先人に学ぶ安全保障
2021.10.01
 日本を取り巻く安全保障環境は、日に日に厳しさを増しており、中国は野望を露わにして、尖閣諸島を取りに来ている。

 歴史を振り返ってみると、明治期において、帝国主義列強諸国は、植民地政策として、アジア諸国に侵略を進めていたが、日本は国家の危機を脱却するため、中央集権的な国家体制の形成に成功した。
その明治維新後の日本に、甚大なる成果を成し遂げた、先人の中でも以下の3人に着目し、今こそ明治維新のリアリズムに学ぼうと思う。

・福澤諭吉
 言わずも知れた人物であるが、福澤といえば「文明開化」なる用語を編み出し、著作『西洋事情』『文明論之概略』により維新期日本の欧化政策に絶大なる寄与をなした啓蒙思想家である。その福澤の思想的立脚点の一つが「立国は私なり、公に非ざるなり」(「痩我慢之説」)であった。
 帝国主義列強がアジアを蚕食する一方、支那、朝鮮がこの「西力東漸(とうぜん)」の国際政治力学を理解できず「旧套(きゅうとう)」の中に「窒塞(ちっそく)」するという現状を前にして、福澤は「公」(コスモポリタニズム)ではなく「私」(ナショナリズム)の強化こそが「立国の公道」であることを、激情をもって訴えた。
 文明は普遍である。この原理において欧米は日本より先んじているとはいえ、普遍には遠い。この段階にあっては、国家という存在と忠君愛国なる「私情」が不可欠である。確執限りなき内外条件からすれば「自国の衰頽に際し、敵に対して固(もと)より勝算なき場合にても、千辛万苦(せんしんばんく)、力のあらん限りを尽し、いよいよ勝敗の極に至りて、始めて和を講ずるか、若しくは死を決するは、立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称す可きものなり」と語り、これを痩我慢の説だと銘じた。
 人間という存在は、他の生命体と同じくその根本においては私であり、個の私情こそが至上の価値をもつ。しかし外国に対する場合には必ずや同胞としての私情が湧出し、国民としての私情すなわちナショナリズムという「偏頗(へんぱ)心」が優位を占めなければならないと福澤は説く。私情といい偏頗心というからには普遍としての文明からは隔たる心理ではあるが、各国民が私情と偏頗心を露わにしている以上、自らもこれを重んじなければ国はもたないと主張する。
 福澤は好戦主義者ではない。学問を究めて高尚なる人間として「一身独立」し、もって「一国独立す」べきことを説き、「独立の気力なき者は、国を思ふこと深切ならず」と論じて、独立不羈(ふき)の国民育成の緊急性を生涯にわたって主張しつづけた人物であった。
 今、現代の極東アジア地政学は幕末・維新期を再現させるかのごとくに剣呑な状況に入らんとしている。他国が自国の領域を平然と侵害する現状を拱手(きょうしゅ)傍観し、集団的自衛権のあれほど限定的な行使容認までに異を唱えるというのであれば、福澤はその「文明の虚脱」に泉下で深い慨嘆の息を吐いているのに違いないと考えるものであり、福澤が唱えるこれらの意義は、現在においても通ずるものでもあり、無視できないものである。

・陸奥宗光
 政治指導者に求められる資質にはさまざまなものがあろうが、最も重要な条件は国家的危機に予見し、これに迅速に対処する能力の如何である。開国・維新から日清・日露戦争に至る緊迫の東アジア地政学の中に身をおいたあまたの指導者のうち、位を極めたものはこの資質において傑出し、象徴的な政治家が陸奥宗光である。
 近代日本の最初の本格的な対外戦争である日清戦争に勝利し、下関で日清講和会議が開かれ、一進一退の攻防の末に条約調印に辿り着いた。しかし、講和条約によって割譲を受けた遼東半島の清国還付を強圧する露仏独の三国干渉が始まったのは、そのわずか一週間後のことであった。この三国干渉は、首脳部を徹底的に困惑させた。肺結核の業病に苦しみ、病に伏していた陸奥を訪れた伊藤博文との協議により、三国干渉の屈辱に甘んじることを決し、明治天皇による遼東半島還付の詔宣が出されたのは、三国干渉の開始から詔宣までの期間はわずか18日であった。「進むべしと判断した時には全力を持って相手に挑み、志ならず後退を余儀なくされた時には潔く身を引いて、次の好機に向け万全の体制を整える」。かかる政治家としての資質の在処を知る言葉である。
 日清戦争は言わずもがなだが、ロシアの南下政策を予測し、華夷秩序から朝鮮を引き剥がして朝鮮の自立を図らなければ、極東における日本の安寧はありえない。それゆえ、第三国の干渉を排して朝鮮自立の方策を立案し、さらには日清共同改革案を練り上げ、これが清国に拒否されるや、全力を清国との戦いに注ぎ込んでいこうという、外交官としての陸奥宗光の深い熟慮と迅速な判断、加えてその豪気には改めて目を見張らされるものがある。

