはぜひ、皆様方のお越しを心よりお待ち申し上げます。
幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の霊がまつられており、うち213万人が大東亜戦争の死者の霊です。
昭和から平成、令和と時代が移り、戦争体験者が急速に減っている中、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあります。
今日の日本人は、「かつて日本軍は、アジア諸国を侵略し、略奪するなどをして地元の人々に大変つらい思いをさせたことを今でもアジアの諸国民は恨み続けている」と教えられた間違った歴史を今でも信じ、正しい歴史を知らない人も少なくありません。
戦後のGHQの占領政策(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)により、日本人の精神は骨抜きにされました。心無い事件が多発し、人のありがたみを感じない振る舞いをする人が多くなり、日本人の本来持っている「道徳心」は無くなってしまったのかと思うほど。「我々はこんな日本にするために命を賭して戦ったのではない」と英霊からの声が聞こえてきそうです。
今日の平和があるのは間違いなく、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様。先祖の尊い犠牲があったからこそ、今日の平和があるのです。
そのような思いから、国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げたいと思います。そして、靖國神社職員による講演を聞き、遊就館を見学することにより、今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ることを目的に、本イベントを平成28年から実施してきました。
国のために尊い命をささげた先祖を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をして、そして遊就館を見学することによって今日の学校教育とは違った視点から歴史を学ぶことを目的に今年も以下の通り実施いたします。
【日時】令和5年8月26日(土)
12時受付開始、13時昇殿参拝、13時30分講演開始、14時30分閉会予定
閉会後、遊就館自由拝観
【会場】靖國神社参集殿(講演会場は参集殿2階)及び遊就館(東京都千代田区九段北3-1-1)
JR
・中央・総武線各駅停車「飯田橋駅(西口)」、「市ヶ谷駅」より徒歩(約10分)
地下鉄
・東西線/半蔵門線/都営新宿線「九段下駅(出口1)」より徒歩(約5分)
・有楽町線/南北線/都営新宿線「市ヶ谷駅(A4出口)」より徒歩(約10分)
・東西線/有楽町線/南北線「飯田橋駅(A2出口、A5出口)」より徒歩(約10分)
【内容】1)昇殿参拝
2)講演「次代へ繋ぐ英霊の思い」(60分)講師:松本聖吾氏(靖國神社禰宜・総務部長)
3)遊就館自由拝観
【参加費】大人 3,000円、小・中・高校生 2,000円(玉串料・遊就館拝観料含む)
※小・中学生は保護者同伴
【申込み方法】下記、いずれかの方法でお申し込みください。
※定員100名に達し次第、締め切り(先着順)
① 右記URLの専用申込フォーム:https://docs.google.com/forms/d/12hYOvOzcgee-qJCAM6yyoqLRkDwlbI1b8eUKyQdAK68/edit
② FAX・はがき:「靖國神社イベント」と明記の上、住所・氏名(ふりがな)・電話番号・ チケット種別と希望枚数をご記入の上、下記連絡先へ送付
〔連絡先〕
寺子屋「玉川未来塾」 代表 玉川博一
〒196-0022 昭島市中神町1136-19
TEL・FAX 042-519-7101
E-mail tamagawamiraijuku@gmail.com
※お申し込み後、約1週間以内に「入場予約券」をお送りいたします。
※「入場予約券」に、入場料の振込方法等を記載しておりますので、ご確認の上、事前にお振り込みください。
※当日は、受付に「入場予約券」をご提示ください。「入場券」と「遊就館拝観チケット」をお渡しいたします。
【主催】寺子屋「玉川未来塾」
※記載していただいた個人情報は、入場予約券などのチケット、および主催するほかのイベントの案内などの郵送以外には使用しません。取得した個人情報は管理責任者を定め、紛失や漏洩などが発生しないよう積極的な安全対策を実施いたします。
そして、以前にも記した内容ではあるが、今一度、再認識をすべく、以下の通り記したい。
>正論創刊30年記念臨時増刊「靖国と日本人の心」の中で、中西輝政京都大学名誉教授が「靖国神社と日本人の精神」との題で論文を掲載している。
その中で民俗学者の柳田国男氏の「先祖の話」に触れ、以下のように記している。
「独身のまま国に命を捧げた兵士たち(中略)のことを国は放置し得るのであろうか。すでに昭和20年4月に柳田国男が『先祖の話』という本の中でこのことの深刻な意味を指摘している。この人たちは子供を残さないまま亡くなった、つまり祀ってくれる子孫を残さないまま殉じているのである。また日本が将来再び国家存立の危機に陥ったとき、自己を犠牲にしてでも立ち上がろうとする者の現出を願うならば、国は彼らを放置しておけないはずである。国家と国民の安全を守るため特別に危険な任務に就いてくれる人々には、最大限の敬意を払うことが国として伝統あるいは責務として確立しているべきなのである。靖国神社を国のために命を捧げた人々のための、つまり戦没者慰霊の中心施設として今後も長く護り抜くことは、国家安全保障政策上の第一級の重要課題でもあるのだ」。
また、さらに以下のように続く。
