戦後76年目にして思う
2021.08.03
早いものでもう8月。1年の2/3を迎えた。

連日、東京五輪の日本人選手の活躍に、興奮の毎日という読者も少なくないだろう。そして、それとは関係なく、今年も日本にとっての「敗戦の日」を迎える。

8月15日を「終戦記念日」とマスコミはこぞって報道するが、私は「敗戦の日」と言っている。日本にとって大東亜戦争に負けた屈辱の日であって、「記念日」と呼ぶのは遺憾であるためだ。

この時期になると、マスコミはこぞって靖國神社への公式参拝問題を取り上げる。「公人としてですか?私人としてですか?」と閣僚他国会議員が参拝するとそう質問し、そして左翼勢力は中韓両国の反発を取り上げ糾弾する。それこそ、宗教を否定し、信仰を禁じている中国共産党とは、まして神道について話し合う性質のものではなく、国の主権と誇りを堅持して毅然として対応すべきものであるにも関わらず、政府は「遺憾砲」を唱えるだけ。毎年のことであるため、うんざりする。

靖國神社参拝問題を論じるに、よく、戦争戦犯である「いわゆるA級戦犯」が祀られているから問題だという者がいるが、「いわゆるA級戦犯」は東京裁判史観に基づく名称であって、国際法上、問題視される大東亜戦争戦勝国が付けた呼称である。「東京裁判史観」に毒された左翼勢力の言い分であって、「A級」とか「B・C級」とか関係ない。歴史は今の価値観で物事を見るのではなく、その当時の目線に落とし込んで見なければ、正しい解釈などできるはずもない。問題ある東京裁判史観による戦勝国の価値観で歴史を見るものでもない。

靖國神社は東京招魂社の名称で、明治天皇のご発意により明治2年(1869)年6月29日に創建された。明治12年に現在の名称となった。幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余柱の霊が祀られており、うち、213万人が大東亜戦争の死者の霊だ。明治天皇は明治7年1月27日、初めて東京招魂社へ行幸され、「我国の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉垣」という御製を詠まれている。国のために尽くした人々の御霊は、国が末永くお祀りすべきであるというのが明治天皇のご意向であったかと思う。しかし、この思いとは裏腹に、8月15日になると、マスコミは「国会議員が靖國神社を参拝しました」と穿った報道を行う。今日の平和があるのは、先の大戦で戦ってくれた先人のおかげであるのに。その先人を敬い、参拝することが、どうしていけないことなのか。不思議でならない。そして、筆者はこれらの報道を毎年、「アホか」と思ってみている。

歴代首相のほとんどが8月15日に、靖國神社に参拝してきたが、昭和60(1985)年8月15日の中曽根康弘首相参拝以降、「敗戦の日」の参拝は途絶えたままである。櫻井よしこ氏は、『異形の大国 中国』で、以下の通り記している。

「ここで想い出すのは中曽根康弘氏だ。氏は首相在任時の85年、靖國神社公式参拝を中国に非難され、翌年から参拝を止めた。氏はその理由を、胡耀邦党総書記の失脚を避けるためと説明した。良好な日中関係を築こうとした胡総書記の足を引っ張らないために、胡批判の材料とされかねない日本国首相の靖国神社参拝は中止するのがよいと、中曽根氏は決断したというのだ。だが、権力争いにおいて政敵を葬り去る口実など、山程作り出せるものだ。中曽根氏の配慮などなんの役にも立たず、胡総書記は失脚、そして中国は今日に至るまで靖国カードを握るに至った。中曽根氏は明らかに判断を間違えたのである。そして今もその間違いの延長線上に立ち、靖國に代わる施設を建立せよと説く。政治家が自国の国益を二の次にして他国の国内政治の片方の勢力に力を貸した結果がこれである」と。

