第8回「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントのお知らせ
2023.07.27
靖國神社は明治2年に東京招魂社として創建され、明治12年に現在の名称になりました。
幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の霊がまつられており、うち213万人が大東亜戦争の死者の霊です。
昭和から平成、令和と時代が移り、戦争体験者が急速に減っている中、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあります。
今日の日本人は、「かつて日本軍は、アジア諸国を侵略し、略奪するなどをして地元の人々に大変つらい思いをさせたことを今でもアジアの諸国民は恨み続けている」と教えられた間違った歴史を今でも信じ、正しい歴史を知らない人も少なくありません。
戦後のGHQの占領政策(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)により、日本人の精神は骨抜きにされました。心無い事件が多発し、人のありがたみを感じない振る舞いをする人が多くなり、日本人の本来持っている「道徳心」は無くなってしまったのかと思うほど。「我々はこんな日本にするために命を賭して戦ったのではない」と英霊からの声が聞こえてきそうです。
今日の平和があるのは間違いなく、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様。先祖の尊い犠牲があったからこそ、今日の平和があるのです。
そのような思いから、国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げたいと思います。そして、靖國神社職員による講演を聞き、遊就館を見学することにより、今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ることを目的に、本イベントを平成28年から実施してきました。
国のために尊い命をささげた先祖を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をして、そして遊就館を見学することによって今日の学校教育とは違った視点から歴史を学ぶことを目的に今年も以下の通り実施いたします。
【日時】令和5年8月26日(土)
12時受付開始、13時昇殿参拝、13時30分講演開始、14時30分閉会予定
閉会後、遊就館自由拝観
【会場】靖國神社参集殿(講演会場は参集殿2階)及び遊就館(東京都千代田区九段北3-1-1)
JR
・中央・総武線各駅停車「飯田橋駅(西口)」、「市ヶ谷駅」より徒歩(約10分)
地下鉄
・東西線/半蔵門線/都営新宿線「九段下駅(出口1)」より徒歩(約5分)
・有楽町線/南北線/都営新宿線「市ヶ谷駅(A4出口)」より徒歩(約10分)
・東西線/有楽町線/南北線「飯田橋駅(A2出口、A5出口)」より徒歩(約10分)
【内容】1)昇殿参拝
2)講演「次代へ繋ぐ英霊の思い」(60分)講師:松本聖吾氏(靖國神社禰宜・総務部長)
3)遊就館自由拝観
【参加費】大人 3,000円、小・中・高校生 2,000円(玉串料・遊就館拝観料含む)
※小・中学生は保護者同伴
【申込み方法】下記、いずれかの方法でお申し込みください。
※定員100名に達し次第、締め切り(先着順)
① 右記URLの専用申込フォーム:https://docs.google.com/forms/d/12hYOvOzcgee-qJCAM6yyoqLRkDwlbI1b8eUKyQdAK68/edit
② FAX・はがき:「靖國神社イベント」と明記の上、住所・氏名(ふりがな)・電話番号・ チケット種別と希望枚数をご記入の上、下記連絡先へ送付
〔連絡先〕
寺子屋「玉川未来塾」 代表 玉川博一
〒196-0022 昭島市中神町1136-19
TEL・FAX 042-519-7101
E-mail tamagawamiraijuku@gmail.com
※お申し込み後、約1週間以内に「入場予約券」をお送りいたします。
※「入場予約券」に、入場料の振込方法等を記載しておりますので、ご確認の上、事前にお振り込みください。
※当日は、受付に「入場予約券」をご提示ください。「入場券」と「遊就館拝観チケット」をお渡しいたします。
【主催】寺子屋「玉川未来塾」
※記載していただいた個人情報は、入場予約券などのチケット、および主催するほかのイベントの案内などの郵送以外には使用しません。取得した個人情報は管理責任者を定め、紛失や漏洩などが発生しないよう積極的な安全対策を実施いたします。
そして、以前にも記した内容ではあるが、今一度、再認識をすべく、以下の通り記したい。
>正論創刊30年記念臨時増刊「靖国と日本人の心」の中で、中西輝政京都大学名誉教授が「靖国神社と日本人の精神」との題で論文を掲載している。
その中で民俗学者の柳田国男氏の「先祖の話」に触れ、以下のように記している。
「独身のまま国に命を捧げた兵士たち(中略)のことを国は放置し得るのであろうか。すでに昭和20年4月に柳田国男が『先祖の話』という本の中でこのことの深刻な意味を指摘している。この人たちは子供を残さないまま亡くなった、つまり祀ってくれる子孫を残さないまま殉じているのである。また日本が将来再び国家存立の危機に陥ったとき、自己を犠牲にしてでも立ち上がろうとする者の現出を願うならば、国は彼らを放置しておけないはずである。国家と国民の安全を守るため特別に危険な任務に就いてくれる人々には、最大限の敬意を払うことが国として伝統あるいは責務として確立しているべきなのである。靖国神社を国のために命を捧げた人々のための、つまり戦没者慰霊の中心施設として今後も長く護り抜くことは、国家安全保障政策上の第一級の重要課題でもあるのだ」。
また、さらに以下のように続く。
「そして何よりも、国のために力を尽くし、命を捧げた人々を感謝の心をもって崇め、子々孫々、『私たちを見守ってください、日本を守ってください』という素直な気持ちで頭を垂れることができる、そういう場所がいままでこの国に残されてきたことは、何にも代え難い日本の財産なのである。家族や郷士、そして国のために人間が尽くす自己犠牲の尊さ、そういう精神を日本人がもう一度取り戻し、若い世代に継承していくためにも、靖国神社ほど大切な存在はないということに、今こそ日本人は気づくときなのである」。
十年以上も前の論文であるが、今でもなお通ずる内容である。今一度噛み締めたい。
イベントにはぜひ、皆様方のお越しを心よりお待ち申し上げます。
幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の霊がまつられており、うち213万人が大東亜戦争の死者の霊です。
昭和から平成、令和と時代が移り、戦争体験者が急速に減っている中、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあります。
今日の日本人は、「かつて日本軍は、アジア諸国を侵略し、略奪するなどをして地元の人々に大変つらい思いをさせたことを今でもアジアの諸国民は恨み続けている」と教えられた間違った歴史を今でも信じ、正しい歴史を知らない人も少なくありません。
戦後のGHQの占領政策(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)により、日本人の精神は骨抜きにされました。心無い事件が多発し、人のありがたみを感じない振る舞いをする人が多くなり、日本人の本来持っている「道徳心」は無くなってしまったのかと思うほど。「我々はこんな日本にするために命を賭して戦ったのではない」と英霊からの声が聞こえてきそうです。
今日の平和があるのは間違いなく、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰様。先祖の尊い犠牲があったからこそ、今日の平和があるのです。
そのような思いから、国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げたいと思います。そして、靖國神社職員による講演を聞き、遊就館を見学することにより、今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ることを目的に、本イベントを平成28年から実施してきました。
国のために尊い命をささげた先祖を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をして、そして遊就館を見学することによって今日の学校教育とは違った視点から歴史を学ぶことを目的に今年も以下の通り実施いたします。
【日時】令和5年8月26日(土)
12時受付開始、13時昇殿参拝、13時30分講演開始、14時30分閉会予定
閉会後、遊就館自由拝観
【会場】靖國神社参集殿(講演会場は参集殿2階)及び遊就館(東京都千代田区九段北3-1-1)
JR
・中央・総武線各駅停車「飯田橋駅(西口)」、「市ヶ谷駅」より徒歩(約10分)
地下鉄
・東西線/半蔵門線/都営新宿線「九段下駅(出口1)」より徒歩(約5分)
・有楽町線/南北線/都営新宿線「市ヶ谷駅(A4出口)」より徒歩(約10分)
・東西線/有楽町線/南北線「飯田橋駅(A2出口、A5出口)」より徒歩(約10分)
【内容】1)昇殿参拝
2)講演「次代へ繋ぐ英霊の思い」(60分)講師:松本聖吾氏(靖國神社禰宜・総務部長)
3)遊就館自由拝観
【参加費】大人 3,000円、小・中・高校生 2,000円(玉串料・遊就館拝観料含む)
※小・中学生は保護者同伴
【申込み方法】下記、いずれかの方法でお申し込みください。
※定員100名に達し次第、締め切り(先着順)
① 右記URLの専用申込フォーム:https://docs.google.com/forms/d/12hYOvOzcgee-qJCAM6yyoqLRkDwlbI1b8eUKyQdAK68/edit
② FAX・はがき:「靖國神社イベント」と明記の上、住所・氏名(ふりがな)・電話番号・ チケット種別と希望枚数をご記入の上、下記連絡先へ送付
〔連絡先〕
寺子屋「玉川未来塾」 代表 玉川博一
〒196-0022 昭島市中神町1136-19
TEL・FAX 042-519-7101
E-mail tamagawamiraijuku@gmail.com
※お申し込み後、約1週間以内に「入場予約券」をお送りいたします。
※「入場予約券」に、入場料の振込方法等を記載しておりますので、ご確認の上、事前にお振り込みください。
※当日は、受付に「入場予約券」をご提示ください。「入場券」と「遊就館拝観チケット」をお渡しいたします。
【主催】寺子屋「玉川未来塾」
※記載していただいた個人情報は、入場予約券などのチケット、および主催するほかのイベントの案内などの郵送以外には使用しません。取得した個人情報は管理責任者を定め、紛失や漏洩などが発生しないよう積極的な安全対策を実施いたします。
そして、以前にも記した内容ではあるが、今一度、再認識をすべく、以下の通り記したい。
>正論創刊30年記念臨時増刊「靖国と日本人の心」の中で、中西輝政京都大学名誉教授が「靖国神社と日本人の精神」との題で論文を掲載している。
その中で民俗学者の柳田国男氏の「先祖の話」に触れ、以下のように記している。