「そして何よりも、国のために力を尽くし、命を捧げた人々を感謝の心をもって崇め、子々孫々、『私たちを見守ってください、日本を守ってください』という素直な気持ちで頭を垂れることができる、そういう場所がいままでこの国に残されてきたことは、何にも代え難い日本の財産なのである。家族や郷士、そして国のために人間が尽くす自己犠牲の尊さ、そういう精神を日本人がもう一度取り戻し、若い世代に継承していくためにも、靖国神社ほど大切な存在はないということに、今こそ日本人は気づくときなのである」。
十年以上も前の論文であるが、今でもなお通ずる内容である。今一度噛み締めたい。
イベントにはぜひ、皆様方のお越しを心よりお待ち申し上げます。
「大東亜戦争 失われた真実」トークライブ来場者の感想
2023.06.06
去る、5月27日(土)靖國神社啓照館にて、「大東亜戦争 失われた真実」トークライブを開催しました。
当日は約50人の方々にお越しいただき、本殿での昇殿参拝、そして、葛城奈海さんの司会進行のもと、インドネシア・パレンバンでの陸軍落下傘部隊の小隊長を務め、見事な成果を挙げた奥本實中尉のご子息である奥本康大さんにご登壇いただきました。パレンバン降下作戦とはどのような作戦であったのか、父から語り継がれた知られざる真実とは何か、英霊への思い、そして、日本を憂い、次代を担う若者たちへのメッセージをお話しいただきました。
大東亜戦争が何故始まったのかを理解していただくため、当日は「開戦の詔書」の当時の貴重な音声を流させていただき、日本の立場が良く理解していただけたかと思います。
最後には、お二人の英霊のご遺書を朗読。英霊の思いを汲み取っていただけたかと思います。
その内容について、来場者から貴重な感想をいただきましたので、以下、抜粋し、掲載いたしました。ご覧いただけましたら幸いです。
【「大東亜戦争 失われた真実」トークライブ アンケート抜粋】
・今日は、初めて参加させていただき有難う御座いました。葛城さん、奥本さんの息もぴったりで
お2人の声がとても聴きやすく、お話しもわかりやすく、大変、勉強になりました。とても有意義な時間を過ごさせていただきました。有難う御座いました。(埼玉県在住・男性)
・本日、昇殿参拝と、奥本康大氏と葛城奈海氏によるトークライブに参加し、最前列に席を取り、両氏による拝聴しました。最後の、葛城氏による特攻隊の遺書の朗読では、涙が溢れ出ました。9月24日のトークライブにも参加を希望します。(神奈川県在住・男性)
・普段聞けない本当の話を聞けるのが、毎回楽しみなんです。何でもかんでも隠さたり嘘をついたりで、本当の事を知るチャンスがなくなって、ねじ曲がった歴史だけが、語り継がれているのは、頑張ってきた英霊たちに、失礼だと思います。イベントの最後に、回天に乗っていたという方が、前に出てきて話をしてくださいました。その方の話をもっと聞きたかったです。(東京都在住・50代女性)
・お疲れ様でした。毎回心を引き締められる思いで参加させて頂いております。バレンバン作戦がいかにその当時の日本の命運を賭けたものだったか、そしてまさしく奥平さんのおっしゃるように「神がかっていた」か。鳥肌が立ちました。また会場にいらしてた特攻魚雷「回天」の生き残りの方にお会いできて涙が溢れそうでした。特攻の生き残り。私達の先輩先達の方でありこの世代の礎となられた方。白人の支配にガチで挑んだ非白人は日本人のみ。ククリット・ブラモード(タイ国元首相)さんの「日本というお母さん」という言葉に、胸を張れ、先祖を誇れ、まだ足りない!そう思いました。(東京都在住・40代男性)
・大東亜戦争のご遺族の方から、パレンバンの現地の様子や逆境を乗り越えた時の様子を聞くことができて、日本人として誇らしさを感じました。一方でこういった歴史が伝わらなくなっていってしまいそうな状況に危機感を持ったので自分からもどんどんと広げていこうと思います。(神奈川県在住・20代男性)
・奥本さんのお父様の戦地でのお話を興味深く拝聴しました。また、冒頭の開戦の詔書は初めて聞きましたが、歴史的瞬間に立ち会うようで少し緊張しました。体験談も詔書もなかなか聞く機会がないので、ありがたく思いました。資料の中に、アジア諸国指導者の感謝の言葉がありました。このような言葉はオープンにされているにもかかわらず、なかなか我々日本人の元に届かないので、大人も含めた平和教育の中で、その背景と共に語られる必要があると思いました。時代は変わりつつあるので、戦後の平和教育は見直さなければなりませんね。私も葛城奈海さんと同様に「靖国神社なんて」とかつて思っていましたが、様々な心ある保守の方々の教えのおかげでここに居り、感謝するしかありません。(東京都在住・50代女性)
・ABCD包囲網の中、どうやって戦争を続けたのか不思議でした。武田邦彦氏のYouTubeで「パレンバン」を聴いたことがありましたが、全く内容を理解していませんでした。今回、お話が聞けて大変良かったです。「白人による統治は『明治維新』に始まり、今でも続いている」というお言葉が、とても印象的でした。(東京都在住・50代女性)
・「空の神兵」の貴重なお話、真実を知りました。私の父は郵政省の職員で、インドネシアに軍属として勤務、終戦間際に海軍に配属され、爆撃の中、九死に一生の体験をしたと、父が書き置いた記録で知りました。インドネシアを訪問する企画があれば参加できればと。(東京都在住・70代男性)
・「日本人は誇りを持て」とのメッセージを深く心に刻みました。「戦争は明治から今に至るまで続いている」との奥本さんのお言葉に、全く同感でございます。「日の存亡の時」との思いは、日に日に強く、ことに昨年の7月8日以降、切実に感じています。毎回、玉川未来柔で得たことを微力ながら周囲に伝えております。一人でも二人でも、目覚めることが、日本が生き抜くことにつながると思います。(東京都在住・50代女性)
・葛城さんの進行がとても上手で奥本さんの話もとても分かりやすく勉強になりました。有意義な時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。(埼玉県在住・60代男性)
・本日は奥本先生より日本精神を学びました。葛城先生より色々歴史を学びました。(東京都在住・60代男性)