中曽根首相は悪しき前例を作り出した張本人であるといっても過言でない。この行為が、中韓両国の日本批判を助長させた引き金であった。

私自身、毎年8月に「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントを個人で開催している。もし、自分の先祖が過去の戦争で亡くなっていたならば、今ここに自分は存在していない。今ここに存在しているのは、自分の先祖の代わりに命を捧げて戦ってくれた先人のお陰様である。自分の祖父も大東亜戦争で満州の最前線で戦った一人である。祖父が生き長らえたからこそ今、自分は存在する。自分の先祖を供養することはもちろんだが、それ以上に先人に感謝することはとても大切なことであると考えている。先祖のお陰様で「日本人としての私が存在し、日本という国がある」のと思うからだ。これらを実感し、歴史は先祖がつくった日本という国の「国づくり」の歩みであり、私達は先人の尊い、膨大な数の「命のバトン」を受け継いで、今ここに生きていることを認識すべきだと考える。

そのような思いから、本イベントを平成28年から実施している。国のために尊い命をささげた先祖を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設である靖國神社に昇殿参拝し、英霊に感謝をして、そして遊就館を見学することによって今日の学校教育とは違った視点から歴史を学ぶことを目的に今年も8月21日(土)に実施する。そして、靖國神社職員による「英霊と沖縄戦」と題した講演をしていただくこととしている。プロパガンダに毒された沖縄の歴史ではなく、また違った角度で語る歴史の真実を聞くことができる。

今日の平和があるのは先の大戦で戦ったくれた英霊のお陰様。その英霊に感謝の気持ちを述べない国会議員に疑問を感じるのは私だけであろうか。

ここで、以下を紹介したい。

謹啓
初春の候と相成り、その後、御両親様には、お変りなくお暮しのことと思います。
お父さん、お母さん、喜んで下さい。
祖国日本興亡のとき、茂も待望の大命を拝しました。
心身ともに健康で、任務につく日を楽しみに、日本男児と、大橋家に、父と母の子供と生まれた喜びを胸に抱いて、後に続く生き残った青年が、戦争のない平和で、豊かな、世界から尊敬される、立派な、文化国家を再建してくれる事を信じて、茂は、たくましく死んで行きます。
男に生まれた以上は、立派な死に場所を得て大空の御盾となり、好きな飛行機を、我が墓標と散る覚悟であります。
親より先に死んで、親孝行出来ない事をお許し下さい。
お父さん、お母さん、長生きして下さい。
お世話になった皆様方に、宜しくお伝え下さい。
この便りが最後になります。

昭和二十年三月二十四日 遠き台湾の特攻基地より   茂

父上様 母上様

身はたとえ 南の空で果つるとも  とどめおかまし 神鷲の道

大命を拝して十八歳  茂

これは、18歳で台湾から特攻で出撃していった大橋茂命がご遺書としてご両親に宛てた手紙である。

「後に続く生き残った青年が、戦争のない平和で、豊かな、世界から尊敬される、立派な、文化国家を再建してくれる事を信じて」 飛び立っていった…。日本の弥栄のため、後世に生きる私たちのために出撃していってくれたのである。

拉致被害者も救出できず、中韓両国の顔色を窺い、中国の人権問題であるにも関わらず、その非難決議も出せない国会議員、靖國神社に胸を張って参拝できない我が国首相、そして、平気で我が子を、我が親を殺める若者など、今の世の中、この英霊に胸を張ってこたえられるものがはたしているのだろうか。私は次のようにこたえてしまう。
「こんな日本になってごめんなさい」。

最後に。

日本一心のこもった恋文 「天国のあなたへ」

天国のあなたへ 秋田県 柳原タケ
 
娘を背に日の丸の小旗を振ってあなたを見送ってからもう半世紀がすぎてしまいました。
たくましいあなたの腕に抱かれたのはほんのつかの間でした。
三十二歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは今どうしていますか。

私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。
あなたは三十二歳の青年、私は傘寿を迎えている年です。
おそばに行った時おまえはどこの人だなんて言わないでね。
よく来たと言ってあの頃のように寄り添って座らせてくださいね。

お逢いしたら娘夫婦のこと孫のことまたすぎし日のあれこれを話し思いきり甘えてみたい。
あなたは優しくそうかそうかとうなずきながら慰め、よくがんばったとほめてくださいね。
そしてそちらの「きみまち坂」につれていってもらいたい。
  春のあでやかな桜花、
  夏なまめかしい新緑、
  秋ようえんなもみじ、
  冬清らかな雪模様など、
四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。
 