「独身のまま国に命を捧げた兵士たち(中略)のことを国は放置し得るのであろうか。すでに昭和20年4月に柳田国男が『先祖の話』という本の中でこのことの深刻な意味を指摘している。この人たちは子供を残さないまま亡くなった、つまり祀ってくれる子孫を残さないまま殉じているのである。また日本が将来再び国家存立の危機に陥ったとき、自己を犠牲にしてでも立ち上がろうとする者の現出を願うならば、国は彼らを放置しておけないはずである。国家と国民の安全を守るため特別に危険な任務に就いてくれる人々には、最大限の敬意を払うことが国として伝統あるいは責務として確立しているべきなのである。靖国神社を国のために命を捧げた人々のための、つまり戦没者慰霊の中心施設として今後も長く護り抜くことは、国家安全保障政策上の第一級の重要課題でもあるのだ」。
また、さらに以下のように続く。
「そして何よりも、国のために力を尽くし、命を捧げた人々を感謝の心をもって崇め、子々孫々、『私たちを見守ってください、日本を守ってください』という素直な気持ちで頭を垂れることができる、そういう場所がいままでこの国に残されてきたことは、何にも代え難い日本の財産なのである。家族や郷士、そして国のために人間が尽くす自己犠牲の尊さ、そういう精神を日本人がもう一度取り戻し、若い世代に継承していくためにも、靖国神社ほど大切な存在はないということに、今こそ日本人は気づくときなのである」。
十年以上も前の論文であるが、今でもなお通ずる内容である。今一度噛み締めたい。
イベントにはぜひ、皆様方のお越しを心よりお待ち申し上げます。
「大東亜戦争 失われた真実」トークライブ来場者の感想
2023.06.06
去る、5月27日(土)靖國神社啓照館にて、「大東亜戦争 失われた真実」トークライブを開催しました。
当日は約50人の方々にお越しいただき、本殿での昇殿参拝、そして、葛城奈海さんの司会進行のもと、インドネシア・パレンバンでの陸軍落下傘部隊の小隊長を務め、見事な成果を挙げた奥本實中尉のご子息である奥本康大さんにご登壇いただきました。パレンバン降下作戦とはどのような作戦であったのか、父から語り継がれた知られざる真実とは何か、英霊への思い、そして、日本を憂い、次代を担う若者たちへのメッセージをお話しいただきました。
大東亜戦争が何故始まったのかを理解していただくため、当日は「開戦の詔書」の当時の貴重な音声を流させていただき、日本の立場が良く理解していただけたかと思います。
最後には、お二人の英霊のご遺書を朗読。英霊の思いを汲み取っていただけたかと思います。
その内容について、来場者から貴重な感想をいただきましたので、以下、抜粋し、掲載いたしました。ご覧いただけましたら幸いです。
【「大東亜戦争 失われた真実」トークライブ アンケート抜粋】
・今日は、初めて参加させていただき有難う御座いました。葛城さん、奥本さんの息もぴったりで
お2人の声がとても聴きやすく、お話しもわかりやすく、大変、勉強になりました。とても有意義な時間を過ごさせていただきました。有難う御座いました。(埼玉県在住・男性)
・本日、昇殿参拝と、奥本康大氏と葛城奈海氏によるトークライブに参加し、最前列に席を取り、両氏による拝聴しました。最後の、葛城氏による特攻隊の遺書の朗読では、涙が溢れ出ました。9月24日のトークライブにも参加を希望します。(神奈川県在住・男性)
・普段聞けない本当の話を聞けるのが、毎回楽しみなんです。何でもかんでも隠さたり嘘をついたりで、本当の事を知るチャンスがなくなって、ねじ曲がった歴史だけが、語り継がれているのは、頑張ってきた英霊たちに、失礼だと思います。イベントの最後に、回天に乗っていたという方が、前に出てきて話をしてくださいました。その方の話をもっと聞きたかったです。(東京都在住・50代女性)
・お疲れ様でした。毎回心を引き締められる思いで参加させて頂いております。バレンバン作戦がいかにその当時の日本の命運を賭けたものだったか、そしてまさしく奥平さんのおっしゃるように「神がかっていた」か。鳥肌が立ちました。また会場にいらしてた特攻魚雷「回天」の生き残りの方にお会いできて涙が溢れそうでした。特攻の生き残り。私達の先輩先達の方でありこの世代の礎となられた方。白人の支配にガチで挑んだ非白人は日本人のみ。ククリット・ブラモード(タイ国元首相)さんの「日本というお母さん」という言葉に、胸を張れ、先祖を誇れ、まだ足りない!そう思いました。(東京都在住・40代男性)
・大東亜戦争のご遺族の方から、パレンバンの現地の様子や逆境を乗り越えた時の様子を聞くことができて、日本人として誇らしさを感じました。一方でこういった歴史が伝わらなくなっていってしまいそうな状況に危機感を持ったので自分からもどんどんと広げていこうと思います。(神奈川県在住・20代男性)
・奥本さんのお父様の戦地でのお話を興味深く拝聴しました。また、冒頭の開戦の詔書は初めて聞きましたが、歴史的瞬間に立ち会うようで少し緊張しました。体験談も詔書もなかなか聞く機会がないので、ありがたく思いました。資料の中に、アジア諸国指導者の感謝の言葉がありました。このような言葉はオープンにされているにもかかわらず、なかなか我々日本人の元に届かないので、大人も含めた平和教育の中で、その背景と共に語られる必要があると思いました。時代は変わりつつあるので、戦後の平和教育は見直さなければなりませんね。私も葛城奈海さんと同様に「靖国神社なんて」とかつて思っていましたが、様々な心ある保守の方々の教えのおかげでここに居り、感謝するしかありません。(東京都在住・50代女性)
・ABCD包囲網の中、どうやって戦争を続けたのか不思議でした。武田邦彦氏のYouTubeで「パレンバン」を聴いたことがありましたが、全く内容を理解していませんでした。今回、お話が聞けて大変良かったです。「白人による統治は『明治維新』に始まり、今でも続いている」というお言葉が、とても印象的でした。(東京都在住・50代女性)
・「空の神兵」の貴重なお話、真実を知りました。私の父は郵政省の職員で、インドネシアに軍属として勤務、終戦間際に海軍に配属され、爆撃の中、九死に一生の体験をしたと、父が書き置いた記録で知りました。インドネシアを訪問する企画があれば参加できればと。(東京都在住・70代男性)
・「日本人は誇りを持て」とのメッセージを深く心に刻みました。「戦争は明治から今に至るまで続いている」との奥本さんのお言葉に、全く同感でございます。「日の存亡の時」との思いは、日に日に強く、ことに昨年の7月8日以降、切実に感じています。毎回、玉川未来柔で得たことを微力ながら周囲に伝えております。一人でも二人でも、目覚めることが、日本が生き抜くことにつながると思います。(東京都在住・50代女性)
・葛城さんの進行がとても上手で奥本さんの話もとても分かりやすく勉強になりました。有意義な時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。(埼玉県在住・60代男性)
・本日は奥本先生より日本精神を学びました。葛城先生より色々歴史を学びました。(東京都在住・60代男性)
・戦争に関心があり、少しでも多くの戦争について知りたいと思い、色々な資料館に行っております。当時の人々が辛いことを乗り越えて、残してくれた命を無駄にせず、感謝して一日を大切に生きていこうと思います。(千葉県在住・50代女性)
・素晴らしいイベントでした。大変お疲れ様でした。ありがとうございました。正しい歴史を継げることが最も重要であることを認識しました。(埼玉県在住・70代男性)
・解りやすくお話を聞きました。ありがとうございました。葛城奈海さんの説明が解りやすく感動しました。(東京都在住・60代男性)
・奥本さんからリアルな話を聞かせて頂きました。戦争で戦ってくれた先人達に改めて感謝するとともに、リーダーシップの部分でも勉強になりました。
また、最後の湯川武弘さんの力強い挨拶を聞いて、とても感動しました。自分も全力で生きていこうと思いました。貴重な機会を頂き、ありがとうございました。(40代男性)
・玉川さん、先日はイベントでの運営の機会をいただきありがとうございました!私が教科書で習ってきたのとは違う歴史がトークライブの中にありました。研究という視点とも勉強という視点とも違うリアルな話には心を打たれるものがありました。奥本先生、葛城先生のお話から学ばせていただくことも非常に多かったですが、その機会を作ってくださった玉川さんに感謝いたします。想いのある方を繋ぐことで生まれるエネルギーの大きさを感じました。いただいた話を私の同世代に広め、また次の世代に受け継いでいくよう努めてまいります。また懇親会では自分の道をどのように歩んでいくのか考えるきっかけとなりましたし、背中を強く押していただきました。改めまして、この度はありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。(20代男性)
・先日は貴重な機会を頂き誠に有難う御座いました。ご飯もご馳走して頂き有難う御座います。とてもおいしかったです。早速、懇親会の中でもありました「文明の衝突」購入しました。難しい部分も多いですが勉強して参ります。パレンバンでのお話を伺い、奥本中尉はじめ日本の若者が祖国のために命を削り、戦う姿に心を打たれました。先日も銀座で強盗事件などがありましたが日本の若者を変えていく教育が我々に求められているものだと思います。葛城様が読み上げてくださった若者たちの心は今の若者にも必要です。親への感謝や日本への感謝、そういった心を育めるようこれからも努めて参ります。この度は貴重な機会を有難う御座いました。今後とも何卒宜しくお願い致します。(20代男性)
・今回はパレンバン作戦という教科書にも載ってないようなトークライブの運営お手伝いとして参加させていただきありがとうございました。率直に思ったことは奥本さんのお父様である奥本中尉と4人の仲間でオランダ軍に囲まれた危機的状況から使命感を持った勇気ある行動による奇襲と奥本中尉のリーダーシップによって守られた大東亜戦争に必要な石油という資源、そして日本人の組織的、人間的な強さを感じました。その中でも心打たれたのは「本日の休養は靖国とす」という日の丸に寄せ書きをしていたという死を覚悟して果敢に挑んだという事です。この強い気持ちが真のリーダーに必要なことなのかと感じました。また、今回のイベントでは人間魚雷回天の搭乗員だった湯川さんのお話も聞くことが出来たので貴重な機会でした。今回は自分が全く知らないパレンバン作戦で勇敢に戦った偉人のご子息による話と回天を経験した方の生の声をお聞きできたので、大変感銘を受けました。本日はありがとうございました。(30代男性)
・今回も貴重な機会をいただきましてありがとうございました。バレンバンでのお話を聞き、学校教育では語られないご子息による生の声からリアルを感じました。当時、命をかけて勇気ある行動を起こした奥本中尉の姿や戦後教育の中で失われてった日本人たる心等玉川さんの挨拶にもございました後世に伝え、伝承していく意義を強く感じる機会となりました。この度は誠にありがとうございました。(30代男性)
私達は、国のために尊い命をささげた先人を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げ、そして、正しい歴史の真実を後世まで伝え続けなければならいと心の底から思います。寺子屋「玉川未来塾」では、今後もそのようなイベントを開催していきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