・小村寿太郎
 小村寿太郎は明治33(1900)年2月に駐露公使に任用され、明治34(1901)年1月に北京に赴任。義和団事件対処の全権を与えられ、同年12月には駐清行使となった。小村はただちに清国皇帝・慶親王に謁見、義和団事件終息における露清協定を締結してはならない、ロシアの満州撤兵の約束をすぐ実行すべきだと進言。小村は日本の外務省を動かし、外務大臣ウラジミール・ラムズドルフに露清協定の有無を改めて問わせ、協約が事実であれば、その釈明を求めるよう迫った。しかし、ラムズドルフの回答は、木で鼻をくくったようなものであった。
露清協定は絶対にこれを認めないという小村の意思は固く、英独両国に対して「我が政府は協約案の撤回をもって列国全体の利益のために望ましきものと確信し、清国に対し指定の期限内に調印することなく、露国をしてこれを撤回するにいたらしむべきを勧告すべく、これについて英独両国政府と共同せんことを欲す」と働きかけ、同意を得た。
 清国は、結局のところ、自力ではどうすることもできず、外国の力を乞い、辛うじて窮状を脱することができたのである。露清協定は廃案となり、ひとまず満州は安定した。そして、小村は日英同盟締結へと尽力する。日英同盟の成立は、明治35(1902)年1月30日。この同盟の日本にとっての目的は、清国の領土保全、朝鮮の自主独立であった。その根本は、ロシアに対する日本の安全保障の確立である。
 小村は、明治期の政治家の一大資質たる「国権主義」を絵に描いたような人物であった。外交舞台は終始一貫、満州問題であり、この地に対するロシアの野心を砕くことに専心した。ロシア陸軍の協力にして残忍なることを知る小村は、日本が独力でこれに抗するのではなく、ロシアを共同の敵とする利害等しき他国と同盟して、ことに構えるべきだと考えていた。そして、ロシア協商論(満韓交換論)者の伊藤博文・井上馨に対し、対露強硬論者の桂太郎・小村寿太郎の論戦は有名であるが、元老会議において意見を戦わし、元老の主張にも一歩も引かない論戦を展開した。そんな逸話は数知れず。そして、日露戦争に突入し、辛勝した日本の講和条約へと向かう。その交渉力はまさしく獅子奮迅の如しである。

 日本を取り巻くアジア地政学の現在をどう読み解くか。振り返っておくべきは、極東アジアの近現代史である。近代日本における最大のテーマは、巨大なユーラシア大陸の中国、ロシアに発し、朝鮮半島を伝わって張り出す「等圧線」からいかにして身を守るか、にあった。

 現在の中国は、国際上秩序を無視して、力による海洋の現状変更に強固な態度を崩さない。北朝鮮は幾度となく核実験、ミサイル発射を敢行している。
 渡辺利夫拓殖大学顧問の著書『決定版 脱亜論』で福沢諭吉に触れ、以下のように記している。

「明治11年の『通俗国権論』において福澤は『大砲弾薬は以て有る道理を主張する備えに非ずして無き道理を造るの器械なり』という。
『無き道理を造』ろうとしている中国と北朝鮮に、国際法を順守せよといっても、所詮は“蛙の面に水”である。『苟も独立の一国として、徹頭徹尾、外国と兵を交ゆべからざるものとせば、猶一個人が畳の上の病死を覚悟したるが如く、即日より独立の名は下すべからざるなり』という。
外交が重要であるのはいうまでもないが、弓を『引て放たず満を持するの勢を張る』国民の気力と兵力を後ろ盾に持たない政府が、交渉を通じて外交を決することなどできはしない、と福澤はいう。極東アジアの地政学的リスクが、開国・維新期のそれに酷似する極度の緊迫状況にあることに思いをいたし、往時の最高の知識人(福澤諭吉)が、何をもって国を守ろうと語ったのか、真剣な眼差しでこのことを振り返る必要がある」と。