私はお別れしてからずっとあなたを思いつづけ愛情を支えにして生きてまいりました。
もう一度あなたの腕に抱かれてねむりたいものです。
力いっぱい抱き締めて絶対はなさないで下さいね。

秋田県二ツ井町が主催した1995年2月14日バレンタインデー「第1回日本一心のこもった恋文」大賞に輝いた柳原タケさんが書いたものである。柳原さんは当時80才で秋田市に住んでおられた。この文は靖国神社の遊就館のビデオにも紹介されており、元雑誌「正論」編集長の大島信三氏のブログにもこの文と出合った時の感動が述べられている。

戦死した夫は三十二歳のままで柳原タケさんの心の中に生き続けています。
傘寿(さんじゅ)とありますから、この天国への書簡はタケさんが八十歳のときに書いたものであることがわかります。おそらくタケさん自身もずっと新婚当時の気持ちのままで夫と対話してきたのでしょう。
それにしても、なんとも瑞々しい文章です。愛情の継続性に驚嘆します。
同時に、つかの間の新婚生活しか過ごせなかった時代に巡り合わせてしまった不遇にことばもありません。
この一文をメモ帳に書き留めていましたら、三人連れの中年女性が立ち止まりました。彼女たちは読み終えたあと、嗚咽しながらその場を離れていきました。

「正論」編集長 大島信三
「正論」平成15年8月号 編集長メッセージより

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言発令の中で迎える8月。今年もいつもと違う夏を迎える。私は、「命のバトン」を受け継ぐべく、心静かに靖國神社を参拝するため、8月15日を外して参拝する。本殿で昇殿参拝をし、英霊の思いや功績に深く感謝し、「ありがとうございました」と感謝の気持ちを述べたい。毎年のことであるが、本殿で昇殿参拝をすると爽やかな風が吹く。まるで、歓迎してくださるように。心より感謝、である。
2021.08.03 07:47 | 固定リンク | その他
中国の脅威「尖閣奪取」は本気であることを我々は心底理解しなくてはならない
2021.07.17
先般、麻生太郎副総理兼財務相が講演で、「台湾で大きな問題が起きれば『(集団的自衛権行使を可能とする安全保障関連法の)存立危機事態に関係する』と言ってもおかしくない。日米で台湾を防衛しなければならない」と語ったことが波紋を広げており、日本政府は表向き沈黙を装っているが、蔡英文総統の台湾は歓迎し、習近平国家主席主導で軍事的覇権拡大を進める中国は反発している。

皆さんはこの発言を如何みるか。多くの読者の方々は「当然だ!」と声高らかに答えるだろう。私も至極真っ当な発言だと解釈する。今回の麻生発言への反発が国内でほとんど見られないのも、同じ思いの国民が多いからだと思うのだ。しかし、麻生氏は言葉で平和のために戦っていると言っているが、防衛費の思い切った増額とロジスティクス能力向上を主導することを政権に求めたい。

しかし、重要なのは、今この時期に、この発言をしなくてはいけない日本の領土、安全保障上の問題なのである。

注目発言は、沖縄選出の自民党議員が5日、都内で開いたパーティーでの講演で披露されたとの報道だが、麻生氏は、台北市でのデモや騒動に中国が軍隊を派遣して「中国の内政問題だ」と主張する有事シナリオを紹介。そのうえで、「次は沖縄。そういうことを真剣に考えないといけない」と強調。「日本を防衛する力をきちっと準備しないといけない」とも訴えたとのことだ。

この発言について、私は別な会合で防衛省・自衛隊OBから同様の話を聞いている。その内容は、もう少し具体的で、生々しい内容だった。と言うのも「最悪のケースで言うなれば、『台湾有事、尖閣奪取』は2027年」ということであった。

2020年10月、共産党の第19期中央委員会第5回全体会議(5中全会)で採択した第14次5カ年計画(2021~25年)と35年までの長期目標に関する基本方針の全文を明らかにしたが、それによると、軍創立100年に当たる27年に「奮闘目標を実現する」と定めたとしている。それは、戦争があることを前提とした「建軍100年奮闘目標」であるということである。強軍路線は規定路線とはいえ、なぜ2027年に新たに目標を設置したのか。