・戦争に関心があり、少しでも多くの戦争について知りたいと思い、色々な資料館に行っております。当時の人々が辛いことを乗り越えて、残してくれた命を無駄にせず、感謝して一日を大切に生きていこうと思います。(千葉県在住・50代女性)
・素晴らしいイベントでした。大変お疲れ様でした。ありがとうございました。正しい歴史を継げることが最も重要であることを認識しました。(埼玉県在住・70代男性)
・解りやすくお話を聞きました。ありがとうございました。葛城奈海さんの説明が解りやすく感動しました。(東京都在住・60代男性)
・奥本さんからリアルな話を聞かせて頂きました。戦争で戦ってくれた先人達に改めて感謝するとともに、リーダーシップの部分でも勉強になりました。
また、最後の湯川武弘さんの力強い挨拶を聞いて、とても感動しました。自分も全力で生きていこうと思いました。貴重な機会を頂き、ありがとうございました。(40代男性)
・玉川さん、先日はイベントでの運営の機会をいただきありがとうございました!私が教科書で習ってきたのとは違う歴史がトークライブの中にありました。研究という視点とも勉強という視点とも違うリアルな話には心を打たれるものがありました。奥本先生、葛城先生のお話から学ばせていただくことも非常に多かったですが、その機会を作ってくださった玉川さんに感謝いたします。想いのある方を繋ぐことで生まれるエネルギーの大きさを感じました。いただいた話を私の同世代に広め、また次の世代に受け継いでいくよう努めてまいります。また懇親会では自分の道をどのように歩んでいくのか考えるきっかけとなりましたし、背中を強く押していただきました。改めまして、この度はありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。(20代男性)
・先日は貴重な機会を頂き誠に有難う御座いました。ご飯もご馳走して頂き有難う御座います。とてもおいしかったです。早速、懇親会の中でもありました「文明の衝突」購入しました。難しい部分も多いですが勉強して参ります。パレンバンでのお話を伺い、奥本中尉はじめ日本の若者が祖国のために命を削り、戦う姿に心を打たれました。先日も銀座で強盗事件などがありましたが日本の若者を変えていく教育が我々に求められているものだと思います。葛城様が読み上げてくださった若者たちの心は今の若者にも必要です。親への感謝や日本への感謝、そういった心を育めるようこれからも努めて参ります。この度は貴重な機会を有難う御座いました。今後とも何卒宜しくお願い致します。(20代男性)
・今回はパレンバン作戦という教科書にも載ってないようなトークライブの運営お手伝いとして参加させていただきありがとうございました。率直に思ったことは奥本さんのお父様である奥本中尉と4人の仲間でオランダ軍に囲まれた危機的状況から使命感を持った勇気ある行動による奇襲と奥本中尉のリーダーシップによって守られた大東亜戦争に必要な石油という資源、そして日本人の組織的、人間的な強さを感じました。その中でも心打たれたのは「本日の休養は靖国とす」という日の丸に寄せ書きをしていたという死を覚悟して果敢に挑んだという事です。この強い気持ちが真のリーダーに必要なことなのかと感じました。また、今回のイベントでは人間魚雷回天の搭乗員だった湯川さんのお話も聞くことが出来たので貴重な機会でした。今回は自分が全く知らないパレンバン作戦で勇敢に戦った偉人のご子息による話と回天を経験した方の生の声をお聞きできたので、大変感銘を受けました。本日はありがとうございました。(30代男性)
・今回も貴重な機会をいただきましてありがとうございました。バレンバンでのお話を聞き、学校教育では語られないご子息による生の声からリアルを感じました。当時、命をかけて勇気ある行動を起こした奥本中尉の姿や戦後教育の中で失われてった日本人たる心等玉川さんの挨拶にもございました後世に伝え、伝承していく意義を強く感じる機会となりました。この度は誠にありがとうございました。(30代男性)
私達は、国のために尊い命をささげた先人を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げ、そして、正しい歴史の真実を後世まで伝え続けなければならいと心の底から思います。寺子屋「玉川未来塾」では、今後もそのようなイベントを開催していきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
当日は約50人の方々にお越しいただき、本殿での昇殿参拝、そして、葛城奈海さんの司会進行のもと、インドネシア・パレンバンでの陸軍落下傘部隊の小隊長を務め、見事な成果を挙げた奥本實中尉のご子息である奥本康大さんにご登壇いただきました。パレンバン降下作戦とはどのような作戦であったのか、父から語り継がれた知られざる真実とは何か、英霊への思い、そして、日本を憂い、次代を担う若者たちへのメッセージをお話しいただきました。
大東亜戦争が何故始まったのかを理解していただくため、当日は「開戦の詔書」の当時の貴重な音声を流させていただき、日本の立場が良く理解していただけたかと思います。
最後には、お二人の英霊のご遺書を朗読。英霊の思いを汲み取っていただけたかと思います。
その内容について、来場者から貴重な感想をいただきましたので、以下、抜粋し、掲載いたしました。ご覧いただけましたら幸いです。
【「大東亜戦争 失われた真実」トークライブ アンケート抜粋】
・今日は、初めて参加させていただき有難う御座いました。葛城さん、奥本さんの息もぴったりで
お2人の声がとても聴きやすく、お話しもわかりやすく、大変、勉強になりました。とても有意義な時間を過ごさせていただきました。有難う御座いました。(埼玉県在住・男性)