 評論家の江崎道朗氏が説く「DIME」の考え方は、今、考えれば、明治期には実践され、そして、戦前のインテリジェンスは、今よりも精度が高いものであった。現在の我々との違いの最たるものは、「死と隣合わせであったか否か」であると考える。戦争もなく、憲法9条に守られていると誤解を晴らそうともしない、そして、危機感がない現代社会において、明治期における安全保障と比べ物にならないかもしれないが、少なくとも、危機を脱したそこには、日本を護るという「気概」と何ものにも屈しない「独立不羈」の精神があった。故に、法整備及び防衛力、経済力増はさることながら、国民一人一人が日本を護る気概を確立する必要があるということに至り、現状における日本の危機に対し、先人の学ぶべき数多い「先例」は「安全保障国難」を打開する一つであると考える。
2021.10.01 09:28 | 固定リンク | その他
自民党総裁選について
2021.09.30
 今回は自民党総裁選について(9月30日寄稿)。政局について語るのは自分としては本意ではないのだが、今回は触れることとした。

 9月29日、自民党総裁選で岸田文雄前政調会長が新総裁に選ばれた。

 まずは、菅義偉首相については、首相就任後、1年余りにわたり、コロナ対策をはじめ、デジタル庁、安全保障環境、皇位継承問題など、日本にとって、とても重要な案件を、日本が歩むべく道に方向性を示してくださり、心から感謝を申し上げたい。そして、お疲れ様でした。

 今朝の産経新聞にとても大切で参考になる記事が多いので、所々、引用させていただきたい。

 今回の総裁選は、政策通の4人が、激しい論戦を繰り広げ、とても良い総裁選であったと感じた。その中でも、高市早苗前総務相、そして、私とは考え方は違うが野田聖子幹事長代行には、堂々と自分の政治信念を貫き、持論を展開し、立派に戦い抜き、政治信念を曲げた河野太郎ワクチン担当相と大きな差を良い方に感じた。
野田氏は、リベラル色は強いが、しっかりと政策論争ができるし、野田ファンが多いということも納得できるし、実感できた。
高市氏は次につながる敗戦でもあった。特に、本命視されていた河野氏の得票を、議員票で28票も上回ったのは予想外だった。また、結果報告会に出席した安倍晋三前首相が「私たちは高市氏を通じて、本来自民党はどうあるべきか、しっかりと訴えることができた。他の候補にも影響を与えた」と語り、高市氏も「私は歩みを止めない。政策を磨き上げ、また次に向かって一緒に歩んでくださることをお願いする」と語った。次へと望みを繋げたのはとても大きい。

 私は、今回の総裁選に当たり、次の論点に注目していた。
①コロナ対策
②経済政策
③安全保障政策
④皇位継承問題

 特に「皇室問題」は日本国の一丁目一番地。「男系男子」による皇位継承であるべきで、先例のない「女系天皇」はあってはならないというのが、私の考えである。以前にも書いているが、皇位継承問題で大事にしなければならない原則があり、それは「①先例②男系③直系」である。この3つはどれが欠けても皇室の歴史は語れない。そして、大事なのが順番である。故に、歴史を守る方法は先例から探すべきなのだ。このことは、今後、とても重要なキーワードになるので、読者の皆様の頭にもしっかりと入れておいていただきたい。
 
 新総裁になった岸田氏は9月8日の産経新聞のインタビューで、総裁任期中に憲法改正を目指すと強調。皇位継承は「『女系天皇』以外の方法で考えるべきだ」と明言した。私としては、少し安堵した。安全保障分野では弾道ミサイルを相手領域内で阻止する「敵基地攻撃能力」の保有を主張し、安倍氏と歩調を合わせている。
とはいえ、岸田氏はリベラル色が強い宏池会の流れを汲む。本日の産経新聞には「岸田派内には、こうした安保政策に懸念の声があり、保守勢力が警戒する選択的夫婦別姓への賛成論も根強い。対応を誤れば総裁選勝利の原動力となった保守勢力が離れる可能性がある」と。岸田派は46人にとどまり、党内第5派閥。岸田氏を支える勢力としては少数派である。派閥外にも協力者を募らなければ、政権は維持できないだろうと考える。そのためには、安倍・麻生両氏の協力を求めることは必要不可欠であろう。