目標期限を2027年とした理由だが、1つは言うまでもなく建軍の年が1927年だからだ。

これはジャーナリストの福島香織氏の情報を引用させていただくが、人民解放軍は1927年の「南昌起義」と呼ばれる武装蜂起で誕生した革命軍が基礎になっており、この頃はゲリラに過ぎなかったのが、戦闘を継続していくことで軍隊としての正統性を確立していった。共産党も元々は国民党政権下で「共匪」と呼ばれたゲリラ集団であったが、国民党政権に打ち勝ったからこそ、その執政党としての正統性を確立できたのである。共産党政権は銃口から生まれた政権であり、ゲリラ戦法で勝利を重ね続けてきたからその正統性を人民が認めてきた。つまり、どんな手を使ってでも戦争に勝利することは、共産党政権にとってその正統性を証明する最も有効な方法なのだ。

まず、この5中全会で初めて打ち出された「建軍100年奮闘目標」とは具体的にどういうことなのか。「全面的に戦争に備え練兵教科を行い、国家主権、安全、発展利益を防衛する戦略能力を高め、2027年に建軍100年奮闘目標の実現を確実にすること」と説明があるように、「戦争がある」という前提に立った強軍化戦略である。そしてこれは、「建党100年」(2021年)と「建国100年」(2049年)という2つの100年目標に加わる、3つ目の100年目標である。「建軍100年奮闘目標」を打ち出したのは、中国人民解放軍が党と国家に服従し奉仕する軍隊であることを強調し、同時に「今後の特殊で複雑な環境に対応していく」ことが狙いだということだ。

中国の基本的な戦い方は「孫子の兵法 謀攻編」の「戦わずして勝つ!」である。
『孫子曰く、凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。』
「孫子は言う。基本的に、戦争においては、敵国を保全した状態で傷つけずに攻略するのが上策であり、敵国を撃ち破って勝つのは次善の策である。」
『軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之に次ぐ。』
「敵の軍団を無傷のままで降伏させるのが上策であり、敵軍を撃破するのは次善の策である。敵の旅団を無傷のまま手に入れるのが上策であり、旅団を壊滅させてしまうのは次善の策である。敵の大隊を無傷で降伏させるのが上策であり、大隊を打ち負かすのは次善の策である。敵の小隊を保全して降伏させるのが上策であり、小隊を打ち負かすのは次善の策である。」
『是の故に、百戦百勝は、善の善なる者に非るなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。』
「したがって、百回戦って、百回勝利を収めたとしても、それは最善の策とは言えない。実際に戦わずに、敵を屈服させるのが最善の策である。」

日本と米国の仲を悪くして、漁夫の利を得る「戦わずして勝つ!」作戦であるが、中国は更に強軍思想、強軍戦略に舵を思い切り切ってきているのである。

習近平は毛沢東を越える存在として君臨したいと考えているのは周知のとおりであるが、毛沢東が成し得なかった事実を作り上げることに躍起である。そのためには戦争も辞さず、毛沢東をも成し得なかった台湾侵攻は必然で、習近平が第二の毛沢東になるには成果が必要なのである。そして、台湾侵攻と尖閣諸島奪取は不可分であり、そのタイミングは北京オリンピック終了後であることの可能性が非常に高いと、前出の防衛省・自衛隊OBは言う。

2014年、ロシアがクリミア半島併合を成し遂げた手法などを参考にしているという。それは、サイバー攻撃で通信系を遮断し、ウクライナ危機の際に現れたロシア軍の武器と装備品を装備した徽章を付けていない覆面兵士=リトル・グリーンメンが占領し、ウクライナ進行は成し遂げた。習近平はこれを手本としているというのである。2014年という年はソチオリンピック実施の年。クリミア併合はこのオリンピック成功後に行われている。よって、北京オリンピックの成功は必至で、その後に、台湾侵攻、尖閣奪取の実施を考えているというものである。

こういった現実、起こりうる状況を鑑みると、前出の麻生太郎副総理兼財務相の発言はわざとかな?とも思うが、いずれにしても、中国の台湾侵攻、尖閣諸島奪取は本気であることを我々は強く認識すべきである。