当日は約50人の方々にお越しいただき、本殿での昇殿参拝、そして、葛城奈海さんの司会進行のもと、インドネシア・パレンバンでの陸軍落下傘部隊の小隊長を務め、見事な成果を挙げた奥本實中尉のご子息である奥本康大さんにご登壇いただきました。パレンバン降下作戦とはどのような作戦であったのか、父から語り継がれた知られざる真実とは何か、英霊への思い、そして、日本を憂い、次代を担う若者たちへのメッセージをお話しいただきました。
大東亜戦争が何故始まったのかを理解していただくため、当日は「開戦の詔書」の当時の貴重な音声を流させていただき、日本の立場が良く理解していただけたかと思います。
最後には、お二人の英霊のご遺書を朗読。英霊の思いを汲み取っていただけたかと思います。
その内容について、来場者から貴重な感想をいただきましたので、以下、抜粋し、掲載いたしました。ご覧いただけましたら幸いです。
【「大東亜戦争 失われた真実」トークライブ アンケート抜粋】
・今日は、初めて参加させていただき有難う御座いました。葛城さん、奥本さんの息もぴったりで
お2人の声がとても聴きやすく、お話しもわかりやすく、大変、勉強になりました。とても有意義な時間を過ごさせていただきました。有難う御座いました。(埼玉県在住・男性)
・本日、昇殿参拝と、奥本康大氏と葛城奈海氏によるトークライブに参加し、最前列に席を取り、両氏による拝聴しました。最後の、葛城氏による特攻隊の遺書の朗読では、涙が溢れ出ました。9月24日のトークライブにも参加を希望します。(神奈川県在住・男性)
・普段聞けない本当の話を聞けるのが、毎回楽しみなんです。何でもかんでも隠さたり嘘をついたりで、本当の事を知るチャンスがなくなって、ねじ曲がった歴史だけが、語り継がれているのは、頑張ってきた英霊たちに、失礼だと思います。イベントの最後に、回天に乗っていたという方が、前に出てきて話をしてくださいました。その方の話をもっと聞きたかったです。(東京都在住・50代女性)
・お疲れ様でした。毎回心を引き締められる思いで参加させて頂いております。バレンバン作戦がいかにその当時の日本の命運を賭けたものだったか、そしてまさしく奥平さんのおっしゃるように「神がかっていた」か。鳥肌が立ちました。また会場にいらしてた特攻魚雷「回天」の生き残りの方にお会いできて涙が溢れそうでした。特攻の生き残り。私達の先輩先達の方でありこの世代の礎となられた方。白人の支配にガチで挑んだ非白人は日本人のみ。ククリット・ブラモード(タイ国元首相)さんの「日本というお母さん」という言葉に、胸を張れ、先祖を誇れ、まだ足りない!そう思いました。(東京都在住・40代男性)
・大東亜戦争のご遺族の方から、パレンバンの現地の様子や逆境を乗り越えた時の様子を聞くことができて、日本人として誇らしさを感じました。一方でこういった歴史が伝わらなくなっていってしまいそうな状況に危機感を持ったので自分からもどんどんと広げていこうと思います。(神奈川県在住・20代男性)
・奥本さんのお父様の戦地でのお話を興味深く拝聴しました。また、冒頭の開戦の詔書は初めて聞きましたが、歴史的瞬間に立ち会うようで少し緊張しました。体験談も詔書もなかなか聞く機会がないので、ありがたく思いました。資料の中に、アジア諸国指導者の感謝の言葉がありました。このような言葉はオープンにされているにもかかわらず、なかなか我々日本人の元に届かないので、大人も含めた平和教育の中で、その背景と共に語られる必要があると思いました。時代は変わりつつあるので、戦後の平和教育は見直さなければなりませんね。私も葛城奈海さんと同様に「靖国神社なんて」とかつて思っていましたが、様々な心ある保守の方々の教えのおかげでここに居り、感謝するしかありません。(東京都在住・50代女性)
・ABCD包囲網の中、どうやって戦争を続けたのか不思議でした。武田邦彦氏のYouTubeで「パレンバン」を聴いたことがありましたが、全く内容を理解していませんでした。今回、お話が聞けて大変良かったです。「白人による統治は『明治維新』に始まり、今でも続いている」というお言葉が、とても印象的でした。(東京都在住・50代女性)
・「空の神兵」の貴重なお話、真実を知りました。私の父は郵政省の職員で、インドネシアに軍属として勤務、終戦間際に海軍に配属され、爆撃の中、九死に一生の体験をしたと、父が書き置いた記録で知りました。インドネシアを訪問する企画があれば参加できればと。(東京都在住・70代男性)
・「日本人は誇りを持て」とのメッセージを深く心に刻みました。「戦争は明治から今に至るまで続いている」との奥本さんのお言葉に、全く同感でございます。「日の存亡の時」との思いは、日に日に強く、ことに昨年の7月8日以降、切実に感じています。毎回、玉川未来柔で得たことを微力ながら周囲に伝えております。一人でも二人でも、目覚めることが、日本が生き抜くことにつながると思います。(東京都在住・50代女性)
・葛城さんの進行がとても上手で奥本さんの話もとても分かりやすく勉強になりました。有意義な時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。(埼玉県在住・60代男性)
・本日は奥本先生より日本精神を学びました。葛城先生より色々歴史を学びました。(東京都在住・60代男性)
・戦争に関心があり、少しでも多くの戦争について知りたいと思い、色々な資料館に行っております。当時の人々が辛いことを乗り越えて、残してくれた命を無駄にせず、感謝して一日を大切に生きていこうと思います。(千葉県在住・50代女性)
・素晴らしいイベントでした。大変お疲れ様でした。ありがとうございました。正しい歴史を継げることが最も重要であることを認識しました。(埼玉県在住・70代男性)
・解りやすくお話を聞きました。ありがとうございました。葛城奈海さんの説明が解りやすく感動しました。(東京都在住・60代男性)
・奥本さんからリアルな話を聞かせて頂きました。戦争で戦ってくれた先人達に改めて感謝するとともに、リーダーシップの部分でも勉強になりました。
また、最後の湯川武弘さんの力強い挨拶を聞いて、とても感動しました。自分も全力で生きていこうと思いました。貴重な機会を頂き、ありがとうございました。(40代男性)
・玉川さん、先日はイベントでの運営の機会をいただきありがとうございました!私が教科書で習ってきたのとは違う歴史がトークライブの中にありました。研究という視点とも勉強という視点とも違うリアルな話には心を打たれるものがありました。奥本先生、葛城先生のお話から学ばせていただくことも非常に多かったですが、その機会を作ってくださった玉川さんに感謝いたします。想いのある方を繋ぐことで生まれるエネルギーの大きさを感じました。いただいた話を私の同世代に広め、また次の世代に受け継いでいくよう努めてまいります。また懇親会では自分の道をどのように歩んでいくのか考えるきっかけとなりましたし、背中を強く押していただきました。改めまして、この度はありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。(20代男性)
・先日は貴重な機会を頂き誠に有難う御座いました。ご飯もご馳走して頂き有難う御座います。とてもおいしかったです。早速、懇親会の中でもありました「文明の衝突」購入しました。難しい部分も多いですが勉強して参ります。パレンバンでのお話を伺い、奥本中尉はじめ日本の若者が祖国のために命を削り、戦う姿に心を打たれました。先日も銀座で強盗事件などがありましたが日本の若者を変えていく教育が我々に求められているものだと思います。葛城様が読み上げてくださった若者たちの心は今の若者にも必要です。親への感謝や日本への感謝、そういった心を育めるようこれからも努めて参ります。この度は貴重な機会を有難う御座いました。今後とも何卒宜しくお願い致します。(20代男性)
・今回はパレンバン作戦という教科書にも載ってないようなトークライブの運営お手伝いとして参加させていただきありがとうございました。率直に思ったことは奥本さんのお父様である奥本中尉と4人の仲間でオランダ軍に囲まれた危機的状況から使命感を持った勇気ある行動による奇襲と奥本中尉のリーダーシップによって守られた大東亜戦争に必要な石油という資源、そして日本人の組織的、人間的な強さを感じました。その中でも心打たれたのは「本日の休養は靖国とす」という日の丸に寄せ書きをしていたという死を覚悟して果敢に挑んだという事です。この強い気持ちが真のリーダーに必要なことなのかと感じました。また、今回のイベントでは人間魚雷回天の搭乗員だった湯川さんのお話も聞くことが出来たので貴重な機会でした。今回は自分が全く知らないパレンバン作戦で勇敢に戦った偉人のご子息による話と回天を経験した方の生の声をお聞きできたので、大変感銘を受けました。本日はありがとうございました。(30代男性)
・今回も貴重な機会をいただきましてありがとうございました。バレンバンでのお話を聞き、学校教育では語られないご子息による生の声からリアルを感じました。当時、命をかけて勇気ある行動を起こした奥本中尉の姿や戦後教育の中で失われてった日本人たる心等玉川さんの挨拶にもございました後世に伝え、伝承していく意義を強く感じる機会となりました。この度は誠にありがとうございました。(30代男性)
私達は、国のために尊い命をささげた先人を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げ、そして、正しい歴史の真実を後世まで伝え続けなければならいと心の底から思います。寺子屋「玉川未来塾」では、今後もそのようなイベントを開催していきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
何故、大東亜戦争は起きたのか~開戦の詔書を読んで~
2023.04.15
「なぜ、平和を求めていた日本が、戦争をすることになったのか」。
毎年、私塾「寺子屋『玉川未来塾』」が主催する靖國神社とのイベントで、いつも思うことである。
みなさんは、天皇陛下の勅語によって発せられた「開戦の詔書」の全文を読んだことはあるだろうか。ここには、大東亜戦争を始めるきっかけとその理由について、昭和16(1941)年12月8日に述べられているので、まず全文を紹介するので読んでいただきたい。
開戦の詔書<原文>
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐(ふ)メル大日本帝國天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝有衆(ゆうしゅう)ニ示ス