 まずは10月24日投開票の参院静岡、山口両選挙区の補欠選挙、そして11月までに行われる衆院選を勝利に導き、総裁選での訴えを着実に実現し、支持基盤を盤石にすることが急務となる。

 一方の河野氏は「女系容認派」で、しかも、年金、安全保障などに関する曖昧な発言だけでなく、テレビ出演時などで見せたすぐキレる姿や高飛車で乱暴な口の利き方には、観ていて不愉快になったことだけでなく、平成24年の総裁選で、当初は本命候補だった石原伸晃元幹事長が、軽い発言で失速していったのと重なってみえた。そして、失速。ある意味、当然と言えば当然だが、全国の党員党友票が一番であることに違和感を覚えている。はたして、どういった種の自民党員なのか。リベラルなのか、保守なのか。構成員の種別を知りたい。

 高市氏の総裁選出馬はある意味、「河野氏潰し」でもあり、「自民党保守路線の立て直し」でもあったのではないかと感じる。「阿比留瑠比の極言御免」での言葉を引用させていただくと、「選対本部に入るなど表立つことはせずに、高市氏を支援した安倍晋三前首相は数日前、周囲に語った。『高市さんは自分で運をつかんだ。彼女は私と勉強会をしていたことや、私にもう一度総裁選に出るよう要請して断られたことを、あえて(8月26日のBS日テレ番組で)明らかにした。それにより、行き場を失っていた岩盤保守層の支持を集めた』。それまでの安倍氏は、総裁選候補がリベラル派ばかりになることを危惧していた。直近の衆院選に向け、ただでさえ自民党から心が離れる傾向にあった保守層が、ますますそっぽを向きかねないからである。ただ当初は、高市氏が総裁選出馬に意欲を示していることについては『彼女は他の議員との付き合いが薄い』と述べるなど、必ずしも積極的だったわけではない。それが自ら党所属議員らに電話をかけて高市氏支持を呼び掛けるほど熱心になった理由の一つは、8月下旬の段階から『本気で勝ちにいく』と述べていた高市氏の決意が伝わったからだろう。実際、総裁選の討論会などでの高市氏の保守的な政策発信は、他の候補にも一定の影響を与えた」。

 高市氏の今後に期待を大きくするが、阿比留瑠比論説委員兼政治部編集委員も書いているように「他の議員との付き合いが薄い」と人脈に難を覚える。官僚も含め、今後のためにも人脈作りに精を出していただきたい。そして、評論家の江崎道朗氏も自身のSNSで、「本格的な高市政権を目指すならば、今回は、党務に専念し、政権構想を煮詰める準備を進めた方がいいように思います」と言っている。私も同感である。今は焦らず、次を見据えて強固となる地盤作りをしていただきたい。

 こうして岸田新総裁になり、次の衆院選挙はご祝儀選挙であると考えるが、議席は落とすことは免れないだろう。しかし、菅政権時のような激減ではなかろう。ただ、問題は来年7月の参議院選挙。参議院選挙は常に苦しい選挙戦を展開している。ここで勝利しなければ、衆参ねじれ現象をおこし、念願の憲法改正は、また一段と遠ざかる。岸田新総裁の手腕が問われる。

10月4日召集の臨時国会で首相指名選挙が行われ、宮中での認証式などを経て岸田内閣が発足する。今後の岸田内閣に期待するのは、組閣の閣僚人事もさることながら、近々の課題であるコロナ対策をはじめ、経済政策、安全保障政策、皇位継承問題、そして憲法改正をどのような方向性で進めようとしているかである。目的を明確化し、これらにどのような指針を示すのか、楽しみである。ましてや経済政策において「再分配」を唱える岸田氏が財政出動をさせ、その金の使い方をどうするかは良くない方向で目が離せない。そのためにも、日本維新の会や国民民主党がしっかりと野党の働きを示すよう、期待する。建設的でない、文句ばかりの立憲民主党はもういらないし、日本の国益にならない。
2021.09.30 09:11 | 固定リンク | その他
日本の安全保障と次代を担う人材の育成
2021.09.02
次に掲げる論文は、私が平成27(2015)年に、日本の歴史認識と安全保障についての勉強会に参加した際に、提出した論文である。