・本日、昇殿参拝と、奥本康大氏と葛城奈海氏によるトークライブに参加し、最前列に席を取り、両氏による拝聴しました。最後の、葛城氏による特攻隊の遺書の朗読では、涙が溢れ出ました。9月24日のトークライブにも参加を希望します。(神奈川県在住・男性)
・普段聞けない本当の話を聞けるのが、毎回楽しみなんです。何でもかんでも隠さたり嘘をついたりで、本当の事を知るチャンスがなくなって、ねじ曲がった歴史だけが、語り継がれているのは、頑張ってきた英霊たちに、失礼だと思います。イベントの最後に、回天に乗っていたという方が、前に出てきて話をしてくださいました。その方の話をもっと聞きたかったです。(東京都在住・50代女性)
・お疲れ様でした。毎回心を引き締められる思いで参加させて頂いております。バレンバン作戦がいかにその当時の日本の命運を賭けたものだったか、そしてまさしく奥平さんのおっしゃるように「神がかっていた」か。鳥肌が立ちました。また会場にいらしてた特攻魚雷「回天」の生き残りの方にお会いできて涙が溢れそうでした。特攻の生き残り。私達の先輩先達の方でありこの世代の礎となられた方。白人の支配にガチで挑んだ非白人は日本人のみ。ククリット・ブラモード(タイ国元首相)さんの「日本というお母さん」という言葉に、胸を張れ、先祖を誇れ、まだ足りない!そう思いました。(東京都在住・40代男性)
・大東亜戦争のご遺族の方から、パレンバンの現地の様子や逆境を乗り越えた時の様子を聞くことができて、日本人として誇らしさを感じました。一方でこういった歴史が伝わらなくなっていってしまいそうな状況に危機感を持ったので自分からもどんどんと広げていこうと思います。(神奈川県在住・20代男性)
・奥本さんのお父様の戦地でのお話を興味深く拝聴しました。また、冒頭の開戦の詔書は初めて聞きましたが、歴史的瞬間に立ち会うようで少し緊張しました。体験談も詔書もなかなか聞く機会がないので、ありがたく思いました。資料の中に、アジア諸国指導者の感謝の言葉がありました。このような言葉はオープンにされているにもかかわらず、なかなか我々日本人の元に届かないので、大人も含めた平和教育の中で、その背景と共に語られる必要があると思いました。時代は変わりつつあるので、戦後の平和教育は見直さなければなりませんね。私も葛城奈海さんと同様に「靖国神社なんて」とかつて思っていましたが、様々な心ある保守の方々の教えのおかげでここに居り、感謝するしかありません。(東京都在住・50代女性)
・ABCD包囲網の中、どうやって戦争を続けたのか不思議でした。武田邦彦氏のYouTubeで「パレンバン」を聴いたことがありましたが、全く内容を理解していませんでした。今回、お話が聞けて大変良かったです。「白人による統治は『明治維新』に始まり、今でも続いている」というお言葉が、とても印象的でした。(東京都在住・50代女性)
・「空の神兵」の貴重なお話、真実を知りました。私の父は郵政省の職員で、インドネシアに軍属として勤務、終戦間際に海軍に配属され、爆撃の中、九死に一生の体験をしたと、父が書き置いた記録で知りました。インドネシアを訪問する企画があれば参加できればと。(東京都在住・70代男性)
・「日本人は誇りを持て」とのメッセージを深く心に刻みました。「戦争は明治から今に至るまで続いている」との奥本さんのお言葉に、全く同感でございます。「日の存亡の時」との思いは、日に日に強く、ことに昨年の7月8日以降、切実に感じています。毎回、玉川未来柔で得たことを微力ながら周囲に伝えております。一人でも二人でも、目覚めることが、日本が生き抜くことにつながると思います。(東京都在住・50代女性)
・葛城さんの進行がとても上手で奥本さんの話もとても分かりやすく勉強になりました。有意義な時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。(埼玉県在住・60代男性)
・本日は奥本先生より日本精神を学びました。葛城先生より色々歴史を学びました。(東京都在住・60代男性)
・戦争に関心があり、少しでも多くの戦争について知りたいと思い、色々な資料館に行っております。当時の人々が辛いことを乗り越えて、残してくれた命を無駄にせず、感謝して一日を大切に生きていこうと思います。(千葉県在住・50代女性)
・素晴らしいイベントでした。大変お疲れ様でした。ありがとうございました。正しい歴史を継げることが最も重要であることを認識しました。(埼玉県在住・70代男性)
・解りやすくお話を聞きました。ありがとうございました。葛城奈海さんの説明が解りやすく感動しました。(東京都在住・60代男性)
・奥本さんからリアルな話を聞かせて頂きました。戦争で戦ってくれた先人達に改めて感謝するとともに、リーダーシップの部分でも勉強になりました。
また、最後の湯川武弘さんの力強い挨拶を聞いて、とても感動しました。自分も全力で生きていこうと思いました。貴重な機会を頂き、ありがとうございました。(40代男性)
・玉川さん、先日はイベントでの運営の機会をいただきありがとうございました!私が教科書で習ってきたのとは違う歴史がトークライブの中にありました。研究という視点とも勉強という視点とも違うリアルな話には心を打たれるものがありました。奥本先生、葛城先生のお話から学ばせていただくことも非常に多かったですが、その機会を作ってくださった玉川さんに感謝いたします。想いのある方を繋ぐことで生まれるエネルギーの大きさを感じました。いただいた話を私の同世代に広め、また次の世代に受け継いでいくよう努めてまいります。また懇親会では自分の道をどのように歩んでいくのか考えるきっかけとなりましたし、背中を強く押していただきました。改めまして、この度はありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。(20代男性)