朕茲(ここ)ニ米國及英國ニ對シテ戰(たたかい)ヲ宣ス 朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮(ふるっ)テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司(ひゃくりょうゆうし)ハ勵精(れいせい)職務ヲ奉行シ朕カ衆庶(しゅうしょ)ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々(そもそも)東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯(ひけん)ナル皇祖考丕承(ひしょう)ナル皇考ノ作述セル遠猷(えんゆう)ニシテ朕カ拳々(けんけん)措(お)カサル所 而(しこう)シテ列國トノ交誼(こうぎ)ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂(たのしみ)ヲ偕(とも)ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル 洵(まこと)ニ已ムヲ得サルモノアリ 豈(あに)朕カ志ナラムヤ 中華民國政府曩(さき)ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫(みだり)ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂(かくらん)シ遂ニ帝國ヲシテ干戈(かんか)ヲ執ルニ至ラシメ茲(ここ)ニ四年有餘ヲ經タリ 幸(さいわい)ニ國民政府更新スルアリ 帝國ハ之ト善隣ノ誼(よしみ)ヲ結ヒ相提攜(ていけい)スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭(ひいん)ヲ恃(たの)ミテ兄弟尚未タ牆(かき)ニ相鬩(あいせめ)クヲ悛(あらため)メス 米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂(からん)ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿(かく)レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞(かくまし)ウセムトス 剩(あまつさえ)ヘ與國ヲ誘(いざな)ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有(あ)ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢(あえ)テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ 朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡(うち)ニ囘復セシメムトシ隱忍久シキニ彌(わた)リタルモ彼ハ毫(ごう)モ交讓(こうじょう)ノ精神ナク徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延(せんえん)セシメテ此ノ間(かん)却(かえ)ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス 斯(かく)ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦(また)正(まさ)ニ危殆(きたい)ニ瀕セリ 事既ニ此ニ至ル 帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然(けつぜん)起(た)ツテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破碎(はさい)スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神靈上(かみ)ニ在リ 朕ハ汝有衆(ゆうしゅう)ノ忠誠勇武ニ信倚(しんい)シ祖宗(そそう)ノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ速(すみやか)ニ禍根ヲ芟除(さんじょ)シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス
御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
開戦の詔勅 <現代語訳文>
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
詔書で昭和天皇が「豈(あに)朕(ちん=天皇陛下)が志ならむや」と述べているように、米英との戦争は本意でないことを強調している。また、当時の支那(中国)についても「曩(さき)に帝國の眞意を解せず、濫(みだり)に事を構へて東亞の平和を攪亂(かくらん)し」とあるように、日本は支那を侵略する意図が無かったことが分かるし、東アジアの平和を乱しているのは当の支那人であるとしている。そして、米英との戦争は避けたかったが、「日本の自存と自衛」にやむなく立ち上がったことが読み取れる。
このように、開戦の詔書の内容において確認すべきことは、大東亜戦争が、我が国の生存に対する重大な脅威を除去し、アジア永遠の平和を確立することを目的にした自衛のための戦争であると宣言されていることである。そして、戦後において、天皇陛下は、この開戦の詔書で示された自衛のための戦争との宣言を一切撤回されていない。このことを深く心に刻むべきである。
また、東京裁判で木戸幸一の弁護を担当した米国弁護士のウィリアム・ローガンは、次のように論じている。
「日本は連合国が行った経済封鎖は、日本に対する戦争行為にほかならないものであると断定する権利を持っていた。それにもかかわらず、日本はその特有の忍耐力を以て、円満にこの争いを解決しようと試みた。しかし、経済封鎖は強化せられ、軍事的包囲の脅威とあいまって、ついに日本をして自国の存立の擁護のためには、最終的手段として戦争に訴えざるを得ないと考えるに至ったのだった。日本がこの連合国の経済封鎖を以てすぐに宣戦布告に等しきものなりと解釈することなく、平和的解決を交渉によって忍耐強く追求したことは、永遠に日本の名誉とするに足るところである。・・・それは、不当に挑発に基因した、国家存立のための自衛戦争であったのである」。
さらに、昭和26(1951)年5月、連合国軍最高司令官を解任された直後のダグラス・マッカーサーは米国上院外交軍事合同委員会で「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた」「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」と、敵将が彼らの戦いが自存自衛であったと証言している。
しかし、学校教育では、「かつて日本軍は、アジア諸国を侵略し、略奪するなどをして地元の人々に大変つらい思いをさせたことを今でもアジアの諸国民は恨み続けている」と教えられ、そして、「日本の『アジア侵略の野望』は敗戦によって潰え、日本は反省して二度とこのような戦争をしないことを憲法で誓った」と教えられてきている。
それに対して、アジア諸外国の指導者は、「日本が戦ってくれて感謝してる」「日本は我々に謝罪しなければならないことは何もしていない」と学校教育で教えられていることとは正反対の「感謝の気持ち」をあらわしている。
具体的に見てみたい。
◎ジャワハルラール・ネルー(インド初代首相インド独立運動指導者)
「日本は我々に謝罪しなければならない事は何もしていない。だから、われわれは、サンフランシスコ講和会議に出席することを拒否し、その後は条約に署名することも拒んだのである」。
◎ガザリー・シャフィー(マレーシア元外務大臣)
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ」。
◎ククリット・プラモード(タイ元首相)
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない」。
◎モハメッド・ナチール(インドネシア元首相)
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」。
◎バー・モウ(ビルマ首相・独立運動家)
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない」。
学校教育では正しい歴史を教えていないため、今でも先の大戦で「日本は悪いことをした」と信じ込んでいる者が多い。そして、自我形成期に自国の歴史を暗記科目として学び、そして忘れ、ある場合には日本は悪い国、先祖は悪い人と教える歴史教育があるのも否定できない現実である。
昭和から平成、令和と時代が移り、戦争体験者が急速に減っている中、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあるため、日本人は正しい歴史を知らない世代が多くなっているのに、国のために尊い命をささげた先人を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社をも容認しない者も少なくない。今日の平和は間違いなく、国を護るために命を賭して戦ってくれた先人のお陰である。
私が主宰する「寺子屋『玉川未来塾』」では、こういった状況を少しでも改善するためのイベントを今年も開催する。今年は3回。テーマこそ違えど、靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げ、そして、今日の学校教育では学べない、違った視点から正しい歴史を学ぶことを目的に実施する。多くの方々にお越しいただきたいと心から願うものである。
毎年、私塾「寺子屋『玉川未来塾』」が主催する靖國神社とのイベントで、いつも思うことである。
みなさんは、天皇陛下の勅語によって発せられた「開戦の詔書」の全文を読んだことはあるだろうか。ここには、大東亜戦争を始めるきっかけとその理由について、昭和16(1941)年12月8日に述べられているので、まず全文を紹介するので読んでいただきたい。
開戦の詔書<原文>
天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐(ふ)メル大日本帝國天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝有衆(ゆうしゅう)ニ示ス
朕茲(ここ)ニ米國及英國ニ對シテ戰(たたかい)ヲ宣ス 朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮(ふるっ)テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司(ひゃくりょうゆうし)ハ勵精(れいせい)職務ヲ奉行シ朕カ衆庶(しゅうしょ)ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ
抑々(そもそも)東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯(ひけん)ナル皇祖考丕承(ひしょう)ナル皇考ノ作述セル遠猷(えんゆう)ニシテ朕カ拳々(けんけん)措(お)カサル所 而(しこう)シテ列國トノ交誼(こうぎ)ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂(たのしみ)ヲ偕(とも)ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ 今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル 洵(まこと)ニ已ムヲ得サルモノアリ 豈(あに)朕カ志ナラムヤ 中華民國政府曩(さき)ニ帝國ノ眞意ヲ解セス濫(みだり)ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂(かくらん)シ遂ニ帝國ヲシテ干戈(かんか)ヲ執ルニ至ラシメ茲(ここ)ニ四年有餘ヲ經タリ 幸(さいわい)ニ國民政府更新スルアリ 帝國ハ之ト善隣ノ誼(よしみ)ヲ結ヒ相提攜(ていけい)スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權ハ米英ノ庇蔭(ひいん)ヲ恃(たの)ミテ兄弟尚未タ牆(かき)ニ相鬩(あいせめ)クヲ悛(あらため)メス 米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂(からん)ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿(かく)レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞(かくまし)ウセムトス 剩(あまつさえ)ヘ與國ヲ誘(いざな)ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有(あ)ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢(あえ)テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ 朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡(うち)ニ囘復セシメムトシ隱忍久シキニ彌(わた)リタルモ彼ハ毫(ごう)モ交讓(こうじょう)ノ精神ナク徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延(せんえん)セシメテ此ノ間(かん)却(かえ)ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス 斯(かく)ノ如クニシテ推移セムカ東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦(また)正(まさ)ニ危殆(きたい)ニ瀕セリ 事既ニ此ニ至ル 帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然(けつぜん)起(た)ツテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破碎(はさい)スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗ノ神靈上(かみ)ニ在リ 朕ハ汝有衆(ゆうしゅう)ノ忠誠勇武ニ信倚(しんい)シ祖宗(そそう)ノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ速(すみやか)ニ禍根ヲ芟除(さんじょ)シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス
御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
開戦の詔勅 <現代語訳文>
神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。
私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。中華民国政府は、以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。さいわいに国民政府は南京政府に新たに変わった。帝国はこの政府と、善隣の誼(よしみ)を結び、ともに提携するようになったが、重慶に残存する蒋介石の政権は、米英の庇護を当てにし、兄弟である南京政府と、いまだに相互のせめぎあう姿勢を改めない。米英両国は、残存する蒋介石政権を支援し、東アジアの混乱を助長し、平和の美名にかくれて、東洋を征服する非道な野望をたくましくしている。あまつさえ、くみする国々を誘い、帝国の周辺において、軍備を増強し、わが国に挑戦し、更に帝国の平和的通商にあらゆる妨害を与へ、ついには意図的に経済断行をして、帝国の生存に重大なる脅威を加えている。私は政府に事態を平和の裡(うち)に解決させようとし、長い間、忍耐してきたが、米英は、少しも互いに譲り合う精神がなく、むやみに事態の解決を遅らせようとし、その間にもますます、経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
皇祖皇宗の神霊をいただき、私は、汝ら国民の忠誠と武勇を信頼し、祖先の遺業を押し広め、すみやかに禍根をとり除き、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄の保全を期すものである。
御名御璽
昭和十六年十二月八日
各国務大臣副書
詔書で昭和天皇が「豈(あに)朕(ちん=天皇陛下)が志ならむや」と述べているように、米英との戦争は本意でないことを強調している。また、当時の支那(中国)についても「曩(さき)に帝國の眞意を解せず、濫(みだり)に事を構へて東亞の平和を攪亂(かくらん)し」とあるように、日本は支那を侵略する意図が無かったことが分かるし、東アジアの平和を乱しているのは当の支那人であるとしている。そして、米英との戦争は避けたかったが、「日本の自存と自衛」にやむなく立ち上がったことが読み取れる。
このように、開戦の詔書の内容において確認すべきことは、大東亜戦争が、我が国の生存に対する重大な脅威を除去し、アジア永遠の平和を確立することを目的にした自衛のための戦争であると宣言されていることである。そして、戦後において、天皇陛下は、この開戦の詔書で示された自衛のための戦争との宣言を一切撤回されていない。このことを深く心に刻むべきである。
また、東京裁判で木戸幸一の弁護を担当した米国弁護士のウィリアム・ローガンは、次のように論じている。
「日本は連合国が行った経済封鎖は、日本に対する戦争行為にほかならないものであると断定する権利を持っていた。それにもかかわらず、日本はその特有の忍耐力を以て、円満にこの争いを解決しようと試みた。しかし、経済封鎖は強化せられ、軍事的包囲の脅威とあいまって、ついに日本をして自国の存立の擁護のためには、最終的手段として戦争に訴えざるを得ないと考えるに至ったのだった。日本がこの連合国の経済封鎖を以てすぐに宣戦布告に等しきものなりと解釈することなく、平和的解決を交渉によって忍耐強く追求したことは、永遠に日本の名誉とするに足るところである。・・・それは、不当に挑発に基因した、国家存立のための自衛戦争であったのである」。
さらに、昭和26(1951)年5月、連合国軍最高司令官を解任された直後のダグラス・マッカーサーは米国上院外交軍事合同委員会で「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない」「日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた」「もし原料供給を断ち切られたら1000万~1200万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだった」と、敵将が彼らの戦いが自存自衛であったと証言している。
しかし、学校教育では、「かつて日本軍は、アジア諸国を侵略し、略奪するなどをして地元の人々に大変つらい思いをさせたことを今でもアジアの諸国民は恨み続けている」と教えられ、そして、「日本の『アジア侵略の野望』は敗戦によって潰え、日本は反省して二度とこのような戦争をしないことを憲法で誓った」と教えられてきている。
それに対して、アジア諸外国の指導者は、「日本が戦ってくれて感謝してる」「日本は我々に謝罪しなければならないことは何もしていない」と学校教育で教えられていることとは正反対の「感謝の気持ち」をあらわしている。
具体的に見てみたい。
◎ジャワハルラール・ネルー(インド初代首相インド独立運動指導者)
「日本は我々に謝罪しなければならない事は何もしていない。だから、われわれは、サンフランシスコ講和会議に出席することを拒否し、その後は条約に署名することも拒んだのである」。
◎ガザリー・シャフィー(マレーシア元外務大臣)
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独立したのだ」。
◎ククリット・プラモード(タイ元首相)
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない」。
◎モハメッド・ナチール(インドネシア元首相)
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」。
◎バー・モウ(ビルマ首相・独立運動家)
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない」。
学校教育では正しい歴史を教えていないため、今でも先の大戦で「日本は悪いことをした」と信じ込んでいる者が多い。そして、自我形成期に自国の歴史を暗記科目として学び、そして忘れ、ある場合には日本は悪い国、先祖は悪い人と教える歴史教育があるのも否定できない現実である。
昭和から平成、令和と時代が移り、戦争体験者が急速に減っている中、戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつあるため、日本人は正しい歴史を知らない世代が多くなっているのに、国のために尊い命をささげた先人を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社をも容認しない者も少なくない。今日の平和は間違いなく、国を護るために命を賭して戦ってくれた先人のお陰である。
私が主宰する「寺子屋『玉川未来塾』」では、こういった状況を少しでも改善するためのイベントを今年も開催する。今年は3回。テーマこそ違えど、靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝の誠を捧げ、そして、今日の学校教育では学べない、違った視点から正しい歴史を学ぶことを目的に実施する。多くの方々にお越しいただきたいと心から願うものである。
歴史を学ぶことの意義
2023.02.13
私の持論だが、自国を守るべき安全保障の環境を整えていくことはもちろん大切なのだが、「国を護る」心を持つ次代を担う若者たちが育たなければ、日本国を継承することができないと考えている。そのために「国民を育てる歴史教育」が必要だと自分は思っている。
我が国はGHQ政策の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」により、国民を育成する歴史教育(国史)を忘れ去られてきた。そして、今も自我形成期に自国の歴史を暗記科目として学び、そして忘れ、ある場合には日本は悪い国、先祖は悪い人と教える歴史教育が現在進行形で存在している。
内閣府による自己肯定感の国際比較では毎回日本が最低。子供達の自己肯定感の異様な低さは、教師の歴史観や国家観、間違った歴史教育が原因なのだという考えに私は至っており、歴史教育が日本国民としてのアイデンティティーを確立させていない現実があると考えている。
反対に、正しい歴史教育によって先人に感謝し祖国を誇りに思うようになると、自己肯定感は高くなる。歴史教育が「自分はあるがままで価値がある」「自分が生まれてきたことには意味がある」という思いを育てるからだ。
ある小学生の感想文を紹介しよう。
「日本の歴史人物・リーダー達は、多くの迷いや苦悩があっても、国の運命のために決断をして、日本を守ってきた。その人たちにぼくはとても感謝している。これからは自分の番だということを意識して、国づくりのバトンを受けつぎ、誇りある日本人として生きていきたい」。
この感想は正しい歴史教育の授業を受けた生徒の感想文である。
こういった人材を育て、そして、確立された安全保障環境を担い、継承してく若者が多くなることが重要であると私は思う。