題は「日本の安全保障と次代を担う人材育成~国を護るとは、日本人の気概とは~」。
今とは環境が異なる点もあるが、当時の浅はかな知識で書いた論文である。
ご指摘も含め、色々とご意見をいただきたいと思い、恥を忍んで掲載した。

長文ではあるが、お付き合いいただけたら幸いである。


(以下)

大東亜戦争以降、自由主義諸国と共産主義諸国との冷戦対峙、中近東情勢への関与など、世界秩序は米国を中心に築き上げられてきた。「強いアメリカ」であったからこそ、世界の秩序はある程度護られてきたといっても過言ではない。しかし、平成25年(2013)年9月、オバマ米大統領はシリア問題に関する9月10日のテレビ演説で、「米国は世界の警察官ではないとの考えに同意する」と述べ、米国の歴代政権が担ってきた世界の安全保障に責任を負う役割は担わない考えを明確にした。その後、国際秩序のタガは外れ、ロシアのウクライナ侵攻、中東情勢の不安定化など、国際情勢が大きく変化し、また、中国の海洋進出、北朝鮮のミサイルや核開発の問題など、日本を取り巻く環境は、日に日に激しさを増している。それに輪をかけて、中国、韓国から南京大虐殺、慰安婦問題など歴史戦における「情報戦」は世界において日本は敗北を期し、しかも主戦場は米国、欧州へと変わりつつある。
日本国内においては、9月19日、安全保障関連法案が可決され、これにより、日本の安全保障体制は歴史的な転換点を迎え、日本国周辺の安全保障環境の急変に対応するための防衛力は大幅に強化されていくこととなる。しかし、一方において、反日マスコミによる日本を貶める報道が後を絶たない。また、安保関連法案を「戦争法案」と決めつけ、「徴兵制復活」「戦争に巻き込まれる」と主張する反日政治勢力やメディアの偏った報道に惑わされ、そして、その報道を真に受け、反日勢力が主催するデモに参加する主婦や若者が多く見受けられた。次代を担う若者が事実を直視せず、偏った報道に感化され、それが正しいと思い込む。日本の将来はどうなってしまうのだろうとさえ感じる出来事であった。

今年(2015年)4月に日米ガイドラインが改訂された。そして、安倍晋三首相の4月末訪米に際し、日米首脳会談、公式晩餐会、連邦議会上下両院合同議会での演説に臨み、戦後から脱却する大きな一歩を踏み出した。
日米ガイドライン改訂について、月刊正論平成27(2015)年8月号に「日本よ、軍備大蔵経の決断を~米軍再編の真実」と題して、元陸上自衛隊西部方面総督・用田和仁氏が論文を寄稿しているので、その一部を抜粋する。

「日本の新ガイドラインの中には、日本が『防衛戦略を主体的に実施』し、米軍は『自衛隊の作戦を支援し、補完』するとの文言が繰り返しでてくる。ここに重大な意味がある。日本を日本が主体となって実施することは至極当然だが、この文脈は従来の延長戦での防衛の概念とは異なっている。(中略)結論から言えば、米軍の大変革によって、日本は核を除き、ほとんど自らの力で国土を防衛しなければならない事態に至っている。」

また、W・ブルース・ワインロッド元米国防次官補代理は平成27(2015)年9月19日付産経新聞に安保関連法案が必要かつ適切であると、以下の論文を寄稿している。

安全保障関連法は、日本が多国間安保でより積極的な役割を担うとともに、日米同盟を強固にすることを意味する。日本の安全と、地域の平和と安定を確保できる見通しも高まる。この法律に基づいて日本が国際安保政策を進めることが必要かつ適切とされるのは、以下のような理由からだ。

第1に、地域の安全保障上の脅威が一段と深刻化したためだ。最も直接的な課題は、南シナ海の広大な範囲の管轄権を主張し、国防費を大幅に増やし、軍事力を着実かつ著しく増強させている中国だ。
北朝鮮も大きな脅威だ。北朝鮮は弾道ミサイルと核兵器を保有し、孤立し不安定な好戦的指導体制によって統治されている。