・先日は貴重な機会を頂き誠に有難う御座いました。ご飯もご馳走して頂き有難う御座います。とてもおいしかったです。早速、懇親会の中でもありました「文明の衝突」購入しました。難しい部分も多いですが勉強して参ります。パレンバンでのお話を伺い、奥本中尉はじめ日本の若者が祖国のために命を削り、戦う姿に心を打たれました。先日も銀座で強盗事件などがありましたが日本の若者を変えていく教育が我々に求められているものだと思います。葛城様が読み上げてくださった若者たちの心は今の若者にも必要です。親への感謝や日本への感謝、そういった心を育めるようこれからも努めて参ります。この度は貴重な機会を有難う御座いました。今後とも何卒宜しくお願い致します。(20代男性)
・今回はパレンバン作戦という教科書にも載ってないようなトークライブの運営お手伝いとして参加させていただきありがとうございました。率直に思ったことは奥本さんのお父様である奥本中尉と4人の仲間でオランダ軍に囲まれた危機的状況から使命感を持った勇気ある行動による奇襲と奥本中尉のリーダーシップによって守られた大東亜戦争に必要な石油という資源、そして日本人の組織的、人間的な強さを感じました。その中でも心打たれたのは「本日の休養は靖国とす」という日の丸に寄せ書きをしていたという死を覚悟して果敢に挑んだという事です。この強い気持ちが真のリーダーに必要なことなのかと感じました。また、今回のイベントでは人間魚雷回天の搭乗員だった湯川さんのお話も聞くことが出来たので貴重な機会でした。今回は自分が全く知らないパレンバン作戦で勇敢に戦った偉人のご子息による話と回天を経験した方の生の声をお聞きできたので、大変感銘を受けました。本日はありがとうございました。(30代男性)
・今回も貴重な機会をいただきましてありがとうございました。バレンバンでのお話を聞き、学校教育では語られないご子息による生の声からリアルを感じました。当時、命をかけて勇気ある行動を起こした奥本中尉の姿や戦後教育の中で失われてった日本人たる心等玉川さんの挨拶にもございました後世に伝え、伝承していく意義を強く感じる機会となりました。この度は誠にありがとうございました。(30代男性)
私達は、国のために尊い命をささげた先人を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げ、そして、正しい歴史の真実を後世まで伝え続けなければならいと心の底から思います。寺子屋「玉川未来塾」では、今後もそのようなイベントを開催していきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
何故、大東亜戦争は起きたのか~開戦の詔書を読んで~
2023.04.15
「なぜ、平和を求めていた日本が、戦争をすることになったのか」。
毎年、私塾「寺子屋『玉川未来塾』」が主催する靖國神社とのイベントで、いつも思うことである。
みなさんは、天皇陛下の勅語によって発せられた「開戦の詔書」の全文を読んだことはあるだろうか。ここには、大東亜戦争を始めるきっかけとその理由について、昭和16(1941)年12月8日に述べられているので、まず全文を紹介するので読んでいただきたい。
開戦の詔書<原文>
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐(ふ)メル大日本帝國天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝有衆(ゆうしゅう)ニ示ス
朕茲(ここ)ニ米國及英國ニ對シテ戰(たたかい)ヲ宣ス 朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮(ふるっ)テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司(ひゃくりょうゆうし)ハ勵精(れいせい)職務ヲ奉行シ朕カ衆庶(しゅうしょ)ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々(そもそも)東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯(ひけん)ナル皇祖考丕承(ひしょう)ナル皇考ノ作述セル遠猷(えんゆう)ニシテ朕カ拳々(けんけん)措(お)カサル所 而(しこう)シテ列國トノ交誼(こうぎ)ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂(たのしみ)ヲ偕(とも)ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル 洵(まこと)ニ已ムヲ得サルモノアリ 豈(あに)朕カ志ナラムヤ 中華民國政府曩(さき)ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫(みだり)ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂(かくらん)シ遂ニ帝國ヲシテ干戈(かんか)ヲ執ルニ至ラシメ茲(ここ)ニ四年有餘ヲ經タリ 幸(さいわい)ニ國民政府更新スルアリ 帝國ハ之ト善隣ノ誼(よしみ)ヲ結ヒ相提攜(ていけい)スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭(ひいん)ヲ恃(たの)ミテ兄弟尚未タ牆(かき)ニ相鬩(あいせめ)クヲ悛(あらため)メス 米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂(からん)ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿(かく)レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞(かくまし)ウセムトス 剩(あまつさえ)ヘ與國ヲ誘(いざな)ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有(あ)ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢(あえ)テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ 朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡(うち)ニ囘復セシメムトシ隱忍久シキニ彌(わた)リタルモ彼ハ毫(ごう)モ交讓(こうじょう)ノ精神ナク徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延(せんえん)セシメテ此ノ間(かん)却(かえ)ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス 斯(かく)ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦(また)正(まさ)ニ危殆(きたい)ニ瀕セリ 事既ニ此ニ至ル 帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然(けつぜん)起(た)ツテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破碎(はさい)スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神靈上(かみ)ニ在リ 朕ハ汝有衆(ゆうしゅう)ノ忠誠勇武ニ信倚(しんい)シ祖宗(そそう)ノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ速(すみやか)ニ禍根ヲ芟除(さんじょ)シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス
御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
開戦の詔勅 <現代語訳文>
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
詔書で昭和天皇が「豈(あに)朕(ちん=天皇陛下)が志ならむや」と述べているように、米英との戦争は本意でないことを強調している。また、当時の支那(中国)についても「曩(さき)に帝國の眞意を解せず、濫(みだり)に事を構へて東亞の平和を攪亂(かくらん)し」とあるように、日本は支那を侵略する意図が無かったことが分かるし、東アジアの平和を乱しているのは当の支那人であるとしている。そして、米英との戦争は避けたかったが、「日本の自存と自衛」にやむなく立ち上がったことが読み取れる。
このように、開戦の詔書の内容において確認すべきことは、大東亜戦争が、我が国の生存に対する重大な脅威を除去し、アジア永遠の平和を確立することを目的にした自衛のための戦争であると宣言されていることである。そして、戦後において、天皇陛下は、この開戦の詔書で示された自衛のための戦争との宣言を一切撤回されていない。このことを深く心に刻むべきである。
また、東京裁判で木戸幸一の弁護を担当した米国弁護士のウィリアム・ローガンは、次のように論じている。
「日本は連合国が行った経済封鎖は、日本に対する戦争行為にほかならないものであると断定する権利を持っていた。それにもかかわらず、日本はその特有の忍耐力を以て、円満にこの争いを解決しようと試みた。しかし、経済封鎖は強化せられ、軍事的包囲の脅威とあいまって、ついに日本をして自国の存立の擁護のためには、最終的手段として戦争に訴えざるを得ないと考えるに至ったのだった。日本がこの連合国の経済封鎖を以てすぐに宣戦布告に等しきものなりと解釈することなく、平和的解決を交渉によって忍耐強く追求したことは、永遠に日本の名誉とするに足るところである。・・・それは、不当に挑発に基因した、国家存立のための自衛戦争であったのである」。
さらに、昭和26(1951)年5月、連合国軍最高司令官を解任された直後のダグラス・マッカーサーは米国上院外交軍事合同委員会で「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた」「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」と、敵将が彼らの戦いが自存自衛であったと証言している。
しかし、学校教育では、「かつて日本軍は、アジア諸国を侵略し、略奪するなどをして地元の人々に大変つらい思いをさせたことを今でもアジアの諸国民は恨み続けている」と教えられ、そして、「日本の『アジア侵略の野望』は敗戦によって潰え、日本は反省して二度とこのような戦争をしないことを憲法で誓った」と教えられてきている。
それに対して、アジア諸外国の指導者は、「日本が戦ってくれて感謝してる」「日本は我々に謝罪しなければならないことは何もしていない」と学校教育で教えられていることとは正反対の「感謝の気持ち」をあらわしている。
具体的に見てみたい。
◎ジャワハルラール・ネルー(インド初代首相インド独立運動指導者)
「日本は我々に謝罪しなければならない事は何もしていない。だから、われわれは、サンフランシスコ講和会議に出席することを拒否し、その後は条約に署名することも拒んだのである」。
◎ガザリー・シャフィー(マレーシア元外務大臣)
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ」。
◎ククリット・プラモード(タイ元首相)
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない」。
◎モハメッド・ナチール(インドネシア元首相)
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」。
◎バー・モウ(ビルマ首相・独立運動家)
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない」。