今後、日本はどう対応すべきなのか。
前出の防衛省・自衛隊OB曰く、「国会議員や国民の危機意識の向上は第一。そして、憲法改正は言うまでもないが、いつ憲法改正されるか、それまで待てない状況なので、今できる手段として、領海警備法制定、海上保安庁法、自衛隊法、事態対処法の改正などの法整備が必要だという。そして、施政権の顕示、政府としての防衛対処方針の明確化、対処能力の向上、対艦ミサイルベルトの構築、そして、高出力マイクロ波兵器の開発」と発言が続いた。

マイケル・ピルズベリー著『China2049』にも書かれているように「過去100年に及ぶ屈辱に復讐すべく、中国共産党革命100周年にあたる2049年までに世界の経済・軍事・政治のリーダーの地位をアメリカから奪取する」というもので、共産党指導者は、そのゴールは復讐、つまり外国が中国に味あわせた過去の屈辱を「清算」することであって、その計画はしたたかに着々と進行しており、日清戦争に負けたとする日本もその例外ではない。「中国が覇権国になることはない」と繰り返し言い続ける人がいるが、実質リアルに見ていくと、金の力によって、中国に屈服している者たちが如何に多いか、報道で知ることができるであろう。「世界の国々も」「大手企業も」だ。中国は本気なのである。

日本国内でも、半導体産業の脆弱化、北海道土地買い占め問題のみならず、横浜をはじめとする新潟や京都などへの不動産介入、大学における孔子学院設立など、様々な方策で日本を貶めるべく手段・方法を取り、実行してきている。そして、中国海警局による尖閣諸島侵犯などは最たるもので、中国が海警局に武器の使用を認めた「海警法」が施行されたことは、本気度をうかがわせる。中国は確実に日本を貶める手段をしたたかに着々と進めている。そこに気づかないでいる日本国民がいることも事実であり、今回はこの危機意識を共有すべく、警鐘を鳴らしたいという思いも込めて筆を執った次第である。ご笑覧いただいたら幸いである。
2021.07.17 07:32 | 固定リンク | その他
76回目の「沖縄戦終結の日」に思うこと
2021.06.24
6月23日は沖縄戦終結の日。

沖縄戦は、沖縄の慶良間諸島に米軍が上陸した昭和20年3月26日から沖縄本島での組織的戦闘が終結する6月23日まで、日本軍将兵と県民約18万8千人が亡くなり、米軍も1万2千人以上が戦死した戦いです。

私は思うところがあって、その当日は「映画『ひめゆり』」を観てきました。

2006年作品のドキュメンタリー映画で、10人程の実際の体験者の方々の話が主となります。
その体験談は思わず悲惨さ故、唸ってしまうものもありますが、数人の方の証言に「???」と感じて仕方がなかった場面がありました。

私の感想としては戦後プロパガンダが多分に含まれた作品であったというのが率直なところです。それは、私が見聞きした話と違う内容が、体験談の中に刷り込まれており、何の違和感もなく刷り込まれていました。

私は「はだしのゲン」「白旗の少女」「火垂るの墓」なども読みましたし、「はだしのゲン」に至っては、小学校で開催された実写版の映画も観ました。そちら系の書籍も読んでおりましたが、1995年にヴェノナ文書が世に出、世界に登場してから、今までに学んできた歴史の事実に疑問を抱き、「『ザ・レイプ・オブ・南京』の真実」「月刊・別冊正論」「閉ざされた言語空間」「ヴェノナ」「ミトロフィン文書」「レフチェンコ事件」「大東亜戦争への道」等を読み、そして、江崎道朗先生の書籍と出会ってから、考えが一変したのも過去15年前後の話です。そして、産経新聞社正論調査室に勤務してから、その考えは、確実なものとして現在に至っています。

大東亜戦争に負けた日本が二度とアメリカに立ち向かわないよう、GHQによる戦後占領政策「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」は日本を骨抜きにしました。面々と受け継がれてきた歴史、精神、道徳、伝統や日本人の愛国心を破壊し尽くすことにアメリカ人がいかに本気で取り組んだのか。それは今もなお「東京裁判史観」として生き続いています。

「戦後プロパガンダの刷り込みは現在にも生きている」

考え方は人それぞれなので、その思想的な部分は何とも言えませんし、論じません。
しかし、少なくとも私は「映画『ひめゆり』」を懐疑的に観、悶々とした気持ちで帰宅しました。