第2は、テロに関連する脅威の存在だ。イランのような過激国家や、非国家的主体は、穏健な政府を弱体化させ、過激主義的で反民主的な思想を拡散させるためにテロを用いている。中東の不安定化は、エネルギー供給をめぐる日本の安保上の核心的な利益にも悪影響を及ぼしかねない。

第3に、新たな日米防衛協力の指針(ガイドライン)は、近年の日本の安保政策と合致しており、何らの飛躍的な変化を示すものではない。日本はこれまで、協調的な安全保障活動を地域だけでなく地球規模で進めてきた。新ガイドラインは、現行の取り組みが合理的かつ妥当に進化したに過ぎない。

第4に、新たな法律により、日本の安保政策は引き続き多国間主義的で防衛的な性格を保ち続けるのは明白だ。日本は他の民主国家との地域的かつ世界的な安全保障関係の中で、国際安全保障に関する日本の多国間主義的な取り組みを強化してきた。

第5に、日本の民主的な政治制度は、日本の安全保障上の役割増大を容認されやすくしている。日本は今や成熟した民主国家で、その影響力と資源を駆使して、各地で民主的な制度と慣行の発展を促している。

第6に、日本が米国の共同防衛への取り組みを支える責任と意志を強めたことは、日本を軍事攻撃から守ると誓約している米国から大いに歓迎されている。

最後に、日本が同盟国との協調の下、防衛的な安全保障上の役割を積極的に果たそうとするほど地域の平和と安定がもたらされ、日本の安全を確保できる公算が大きくなる。歴史が示すところでは、民主国家間の強固な同盟関係は潜在的な侵略国を抑止し、紛争が起きる可能性を減らす。

安保関連法によって、日本はミサイル防衛協力を含む、さまざまな種類の防衛的な国際安保協力を米国と実施することができるようになる。日本はまた、民主国家による地球規模の安保ネットワークへと進化しようとしている北大西洋条約機構(NATO)との関係をさらに強化できる。豪州やインド、フィリピン、韓国といった他のアジアの民主諸国とも安保関連の活動を強化できる。

集団的自衛権は、国連憲章51条で正当な権利と認められている。ただ、日本が集団的自衛権を認めることは、米国では懸念よりも歓迎をもって受け止められるはずだ。日本は民主国家を主導する立場にあり、国際安全保障上、一貫して責任感を持ち防衛的な振る舞いを示してきたからだ。
安倍晋三首相は、自身が述べた通り、「国際協調主義に基づく積極平和主義」をもたらすため、自国と同盟国を守る能力の強化に果断に取り組んできた。安倍首相の姿勢は、アジア太平洋地域の安定を過去数十年にわたって決定づけてきた日米同盟の強化につながる。安倍首相は、かつてのレーガン大統領のように、変革をもたらす先見の明を備えた指導者といってよいだろう。

日本の安全保障政策は新たな一歩を踏み出すこととなった。しかし、今回のこの安保関連法案に対するデモなどの騒動を見て、国を護ることに関して国民は如何に他人事のように考えている人が多いか。また、「平和主義=非武装」と考える国家は他の国を見ても日本以外、ない。

しかし、いくら集団的自衛権が行使できるとはいえ、今の憲法解釈には無理があり、諸外国の脅威に対抗できる、現実に即した憲法改正は必要不可欠である。そもそも、日本国憲法はGHQの押しつけ憲法であり、自虐史観、社会主義思想が蔓延した憲法である。吉田茂は1953年の暮れ、党内に出来た憲法調査会の会長に岸信介を起用し、このとき、岸は吉田から朝鮮戦争が勃発した際に、マッカーサー司令官に超法規的権限で憲法を改正すべきとのことを打診していたと聞かされている。「マッカーサーも、改正すべきだといっていた」と、司令官も同意したと吉田が述べていたという(岸信介証言録)。しかし、岸信介は総理大臣就任後、安保改定のあとに憲法改正に意欲を燃やしていたが、ついには達しえなかった。岸信介の志を継ぐ安倍晋三政権下において実現が無ければ、憲法改正は遠い。現在、日本会議を始め、憲法改正に向けた民間レベルでの動きが活発化されている。
憲法改正へ向けて、前文と9条修正は不可欠であるのはもちろんのこと、私は以下の事柄について、明確な規定を記すべきだと考える。