しかし、昨今の日本を見てみると、心無い事件が多発し、人のありがたみを感じない振る舞いをする人が多くなったように見受けられる。現代の日本人は、GHQの戦後政策(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)により、こんなにも日本の精神が骨抜きになってしまったのか、と思うほどだ。
「そんなにも人様に感謝する心がないのか」
「お互い様、お陰様という言葉を知らないのか」
「自分だけが良ければよいのか」
「自分勝手な振る舞いが周りに迷惑をかけていることも分からないのか」
などなど・・・。
「こんな日本にするために我々は死んでいったのではない」と英霊からの声が聞こえてきそうである。
先の大戦で亡くなった先人は、将来を担う我々に何を託したのか。
その答えを、今一度、先人から学ぶ必要があるのではないのか。そして、正しい歴史を学び、その歴史が何を語ってきたのかを考える必要があるのではないだろうか。
最近、この様に思い、そしてその思いが強まってきた。
今日の平和があるのは間違いなく、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰である。先祖の尊い犠牲があったからこそ、今日の平和があるのだ。そして、歴史は日本という国の「国づくり」の歩みであり、私達は先人の尊い、膨大な数の「命のバトン」を受け継いで、今ここに生きていることを認識すべきだと考えるのである。
そのような思いから、令和5年度も国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をして、そして8月のイベントでは遊就館を見学することによって今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ることを目的に以下の内容でイベントを実施することとした。
①「靖國神社昇殿参拝&トークライブ」※アーカイブ配信あり
日時:5月27日(土) 12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始(90分予定)
場所:靖國神社啓照館
登壇者:奥本康大氏(「空の神兵顕彰会」会長)、葛城奈海氏(ジャーナリスト)
定員:200名
参加費:4,000円(玉串料含む)
②第8回「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベント
日時:8月26日(土) 12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始
場所:靖國神社参集殿、遊就館(小学生~成人までを対象)
講師:禰宜 松本聖吾総務部長
テーマ:「次代へ繋ぐ英霊の思い」(仮題)(60分予定)
講演後、遊就館自由拝観
定員:100名
参加費:大人:3,000円 /小・中・高校生2,000円(玉串料、遊就館拝観料含む)
③「靖國神社昇殿参拝&トークライブ」※アーカイブ配信あり
日時:9月24日(日) 12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始(90分予定)
場所:靖國神社靖國会館
登壇者:柿崎ゆうじ氏(カートコーポレイトグループ代表取締役会長・映画監督)、葛城奈海氏(ジャーナリスト)
定員:100名
参加費:4,000円(玉串料含む)
【告 知】 寺子屋「玉川未来塾」HP、Facebook、Twitter、PRチラシなどで展開する
【申込み】 Googleフォーム、チラシ(FAX)、はがきにより受付
※申込時に参加費を指定口座に振り込む。入金確認後、「入場予約券」を送付
※「入場予約券」は当日受付にて提示し、引き換えに「入場券」(②については「遊就館拝観チケット」も)を渡す
【主 催】 寺子屋「玉川未来塾」
月刊正論3月号において、佐伯啓思京都大学名誉教授と川久保剛麗澤大学教授が「日本における保守とは何か」との対談が掲載されている。その内容はとても読みごたえがあり、そして、考えさせられるものである。
「左翼に対して保守は何を言うべきか」「保守は今、何を問題にするべきか」「国力を高め、国防や安全保障を万全にするということは、保守とリベラルという思想の対立以前の近代国家として当然の課題」「社会科学と文学の間隙にある問題」「『存在の思想』と『無の思想』」など、とても多くの論考が参考になるのだが、私は以下の川久保教授の「リベラリズムの影響によって日本人の伝統的な宗教観、自然観、死生観も大きく変容してきた面があると思いますが、、そうした点について先生はどのようにお考えでしょうか」との問いに対して、佐伯名誉教授の答えに大きな関心を持った。
佐伯名誉教授は「その点については、私は最近、案外と楽観的になっていて、無や無常を前提にした自然観や死生観はわりと現代の日本人の中に残っている気がします。自然に対する愛着とか、ある種の和の精神でうまい具合に自主的秩序をつくっていく。社会の秩序や道徳を、何かによって強制されるわけではなく、人間の理性や合理性でつくりだすのでもなく、ごく自然に試行錯誤しながら一つのまとまりをつくっている。そういう柔軟な能力が日本人にはあると思います。ただそれはマイナスになるときもあればプラスになるときもある。コロナでよくいわれましたが、自粛だけである程度うまくいく国なんてほかにない。ただ、同調圧力など窮屈な面もあるし、政治的責任などという観念とうまく合いません。だけどみんなが自発的に自粛することによって、コロナをある程度は抑えることができた。中途半端だといえば中途半端で、いい加減といえばいい加減です。いい加減というのは、文字通り、ちょうどよい加減を知るということです。それは日本人の知恵だとみた方がいいでしょう。ただ、この日本的な知恵をわれわれは本当の意味で分かっていない。どうしてかというと、それは日本のエリートが日本を駄目にしているからでしょう。エリートというのは要するに、東大出の官僚であり、東大出の学者であり、東大出のメディア関係者であり、東大出の政治家であり、東大出の財界人たち。こういう日本のトップエリートは基本的にグローバリストであり、アメリカにストであり、合理主義者であり、端的にいえば近代主義者です。もちろん東大出というのは象徴的な言い方で、要するに東大型の極めて偏差値の高い、あらゆる問題に対してそれなりの正解を出す日本の学歴エリートという意味ですが、このエリートたちが日本を引っ張っている。だけどこのエリートは、一般庶民の感覚からずいぶん離れてしまったように思います。だから官僚はほとんど信頼を失ったでしょう。政治家は自分の言葉を何も語れない。大学の学者は専門に閉じこもって社会への影響力をほとんどもてない。ジャーナリストはその場その場の発言に終始し、これも存在感を示せません。しかし彼らはたいへんな秀才エリートです。秀才エリートのもとでこの国は、がたがたになっている。そうだとしたら、その次に出てくるものは何か。わりと昔からある、『ああ、こういうことがやっぱり大事だったな』『こういうことはやっぱりちゃんとやっていかないと駄目だ』というような常識にかえることになるのではないかと思う(後略)」。
心ないマスコミが報じる情報に踊らされ、財務官僚の理屈に政治家が踊らされ、日本の社会がおかしな方向へと導かれてしまっている。
そして、ネットによって正しい情報を知ることができる時代であるにも関わらず、その状況の変化を求めない者もいる。ダーウィンの進化論ではないが、「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである」との言葉が思い出される。我々が状況の変化に対応し、そして、佐伯名誉教授が言うように、「ああ、こういうことがやっぱり大事だったな」「こういうことはやっぱりちゃんとやっていかないと駄目だ」と思うことが大切なのではないだろうか。
寺子屋「玉川未来塾」の勉強会で、渡辺利夫拓殖大学顧問より「歴史を学ぶことの意義」の講義を受けた。
その際に「人間は同じことを繰り返す『循環史観』に基づく」存在であると話された。そして、「自分が存在する=血脈が誰一人欠けることなく生き繋がれる」ことの大切さを論じ、山本夏彦氏の言葉を引用し「歴史伝統に耳を傾ける=『読書とは死者との対話である』」とお教えいただいた。また、祖先から脈々と受け継がれた血脈=伝統を守ることは運命であるとも説かれたのである。
もう一つの運命として日本という国家にも触れ、日本の伝統の本質について説かれた。
①同質的
②自成的
③連続的
日本の歴史を再確認する「式年遷宮」や「皇室」はその連続的を意味し、そして「天皇家は文明の歴史的象徴である」と。
歴史観、国家観、道徳観など。
先人たちは、私たちの祖先たちは、正しい物の見方、振る舞い方、行動の仕方など、現代日本人に欠けている大切なのもを残してくれている。
今だからこそ、我々は多くのことを今一度、歴史から学習すべきである。そして、改めて先人の知恵や気概、正しい歴史観、国家観を学び、深める必要があると感じるのである。
我が国はGHQ政策の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」により、国民を育成する歴史教育(国史)を忘れ去られてきた。そして、今も自我形成期に自国の歴史を暗記科目として学び、そして忘れ、ある場合には日本は悪い国、先祖は悪い人と教える歴史教育が現在進行形で存在している。
内閣府による自己肯定感の国際比較では毎回日本が最低。子供達の自己肯定感の異様な低さは、教師の歴史観や国家観、間違った歴史教育が原因なのだという考えに私は至っており、歴史教育が日本国民としてのアイデンティティーを確立させていない現実があると考えている。
反対に、正しい歴史教育によって先人に感謝し祖国を誇りに思うようになると、自己肯定感は高くなる。歴史教育が「自分はあるがままで価値がある」「自分が生まれてきたことには意味がある」という思いを育てるからだ。
ある小学生の感想文を紹介しよう。
「日本の歴史人物・リーダー達は、多くの迷いや苦悩があっても、国の運命のために決断をして、日本を守ってきた。その人たちにぼくはとても感謝している。これからは自分の番だということを意識して、国づくりのバトンを受けつぎ、誇りある日本人として生きていきたい」。
この感想は正しい歴史教育の授業を受けた生徒の感想文である。
こういった人材を育て、そして、確立された安全保障環境を担い、継承してく若者が多くなることが重要であると私は思う。
しかし、昨今の日本を見てみると、心無い事件が多発し、人のありがたみを感じない振る舞いをする人が多くなったように見受けられる。現代の日本人は、GHQの戦後政策(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)により、こんなにも日本の精神が骨抜きになってしまったのか、と思うほどだ。
「そんなにも人様に感謝する心がないのか」
「お互い様、お陰様という言葉を知らないのか」
「自分だけが良ければよいのか」
「自分勝手な振る舞いが周りに迷惑をかけていることも分からないのか」
などなど・・・。
「こんな日本にするために我々は死んでいったのではない」と英霊からの声が聞こえてきそうである。
先の大戦で亡くなった先人は、将来を担う我々に何を託したのか。
その答えを、今一度、先人から学ぶ必要があるのではないのか。そして、正しい歴史を学び、その歴史が何を語ってきたのかを考える必要があるのではないだろうか。
最近、この様に思い、そしてその思いが強まってきた。