片方面の見方だけではなく、もう一方の側面から見ることも大切です。
そういった意味では、在職中に企画し、運営した「大東亜戦争を語り継ぐ会」で元軍人の方からの実際の体験談を聞いた経験、そして、それを元に色々と書籍を読んだ経験は自分にとって、計り知れないものがあります。

このたび、8月21日(土)、6回目となります「靖國神社昇殿参拝、遊就館見学」イベントを開催します。

東京・九段の靖国神社は、明治2年に東京招魂社として創建され、明治12年に現在の名称になりました。幕末の戊辰戦争以降、国のために戦死した246万余人の霊がまつられています。うち213万人が大東亜戦争の死者の霊です。靖国神社を「軍国主義の象徴」「戦争賛美の神社」などととらえる見方がありますが、決してそのような神社ではありません。国のために尊い命をささげた先祖を弔い、心から平和を祈る戦没者慰霊の中心施設です。先祖の尊い犠牲があったからこそ、今日の平和があることを私たちは実感する必要があると考えます。

内閣府による子供達の自己肯定観の国際比較によると日本は毎回最低で、先進諸国と比べると異常な低さという調査結果が出ています。この異様な低さは、教師の歴史観や国家観、間違った歴史教育が原因です。反対に、正しい歴史教育によって先人に感謝し祖国を誇りに思うようになると、自己肯定観は高くなります。歴史教育が「自分はあるがままで価値がある」「自分が生まれてきたことには意味がある」という思いを育てるからです。

私は、ご先祖様がいてくれたから「私がいる、日本という国がある、日本人としての私がいる」ということを実感し、歴史はご先祖様がつくった日本という国の「国づくり」の歩みだということを認識するべきだと思っています。そして、私達は膨大な数の「命のバトン」を受け継いで、今ここに生きているのです。

戦争で尊いたくさんの兵隊さんが亡くなりました。もし、自分のご先祖様が大東亜戦争をはじめ、過去の戦争で亡くなっていたならば、今ここに自分は存在しません。今ここに存在しているのは、自分のご先祖様の代わりに命を捧げて戦ってくれた先人のお陰様です。自分のご先祖様を供養することはもちろんですが、先人に感謝することも大切なことだと思うのです。

今日の平和な日本があるのは、先の大戦で命を賭して戦ってくれた先人のお陰様。私の祖父も戦争経験者で、生きて日本に帰ってきました。祖父が生きて帰って来なければ、今の私は存在しません。人様からどんなに言われようと、私の中ではこの事実は変わりません。もしかしたら、祖父に変わって戦地最前線で戦って亡くなった方がいたかもしれない。その英霊に感謝の気持ちを捧げることは私にとっては当たり前のことです。そして、遊就館に展示されている学校では教えない、違った側面からの「歴史の真実」に触れていただきたいと思うのです。

そんな思いから6年前から個人的に開催しました。そして、今回は「英霊と沖縄戦」と題した、靖國神社職員の方のお話を聞かせていただきます。その話は「驚き」と「衝撃」を受けるでしょう。それは、ここで言うなれば「映画『ひめゆり』」とは違う、それも実際の経験者からの取材と体験、経験の中で培っている「真実」があるからです。

「靖國神社は色々と問題があるから行ってはいけないところ」と思っていた後輩がいました。私は説得をし、実際に連れていき、本殿において昇殿参拝をし、そして一緒に遊就館を見学しました。後輩曰く「その時は計り知れない衝撃を受けました。今では、過去の見方は偏った見方であった」と証言しています。

「鯛の目、比良魚の目」で見、両方の考え方に触れ、その結果どうするかは、その参加者個人の問題です。
私は今回も参加者皆様と一緒に英霊に対する感謝の気持ちを捧げ、歴史の真実に触れ、そして、気付きを感じていただきたい。そう思って今回も企画します。

申込受付は別件の仕事がクリアし次第、7月1日からとさせていただきます。申込受付の際は、改めて詳細を告知いたします。
参加される皆様に気付きが与えられますように。
2021.06.24 14:25 | 固定リンク | イベント

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