学校教育では正しい歴史を教えていないため、今でも先の大戦で「日本は悪いことをした」と信じ込んでいる者が多い。そして、自我形成期に自国の歴史を暗記科目として学び、そして忘れ、ある場合には日本は悪い国、先祖は悪い人と教える歴史教育があるのも否定できない現実である。
昭和から平成、令和と時代が移り、戦争体験者が急速に減っている中、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあるため、日本人は正しい歴史を知らない世代が多くなっているのに、国のために尊い命をささげた先人を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社をも容認しない者も少なくない。今日の平和は間違いなく、国を護るために命を賭して戦ってくれた先人のお陰である。
私が主宰する「寺子屋『玉川未来塾』」では、こういった状況を少しでも改善するためのイベントを今年も開催する。今年は3回。テーマこそ違えど、靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げ、そして、今日の学校教育では学べない、違った視点から正しい歴史を学ぶことを目的に実施する。多くの方々にお越しいただきたいと心から願うものである。
毎年、私塾「寺子屋『玉川未来塾』」が主催する靖國神社とのイベントで、いつも思うことである。
みなさんは、天皇陛下の勅語によって発せられた「開戦の詔書」の全文を読んだことはあるだろうか。ここには、大東亜戦争を始めるきっかけとその理由について、昭和16(1941)年12月8日に述べられているので、まず全文を紹介するので読んでいただきたい。
開戦の詔書<原文>
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐(ふ)メル大日本帝國天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝有衆(ゆうしゅう)ニ示ス
朕茲(ここ)ニ米國及英國ニ對シテ戰(たたかい)ヲ宣ス 朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮(ふるっ)テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司(ひゃくりょうゆうし)ハ勵精(れいせい)職務ヲ奉行シ朕カ衆庶(しゅうしょ)ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々(そもそも)東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯(ひけん)ナル皇祖考丕承(ひしょう)ナル皇考ノ作述セル遠猷(えんゆう)ニシテ朕カ拳々(けんけん)措(お)カサル所 而(しこう)シテ列國トノ交誼(こうぎ)ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂(たのしみ)ヲ偕(とも)ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル 洵(まこと)ニ已ムヲ得サルモノアリ 豈(あに)朕カ志ナラムヤ 中華民國政府曩(さき)ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫(みだり)ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂(かくらん)シ遂ニ帝國ヲシテ干戈(かんか)ヲ執ルニ至ラシメ茲(ここ)ニ四年有餘ヲ經タリ 幸(さいわい)ニ國民政府更新スルアリ 帝國ハ之ト善隣ノ誼(よしみ)ヲ結ヒ相提攜(ていけい)スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭(ひいん)ヲ恃(たの)ミテ兄弟尚未タ牆(かき)ニ相鬩(あいせめ)クヲ悛(あらため)メス 米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂(からん)ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿(かく)レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞(かくまし)ウセムトス 剩(あまつさえ)ヘ與國ヲ誘(いざな)ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有(あ)ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢(あえ)テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ 朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡(うち)ニ囘復セシメムトシ隱忍久シキニ彌(わた)リタルモ彼ハ毫(ごう)モ交讓(こうじょう)ノ精神ナク徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延(せんえん)セシメテ此ノ間(かん)却(かえ)ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス 斯(かく)ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦(また)正(まさ)ニ危殆(きたい)ニ瀕セリ 事既ニ此ニ至ル 帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然(けつぜん)起(た)ツテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破碎(はさい)スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神靈上(かみ)ニ在リ 朕ハ汝有衆(ゆうしゅう)ノ忠誠勇武ニ信倚(しんい)シ祖宗(そそう)ノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ速(すみやか)ニ禍根ヲ芟除(さんじょ)シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス
御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
開戦の詔勅 <現代語訳文>
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
詔書で昭和天皇が「豈(あに)朕(ちん=天皇陛下)が志ならむや」と述べているように、米英との戦争は本意でないことを強調している。また、当時の支那(中国)についても「曩(さき)に帝國の眞意を解せず、濫(みだり)に事を構へて東亞の平和を攪亂(かくらん)し」とあるように、日本は支那を侵略する意図が無かったことが分かるし、東アジアの平和を乱しているのは当の支那人であるとしている。そして、米英との戦争は避けたかったが、「日本の自存と自衛」にやむなく立ち上がったことが読み取れる。
このように、開戦の詔書の内容において確認すべきことは、大東亜戦争が、我が国の生存に対する重大な脅威を除去し、アジア永遠の平和を確立することを目的にした自衛のための戦争であると宣言されていることである。そして、戦後において、天皇陛下は、この開戦の詔書で示された自衛のための戦争との宣言を一切撤回されていない。このことを深く心に刻むべきである。
また、東京裁判で木戸幸一の弁護を担当した米国弁護士のウィリアム・ローガンは、次のように論じている。
「日本は連合国が行った経済封鎖は、日本に対する戦争行為にほかならないものであると断定する権利を持っていた。それにもかかわらず、日本はその特有の忍耐力を以て、円満にこの争いを解決しようと試みた。しかし、経済封鎖は強化せられ、軍事的包囲の脅威とあいまって、ついに日本をして自国の存立の擁護のためには、最終的手段として戦争に訴えざるを得ないと考えるに至ったのだった。日本がこの連合国の経済封鎖を以てすぐに宣戦布告に等しきものなりと解釈することなく、平和的解決を交渉によって忍耐強く追求したことは、永遠に日本の名誉とするに足るところである。・・・それは、不当に挑発に基因した、国家存立のための自衛戦争であったのである」。
さらに、昭和26(1951)年5月、連合国軍最高司令官を解任された直後のダグラス・マッカーサーは米国上院外交軍事合同委員会で「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた」「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」と、敵将が彼らの戦いが自存自衛であったと証言している。
しかし、学校教育では、「かつて日本軍は、アジア諸国を侵略し、略奪するなどをして地元の人々に大変つらい思いをさせたことを今でもアジアの諸国民は恨み続けている」と教えられ、そして、「日本の『アジア侵略の野望』は敗戦によって潰え、日本は反省して二度とこのような戦争をしないことを憲法で誓った」と教えられてきている。
それに対して、アジア諸外国の指導者は、「日本が戦ってくれて感謝してる」「日本は我々に謝罪しなければならないことは何もしていない」と学校教育で教えられていることとは正反対の「感謝の気持ち」をあらわしている。
具体的に見てみたい。
◎ジャワハルラール・ネルー(インド初代首相インド独立運動指導者)
「日本は我々に謝罪しなければならない事は何もしていない。だから、われわれは、サンフランシスコ講和会議に出席することを拒否し、その後は条約に署名することも拒んだのである」。
◎ガザリー・シャフィー(マレーシア元外務大臣)
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ」。
◎ククリット・プラモード(タイ元首相)
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない」。
◎モハメッド・ナチール(インドネシア元首相)
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」。
◎バー・モウ(ビルマ首相・独立運動家)
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない」。
学校教育では正しい歴史を教えていないため、今でも先の大戦で「日本は悪いことをした」と信じ込んでいる者が多い。そして、自我形成期に自国の歴史を暗記科目として学び、そして忘れ、ある場合には日本は悪い国、先祖は悪い人と教える歴史教育があるのも否定できない現実である。
昭和から平成、令和と時代が移り、戦争体験者が急速に減っている中、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあるため、日本人は正しい歴史を知らない世代が多くなっているのに、国のために尊い命をささげた先人を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社をも容認しない者も少なくない。今日の平和は間違いなく、国を護るために命を賭して戦ってくれた先人のお陰である。
私が主宰する「寺子屋『玉川未来塾』」では、こういった状況を少しでも改善するためのイベントを今年も開催する。今年は3回。テーマこそ違えど、靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げ、そして、今日の学校教育では学べない、違った視点から正しい歴史を学ぶことを目的に実施する。多くの方々にお越しいただきたいと心から願うものである。