今日の平和があるのは間違いなく、先の大戦で命を賭して戦ってくださった英霊のお陰である。先祖の尊い犠牲があったからこそ、今日の平和があるのだ。そして、歴史は日本という国の「国づくり」の歩みであり、私達は先人の尊い、膨大な数の「命のバトン」を受け継いで、今ここに生きていることを認識すべきだと考えるのである。
そのような思いから、令和5年度も国のために尊い命をささげた先人を弔い、戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をして、そして8月のイベントでは遊就館を見学することによって今日の学校教育とは違った視点から歴史を学び、心から平和を祈ることを目的に以下の内容でイベントを実施することとした。
①「靖國神社昇殿参拝&トークライブ」※アーカイブ配信あり
日時:5月27日(土) 12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始(90分予定)
場所:靖國神社啓照館
登壇者:奥本康大氏(「空の神兵顕彰会」会長)、葛城奈海氏(ジャーナリスト)
定員:200名
参加費:4,000円(玉串料含む)
②第8回「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベント
日時:8月26日(土) 12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始
場所:靖國神社参集殿、遊就館(小学生~成人までを対象)
講師:禰宜 松本聖吾総務部長
テーマ:「次代へ繋ぐ英霊の思い」(仮題)(60分予定)
講演後、遊就館自由拝観
定員:100名
参加費:大人:3,000円 /小・中・高校生2,000円(玉串料、遊就館拝観料含む)
③「靖國神社昇殿参拝&トークライブ」※アーカイブ配信あり
日時:9月24日(日) 12時受付開始 13時昇殿参拝、13時30分講演開始(90分予定)
場所:靖國神社靖國会館
登壇者:柿崎ゆうじ氏(カートコーポレイトグループ代表取締役会長・映画監督)、葛城奈海氏(ジャーナリスト)
定員:100名
参加費:4,000円(玉串料含む)
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【申込み】 Googleフォーム、チラシ(FAX)、はがきにより受付
※申込時に参加費を指定口座に振り込む。入金確認後、「入場予約券」を送付
※「入場予約券」は当日受付にて提示し、引き換えに「入場券」(②については「遊就館拝観チケット」も)を渡す
【主 催】 寺子屋「玉川未来塾」
月刊正論3月号において、佐伯啓思京都大学名誉教授と川久保剛麗澤大学教授が「日本における保守とは何か」との対談が掲載されている。その内容はとても読みごたえがあり、そして、考えさせられるものである。
「左翼に対して保守は何を言うべきか」「保守は今、何を問題にするべきか」「国力を高め、国防や安全保障を万全にするということは、保守とリベラルという思想の対立以前の近代国家として当然の課題」「社会科学と文学の間隙にある問題」「『存在の思想』と『無の思想』」など、とても多くの論考が参考になるのだが、私は以下の川久保教授の「リベラリズムの影響によって日本人の伝統的な宗教観、自然観、死生観も大きく変容してきた面があると思いますが、、そうした点について先生はどのようにお考えでしょうか」との問いに対して、佐伯名誉教授の答えに大きな関心を持った。
佐伯名誉教授は「その点については、私は最近、案外と楽観的になっていて、無や無常を前提にした自然観や死生観はわりと現代の日本人の中に残っている気がします。自然に対する愛着とか、ある種の和の精神でうまい具合に自主的秩序をつくっていく。社会の秩序や道徳を、何かによって強制されるわけではなく、人間の理性や合理性でつくりだすのでもなく、ごく自然に試行錯誤しながら一つのまとまりをつくっている。そういう柔軟な能力が日本人にはあると思います。ただそれはマイナスになるときもあればプラスになるときもある。コロナでよくいわれましたが、自粛だけである程度うまくいく国なんてほかにない。ただ、同調圧力など窮屈な面もあるし、政治的責任などという観念とうまく合いません。だけどみんなが自発的に自粛することによって、コロナをある程度は抑えることができた。中途半端だといえば中途半端で、いい加減といえばいい加減です。いい加減というのは、文字通り、ちょうどよい加減を知るということです。それは日本人の知恵だとみた方がいいでしょう。ただ、この日本的な知恵をわれわれは本当の意味で分かっていない。どうしてかというと、それは日本のエリートが日本を駄目にしているからでしょう。エリートというのは要するに、東大出の官僚であり、東大出の学者であり、東大出のメディア関係者であり、東大出の政治家であり、東大出の財界人たち。こういう日本のトップエリートは基本的にグローバリストであり、アメリカにストであり、合理主義者であり、端的にいえば近代主義者です。もちろん東大出というのは象徴的な言い方で、要するに東大型の極めて偏差値の高い、あらゆる問題に対してそれなりの正解を出す日本の学歴エリートという意味ですが、このエリートたちが日本を引っ張っている。だけどこのエリートは、一般庶民の感覚からずいぶん離れてしまったように思います。だから官僚はほとんど信頼を失ったでしょう。政治家は自分の言葉を何も語れない。大学の学者は専門に閉じこもって社会への影響力をほとんどもてない。ジャーナリストはその場その場の発言に終始し、これも存在感を示せません。しかし彼らはたいへんな秀才エリートです。秀才エリートのもとでこの国は、がたがたになっている。そうだとしたら、その次に出てくるものは何か。わりと昔からある、『ああ、こういうことがやっぱり大事だったな』『こういうことはやっぱりちゃんとやっていかないと駄目だ』というような常識にかえることになるのではないかと思う(後略)」。
心ないマスコミが報じる情報に踊らされ、財務官僚の理屈に政治家が踊らされ、日本の社会がおかしな方向へと導かれてしまっている。
そして、ネットによって正しい情報を知ることができる時代であるにも関わらず、その状況の変化を求めない者もいる。ダーウィンの進化論ではないが、「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである」との言葉が思い出される。我々が状況の変化に対応し、そして、佐伯名誉教授が言うように、「ああ、こういうことがやっぱり大事だったな」「こういうことはやっぱりちゃんとやっていかないと駄目だ」と思うことが大切なのではないだろうか。
寺子屋「玉川未来塾」の勉強会で、渡辺利夫拓殖大学顧問より「歴史を学ぶことの意義」の講義を受けた。
その際に「人間は同じことを繰り返す『循環史観』に基づく」存在であると話された。そして、「自分が存在する=血脈が誰一人欠けることなく生き繋がれる」ことの大切さを論じ、山本夏彦氏の言葉を引用し「歴史伝統に耳を傾ける=『読書とは死者との対話である』」とお教えいただいた。また、祖先から脈々と受け継がれた血脈=伝統を守ることは運命であるとも説かれたのである。
もう一つの運命として日本という国家にも触れ、日本の伝統の本質について説かれた。
①同質的
②自成的
③連続的
日本の歴史を再確認する「式年遷宮」や「皇室」はその連続的を意味し、そして「天皇家は文明の歴史的象徴である」と。
歴史観、国家観、道徳観など。
先人たちは、私たちの祖先たちは、正しい物の見方、振る舞い方、行動の仕方など、現代日本人に欠けている大切なのもを残してくれている。
今だからこそ、我々は多くのことを今一度、歴史から学習すべきである。そして、改めて先人の知恵や気概、正しい歴史観、国家観を学び、深める必要があると感じるのである。
歴史の真実を正しく語り継ぐ大切さ
2022.11.02
去る10月23日(日)、靖國神社靖國会館「偕行の間」において、「鳥濱トメと特攻隊」トークライブを開催した。
当日は晴天に恵まれ、約100人の来場者の皆様にお越しいただいた。本当に有り難い限りである。
本殿にて、昇殿参拝をさせていただき、英霊に感謝の誠を捧げさせていただいた。昇殿参拝をする際に吹く爽やかな風は、英霊がまるで私たちを歓迎してくれたかのような柔らかな風であった。
その後のトークライブでは、舞台「帰って来た蛍」で脚本・演出・製作総指揮を執られ、そして知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会理事長の柿崎ゆうじ監督、知覧特攻の母曾孫で、ホタル館富屋食堂館長の鳥濱拳大さん、そして、知覧特攻の母の孫で、薩摩おごじょ新宿店店主の赤羽潤さんにご登壇いただいた。そのファシリテーターには「戦うことは『悪』ですか」でおなじみのジャーナリスト・葛城奈海さん。
また、舞台「帰って来た蛍」で鳥濱トメさんを演じた伊藤つかささんや、赤羽礼子さんを演じた竹島由夏さん、そして、前田笙子さん及び鳥濱美阿子さんを演じた島村明日果さん、他、たくさんの俳優さんたちにもお越しいただいた。本当に有り難い限り。心から御礼を申し上げたい。
トークライブでは、特攻隊の方々を、献身的にお世話をする「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんのお話や、トメさんと特攻隊の方々との深い絆など、「彼らは何に命をかけたのか」、感謝と感動のお話をいただいた。その時代を共に生きた親族の生のお話はとても貴重な内容だった。
以下、来場者の皆様からいただいた感想の「声」を抜粋し、お届けしたい。
・今回はもとより、毎回メディアに歯取り上げられないような濃い内容で有難いです。(本来はメディアにこそ取り上げて頂きたいのですが)生の伝承を聞けたことは大変胸につまる思いがあり、よかったです。時間がもっとあってもいいくらいでした。特攻の戦士の名誉を汚すことなく語り継いでいかなければと思いを強く致しました。ご遺族、ご子孫の方々のご長命を願うばかりです。(東京都在住・40代男性)
・実際にトメさんからの生の声を伝えてもらったのが一番すごかったと思います。トメさんの孫(潤さん)の話に、涙が自然と流れてしまう位に感動しました。特に手作りの人形を前に持っていると痛いだろうから背中にまわしたところが胸につまってしまいました。写真等を見ると誰もが笑顔だったのが印象的でした。心の奥底は辛いだろうと思います。ネット等、うその情報が流れているので、リアルな話はとても貴重でした。大切な話はきちんと伝えて行くべきだと思いました。もっと聞きたかったです。(東京都在住・50代女性)
・歴史の史実が今日まで間違った解釈をされており、正しく伝わっていません。今回のような真実を後世に伝えていかないとこの先の日本に危惧してしまいます。柿崎さんの話や赤羽さんの話には経験値に基づくのがひしひしと伝わってきます。祖国存亡の為に若く散った特攻隊の話は絶対に後世に引き継ぎ流れていかなければならないと強く思います。司会の葛城さんは進行がとても上手でよく聞こえて祖国を愛されているのがよく分かりました。(東京都在住・50代男性)
・小学校時代 国家を歌わず座る先生が複数いました。中学校時代731部隊が行った人体実験だと残酷な動画を見せられました。年に一度しか会わない祖父母からは戦争の話はほとんど聞けませんでした。野蛮な時代の話とあまり聞きたいとも思っていませんでした。葛城さんと同じような反日教育のたまもので、私はすっかりお花畑で生きてきてしまいましたが、今日のような事実を伝えて下さる方々のお話hをもっと学んで行きたいです。11/26(土)の葛城さんのイベントに行くこともあり、ご縁を感じて本日も参加させていただきました。すばらしい機会をありがとうございました。(東京都在住・40代女性)