天皇は元首である=「我が国の安泰と国民の平安を祈り続けてきた永続的な存在」
国防の定義が必要=「国の独立と安全を守り、国民を保護するとともに、国際平和に寄与するため、軍を保持する必要がある」
自衛隊既定の必要性―自衛隊は国軍である
緊急事態規定―外部からの武力攻撃、内乱、大規模テロ、大規模自然災害、重大なサイバー攻撃など

法整備、いわゆるハード部分が確立しても、日本国民に「国を護る」という意識が欠落し、他人事で考えているようでは本当の意味での「日本を護る」ことにはならない。そのためには、毒された戦後教育にメスを入れ、崩壊した日本人の精神、道徳を修復し、日本人として祖国を護る気概を持つことが必要かと考える。

日本は紀元前660年より天皇を中心とした国体、脈々と受け継がれてきた日本人の精神、伝統、文化など時代の変遷とともに、変化に応じて対応し、護持し続けてきた。そして、明治維新後、日本は開国し、植民地化をもくろむ世界列強各国に真っ向立ち向かった明治の志士たちは、この日本の国体を護るため、日清、日露、第一次世界大戦、そして大東亜戦争を戦い抜いてきたのである。しかし、戦後、GHQによる日本洗脳工作「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」、いわゆる「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」が日本人の気概を消失させ、精神も崩壊しているのが今日の状態である。その毒は、今でも効き目を発揮し、ますます毒性が強まっている、現在進行中の話で、政、財、官、司法、教育その他言論界の多くの日本人の思考を今も縛りつけている。そして、その宣伝計画は、今も形を変えて生き続けている。
文芸評論家の江藤淳は著書『閉された言語空間』の中で次のように書いている。

「いったんこの(GHQの)検閲と宣伝計画の構造が、日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されるようになれば、(中略)日本人のアイデンティティと歴史への信頼は、いつまでも内部崩壊を続け、また同時にいつ何時でも国際的検閲の脅威に曝され得る」。我々は日本人の精神を空洞化したWGIPの呪縛から解き放たれなければならない。

平成27(2015)年8月14日、安倍晋三首相は戦後70年の談話を発表した。その中でも、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければならない。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」(安倍談話引用)の部分は同感である。同じ過ちを犯してはならないことは当然であるし、誰もが好き好んで戦争をしたわけではない。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、大東亜戦争を戦い、戦陣に散った方々の心は幾ばくであろうか。

昭和26(1951)年5月、アメリカ上院の軍事外交合同委員会で、ダグラス・マッカーサーは「彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのです」。いわゆる、日本の戦争は自尊自衛の戦争であったと証言している。しかし、戦後教育では「あの戦争」は悪であると教えられ、先人の思いに接することが遠くなっていた。
現実や事実を直視せず、デモへと向かう若者たちを教育する制度は一体どうなっているのか。歴史教科書問題、教師の質の低下、また、共働きが増え、母子家庭が増えた中での家庭教育等、問題は積算しており、今一度、日本人を形成する教育問題を考え直す必要がある。そして、私たちは戦前の教育で、良いところを改めて見出し、そして、日本人の気概、祖国を護るという精神を確立しなければ、いくら法が整備されても、本当の意味での日本を護るということはできないと考える。そのために、以下の考え方を日本人の根源におくべきであると考える。

①「武士道」精神
1.「武士道の渕源」より~「武士道は『論語読みの論語知らず』的種類の知識を軽んじ、知識それ自体を求むべきで無く叡知獲得の手段として求むべきとし実践窮行、知行合一を重視した」
2.「義」より~「義は武士の掟の中で最も厳格なる教訓である。武士にとりて卑劣なる行動、曲がりたる振舞程忌むべきものはない」
3.「勇、敢爲(かんい)堅忍(けんにん)の精神」より~「勇気は義の為に行われるのでなければ、徳の中に数えられるに殆ど値しない。孔子曰く『義を見てなさざるは勇なきなり』と」
4.「仁、即惻隠(そくいん)の心」より~「弱者、劣者、敗者に対する仁は、特に武士に適しき徳として賞賛せられた」
5.「礼」より~「作法の慇懃(いんぎん)鄭重(ていちょう)は、日本人の著しき特性にして、他人の感情に対する同情的思い遣(や)りの外に表れた者である。それは又、正当なる事物に対する正当なる尊敬を、従って、社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する」
6.「誠」より~「信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。…『武士の一言』と言えば、その言の真実性に対する十分なる保障であった。『武士に二言はなし』二言、即ち二枚舌をば、死によって償いたる多くの物語が伝わっている」
7.「名誉」より~「名誉の感覚は、人格の尊厳ならびに価値の明白なる自覚を含む。… 廉恥(れんち)心(心が清らかで、恥を知る心が強いこと)は、少年の教育において、養成せられるべき最初の徳の一つであった。『笑われるぞ』『体面を汚すぞ』『恥づかしくないのか』等は非を犯せる少年に対して正しき行動を促す為の最後の訴えであった」
8.「忠義」より~「シナでは、儒教が親に対する服従を以って、人間第一の義務となしたのに対し日本では、忠が第一に置かれた」
9.「武士の教育及び訓練」より~「武士の教育に於いて守るべき第一の点は、品性を建つるにあり。思慮、知識、弁論等、知的才能は重んぜられなかった。武士道の骨組みを支えた鼎足は、知・仁・勇であると称せられた」
10.「克己」より~「克己の理想とする処は、心を平らかならしむるにあり」