・大変良かったです。直接、柿崎監督に会えた。鳥濱拳大さん、赤羽潤さんと会えた。葛城奈海さんと会えた。特攻隊の遺書に泣けた。日本人の歴史の勉強になりました。(東京都在住・60代男性)
・とても良かったです。とくに最後の赤羽さんがお話してくださったトメさんから聞いたお話し。特攻魂とはっていうおはなし。つまり思いやりというおはなしがすごく良かったです。葛城さんの最後のごあいさつも素晴らしかったです。(千葉県在住・50代女性)
・富屋食堂と特攻平和会館には行ったことがあります。TVで観てとても感動したからです。直に、ご子孫の方々からのお話が聞けて、大変感慨深かったです。(東京都在住・50代女性)
・葛城さんの丁寧で情熱あふれる司会、柿崎監督の武士道精神、若いホタル館館長の鳥濱さんの誠実で芯の強い語り、そして薩摩おごじょ店主の赤羽さんと本音で語る一言一言に感動しました。日本人の忘れてしまった誇りを改めて感じました。日本人のやさしさ、大和魂をもっと多くの日本人に気づいてもらいたいと思うとともに玉川さんの活動を微力ながらご支援というか応援していきたいと思いました。今後ともよろしくお願いいたします。玉川さんはじめ関係者の皆様にこのような素晴らしい機会を設けていただきありがとうございました。(東京都在住・60代男性)
・大戦時、いかにしてその時代の人々が国難を切り抜けたか、いかにして世界史の流れを変えたか(東亜の国々の独立)など、大東亜戦争によって先人たちが今の世に残して下さったものをもっと多くの方に語っていただきたいと思いました。(埼玉県在住・50代男性)
・開会前の昇殿参拝、英霊の降りてきてくださっているのを感じました。お力をいただきました。
トークライブでは、初めて聞く話が多く、大変勉強になりました。熱い魂を持つ人がいる。日本はまだまだ大丈夫との思いです。(千葉県在住・60代男性)
「平成に御世代わりして21年…『昭和』はますます遠くなりました。明治開国から日本の独立をまっとうすべく奮闘を続けた父祖たちは、先の大戦を未曾有の経験とし、敗北から奇跡の経済復興を果たして今日の日本を築いてくれました。その『昭和』という時代を生き抜いた日本人の声、前向きな志を、今こそ後世に伝えたい。そんな思いでつくった一冊です」。
これは、別冊正論11号「遥かなる昭和ーあの時代を日本人はいかに生きたかー」で当時の上島嘉郎編集長が、巻末の「操舵室から」で綴った言葉であるが、今まさに、同じ思いでいる。
トークライブの中で、赤羽潤さんは、小学生の頃、鳥濱トメさんに「特攻隊の人達は何で死ぬことができるの?」と聞いたエピソードを紹介してくれた。
その時、トメさんは「それはね、特攻魂だよ」、そして、「特攻魂とは思いやりの心だよ」と答えたそうだ。「この日本を思い、故郷、両親、兄弟、友人など、あの子達にも、恋焦がれていた人達もいたんだよ」と。「本土上陸だけは何が何でも阻止しないとみんながやられる。たったひとつしかない命を散らしてでも守りたい命があったんだよ。じゃなきゃ、死ぬことなんかできない」って。そんな特攻隊の方々を、特攻前夜にはご馳走を振る舞い、中には涙する特攻隊員も少なくなかったという。
我々は、こうした方々の尊い犠牲の中で、今の日本があることを忘れてはならない。
先日、元帝国陸軍(関東軍)士官候補生軍曹の荒木正則さんがお亡くなりになった。私が前職で担当していた「大東亜戦争戦争を語り継ぐ会」に登壇してくださった元軍人の方々はここ数年で皆、お亡くなりになった。本当に残念でならない。
戦争体験者が次々にお亡くなりになり、戦争の記憶が薄れようとするなか、正しく歴史を語り継ぐことが本当に大切となると考えている。
今日の日本の礎を築いた英霊に感謝の誠を捧げるとともに、先人の声を、思いを、そして正しい歴史の真実を次代へと繋いでいくためにも、今後も尽力していきたいと思っている。
当日は晴天に恵まれ、約100人の来場者の皆様にお越しいただいた。本当に有り難い限りである。
本殿にて、昇殿参拝をさせていただき、英霊に感謝の誠を捧げさせていただいた。昇殿参拝をする際に吹く爽やかな風は、英霊がまるで私たちを歓迎してくれたかのような柔らかな風であった。
その後のトークライブでは、舞台「帰って来た蛍」で脚本・演出・製作総指揮を執られ、そして知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会理事長の柿崎ゆうじ監督、知覧特攻の母曾孫で、ホタル館富屋食堂館長の鳥濱拳大さん、そして、知覧特攻の母の孫で、薩摩おごじょ新宿店店主の赤羽潤さんにご登壇いただいた。そのファシリテーターには「戦うことは『悪』ですか」でおなじみのジャーナリスト・葛城奈海さん。
また、舞台「帰って来た蛍」で鳥濱トメさんを演じた伊藤つかささんや、赤羽礼子さんを演じた竹島由夏さん、そして、前田笙子さん及び鳥濱美阿子さんを演じた島村明日果さん、他、たくさんの俳優さんたちにもお越しいただいた。本当に有り難い限り。心から御礼を申し上げたい。
トークライブでは、特攻隊の方々を、献身的にお世話をする「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんのお話や、トメさんと特攻隊の方々との深い絆など、「彼らは何に命をかけたのか」、感謝と感動のお話をいただいた。その時代を共に生きた親族の生のお話はとても貴重な内容だった。
以下、来場者の皆様からいただいた感想の「声」を抜粋し、お届けしたい。
・今回はもとより、毎回メディアに歯取り上げられないような濃い内容で有難いです。(本来はメディアにこそ取り上げて頂きたいのですが)生の伝承を聞けたことは大変胸につまる思いがあり、よかったです。時間がもっとあってもいいくらいでした。特攻の戦士の名誉を汚すことなく語り継いでいかなければと思いを強く致しました。ご遺族、ご子孫の方々のご長命を願うばかりです。(東京都在住・40代男性)
・実際にトメさんからの生の声を伝えてもらったのが一番すごかったと思います。トメさんの孫(潤さん)の話に、涙が自然と流れてしまう位に感動しました。特に手作りの人形を前に持っていると痛いだろうから背中にまわしたところが胸につまってしまいました。写真等を見ると誰もが笑顔だったのが印象的でした。心の奥底は辛いだろうと思います。ネット等、うその情報が流れているので、リアルな話はとても貴重でした。大切な話はきちんと伝えて行くべきだと思いました。もっと聞きたかったです。(東京都在住・50代女性)
・歴史の史実が今日まで間違った解釈をされており、正しく伝わっていません。今回のような真実を後世に伝えていかないとこの先の日本に危惧してしまいます。柿崎さんの話や赤羽さんの話には経験値に基づくのがひしひしと伝わってきます。祖国存亡の為に若く散った特攻隊の話は絶対に後世に引き継ぎ流れていかなければならないと強く思います。司会の葛城さんは進行がとても上手でよく聞こえて祖国を愛されているのがよく分かりました。(東京都在住・50代男性)
・小学校時代 国家を歌わず座る先生が複数いました。中学校時代731部隊が行った人体実験だと残酷な動画を見せられました。年に一度しか会わない祖父母からは戦争の話はほとんど聞けませんでした。野蛮な時代の話とあまり聞きたいとも思っていませんでした。葛城さんと同じような反日教育のたまもので、私はすっかりお花畑で生きてきてしまいましたが、今日のような事実を伝えて下さる方々のお話hをもっと学んで行きたいです。11/26(土)の葛城さんのイベントに行くこともあり、ご縁を感じて本日も参加させていただきました。すばらしい機会をありがとうございました。(東京都在住・40代女性)
・大変良かったです。直接、柿崎監督に会えた。鳥濱拳大さん、赤羽潤さんと会えた。葛城奈海さんと会えた。特攻隊の遺書に泣けた。日本人の歴史の勉強になりました。(東京都在住・60代男性)
・とても良かったです。とくに最後の赤羽さんがお話してくださったトメさんから聞いたお話し。特攻魂とはっていうおはなし。つまり思いやりというおはなしがすごく良かったです。葛城さんの最後のごあいさつも素晴らしかったです。(千葉県在住・50代女性)
・富屋食堂と特攻平和会館には行ったことがあります。TVで観てとても感動したからです。直に、ご子孫の方々からのお話が聞けて、大変感慨深かったです。(東京都在住・50代女性)
・葛城さんの丁寧で情熱あふれる司会、柿崎監督の武士道精神、若いホタル館館長の鳥濱さんの誠実で芯の強い語り、そして薩摩おごじょ店主の赤羽さんと本音で語る一言一言に感動しました。日本人の忘れてしまった誇りを改めて感じました。日本人のやさしさ、大和魂をもっと多くの日本人に気づいてもらいたいと思うとともに玉川さんの活動を微力ながらご支援というか応援していきたいと思いました。今後ともよろしくお願いいたします。玉川さんはじめ関係者の皆様にこのような素晴らしい機会を設けていただきありがとうございました。(東京都在住・60代男性)
・大戦時、いかにしてその時代の人々が国難を切り抜けたか、いかにして世界史の流れを変えたか(東亜の国々の独立)など、大東亜戦争によって先人たちが今の世に残して下さったものをもっと多くの方に語っていただきたいと思いました。(埼玉県在住・50代男性)
・開会前の昇殿参拝、英霊の降りてきてくださっているのを感じました。お力をいただきました。
トークライブでは、初めて聞く話が多く、大変勉強になりました。熱い魂を持つ人がいる。日本はまだまだ大丈夫との思いです。(千葉県在住・60代男性)
「平成に御世代わりして21年…『昭和』はますます遠くなりました。明治開国から日本の独立をまっとうすべく奮闘を続けた父祖たちは、先の大戦を未曾有の経験とし、敗北から奇跡の経済復興を果たして今日の日本を築いてくれました。その『昭和』という時代を生き抜いた日本人の声、前向きな志を、今こそ後世に伝えたい。そんな思いでつくった一冊です」。
これは、別冊正論11号「遥かなる昭和ーあの時代を日本人はいかに生きたかー」で当時の上島嘉郎編集長が、巻末の「操舵室から」で綴った言葉であるが、今まさに、同じ思いでいる。
トークライブの中で、赤羽潤さんは、小学生の頃、鳥濱トメさんに「特攻隊の人達は何で死ぬことができるの?」と聞いたエピソードを紹介してくれた。
その時、トメさんは「それはね、特攻魂だよ」、そして、「特攻魂とは思いやりの心だよ」と答えたそうだ。「この日本を思い、故郷、両親、兄弟、友人など、あの子達にも、恋焦がれていた人達もいたんだよ」と。「本土上陸だけは何が何でも阻止しないとみんながやられる。たったひとつしかない命を散らしてでも守りたい命があったんだよ。じゃなきゃ、死ぬことなんかできない」って。そんな特攻隊の方々を、特攻前夜にはご馳走を振る舞い、中には涙する特攻隊員も少なくなかったという。
我々は、こうした方々の尊い犠牲の中で、今の日本があることを忘れてはならない。
先日、元帝国陸軍(関東軍)士官候補生軍曹の荒木正則さんがお亡くなりになった。私が前職で担当していた「大東亜戦争戦争を語り継ぐ会」に登壇してくださった元軍人の方々はここ数年で皆、お亡くなりになった。本当に残念でならない。
戦争体験者が次々にお亡くなりになり、戦争の記憶が薄れようとするなか、正しく歴史を語り継ぐことが本当に大切となると考えている。
今日の日本の礎を築いた英霊に感謝の誠を捧げるとともに、先人の声を、思いを、そして正しい歴史の真実を次代へと繋いでいくためにも、今後も尽力していきたいと思っている。