②教育勅語
1.親に孝養をつくしましょう(孝行)
2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
3.夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
4.友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
5.自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
6.広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
7.勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
9.人格の向上につとめましょう(徳器成就)
10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
12.正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)

「人を平気で貶める」「殺生の意義がわからない」「親をないがしろにする」「人間関係が図れない」「自分勝手」「相手を思いやる気持ちがない」「モンスターペアレンツ」などなど・・・。戦後、日本は豊かになった。しかし、大切な何かが忘れ去られているように感じる。今の日本人に足りない、そして、戦後教育で忘れ去られたものが、この「武士道」「教育勅語」にある。先人たちの古きよき教えを学び直し、後世に伝え続ける。そして、日本人の心を取り戻し、気概が生まれ、精神が確立されてこそ、日本を護ることができると考える。

最後に平成27(2015)年4月に発行した別冊正論21号「沈黙は金ならず!反撃する日本」で上島嘉郎別冊正論編集長(当時)が記した文言を持って結びの言葉としたい。

「後世の日本人を信じて命を捧げてくれた人たち、その献身が今の日本をつくっている。日本は現在生きている私たちだけのものではない。過去と未来の日本人のものでもある。現在の私たちの過怠や不作為によって、先祖の名誉を不当に損なわれたままでよいか。子孫に要らざる負い目を負わせてもよいか。
故江藤淳氏の次の言葉を、日本人として噛み締めたい。
『死者の魂と生者の魂との行き交わいがあって、初めて日本という国土、文化、伝統が成立している。それこそ日本のConstitutionである。つまり、死者のことを考えなくなってしまえば、日本の文化は滅びてしまう』、『ソポクレース以来、自国の戦死者を、威儀を正して最高の儀礼を以て追悼することを禁じられた国民が、この地上のどこにあっただろうか。国人よ、誰に謝罪するより前にこのことを嘆け。そして、決するな』
 昨年(2013年)12月の安倍晋三総理の靖国参拝以後、日本は世界中から非難されているかのように見える。同盟国アメリカですら『失望』を表明したのではないかと、日頃の反米姿勢はどこへやらの新聞もある。
 だが、日本国民は動揺してはならない。日本を封じ込めようとする動きの背後を見極め、同時に根拠なき非難には毅然と反論する。いま求められているのは、賢明で、『強い国民』になることだ。やがては散る桜として、そのつとめを果たそうと考える日本人に向けて本書を編んだ。」

「強い日本人」になるべく、そして、「日本国を護る」べく、ハード面の法整備とソフト面の日本人としての気概、精神を確立し、安全保障環境の強化と人材の育成に費やすことが大切である。

菅首相が突然の辞任を表明した。ワクチン対策や、特に安全保障対応には格別の成果をもたらした。心からお疲れ様と申し上げたい。しかし、我が国を取り巻く安全保障環境は、明治以来の危機であると私は思っている。アフガニスタン情勢における米国の態度は、日本にとってみると「明日は我が身」。自国の安全は自国で確率するしかない。中国の台湾、尖閣奪取は北京五輪後であるとの予測もある。よって、次回の衆議院選挙で、国家観が欠如している立憲民主党が政権を取るという悪夢は絶対に避けるべきであると私は強く申し上げる。
2021.09.02 19:16 | 固定リンク | その他

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